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2019年12月29日 (日)

2019年下半期決算

恒例の年末決算です。

(1)新国立劇場主催「骨と十字架」新国立劇場小劇場

(2)青年団国際演劇交流プロジェクト「その森の奥」こまばアゴラ劇場

(3)世田谷パブリックシアター企画制作「チック」シアタートラム

(4)東京成人演劇部「命ギガ長ス」ザ・スズナリ

(5)M&Oplaysプロデュース「二度目の夏」下北沢本多劇場

(6)五反田団「偉大なる生活の冒険」アトリエヘリコプター

(7)東京芸術劇場主催「お気に召すまま」東京芸術劇場プレイハウス

(8)DULL-COLORED POP「1986年:メビウスの輪」東京芸術劇場シアターイースト

(9)DULL-COLORED POP「第三部:2011年 語られたがる言葉たち」東京芸術劇場シアターイースト

(10)ワタナベエンターテインメント企画製作「絢爛とか爛漫とか」DDD青山クロスシアター

(11)松竹製作「秀山祭九月大歌舞伎 夜の部」歌舞伎座

(12)犬飼勝哉「ノーマル」三鷹市芸術文化センター星のホール

(13)ホリプロ/フジテレビジョン主催「愛と哀しみのシャーロック・ホームズ」世田谷パブリックシアター

(14)シス・カンパニー企画製作「死と乙女」シアタートラム

(15)鵺的「悪魔を汚せ」サンモールスタジオ

(16)こまつ座「日の浦姫物語」紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

(17)風姿花伝プロデュース「終夜」シアター風姿花伝

(18)野田地図「Q」@東京芸術劇場プレイハウス

(19)世田谷パブリックシアター/エッチビイ企画制作「終わりのない」世田谷パブリックシアター

(20)KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「ドクター・ホフマンのサナトリウム」神奈川芸術劇場ホール

(21)松竹製作「連獅子/市松小僧の女」歌舞伎座

(22)□字ック「掬う」シアタートラム

(23)鳥公園「終わりにする、一人と一人が丘」東京芸術劇場シアターイースト

(24)KAAT神奈川芸術劇場/KUNIO共同製作「グリークス」神奈川芸術劇場大スタジオ

(25)Bunkamura/大人計画企画製作「キレイ」Bunkamuraシアターコクーン

(26)テレビ朝日/産経新聞社/パソナグループ製作「月の獣」紀伊国屋ホール

(27)新国立劇場主催「タージマハルの衛兵」新国立劇場小劇場

(28)KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「常陸坊海尊」神奈川芸術劇場ホール

(29)TAAC「だから、せめてもの、愛。」「劇」小劇場

(30)世田谷シルク「青い鳥」シアタートラム

以上30本、隠し観劇はなし、チケットはすべて公式ルートで購入した結果

  • チケット総額は211580円
  • 1本当たりの単価は7053円

となりました。上半期の33本とあわせると

  • チケット総額は368400円
  • 1本当たりの単価は5582円

です。3年連続50本越えどころか60本越え、しかも上半期下半期両方で30本達成という本数です。下半期の30本は本当は別の芝居で達成予定だったところ、当日券で蹴られてむきになって観に行ったのが(29)(30)です。せっかく上半期で抑えたチケット代が跳ね上がった理由は、仁左衛門弁慶を近くで観たいと思った(11)が筆頭、他に小劇場で宮沢りえが出演した(14)、ついにこの値段になった人気脚本演出家の(18)(20)(25)、1日上演で値段も高かった(24)、と大作続きだったのが理由です。

そして当たり芝居を分類するのが非常に難しいのですが、独断と偏見で分類してみます。日本社会の問題を時に深刻に時に笑いを交えて描いた(4)(6)(8)(12)(29)、国際的な問題が落とす、落としうる影を直接間接に背景に持たせた(2)(14)(24)(26)(27)、個人の生き方に問いかける(3)(17)(23)(30)、巨匠たちの大作すぎて無理やりにしても分類が難しいけど人間賛歌と名づけてみる(5)(18)(20)(25)、エンタメに徹した芝居が少ない中でも気を吐いていた(13)(15)、あたりでしょうか。観られてよかったという点では(10)(11)(28)も含まれますが、仕上がりと価格のバランスを考えるとここに挙げるのはつらいということで外しました。そうすると、30本中20本で打率6割後半。上半期よりも打率は上がりますが、チケット単価の差を考えたらこのくらいの打率で喜んでいられないところです。

そこから絞ると翻訳モノで(3)(17)(24)(27)日本モノで(4)(6)(12)、さらに絞ると(4)(24)(27)、もうここから先はサイコロを振って選ぶレベルですが、日本でこれからより深刻になる問題を笑いにくるめてたった2人+声で演じた(4)を下半期の1本とします。通年でもこれを推します。

そのほか、勝手に一部部門賞です。

まずは役者部門。主演男優は(18)で若き日のロミオを演じた志尊淳と、(27)の2人芝居から迷って亀田佳明の2人を挙げます。前者には華をなくさず今後も活躍してほしいという期待を、後者にはこれからどこに出ても水準以上の演技が見込めるという期待を、それぞれかけて選出します。主演女優は「あい子の東京日記」がすばらしかった中山マリ、(4)(24)で大活躍だった安藤玉恵と(17)でひりひりした演技を見せてくれた栗田桃子を選出します。中山マリは母を通じた半自伝を抑えた調子で演じて素晴らしく、安藤玉恵は「痴人の愛」がよかったときから気になっていましたが今年の2本は文句なし、栗田桃子はこまつ座の常連くらいのイメージだったのが一気に変わりました。3人も選ぶのかよと言われるところですが、ベテランの集大成、脂の乗っている絶好調期、確実に次のレベルに上った1本、と3人ともここで選ばないでいつ選ぶという出来でした。他にいい人もいたかもしれませんが、だとしてもこの3人の出来に疑う余地はありません。

助演男優は(15)で総務部長役が渋かった池田ヒトシを挙げます。似た人間が集まりがちな小劇場で世界を広げた点が助演という呼名にふさわしいと考えます。助演女優は「2.8次元」で自分は華を出しつつ他の役者も輝かせた豊原江理佳、「LIFE LIFE LIFE」の妻役と「キネマと恋人」の妹役とどちらもKERA演出で活躍したともさかりえ、(3)の複数役と(17)の弟の妻役とでなぜか目が行く那須佐代子の3人を挙げます。少人数の芝居が多いのでその場合に主演か助演か選びにくいのですが、感覚で分けさせてください。年頭の青年団の旧作短編集もそれぞれよかったのですが、あれは少人数が多すぎて選出に迷ってかえって外れてしまいました。

脚本演出部門では、どこまで演出をひとりで行なったのかは不明ですが、(12)がすばらしかった犬飼勝哉。世界の広がりを感じさせるあのクオリティが、さらにさらにさらに伸びていくことを期待します。

スタッフ部門では、(24)で現代的洋装だったり和洋折衷だったずばり和装だったりでギリシャ悲劇に拮抗したプランがみごとだった衣装の藤谷香子。(30)で暗い場面から目が覚めるような場面まで幅を持った照明で幻想の国を美しく作った阿部将之。この2人を挙げます。

あと美術もかかわりますが、囲み舞台部門です。劇場で囲み舞台を使いこなしつつ全方位の客席向けにも頑張ってしかも観て満足した企画として、東京芸術劇場シアターイーストの「K.テンペスト2019」、神奈川芸術劇場大スタジオの「ゴドーを待ちながら(昭和・平成ver.)」、シアタートラムの(30)の3本を挙げます。囲み舞台で稽古場の演出家席が見えると途端にけなしだす自分ですが、囲み舞台の形式は好きです。ちょうど違う劇場が揃っているのもタイミングがよく、こんな使い方もできると知られると嬉しい、このように使いこなしてくれる芝居が増えてほしい、と願って取上げます。それぞれ美術は串田和美、乘峯雅寛、杉山至です。

部門賞まで終わって、通年の感想です。

まずは今年芸術監督就任が発表された長塚圭史松尾スズキ。ここまできれいに就任先が決まるのかと天邪鬼な感想も持ちましたが、就任したからにはよい芝居を並べてくれるだろうと期待しています。慣れてきたころ、3年後のラインナップを楽しみにしています。

次に、少人数の芝居が多いこと。少人数が何人かは意見が分かれるところですが、考えがあって4人まで、とします。声だけの出演は数えず、複数本同時上演はばらばらに数えると、1人芝居が2本、2人芝居が5本、3人芝居が3本、4人芝居が5本です。数え間違っているかもしれませんが、15本は多い。芝居は大勢が登場するものだという先入観を持っていましたが、2割以上となるとそうとも言えません。あまり予算をかけられないという制作上の都合と、人数が少ないほうが深く濃く描けることもあるという創作上の都合と、両方あるのでしょう。人数が少なくてもいい芝居が創れることは(4)(27)が証明してくれましし、大勢ならではの芝居も上半期の1本「2.8次元」や(24)などがあります。役者の多寡で描ける内容に違いはあっても、質とは別物であることが証明された1年でした。

あと上半期に引続いて当日券で蹴られることが多かったこと。事前の売行きを見て避けた芝居もあったのですが、人気者の登場は見逃さない役者のファンとは別に、面白そうと思ったものを観に行く人がひところよりも増えている気配があります。次に景気が悪くなったらどうなるかわかりませんが、少なくとも都内では、モノよりコトに消費する人の選択肢として芝居が挙がっているのかなと推測します。

業界向けな話題では、2回の台風騒動をまとめたエントリー2本(9月10月)は、去年の台風騒動のまとめと合せて、台風に限らず雪その他の「事前に想定できる公演中止時の対応」の確立に役立ていただければ幸いです。また、カルチベートチケットの話から発展する成河の演劇論のエントリー「演劇は一生懸命見られると実はうまくいかないことの方が多い」は、ほとんど引用ですが読んでほしい、できれば元記事も読んでほしいエントリーです。

そして全体の感想。去年の感想でこんなことを書きました。

いい上演企画には大まかに2種類あります。仮に「現代の風潮を問う芝居」と「徹底的にエンターテイメントの芝居」と名づけます。昔だともう少し文学っぽい芝居も成りたったと思いますが、今は2種類の少なくともどちらかの要素を混ぜないと魅かれません。何故かといえば日本の生活も社会もここ10年で大変になったからです。観客側から見れば余裕はどんどんなくなっています。単によくできただけの芝居に大枚はたくような余裕はなく、ましてや外れ芝居を見守るような余裕もないので、観るからにはその芝居を観てよかったと実感できるような芝居が求められています。大変になった人たちの悩みをすくい取って励ますか、大変になった人たちを楽しませて明日への活力を与えられるか。大げさに言えば、2種類のどちらの要素も含まれない芝居は自己満足と言われても仕方がない世相になっています。

観に行く芝居を選ぶ基準は昔からそんなに変わっているつもりはなく、脚本演出出演に人が揃って興味をそそられるか、有名な脚本なので観ておきたいか、チラシなり他人の口コミなりに引かれて試してみるか、だいたい3つのどれかです。そのはずなのに、選んだ芝居にどうしても「現代の風潮を問う」要素が混じってくるし、観終わったらそこを評価してしまう。中身に社会的な要素が含まれる芝居が最近は非常に多いです。そこをもって「日本社会の問題」「国際的な問題が落とす、落としうる影を直接間接に背景に持たせる」「個人の生き方に問いかける」「人間賛歌」「エンタメに徹した芝居」と先に分類しました。

たとえば、今年最初の1本が痴呆の父の介護である「」から始まり、通年の1本である(4)は8050問題に介護も絡み、寝たきりの母の介護が重要な要素となる(29)から、入院した老人の介護にアレンジした(30)が続いて終わるというすごい偶然は、高齢化社会が身近にあることのあかしで、しかも日本社会だけでなく(今までの)先進国に共通の問題でもあります。だからこそフランスで「父」が執筆されたわけです。

あるいは、ギリシャ悲劇なのに国際的な問題に分類した(24)は、国同士の抗争、神を信じられない世界の有様は、2000年以上を越えて、分断の時代と言われる現代に通じるものを感じたのでそのように分類しました。

他に、表向きは少年の成長というロードムービーな展開である(3)も、人種(国籍)差別やLGBTといった要素を含んでいて、個人の生き方に問いかける面があり、一筋縄ではいきません。これから公演する芝居ですが、「ヘアスプレー」は脚本家のメッセージが直球です。日本でこの手の問題が今以上に議論されるか、隠れるかは微妙なところですが、そもそもこの手の問題が日本でここまで盛上がるほうが今まででは考えられませんでした。

分類には出しませんでしたが、「個人の生き方に問いかける」をもう少し身近に、介護や差別の問題にこだわらず家族の話を直接間接に取上げた芝居まで拡げるともっと多くなります。独断で数えると上半期は「父」「過ぎたるは、なお」「世界は一人」「隣にいても一人」「ベッドに縛られて / ミスターマン」「埒もなく汚れなく」「キネマと恋人」、下半期は(3)(4)(5)(15)(17)(19)(22)(26)(29)と16本です。家族とは何か、家族は無条件で肯定できるものなのかという古くて新しい問題含んだ芝居がこれだけ上演されているのは、家族というだけで当たり前と思っていたいろいろなことは当たり前ではないと考える人が増えている証拠でしょう。

そういう「当たり前と思っていたいろいろなことは当たり前ではないと考える人が増えている」理由として、SNSを通じたやりとり、似た考えを持った人たちの「横のつながり」が、国を越えて発展していることが大きいです。ただし、そうでない人たちの「横のつながり」も発展していること、同じ考えの人たちが集まることでどちらの人たちも考えが凝り固まって排他的になっていくこと、が進むことで、分断が促進されてしまうのではないか、に私は興味があります。それが端的に現れたのが下半期最大のトピックスと考えるあいちトリエンナーレの上演中止騒動です(「あいちトリエンナーレ『表現の不自由展、その後』のメモと芸術監督の仕事について」、「芸術の鑑賞ルールなんて教わったことがない」)。本件について、私はここまで炎上させた芸術監督に批判的ですが、それとは別に、(本人にその気があるかどうかは別として)炎上に加担した人たちの背景も想像したりします。

おそらくそこも2種類あって、ひとつは不満の捌け口とした人たち、もうひとつは攻撃されたと感じて攻撃しかえした人たちがいると思います。一番の問題として経済問題が大きく絡むはずですが、さらにその背景には、日常がたいへんでストレスにさらされている人たち、たとえば介護問題などで日常が精一杯の人たちだったり、仕事でそれこそそういう攻撃を受けてくたびれるような人たちだったり。そういう心境に置かれた人たちも、直接自分と関係ある出来事であれば是々非々の判断が働くでしょう。けど、自分と直接関係ない出来事でしかも国としての対応は終わっているのにいつまでも嫌味を言ってやがると相手国に反感ムードが仕上がっていたところ、その当の相手の国民から逆なでするような展示が出てきたら、反射神経で反感を持つのはある意味自然な反応です。

家族関係のような身近なものだって当たり前と思っていることが当たり前とは限りませんけど、常に全方位でそうやって是々非々を判断しながら生きるには経済的にも文化的にも余裕が必要です。世界でいまそれを兼ね備えている国はありません。そういう時代です。個人でもそう多くないでしょう。

ここで話はループして、生活が大変になった日本(に限らない今の先進国の)社会、芝居で描かれている社会問題、当たり前のことが当たり前でないかもしれないという不安、それぞれの価値観が相手「陣営」にとってストレスとなることがSNSで促進されてしまうこと、それらの衝突の結果が大炎上、と同時代の問題がいろいろな場所にそれぞれの形で出てきています。おそらく2020年はもっと出てくるはずで、芝居にも今以上に社会問題が取上げられると予想します。

そんな時勢で芝居に何を期待するか。これは2013年の決算で私が書いた文章です。

1年前の決算で「世の中の変化はもっと激しいはずで、あるいはその変化を早めて、あるいはその変化の影響を緩和して、あるいはその変化に立向かうための希望をみせるような、そんな動きを芸術が担えるのかどうかはやっぱり興味がある。」と書いた。これを改めて、人によって複数あるだろう芸術の定義の定義のひとつを「それを体験した人に、人生に立向かうための勇気を与える表現」としてみたい。

芝居にはやはり、個人から見た視点、個人を描く視点、個人を慈しむ視点がほしい。「Das Orchester」の中に、「演劇は言葉を扱う芸術だからか、簡単に扱えましたよ」というゲッペルスの台詞がありました。そちらに流されることなく、個人の側に立ってほしい。

私は、経済問題を含む厳しい社会情勢の中で、さらに当たり前と考えていたことが当たり前でないかもしれないと不安にさらされた時代を生きていくためには、横のつながりだけでなく個人の成長と確立が必要で、また個人の成長が全体の社会情勢の厳しさを緩和することにもつながると考えています。そのために、以前の引用を更新して、「厳しい社会問題や日常を可視化するところに留まらず、そこで個人がいかに人生に立ち向かうかまでを描いた」芝居、「物事の見方を変えて、排他的になっていた心をほぐし、人生はそんなに悪くないと思わせてくれる」芝居、あるいは「純粋に大笑いできて厳しい日常でつかの間のリフレッシュをさせて、明日もがんばるかと活力を与えてくれる」芝居、そういう芝居を希望します。

最後に余談です。これだけ偉そうなことを書いている私ですが、今年最後の仕事で「お前の考え方は当たり前ではない」とダメ出しされて年越しやり直しとなりました。これだけ芝居を観ても、自分のコンテキストを自覚する力や他人のコンテキストを想像する力に乏しいのはいかんともし難く、苦笑いするしかありません。ただ、当たり前と思っていることが当たり前とは限らないこと、当たり前と思っていることが当たり前とは限らないと考えている人はそう多くないことを、それぞれ意識することで、少しでも肩の力を抜いて暮らしていけることを目指します。

2020年は元号が変わって最初の正月、そして干支が回って子年。観劇本数が増えるか減るかわかりませんが、引続き細く長くのお付合いをよろしくお願いします。

2019年12月28日 (土)

世田谷シルク「青い鳥」シアタートラム

<2019年12月27日(金)夜>

クリスマスの夜の病院。入院して車椅子生活の年老いたチルチルとそのつきそいのミチル。そこにやってきた魔女が青い鳥を探せという。魔女からもらったダイヤのついた帽子をかぶったチルチルは立上がり、ミチルと、むかし会ったものたちと一緒に、青い鳥を探す旅に出かける。

ご存知メーテルリンクの青い鳥、と言いたいところだけど、探していた青い鳥が実は、というオチだけ知っていて原作未見。本来は少年少女のはずだけど、介護が必要な男性と介護する女性に置換えた、と当日パンフで断っていた。

大勢によるダンスパフォーマンス的な動きをした演技を大量に配しているのはもともとダンス畑の堀川炎ならでは。大勢登場するけど、それ以上に役が多くて、当日パンフの役名が役固定の一部役者以外はすごいことになっている。それをダンス的に動かして、全然混乱する気配がない。あれだけ動いても乱れずしかも音も出ないのは出演者みんなダンサー出身なのか。かといって台詞の大事なところもしっかり入れているので、ダンスがわからくても観られる。若干、原作読んでるだろと飛ばした気配が感じられる場面もあったけど、それでわからなくなるものでもない。

とにかく、青い鳥の原作が演出家にきちんと消化されて出来上がった舞台という感触がとても伝わる。観終わって、不思議だけどいいもの観た、という感想。「K.テンペスト」を観たときの感触に近い。観客参加型といわれてポンチョを着せられて、なんだこれはと思ったら最後の種明かしで「おお」とさせる芸の細かさ、私は気に入った。これは再演を計画してはどうかと世田谷パブリックシアターに勧めたい。

舞台は久しぶりにフラットなシアタートラム。この使い方を見たのは自分は野田秀樹「赤鬼」以来か。普段の上手下手(と一部正面)に客席を配置した挟み舞台(コの字舞台)で、細かい舞台装置はキャスター付きで都度出し入れさせて、センターに配置された上下できるカーテンで場面によって舞台を区切ったり、カーテンの開け具合で場面を変えたり、影を映したり。これらの工夫で役者が存分に動き回れるスペースを確保。オープニングでどの席もひとしく観づらい場面があると断っていたけど、かなり全方位にがんばっていたと思う。ついでに触れておくと美術の出し入れや一部演出を手伝う舞台スタッフ陣も、振付けの対象だったのか、なかなか良い感じだった。

そしてその美術を仕上げるのが照明で、客席も壁も天井も区別せず照らすことによる不思議な空間の中にいるような演出。線を出したり全体に照らしたり、スモークの炊き方も結構調整したのでは。普段の芝居ではあまり出番のない照らしかただけど、不思議な国を巡る話であり、またダンス的に演出された場面が多いから、とてもはまっていた。あれはよかった。

実はこの芝居、もともとこの日に芝居を観るつもりはなかったけど予定を変更して観る気になって、最初は他の芝居が候補だったけどそちらのチケットが厳しそうだからと変更して流れた、一番優先度の低い芝居だった。なのに観終わったらすごい満足感で、「観たいものから観る方針」なんて書いたばかりなのに大穴をひろってしまった。やっぱり芝居はふたを開けてみるまでわからない。年末を締めるのにふさわしい一本だった。

2019年12月27日 (金)

TAAC「だから、せめてもの、愛。」「劇」小劇場

<2019年12月26日(木)夜>

癌で余命半年と医者に伝えられた男。妻と息子2人を集めて告げるが、今しかないとその場で長男が養子であることを明かしてしまう。その後3年経ち、男は回復に向かうが、妻が寝たきりになる。夜勤の長男と、次男の恋人とが介護するが、回復した男は介護を2人に任せてギャンブルや飲酒にのめりこんでしまう。

この設定からねじれた関係の行方を描く。三上市朗を筆頭によくぞ揃えた役者陣は主力には物語を脇役にはおいしい場面を用意。美津乃あわの出番が少ないのがややもったいないくらいか。牛乳の飲み方や仏の話のような小技も効かせつつ、深刻な話にネタを適度におりまぜて、全方位に見ごたえ十分。そこまで言わないほうがいい台詞が5、6個あったけど、そもそもオープニングでそこまで設定してから後を描くところがよい。「劇」小劇場という規模には贅沢な良作。

2019年12月24日 (火)

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「常陸坊海尊」神奈川芸術劇場ホール

<2019年12月21日(土)昼>

戦争末期の昭和20年。家族と離れて東京から岩手に疎開してきた子供たちとそれを引率する教師。そのうちの子供2人が母親恋しさで逃げ出して迷った山奥で出会った縁で、おばばと雪乃の住む山小屋に通うようになる。おばばは源義経一行から逃げ出した常陸坊海尊の妻で750年生き、雪乃はその孫だという。小屋には常陸坊海尊のミイラが隠されており、これを拝む子供たちはなんだか不思議な気分になる。一方、噂でも酷い様子だった東京は、ようやく終戦しても疎開先に迎えに来る家族がいない子供たちも作り出した。

難しい、というのが第一印象。源義経一行から逃げ出した常陸坊海尊のミイラを守り続ける妻および末裔という話と、疎開先から引率の教師が逃げ出して置いてきぼりにされた子供という話を重ねながら、守り続けすぎて魔性の領域に入ってしまったおばばや雪乃と、それに魅入られてミイラ作りまで手伝わされて逮捕されたりどうにもならなくなったところから必死に逃げようとする男達との入れ子の関係を追加することで、逃げることを選ばざるを得なかった人たちの本気の後悔と苦悩に対する許しと悟りを描いた、くらいの要素が入っている。たぶん、戦後になって高度経済成長で戦争のことなんか忘れて観光客となっている(1964年初演当時の)現代人に当てつけつつ、非国民扱いされた子供たち、戦争中から外れ者扱いされていたおばばや雪乃、突然追われることになった山伏や遊女たちを通じて、ある日突然追立てる側の横暴と、追立てられる側の悲哀とを描くことで、逃げた側にも相応の逃げる理由があるのではないかと問いかける要素もある。

書いていて合っているのかどうかまったく自信がない。それくらい難しかった。ただ、初演当時は戦争の記憶は確実に意識していたはずで、観客にある程度の共通感覚を期待していたものと推測。それがほぼなくなった現在、この脚本を立上げるのは至難の業で、長塚圭史をもってしてもつかみきれていなかった印象。演じる側も、戦中と終戦後の一幕二幕を身体で納得して演じていたのは白石加代子と、あと疎開先の宿屋の主人の高木稟くらいだったのではないか。現代の三幕までくると元少年たちを演じた平埜生成と尾上寛之は良い感じ。

それにしても、芝居は演出家だけで創るものではないことは重々承知の上で、長塚圭史のような現代日本演出家の代表のひとりみたいな人でもつかみきれない脚本というのもすごい話。少し前だと現代西洋風理論的演劇の演出でトップクラスの小川絵梨子でも完敗した「マリアの首」とか。戦争の記憶が絡むような、戦後の気分が濃厚な脚本は、もはや演出できる人がいないのでは。

2019年12月16日 (月)

新国立劇場主催「タージマハルの衛兵」新国立劇場小劇場

<2019年12月14日(土)夜>

タージマハルの建設中、建設が終わるまで誰も見てはならないという皇帝の命令で、囲いの壁の前で夜中の警備を担当する2人の兵士。方や父親が将軍で真面目な性格、方や庶民の出だが空想癖がありおしゃべりが止まらない性格、正反対の2人だが子供時代からの親友である。建設が終わって明日が公開の晩、建設家が皇帝に頼みごとをして逆鱗に触れたという噂を話し合う。

どんな芝居かわからないけどこの座組みで変なことにはならないだろうと観に行ったらとんでもない。笑える場面もありつつ、現代的かつ普遍的な広い分野のテーマを複数扱って、「スポケーンの左手」もびっくりの舞台効果を駆使して、どうしてこうなったと言いたくなる展開から、美しいラスト。「ことぜん(個と全)」のシリーズにふさわしい内容と、1時間40分の2人芝居でここまでできるのかという仕上がりだった。成河も亀田佳明も言うことなし。

スタッフワークだってレベル高いのに、すべてが役者と展開に集中して、観終わるまで気にならないのが素晴らしい。翻訳もこなれて、公式サイト(こことかここ)によれば役者の意見も聞きながら仕上げたとの事。最近だとKERAが翻訳芝居を上演するときに潤筆として言葉の調整をするのが見事だけど、今回も見事。というか、最近は翻訳のレベルが全体に高い。狙ったわけでもないけどいかにも翻訳、という芝居がない。

話は戻って、脚本の出来が素晴らしい前提で、この色々のどこに演出が関わっているのか、観ただけではさっぱりわからない。わからないけど、やっぱり演出の妙があってこその仕上がりなんだろう。小川絵梨子はやっぱりすごい。

平たい舞台であまり端も使わず、見切れもほとんどないので、時間があるならZ席でいいから観てほしい。

テレビ朝日/産経新聞社/パソナグループ製作「月の獣」紀伊国屋ホール

<2019年12月14日(土)昼>

第一次世界大戦が終結した後のアメリカ。オスマン帝国から亡命したアルメニア人の男が、結婚相手として孤児院からひとりのアルメニア人少女を呼寄せる。厳格な家父長制の家族で育った男は同じような家庭を求めるが、おおらかな家庭で育った乗除とはなかなか馴染めない。男は子供を求めるがなかなか望みがかなわない中で、ふたりの生活はすれ違い始める。

翻訳ではトルコと言っていたようだけど、公式サイトや年代を調べるとオスマン帝国のほうが正しいか。オスマン帝国によるアルメニア人虐殺という重い話題を中心に、アメリカに亡命した男と、その男が写真だけで呼寄せた少女を通して、苦悩が克服されうるのかを描いた芝居。地味で重いけど緊張感の続く良作。

すれ違う夫婦の展開を描いた眞島秀和と岸井ゆきのはすばらしい。ただ映画的というか、前半の1幕がいきなりすごい分、その後が丁寧ながらもややゆったり目。後半幕開けに近所の孤児が登場してからがぐっと目の覚める展開に。語りの久保酎吉もよかったけど、孤児役の升水柚希が一番舞台らしいエネルギーを放射して、それに合せて周りも乗っていた。続けるならこのまま中途半端にまとまらず無事に伸びてほしい。スタッフでは照明が美しかったけど、場面転換でも会話中でも音楽を、しかも同じ音楽を使いすぎ。音楽減らしてもいける出来だったのに。

あとあんまりだったのがチケット管理。このテーマと価格で満席にならないのはしょうがないから、後ろが空席になるならまだしも、中途半端にセンター後方席に2列空席列を作って(1列が丸ごと空席、その後ろが両端に1-2人しか座っていない状態)、その後ろに2列くらい客が続く無様な客入れ。製作のどこかが招待用に押さえさせたのに集客努力もせずに放置した感。昔一度だけ、新国立劇場の小劇場で1列が空というのを見たことがあるけど(たしか「アジアの女」だったか)、今の日本で土曜日昼間という一番のゴールデンタイムでこんなもったいない客席を作るな、それなら後ろの客席から2列ずつ前に動かせ。

2019年12月 8日 (日)

Bunkamura/大人計画企画製作「キレイ」Bunkamuraシアターコクーン

<2019年12月7日(土)夜>

日本が3つの勢力に分かれて内戦を続けている時代。死体集めを生業にする一家に、長年誘拐されていたため記憶も知識も欠けている謎の浮浪少女ケガレが保護される。仕事を覚えて色々な人たちと関わるうちに、忘れていた過去をケガレが少しずつ思い出していく。

再々々演ということで初演以来欠かさず観てきて4度目の観劇(再々演)。最初に書いておくとスタッフワークは今回が過去最高。ビジュアル面は予算をかけたのが伝わる衣装美術照明映像に加えてプロジェクションマッピングも若干追加、音楽はオケを入れた以上に音響抜群だったのは劇場設備か音響スタッフの努力か。全方面で質が高く洗練されている。昔はチープなスタッフワークのほうがいいと思っていたこともあったけど、ここまで質が上がるとこっちのほうが絶対いい。

それもあって演出の絵作りが格段に映える。美術の構成はほぼこれまでと同じなのに、その同じ構成で同じ場面をやってこんなにキレイに見えるのかと驚いた。脚本は大筋は変わらないけどやや親切に、歌も追加されていて、役名含めて全体には整える方向で手直しされていた。初演では公演中に長期誘拐の事件が発覚して騒ぎになったけど、昨今の不穏な世情から、今回はむしろ内戦や死体集め稼業などの背景設定のほうがひょっとしてあり得る未来かもと想像させられて、脚本の深さにうならされる。

なのに感想は、役者の違和感も過去最高。ただし下手ではない。断じて下手ではない。だから観終わってからずっと理由を考えていた。以下、とりあえず思いついた仮説。

この脚本は、設定にも展開にも登場人物にも台詞にも小劇場の雰囲気が色濃く反映されている。どれだけ整えても、どれだけ世情とシンクロしても、それは消えないし、消したら別物の脚本になる。だから演出でも演技でも、小劇場の雰囲気が要求される。上手く説明できないけど、物語は物語として遊べるところではネタを仕掛けてくるある種のおふざけ精神だったり、多少強引な展開でも納得させる勢いだったり、ネタはできても真面目な演技は苦手だから頑張るような必死さだったり、そういういろいろが重なってかもし出す怪しさだったり。別な言い方をすると、演出で調整して仕上げないといけない。

だから大人計画のメンバーははまっていたけど(同じ役を経験した役者が多いこともある)、客演陣は脚本どおりのふざけた役をきっちり真面目に作り上げることで脚本と喧嘩した。出ている割合は客演陣の方が高いので、違和感の多い舞台になった。というのが仮説。自分の感想では、客演陣で健闘していたのはカスミお嬢様の鈴木杏で、脚本に真面目すぎたのは青年ハリコナの小池徹平と以外やジュッテンの岩井秀人。あとマジシャンは阿部サダヲだったけど、テンションは高くても健康的な雰囲気で、大人計画のメンバーで唯一違和感があった(もっとも、宮藤官九郎が演じたときでも違和感のあった難しい役ではある)。生田絵梨花/麻生久美子のケガレは健闘していたけど、お互いの同一人物感は前回のほうが上。

公演後半になるともう少しこなれてくるかもしれないけど、4日目6ステージ目の感想はこの通り。あと、今回は公式3時間40分、実測3時間45分で、前より延びているはず。見ていて間延びする場面はないけど、終演時間が気になる人はご注意を。

2019年11月24日 (日)

KAAT神奈川芸術劇場/KUNIO共同製作「グリークス」神奈川芸術劇場大スタジオ(ネタばれあり)

<2019年11月23日(土)終日>

美貌で有名なギリシャの将軍の弟の妻がさらわれたことで始まるトロイアとの戦争の行方「第一部 戦争」。戦争に勝利して祖国に戻るも先祖以来の悲劇が繰返される「第二部 殺人」。あまりにも悲惨な運命に翻弄されて神々への信仰が薄れた世界で生き続ける人たちが見たのは「第三部 神々」。

蜷川幸雄版をテレビで観てから一度は生で観たいと思っていた大作をようやく観られた。音響衣装美術一部役にやや癖があるも本筋は直球の演出。この大作にこの出来は素直に成功とほめたい。観られてよかった。

蜷川幸雄はグリークス上演時の長谷部浩のインタビューに「『女たちが歴史を持続させたんだよな』と思わせられるところがたくさんあります」「ある時代には女性のところへ中心が行くんです。それは間違いのない事実だと思う」と答えていた(ある時代とは「国そのものが滅ぶとき」と長谷部浩は補足している)。今回実際に観てその感想を強くした。それはもう、演出がどうこうできるものではなく、脚本がそう叫んでいる。

そこに加えて今回の演出方針に、人間をもてあそぶ神々は死ね、があった。オープニングから天井に「GODS」の4文字が吊下げられた下で、ギリシャ軍は生贄をささげて得た勝利を神々に感謝し、敗れたトロイアの王族たちは神殿を建て供え物を欠かさなかったのにと神々を呪う。挙句、第三部でトロイアにさらわれたと思っていた美貌のヘレナは実は神が創った似姿(偽者)で、本物はエジプトに飛ばされていたときて、何のための10年戦争だったかとなる。天井の文字は傾き、コロスたちが神を突き放しだす。あれを観たら客席側でもそう思う。

さらにその演出を表していたのが衣装で、今回登場する神々は3人だけど、まともな格好をした神がいない。海のニンフのテティスは比較的まともだったけど演出としては笑いものすれすれ。アポロンは何だお前という格好。アテネは二宮金次郎像よろしく書物を背負って出てくるけど、最後に持っていた林檎は、アダムとイブが食べた知恵の象徴にしてその後の災いの始まりで、今回の物語の悲劇が金の林檎を巡る女神たちの争いから始まったことも考えると、いい意味とばかりには取れない。ついでに神の仲間入りしたヘレネもアポロンと揃いの格好。能舞台を模して松を描いた背景美術は、美術としての効果はいまいち活用しきれていなかった気がするけど、和洋折衷の衣装の成立には役立っていた。

この衣装と対になるのが音楽で、現代風の音楽が入るところは人間側の嘆きまたは賛美にあたっている。この音楽は使い方は賛否あるはずだけど、オープニングとエンディングの正解感を見たら、釣合いを取るためにもありという結論に自分はなった。

多少ひねった演出だったのは予感通りで、でも満足感の高い芝居だった。贅沢を言わせてもらえば、ひねらない王道のギリシャ悲劇演出で、もう少し大きな劇場で、20年後にもう一度演出してほしい。今ならどこの劇場だろう、シアターコクーンよりも東京芸術劇場のプレイハウスかな。

以下雑感。

・地中海の国が舞台ということでサザンの流れる茅ヶ崎の海岸から海つながりで幕を開けるオープニングの力技は茅ヶ崎出身の演出家ならでは。

・第一部一幕。ギリシャ軍がトロイアに出陣するために集結しているが風が吹かない。月の女神アルテミスは将軍のイピゲネイア娘を生贄に要求していると神官は言う。

将軍アガメムノンの天宮良が最初からいい感じ。その妻クリュタイムネストラの安藤玉恵が出だしからネタを背負わされて登場するもそこが過ぎたら貫禄。

・最初は気がつかなかったけど、アガメムノンたち軍隊の衣装が陣羽織風だったり現代風だったりしたのに違和感がなかったのは全員にマントを着せていたからと気がつく。マントを羽織れば統一感が出せると見切った衣装アイディアがすごい。ついでにオデュッセウスの池浦さだ夢も眼鏡をかけているけど気にならないのもすごい。

・第一部二幕。トロイアと戦争中にアガメムノンとの女を巡る争いでサボタージュをきめこんだアキレウス。しかしそれを知った敵軍に味方が押される一方となり、見かねたアキレウスの友人パトロクロスがアキレウスの鎧を身につけて前線に赴く。

ここはアキレウスの渡邊りょうがいい感じ。最後、短時間ながらプリアモスを演じた外山誠二の存在感がアキレウスと拮抗してぐっと場面が締まる。なお文学座の初演で同じ幕にも出た外山誠二はパトロクロスだった模様。

・第一部三幕。「トロイの木馬」を送り込んでようやく勝利したギリシャ軍。王族の女達は戦利品として分配され、王の孫は後の復讐を恐れて城壁の上から突き落とされ、トロイアはギリシャ軍によって破壊しつくされる。

王の妻ヘカベを、新劇もかくやという演技で松永玲子が熱演。その息子の妻アンドロマケを演じた石村みかのたたずまいも素晴らしい。この王族たちに同情をしめす森田真和の伝令タルテュビオスが悲劇を強調する一方、銀のドレスで登場して元夫に取入る武田暁のヘレネのちゃっかりさが、こんな女のために戦争が起きたのか感を強調する(笑)。そして国が滅ぶラストはスケールの大きさを感じさせて第一部の締めにふさわしい。

・ここで休憩30分で観客は一度客席から追い出される。いつもは大ホールでしか開けていない休憩スペースを開放していたのに最初は気がつかなかった。

・第二部一幕。ギリシャに帰る途中で風がなくなり寄港した島でヘカベは、娘を生贄にされて殺される。さらにトロキア王に預けていたはずの息子が殺されて、復讐を計画する。

松永玲子が引続きヘカベを熱演するも、復讐後にガッツポーズが出て、やっぱりこの人は小劇場の出身だと安心する(笑)。そして最後に狂うのをみて衣装に納得する。

・第二部二幕。ギリシャに戻ったアガメムノンを妻クリュタイムネストラが迎えるが、様子がおかしい。カッサンドラは将軍と自分の死を予言する。そして従兄アイギストスと手を組んだ妻が夫に手をかける。

のってきた天宮良と安藤玉恵との間で家に入るまでの押し問答がいい。ここで第一部一幕の生贄の話とつなげて娘の復讐をうたいつつ、実はこの一族が殺し殺されてきた歴史も語られてややこしいところ、手書きの図を配って解説する親切仕様。

・第二部三幕。クリュタイムネストラとアイギストスが我物顔で仕切るなか、父への愛と2人への恨みで冷遇されるエレクトラ。小さいころに他国に預けられた弟オレステスが復讐を手伝ってくれないかと祈るだけの毎日だったが、そこに弟が亡くなったとの連絡が届く。

父の復讐といえども母を殺していいのか、そして母の必死の命乞いにためらう弟とけしかける姉。戦争に勝った甲斐もなくあちこちで復讐が続く、やりきれない第二部の締め。

・ここで1時間の休憩。軽食を予約した人はここで受取って食べる。それにしてもすぐ近所が中華街なのに1時間だと行って食べて戻れない。結局軽食かコンビニになる。

・第三部一幕。トロイアにさらわれていたと思ったヘレナだが、実はそれは神が作った似姿で、本物のヘレナはエジプトに飛ばされて王に結婚を迫られていた。そこにトロイアからの帰国途中に遭難したヘレナの夫メネラオスがたどり着く。2人は一計を案じて脱出を試みる。

テレビで観た内容は全部忘れていたので、この超強引な展開に内心衝撃を受けて、戦争の空しさに心が突然飛ぶ。本物のヘレナも武田暁が演じて、やっぱりチャラい(笑)。ここで脱走を手引きしたエジプト側の女、はっとする声の出せる人で役名がわからなかったけど河村若菜でいいのかな。(追記:コメントで情報もらいました、河村若菜であっていました)

・第三部二幕。母を殺した罪でエレクトラとオレステスはギリシャの裁判にかけられる。エジプトから戻ったメネラオスとヘレナは冷たい。死刑を宣告された2人はメネラオスの娘ヘルミオネを人質にとって脱走を企てる。

揉めていたら突然出てくるアポロンののんきな台詞回しと、上でも書いたけど適当さを表す衣装。救済の気まぐれ感が出ていて、あんな神ではありがたくない。この一幕と二幕の間だけ休憩がなくて、全編を通じて神々への不信感が一番つのる箇所。

・第三部三幕。アキレウスの息子の奴隷となっているアンドロマケ。アキレウスの息子と結婚したヘルミオネだが、子供のいないヘルミオネは子供のいるアンドロマケに嫉妬し殺そうとする。

第一部三幕に出てきたアンドロマケの石村みかがここでは主役にふさわしい出来。コートを羽織らせてマントっぽいから違和感がないだろという衣装マジックがすごい。アンドロマケを助けるアキレウスの父ペレウスを小田豊が好演。こういう役者を見かけないのは減っているのか自分の趣味が偏って出会えていないのか。

・第三部四幕。生贄になったはずのイピゲネイアは実はアルテミスにさらわれて、タウリケの神殿で巫女を務めていた。そこにギリシャ人が流れ着いたという。生贄にするところを助ける代わりに自分の消息を弟に伝えてほしいと託した相手が弟とその友人だった。3人は脱走を試みる。

無事逃げ失せた後に残された人々が神々を疑うところから、知恵の神アテナ登場、と思ったら安藤玉恵が本を背負って眼鏡をかけて、は冒頭に書いたとおり。そこから一転、現代音楽でのエンディング。最後のユニゾンだけ音響に負けて聞き取れなかったのだけもったいなかった。

・各部10分休憩2回、各部間は30分と1時間の「休憩」だけど開場はすべて15分前。これで11時30分開演21時40分終演を実現。客席数が少なかったから出来た面もあって(150人強)、たしか蜷川幸雄は10時を過ぎてBunkamura駐車場が閉まって車が出せなくなったとかならなかったとか。食事外出がままならなかった代わりに、この時間に終わってくれるのは観る側にはありがたかった。

<2019年11月26日(火)>

全面清書。

<2019年12月30日(月)>

役者名の情報をもらったので追記。

2019年11月23日 (土)

鳥公園「終わりにする、一人と一人が丘」東京芸術劇場シアターイースト

<2019年11月22日(金)夜>

友達とも不倫中の男性とも話のかみ合わない女性がその後付き合った男性と旅行する話と、死体清掃業のバイト先の先輩が掛持ちで働いている介護先の話のかみ合わない老女の話。

話がかみ合わない人たちがいろいろ出てきて、話がかみ合わないことに関するいろいろな場面を並べてみた芝居。と書くと荒すぎて申し訳ないけど、「話がかみ合わない」話が上手に構成されて、最後につながるのは脚本の腕前。それをすっとんきょうな衣装や動作で上演する演出は、アフタートークでは「内臓をさらけ出すような」と表現されていたけど、夢や空想で見たものをそのまま舞台に乗せていた、と言うのが個人的には近い。あれだけでたらめにやっているようで統一感を感じられたのが不思議で、何が統一感を出していたのか理由がわからない。

最後まで観て個人的には楽しんだけど、表向きはテンション抑え目なこともあって、「ヨブ呼んでるよ」よりは客を選ぶスタイルだった。

ひとつ偶然があって、たまたま劇場に来るときに荒川洋治の「詩とことば」を読んでいたら、読んだばかりの箇所から引用があったので驚いた。厳密に台詞が一致していたかはわからないけど、「詩は、その言葉で表現した人が、たしかに存在する。たったひとりでも、その人は存在する」とか。確かに、詩の言葉は分かりにくい、と書かれた同書は、話のかみ合わない人たちを言葉の面から取上げているから引用するのにぴったりとも言える(なお帰りにこの本を読みきったら、詩に対する苦手意識が確実に下がった良本)。

アフタートークは脚本演出の西尾佳織がワワフラミンゴの鳥山フキを相手に。観終わってそうとう戸惑っていた模様。以下短めのメモだけどだいぶ忘れている。間違っていたら謝ります。


西尾:芸劇eyesの「God save the Queen」で鳥公園とワワフラミンゴが一緒だったので知合った。今回の上演も芸劇plusの枠で声を掛けてもらっている。

鳥山:アトリエイーストで行なわれたリーディング公演を聞いていたが、上演を観たら全然違っていた。
西尾:城崎のワークショップの一環で最初は書いて、そのときはカップルの話だけだった。他の話は頭の中にはあって、後から追加した。

鳥山:特に前半が分からない。
西尾:前半はわからないまま頭の片隅に置いておいてもらえば、公演が上手くいったときは最後にわかるように作っているつもり。別に今日の公演が上手くいかなかったということではなくて。

鳥山:演出が強い。脚本が線画だとすると、演出の色塗りが線をはみ出している。内臓をさらけ出しているよう。
西尾:演出はその瞬間に面白そう、と思ったことを優先してしまう。


前半がわからなくて後半でつながるのなんて、ちょうど上の階で上演している芸術監督の野田秀樹が最たるものなんだから、そこで遠慮する必要はないのに。

2019年11月15日 (金)

□字ック「掬う」シアタートラム

<2019年11月14日(木)夜>

父親が入院しており、ライターの娘が夫と離れて実家に泊まりこんで病院に通っている。母親はすでに離婚して家にはいないが、回復を祈願する母の奇行に巻込まれた兄夫婦はうんざりしている。叔母は介護に奮闘しているが、その娘の従妹はアイドルのコンサートのチケットが取れないことを気に病んでいる。みんな病院から引上げてはこの家に来て介護の愚痴をこぼす。そんなある日、父の知合いだという女子高生と高校時代の友人が転がり込んでくる。

劇団初見。声や音響にこだわりがありそうな印象だが、ちょっと疲れた状態で観に行ってしまったのでそれが裏目に。騒がしい場面のテンションの高さや場面転換中の音響が身体に堪える。そんな中でもこのテンションなら観られるという線を維持していたのは叔母役の千葉雅子や兄嫁役の馬渕英里何。

唐突にやってきた女子高生や友人を泊めてしまうところは演劇的な展開として受入れるとしても、家族の話といいつつ主人公の話からあまり飛ばないところが残念だし、その主人公を含めて登場人物の生活感が希薄。主人公からしてライター(小説家だったか?)の仕事をしている気配がない。何より登場人物の感情の描き方がしつこい。深いのでもなく濃いのでもなく、くどい。シアタートラムでこの値段を取るからには、より的確な台詞と適切な情報の出し方で磨き上げられた脚本を望む。

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