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2025年1月13日 (月)

ポウジュ「リタの教育」シアター風姿花伝

<2025年1月12日(日)夜>

酒手ほしさに初めての社会人講座を引受けた教授。そこにやってきた美容師の女性は、何とか今の生活から抜出したいと願う。無遠慮な様子に断ろうとしたものの女性の熱意に負けて始めた講座も初めは滅茶苦茶だったが、きっかけを掴んだ女性は少しずつ勉強に目覚めていく。

旗揚公演にして2人の役者で2演目同時上演という無茶な企画の、2演目目の初日。昔観たことがあった翻訳物なのでこちらを観劇。出だしは浮ついていたもののマクベスのあたりから少しずつ乗って来て、終わってみれば役者は素直に演じていたなという感じ。

ただ、役者の出来とは別に仕上がりにどうもしっくりこない点があって、なんだろうと考えていた。

ひとつは演出で、なんだか時制が上手く出ていなかった。序盤から中盤に飛ぶところが急だったり、ラストのラストを考えると序盤でもう少し教授側に歩み寄らせるというか引張り回されるところを出してもよかったのでは。変わるリタに教授も揺さぶられて変わるかどうかが見所のひとつなので。スタッフに関するところで言えば、イギリスだから夏でも寒いのはわかるけど、教授のフランクが終始コートを持っていないのは季節感に目が届いていなかった。

もうひとつは翻訳で、教授が元詩人という設定なので、元は駄洒落というか韻を踏むような台詞が多かったように記憶している。だから翻訳で苦労していて不自然な台詞も残っていたのが以前観た時の感想。今回は不自然さを感じなかったかわりに駄洒落感はごっそり間引かれていた(「る韻(?)」だけはわからなかった、検索してもわからない)。とは言え、それで自然になったかというとまだ不自然が残っていて、具体的には序盤のリタの労働者階級らしいがさつさも抜け落ちていた。

この話はアフタートークでも出ていて、日本の訛りは地方の方言を意味することが多いけどイギリスは労働者階級とアッパークラスとで上下の言葉が違う、窮して今回は標準語(共通語)の中で「わたし」を「あたし」にするなど差をつけたと話していた。ただ悪気はなくともがさつで乱暴な言葉遣いというのもあるはずで、それは日本だと武家言葉と町人言葉とか、山の手言葉と下町言葉に該当すると思うので、小説なら銭形平次とか芝居なら歌舞伎とかからエッセンスを抽出して工夫してほしい。

上下の言葉遣いの差は現代口語演劇の発展で取残された分野ではないかとひそかに考えているので、翻訳に力を入れるユニットらしいから期待したい。

パルコ企画制作「志の輔らくご in PARCO 2025」PARCO劇場

<2025年1月12日(日)昼>

いろんな人がやって来る窓口は応対する職員も大変で「みどりの窓口」。実家の寺を継ぐつもりで故郷に戻ったものの父が元気なら自分は必要ないとわかって市役所勤めを始めた男の無鉄砲な行動力「ローマへの米」。博打に狂った左官の親方、積もった借金をきれいにしてほしいと娘が吉原に身を売ろうとするも、女将の計らいで一年の猶予をもらって大金を手にしたが「文七元結」。

新年吉例。「みどりの窓口」は聴いたことがあったけれどもやっぱり面白い。「ローマへの米」は細部はともかく実話だけれど、家に帰って検索してわかったのは故郷に戻る前の前職で、それは行動力もある人だろうなと。そしてたまに見かける話の元がこれだったかとようやく知った「文七元結」。どれもよくできている。幕間の映像だけは、笑わせようとして一部ネタを入れていたんじゃないかと思うけど、客席全員信じていたみたいなので笑うか迷った。でもパルコが2位なわけないだろうと思う。

聴き終わって、1本目はともかく2本目と3本目はいい話に寄せてきたなと感じたけれど、それは終わりに志の輔が話していた。去年1年のあれこれをどうまとめようか毎年うんうん唸ってようやく形にするのがこの1か月公演、昨今のひどい世の中を考えると何とかなってほしい。それは自分にはよくわかって、昔の世の中だってひどいことはたくさんあったけど、それだからこそそれ以上に世の中捨てたもんじゃない話もたくさんあったんだという話。昨今は下は余裕がなくて、余裕があるはずの上は狡すっからい考えが目に付いて、神も仏もあるものかと言いたくなる世の中だからこその演目選定かと。