佐藤信が演出降板
座・高円寺で毎年年末に2本上演される「ピアノと物語」。去年から片方が新しい芸術監督のシライケイタによる新作に変わりましたが、もう1本の「ジョルジュ」は引続き上演されて、演出を前芸術監督の佐藤信が担っていました。それが降板になったという話です。劇場公式サイト「『ジョルジュ』演出者降板のお知らせ」より2025年12月3日付です。
杉並区は令和7年11月20日、前区顧問(文化行政担当)による不適切発言に関する公益通報制度にもとづく調査結果を公表しました。公表によりますと、職員の人格を否定し尊厳を侵害する発言があったと結論付けています。
これをうけて、佐藤信氏より当該人物が佐藤氏である旨と、『ジョルジュ』降板の申し出がありました。
当館は、区の調査結果と本人の申し出を総合的に勘案し、事態を重く受け止め、本公演への同氏の参加を見合わせる判断に至りました。
『ジョルジュ』は長年にわたり当館で継続してきたレパートリー作品であり、作品の性質上、内容を全面的に変更することは行いません。
稽古場の進行および上演の統括は、現芸術監督のシライケイタが担います。
ご観劇を楽しみにしてくださっていた皆様に、ご心配とご迷惑をおかけしますことを深くお詫び申し上げます。
座・高円寺は、誰もが尊厳を保ったまま働ける創造環境を守るため、再発防止策の強化と制度整備を進めて参ります。
杉並芸術会館(座・高円寺)芸術監督 シライケイタ
NPO法人劇場創造ネットワーク
発言と書かれているので暴力沙汰ではありません。とは言え、前芸術監督に対してお役所がここまで結論をはっきり書いて、(少なくとも形の上では)本人から降板の申し出を行なったということは、かなり詰めるようなパワハラが実際にあったのかなと想像します。どれだけ下に降りてきても演出家というのはそれなりの決定権を持たないと進められない役割ですから、少なくともクリエーションチーム(役者、スタッフ両方)に対しては上の立場となるでしょう。
また一方、脚本に対してある種の方向性を示して大勢をまとめていくために必要な能力は純粋な技術だけでなく芸術観も必要で、言ってみれば出来る人と出来ない人がいる役割です。本来であれば実績実力ともに兼ね備えた人は、貴重とまでは言わないまでもあまり数の多くない人ですから、周りからは大事にされるはずです。ましてその劇場の前芸術監督です。
昔ならそこは制作とかベテランとかがまあまあとか宥めてその場を収めて、詰められた方を食事に誘って慰めたり励ましたりして、みたいなやり方で回っていたのではないでしょうか。というか、そういう環境に耐えられない人は辞めて去っていたはずです。
演出家が一番偉い主宰劇団ならそれで通っていたと思いますが、公立劇場主催の演出となると、国や自治体というもう一段上の責任者が設けられることになります。
この話を読んだときに考えたのは、演出家なら自分を演出してほしい、でした。今の時代の倫理観というテキストとサブテキストを適切に読取って、公立劇場の雇われ演出家として乗込む「役者」にはどのような振舞が適切かを考えて、そのように演じてほしかった。
今回は上が自治体なのでパワハラに対して敏感なのはわかります。それが民間の、しかももっと有名な演出家と大掛かりな芝居の場合はどうなったかなと考えます。
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