2026年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

2026年8月 2日 (日)

新国立劇場主催「タバコの害について / 煙草のハイ(High)について」新国立劇場小劇場

<2026年8月1日(土)夜>

タバコの害について講演するように妻に命じられた男だが、話はひたすら脱線して自分の暮らしぶりを訴えるようになり「タバコの害について」。煙草の害について講演するために招かれた女性だが、自身は喫煙者で、友人とその家族、娘、喫煙体験、社会の話など取りとめのない話が続く「煙草のハイ(High)について」。

どちらも1人芝居。オリジナルとなるチェーホフの「タバコの害について」は動きもつけてのリーディング。男のみじめな暮らしぶりを訴える様子を好演する下総源太朗に素直に笑いつつ、少し前の時代の翻訳だろうにまったくそれを感じさせずに生き生きとした言葉で発する腕前に感心。

それを基にしての「煙草のハイ(High)について」も、取りとめのないところは同じ。合間に台湾問題が少し見え隠れするも、それを埋もれさせるためというか、全体には取りとめのない笑い話であるところは脚本の構成として流すところ。色っぽい煙草銘柄遍歴のくだりの脚本と、それをほどほどの色気に抑えて笑わせる役者演出の品の良さの組合せは記録しておきたい。どうか皆さんハッピーに、のラストは小川絵梨子の芸術監督ラストとしてのメッセージで、それを体現するためにかんのひとみが召喚されたのだろうと想像。そこそこの本数を観てきた観客の1人として素直に受取りたい。

新国立劇場主催「ラスト・ヤンキー」新国立劇場小劇場

<2026年8月1日(土)夕>

アメリカの州立精神病院の待合室。それぞれ妻が入院していて見舞いに来ている夫2人。妻が入院しているもの同士、待たされている間に雑談が始まるが・・・。

20分の超短編2人芝居。話しているうちにお互いの立場が明らかになるのは「不毛ドライブ」と同じ。演出は蓬莱竜太だが、これがあったから「不毛ドライブ」を書いたのではないかという展開。ただしこちらの方が大人の設定で、逃げ場のない感じがアメリカっぽい。両方上手だが、一方的に話してしかも話が変わる年上の男性の、ああこういう人いたなあ、となる石母田史朗の演技は味わい深い。

新国立劇場主催「ロング・クリスマス・ディナー」新国立劇場小劇場(ネタバレあり)

<2026年8月1日(土)昼>

アメリカのとある一家が構えた家の食堂で巡る、クリスマスの晩餐の様子。

家族で暮らすのを喜ぶ初めのころから後の代で戦争で子供を亡くして一転していく様子は、脚本家は違えど「セールスマンの死」に通じるような胸を突く展開。産まれたことがあれだけ喜ばれた子供も、家を出て親が残されるのは日本でもある話として、そこからさらに一転して最後に残るのが遠縁の叔母となるこの展開はアメリカっぽいというかなんというか、厳しい。今回の「20の物語」は6本観たけど、演出のシャープさではこれが際立っている。脚本の求めるところが厳しい以上に、演出家として役者スタッフに求めたところがクリアなのだろうなと察せられる。

その宮田慶子も慣例に従うならば今年度限りで演劇研修所の所長を交代するはずで、それになぞらえて脚本と大勢の研修所出身者を選んだように見えなくもない。いろいろ重ねられるものがある人ほど想像力が動かされる1本。

新国立劇場主催「チョコレート・アンダーグラウンド」新国立劇場小劇場

<2026年8月1日(土)昼>

イギリスの選挙で政権を取った政党「健全健康党」が打出した政策は、チョコレート禁止。砂糖を使った菓子を持ったり売買したりすると再教育と称する刑務所に送られる。政党のチョコレート警察捜査官が没収と逮捕を繰広げる中で、中学生の男の子2人は、菓子を没収されて売るものがなくなった店主と組んでチョコレートの密造密売に手を出す。

イギリスらしい皮肉と風刺の物語を、王道のアップダウンで展開する様子は、子供向けと銘打ちつつも大真面目に作りこんだことが随所に伺われる1本。密売の合図に日本の菓子会社の名前を入れたくだりは笑う。主人公の中学生2人以外は1人複数役を演じるが、店主のバビおばさん他を演じた佐乃美千子と、密売から中学の同級生まで幅広く演じた斉藤悠とが、演じ分けが見事で初め気が付かなかった。探せば名手はいるものだ。

ただし昼の公演なのに、客席の子供の数が少なかったのが残念だと、おっさん観客の1人として考えます。

2026年7月27日 (月)

新国立劇場主催「マクベス」新国立劇場小劇場

<2026年7月26日(日)夜>

いわゆるマクベスを65分のリーディングにまとめた1本。

リーディングと言いつつ動きもたくさん付けての上演。縮めた分だけ粗筋を追うようなところがあったのは致し方ない。ところどころ挟まれたところは仕込みありのネタと思われるが判別しきれぬ部分もあり。4人それぞれが複数役を行なうも、ダンカン王やバンクォーなどを演じた木下浩之が聴き惚れるような抜群の声の演技で芝居を支える。一柳みるもまずまず。中嶋朋子は声だけよりも動いているときのほうが明らかによくて動作と声が一体化した演技メソッドの持主と思われる。岡本健一はマクベスも場面次第だがラストはおそらく稽古が間に合っていない。演技は声派の自分としては、やはり上手下手は声に出るものだと再確認。

新国立劇場主催「不毛ドライブ」新国立劇場小劇場

<2026年7月26日(日)夕>

バイト先の先輩に呼出されて早朝から車で送迎する後輩。自宅を教えずに進むように言われて運転する社内で繰広げられる不毛な会話。

椅子2つ(とハンドル)だけで行なう30分の超短編2人芝居。不毛な会話が進むにつれてお互いの関係だったり背景だったりが明らかになるまでの過程が非常に上手。どちらも上手だったけれど、不愉快に振舞う先輩役を不愉快を感じさせないぎりぎりで演じ通した関口アナンは覚えておきたい。

ラッパ屋「特別な情熱」紀伊國屋ホール

<2026年7月26日(日)昼>

1975年のとある高校の実験部。実験であれば何をしても活動と見做す部活の方針で発表会の案を募っていたところ、自分の人生がどうなるか実験しようという案が出てくる。そこから各々の人生を歩みだす部員たちの2025年までの様子。

50年のうちたしか5年を抜き出しての話。それぞれの時代を知らない人もそれなりに、知っていればより楽しめる作りで描く部員たちの人生は、やや水っ気の多い職業に偏りがちではあるものの、それなりに色々。結論はある意味「平凡」なところに落着かせたものの、そこそこ歳を食っていると納得できる。これを書いている時点で残すところ千秋楽のみだが8月に配信もあるので、若い人が観たなら将来思い出して答え合せをしてほしい。

2026年7月12日 (日)

世田谷シルク「野火」サンモールスタジオ

<2026年7月11日(土)夜>

太平洋戦争末期のレイテ島、肺病が再発した主人公は野戦病院に送られる。食糧不足の折、なんとか病院に止まろうとするものの、アメリカ軍の空襲で病院がやられて辛くも逃れる。畑を見つけて一休みしたものの、現地の村に忍び込んだところで教会にやって来た住人を殺してしまい、また逃げる。山奥で日本兵と合流し、港に日本軍の船が迎えに来て別の場所で合流する指令を聞かされた主人公は皆と一緒に港を目指すが、アメリカ軍に阻まれて1人また山奥に逃げる。食糧のないまま彷徨う主人公が生延びるために残された手段は亡くなった日本兵の肉を喰らうことだが・・・。

大岡昇平の同名原作を1人芝居化も原作未見。脚本も演出も役者も真摯にやっていたことは疑いもないが、だからこそ原作が持つ深いところにまったく届いていないことが伝わる。固いものに跳ね返されるのではなく、霧の中で手足を動かしても何にも当たらないような掴めていないような印象。兵士として出かけた人もほぼ亡くなったであろう太平洋戦争、人肉食が最後の選択肢となるほどの飢え、そして日本人には馴染みの薄いキリスト教、いずれも今の日本では遠い。未見と言えど原作そのまますぎる印象だったので、観る側を巻き込んでいく工夫、ひいては創る側が原作を引き寄せる工夫がほしかった。

「人間らしい」の反対語が、現代だと「機械みたい」だが、一昔前は「動物みたい」だった、という文章を見かけたことがある。そういう「獣性」と、神の「神性」との対話を描くのは、野蛮な何かがないと届かないのだろうと考えさせてくれた1本。

松竹主催「御浜御殿綱豊卿」歌舞伎座(Aプロ)

<2026年7月11日(土)昼>

浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかり切腹してから1年後。将軍の甥である徳川綱豊の屋敷では無礼講で奉公人たちが遊ぶ日である。奉公人の1人で綱豊の覚え目出度いお喜世に、兄の富森助右衛門が手紙を届けにやって来る。またそのついでに皆が遊ぶ様子を見て帰りたいと頼む。お喜世は上司にあたる江島に許しを得るが、そこに酔った綱豊がやって来て次第を聞く。今日の月見の客として吉良上野介がやって来ることになっており、助右衛門が赤穂浪人であることも知ってなお、見学を許し、なおかつ酒をふるまって自分の座敷に連れてくるよう江島に命ずる。立場として浅野内匠頭の切腹の沙汰を認めないわけにはいかないものの、浅野家再興はすでに幕府上層部の間でひそかに有力な意見となっていた。だが実は主君に対する忠義が見たいと密かに考える綱豊。恐れ多くも綱豊相手に酒はいただけないと隣の部屋から近寄らない助右衛門を相手に、ならばその敷居をまたがせてみせると、綱豊は赤穂の話を滔々と繰広げる。

通常チケットが手に入らず幕見で見物。酔って喜世に絡む仁左衛門、忠義が見たいと惜しむ仁左衛門、吉良の狸親父に浅野がかなうわけがないと笑う仁左衛門、大石蔵之助の茶屋遊びに欠けるところがあると諭す仁左衛門、激高した助右衛門相手に刀を握って構える仁左衛門、とにかく仁左衛門の芝居だった。中村莟玉お喜世と、孝太郎の江島が脇を固めて安定。助右衛門演じる幸四郎の軽さが恨めしいも、今回は仁左衛門の重厚さを引立てる形と言えなくもない。

元禄忠臣蔵の1幕とは後で調べてわかったこと。背景の説明からすべて台詞のため、仁左衛門だから保たせた芝居。他の役者がやったらどうなるかとは気になるも、Bプロを観に行く余裕が。

2026年7月 6日 (月)

KERA CROSS「シャープさんフラットさん」紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA(2回目)

<2026年7月4日(土)夜>

おかわり

役者全員が1回目よりも圧倒的にこなれていて、どの場面も出るべき役者が前に出てバランスよく仕上がっている。細かいところも変えたのか、それともその日の役者に任されている範囲なのかはわからないものの、いくつか増えた手数も場面ごとの仕上がりに効いて、集中して観られる。だからなのか、今回は笑いを突詰めすぎて破局する主人公と、売れないしつまらないけれど才能を無条件に信じる妻がいるコメディアンと、どちらが幸福なのかの対比が観ていて響いた。あとは破局からの自分に責任があることを立続けに気付いていき、それでむしろ救われていく脚本の流れの素晴らしさも改めて味わえた。

柄本時生だけ出だしの回想場面が慣れてダレていたのか「あれっ」という出来だったものの、その分だけ小野晴子や高梨臨と喧嘩する場面や松永玲子と掛合う場面を激しくやって取返していた。周りの全員のチームワークがよいのであとは柄本時生の出来が芝居の仕上がり具合に比例するところまで来ている。あの「どうでもいい、って言ったんだ!」の場面は初演でも大好きだったけど、今回も大好きと呼べる仕上がりなので、大千秋楽まで柄本時生には頑張ってほしい。

より以前の記事一覧