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2019年12月 8日 (日)

Bunkamura/大人計画企画製作「キレイ」Bunkamuraシアターコクーン

<2019年12月7日(土)夜>

日本が3つの勢力に分かれて内戦を続けている時代。死体集めを生業にする一家に、長年誘拐されていたため記憶も知識も欠けている謎の浮浪少女ケガレが保護される。仕事を覚えて色々な人たちと関わるうちに、忘れていた過去をケガレが少しずつ思い出していく。

再々々演ということで初演以来欠かさず観てきて4度目の観劇(再々演)。最初に書いておくとスタッフワークは今回が過去最高。ビジュアル面は予算をかけたのが伝わる衣装美術照明映像に加えてプロジェクションマッピングも若干追加、音楽はオケを入れた以上に音響抜群だったのは劇場設備か音響スタッフの努力か。全方面で質が高く洗練されている。昔はチープなスタッフワークのほうがいいと思っていたこともあったけど、ここまで質が上がるとこっちのほうが絶対いい。

それもあって演出の絵作りが格段に映える。美術の構成はほぼこれまでと同じなのに、その同じ構成で同じ場面をやってこんなにキレイに見えるのかと驚いた。脚本は大筋は変わらないけどやや親切に、歌も追加されていて、役名含めて全体には整える方向で手直しされていた。初演では公演中に長期誘拐の事件が発覚して騒ぎになったけど、昨今の不穏な世情から、今回はむしろ内戦や死体集め稼業などの背景設定のほうがひょっとしてあり得る未来かもと想像させられて、脚本の深さにうならされる。

なのに感想は、役者の違和感も過去最高。ただし下手ではない。断じて下手ではない。だから観終わってからずっと理由を考えていた。以下、とりあえず思いついた仮説。

この脚本は、設定にも展開にも登場人物にも台詞にも小劇場の雰囲気が色濃く反映されている。どれだけ整えても、どれだけ世情とシンクロしても、それは消えないし、消したら別物の脚本になる。だから演出でも演技でも、小劇場の雰囲気が要求される。上手く説明できないけど、物語は物語として遊べるところではネタを仕掛けてくるある種のおふざけ精神だったり、多少強引な展開でも納得させる勢いだったり、ネタはできても真面目な演技は苦手だから頑張るような必死さだったり、そういういろいろが重なってかもし出す怪しさだったり。別な言い方をすると、演出で調整して仕上げないといけない。

だから大人計画のメンバーははまっていたけど(同じ役を経験した役者が多いこともある)、客演陣は脚本どおりのふざけた役をきっちり真面目に作り上げることで脚本と喧嘩した。出ている割合は客演陣の方が高いので、違和感の多い舞台になった。というのが仮説。自分の感想では、客演陣で健闘していたのはカスミお嬢様の鈴木杏で、脚本に真面目すぎたのは青年ハリコナの小池徹平と以外やジュッテンの岩井秀人。あとマジシャンは阿部サダヲだったけど、テンションは高くても健康的な雰囲気で、大人計画のメンバーで唯一違和感があった(もっとも、宮藤官九郎が演じたときでも違和感のあった難しい役ではある)。生田絵梨花/麻生久美子のケガレは健闘していたけど、お互いの同一人物感は前回のほうが上。

公演後半になるともう少しこなれてくるかもしれないけど、4日目6ステージ目の感想はこの通り。あと、今回は公式3時間40分、実測3時間45分で、前より延びているはず。見ていて間延びする場面はないけど、終演時間が気になる人はご注意を。

2019年11月24日 (日)

KAAT神奈川芸術劇場/KUNIO共同製作「グリークス」神奈川芸術劇場大スタジオ(ネタばれあり)

<2019年11月23日(土)終日>

美貌で有名なギリシャの将軍の弟の妻がさらわれたことで始まるトロイアとの戦争の行方「第一部 戦争」。戦争に勝利して祖国に戻るも先祖以来の悲劇が繰返される「第二部 殺人」。あまりにも悲惨な運命に翻弄されて神々への信仰が薄れた世界で生き続ける人たちが見たのは「第三部 神々」。

蜷川幸雄版をテレビで観てから一度は生で観たいと思っていた大作をようやく観られた。音響衣装美術一部役にやや癖があるも本筋は直球の演出。この大作にこの出来は素直に成功とほめたい。観られてよかった。

蜷川幸雄はグリークス上演時の長谷部浩のインタビューに「『女たちが歴史を持続させたんだよな』と思わせられるところがたくさんあります」「ある時代には女性のところへ中心が行くんです。それは間違いのない事実だと思う」と答えていた(ある時代とは「国そのものが滅ぶとき」と長谷部浩は補足している)。今回実際に観てその感想を強くした。それはもう、演出がどうこうできるものではなく、脚本がそう叫んでいる。

そこに加えて今回の演出方針に、人間をもてあそぶ神々は死ね、があった。オープニングから天井に「GODS」の4文字が吊下げられた下で、ギリシャ軍は生贄をささげて得た勝利を神々に感謝し、敗れたトロイアの王族たちは神殿を建て供え物を欠かさなかったのにと神々を呪う。挙句、第三部でトロイアにさらわれたと思っていた美貌のヘレナは実は神が創った似姿(偽者)で、本物はエジプトに飛ばされていたときて、何のための10年戦争だったかとなる。天井の文字は傾き、コロスたちが神を突き放しだす。あれを観たら客席側でもそう思う。

さらにその演出を表していたのが衣装で、今回登場する神々は3人だけど、まともな格好をした神がいない。海のニンフのテティスは比較的まともだったけど演出としては笑いものすれすれ。アポロンは何だお前という格好。アテネは二宮金次郎像よろしく書物を背負って出てくるけど、最後に持っていた林檎は、アダムとイブが食べた知恵の象徴にしてその後の災いの始まりで、今回の物語の悲劇が金の林檎を巡る女神たちの争いから始まったことも考えると、いい意味とばかりには取れない。ついでに神の仲間入りしたヘレネもアポロンと揃いの格好。能舞台を模して松を描いた背景美術は、美術としての効果はいまいち活用しきれていなかった気がするけど、和洋折衷の衣装の成立には役立っていた。

この衣装と対になるのが音楽で、現代風の音楽が入るところは人間側の嘆きまたは賛美にあたっている。この音楽は使い方は賛否あるはずだけど、オープニングとエンディングの正解感を見たら、釣合いを取るためにもありという結論に自分はなった。

多少ひねった演出だったのは予感通りで、でも満足感の高い芝居だった。贅沢を言わせてもらえば、ひねらない王道のギリシャ悲劇演出で、もう少し大きな劇場で、20年後にもう一度演出してほしい。今ならどこの劇場だろう、シアターコクーンよりも東京芸術劇場のプレイハウスかな。

以下雑感。

・地中海の国が舞台ということでサザンの流れる茅ヶ崎の海岸から海つながりで幕を開けるオープニングの力技は茅ヶ崎出身の演出家ならでは。

・第一部一幕。ギリシャ軍がトロイアに出陣するために集結しているが風が吹かない。月の女神アルテミスは将軍のイピゲネイア娘を生贄に要求していると神官は言う。

将軍アガメムノンの天宮良が最初からいい感じ。その妻クリュタイムネストラの安藤玉恵が出だしからネタを背負わされて登場するもそこが過ぎたら貫禄。

・最初は気がつかなかったけど、アガメムノンたち軍隊の衣装が陣羽織風だったり現代風だったりしたのに違和感がなかったのは全員にマントを着せていたからと気がつく。マントを羽織れば統一感が出せると見切った衣装アイディアがすごい。ついでにオデュッセウスの池浦さだ夢も眼鏡をかけているけど気にならないのもすごい。

・第一部二幕。トロイアと戦争中にアガメムノンとの女を巡る争いでサボタージュをきめこんだアキレウス。しかしそれを知った敵軍に味方が押される一方となり、見かねたアキレウスの友人パトロクロスがアキレウスの鎧を身につけて前線に赴く。

ここはアキレウスの渡邊りょうがいい感じ。最後、短時間ながらプリアモスを演じた外山誠二の存在感がアキレウスと拮抗してぐっと場面が締まる。なお文学座の初演で同じ幕にも出た外山誠二はパトロクロスだった模様。

・第一部三幕。「トロイの木馬」を送り込んでようやく勝利したギリシャ軍。王族の女達は戦利品として分配され、王の孫は後の復讐を恐れて城壁の上から突き落とされ、トロイアはギリシャ軍によって破壊しつくされる。

王の妻ヘカベを、新劇もかくやという演技で松永玲子が熱演。その息子の妻アンドロマケを演じた石村みかのたたずまいも素晴らしい。この王族たちに同情をしめす森田真和の伝令タルテュビオスが悲劇を強調する一方、銀のドレスで登場して元夫に取入る武田暁のヘレネのちゃっかりさが、こんな女のために戦争が起きたのか感を強調する(笑)。そして国が滅ぶラストはスケールの大きさを感じさせて第一部の締めにふさわしい。

・ここで休憩30分で観客は一度客席から追い出される。いつもは大ホールでしか開けていない休憩スペースを開放していたのに最初は気がつかなかった。

・第二部一幕。ギリシャに帰る途中で風がなくなり寄港した島でヘカベは、娘を生贄にされて殺される。さらにトロキア王に預けていたはずの息子が殺されて、復讐を計画する。

松永玲子が引続きヘカベを熱演するも、復讐後にガッツポーズが出て、やっぱりこの人は小劇場の出身だと安心する(笑)。そして最後に狂うのをみて衣装に納得する。

・第二部二幕。ギリシャに戻ったアガメムノンを妻クリュタイムネストラが迎えるが、様子がおかしい。カッサンドラは将軍と自分の死を予言する。そして従兄アイギストスと手を組んだ妻が夫に手をかける。

のってきた天宮良と安藤玉恵との間で家に入るまでの押し問答がいい。ここで第一部一幕の生贄の話とつなげて娘の復讐をうたいつつ、実はこの一族が殺し殺されてきた歴史も語られてややこしいところ、手書きの図を配って解説する親切仕様。

・第二部三幕。クリュタイムネストラとアイギストスが我物顔で仕切るなか、父への愛と2人への恨みで冷遇されるエレクトラ。小さいころに他国に預けられた弟オレステスが復讐を手伝ってくれないかと祈るだけの毎日だったが、そこに弟が亡くなったとの連絡が届く。

父の復讐といえども母を殺していいのか、そして母の必死の命乞いにためらう弟とけしかける姉。戦争に勝った甲斐もなくあちこちで復讐が続く、やりきれない第二部の締め。

・ここで1時間の休憩。軽食を予約した人はここで受取って食べる。それにしてもすぐ近所が中華街なのに1時間だと行って食べて戻れない。結局軽食かコンビニになる。

・第三部一幕。トロイアにさらわれていたと思ったヘレナだが、実はそれは神が作った似姿で、本物のヘレナはエジプトに飛ばされて王に結婚を迫られていた。そこにトロイアからの帰国途中に遭難したヘレナの夫メネラオスがたどり着く。2人は一計を案じて脱出を試みる。

テレビで観た内容は全部忘れていたので、この超強引な展開に内心衝撃を受けて、戦争の空しさに心が突然飛ぶ。本物のヘレナも武田暁が演じて、やっぱりチャラい(笑)。ここで脱走を手引きしたエジプト側の女、はっとする声の出せる人で役名がわからなかったけど河村若菜でいいのかな。

・第三部二幕。母を殺した罪でエレクトラとオレステスはギリシャの裁判にかけられる。エジプトから戻ったメネラオスとヘレナは冷たい。死刑を宣告された2人はメネラオスの娘ヘルミオネを人質にとって脱走を企てる。

揉めていたら突然出てくるアポロンののんきな台詞回しと、上でも書いたけど適当さを表す衣装。救済の気まぐれ感が出ていて、あんな神ではありがたくない。この一幕と二幕の間だけ休憩がなくて、全編を通じて神々への不信感が一番つのる箇所。

・第三部三幕。アキレウスの息子の奴隷となっているアンドロマケ。アキレウスの息子と結婚したヘルミオネだが、子供のいないヘルミオネは子供のいるアンドロマケに嫉妬し殺そうとする。

第一部三幕に出てきたアンドロマケの石村みかがここでは主役にふさわしい出来。コートを羽織らせてマントっぽいから違和感がないだろという衣装マジックがすごい。アンドロマケを助けるアキレウスの父ペレウスを小田豊が好演。こういう役者を見かけないのは減っているのか自分の趣味が偏って出会えていないのか。

・第三部四幕。生贄になったはずのイピゲネイアは実はアルテミスにさらわれて、タウリケの神殿で巫女を務めていた。そこにギリシャ人が流れ着いたという。生贄にするところを助ける代わりに自分の消息を弟に伝えてほしいと託した相手が弟とその友人だった。3人は脱走を試みる。

無事逃げ失せた後に残された人々が神々を疑うところから、知恵の神アテナ登場、と思ったら安藤玉恵が本を背負って眼鏡をかけて、は冒頭に書いたとおり。そこから一転、現代音楽でのエンディング。最後のユニゾンだけ音響に負けて聞き取れなかったのだけもったいなかった。

・各部10分休憩2回、各部間は30分と1時間の「休憩」だけど開場はすべて15分前。これで11時30分開演21時40分終演を実現。客席数が少なかったから出来た面もあって(150人強)、たしか蜷川幸雄は10時を過ぎてBunkamura駐車場が閉まって車が出せなくなったとかならなかったとか。食事外出がままならなかった代わりに、この時間に終わってくれるのは観る側にはありがたかった。

<2019年11月26日(火)>

全面清書。

2019年11月23日 (土)

鳥公園「終わりにする、一人と一人が丘」東京芸術劇場シアターイースト

<2019年11月22日(金)夜>

友達とも不倫中の男性とも話のかみ合わない女性がその後付き合った男性と旅行する話と、死体清掃業のバイト先の先輩が掛持ちで働いている介護先の話のかみ合わない老女の話。

話がかみ合わない人たちがいろいろ出てきて、話がかみ合わないことに関するいろいろな場面を並べてみた芝居。と書くと荒すぎて申し訳ないけど、「話がかみ合わない」話が上手に構成されて、最後につながるのは脚本の腕前。それをすっとんきょうな衣装や動作で上演する演出は、アフタートークでは「内臓をさらけ出すような」と表現されていたけど、夢や空想で見たものをそのまま舞台に乗せていた、と言うのが個人的には近い。あれだけでたらめにやっているようで統一感を感じられたのが不思議で、何が統一感を出していたのか理由がわからない。

最後まで観て個人的には楽しんだけど、表向きはテンション抑え目なこともあって、「ヨブ呼んでるよ」よりは客を選ぶスタイルだった。

ひとつ偶然があって、たまたま劇場に来るときに荒川洋治の「詩とことば」を読んでいたら、読んだばかりの箇所から引用があったので驚いた。厳密に台詞が一致していたかはわからないけど、「詩は、その言葉で表現した人が、たしかに存在する。たったひとりでも、その人は存在する」とか。確かに、詩の言葉は分かりにくい、と書かれた同書は、話のかみ合わない人たちを言葉の面から取上げているから引用するのにぴったりとも言える(なお帰りにこの本を読みきったら、詩に対する苦手意識が確実に下がった良本)。

アフタートークは脚本演出の西尾佳織がワワフラミンゴの鳥山フキを相手に。観終わってそうとう戸惑っていた模様。以下短めのメモだけどだいぶ忘れている。間違っていたら謝ります。


西尾:芸劇eyesの「God save the Queen」で鳥公園とワワフラミンゴが一緒だったので知合った。今回の上演も芸劇plusの枠で声を掛けてもらっている。

鳥山:アトリエイーストで行なわれたリーディング公演を聞いていたが、上演を観たら全然違っていた。
西尾:城崎のワークショップの一環で最初は書いて、そのときはカップルの話だけだった。他の話は頭の中にはあって、後から追加した。

鳥山:特に前半が分からない。
西尾:前半はわからないまま頭の片隅に置いておいてもらえば、公演が上手くいったときは最後にわかるように作っているつもり。別に今日の公演が上手くいかなかったということではなくて。

鳥山:演出が強い。脚本が線画だとすると、演出の色塗りが線をはみ出している。内臓をさらけ出しているよう。
西尾:演出はその瞬間に面白そう、と思ったことを優先してしまう。


前半がわからなくて後半でつながるのなんて、ちょうど上の階で上演している芸術監督の野田秀樹が最たるものなんだから、そこで遠慮する必要はないのに。

2019年11月15日 (金)

□字ック「掬う」シアタートラム

<2019年11月14日(木)夜>

父親が入院しており、ライターの娘が夫と離れて実家に泊まりこんで病院に通っている。母親はすでに離婚して家にはいないが、回復を祈願する母の奇行に巻込まれた兄夫婦はうんざりしている。叔母は介護に奮闘しているが、その娘の従妹はアイドルのコンサートのチケットが取れないことを気に病んでいる。みんな病院から引上げてはこの家に来て介護の愚痴をこぼす。そんなある日、父の知合いだという女子高生と高校時代の友人が転がり込んでくる。

劇団初見。声や音響にこだわりがありそうな印象だが、ちょっと疲れた状態で観に行ってしまったのでそれが裏目に。騒がしい場面のテンションの高さや場面転換中の音響が身体に堪える。そんな中でもこのテンションなら観られるという線を維持していたのは叔母役の千葉雅子や兄嫁役の馬渕英里何。

唐突にやってきた女子高生や友人を泊めてしまうところは演劇的な展開として受入れるとしても、家族の話といいつつ主人公の話からあまり飛ばないところが残念だし、その主人公を含めて登場人物の生活感が希薄。主人公からしてライター(小説家だったか?)の仕事をしている気配がない。何より登場人物の感情の描き方がしつこい。深いのでもなく濃いのでもなく、くどい。シアタートラムでこの値段を取るからには、より的確な台詞と適切な情報の出し方で磨き上げられた脚本を望む。

松竹製作「連獅子」「市松小僧の女」歌舞伎座

<2019年11月13日(水)夜>

長い毛を振る有名なアレ「連獅子」。母の死をきっかけに剣術修行にのめりこみ男の風体でごろつきもあしらう裕福な商家の娘が、後妻の娘との跡継ぎ問題に嫌気がさして乳母を頼って家出した先で見かけた乱暴者「市松小僧の女」。

「連獅子」は有名だけど初見。霊山を舞台に、獅子は子を千尋の谷に突き落とす、というのを模した踊りらしい。その突き落とした後に、霊山の頂上を目指す修行僧の軽いコメディが挟まって、獅子の精になった親子が舞って長い毛を振る、と調べると一応舞台設定があった。幸四郎と染五郎を目当てにきた客の、萬太郎と亀鶴演じる修行僧が出てきたときの誰だお前感がすごかった。自分もそうだった。毛振りを観るのが目当てだからしょうがない。でもそこからちゃんと笑いを取って馴染んでいた。最後は遠めにも綺麗な毛を激しく振ったのが観られて満足。染五郎が赤で幸四郎が白。踊りは染五郎も上手だったと思うけど、並んで踊ると幸四郎の動作に余裕と安定があるのがわかって、勉強になる。

「市松小僧の女」は池波正太郎脚本ということで見物。それにしては展開がぶつ切りで滑らかでなく、起承転結というより起転転転という印象。物語よりは役者へのあて書きがメインだったか。その目で観れば役に似合う役者が演じていた。ただ、道場の兄弟子である同心は、このぶつ切りな脚本の中でも前振りも少なく短い時間で振舞いが変わる役で、演じていた芝翫も苦しんだか、若干浮いていた。

2019年11月11日 (月)

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「ドクター・ホフマンのサナトリウム」神奈川芸術劇場ホール

<2019年11月10日(土)夜>

軍に入隊した婚約者と列車で旅行中の女性はうたた寝で見た夢の内容を話しているが、途中駅で止まって食事を買いに降りた婚約者を残して列車が出発してしまい、周囲の乗客が自分の見た夢の続きを話し出す・・・という出だしで始まるカフカの未発表遺稿を見つけた男。祖母はなくなった人形のことを慰めるためにカフカから手紙をもらっていたという。借金で首が回らない男は出版社と交渉しているが、道に迷って遅刻する。なぜか道に迷いやすくなってしまったらしい。

カフカは試しに手にとっても受付けないので全然読んだことがない。なので「カフカズ・ディック」とか「世田谷カフカ」とか、KERAの芝居で観た印象しかない。という前提で、訳のわからないことが起きてはそのまま話が進む、カフカっぽい芝居。大雑把には、渡辺いっけいと大倉孝二がメインの未発表遺稿発見からの話と、多部未華子がメインの遺稿内の話とに分かれて、どちらも不条理な展開が満載。比べると遺稿内の話のほうがより不気味で、それはラスト場面でより鮮明となる。

役者は誰を見ても外れなし。多部未華子もよかったけど、誇張してやっているはずなのに普通に見える渡辺いっけいの演技の謎。そして他の誰よりも格が違うと思わせた麻美れいは、「」のときよりさらに思いっきり上下に広い年齢の役をこなして、しかも奥様役の貫禄の圧巻。スタッフワークはもう素晴らしいの一言で、役者がまずいと逆に損するくらいだけど、役者もきっちりそろえてスタッフワークと相乗効果を出せる役者ばかり。

観てそれなりに面白かった。ただ長い。いろいろ不気味さが加速していく後半と比べて前半は間延びした感あり。前半といっても2時間弱とほぼ1本の芝居の長さで、それでまだ前振り段階の感触だったらそれは間延びも感じる。あとラスト。最近のKERAのインタビューや作風からはわからないでもないけど、あのPAはメッセージが強すぎて、この展開には入れてほしくなかった。

あと製作陣の問題ではないけど、この劇場はなんかスカスカして密度が高まりにくい。改装前の東京芸術劇場中劇場(現プレイハウス)を思い出させる。舞台と客席の距離はそんなに遠くないはずだけど、天井が高すぎるのか、客席の椅子が広すぎるのか、舞台のプロセニアムアーチがなくて上が広すぎるのか。

2019年11月 2日 (土)

世田谷パブリックシアター/エッチビイ企画制作「終わりのない」世田谷パブリックシアター

<2019年11月1日(金)夜>

中学生時代の「事件」から立直れず高校受験に失敗して以来、引きこもりになってしまっている悠理。両親と幼馴染と一緒に湖近くのキャンプに来たが、全員から立て続けに今後の進路を知らされて、気晴らしに湖で泳いだところを溺れてしまった、はずなのだが、目が覚めた場所はまったく見知らぬ場所だった。

オデュッセイアを原典にしたSFと言われて読んだこともないのに身構えていたけれど、終わってみればびっくりするほど直球のメッセージ。まったく見知らぬ場所に飛ばされる以上のイベントがあまりなくて、展開に緩急強弱が少なく、物語が淡々と進む。あと一応前振りはあったけど、飛ばされる設定の説明が後半に、しかも解説調で来てしまったので、若干言い訳がましく聞こえる。それで最後にメッセージが直球で来てしまうので、個人的には厳しかった。このくらい直球でないと今時は駄目なんだろうか。カーテンコールの拍手は刺さった人2に役者のファンで拍手している人3に戸惑った人5くらいの感触。

そこを役者でカバーするかというと、イキウメメンバーは抑え目、特に安井順平のくすぐりを封印して臨み、出ずっぱりの主役とその相手役に舞台経験の少ない若手を当てて、仲村トオルもバイプレーヤーになるという挑戦だらけのキャスティング。結果は村岡希美が孤軍奮闘の感。これがシアタートラムだったらまた印象は違っていたはずだけど、世田谷パブリックシアターの規模ではちょっと届いていないところが目立つ。スタッフワークが、とくに美術、照明、音響がよかっただけに、落差が目立つ。せめて演出でテンポだけでも上げられなかったか。

2019年10月15日 (火)

野田地図「Q」@東京芸術劇場プレイハウス(若干ネタばれあり)

<2019年10月14日(月)昼>

あの悲劇で生き残って30年後、僻地のロミオから都のジュリエットに宛てた手紙。だがそこには何も書かれていなかった。何が書かれたのかを想像して出合った頃を思い返した2人は、あの悲劇で自分たちが死んでしまわないよう過去の自分たちの暴走を改めて止めようとするが・・・。

粗筋読んでもわかりませんね。Queenの音楽でどうなるかと思いましたけど、いつも通りの野田地図です。ただし歌詞が一部内容に反映されていて、近年よくある大きな話につながっていて、現代の風刺になっている。差支えない範囲だと、ロミオが平家、ジュリエットが源氏の対立関係に置換えられていて、いわゆる「ロミオとジュリエット」をやりつつ、他のシェイクスピアもネタにしつつ、若い2人の暴走を止められるかどうか、からその後までいろいろ。最終盤、バックに控えた橋本さとしや羽野晶紀、小松和重のあしらわれ方や伊勢佳世の最後などに、複数のメッセージを凝縮して存分にこめる場面はやっぱり野田秀樹ならでは。ただ、筋の複雑さ以上に個人的にはややすっきりしないところがあり、4人主役というのは野田秀樹をもってしても若干重いのではないかと推測。

役者ではフレッシュ主役の広瀬すずと志尊淳がまったく見劣りしない活躍、特に志尊淳は声よし姿よし身のこなしよしで、これは今後の野田地図3公演以内の再登場を確信させる出来。他に経験組の羽野晶紀はノリがよく、松たか子は実に望ましいタイミングで望ましい演技をしてくれる(そして何もしていないときでも実によい表情)。逆にベテランでも初参加組が控えめで、上川隆也や伊勢佳世が真面目なのは想定内として、橋本さとしや竹中直人がもっと怪しく遊んで拡げられる役のところ、脚本内に収まっていたのはやや不満。小松和重も経験組の割にはあまり遊んでいなかった。休憩はさんで3時間の上演時間が長すぎて野田秀樹が抑えたか。あと今回はコロスの人数がいつもより少なかったけど、いつもより多めの台詞を割振って、見せ場を作りつつ役者陣をシェイプアップするのに一役かっていた。まったく違和感なかったのでもう少し台詞をそちらに振ってもよさそう。

と文句はあるけど、観終われば満足するのはいつものこと。こんなの世界中探しても観られない芝居なので、野田秀樹が元気なうちにできるだけ観ておきましょう。それにしても野田秀樹が毎回放り込んでくる「近年よくある大きな話」がまったくネタに困る様子がなくて、検証されずにふたをされた行為たちの何と多いことかと今さらながらに思う。

ちなみに台風の影響は少なくともここにはなくて、昼の回はいつも通りの当日券100人越えでした。それでも全員立見も含めて入れていたけど、列の進みが遅くて何事かと思ったら座席確認と会計を一人で兼ねていた。窓口の種類が多すぎて場所と人手が足りていなかったのかもしれないけど、100人以上捌くのにそんなダサいことは止めてもらって、座席確認と会計を分離してほしい。そこまで並びたくない人は夜の回のほうが人数少なかったです。

<2019年10月15日(火)追記>

「A Night At The Kabuki」と副題にあって意味不明でしたけど、あれ、冒頭の場面は「俊寛」でしたね。何か観たことがあるとは思ったけど忘れていました。ということは、他の場面でもシェイクスピア以外にも、歌舞伎からの引用で構成された場面があるかもしれません。私の知識では追えないので誰か詳しい人が後で引用元をまとめてくれることを期待します。

2019年10月 7日 (月)

風姿花伝プロデュース「終夜」シアター風姿花伝

<2019年10月5日(土)夜>

夫の母の葬式から骨壷と共に戻ってきた夫婦。夫婦は娘が一人いるが、夫は離婚した前妻との間にも娘がおり、その娘からの電話をきっかけにいつもの喧嘩が始まる。やがて夜が遅いからと弟夫婦が泊まりに来るが、仲の良くない兄弟で喧嘩が始まり、また弟夫婦の間でも言い争いが始まる。お互いが溜めていた言葉がほとばしり出て止まない一晩の話。

公式では4時間半だったのが劇場案内では3時間50分となり実測は休憩2回を挟んで3時間40分。攻守ところを変えてひたすら言い争いが続く、一言でまとめると「それを言っちゃあおしまいよ」を言ってしまう芝居。少し笑える場面もあるけど、シリアスというか伝わらないとか諦めとか絶望とかそういう言葉が似合う場面がほとんど。これでよく芝居が続くなと思うところを続けられるのは役者スタッフが一丸になった賜物。

4人それぞれの役が抱える問題は、どことなく日本でも同じ問題を抱える人がいそうなもの。そこで、岡本健一にくたびれた中年役を、栗田桃子がエキセントリックな役を、それぞれ振るのが意外で、これがまた上手い。栗田桃子は当面の代表作になるかという出来。那須佐代子はだんだんはじけていく、やっていて美味しい役ではないかと想像していたらその通りだった。そもそも少人数芝居だから脇役を用意する余裕はないのだけど、プロデュース公演ではちゃんといい役が用意されている芝居を選びますねこの人は(笑)、というのを差引いても上手で、過去に観たいろいろな芝居とも違う役を造形。ちょっともったいなかったのが斉藤直樹で、後半に道化的な演技が目立って、多少息抜きがほしかったのだと推測するけど、この脚本と芝居なら4人全員シリアスで押し切ってもよかったんじゃないか。とは思うけど、表に出たり秘めたりしている熱量が4人とも激しくて、それでこそ成立する芝居を見せてもらった。

スタッフワークがまた素晴らしくて、黒一色の素通し舞台に葬式の写真を思わせる黒縁をもうけて、葬式帰りという設定で黒い衣装メイン。そこに影を多く作る照明と、ほぼ効果音だけの音響。すごいしっくり来た。やっかいな言い争いを上手に整理して、スタッフワークと統合させた上村聡史の手腕が凄い。

華やかな演技や演出は一切なし、その代わり質は保証、夫婦生活を長く続けて酸いも甘いもかみ分けた大人向け。そういう芝居。前売売切の回でも当日券は用意されていて、角度はさておき見切れは全然ない至近距離の舞台なので、我こそはという人は是非。

2019年9月20日 (金)

こまつ座「日の浦姫物語」紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

<2019年9月19日(水)夜>

夫婦子連れの説教聖が語るのは日の浦姫の物語。平安時代の奥州の豊かな庄。都から迎えた妻を愛する領主との間に双子の兄妹が生まれたが、産後の肥立ちが悪く妻は亡くなってしまう。そこから15年後、双子は順調に育ったが領主である父が亡くなる。その葬儀の晩、仲の良かった双子は交わり、妹である日の浦姫は身ごもってしまう。領主の弟の宗親は、兄を都へ遠ざけ妹を引取るが、兄は都への道中で亡くなり妹は元気な子を産む。このままではいけないと宗親は産まれた子を海に流すことに決める。

ちなみにここまでで前半。その後で助かった子が無事に育ち、というのが後半で、近親相姦モノというのはチラシからなにからネタばれだから書いていいとして、問題は仕上がり。説教聖夫婦の辻萬長と毬谷友子はいいとして、他の役者はエネルギー不足。特に前半は、収録用のカメラに合せて演技したかというくらい声に元気がなかった。初期の井上ひさしらしく、近親相姦という危ない設定と笑える台詞が同居した脚本で、それを御す勢いと切替が大事なはずだけど、そこも曖昧に進めて、笑うところで笑えず泣くところで笑いが起きる始末。最後の数場面で思い切り話が進むのでそこで少し持ち直したか、くらい。中日も過ぎてこの出来は、本当に鵜山仁が演出したのか疑われる。がっかりの一言。

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