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2023年10月10日 (火)

御園座主催「東海道四谷怪談/神田祭」御園座

<2023年10月8日(日)昼>

民谷伊右衛門は浪人して貧乏生活に甘んじている。妻のお岩は男の子を産んだが産後の肥立ちが悪く、邪険にしている。そこに隣家の伊藤家から薬の差入が届き、お礼に訪ねたら一目ぼれした孫娘と一緒になってくれないかと頼まれて出世のために承諾してしまう。一方、夫の留守に薬を飲んだお岩は顔が崩れてしまう。実は伊藤家が伊右衛門の妻を陥れたものだった。

要らない了見抜きで芝居を観るために初遠征。妻を邪険にして悪い男ぶりの仁左衛門の伊右衛門と、恨めしやと恨みがエスカレートする玉三郎のお岩が見どころです。ただ、玉三郎は思ったよりも背が高いのですね。一人で演じる場面で思ったよりも背が伸びて、そこだけ驚きました。登場人物ではもうひとり、按摩宅悦を演じた片岡松之助がお岩に同情する役どころを上手く演じていたのがよかったです

役者の演技には満足しても、どうも足りない気がすると思って調べたら、通しではお岩の妹の話があったんですね。それは足りないわけだ。全体にモノトーンの舞台や衣装ですが、恨めしやというくらいだからそれは合っている。けど、なかなか悲惨な場面が続くので、拍手のしどころに欠けるのが困りました。

それを補うのが神田祭で、鳶の頭と芸者の設定を、派手な背景と派手な衣装でぱあっと明るく踊ります。こっちの玉三郎は仁左衛門とじゃれ合って実に上手で、芸者なのに初々しい。仁左衛門もそこにいるだけで格好いい。周りもとんぼを見事に決めたりして、拍手も遠慮なく何度も出ました。

観られた場面にはすべて満足しましたが、できれば四谷怪談は通しで上演してほしかった。名古屋だと出張公演になるから費用がかさむにしても、やっぱり歌舞伎座より高いチケット代になるからにはねえ、という点には不満の残る公演でした。

劇団四季「キャッツ」名古屋四季劇場

<2023年10月7日(土)夜>

ジェリクルキャッツと呼ばれる個性豊かな猫たちによる年に1度の舞踏会。長老猫に選ばれた猫が新しいジェリクルキャッツとして次に生まれ変わることができるが、選ばれるのはたった1匹だけ。その1匹に選ばれるために猫たちは夜通し歌って踊り続ける。

わざわざ観に行ったわけではなくて、別件のために名古屋に行くなら観光もしようと探しているときに見つけたもの。劇団四季のストレートプレイは1度だけ観ているけどミュージカルはまだだなと思い出したので、特に期待せずに観たのがよかった。満足度が高かったです。

まず演目が、1匹に選ばれるためにひたすら歌って踊るというのがよかった。筋も少しはあるけれど、そこまで追わないで歌と踊りに集中できるので。そして有名な猫の扮装をした役者が歌って踊るわけですが、歌も踊りも一級品でした。

まず歌が明瞭。おおぜいで歌っても歌詞がわかるように発声と発音の訓練をされた歌声で、これが浅利慶太の目指した成果だという歌声でした。

歌についていえば、日本語訳詞がわりと主旋律にきれいに乗っていて、クレジットには「日本語台本 浅利慶太」とあるので、浅利慶太の翻訳ですよね。ほぼ全部日本語にしてあそこまで乗せてくるのは単なる翻訳を超えた仕事ぶりです。あと、声を埋もれさせない音響も預かって力がありました。

そして踊りは、脚が上がるあたりの振付は若干ウエストサイドストーリーっぽさを感じないではありませんでしたが、とにかく脚が上がるし、回るし、飛ぶし、足場の狭いところでもものともせずに踊ります。単純に観ていて気持ちがいいです。これも訓練の賜物という踊りでした。

客席に入って目につくのは二階席まで派手に飾り付けられた美術ですが、美術も動きます。そこに仕掛けも用意して、照明と合せて、専用劇場の長所を十二分に発揮しています。役者は客席にも来てくれますが、近くで見ても猫の衣装とメイクはそこまで違和感ありませんでした。よくできていますよね。

で、ソロでも歌よし踊りよしの役者が揃っていたのですが、それはそれとしてこの日個人的に気になったのは、泥棒雌猫ランペルティーザ役の清水杏柚でした。背丈は下から数えたほうが早いくらい低い人でしたが、目を引くパフォーマンスをするのはタッパじゃないなと教えてくれました。

ということで観終わって満足しましたが、観る前にもよかったことがあったので2つ。ひとつは残席状況をかなり細かく発表してしかも1日複数回更新していること。あとは客入りに合せて3段階に料金を分けていること。やっぱりロングランで自前のチケットシステムを導入しているとそのあたりまでできるようになるのだなと思いました。子供料金半額も実現しています。

これは好きになる人がいるのもわかりました。ということで、もう何本か追ってみたいと思います。

2017年5月11日 (木)

ローザンヌ・ヴィディ劇場製作「ウェルテル!」静岡芸術劇場

<2017年4月28日(金)夜>

引越した先で知合った女性シャルロッテに恋したウェルテル。彼女にはすでに婚約者がいた。叶わぬ恋に悩み自殺するまでの話をウェルテルとして演じる一人芝居。

初日。マイクとカメラでライブ映像を映したりしながら演じ通す。ドイツ芝居(というか原作小説)は強度があって何とでもいじれるとの評判は伊達ではない。恥ずかしながら原作を読んでいないのだけど、開演前にSPACのメンバーがロビーで粗筋解説していた。粗筋がわかったからといって楽しむのに問題ないとの判断もあってのことだと思う。

実際の上演は、本人が客席とのコミュニケーションを楽しむスタイルを好んだようだけど、ドイツ語メインかつ字幕にいろいろ問題があって客席との齟齬が多く、結構滑った。途中で日本語を繰出したり四苦八苦していたのだけど個人的にはことごとく裏目に出ていた。演技はよかっただけにもったいない。

齟齬について補足しておくと、客席に話しかけたりリアクションを期待した芝居が開演直後から多数あったのだけど、英語ならともかくドイツ語だと客席に通じる割合が低く、反応が鈍かった(出来なかった)。特に、途中で一度終わったように見せかけて退室する演出があったのだけど、そこで拍手なり笑いなりを期待していた役者と、いやいや全然終わりじゃないだろそんなのネタだってバレバレだから拍手も笑いも無しで続きを早くというスレた客席(自分を含む)とで思いっきり食い違って、非常に気まずい進行だった。客いじりなんて日本人が日本人を相手にしても難しいのだから、最後まで飛ばしてもらってもよかったと思う。クラシック音楽の演奏会みたいに、最後にわっと拍手するのもいいものだ。

あと字幕はひどかった。台詞と全然合っていないだけでなく、先に進みすぎた字幕を戻したりして(PowerPointのスライドをキーボードで行ったり来たり操作するような)、初日ゲネですらなかった。字幕の完成が遅かったのか、ビデオ含めて一度も上演内容を確認せずにぶっつけ本番でやったのか、字幕のオペ担当が急病で代理になったか。すくなくともドイツ語がまったく分かっていなかったのは確かで、通訳が客席後方で待機していたのだから(オペも客席後方だった)通訳に任せたほうがまだマシだったはず。

字幕についてはもうひとつ。天井の高い劇場の後方を目一杯ライブ映像に使っていたので、字幕がさらにその上に表示された。たぶんそれが原因で、客の目線が上に寄って、客席とコミュニケーションを取ろうとした役者が映像トラブルを疑って最初に何度も後方を確認していた。字幕の配置場所はもっと配慮があってもよかった。映像を使うから悩みどころだけど、重ねてしまってもよかったと思う。途中で前方に幕を追加する演出があって、それがまた悩みどころだけれど。

終演後は役者のフィリップ・ホーホマイアーのアフタートーク。客席から集めた質問を宮城聰が訊く形。ちょっとうろ覚えだけど覚えている範囲でメモ。間違っていたらそれは私が悪い。当日パンフの内容が混ざっているかも。

・小さい頃に独学で詩を勉強した。中学生になって授業でコッポラの映画を観たあと、教師から感想を求められた。他の同級生が何も感想を言わない中で、自分は机の上に立って詩を朗読した。あれが自分の初の演劇体験。

・その後、演劇学校に入って役者の勉強をしたが、そのころに演出のニコラス・シュテーマンと知合った。今回上演した芝居は演劇学校で最初に発表したもので、基本的にはその20年前のときと同じ演出で今回も上演した。「若きウェルテルの悩み」はドイツでは全員が知っている有名な小説で、(一般階級の男性が恋に破れて自殺するというのは発表された1774年当時では衝撃的な内容だったため)ドイツの小説史上でもとても重要な位置づけがされている。

・演劇は自分にとってはこれしかできないもの。他の仕事をやったら「カローシ(過労死)」してしまう。

・普段はできるだけ自分をニュートラルに保って、何かあったときにそれを即座に自分の中に取りこめるように努めている。取りこんだものを芝居に出す。(通訳補足)今回の上演で「津軽海峡冬景色」を流したが、あれは前日の懇親会で流れた曲を本人が耳にして、その場でダウンロードして、今日の芝居に使うことを決めた。

・上演中は飛行機のパイロットのつもりでいる。出発地と到着地は同じでも、周囲の状況は違う。雲の中をどうやって抜けていくか、風が吹いている中で無事に離着陸できるか、状況が毎回変わる中でどうやって運転するかが大事になる。芝居の上演も状況が毎回異なる中で、運転を調整しながら、到着地を目指している。

・(今までで一番記憶に残る公演は?)毎回違う状況で運転しているので、どれが記憶に残るということはないが、今日の公演は滅多にない公演だった(客席の反応が鈍かったことを指している)。

・(ひとつの演技に複数の感情が込められていたが、どのようにしているのか?)自分たちは普段の生活で、すでにそのように行動している。演技でも、できるだけ自分自身を正直に解放するように演じると、そこに複数の感情が表れる。

・(劇中で食器を割る場面で、何のためらいもなく食器を割っていたのに魅了されたが、ためらいはないのか?)あの場面はウェルテルの心がそれを欲しているので、ためらいはない(宮城聰も面白い質問と言っていたけど、日本人ならもったいない意識が働きがちなところ、どうももったいない感覚自体が伝わっていなかった?)

・(大きい声を出すにはどうすればいいですか?)筋肉を鍛える!

こういうトーク、向こうの人たちはとても真摯に応対する印象がある。芸術の国と芸能の国の違いかもしれないけど、ストレートでいいなあという感想と、もう少し照れてくれたっていいんじゃないかという感想と、半々。

2011年11月 4日 (金)

松竹主催「美女はつらいの」大阪松竹座(ネタばれありあり)

<2011年11月3日(木)昼>

すばらしい歌唱力を持ちながらあまりに太っており、かつ病気の父親を抱えるため、歌が下手な美人歌手のゴーストシンガーを務める主人公。憧れのプロデューサーには応分の扱いをしてもらえるも、美人歌手やマネージャーからはさんざんな扱いと迫害を受ける。自殺を試みるまで思いつめた主人公は整形外科に通い大手術を受ける。美人になった主人公は別人の振りをして元のプロデューサーのオーディションを受けに行く。

ブログを書き始めてからたぶん初の遠征。もうアレがアレしてアレなんで「そうだ京都へ行こう」とか考えていたんだけど、どうせなら変わったことをしたいと考えて思いついたのが松竹著作権問題。どうせなら実物を見比べてやれ、でも「原作」の漫画はいまさら売っていないだろうから芝居だけ観てもわからないか、まあ交通費も馬鹿にならないし漫画がなかったらやめとこう・・・ジュンク堂、お前の品揃えには脱帽だよ、だったら観に行ってやるよ。

ということで原作5巻を大人買いして事前に読んだ上で、日帰りで行ってきました。以下全力でネタばれ。観に行った理由が理由だから許されたし。

まず内容「だけ」で言えば、これは裁判官が別物と判定したのもしょうがないというほどの別物。舞台が日本か韓国かは置いといて、まず漫画で言えば

  • 大学生の大学生活が中心(主人公が学生なのか、学食でバイトしていただけの若者なのかがいまいちわからない)
  • 1話目の1ページ目が整形済みの段階でスタート
  • 憧れの彼を、地味ブリッコ二股女から略奪して紆余曲折を経て付合いはじめる(2巻まで)
  • 付合いをご破算にしそうなイベント(妹にばらされそうになる、うっかり情けをかけた別のブスに振り回される、偶然会った彼の先輩にほれる)(4巻まで)
  • 同棲を始めるもお互いの欠点が目に付いて、さらに他の女から略奪の働きかけを受け、整形を白状するも、めでたしめでたし(5巻)
  • 全体に、「美女に対する誤ったイメージを実行して嫌われそうになったのを、ブス(不幸な立場一般)の気持ちがわかるためにリカバリー」というパターンのコメディ

というもの。これに対して芝居は

  • 音楽業界の歌手とマネジメント側が中心、主人公には歌唱力という能力あり
  • 主人公を誘導して(もてあそんで?)、無料で整形して、さらにサポートするのが天使という設定
  • ブスがいじめられ、さげすまれ、憧れのプロデューサーのパーティーで恥をかかされ、自殺したくなるまでが大半、加えて整形して正体を隠してオーディションに受かってデビューするまでが前半
  • 整形してデビューしたものの実は整形前にもプロデューサーが好意を寄せていたことを知って後悔する、事務所の方針で「美女らしい」振舞いを叩き込まれるが却って性格がゆがんで忙しくて会えない親の面倒を見てくれていた友人と険悪になる、主人公のデビューでクビになった美人歌手から正体を追及される、並行して事務所の契約トラブルでプロデューサーが自己嫌悪に陥る、コンサート当日に事務所が解散同然になってしかも正体がばらされてブーイングの中でステージに上がって謝罪して応援されて歌ってめでたしめでたしの後半
  • 全体に、シンデレラストーリーをベースに「ブスの悲哀」「正体を隠して美人になったための苦労と苦悩」を描いた物語

というもの。共通点らしきものは「主人公が整形して美女になる」「美女らしい振舞いをしようとして失敗するエピソードがある(エピソード自体はまったく違う)」「他の女に正体を追及されてばらされそうになる(追求される理由が、身内からの追及と、クビの恨みとで違う)」「格好良くて女に困らないような男が、外見無視の性格重視で相手を選んでいる」くらい。これだけじゃさすがにどこにでもある話の設定。今回の一件を知らない人が両方を観て原作関係を指摘できるとは思えないし、指摘できたとしてもその話を聞かされた人は「でもそれってよくあるパターンじゃないの」と返事するレベル。

なので、作品面から著作権を追求するのは無理、この芝居が映画を参考にしている証拠を探すしか手段がないんじゃないか、というのが私の印象。さすがに当日パンフレットは買わなかったけど、ぱらぱらめくった感じでは映画のことすら一切触れていない。触れていないことが逆に確信犯だと思うんだけど、それは証拠にならないので、クレジットで誰か映画にかかわっている人を探すとか、韓国での上演時の資料を探すとか、韓国から舞台化の申し込みがあったときの記録を探すとか、そういう方法しか思いつかない。「原作」者と講談社におかれては大々的な調査となって面倒かもしれませんが、ここで一発かましておかないと後でもっと面倒な犠牲者が出ると思いますので、最低でも「あそこは無断でやるといろいろうるさいからパクるのはやめておこう」と知らしめる程度にはがんばってほしい、それがコンテンツ海外展開先駆者の苦悩と承知して引受けてほしい、と勝手に願っております。背中から撃つようなことをブログに書いておいて勝手に願ってんじゃねーという感想を持たれるかもしれませんが、作品面については正直に、正直に。

ここまでが騒動に対する意見。ここからが芝居の感想。

面白いといえば面白いんだけど、いくらミュージカルに単純明快はありがちと言っても、それ以上にそのご都合主義はどうなのよ、という点が散見。

  • 天使という設定を持込むことで、貧乏な主人公の大規模整形費用が無料になること(あるいは、ゴーストシンガーをやっているのに家賃を滞納するほど貧しいこと)
  • いくら性格重視の男だからって、ブスの主人公にほれるきっかけがわからない(歌唱力にほれたって設定を新曲の場面で描いたのだとは思いますが)
  • 整形や芸能界に対する台詞に違和感を感じる

とくに最後が不思議で、最初は芝居だからいじめも何事も大げさにやるのだと思っていました。けどプロデューサーの台詞に、美人歌手はダンス、XX(失念)、整形、ダイエットと努力している(大意)とあって、え、整形って努力に含まれるの? 他の役に言わせるならまだしも、ひょっとして韓国ではそれが普通? みたいなカルチャーギャップが芽生えたのがひとつ(他に、いまどきニュートラル(ナチュラルだったかも)美女なんてありえないという美人歌手の台詞もある)。あともうひとつ、事務所のトラブルに「奴隷契約」とかでてきて、あれ、ダブルキャストのもうひとりのヒロインの所属ユニットで実際に騒動になっていなかったっけ? 全部作り話と思っていたけど実はかなり現実が反映されている? だとすると他の部分、ブスへのいじめや美女は何をしても許されるという設定もかなり韓国の実情を反映しているのかも、といらぬ想像が湧いてしまったのがもうひとつ。だから、これは口パクかも、あの人はどこか整形しているのかな、このくらいのいじめは日常茶飯事なのかな、と今観ている芝居に対していろいろ考えてしまって、何かですね、素直に楽しめなかったんですよ。

役者についていえば、主人公のパ・ダは結構観られたし、聴けた。でもクライマックスの音響オペはもっと落としたほうがいいと思う。プロデューサー役のオ・マンソクは演技も歌も力不足。一番よかったのは、天使役兼整形外科役兼あといくつかを演じたキム・テギュンで、何をやるにしても余裕が感じられたし、声も出ていた。あと父親役の人がちょっと気になったけど名前不明。アンサンブルは振付はさておき、全体にもう少し揃えてほしかった。あと日本語を混ぜるのであれば謙虚さよりも面白さを追求してほしい。エンターテイメントをやっている最中に卑屈に見られたらアウト。その点でもキム・テギュンはよかった。

あと雑感。チケットは9割がた売れていてびっくり。客層は40以上の女性団体が主、もう少し若目の女性が若干、40以上の女性に連れられてきた旦那さんがごく少数、自分は希少種。拍手はプロデューサー役に一番多かったので客層は男性スター目当てだったと思われる。いわゆる韓流が最近批判されているけど、こういう人たちにそれなりの需要があるとわかったのは収穫。他の観客のおしゃべりによると、原語には言葉遊びがちらほらあってもっと笑えるらしい(韓国語と日本語を流暢に話している人だった)。あと別の観客は騒動のことを知っていて、でもシンデレラストーリー自体がよくある話だろと自分と似たような感想を話していた。大阪松竹座は3階席まである、新橋演舞場の幅を狭くしたような劇場だけど、どこから観てもわりと観やすくてよい、そのかわりロビーが狭い。かに道楽は何件もある。読み終わった漫画はどうしよう。

どうせなら京都に寄ってきたかった、1日つぶして高い交通費で日帰りで何やってんだと後悔はしきりだけど、反省はしない。それにしてもやったことはフリーのライターみたいなものだけど、事前調査に交通費に芝居にと金ばかりかかって、もっとまじめに調べるなら映画のDVDを買うとかもあるし、これは儲からん、フリーの収入3分の1則(サラリーマンの3倍もらって やっとサラリーマンと同じくらいの稼ぎになる)は本当だ、と実感した。