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2025年9月 9日 (火)

松竹主催「菅原伝授手習鑑 夜の部(Aプロ)」歌舞伎座

<2025年9月6日(日)夜>

管丞相が大宰府に追放されたため、三兄弟のうち梅王丸と桜丸は浪人の身。一方、松王丸は藤原時平に仕えている。参詣する藤原時平の牛車に出会って、梅王丸と桜丸主の仕返しをと車を壊しにかかるが、それを止めようとする松王丸と争いになる。そこを車から出てきた藤原時平に睨まれて、梅王丸と桜丸は動けなくなる(車引)。その三兄弟の父の七十の祝いのため、父の家には三人の妻が先にやって来て父の祝いを行なうが、息子三人はなかなかやってこない。父が宮参りに出掛けた間に松王丸と梅王丸がやっと来たかと思いきや喧嘩を始めて、戻ってきた父を相手に二人は祝いの品の代わりに書付を渡す(賀の祝)。その日よりしばらく後。管丞相の息子の管秀才は手習鑑を伝授された武部源蔵の開く寺子屋に匿われていたが、藤原時平の追手が迫る。顔検分にはかつて管丞相に仕えていた松王丸がやって来るという。今日一日をやり過ごせば逃げられると思い詰めた武部源蔵は、その日寺入りした子供を身替りにして松王丸の検分を何とか難を逃れる。隣村まで用事で出掛けていた子供の母親が戻って来たところで実は(寺子屋)。

通しで観ました。昼の部はこちら

フル上演の文楽で観た三段目から五段目までのうち、三段目はフルで、四段目は寺子屋のみ、五段目は丸ごと省いた構成でした。文楽の四段目では、管丞相の追放ではまだ足りずに管丞相本人とその家族の命を藤原時平が狙う場面が作られています。本人、管丞相の妻、息子の管秀才を狙う場面に分かれており、それぞれ梅王丸、桜丸の妻(と松王丸)、松王丸が助けるために活躍します。この管秀才と松王丸の場面が、寺子屋です。文楽だと管丞相本人は助けられて天神に変わってしまうので、歌舞伎になるときに省かれたのはわからないでもありませんが、「梅は飛び桜は枯るる世の中になにとて松のつれなかるらん」の歌の恨めしさは省かれることになりました。それと、管丞相の妻を助ける場面は桜丸の妻が犠牲になる場面だから残してもよかったはずなのですが、時間の都合か、寺子屋の場面が上出来すぎたか、寺子屋の場面で実は妻(管秀才の母)が助かっていたことにして盛上げたかったか。五段目はお家再興を願う残された人々が藤原時平と戦いますが、天神となった管丞相が助ける展開なので、この構成では省かれるのも止むなしです。だから後半は松王丸、梅王丸、桜丸の三兄弟の話に、武部源蔵と妻の戸浪が絡む構成です。

せっかく観た話なので自分のブログを振返って思い出していましたが、ここから感想。

車引はこの構成だと、後半のための3兄弟の顔見世です。そこに今回は高麗屋3世代が揃って出る顔見世を重ねてきました。白鸚が元気なところが観られてよかったです。

賀の祝は松王丸の妻千代の新悟が良い感じ。ただ白太夫の又五郎はもう少し年輪というか、昔は管丞相に仕えていたからこそ息子を説教する、自分がお世話に向かうと言い切るところの重さが出てほしかった。

寺子屋はこれも前に幸四郎の武部源蔵を観ていて、今回はもう少し重さが出ていましたが、やっぱり声の軽さが災いしてこの手の役には向かないというか、まだまだ貫禄を出してほしいところ。松王丸の松緑が大きさ一番でよいけれど、千代の萬壽ももなかなか、戸浪の孝太郎も好ましかったけれど寺子屋に入ったばかりの子供を犠牲にすることに早くから納得しすぎの気配を感じるのが惜しい。最後は犠牲にした子供に焼香する「いろは送り」までやって見せて、たしかに沈痛な場面なものの、長引いたと感じてしまったので短くする工夫はないものでしょうか。

通しての感想ですが、昼の部も夜の部も緩い仕上がりでした。おぼろげに覚えている文楽の記憶を思い出しながら観ていたので、脳内補足が効いて筋は理解しましたが、昼夜通して文楽からの移し方、脚本の縮め方がいまいちかなとは思いました。様々な制約があった上でこのようなまとめ方に落着いたのでしょうが、オリジナルを知っていることを期待した縮め方とも、役者頼みとも思えます。

そして今回の上演する側は、省かれたものの全体を通して大切な藤原時平の権力争いのことを脇に置いていたように思えます。大きな権力争いの構図が個人を押しつぶす、あるいは個人の悲劇に繋がる、それを端的に表したのが寺子屋の「すまじきものは宮仕え」の台詞ですが、そう思わされるものはありませんでした。有名だしフル上演だから筋は放っておいても伝わるだろうと考えたかは知りませんし、この日だけ飛びぬけて出来が悪かった可能性も残りますが、この日は昼も夜も駄目な出来だったと言わせてもらいます。脚本の縮め方に問題はあれど「面白い脚本を面白く立上げるのは至難の業」という古田新太の言葉を思い出すはめになりました。

あと、夜の部は夜の部で文句があります。同じ役なのに役者をいじりすぎです。AプロとBプロで違う役者が演じるのは当然です。同じ役者が1人2役を務めるのも演じ分ける力量があれば文句はありません。昼の部と夜の部で変えてくるのは、望ましくありませんがまあチケットも違うし事情もあるだろうから認めます。でも同じ夜の部の同じプロダクション中で同じ役者が通して務める役がないのはいかがなものでしょう。松王丸は幸四郎、歌昇、松緑。梅王丸は染五郎、橋之助。桜丸は左近、時蔵。千代は新悟、萬壽です。

部外者が事情を推測するのなら、先に書いた通り3世代揃わせてなるべく客を呼びたいとか、なるべく大勢の役者に多くの役をやらせて芸の継承を急ぎたいとか、通し狂言に大勢に出てもらってなるべくあぶれる役者を減らしたいとか、「なるべく」の理由がいくつか思いつきます。それは歌舞伎を今後も続けていく上で必要なことなのでしょうが、だからと言って納得できるほど熱心な歌舞伎ファンではありませんから、観づらかったと言わせてもらいます。

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