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2024年7月14日 (日)

ルックアップ企画製作「虹のかけら」有楽町よみうりホール

<2024年7月14日(日)昼>

映画に歌手にと大活躍したジュディ・ガーランド。「オズの魔法使い」のオーディションで出会って以来、その付人を務めた同い年のジュディ・シルバーマン。世間に知られざる彼女の物語と、そんな彼女の目から見たジュディ・ガーランドの物語。

三谷幸喜による戸田恵子の一人芝居第2弾。ジュディ・ガーランドに目を付けて、その付人を切口にここまでの話を仕上げて、戸田恵子に歌って朗読させて演技させる三谷幸喜はやはり第一人者です。

そしてそれに見事に応える戸田恵子もやはり、第一人者です。歌の伸びやかな声、朗読での声の使い分け、そしてこの芝居を最後までやり遂げる演技、どれをとっても一級品で、実に耳を楽しませてくれました。役者は声だとこれだけはっきり教えてくれる芝居も役者もなかなかいないでしょう。

戸田恵子本人がコンパクトにしたバージョンだと冒頭で話していた通り、途中がどうも端折りすぎではないかと思えたのですが、これはこれで話がすっきりしてよかったという声も聞こえたので、そこは人によるようです。ただ、今回のコンパクトなバージョンでも物語は通じていました。オチもだいたい予想は付きましたけど、しっかり前振りしているからフェアでしたし、いいですね。

上演していることに気が付かないで、たまたま見つけてうっかりチケットが買えてしまったのですが、何の心配もなく舞台に集中して楽しんだ1本でした。

Serialnumber「神話、夜の果ての」東京芸術劇場シアターウエスト

<2024年7月13日(土)夜>

拘置所の患者個室でベッドの上に座りっぱなしの一人の男。とある殺人を犯して裁判を控えているが、精神疾患ではないかと疑われているためここに隔離されている。男の弁護士が裁判を控えて精神科医に面接を申込むが今は面会謝絶で会えない。男が殺人を犯した経緯はいったいどのようなものなのか。

久しぶりのSerialnumberは宗教二世の話。社会性のある重たい話題に真正面から突っ込むのはいかにも詩森ろばらしいですけど、ちょっと今回はいまいちな仕上がりでした。

今の拘置所と、人里離れた宗教の施設時代との二重構造で話が進んでいきます。そこで多少解説が入ったり別の人の話を絡めたりするのが工夫と言えば工夫です。が、基本は重たい話題を重たい通りになぞって追体験する形で進めます。それは親切ですが、真っ正直すぎていささか芸が足りない脚本でした。

そこに演出で明るさを足すのは自分で許せなかったのか、ベッド以外ほぼ素舞台で、主人公の男はひたすらしゃべります。が、坂本慶介はテンションが足りず力及びませんでした。それと最後に物語を締める役割を持たされた弁護士の田中亨も力及びませんでした。廣川三憲や杉木隆幸がいい出来を見せて、川島鈴遥がまずまずでも、5人芝居で2人が力不足だとつらい。あと弁護士以外の4人が裸足なのも意味不明でした。

脚本の面で言えば、二世本人の心情を掘下げていましたが、これと対になる、入信した母親の話は終盤にさらっと触れただけで流されてしまいました。でもあの流し方では相手の言い分にも五分の魂となってしまう。それを認めるなら主人公は不運に巻込まれただけというオチになってしまう。主人公は救いのない人生だったと言われればその通りですが、そう言いたいためにこの話題を取上げたわけでもないでしょう。

重い話題に一方的な結論を出すにせよ、簡単に結論は出せないと観客に考えさせるにせよ、脚本の切口も演出の切口もこの話題に対しては間違っていたなというのが感想です。

範宙遊泳「心の声など聞こえるか」東京芸術劇場シアターイースト

<2024年7月13日(土)昼>

埼玉県のとある住宅街。新築が分譲されたころに引越してきた夫婦だが、夫は妻にセックスを拒否されて浮気を疑い、妻は隣人の妻にゴミ捨てを監視されていらいらが募る。隣人の妻はプラスチックごみを宇宙ごみと呼び、その様子を見ながら隣人の夫は妻への愛は変わりない。夫婦同士でも隣家同士でも心の中の言いたいことを我慢し続ける関係の行方は。

前の公演がよかったので観劇。たまに主張強めなところが出てくるものの、それも含めてひっくり返す展開は見事でした。

音を立てたりおかしな動きをしたり、なんなら妄想とか現実と書かれたTシャツを着た人まで出してきて、心の声が聞こえるという仕組みを用意してあります。そうして心の声を観客に聞かせながら、途中で出てくる現実場面のネタが現実っぽくないことも多々ありながら、チラシにも載せている「キミがどんなに世界に軽蔑されても、ボクはキミを軽蔑する世界のほうを軽蔑するし、してきた」という台詞を捨てるように使いながら、それも含めて最後になんじゃそりゃーとひっくり返してきます。

終わってみればたしかに愛の話です、が、その展開は叙述トリックのミステリーのようでもあります。衣装を初めとしていろいろネタがありすぎて、日本の小劇場だから許される叙述トリックと言えなくもありません。

再演らしいですが、だとしてもこのややこしい芝居をきっちり仕上げた役者には(脚本演出の本人を含めて)拍手です。ただ、初演のメンバーがなかなか気になるので、そちらでも観られればよかったなというところだけが心残りです。

2024年7月 8日 (月)

新国立劇場主催「デカローグ9・10」新国立劇場小劇場

<2024年7月7日(日)昼>

有能な心臓外科医の夫は友人の医者の診断を受けて不能になったと告げられる。子供のいない夫婦でもあり、まだ若い妻には別れようと切り出すが、妻は夫を励ます。だが妻はもっと若い学生と浮気をしていた(デカローグ9「ある孤独に関する物語」)。父を亡くした兄弟が、父の暮らしていた部屋を訪れる。必要以上に警備装置が設けられていた部屋にあったのは、切手のコレクション。処分しようと父の友人を呼んだら、その道では国一番と知られた高額なコレクションだと告げられる。その前に息子に渡していた切手を取返そうとするが、すでに他人の手に渡ったところだった(デカローグ10「ある希望に関する物語」)。

デカローグ9は疑いと事実とすれ違いが重なりあう、芝居らしい展開。どこからどうみても妻が悪いはずの設定を、夫の不能という男性にとっては致命的な設定ひとつで夫側の力関係をへこませるのが実によくできた1本。クローゼットで泣く場面のあのいたたまれなさ、からの後半のもう一転は手に汗握るところですが、そうなるんだというラストが、デカローグのテーマなのかなと。後述します。

出だしがやや硬かった夫役の伊達暁と妻役の万里紗でしたが、途中からギアが入って観入りました。図々しい浮気相手の宮崎秋人はもっと図々しくてもよかったかも。スタッフワークはおおむね問題ありませんでしたけど、Ⅸの文字映像は舞台美術の枠にきっちり収めてほしかった。美術のセンターがずれていることが連絡されていなかったのか。センターブロックで観たので目立ちました。

デカローグ10も切手を巡って兄弟の関係がどんどん変わっていく芝居らしい展開。締めの1本らしい展開に、兄弟の役作りの明るさもあって割とさっぱり終わりました。こちらは落着くところに落着いたラストで、デカローグ9の反対みたいな話です。

兄役の石母田史朗と弟役の竪山隼太だけでなく、怪しい役の人たちも含めて、全員割と楽しんで演じていたように思えた1本でした。

で、プログラムAプログラムBプログラムCプログラムD、そしてこのプログラムEと、10本全部観た感想です。

一応無理やり考えたこととしては、人は大いに間違えるというのがテーマだったのかなと。それが丸く収まることもあれば、自分にも相手にも致命傷になることもある。何なら本当に命を奪うこともあって、残された人はそれを抱えて生き続けることになる。間違いがどう転ぶかは本当に紙一重で、そこには人知を超えた何かが働いているとしか言い様のないことがある。10本の芝居はそれを描いていたのかなと。

その目で眺めると、ハッピーエンドかバッドエンドかはともかく、10本中8本は一応の結論が出ました。が、デカローグ7と9の2本は、このあとでこの人たちは新しい関係を構築していかないといけないのだな、紙一重はハッピーエンドかバッドエンドかの2択を許さないのだなと重い感想を投げかける話でした。

そこから推測して、人生が本当に紙一重なればこそ、自分はできる限り善く生きるべきで、相手の過ちはできる限り許すべきで、そのような寛容こそが世の中には求められていると訴えていたのだ、と考えました。

ならばよく出来た企画でした、となるかというと、なりません。役者はほぼ全公演で熱演でした。このプログラムEは、単発で観ても面白いかもしれません。ただ、プログラムA、B、Cの印象が悪すぎたのがひとつ。10本観てテーマを浮かび上がらせるような趣向なら1日での一挙上演まで含めて工夫するべきだったという考えが変わっていないのがもうひとつです。演出しきれないならもう一人演出家を呼んできてもよかった。

プログラムAの感想に書いた通り、私のここまでの不満はすべて企画の段階で撒かれた種のように思えます。手のひらを返す準備はしていましたが、私は返すには至りませんでした。もったいない企画だったなというのが観終わっての感想です。

東宝製作「ムーラン・ルージュ!」帝国劇場

<2024年7月6日(土)夜>

20世紀初めのパリのショー劇場、ムーラン・ルージュ。経営不振のオーナーが公爵をパトロンにするべく看板歌手をあてがおうとするが、歌手は別の若い青年のことを公爵だと勘違いしてしまう。アメリカからパリにやって来て間もない青年は作詞作曲が達者で、歌手の貧乏時代の仲間がその上演で一旗揚げようと歌手に頼むためにムーラン・ルージュまで連れてきたところだった。勘違いは間もなく発覚するが、公爵への言い訳をしているうちに2人は恋に落ち、公爵の目を盗んで逢瀬を繰返す。

せっかくなのでヒーローに井上芳雄、オーナーに橋本さとしの出る回を狙ってやろうと様子を見ていたら無事にチケットが取れました。ヒロインは平原綾香、公爵が伊礼彼方、青年の仲間はロートレックに上野哲也、サンティアゴに中河内雅貴、その恋人ニニが藤森蓮華。

時代を跨いだ名曲で構成されているらしいですが、1曲しかわかりませんでした。が、べたな展開も役者の熱演で目を逸らさせません。平原綾香と井上芳雄の歌の上手さには惹かれますが、やはり個人的には橋本さとしの胡散臭さです。ショー劇場のオーナーにぴったりです。煽りどころ、笑わせどころ、締めるところ、間違いがありません。主要メンバーみんな割とよかったのですが、公爵の伊礼彼方が端正でいい感じの公爵でした。

この日の客席は何と言うか、仕上がっていました。出だしから手拍子の強さと揃い具合がすごい。初めに井上芳雄が台詞を言う場面で戸惑っていたくらい。予習ばっちり感が強すぎやしないかと思わないでもありませんでしたが、ミュージカル初心者には手を叩くタイミングがわかりやすいのは助かりました。

出だしから派手な歌と踊りがいいですね。チケット代も派手でしたけど、たまにはこういうのを観るのもいいもんだと素直に楽しんできました。

2024年7月 6日 (土)

新国立劇場主催「デカローグ7・8」新国立劇場小劇場

<2024年7月5日(金)夜>

高校生のときに教師の子供を産んだ女性。生まれた子供は自分の母親の娘として届けが出されて自分の妹として暮らしているが、子供を子供として名乗れない生活に我慢の限界が来た女性は娘を誘拐してその父親の元に隠れる(デカローグ7「ある告白に関する物語」)。大学で倫理学を教える女性教授は著作を何冊も出してもいる。その翻訳をしてくれている女性翻訳者がアメリカから訪ねてきて、ゼミの倫理討論を見学する。そこで話を聞いていた女性翻訳者も、倫理の議論としてひとつの題を出す。第二次世界大戦下で、ユダヤ人の少女がホロコーストから身を守るためにカトリックの洗礼が必要となったが、事前に請負ってくれていた立会人の女性が土壇場で拒否したのは倫理の観点からどうかというのだ。実は女性翻訳者がその少女、拒否した女性は女性教授だった(デカローグ8「ある過去に関する物語」)。

デカローグ7は子供を産んだ女性と娘の話かと思わせつつ、女性とその母親との確執に加えて、それぞれの相手との関係を描いた話で、牧師と教師の子はグレるという言葉を思い出しました。役者はなかなかの出来でしたが、主要登場人物全員に観ていて癇に障るところや煮え切らないところがあって、さらわれた妹実は娘の態度も掴みかねて、よくできてはいるものの観終わってから不完全燃焼が残りました。

デカローグ8は女性教授と女性翻訳家が相手と過去に向合う話。女性教授の高田聖子も、女性翻訳家の岡本玲も、抑え気味に進めていたのが好印象です。上演上は、昔のアパートを訪ねてさまよう場面が初め何の場面なのかわかりにくかったのが惜しいところ。企画上は、岡本玲の見た目が物語から推測される年齢よりかなり若く見えてしまうところと、ホロコーストとユダヤ人の話が昨今は昔ほど素直に観られなくなっているのが時期を外してしまったところ、その2点が惜しいです。住職の娘の高田聖子に教会にいかないという台詞を言わせたところに内心受けたのは駄目な小劇場ファンです。天使役の亀田佳明が初めて口をきいたところも含めて、こちらが最終プログラムになった人向けにも終わった感を味わってほしかったのだろうなという演出でした。

今回は過去6作よりも映画的な無駄が少ない2作だったというのが、観終わった直後の感想です。

坂本企画「天の光とすべての私」三鷹SCOOL

<2024年7月5日(金)夕>

まだ見ぬ惑星の開発隊に志願した女性。片道何百年と掛かる片道切符だが、選抜試験で数々の困難を乗越えて合格を手にする。複数の惑星を開発するために合格者のクローンを作成して送り込む計画だが、クローンのオリジナルである合格者は地球に残るようになっていた。夢を断たれた女性は地球で結婚し、娘をもうけるが、夫が病気で亡くなってしまう。そこで再び女性に声がかかる。

ダブルキャストで鳩川七海が主演、笠松遥未がゲストの回。公式サイトの粗筋をもう少し詳しく書くとこうなりますが、展開だけなら7割くらい書いています。SF的なアイディアで人間の葛藤を描いてコンパクトに65分くらいに収めた一人芝居でした。脚本は割と好きでしたし熱演でしたが、演出と役者の力不足で残念な仕上がりでした。

一人芝居といえどもたいていは複数の役が登場して、それはこの芝居も同様です。それを演じるのに役者が切替えることも、一人の役の視点から演じることも、あるいはその折衷もあります。ただ、どのような演じ方にしても一人全役を演じないといけないのは同じです。落語と同じですね。今回は一人の役の視点から演じる脚本でした。そうなると、主人公以外の役を「演じる」難易度は格段に高くなります。舞台には出てこない相手役の背格好、台詞、動き、そういったものを主人公の目線、声の距離感、間合い、反応で示さないといけません。なんなら主人公の役作りよりも優先度が高い。これがまったく駄目でした。

試験の最中に錯乱する仲間を相手にする序盤がわかりやすい例ですけど、銃を構えた仲間に物陰から話し始めるのはいいのですが、身を乗り出すのが早すぎる、主人公が次の台詞を言うのが早すぎる、声の距離感が近すぎるところからずっと同じです。これを演出家が指示するか役者が埋めるかは現場次第でしょうけど、せっかくダブルキャストなんだからもう一人に自分の勉強も兼ねて立たせて稽古すればばよかったのになと思います。それが難しければ人形でもポスターでも置いて稽古すればいい、何なら演出家が相手役を務めてもいい。そこまで稽古でやっていてあの出来なら、もう言うことはありません。

脚本についても割と好きと書きましたが、SFアイディアは設定であって描きたい本筋ではないのはわかります。だからこそ説明をすっきりさせてほしかった。自分で書いた冒頭の粗筋、合っているのかいまいち自信がありません。主人公のオリジナルだけが残されたのか、合格者全員のオリジナル本人が残されたのか。一応後者と判断しましたが、間違っていたらすいません。

スタッフワークで言うと、照明はやりたいことに対して会場が狭すぎたというか、アクティングエリアと客席がはっきり分かれた会場で観たかったです。会場全体が明るくなるような照明があって、ちょっと雰囲気が戻ってしまうことが何度かありました。

これが初演なら再演頑張ってください、なのですが、代表作と書かれているからおそらく再演以上ですよね。公演履歴のページが上手く開けないので確かめられませんけど。となると、うーん、とならざるを得ません。