新国立劇場海外招聘公演「鼻血」新国立劇場小劇場
<2025年11月22日(土)夜>
両親は日本人だが父親の仕事の都合で日本とアメリカを行ったり来たりして、今はアメリカで暮らすアヤ。自分のアイデンティティが定まらないのは日米を行き来していたものの家族とはろくに話をしなかった父親のせいだと考えている。その父親はだいぶ前に亡くなったが、家族は葬式もせず墓も作らなかった。そんな父のことを今あらためて思い返す。
1人複数役ならぬ複数1役というか、脚本演出のアヤ・オガワが父親を演じて、他の役者がアヤと他の役を演じる。日本語と英語がちゃんぽんで出てきますけど、そこは字幕があって、英語の台詞では日本語の、日本語の台詞では英語の字幕を出してくれるのでわからないところはありません。
さすがアメリカで作った芝居なだけあって演技はしっかりしたものですが、それよりは構成の繋げ方や展開のスピーディーさがどことなく日本の小劇場を思い起こさせます。終盤以外は地明かりだけで進んでそれでいて緊張感を途切れさせないところは青年団さながらですが、どんどん場面転換していくところは野田秀樹以来の小劇場です。観客参加場面も織り交ぜつつ、色々考えた結果としてのエンディングにたどり着いたあのエンディングも小劇場感があります。
よくできた芝居だったのですが、家族との確執という点では日本の現代小劇場指折りの傑作であるハイバイの「て」があります。あちらはまだ生きている父との話、こちらはすでに亡くなった父との話でアイデンティティも絡めて、とやや違うところがありますから上下優劣を付けられるものではありません。ただ、デジャブというか、初見ならではの驚きには欠けたのが惜しいです。
築地小劇場以来の翻訳劇、それ以来の新派というか劇団芝居、唐十郎や野田秀樹から現代口語演劇まで連なる小劇場の新作群、そして歌舞伎や宝塚といった日本固有の芝居。日本の芝居の百花繚乱の前にはインパクトは弱かった。日本の「アヤ・オガワ」が「おがわあや」としてアイデンティティに悩まずに日本で演劇を続けていたらどういう「鼻血」が生まれただろうかと帰り道には考えました。
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