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2025年12月30日 (火)

2025年下半期決算

恒例の決算、下半期分です。

(1)R Plays Company「海と日傘」すみだパークシアター倉

(2)ホリプロ主催企画制作「ピーター・パン」東京国際フォーラムホールC

(3)松竹主催「八月納涼歌舞伎 第3部」歌舞伎座

(4)はぶ談戯「JULIO」駅前劇場

(5)パルコ企画製作主催「人形ぎらい」PARCO劇場

(6)(7)松竹主催「菅原伝授手習鑑 昼の部夜の部(Aプロ)」歌舞伎座

(8)神奈川芸術劇場プロデュース「最後のドン・キホーテ」神奈川芸術劇場ホール

(9)パルコ企画製作「ヴォイツェック」東京芸術劇場プレイハウス

(10)ネルケ×悪童会議プロジェクト「絢爛とか爛漫とか(絢爛チーム)」新宿シアタートップス

(11)東京舞台芸術祭実行委員会主催「Mary Said What She Said」東京芸術劇場プレイハウス 

(12)新国立劇場主催「焼肉ドラゴン」新国立劇場小劇場 

(13)(14)(15)松竹主催「義経千本桜 第一部第二部第三部(Bプロ)」歌舞伎座

(16)文学座「華岡青洲の妻」紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

(17)EPOCH MAN「我ら宇宙の塵」新宿シアタートップス

(18)ほろびて「光るまで」浅草九劇

(19)二兎社「狩場の悲劇」紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

(20)松竹主催「吉例顔見世大歌舞伎(夜の部)」歌舞伎座

(21)劇団☆新感線「爆烈忠臣蔵」新橋演舞場

(22)阿佐ヶ谷スパイダース「さらば黄昏」小劇場楽園

(23)KAAT×城山羊の会「勝手に唾が出てくる甘さ」神奈川芸術劇場中スタジオ

(24)新国立劇場海外招聘公演「鼻血」新国立劇場小劇場

(25)劇団四季「恋におちたシェイクスピア」自由劇場

(26)松竹主催「十二月大歌舞伎 第三部」歌舞伎座

(27)TBS/ホリプロ/ATG Entertainment主催「ハリー・ポッターと呪いの子」赤坂ACTシアター

(28)ゆうめい「養生」神奈川芸術劇場大スタジオ

以上28本、隠し観劇はなし、すべて公式ルートで購入した結果、

チケット総額は 306600円
1本あたり(チケットあたり)の単価は 10950円

となりました。上半期の18本と合せると46本で

  • チケット総額は 477500円
  • 1本あたりの単価は 10382円

です。なお各種手数料は含まれていません。また、下半期も映画館での芝居映像見物はありません。

上半期はぎりぎり超えていなくて、下半期はチケット単価が10000円を超えて、通年でも超えました。歌舞伎をまともな席で観たのが大きいです。初めは通年ではぎりぎり超えていないと思っていたのですが計算間違いをしていて、計算しなおしたら超えていました。上半期と下半期の両方で超えることも近いでしょう。

なお「チケットの手数料について2題」と題したエントリーを書いたばかりなので、せっかくだからチケット手数料も集計してみました。

  • チケット購入手数料(通年) 15142円

でした。手数料のない当日券芝居もあれば、キャンセル流れを抑えて通常よりも手数料がかかったものもあるので、1件あたりの手数料には幅がありますが、ざっくりと3%上乗せと見てよいでしょう。単価の高い芝居が多かったので3%で済んでいます。件数も総額も多いので、この手数料がなければあと1本か2本は芝居を観る金を捻出できる額が手数料に消えたとも言えます。慣れていくしかありません。

上半期に続いて下半期も演目なり団体なりを「一度は観たい」と「もう一度観ておきたい」がテーマでした。(1)(2)(3)(6)(7)(10)(12)(13)(14)(15)(16)(17)(18)(21)(23)(26)(27)(28)です。加えて「まだ行ったことのない劇場にも行っておきたい」という裏テーマもありました。ほぼ重なりますが(1)(2)(18)(22)です。これだけ観てもなお、見逃して先送りになった芝居が何本かありますが、いろいろ観られてすっきりしました。歌舞伎とかシェイクスピアのような古典は、有名どころはこれからもなるべく一度は、できれば通しで、観るようにしたいです。

寸評ですが、さすが野田秀樹の再演の(3)、文楽の可能性を広げる三谷幸喜の(5)、自身のキャリアとこれからの決意をドン・キホーテに託したKERAの(8)、評判に偽りなしの四演目だった(12)、周年公演で全力を尽くした新感線コンビの(21)、怪しい雰囲気を振りまく(23)とベテラン脚本演出家勢が大活躍する中に、若い染五郎に刮目した(26)、脚本の力を見せてくれた何度上演されているかわからない(10)、脚本演出役者に加えて美術にも力を入れて圧倒的な完成度を見せてくれた(17)(28)でした。

ここからひと搾りすると(3)(8)(12)(17)(23)(28)になります。さらに搾って(8)(28)となりますが、下半期の1本には(28)を挙げます。これを観る前は(8)が今年の1本のつもりでいましたが、(28)を観たらああ今年の芝居はこれで締めていいと思える、それだけの完成度がありました。あれが駄目な出来ならもう1本挑戦、またはNTLiveを観に行っていたことでしょう。

ちなみに、ひと搾りしたあとの6本中では(8)と(23)だけが新作で残り4本が再演以上のものですが、小劇場の利点を生かして初演から極力早く再演に持ってきた(17)(28)の制作手腕は褒められてしかるべきです。またこの6本中半分が神奈川芸術劇場の上演で、集客はいまいちなようですが近頃気になる芝居が多いのです、長塚圭史が芸術監督をやっている間は関東の人たちは気にしておく方がよいです。

2025年振返りです。先に芝居の中身についてですが、ここ数年感じることとして、上手い。一度は観たい芝居を優先したので何が何でも上手とは言いませんが、現代口語演劇の洗礼を受けた世代の中に「おっ」と言える水準の役者が何人もいましたし、それを見て影響を受けた人もいるのでしょう。脚本の台詞や構成、演出の目標、その他いろいろ、商業演劇とタメを張るか下手な商業演劇以上という芝居を見かけました。上半期もありましたが、下半期だと(17)(18)(28)です。できる人たちの水準が昔よりも明らかに上がっています。

一方で、古典の上演については肩透かしが多かったです。着物髷物と言わず、明治の築地小劇場以来の西洋古典以来、積重ねられたはずの技術を観る機会が足りなかった。そういう芝居をあまり観ていませんし、その手の技術もしっかり身に着けたのだろうなと思わされる役者もいましたが、全員が全員そうではない。そもそも現代口語演劇自体が、現代口語で書かれた脚本を元にしています。古典には古典として残るだけのことはある台詞の重さがあって、それは現代口語演劇でさらっと言えばいいわけではなく、かみ砕いて肚に響く声に乗せないといけない。

両方あるのがいいと思うのですよね。平田オリザが現代口語演劇を目指したときは不自然な翻訳語に、唐十郎や野田秀樹が出てきて小劇場ブームが始まるころですが、唐十郎や野田秀樹は詩的な脚本と台詞なので、不自然さでは翻訳語とどっこいどっこいです。そこに現代口語演劇が出てきて、しかも本を書けるほど方法論がはっきりしていたので、そちらに向かう人が増えた。その人たちが堂々たる古典に臨む機会があればまた違うのかもしれません。新国立劇場のシェイクスピアシリーズ、新劇系と現代口語演劇の申し子たちを半々くらいでやってもらえないものでしょうか。

それにしても小劇場に何が驚くといって、脚本家兼演出家、たまに役者もやる人が、この時代になってもまだまだ出てくることです。新劇系だと文学座は演出家が湧いてくると言われているそうですが、何なんでしょうねこの生命力は。「日本文化はフィルタリングシステムという話」という引用ばかりのエントリーを思い出しました。佐々木俊尚の文章を再引用すると以下です。そういうことなんでしょう。

 しかし日本文化はそういうノイズに塗れた中から、秀逸なひとにぎりのクリエイターを生み出してきた。そういうフィリタリングシステムを作り上げてきたのである。全員が力をそろえてひとつの構造を作り上げるのではなく、バカや暇人が好き勝手なことをやってただコンテンツ消費をしているだけの中から、フィルタリングしてわずかひとにぎりの天才クリエイターを生み出すというただそれだけのことを、日本文化は綿々とやってきたのだ。

その一方で、誰が見ても古典の分野である文楽は三谷幸喜に脚本演出を頼み、歌舞伎は次世代への代替わりに備えて急ぐ。その中でも大看板を引受けているなと考える筆頭が勘九郎七之助ですが、これはご存じ勘三郎と野田秀樹との間で現代的な演出に応えることを求められたり、宮藤官九郎を呼んだりと、現代的な要素をたくさん吸収した上で古典にも臨んで、成功している。もっと若手だと染五郎でしょう。

当たり外れは芝居の常ですが、とにかく演目だけを見れば、いい芝居の予感を手にする目と耳と鼻を持っていれば、今の日本の芝居業界は百花繚乱です。古典と現代の融合も、あと10年くらいしたらもっと進んでいるかもしれません。

とは言え、業界事情はいろいろです。

まずはパワハラの話。去年は「2024年の公演中止のいろいろ」というエントリーを書きましたが、今年は演出家が関わる2件がありました。上半期の「主宰に愛想を尽かして演出家が逃げて公演が中止になるという珍しいケース」では演出家が現場のパワハラを見て自分から降りたケース、下半期の「佐藤信が演出降板」では演出家自身がパワハラ認定されて降りざるを得なかったケースです。こういう話が今後も出てくるか、あるいはこれが広まってパワハラが減ってくるか、あるいはセクハラその他のハラスメントも対応が進むか、どうなるでしょう。

ただしハラスメント反対という話とは別に、そもそも面白い舞台を創れてなんぼというのが芸能界です。清く正しく美しくても、出来上がった芝居がつまらなかったら意味がありません。それは2024年に「人格より前に能力と魅力が求められる業界の話」と書きました。ハラスメントの駆逐と創造性の維持向上が芸能界で両立可能なのか、引続き追える範囲で気にしたいと思います。

次に制作側の話。「劇場休演日を初日に指定する大ポカで公演日再設定」や「抽選販売でほぼすべてのチケットが当選して抽選のやり直し」といったミスがありました。前者はパルコがやらかして、後者はチケットぴあがやらかしました。大手にしてこれですから、人手が足りないか、この手の失敗をカバーしていたベテランが退職してノウハウが一時的に足りなくなっているか、そのような話が連想されます。

一方で上半期には「輸送中の事故からのショーマストゴーオンその2」という事故もありました。人が無事なのは何よりですが、いろいろ大丈夫かと心配になります。

それとチケット代。去年に引続き値上がりしています。業界側から見た表現なら値上げ転嫁が順調とでも呼ばれるところでしょうか、私が考えていたよりも値上がりのペースが早いです。物価高が続いていて背に腹は変えられないところでしょうか。日本の芝居は短ければ3日、長くても数か月で次に移るので、値上げしやすいのでしょう。代わりに昼と夜、平日と土日祝日、子供や学生向け、など1つの公演に複数のチケット価格帯を導入しています。そのあたりは座席の違いと合せて「座席と上演時間帯によるチケット代の値段差の実例」、あとは「チケット代から予想する舞台の出来について(2025年末版)」をまとめました。後者を書きながら、近頃チケット代が出来の指標として役に立たなくなってきているなと気が付きました。

パワハラの件、制作のミスや事故、チケット代の値上がり。この3件は奇しくもそれぞれハラスメント防止、ベテラン退職と人口減による人手不足(推測ですけど)、物価高といった社会の大きな動きを反映した出来事でした。芸能界といえどもこのレベルの社会の変化とは無縁ではいられないということがわかります。だから2026年も似たような出来事が起きると予想します。

2026年にもうひとつ何かあるかもしれないとしたら、戦争ですね。起きるなら2027年ではないかと言われていましたが、最近騒がしいですからね。全力で回避してほしいです、世界が。

最後に個人的な話です。夏から後に体調を崩して、年末2か月は完全に駄目でした。なのにここに観たい芝居が固まっていたので、慣れた趣味に逃げて体調が駄目でも精神的には何とか保とうと自分で自分に言い訳しながら観ていたのですが、これがまた体力を使うことに跳ね返ってあまり上手くいきませんでした。チケットを前売で買った芝居がなかったら観る芝居はもっと減っていたでしょう。

これが20年前なら週末の疲れを平日で癒してみせるとうそぶいていられたのですが、さすがに無理で12月は芝居を減らして対応することになりました。ブログを書くのもなるべく短くまとめようとしたのですがこのエントリーを書くために見返していたら記載ミスがたくさん見つかりましたし、短く書くために考える時間を余計に使ってしかもあまり短くならないという散々な結果でした。暇ネタは書く気力がなくて、でもここで書かないと忘れるからと年末に掃除をしながらまとめて書いたら、結局掃除が疎かになりました。

昔と同じようにはいきません。いろいろ変わるんです。それに対応することが求められます。大は社会の変化から、小は自分の体力低下まで。1年前にも書いたことですが、それを思い知らされた年末でした。

観る本数をもっと減らすはずで、上半期は少し抑えられましたし、下半期も夏までは抑えられたんですが、年末のラッシュを上手く乗りこなせませんでした。ここは反省です。ただ、だからこそ(28)を観られた面もあります。数をこなさないと出会えないんですよね、いい芝居は。そういうことがあると反省が足りなくなるところを反省しないといけません。

昔なら上演が始まってから評判がよさそうなら観に行っていたのですが、今時は面白い芝居は土日祝日どころか平日も前売完売、そんな芝居の当日券は行列先着順ではなく前日電話予約が必須、だから見込みでチケットを押さえる必要があると思ったらリセール禁止。これで買ったチケットのおかげで芝居を観に行く元気を搾り出せたのか、長い目で見ると体調を悪化させた呪いなのかはわかりません。

そんな昔の当日券派時代は小劇場ばかり追ってきたので、それは今になって役者や脚本家や演出家から芝居の出来を見極める役に立っています。ですが演目を考えると、定番名作や古典の観劇経験が足りていないので、体力が少しでもあるうちに観ておきたい。

ただ、体調悪化と芝居ラッシュで、芝居以外に今年やりたいと考えていたことが夏以降に止まってしまったので、そちらを復活させるために芝居の本数の折合をつけないといけなくて、これが未だにまとまっていません。来年の課題です。

ブログはどうするかと言えば、雑でも短くても、暇ネタが減っても、観た芝居の寸評を書くことは続けたい。金のためでもない、誰のためでもない、何のためだかわからない、ここはそういうブログです。ああでも、芝居の寸評は木戸銭を払った一観客の立場から誠実に、そして内容は雑でも文章は丁寧でありたいです。目標ですけど。

引続き細く長くのお付合いをよろしくお願いします。

2025年12月21日 (日)

ゆうめい「養生」神奈川芸術劇場大スタジオ(若干ネタバレあり)

<2025年12月20日(土)夜>

とあるデパートでイベントの設営撤去の夜間バイトに通う大学生。1人は美大生、もう1人は普通の大学生。バイトに来る予定が入っていたはずの美大生の友人はバックれたらしい。バイトをまとめる正社員はバイトへの当たりがいつもきつく2人からは嫌われている。その10年後、卒業後にそのデパートに勤めて設営撤去を行なう部署で働いている2人だが、新人社員とのやり取りに苦労している。そのクリスマスの晩、大きなツリーを撤去して次に展示されるのは、あの日バイトをバックれて、その後に成功した美大生の友人の作品展だった。

たしか評判が良かったはずと調べたら読売演劇大賞受賞作の再演、ちなみにその前作が岸田戯曲賞、とあって一度は観ておきたくて選択。期待をはるかに超える出来で、受賞も納得の1本でした。

劇場に入ると舞台美術を眺められるようにぐるっと裏を回って客席に誘導されて、その舞台美術の説明を当日パンフで読んだところから、本橋龍が演じる主人公の美大生による再説明、そこから芝居の世界に飛込んでクリスマスの晩のバイトが始まる、この一連の流れからお終いまで、何ならタイトルまで、一切の無駄なし。ここで終わりかと思ったところからもう一度展開させて締める構成は完璧でした。

登場人物の描き方も工夫があります。気が立っていてバイトや新人社員にきつく当たる責任者も、仕事に限って言えば当たりがきついだけで間違ったことは話していない。ただし夜勤の多い仕事柄、家庭の側に問題を持っていく。それに反抗する新人社員が芸術全般に吐く毒も、一面正しい。そんな中に、明らかに正しくない言葉が不意に混じって主人公を傷つけるあの匙加減と、そこで飲み込んで事を荒立てない主人公だからこそ連絡をもらったときの話が生きるし、ラストも生きる。

ちなみに芸術全般への毒の台詞の中に、人の不幸を搾取して作品を作っている(大意)という言葉があって、おそらくこの芝居は体験談はあってもモデルはいない作り話だと思いますが、仮にモデルがいたとしたらその言葉が当てはまるような作品内容です。そして芸術にはたしかにそのような要素があって、だからこそ芸術という営みが人類の歴史で続いているとも言えます。もっとも、それについてどこまで自覚的であるかは問われると思いますが。

役者3人で演じていましたけど、主人公を演じた本橋龍、仲間を演じた丙次、上司の正社員と新人社員の2役を演じた黒澤多生、本当に近頃の役者は達者ですね。再演で慣れていたのもあるでしょうが、芝居に求められる役をきっちり見せていました。切替の早さも含めて抜群でした。現代口語演劇が上手な若手の役者って切替の早さも得意な人が多い印象がありますけど、役作りのメソッドが違うのか、古典よりも脚本が役者に近くて楽にできるのか、どうなんでしょうか。

照明と音響もしっくりきていましたが、今回のスタッフワークの主役は脚本演出家が考えた美術。あのチープな舞台美術が縦横に駆使されて、終わってみればチープからシンプルへと変わって見えるのは、出来上がりが固定した作品の芸術である美術と、人間が演じて客が観て完成する表現の芸術である演劇との違いでした。初演はスズナリだったそうですが、天井が高く、むき出しだと案外無骨な神奈川芸術劇場大スタジオにもよく合っていました。

アフタートークは芝居と関係あったりなかったりする話が繰広げられましたが、面白いところは文字に残すのがはばかられるような内容なので割愛します。千秋楽以外はチケット全然余裕らしく、この回もたぶん6割くらいしか入っていませんでしたけど、近頃珍しく2時間を切る芝居でもありますし、近郊の人は初演を観ていない人なら年末の締めの1本にいかがでしょうか。

2025年12月14日 (日)

TBS/ホリプロ/ATG Entertainment主催「ハリー・ポッターと呪いの子」赤坂ACTシアター

<2025年12月13日(土)夜>

ハリー・ポッターたちが闇の者たちと戦って二十年以上経った。ハリーとジニーの息子であるアルバス・ポッターは魔法学校に入学するが、魔法省長官で忙しくまた世界的に有名な父とは折合が合わない。あまり魔法が得意ではなく、学校の寮選びで評判の悪い寮に入ってしまったアルバスは、かつて父同士が仲が悪かったマルフォイの息子、スコーピウス・マルフォイとだけを友人として過ごす。そうして4年生になったある日、休みで家に戻ったアルバスは、かつて父と共に戦い亡くなった息子セドリックを取り戻すために時間をさかのぼる道具を貸してほしいと頼みに来た老人の話を立ち聞きしてしまう。その老人を追返した父に反抗し、スコーピウスと、老人の付添いに来ていて知合ったデルフィーと企んで、セドリックを助けるために過去にさかのぼる。

気にはなっていのですが、あれだけ有名なのにハリー・ポッターの映画も小説も観ていなかったので、小説くらいは読んでから出かけようと先送りしていた芝居です。せっかく買った小説も第2話の途中で挫折していたのですが、2026年一杯で終演するとのニュースが流れたので今のうちにと観劇に。

第2話まででも読んでおいてよかったですね。ハリー・ポッターは幼いころに両親を殺されて魔法学校に入るまで親戚の家に預けられて虐げられながら育ったとか、魔法学校の寮の組分けでスリザリンが悪い寮とされているとか、マルフォイは確か悪い側の1人だったなとか、女子トイレに嘆きのマートルがいるとか、暖炉を通って移動するとか、後日譚なので原作世界を踏襲した設定がたくさんあります。本筋だけ追えば有名すぎる有名人の親子の葛藤を描いて「呪いの子」というタイトルが最後の最後まで効いてくるのですが、原作がそれなりに長く、マントを羽織った観客もいたくらいですから原作ファンサービスも欠かせないのでしょう。原作の話題を律儀に拾っていそうな(だから原作を読み終わっていない自分にはネタバレなのだろうなと思われる)場面がたくさんありそうでした。

だから公式3時間40分ですが、劇場出たタイミングで3時間50分で、それでも駆足の上演という印象を受けました。キャスティングが多いので一応後日のメモ。ハリー・ポッターが大貫勇輔、ハーマイオニー・グレンジャーが奥村佳恵、ロン・ウィーズリーが関町知弘、ドラコ・マルフォイが姜暢雄、ジニー・ポッターが吉井怜、アルバス・ポッターが福山康平、スコーピウス・マルフォイが浅見和哉、デルフィーが高山璃子、マクゴナガル校長が白木美貴子の回です。

そしてハリー・ポッターなのだから、1つは魔法を舞台でやってみせるのが見所です。空を飛んだり、飛ばされたり、物が勝手に動いたり、火が出たり、吸い込まれたり、別人に化けたり、まあ忙しい。どれだけ腕前があっても運動神経の悪い役者はお断りされる芝居です。それなりに舞台機構も作りこまれているのでしょう。さすがロングラン芝居でした。

あと内容に関係ありませんがチケット料金は注目です。7種類もの細かい席割で高い席と安い席の差を思いっきり設けているのに加えて、近頃流行りの平日昼、土日祝日昼、夜の3種類でも料金に思いっきり差を付けて、さらに子供割引もあります(あとはラッキーチケットでもっと安く買えることもある)。チケットを買ったときには気付かずにスケジュールの都合だけで買ったのですが、これが夜公演で安い日程に当たったたためか、昨今見ないくらい若い人と家族連れで大賑わいの回でした。これはまとめられるものなら後でまとめたいですが、芝居制作者側の人はよく確かめておくといいです。

<2025年12月28日(日)追記>

座席と上演時間帯によるチケット代の値段差の実例」と題して書きました。

松竹主催「十二月大歌舞伎 第三部」歌舞伎座

<2025年12月6日(土)夜>

大店の番頭に囲われているお富が、雨宿りしている顔なじみの番頭を連れて家に戻ると、強請目当てでやって来たのは蝙蝠安と与三郎。かつての色男もお富を逃がした見せしめに身体中が傷だらけで強請の手伝いをする毎日。そこでお富に顔を明かした与三郎が詰寄るところに「与話情浮名横櫛 源氏店」。大きな国を総べる大王が病がちになって、二人の王子であるヤマヒコとウミヒコに命じたのは永遠の命を得られるという火の鳥を捕まえてくること。長い旅路の果てにようやく捕まえたかと思ったのだが「火の鳥」。

「与話情浮名横櫛」は前に通しを観ていたので「源氏店」だけでも筋に迷うことはありませんでしたが、それがなかったらここだけ切出すのは不親切と考えたところでした。玉三郎のお富に染五郎の与三郎で、話題の組合せと芸の継承を急いだのでしょうか。玉三郎はさすがでしたが、染五郎は悪さと色っぽさとを兼ね備えた役はまだまだ苦手そう。強請仲間の蝙蝠の安五郎を演じた松本幸蔵の下手から強気まで幅広いところが目を惹きました。

「火の鳥」は壮大なロードムービーとでも言うべき仕上がり。物語の筋立てで言えばやや性善説というか、人類と地球の対比というか、正直に言えば20世紀の楽観が残ってやや古い世界観ではないかとは感じました。あと脚本の言葉選びももう少し大和言葉に寄せてほしかった。ただし、歌舞伎座の素舞台をさらけ出したり、あの広い舞台いっぱいの幕に映像を映して後ろの舞台と合せて長い旅を示してみたり、そこに長く厳しい旅に相応しい音楽を流したりと、昨今は忘れ去られたようなスケールの大きさはさすが玉三郎でした。火の鳥を演じたのも玉三郎ですが、ああこれは玉三郎でないと成立たないだろうなと思い知らされました。

で、兄王子ヤマヒコを演じたのが染五郎なのですが、これがものすごく格好いい。高麗屋と言えばニンは三の線と勝手に思っているのですが、父である大王のために弟を連れて長旅を目指す責任感と真っ直ぐな心を衒いなく出して行動する主人公感が、そして殺陣の立ち回りが、ものすごくいい。客席を歩くサービス(兼場面転換の時間稼ぎ)もあって割と近くでも観られましたが、顔も整っていました。「源氏店」の与三郎よりは現代っぽさのある2枚目が得意なんでしょうか。これは「阿修羅城の瞳」も「阿弖流為」も待ったなし。松竹はここで全突っ張りするべきです。

そして病がちな割に妙に目を惹いた大王が誰かと思ったら中車でした。いろいろあって謹慎から少しずつ慣らしているところで、報じられた話は褒められたものではありませんが他の役者のもっとひどい所業に比べるとまだまし。そして上手なものは上手。

これが歌舞伎かと言われると迷うところですし、先にも書いた通り不満も目につくのですが、観終わってみれば結構良かったという感想です。それは夏の初演を経て再演でこなれていたのもあるでしょうし、何と言っても玉三郎に加えて染五郎と中車を得られたのが大きい。このタイミングで一度は観られてよかったと満足しています。

劇団四季「恋におちたシェイクスピア」自由劇場

<2025年11月30日(日)昼>

金に困って次の作品のための前借が積重なっているシェイクスピアだが、同業の友人の筆が絶好調なのに反して次回作に行き詰っている。ある日、以前書いた芝居が女王の御前で上演され、それを見に来ていた裕福な商人の令嬢ヴァイオラが観劇し、シェイクスピアにあこがれ、その芝居に出演することを夢見るものの、女性が役者をすることが禁じられた時代である。思い余った令嬢は、まだ何もできていない次回作のオーディションが開催されると聞き、男装してオーディションに潜り込む。それに目を留めたシェイクスピアが書き始めた脚本は、興行主の注文からどんどんと外れていく。

映画原作だけど未見で、その舞台化。日本では劇団四季が今回で再演。「ロミオとジュリエット」の舞台が出来上がるまでのシェイクスピアとヴァイオラの関係を「ロミオとジュリエット」になぞらえて、あれこれと障害を設けて乗越えて、まあよくできた脚本です。「ロミオとジュリエット」を知っている方が楽しめますが、知らなくても楽しめます。

シェイクスピアが武藤洸次、ヴァイオラが川田菜々子の回でしたが、見目と声の張りと身体が良く動くことはよかったです。個人的には主人公の2人は、特に後半は、もう少ししっとりとしていた方が好みでした。そこは開幕間もない日程だったからではなく、「ロミオとジュリエット」原作で若い2人が突っ走るところを今回の主人公の2人にもあてはめた演出だったのかなと想像します。その分周りで、女王役の佐和由梨、あとマキューシオを演じた看板役者はネッド役でいいのかな、それだと長友デビッド洋輔、あとは役名も役者名も不明ですけど、チャンバラの稽古を付ける役だった人が物腰が終始きびきびしていて目を惹きました。

どきどきしてめでたしめでたしの話なので芝居初心者にはお勧めできますが、すれたベテラン観劇者にはチケット代を考えるとちょっと、という感じの仕上がりです。昨今の値上がりを考えると高いとまでは言い切れませんが、公演後半でどのくらい馴染んでくるかです。

観終わってロビーの役者スタッフ表を眺めていたら、映画原作はトム・ストッパードが共同脚本だと今さら知りました。脚本家なんだから映画の仕事をしていたって不思議はないのですが、こんなエンタメど真ん中な仕事もしていたのは発見だと頷きながら家に戻ったらちょうど訃報を目にしました。そういう巡り合わせもたまにはあります。

2025年11月23日 (日)

新国立劇場海外招聘公演「鼻血」新国立劇場小劇場

<2025年11月22日(土)夜>

両親は日本人だが父親の仕事の都合で日本とアメリカを行ったり来たりして、今はアメリカで暮らすアヤ。自分のアイデンティティが定まらないのは日米を行き来していたものの家族とはろくに話をしなかった父親のせいだと考えている。その父親はだいぶ前に亡くなったが、家族は葬式もせず墓も作らなかった。そんな父のことを今あらためて思い返す。

1人複数役ならぬ複数1役というか、脚本演出のアヤ・オガワが父親を演じて、他の役者がアヤと他の役を演じる。日本語と英語がちゃんぽんで出てきますけど、そこは字幕があって、英語の台詞では日本語の、日本語の台詞では英語の字幕を出してくれるのでわからないところはありません。

さすがアメリカで作った芝居なだけあって演技はしっかりしたものですが、それよりは構成の繋げ方や展開のスピーディーさがどことなく日本の小劇場を思い起こさせます。終盤以外は地明かりだけで進んでそれでいて緊張感を途切れさせないところは青年団さながらですが、どんどん場面転換していくところは野田秀樹以来の小劇場です。観客参加場面も織り交ぜつつ、色々考えた結果としてのエンディングにたどり着いたあのエンディングも小劇場感があります。

よくできた芝居だったのですが、家族との確執という点では日本の現代小劇場指折りの傑作であるハイバイの「て」があります。あちらはまだ生きている父との話、こちらはすでに亡くなった父との話でアイデンティティも絡めて、とやや違うところがありますから上下優劣を付けられるものではありません。ただ、デジャブというか、初見ならではの驚きには欠けたのが惜しいです。

築地小劇場以来の翻訳劇、それ以来の新派というか劇団芝居、唐十郎や野田秀樹から現代口語演劇まで連なる小劇場の新作群、そして歌舞伎や宝塚といった日本固有の芝居。日本の芝居の百花繚乱の前にはインパクトは弱かった。日本の「アヤ・オガワ」が「おがわあや」としてアイデンティティに悩まずに日本で演劇を続けていたらどういう「鼻血」が生まれただろうかと帰り道には考えました。

KAAT×城山羊の会「勝手に唾が出てくる甘さ」神奈川芸術劇場中スタジオ

<2025年11月22日(土)昼>

ご近所付合いで仲の良い中年男性3人が、近所で歌を習っている。しばらく先の発表会に備えて練習しているオリジナル曲は、伴奏する教師の弟である詩人が作曲した。何とも不思議な歌詞は知合いに作ってもらったという。どうやらその知合いは年上の人妻で、弟が入れ込んでいるのを姉の教師が心配している。3人が詳しいことを知りたいと問うても詳しいことは語らない。そこに仕事の連絡が入って1人が抜けたところで、近くを通りかかったからと女性がやって来る。どうやら作詞をした女性らしい。

役者は多かれ少なかれ(ハレではなく)ケを持っているものだと思いますが、ケが強い役者のケを前面に押出して、馬鹿話と艶話との間を綱渡りしながら笑わせる手際はさすが。役者では作詞をした女性の松本まりかのあざとい演技と、詩人の中山求一郎のころっと変わる様子はいい感じなので記録しておきます。

ネタバレすると悪いので細かいことは書きませんが、城山羊の会2回目にして、癖になる作風です。

2025年11月16日 (日)

阿佐ヶ谷スパイダース「さらば黄昏」小劇場楽園

<2025年11月15日(土)夜>

過疎に悩む村の駐在所。定年間近の年配の警官は村の女性とこれから結婚して故郷の北海道に間もなく戻るところで、若い警官は村の女性とこれから結婚を控えているものの村の住人から結婚式の前に村を練り歩きをしろと言われて頭が痛い。そんなある日、村の若者が車に引かれそうになって怪我をし、若い警官は石を投げられて怪我をする。物騒な事件が続いたあとで、住人の1人が気になる話を持ってくる。昔、村で事件を起こした男が出所して戻ってくるために準備をしているらしい。

Aキャスト。田舎の村を舞台にそこに暮らす人たちの葛藤と、それで穏やかな日々が揺らぐ危機を描く、昔の映画にありそうなテイストの芝居。最後はすっ飛ばして観客に任せ過ぎではないかと思わないではないものの、描きたいのは葛藤の方だったのだろうなとは察する。

中村まことがちょっと雰囲気を出しすぎで、昔の話を知っている中山祐一郎や長塚圭史や村岡希美との温度差が開きすぎな気もしないでもないけど、そちらのベテラン勢があっさりしすぎな気もして判断に迷う。怪我をした若者の母親の志甫まゆ子が好演。若い巡査を演じた大久保祥太郎と、怪我をした若者の本日Aキャストの宮崎柊太もいい感じだけど、いっそ芝居がうっとうしくなるくらいまでもっとやってもいいのになと思う心がある。稽古で一度芝居を壊すくらいはちゃめちゃに色々試しておいてほしい。

劇団☆新感線「爆烈忠臣蔵」新橋演舞場

<2025年11月15日(土)昼>

天保時代。元役者の父に山の中で育てられた娘は、江戸で役者になる、忠臣蔵で大星由良之助を演じる、そして大看板役者になることを夢見て江戸に出てくる。だが女性が舞台に立てない御法度が出てから久しく、また天保の改革を前に歌舞音曲に目を付けられたくない小屋主たちも認めない。そんな中で女性も出ている闇芝居があるとこっそり教えられて連れて行かれたのは、無宿人が集まる島だった・・・。

芝居やミュージカルの有名な演目、サブカルというほどサブでもない有名な漫画やアニメ、そして新感線について、知らなくても楽しめる、知っていればなお楽しめる、これでもかと詰込まれた脚本は劇団員が集まった中途半端な45周年に相応しい内容。最後はスペシャルゲストに任せ過ぎではないかと思わないでもないものの、そこまでのハチャメチャを考えれば許される。

内容を云々するのも野暮なので役者寸評。主人公まで劇団員で欲張らずに小池栄子を連れてきたのが好判断で、カーテンコールで駆けてきたときの笑顔に文句なしの拍手。元劇団員の橋本さとしは出番多数のおいしい場面多数で商業演劇での活躍多数に恥じない出来で、右近健一とのデュエットで美声を無駄遣いする場面はこの日一番のお気に入り。もはや劇団員の早乙女太一は相変わらず切れのいい殺陣を馬鹿衣装と一緒に披露してさすが。高田聖子と粟根まことが本格演技と馬鹿演技の切替を見せるも、どれだけ真面目にやっても小劇場新感線を失わなかった(褒め言葉)のは羽野晶紀。その分だけ他との絡み控えめで終わってしまった橋本じゅんが惜しい。タッパ高くて顔よしの向井理は顔が小さすぎて髷が似合っていないものの二役こなして活躍。そして古田新太はそれなりの役なものの出番控えめにしたのは正しい判断で、身体が動かなくなったのでは致し方なし。他は侍姿と芝居が妙に様になっていた世直隊長の川原正嗣と采女家臣の武田浩二を挙げておく。

あとは本筋とは関係ないけど、歌舞伎の見得を切る場面であれだけの役者がそろっても歌舞伎役者のように見得を切るのは難しいのだなとは発見だった。身体を大きく柔らかく使えないといけないのか。

<2025年12月21日(日)追記>

橋本さとしを橋本じゅんと間違えていたので修正。さすがにそこを間違えてはいけない。

2025年11月12日 (水)

松竹主催「吉例顔見世大歌舞伎(夜の部)」歌舞伎座

<2025年11月8日(土)夜>

春駒売りに姿を変えた曽我十郎と曽我五郎の兄弟が父の仇である祐経と対面する舞踊「當年祝春駒」。伊勢で歌舞伎を演じる一座が義経千本桜を演じてまあまあ評判を取っているが、上演のために役者をなだめたり大道具のトラブルに応じたりで舞台裏は大わらわ、狂言作者が振回されている。そこに座元が慌ててやって来る。上演中の義経千本桜は座元が原案を出していたが、実は上方の人形浄瑠璃で上演されていたものを勝手に盗んで上演していたのだが、原作の作者が芝居見物にやって来るという。その場で上演中止などと言われたら大損害なので何とか全力で上演して認めてもらおうと考えるのだが、そう考えない人もいれば、こんなときに失敗する人もいて一層大わらわに「歌舞伎絶対続魂(ショウ・マスト・ゴー・オン)」。

「當年祝春駒」は曽我兄弟ものってこんなに華やかな話だっけと考えながら美しい踊りを堪能。

「歌舞伎絶対続魂」は近年のオリジナル版は観た上で見物。義経千本桜も先月観たばかり。それなりに面白い場面も見所もあるもののオリジナルほどきっちり収まる脚本ではなく、個別個別の場面が独立感が強い。この辺は何度も上演して磨いてほしい。

こちらの不勉強を挙げれば、役者役はともかく、裏方の仕事が何をやっているのかよくわからなかった。大道具と附打と囃子方はわかっても狂言作者と座元と頭取の違いを前知識なしで理解できず。そこに拘らずとりあえず上演しようと頑張る人たちだと見做してしまえばいいと頭では分かるもののそれでは納得がいかない。三谷幸喜の芝居にしてはいささか不親切。

あとは客席。若い雰囲気がしたのは結構。だけど若干のネタバレ込みで書くと、終盤に「義経千本桜 川連法眼館」の場の一部を演じるけど、あの場の観客のノリが良すぎて公演1週間目にしてすでにリピーター多数かと疑われるレベル。ああいうのはこう、巻込まれるような感じで少しずつ盛上がるのが客席は望ましい。

役者寸評。現代風新作初演だと型に逃げられないので役者の役作りの地力が問われるところ、二日酔い役者の獅童がいい感じ。狂言作者の幸四郎は振回されたときの反応がややワンパターンになりがちなのが惜しい。座元の愛之助は何に慌てているのかわからないのでもっと工夫がほしい。あと目に付いたのは少しだけ出してほしい遊女役は、新悟でいいのかな、男女役のややこしいところを整理して上手。白鸚はちょい役すぎてもっと観たい。染五郎は現代風の劇展開はこれから。そしてこの大舞台にまったく負けない大道具の阿南健治と、なぜあそこまで可笑しくなるかの浅野和之は、さすが三谷作品を多数経験しているだけのことはあるし、期待した通りの間でやってくれるのがありがたい。

あまり花道を使わないのと、休憩挟まずの2時間5分で通してくれるのは親切だし、終わるのが8時前なのも遠方の人としてありがたい。ただ夜の部の開演が5時というのは結構慌ただしい。この日は昼に新宿で4時前まで別の芝居を観ていたので移動と食事仕込みで、せっかく銀座に行ったのにぶらぶら歩く余裕もない。歌舞伎だからそこはまあしょうがないとしても、やっぱり土日祝日は1時6時の開演がいい。

<2025年12月28日(日)追記>

リンクがおかしかったので修正。

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