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2021年6月29日 (火)

2021年上半期決算

恒例の決算です。

(1)世田谷パブリックシアター企画制作「子午線の祀り」世田谷パブリックシアター

(2)シス・カンパニー企画製作「ほんとうのハウンド警部」Bunkamuraシアターコクーン

(3)劇団☆新感線「月影花之丞大逆転」東京建物BrilliaHALL

(4)松竹製作「四月大歌舞伎 第一部」歌舞伎座

(5)松竹製作「四月大歌舞伎 第三部 桜姫東文章 上の巻」歌舞伎座

(6)野田地図「フェイクスピア」東京芸術劇場プレイハウス

(7)松竹製作「六月大歌舞伎 第二部 桜姫東文章 下の巻」歌舞伎座

(8)世田谷パブリックシアター企画制作「狂言劇場 『武悪』『法螺侍』」世田谷パブリックシアター

(9)新国立劇場主催「キネマの天地」新国立劇場小劇場

以上9本、隠し観劇はなし、すべて公式ルートで購入した結果、

  • チケット総額は107700円
  • 1本当たりの単価は11967円

となりました。高え。歌舞伎を一等席で3本観て、新感線に野田地図にあれやこれや。高くなるに決まっている。

言い訳をしますと、新型コロナウィルスの流行で観たい芝居を絞って、さらに感染推移をにらみながら行けそうな時期をぎりぎりまで見極めると席種を選ぶ余裕もなく、なんなら貴重な機会だから張り込んでもいいよねという気分にもなって、こうなりました。

芝居の絞り方ですが、(A)今のうちに観ておかないと今後観ることがかなわないかもしれない役者の出演作を中心に、(B)過去の経験で観たい芝居と、(C)何とか観ておきたい演出家とを並べたらこうなりました。

(A)は今回だと木野花、白鸚、仁左衛門、白石加代子、橋爪功、万作です。結果、ほとんどみんな元気でした。白鸚だけ、弁慶がきつすぎて危うかったですが、他の役なら多分大丈夫でしょう。(B)は(1)、(C)は野田秀樹と小川絵梨子です。本当は(B)にもう一本、薔薇を添えたかったのだけど、あそこだけ日程を合せられなかった。

これだけ厳選したら面白い芝居ばっかりに決まっています。さらに絞るなら、思いっきり笑わせてくれた(3)(9)、色気ってのはこういうものだと見せてくれた(5)(7)です。多少ひっかかることもありましたが、このご時世でストレートプレイでこれだけのコメディを見せてくれた総合力から、(9)を上半期の1本に選びたいと思います。個人賞だと孝玉のどっちだとなりますが、それは通年勝負で。

この新型コロナウィルス感染のさなか、わざわざ東京に出かけてまで芝居を観るに至った心境は「1年経つとさすがに厳しい」と「新型コロナウィルスの最中に芝居を観るにいたった雑感」に書きました。

新型コロナウィルスの話題は追いきれないのと疲れていたのとで、減らしていきました。それ以外でこのブログらしいエントリーは「昔も今もわからないものは面白くない」です。元Twitterに半分以上寄りかかったエントリーですが、この話題はもう少しまとめられるようになりたいです。

あとは久しぶりにマンガに手を出したら面白くて、それで思わず芝居を思い出した「芝居を観てマンガを読んでパロディあるいは文化の関連性と炭鉱のカナリアに関する雑感」を書きました。今読み返すと誰にもわかりませんねこれ。完全に自分用のエントリーです。書いたときは疲れていたことを思い出しました。

全体に、疲れていた半年でした。本を中心に、芝居と、音楽少々で生き延びたような気がします。だから文化は必要だ、とは言いません。「不要不急で無駄だからこそ芝居は文化たりうる」の立場は変わりません。不要不急だから役立つんです。必要ぶった文化はいりません。「西洋は芸術、東洋は芸能」というタイトルも思いついたのですが、タイトル止まりで書けませんでした。まとめられたらそのうち書きます。

新型コロナウィルスのワクチンが、年初だといつになるかと気をもんでいたのに、接種が加速して、このまま突っ走るかとおもったら供給不足がアナウンスされて、浮き沈みが激しいです。そしてワクチン接種が中途半端な状況でオリンピックパラリンピックは開催されそうで、ここに海外から大勢来たら感染拡大ついでにもっとすごい変異株が産まれるんじゃないのかなんて冗談がまんざら冗談でもないかもとなって、大変です。私は早くワクチンを打って気を楽にしたいので、待っています。そしてもっと気軽に出かけたい。

こんな状況なので、いろいろな立場で観に行きたくとも芝居見物を控えている人も大勢いるかと思います。ワクチン接種がほぼ全員に行きわたるまで、あと少し、と言えないのがつらいところですが、お互い気を長く持ちましょう。

引続き細く長くのお付合いをよろしくお願いします。

2021年6月27日 (日)

新国立劇場主催「キネマの天地」新国立劇場小劇場

<2021年6月26日(土)夜>

昭和初期。大作映画の打合せと称して監督から劇場に呼ばれた4人の映画スター女優。キャリアの長短はあれど売れっ子の4人はそれぞれ自分が一番であることを主張しあう。ところが劇場に着いた監督は、1年前に監督の妻が同じ劇場で亡くなたった演目の稽古を伝える。不審に思った女優たちを引きとめたのは、監督の妻を殺した犯人を探すという言葉だった。

面白かった。誰が観ても面白いし、芝居を観たことがないひとに最初の1本としても勧められます。でもそれ以上に、解像度の高い演出が隅ずみまで行き届いていることが伝わってくる1本でした。新型コロナウィルス下なのと、あと1日の千秋楽に感想が間に合わないのとで控えますけど、そうでなければ緊急口コミプッシュを出していました。こじらせた観客の感想もありますけど、それは後半で。

井上ひさしは構成に凝った脚本家だったけど、加えて時期によって作風が変わる脚本家でもあります。初期はぶっとんだ作風、中期は設定のうまさで笑わせる作風、後期は政治色強めに訴える作風で、これは中期の1本。上演するだけである程度伝えられるものがある初期や後期と違って、面白さをきっちり伝えられないといけない。そこを、実力十分、しかも小川絵梨子と仕事をしたことがあって実力保証付きの役者を集められたことで、脚本に求められるハードルをクリアして芝居に臨めたのは、まず勝因のひとつです。

今回の設定は女優の嫌らしい面をコメディで描くことが一番に求められますが、稽古という劇中劇でそれぞれの立場を劇中劇でも表現していくことも必要とされます。さらに劇中劇にかこつけた演技論や役者論や芸術論が展開されますし、相手の演技のへたくそさを詰る場面もあります。本当にへたくそな役者を当てると笑うに笑えなく脚本上の設定ですが、今回起用された高橋惠子、那須佐代子、鈴木杏、趣里の4人が文句なしにいい出来です。

それは監督、助監督、助っ人役者の3人の役にも及んでいて、女優を相手に、一同を集めた理由を隠しながら話を進める立場です。やはりへたくそはキャスティングできない。千葉哲也、章平、佐藤誓の3人は適役で、特に助っ人役者は複数役を器用にこなすことができる設定で役中役(?)まで求められますが、佐藤誓が大活躍でした。

そして演出。脚本構成の読解ならまかせておけの小川絵梨子ですけど、この脚本は中学生の時に演劇部で上演して自分も出たことがあるというアドバンテージがあります。コメディだからわかりやすいと言われればそうかもしれませんが、だとしても場面のひとつひとつ、役それぞれの立場、役と役との関係性、本当にどれひとつとっても迷いのない演出がされています。

スタッフワークも芝居に集中できる仕上がりです。ただ、特に今回は、最初に劇場に入って、具体的で場面転換不要に作りこまれた美術を観てびっくりしました。最近観ていた芝居が、抽象的だったりひとつの場面を複数に使ったりする美術が多かったので。ストレートプレイらしいストレートプレイは1年以上観ていなかったかもしれません。女優陣の衣装も時代がかっていて見目がよかったです。

観ていてひとつだけひっかかたのは、照明機材を全員素手で触っていたところ。私の学生時代はまだ素手で触るのが危ないのが普通だったので、今はLEDだから熱くないのか、小道具として火傷しないように見た目だけの照明機材だったのか、いらぬ想像をしてしまいました。いちおう助手役は手袋を持っていたけどはめていませんでした、というのはまあ、荒探しですね。

面白い脚本を面白く立上げるのは難しいところ、大成功でした。劇中でも言及されていたアンサンブルを体現した仕上がりです。「井上ひさしを小川絵梨子が演出できるか気になる」なんて上から目線で書いてすいませんでした。

ここまでは、ですます調で一般的な感想。この後はこじらせた感想。ちょっとネタバレを含みます。

劇中に「優れた芸術は人間賛歌」という台詞があって、それはそうかもしれないけど、それを作り出す側の人間に、実に性格の曲がった役を取りそろえたところが井上ひさしの意地悪なところ。

新型コロナウィルスの騒動でいろいろ考えたことに、専門家は専門外の分野については素人だし、専門性は人間性を保証しないというのがある。芸術分野について具体的に言い換えると、人気や実力がすべてであり、人気や実力があれば人間性は目をつぶる。人間性がよくても人気も実力もない人の立場は低い。人間賛歌となるような優れた芸術があったとして、それを創り出した人間の人間性はまったく別の話。

その点、今回の脚本は実に良くできていた。監督の、亡くなった妻に対する想いがどれだけあったとしても、自分が監督する映画のために活用して疑問を抱かない態度。スター女優や監督の、無名の役者に対する無理解や、意地悪を超えた深刻な嫌がらせや態度の数々。大事と思った人への惜しまない説得と、大事と思わない人への残酷な仕打ちが共存している。「クローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇という」言葉そのまま。

ラスト場面なんて、最後までコメディで通したけど、あれは内容だけ見たらひどい場面で、ちょっと演出を変えるだけで悲劇の幕切れになる。むしろ書いたときには井上ひさしはそれを狙っていたんじゃないかとさえ疑っている。

あれだけ解像度の高い演出をやってのけた小川絵梨子がそこに気が付いていなかったとは思えない。今回は新国立劇場の「人を思うちから」というテーマに沿って選ばれた脚本で、もちろん上演準備のために新型コロナウィルスより前から決まっていたはず。だけど演出方針は稽古前まで、何なら稽古中でも、変えられる。明るい芝居を提供するためにコメディに徹したのか、どうなのか。ひょっとしたら、「人を思わないと人はどこまでも残酷になれる」みたいな裏テーマをこっそり課して、この脚本を選んだのではないか。

なんでそんなことまで疑うかというと、解像度の高い演出をされた芝居だったのは間違いないけど、だからというか、何となく、観終わって違和感が残ったのですよね。「タージマハルの衛兵」も解像度が高い演出の芝居だったけど、あのときはこういう違和感はなかった。それと井上ひさしの芝居にしては、女優同士の嫌味なやり取りがふんだんにあるにもかかわらず、すっきりとしたコメディに見えてしまった。井上ひさしは、こう、人間の悪い面を「人間のたくましさ」「庶民のしたたかさ」みたいな扱いで丸めてしまうところがあるけど、悪いものは悪い。本当にいい面だけの登場人物が目立ってくるのは後期です。

芸達者な役者と解像度の高い演出で完璧なコメディを立上げた結果、脚本に含まれているけど掬いとれていない何かも一緒に立上った、と仮定して考えた妄想です。穿ちすぎかもしれませんが、こじらせた観客は、そんなことも妄想してしまいました。

そういう妄想まで含めて、観られてよかった1本です。

<2021年6月28日(月)追記>

新型コロナウィルスの対策を書くのを忘れていた。小劇場は入口を地下(初台駅の改札を出てから最初に見えるところ)に限定して、中劇場やオペラの客と混ざって建物内が混雑するのを防いでいた(正面入口を入って右側の階段は封鎖)。開場は開演45分前から。外から中に入った時点で検温とアルコール消毒。ここで一旦入場前ロビースペースになってクロークだった個所に来場者カード記載スペースがあるので記載。チケットは通常の階段横カウンターとは別に、いつもだともぎり横にある関係者向けの引取カウンターを階段正面に配置してもぎり周辺で人が滞留しないよう調整。入場は、もぎり手前で来場者カードを回収してからチケットを見せて自分でもぎり。チラシ束はロビーに置いてありほしい人が自分で手に取る。物販はパンフレットのみ。スタッフは会話禁止のボードで案内、マスクはしていたけどフェイスガードはしていなかったか(失念)。場内アナウンスは、接触確認アプリを使うなら音が鳴らないように、使っていないなら電源オフにするようにアナウンス。

入場後ロビースペースに、いつもならポスターや解説文章の拡大コピーが貼ってあったり舞台美術模型が置いてあったりするけど、今回はその手のものは全部外して人が集まらないようにしていた。飲食は最低限にするよう案内。椅子は、個別の椅子は一方向きになるように間を空けて配置、ベンチは1人置きの間隔になるように座面貼紙で調整。トイレは小便器は1個飛ばしになるよう貼紙。荷物を預けるスペースがない代わりに、座席下に荷物を置くための使い捨てカバー? のようなものをロビーで提供。休憩時間は正面ガラス口を開けて外に出られるけど一方通行で、再入場時は検温とアルコールの入口側からに回す。この公演のチラシと配役表はいつも通りパンフレット物販の横で提供されていたのが個人的には非常に喜ばしい。

これまで考え出された対策を、広いスペースと多めに配置できるスタッフを十二分に生かして実践していた。慣れてきたのもあるけど、新型コロナウィルスの(少なくともこれまでの)対策と観客の快適さの、変な表現だけど妥協点の頂点という印象。ただし「広いスペースと多めに配置できるスタッフ」があってこそだよな、とも思う。

世田谷パブリックシアター企画制作「狂言劇場 『武悪』『法螺侍』」世田谷パブリックシアター

<2021年6月26日(土)昼>

Aプログラム。病で出仕できぬ日が続いたため主人の勘気から武悪を討つように申し渡された太郎冠者、幼いころより苦労を共にした相手だけに討つに討てず、討ったことにして見逃したが、逃げる途中の武悪が主人と会ってしまい幽霊としてごまかそうとすると「武悪」。素行の悪さから浪人に落ちぶれ金もないが女遊びに目がない洞田助右衛門、商人の妻2人への恋文を太郎冠者と次郎冠者に届けさせるが主人の横暴に耐えかねた2人が届け先の妻たちにばらしてしまう「法螺侍」。

「武悪」。腕が立つ武悪をだまし討ちしようとするも討つに討てない前半から、幽霊扱いされている武悪が主人に適当なことを言い出す後半まで、「武悪」はいかにも狂言らしい狂言。台詞をちゃんと聞き取れたか微妙だけど、幼いころより2人で頑張ってきた趣旨の台詞があったはずで、そこは太郎冠者の野村太一郎と武悪の野村万作が歳が離れすぎて見た目が苦しかったのだけ難だけど、軽く楽しめる。

野村太一郎の太郎冠者が顔も体も堂々とした押出しの一方、石田幸雄も主人らしい主人で貫禄十分だけど、出ていた3人の中で一番動きが決まっていたのが武悪の野村万作という芸能の謎。長年の動きが身体に染みこんでいるいるのもあるだろうし、歌舞伎の踊りを観たときにも思った、昔からの型や振付は昔の人の体形でちょうどよくなるように作られているのも理由のひとつだろうけど、それにしたって90歳であそこまでできるとか人類すごくないか。

「法螺侍」。シェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」を狂言に仕立てた一本。「まちがいの喜劇」を元にした「まちがいの狂言」よりもこちらのほうが1年早いらしい。鳴物でも遊べるところが新作狂言のいいところ。もとは野村万作が洞田助右衛門のところ、今回から野村萬斎にバトンタッチ。元がシェイクスピアなので筋に心配はなく楽しめる一本。

素行が悪いのではなく人生を楽しみ尽くしたいため結果周りにはそう見えてしまう主人公なのかなと台詞からは感じた。けど、いかにも素行が悪くて家来からもとっちめられそうな役作りに見えてしまうのは野村萬斎らしい。見えるというか粘りっ気の強い声がそう聞こえさせてしまう。この「人生を楽しみ尽くしたい」という考えからくるいい加減さは、今の世の中に減っている、非常に求められている心持なので、ここはもう少しおおらかさを優先するように工夫してほしかった。全体に、やや不慣れな印象があったけど、キャスティング変更の影響か。

この日はアフタートークありだったけど、万作と石田幸雄以外全員出ていたのかな。司会の萬斎のほかに6名出ていて、全員に話を振るので精一杯。演じているときとは違って野村裕基は声が萬斎そっくり。野村太一郎は「万作に師事して」という趣旨の発言があったので気になって調べたら、万作の兄である野村萬の孫だけど「本来なら襲名する立場にあった六世万之丞を従弟の虎之介(九世万蔵の長男)が襲名することになり、萬狂言を離れ父の従弟・野村萬斎に師事を替える」とWikipediaにあった。古典の世界は大変だ。

2021年6月13日 (日)

松竹製作「六月大歌舞伎 第二部 桜姫東文章 下の巻」歌舞伎座(ネタバレあり)

<2021年6月12日(土)昼>

追放されて行き場がない清玄と赤子は、同じく追放された残月と長浦の2人が暮らす地蔵堂の庵に身を寄せる。金のない2人に病みついた清玄の面倒を見るのは苦しいため、お参りに来た女に子供を預け、清玄を殺してしまう。仏の墓堀に呼んだ権助と穴を掘っていると、女衒が女を売り飛ばす相談のために女を連れてくるが、この女が桜姫だった。女衒が女郎屋と話をつけるために席を外したすきに、残月は言い寄り、権助は機会をうかがう。

親切にも冒頭で上の巻のあらすじを語ってくれた後に始まる(明瞭な口跡でよかったけど誰だか名前がわからない・・・)。上の巻は終盤数日が中止になったから、救済の意味もあるか。上の巻は仁左衛門メインに見えたけど、下の巻は玉三郎オンステージ。出だしの色っぽい雰囲気と、女郎を経た後半の蓮っ葉な雰囲気、前半は子供と会いたいと言っていたのに後半は子供がほしけりゃ産んでやるという落差がすごい。仁左衛門権助の格好いい場面も玉三郎桜姫の引立てになる。

ただ話はいろいろかっ飛ばしている。終盤、父が亡くなり家も潰れたきっかけである都鳥の巻物を盗んだのが権助であることを知った桜姫が、仇として権助を殺すのはわかるけど、権助が父親とはいえ自分の産んだ赤子まで殺すのはもはやホラー。そこから最後、殺害の下手人として追われた桜姫が、取返した巻物で一転、御家再興がかなって大団円の急転直下。

権助と桜姫との間に産まれた赤子が、人手に渡しても結局戻ってきたり、いろいろ言われている割にさして大切にされていなかったり。扱いが雑かというとそうでもなく、あえて書くなら呪いの象徴のように見える。清玄の幽霊も、雷で生き返った清玄がうっかり穴に落ちたのは暴れた本人かもしれないけどそのまま放置したのは桜姫。なのに出てきた幽霊に桜姫が怖がるのでもなく話しかけるという地続き感。冷静に考えれば芝居のご都合主義だけど、観ているとそうとばかりも言えず、いろいろ強引な展開が不気味さで束ねられているようなところがある。これが鶴屋南北の怪奇趣味か。

物語の理解はやっぱり、タイトルロール通り桜姫を追うのがいい。不運な亡くなり方をした白菊丸の生まれ変わりである桜姫が、(清玄と二役である)権助にひどい目に合わされた上に取りこまれたところ、まずは清玄に(結果として)復讐しつつ、清玄(の幽霊)に埋合せをしてもらって権助にも復讐し、最後は御家復興で幸せになるまでの一部始終を、輪廻転生や因果応報の形で描いた、と考えるのがすっきりくる。清玄と権助の二役が有名な芝居で見せ場が多いし、仁左衛門が色気があって格好よくて興行的には売物にするのが欠かせないとしても、芝居を背負うのは桜姫。その点、下の巻が玉三郎オンステージになったのは必然だったし、玉三郎もそれに応えていた。

なんか近代に毒されたような感想だけど、雰囲気勝負と割りきるにはいろいろややこしい芝居だった。にもかかわらず、描きたい雰囲気を重視するから筋立てなんて多少強引でもいいんだよ、木戸銭払った客を楽しませて興行が成功すればやったもん勝ちだよ、と訴えかける何かがあった。現代劇ではなかなかお目にかかれない、生き残った古典劇の力強さは、シェイクスピアを思わせる。それは逆に、芝居を立上げるためには役者に大きさ、強さが求められるということでもあって、玉三郎仁左衛門が活躍したからこそ成立した芝居だったのかな、他にここまでできる人たちが今だれかいるかな、というのもおまけの感想。

2021年5月30日 (日)

野田地図「フェイクスピア」東京芸術劇場プレイハウス

<2021年5月30日(日)昼>

恐山でイタコ見習いを続けて50年、明日の試験で見習いから卒業することを目指すイタコ見習のもとに、珍しく指名が入ったと思ったらダブルブッキング。しかも憑依してほしい死者が客に勝手に憑依する始末。よく見たら片方は高校の同級生。恐山に来た理由を尋ねるうちにもう一人の客が逃げてしまう。

国や自治体の要請と、出演者の体調不良と、両方による公演中止の可能性を考えていたのでスケジュール初期で観劇。休憩なしで2時間5分。言葉遊びで展開を飛ばしていく、いかにも野田秀樹な新作だった。何も考えないで芝居単体に集中すると最後にきれいに締まった芝居で、4回目のカーテンコールでスタンディングオベーション。ただ個人的には、開幕1週間でまだ仕上がっていないというか、熱量不足というか。加えてメタな話を想像すると、うーん、という感想。

先にスタッフワークに触れておくと、ど安定。コロスも含めて衣装が好き。ただ、舞台上を横切る幕を使って早替えするのだけど、間に合っていなくて舞台中央で幕がスローダウンする。あれは幕の長さを倍にしてでも同じ速度で横切ってほしい。幕がワイヤーを伝う音と姿は一定速度を保ってほしい。それと効果音が重なって川平慈英の台詞が聞こえないところはタイミングを打合せてほしい。

で、ネタバレしない範囲で分析。分析というのもおこがましいですね。妄想です。こじらせた客の感想なのであまり気にしないでください。

野田秀樹にしては珍しく、はっきりとしたメッセージを台詞で伝えていました。観れば誰でもわかるし、物語単体としては単純だけど最高の台詞です。ではそのメッセージは、劇中では橋爪功演じる役に向けられていたけど、芝居のメッセージとしては誰に向けられていたか。客ではない、世間でもない、同業者に向けたメッセージだと私は受取りました。不要不急と言われて委縮した同業者に対する、野田秀樹からのメッセージです。そのメッセージのために「あの話」を持ってきて、芝居としてつなげてしまうのが野田秀樹の才能です。

ただ、この1年間、散々「業界」批判をしてきた身としては、先に芝居ではなく素の言葉によるメッセージを野田秀樹に期待したかったです。それを飛ばして芝居によるメッセージを選んだんだ、というのがひとつ。

そしてキャスティング。メッセージを受ける役に橋爪功を置いたのですが、おそらく今回の出演者の中で一番ふてぶてしい、メッセージなんかなくてもどうってことはないという人だと想像します。白石加代子も、ふてぶてしいとはいいませんが、世間の風には追い風も向かい風もあらあなと知っている人だと想像します。

翻ってメッセージを伝える側の高橋一生。丁寧すぎて線が細くなってしまいました。とりあえずもっと声を張ってほしい。そしてメッセージを補強する立場に前田敦子を置いたのは、アイドルとして活躍した経験に加えて「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」と言ってのけた舞台度胸を買ってのことだと想像します。が、これがいまいち効いていませんでした。不慣れな野田芝居のさらに新作でポジションをまだ見つけられていないのか、私生活のごたごたが続いているのか、理由は不明です。

ただこの2名が頑張ったとして、それだけで良くなる感じがしません。全体に絵が共有されていない印象があって、その場合は仕上がり不足。あるいは、出演者たちがそもそもメッセージを信じられていないから弱く見えるのであれば、その場合は熱量不足。いつもだともう少し野田秀樹の出番が多くて、それで台詞のスピードや声量がノってくるのですけど、今回は最初の登場場面までが結構長くて、出番も限られています。それで全体の展開が遅くなったのも一因かと考えます。

こんなこと書きましたけど、よくできた芝居ですよ。繰返しますが、こじらせた客のこじらせた感想なので、あまり信用しないでください。白石加代子と村岡希美はとてもよかったです。

新型コロナウィルス対策メモ。驚くほど簡素。入場口は4列用意。手首検温だけ済ませたら、チケットを見せて自分でもぎり。アルコール消毒は入った後に置いてあるので自分で任意で行なう形。普段は閉めている、入って右側の屋外テラス部分を飲食場所として開放。来場者登録は入って右側にあるも任意。スタッフはマスクとフェイスガード。アナウンスに加えて会話しないでくださいのメッセージボードを持って注意喚起(ただそれでも客席はざわついていた)。最後はエリアを区切っての整列退場。

あと最後に、今回センターブロックは2階席最後方までS席という話を見かけたのですけど、A席がどこだかわかる人がいたら教えてください。観やすいし見切れもないだろうからS席と言われればそんなもんかとも思いますが、それにしたってねえ、ということで。

<2021年5月31日(月)追記>

2日前の公演で白石加代子の台詞がすっぽ抜けていたらしい(ネタバレありブログより)。そういえばカーテンコールではける時に川平慈英がエスコートしていました。今回もっと公演後半で観たほうがいいのかな。

2021年4月11日 (日)

松竹製作「四月大歌舞伎 第三部 桜姫東文章 上の巻」歌舞伎座

<2021年4月10日(土)夜>

僧侶である清玄と稚児の白菊丸が江ノ島で心中を図るが、先に飛込んだ白菊丸の後を追えずに清玄が生き残ってしまう。17年後、高僧となった清玄は、不幸が続く名家の17歳の娘である桜姫の出家の相談に呼ばれる。生まれつき左手が開かない桜姫に清玄一行が読経すると左手が開くが、そこで出てきたのは心中のときに白菊丸と交わした香箱で、清玄は白菊丸の生まれ変わりが桜姫だと信じる。そこに、桜姫との縁組を求める悪五郎が言い寄るが、とんでもないことと女中に断られたため、何とかするために悪党の権助を桜姫への使いに立てる。

下の巻は6月公演にお預けで、今回は上の巻として前半。この後、権助が実は桜姫を以前強姦していたが、そのときのことを桜姫は忘れられず権助を思い続けて出家を待つ身なのに不義を働き、その相手が清玄だと誤解される、と続く。上の巻の展開だけ見たら桜姫はさっさと首をはねてもいいくらいの身勝手な役で、そこを納得させるのが役者の腕の見せ所だけど、玉三郎が頑張った。

というか、上の巻だけを観た範囲では筋を追ってもしょうがない。それより、権助と桜姫の不義の場面、玉三郎と仁左衛門の色気が全開で、70歳以上でここまでできる歌舞伎役者やばい。仁左衛門は清玄と権助の二役だけど、悪い権助のほうがいろいろ似合っていた。

実はいろいろあって冒頭の数分を見逃したので心中で飛込むまでのやり取りを聞き逃したのだけど、まあしょうがない。なんか荒唐無稽な雰囲気があるので、続編の下の巻に期待。新型コロナウィルス対策メモは第一部に書いたので省略。

松竹製作「四月大歌舞伎 第一部」歌舞伎座

<2021年4月10日(土)朝>

帝に献上する刀を打つよう命じられた刀匠だがそれだけの技量を持つ相槌を打つ相方がおらず稲荷明神に祈りをささげると童子が現れて「小鍛冶」。鎌倉の頼朝から逃れるべく奥州を目指す義経一行が安宅の関所で見とがめられて切抜けるために弁慶の一世一代「勧進帳」。

小鍛冶。素直に踊りを楽しめばよし。中車の刀匠と猿之助の童子実は稲荷明神もいいけど、間に出てきた弟子の中で、ネタ台詞を言っていた若木色というか緑の着物を着ていたのは猿弥であっているか。短い時間だったけど、踊りが上手かったというか、所作がはまっていた。なぜかと考えるに、決して悪口ではないのだけど、体型バランスが旧世代の日本人に近いからだと思われる。日本の踊りの振付は、当時の日本人の体型バランスできれいに見えるように作られたとどこかで読んだことがあるけど、納得。

鳴物が、ダルダルのダウンチューニングから始まって、増し締めしながら弾くという珍しいスタイル。動きもあったからあれは狙ったもので、緩い弦の音で不安な心持を表そうとしたのかと推測。

勧進帳。今回は白鸚の弁慶に幸四郎の富樫のA日程。白鸚が最初の出番で花道から出てまだ台詞を言わないで立っただけの瞬間から呼吸が荒い。声もおとなしめで勧進帳の読みあげが終わった瞬間に拍手が出せない。最後、呼吸を整えるための息の荒さが劇場に響いて、飛び六方がよれよれだった。幸四郎が明朗な台詞だった分だけ余計に目立つ。今回の出来を純粋に評すれば荒事の代表格の弁慶役として擁護の余地はない。

休憩タイミングを含めていろいろ段取りが整っていたから多分体調ではなく体力の問題。自分の席からは見えなかったけど、音から推測するに途中で汗拭きや水分補給だけでなく酸素補給もしていたかもしれない。弁慶はそもそも気力体力が求められる役で、さらに衣装はものすごい重たくて着て立つだけでも大変らしいから、それで舞台に出られるだけ同年代の一般人よりは元気だと思うけど、半月前に吉右衛門が倒れたばかりなので、途中で倒れないか観ていてはらはらし通しだった。弁慶はこれ限りの演じ収めになるはずなので白鸚贔屓の人は観に行っておくことを勧める。

そのほか新型コロナウィルス対策メモ。場内混雑をつくらないようにイヤホンガイドを入場するより前に劇場外で借りて返すシステム。自力もぎり、検温、消毒で入場。飲食は最低限の水分補給を除いて場内禁止で食事処も営業していない。パンフレット以外の物販は全部なしで、1階の土産物屋はチケットなしで外に開放して外から入るようにしている。ロビーの椅子は間隔を空けられるところは2席空けて距離確保。男子トイレも小便器はひとつ飛ばし。スタッフはマスクにフェイスガード。席は最前列と、花道脇は列によって3-4席空けて、他は千鳥格子を基本に一部は2人並びの席も用意、桟敷席も1人。まあまあ入っていたけど空席もあり。さすがに1人だけだけど、話すときにマスクを外す人を遠くに発見、年寄りは小声で話そうとするとマスクを外してしまう模様。退場時は後方から整列退場。

場内はスタッフは注意事項を書いた案内板を掲示、説明は主にアナウンス。COCOAを推奨するというアナウンスがあったけど、その後で携帯電話の電源をお切りくださいとのアナウンスもあり。それは駄目じゃないか

2021年4月 4日 (日)

劇団☆新感線「月影花之丞大逆転」東京建物BrilliaHALL

<2021年4月3日(土)夜>

強烈な個性を持つ月影花之丞が運営する劇団。契約を餌に無理やり出演させられている保険の営業員、共演者キラーすぎて共演NGになったところを拾われた女優など出自は様々。そしてベテラン役者が、実は月影花之丞の暗殺を依頼された証拠を残さないことで有名な殺し屋だった。暗殺を阻止するためと殺し屋を逮捕するため、インターポールの捜査官が入団志望としてオーディションにやってくる。

あらすじを書くのも野暮なネタ尽くし路線に歌も交えての一本。下ネタなしでお色気は西野七瀬の笑顔のみという健全さはおポンチ路線とは言い難い。かつ、どことなく物語としての芯を感じさせる。劇団というシチュエーションのためか、ネタの合間に演劇熱をひそませている気配は、脚本がいのうえひでのりでなく中島かずきだからか。

それはそれとして「稽古中の劇中劇」と合間の「劇団員の悩み」という料理のしやすいシチュエーションを元に、ネタと歌とチャンバラで盛りだくさん。有名どころが多いとはいえマンガアニメも坂道系音楽も取りこんで、観る側の「教養」が試される。全部拾えた自信はないけど知らなくても楽しめる。セルフパロディの受けから察するに観慣れたファンの多い回だった模様。東京千秋楽前ということもあり仕上がり上々。

役者は阿部サダヲが引張って、新感線メンバーが支えて、若いゲストが華とネタを添えて、木野花が持っていったイメージ。劇場の広さに負けないテンションが通して全員にあった。今回気が付いたのは、少人数だったためか古田新太以外の新感線メンバーが全場面を通じて上手かったこと。長くやっているのは伊達ではない。3人組で妙に身体の切れが良かったのは保坂エマであっているか。

そして木野花。まじめにやってもとても上手な人だけど、この広い劇場であんな衣装ででたらめな台詞を言って、ネタらしさともっともらしさを両立させて聞こえるのが本当に不思議。キャリアのなせる技というより、荒唐無稽な芝居を大量に体験してきた人の芸か。荒唐無稽が身の回りに満ちていたある一定以上の世代で絶える芸という予感がする。

映像を含めて手間のかかっていそうなスタッフワークも含めて、これぞ新感線という1本だった。そして感心したのはコロナのコの字もなかったこと。このご時世に新作でまったく触らずにネタで2時間通したのは見事。途中から素直に楽しめた。楽しんだ客席からは堂々のスタンディングオベーション。こういうの楽しみにしていた客の多さが伝わる。

この後大阪公演が4月14日から5月10日まで予定されているけど、今の大阪の新型コロナウィルス感染状況でいけるのか、それは心配。

そのほか新型コロナウィルス対策メモ。入場前にチケットの半券の裏に名前と電話番号を記入して一番最初に記入有無確認(記入場所あり)。検温、手指消毒の後で自力もぎり。チラシや配役表は配布なしで、配役表はWeb参照。スタッフはマスクにフェイスガード、客席最前列がどうなっていたかは見逃し。開演前の注意はアナウンスに加えてスタッフがボードを持って案内するも、会話控えめにとの注意はあまり効果なし。マスクをしている人ばかりではあるけど、開演前はそれなりにざわついている。今回1階で観たけど1階は満席、2階3階は半分のはずだけど遅く行ったため未確認。終演後は列ごとの整列退場。ロビーの飲食を禁止する代わりに、咳防止に自席で飲物を飲めるようにしている。ロビーの椅子は使えない。

前2公演と比べて思ったのは、大きい劇場なら対策も万全に取れると言いたいところだけど、大きすぎる劇場だと客も多くて取れる対策に限度がある。この劇場だとフルなら1300人、2階3階が半分だとしても1000人、ぎりぎりに来る人も一定数以上になる。足裏消毒とか最前列フェイスガードとか、対策を思いついてもどこまで実現可能か、微妙。でも足裏消毒はあってもよかったと思う。自分の足元に荷物を置いている人を結構見かけたので(奥の席に後から客が入るときに手前で座っていた人が荷物を引上げることが多い)。

さらに話は変わってこの劇場、近年建設の都内民間劇場の常として、客席数に対してロビーが狭い。時間がなくて確認できていないけど劇場内階段もそこまで広くなかった模様。受付階の外と地上階の間は広い階段があるけど、その分だけ人が滞留できる平たいスペースが足りないから階段で足を滑らせたら危ない。新しいから耐震性は高いのかもしれないけど、次に行ったときは早めに着いて避難経路を確認しておきたい。

<2021年4月30日(金)追記>

緊急事態宣言のため4月26日の公演を持って終了となりました。

2021年3月28日 (日)

シス・カンパニー企画製作「ほんとうのハウンド警部」Bunkamuraシアターコクーン

<2021年3月27日(土)夜>

あまり期待ができないミステリーを観に来た2人の評論家。片方はすでに売れっ子で影響力も大きく、片方は別の売れっ子評論家のアシスタントで前評判がいまいちの芝居ばかり観に行かされている。開幕した芝居は案の定いまいちで、2人は舞台そっちのけで自分たちの愚痴を言い合う。

ネタバレしてはいけない芝居だから詳しくは書かないけど、トム・ストッパードはよほど評論家が嫌いだったのかと思わされる一本。調べたら自分も半年は評論家をやっていたらしい。そこでよほど嫌なものを見たか。今回の上演も、75分で終わるからというだけでなく、制作者か演出家か、どちらかまたは両方が評論家に嫌な思いをさせられたことがあったから選んだのかなとか想像してしまう。トム・ストッパード脚本だからイギリスの話だけど、評論家の影響力がどうにも高そうだと思って調べたら1968年初演だった。イギリスは評論家の影響が大きいとは蜷川幸雄も書いていたけど、今だとどうなんだろう。客のSNSのほうが影響力が高そうだけど。

芝居の話に戻ると、生田斗真演ずる評論家のアシスタントが、意味不明な演劇評論をぶつ台詞があって、あの気分がわかる。わかるし、アシスタント止まりなのもわかる。あの場面が笑いにつながらないのがもったいなかった。役者は、劇中劇でわざとらしい演技を面白く披露する芸達者たちのなかでも、「劇中劇としてのわざとらしさ」と「劇中でこの芝居を一生懸命演じてしかも結構上手な役者」の要素を絶妙のバランスで演じた峯村リエに一票。水準以上の演技だったけど場面ごとにこのバランスが偏って見えた山崎一は、小川絵梨子にもう少し使いこなしてほしかった。間と緩急をがっちりはめるコメディ向きの演出スタイルではないのだろうけど。

今回1階席で観られたけど、劇場の音響が確実によくなっている。前回メンテナンスで手を入れたのかも。音楽よかったし、千鳥格子の座席販売だったけど最後の拍手の音の埋まり具合もよかった。

配信のあった日だからか、カーテンコールで生田斗真が、観に来てくれた人に感謝、観に来たことがない人も安心して観に来られる日になりますように、という趣旨の挨拶で格好よかった。ただまあ、新型コロナウィルスのこの時期には収まりの悪さを感じる芝居だった。何でもないときに観たかったコメディ。

そのほか新型コロナウィルス対策メモ。入場前に靴裏消毒、手指消毒、カメラ検温。で、ようやくチケットもぎり、これはロビースタッフが行なった。ロビー販売は飲食なし、物販はパンフレットなど最小限。椅子は1階にはあったけど飲食は最低限の水分補給を除いて禁止の指示、この最低限という記述の細やかさが大事。開演前に注意事項の書かれたボードを持ったスタッフが歩き回ってボードを見せている。こちらはスタッフはフェイスシールドなし。開演前にはアナウンスでの注意があったはず。退場時はスタッフが客席列を示したボードを掲げて後ろがはけるまで待つように整列退場を依頼。75分の芝居を選んだのも対策の一環。全体にアクティングエリアが後方に寄るように(客席最前列と距離を保つように)導線を工夫していた気配もあった。

世田谷パブリックシアター企画制作「子午線の祀り」世田谷パブリックシアター

<2021年3月27日(土)昼>

源平合戦の末期、一の谷の合戦で義経に奇襲をかけられた平家軍が大敗し、阿波民部重能を頼って落延びるところから、源平双方が総力を挙げた舟戦である壇の浦の戦いで、平家が敗れて一族が入水または生捕りにされるまで。

前回観ていたけど、思うところがあってもう一度観ておきたかったので挑戦。今回は新型コロナウィルス対策のため、役者の数をぐっと減らして一部登場人物は削り、群読も控えめにしていた。なんとなく場面も減っていた気がする。詳細不明だけど上演時間が前回3時間50分、今回3時間20分、出なくなった役の分だけ短くなったか。

群読控えめなのでその点は前回のほうが脚本の魅力を伝えていた一方で、一人の役者の台詞は聞きやすく理解しやすく、一長一短。最後の合戦はさすがに群読を使って、そこは前回よりも少なめの人数かつ公演も終盤のため、聞きやすいと言えるくらい揃っていた。

役者の感想は前回に近い。何と言っても義経の成河が一押し。描かれていない場面まで想像して役作りしている雰囲気をひしひしと感じる。村田雄浩の阿波民部重能の無念から「民部、心はぐれてしまい申した」とか、金子あいの前回建礼門院から今回二位の尼の入水で「波の下にも都のさぶろうぞ」とか、ぐっとくる。野村萬斎は前回よりかなりよかったけど、やっぱり演出つけてもらうほうがこの人は生き生きとするなというのも同じ感想。

でも今回は、評議で紛糾してから法皇の院宣でさらにこじれるところや、義経と梶原景時が意見が合わずに衝突するところや、寝返っていないか疑う知盛と負けたときの対応まで考える重能との噛合わないところや、水主梶取を倒そうとする義経と止める船所五郎正利。この手の場面、無理なものを無理と認められない人間がいるばかりに揉める場面のなんと多いことかと泣きそうになった。疲れているな自分。

そもそも和平で一旦引いて立て直すのが最善だったのに揉めて和戦どちらか目的が揃えられないでいるうちに法皇に先を取られて追いこまれて戦わざるを得なくなった平家と、鎌倉から疎まれている現地の大将にも問題なきにしもあらざるものの戦って相手を滅ぼすのが目的であり揉めているのは戦いの進め方である源氏。戦略のミスを戦術に頼らざるを得ない時点で平家は負けていた。なのに、万が一と退却の道筋を用意していた民部を、とらわれた民部の息子が敵方に寝返ったからとは言え、疑って採用できなかった知盛(実際には塞がれて逃げられなかったのだけど)。戦略のミスは戦術で覆せないのに戦術頼みで負けるのは本邦千年来のお家芸なのか、古今東西の典型的な負けパターンなのか。平家物語に学ぶ戦略と戦術、とかコンサルタントが本を書くレベル。だから語り継がれて大勢の日本人が耳を傾けてきたに違いない。

思うところはもっと小さいところだったのに、観ていてそんな主語が大きい感想まで持ってしまった。やっぱり疲れている。前回より登場人物が減った分だけ骨格に目が向いたか。古典の元ネタに現代的な視点と詩的な語りが入って、とにかく脚本がよくできている。演者を揃えるのが大変な芝居だけど、今後も定期的な上演を望む。

その他特筆として舞台美術。前回は動く階段だけだったけど、今回は加えて海面を思わせる反射する円形の床に三日月形の回転する台を組合せて舞台中央に配置した、月の運航を思わせる美術の圧倒的正解感。高さと動きも作れて戦の場面も映える、次回以降の上演で定番化しそうな松井るみの力作。

疑問だったのは語りの録音。前回は低音過多で聞き取りにくかったけど、今回は低音を削りすぎて聞きやすい代わりに昔のラジオっぽく聞こえる。聞き取りにくいよりはいいけど、いいと思ってあのレベル調整したのかは気になる。

オープニングは前回と同じく数分前から日没と月を待つ体だったけど、若村麻由美以外は全員マスクで参加。カーテンコールも最後は全員マスクを付けて、新型コロナウィルス気を付けつつ客も気を付けろよとの無言のメッセージ。違和感なく成立していた。拍手。

そのほか新型コロナウィルス対策メモ。入場は消毒から自分でもぎり、チラシはロビーに置いて本人ピックアップで触った分は持ち帰れの指示。物販はパンフレットのみ、飲食なし。ロビーの椅子がほとんど取っ払われて入口階に単発の椅子が数席のみなのは会話防止か飲食防止か、休憩時間中にロビー休憩難民になる。客席だけでなくロビーも飲食禁止指示もこっそり飲物を飲むくらいは黙認。客席最前列はフェイスシールドをしていたが配布されたものか、多少舞台に距離を取っていたけど声が勝負のこの芝居なら用意するのは正解。スタッフはフェイスシールド着用。開演前を忘れたけど休憩時間終了間際は声掛けの代わりにボードで注意していたが、アナウンスを流さないのは実効性がないという経験則なのか、理由が知りたい。客席は当初すのこ状に列飛ばしで販売していたのを後から追加販売で、後方端と上階端以外は残っていたものの9割くらいの入りか。退場時は後方から列単位で整列退場実施、上階はある程度待ってから実施。客は見た範囲では全員マスク着用で会話も控えめ。