<2025年12月20日(土)夜>
とあるデパートでイベントの設営撤去の夜間バイトに通う大学生。1人は美大生、もう1人は普通の大学生。バイトに来る予定が入っていたはずの美大生の友人はバックれたらしい。バイトをまとめる正社員はバイトへの当たりがいつもきつく2人からは嫌われている。その10年後、卒業後にそのデパートに勤めて設営撤去を行なう部署で働いている2人だが、新人社員とのやり取りに苦労している。そのクリスマスの晩、大きなツリーを撤去して次に展示されるのは、あの日バイトをバックれて、その後に成功した美大生の友人の作品展だった。
たしか評判が良かったはずと調べたら読売演劇大賞受賞作の再演、ちなみにその前作が岸田戯曲賞、とあって一度は観ておきたくて選択。期待をはるかに超える出来で、受賞も納得の1本でした。
劇場に入ると舞台美術を眺められるようにぐるっと裏を回って客席に誘導されて、その舞台美術の説明を当日パンフで読んだところから、本橋龍が演じる主人公の美大生による再説明、そこから芝居の世界に飛込んでクリスマスの晩のバイトが始まる、この一連の流れからお終いまで、何ならタイトルまで、一切の無駄なし。ここで終わりかと思ったところからもう一度展開させて締める構成は完璧でした。
登場人物の描き方も工夫があります。気が立っていてバイトや新人社員にきつく当たる責任者も、仕事に限って言えば当たりがきついだけで間違ったことは話していない。ただし夜勤の多い仕事柄、家庭の側に問題を持っていく。それに反抗する新人社員が芸術全般に吐く毒も、一面正しい。そんな中に、明らかに正しくない言葉が不意に混じって主人公を傷つけるあの匙加減と、そこで飲み込んで事を荒立てない主人公だからこそ連絡をもらったときの話が生きるし、ラストも生きる。
ちなみに芸術全般への毒の台詞の中に、人の不幸を搾取して作品を作っている(大意)という言葉があって、おそらくこの芝居は体験談はあってもモデルはいない作り話だと思いますが、仮にモデルがいたとしたらその言葉が当てはまるような作品内容です。そして芸術にはたしかにそのような要素があって、だからこそ芸術という営みが人類の歴史で続いているとも言えます。もっとも、それについてどこまで自覚的であるかは問われると思いますが。
役者3人で演じていましたけど、主人公を演じた本橋龍、仲間を演じた丙次、上司の正社員と新人社員の2役を演じた黒澤多生、本当に近頃の役者は達者ですね。再演で慣れていたのもあるでしょうが、芝居に求められる役をきっちり見せていました。切替の早さも含めて抜群でした。現代口語演劇が上手な若手の役者って切替の早さも得意な人が多い印象がありますけど、役作りのメソッドが違うのか、古典よりも脚本が役者に近くて楽にできるのか、どうなんでしょうか。
照明と音響もしっくりきていましたが、今回のスタッフワークの主役は脚本演出家が考えた美術。あのチープな舞台美術が縦横に駆使されて、終わってみればチープからシンプルへと変わって見えるのは、出来上がりが固定した作品の芸術である美術と、人間が演じて客が観て完成する表現の芸術である演劇との違いでした。初演はスズナリだったそうですが、天井が高く、むき出しだと案外無骨な神奈川芸術劇場大スタジオにもよく合っていました。
アフタートークは芝居と関係あったりなかったりする話が繰広げられましたが、面白いところは文字に残すのがはばかられるような内容なので割愛します。千秋楽以外はチケット全然余裕らしく、この回もたぶん6割くらいしか入っていませんでしたけど、近頃珍しく2時間を切る芝居でもありますし、近郊の人は初演を観ていない人なら年末の締めの1本にいかがでしょうか。