正確には、「メソード演技」はリー・ストラスバーグのアクターズ・スタジオでストラスバーグのクラスに10年以上在籍(執筆時も在籍)したエドワード・D・イースティの作。「魂の演技レッスン22」はアドラーの講義の録音テープや書き起しをもとにハワード・キッセルが編集したもので、原語だと「Compiled and Edited」になっている。「サンフォード・マイズナー・オン・テクニック」はネイバーフッド・プレイハウスの授業のまとめで、マイズナーと一緒にデニス・ロングウェルが共著者になっている。でもまあ、3冊とも3人の本と呼んでいいと思う。
スタニスラフスキーを読んだら他も読みたいと考えていたところに、ちょうどスタニスラフスキーをまとめたエントリーで勧められたのもあって、最初に読んだのはマイズナー本。ただ読んでいるうちに、他の2人も実は同じ劇団「グループ・シアター」の出身だったということがわかって、アドラー、最後にストラスバーグも読んだ。なのでその順番で書く。
<マイズナー本>
登場する役者の飲みこみがいいのは、普通のクラスではなく、少し年配のプロフェッショナル向けに教えた講義の取材だから(途中でひとり追放される)。でも、3冊の中ではたぶんこれが一番演技の技術っぽいことを追求した本。
マイズナーが重視するのは、自分の感情を動かすこと。もう少しいうと、何かに刺激を受けたら、その刺激に自分の感情を反応「させ」て行動に移させること。「衝動が働くようにする」とも言っている。特に相手(相手役)との反応で感情が刺激「される」ことが大事。
相手役とのやり取りで最初の刺激はどうするんだろうと思いながら読んでいたけど、「感情準備」といって、最初は何とかして感情を準備しておくというのがお約束だった。
どんなことをやっているかは読んでもらうとして、以下の引用を読めばマイズナーの目指すところは伝わるんじゃないかと思う。
・紳士でありながら俳優にはなれない。
・せりふは一艘のカヌーのようだ・・・そして、カヌーの下を感情の川が流れる。せりふは川の上に浮かんでいる。もし川の水が激しく流れているとしたら、言葉は急流の上のカヌーのように出ていく。すべては感情の川の流れ次第だ。せりふは感情の状態の上に乗っている。
・原則は「君たちに何かをさせることが起こるまで、何もするな」。想像上の状況の中に存在するものに感応する人間となれ。
・台本の中の役の名前の下にある、カッコに入れられた小さな言葉、たとえば(柔らかく)、(怒って)、(懇願するように)、あるいは(努力して)、などは読者の助けにはなるが、俳優たちの助けにはならない。いますぐ、線で消してしまうことだ。・・・なぜなら、それらは、自然発生的にしか現れない人生を支配するからだ。
他に、
・その衝動を内に押さえて、実際には何もしないで、ただその気持ちだけを抱いていたら、俳優である君の役に立つのではないか
・役者になるには20年かかる。
というのもあった。
現代西洋流演技の、一番中心のところだけを切取った感じの本だった。自分は観客だからかまわないけど、実際に役者が読んだら好みが分かれるような気もする。でも、3冊の中で一番刺激を受けたのはこれ。
<アドラー本>
演技のテクニックの話ももちろんあるけど、演技のための心構えの面が多い本。スタニスラフスキーの「俳優の仕事」でいうなら第2部の内容。どうもアドラーは「現代アメリカの貴族(いないけどさ)の末裔」を任じているようで、翻訳の調子もあると思うけど、高飛車な感じがする。
でも、その高飛車な感じに負けないくらいいい言葉がたくさんあった。
・役の世界に見合う力量、度量、世界観 - 今後それらを総称して「サイズ」と呼びます - が必要とされました。サイズが足りない俳優はダメなの。
・アクションを行なう理由を見つける(ジャスティフィケーション)
・イプセン以来、戯曲には少なくとも二つの価値観が描かれるようになりました。甲乙つけがたい二つの視点が描かれている。最も重要なのは「二つの真実が存在する」ということ。「どちらの真実を選びますか?」と観客に問いかけます。・・・観客はまず片方の言い分に引きつけられ、しばらくするとまた別の片方に共感し、と揺れるべきである。それでこそ劇を見終わった後も、理想の生き方について考え続けてくれる。近代劇の多くでは、思想について議論できる俳優が非常に重要視されます。
・どんなアクションも具体的な状況の中で発生します。・・・状況とパートナー。この二つを明確にすれば、アクションがあやふやになることはありません。・・・アクションを強くする鍵は、状況とパートナーが握っているのです。
などなど。章単位だと、自分は第十三回の「アクションにサイズを与える」と第十四回の「テキストを理解する」がよかった。
あとアドラーも、叱ったことを個人的にとらないように、と注意していた。これはやっぱり重要。
まずは本屋でめくってみて、特に抵抗感を覚えなかったら読んでおけという1冊。
<ストラスバーグ本>
これはスタニスラフスキーの「俳優の仕事」でいうなら第1部の内容。内容はかなり近いけど、取捨選択したものに独自の項目を追加して、こちらのほうが整理されている。
ただひとつ大きな問題があって、第四章の「感情の記憶」が危ない心理学になっていて、これだけは真似するのを止めたほうがいい。ちなみにこの内容は、生前のスタニスラフスキーに直接会ったアドラーが質問していて、スタニスラフスキー本人も(演技につながらないから)重視するのを止めたというもの。それはアドラー本の第五回、第十二回、あとがきあたりを参照。
内容は読みやすいけど、演技の技術目的なら今からわざわざ読まなくてもいいし、読むくらいなら多少読みづらくても、自分はスタニスラフスキーの第1部を読んだほうがいいと思う。そういう本。活字が古いので、個人的には読むのが苦痛だったことも付け加えておく。
ちなみにこの本の第十四章に、マリリン・モンローの有名なエピソードが出ている。アクターズ・スタジオで授業を受けて、練習はしても人前で実演はしなかったモンローが、18ヶ月目にして初実演を披露して、(キャパ70人のホールに押しかけた)200人の見学者を黙らせたというあれです。映画で観る以上に、筋のよい役者だったらしい。
<3人の関係>
グループ・シアターの演技はストラスバーグのやり方が入っていたけど、グループ・シアター以前から、アドラーはストラスバーグのやり方に納得がいかなかった。
ストラスバーグはスタニスラフスキーのやり方を間接的にしか習得できなかったけど、アドラーはパリでスタニスラフスキーに直接会って話す機会があって、それでアドラーは自分のやり方が正しいと確信した。マイズナーはアドラーと仲がよかったので、アドラーの話(だけではないけど)を参考にしながら役者の練習方法を考えた。
アドラーもマイズナーもストラスバーグをけなしていて、特にマイズナーは
・ストラスバーグは才能のある人を見つけると、彼のスタジオに参加するように誘う。有名で才能のある人だ。そして、後でいう。「彼は私の生徒だった」
・あそこは俳優たちがいる場所だ。それがアクターズ・スタジオのメリットだ。
・彼(ストラスバーグ)はひどい俳優だった。
とこてんぱん。どれだけ仲が悪いんだ。
で、なんでこんなことまで書いたかというと、全部読んだ人、全然読んでいない人ならいい。でも、役者志望の人が中途半端に1冊だけ読んで、それを金科玉条にしてしまうとよくない。さらに、本人が人生を間違うだけならともかく、他の人に悪影響を与える可能性も(残念ながら)あると考えたから、こういうこともメモしておく。
そういう悪影響から身を守るために、全部読んでおいて「ああ、あの人が言っているのはあの本の受売りだな」とわかるようにするのも場合によっては必要かも。ちなみに出版の時期は以下の通り。だいぶ離れている。
| 米国出版 | 日本出版 |
ストラスバーグ本 |
1966年 |
1978年 |
マイズナー本 |
1987年 |
1992年 |
アドラー本 |
2000年 |
2009年 |
年齢によってはそもそも出版されていなくて読めなかった人もいるだろうから、それはそれで考慮が必要。ただ、現代であれば3冊とも読める、スタニスラフスキーも3部作で読めるというのは、とても幸せな時代だと思う。だから、読まなくてもいいと書いておいてなんだけど、役者志望の人は一通り読んでおいたほうがいいと思う。それはたぶん、内輪よりももう少し広い範囲で仕事をするときの「共通言語」の獲得にもつながるだろうから。
あと、これが演技のすべてではないとも思う。日本の本(これとか)も読んでみるといいです。
<補遺>
アクションとかアクティングという言葉が「芝居中の役の行動(役として行動する)」という意味に使われていることと、シーンという言葉が「リアリズムを伴ったやり取り」という意味で使われていることは、知っていると今後他の本を読むときに役に立ちそう。