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2023年11月19日 (日)

阿佐ヶ谷スパイダース「ジャイアンツ」新宿シアタートップス

<2023年11月18日(土)昼>

息子の暮らしていた街を歩く男は長年会っていなかった息子と道端で会って自宅に招かれる。息子の妻に迎えられ、孫は友達の家に出かけていた。次の日はお返しに手土産でも持って行って、と思ったら邪魔くさい男女が付いてくる。目玉探偵とその秘書と名乗る二人を振切れずに息子の家を訪ねたが別人が住んでいた。隣の家で訪ねたらずっと昔に引っ越したという。ならば昨日会った息子夫婦はなんだったのかと混乱する男に、宙に浮かぶ目玉を指した目玉探偵が、これは「けいとう」なのだという。

久しぶりの阿佐ヶ谷スパイダースは父が息子を追いかける物語。けいとうは傾倒で合っているかな。違いそうな気がするけど。それはそれとして地味だけど悪くないけど地味です。ばーん、わー、きゃーとかそういう話ではない。これっぽっちもない。だけど悪くないのが困る。

今っぽいところで言えば終盤の息子の台詞。シチュエーションは違えどコスパタイパが流行る先を見せてくれた。ただし男がそこで止まっているところが20世紀の芝居です。普遍的といえば普遍的、古いといえば古い。

役者ですけど、男を演じた中山祐一朗が、こんな地味な役を熱演できたんだという好演でした。他にも村岡希美とか中村まこととか富岡晃一郎とか伊達暁とか長塚圭史本人とか、目につくのは一昔前の小劇場でのしていた人たちです。役を作り上げようふくらませようとしていますよね。他の人は脚本から役を掘り起こそう的確に演じようとしていますが、いまいち物足りません。そもそも脚本にそこまで書かれていませんから当然です。そこは劇団付合いの中で新作をがんがん作ってきて脚本に足りないところは稽古場で埋めてきた経験の多寡なのかなと思ったり思わなかったり。

スタッフもこの規模の劇場なのに上品かつ必要十分。奈落まで使っての舞台の場面転換はお見事でした。毎日バックステージツアーをやっていたのに気が付かなかった。入場時に早い者勝ちで申込む必要があります。興味のある人は早めに劇場に行きましょう。

そのほかにも開演前に村岡希美が会場内でパンフレットを売っていたり、終演後のあいさつだったり物販だったりと、芝居の出来の割に運営に手作り感が満載でした。劇団として初心忘るるべからず、なんでしょうか。

メタな話だと、セールスマンの死みたいな芝居を演出してきたから長塚圭史もこういう芝居を書きたくなったのかなと勝手に妄想します。「ジャイアンツ」というタイトルとチラシ写真から察するに父の長塚京三との関係を参考に、そうはいっても父にはなかなか届かない、あたりの話なのかな。ただ、いまの日本なら息子とのやり取りすら途中で、そもそも男は結婚できずにそんな息子もいなかったところまで遡るくらいまでやってほしかった。「ジャイアンツ2030」とかどうでしょうか。

2023年11月12日 (日)

世田谷パブリックシアター企画制作「無駄な抵抗」世田谷パブリックシアター

<2023年11月11日(土)夜>

とある町の駅前広場。なぜか半年前から電車が止まらなくなり、かつての賑わいが閑散としてしまった。そこにやってきた大道芸人は何も芸をしないで広場にやってきた人たちを眺めるばかり。ある日、その駅前広場でカウンセリングのために二人の女性が待合せた。患者は町で歯医者を開業しており、カウンセラーは一時期テレビでもてはやされた占い師で、二人は付きあいは薄くとも小学校の同級生だった。かつてカウンセラーの女性に言われた言葉が胸に刺さっている、だからあなたのカウンセリングを受けたいという歯科医の女性に、カウンセラーの女性はカウンセリングを引受ける。駅は動いているのに電車が止まらない駅前広場でカウンセリングが始まる。

初日。イキウメの面々にゲストを迎えてのプロデュース公演は、駅前広場をギリシャの円形劇場に見立てて、あの有名なギリシャ悲劇の構成を上手く用いて、笑いは少な目ながらも実に完成度の高い仕上がり。そしてこの時期に上演するからには一般論以上に当然あの事件を連想しますよねという物語。

キャスティングで患者に池谷のぶえ、カウンセラーに松雪泰子というのが良く考えられていて、逆にしなかったところがいい。終盤のやや急な展開のところを個人技で押しきったところは池谷のぶえの面目躍如。そのほかの面々も持味発揮。スタッフワークもばっちり。この舞台美術はいろいろな芝居に再利用できるんじゃないか。

この仕上がりに一切文句はない素晴らしいものだし、駅は動いているのに止まらない電車と何もしない大道芸人を使った比喩が寓話らしさを出しつつさらに射程を広げていた。

だからこそもっともっとそれ以前のところで、観客という立場である私個人との見解の違いにすれ違いも感じた。その点で「無駄な抵抗」というタイトルの正確さには深く同意する。この話を話すと長いので感想後日。というか思った感想を書ける自信がない。

まあみなさん観てください。世間の感想が知りたい。

2023年11月 5日 (日)

松竹主催「吉例顔見世大歌舞伎 夜の部」歌舞伎座

<2023年11月4日(土)夜>

赤穂浪人大高源吾の不忠が気に入らぬと出入禁止にした殿様松浦鎮信を宥める俳人其角が会ったばかりの大高源吾の俳句を伝えると「松浦の太鼓」。源頼家に仕える三浦之助は、北條時政の娘である時姫を許嫁に持つが、源頼家と北條時政が戦になり、頼家劣勢のなかを抜出して病床の母へ見舞と別れにやってきたところ時姫が母の看病に来てくれていたが時姫の忠義が時政にあるのではないかと信じ切れない「鎌倉三代記」。春調娘七種、三社祭、教草吉原雀の踊り3本を並べる「顔見世季花姿繪」。

一幕見席を取損ねて夜の部を通して観劇。「松浦の太鼓」は前に観たことがあって、そのときは殿様が歌六で女中のお縫が米吉、今回は殿様が仁左衛門、其角に歌六が回って、お縫は米吉が引続き、大高源吾が松緑。この辺りは全員いい感じでした。仁左衛門の殿様が台詞から思わされる武張った感じよりは忠義の道に憧れる殿様のように見えてややくだけすぎと思わないでもないけど、これはこれでありでしょう。仁左衛門らしい華やかさも出していたので許す。

「鎌倉三代記」は太夫が語るこういう上演形式は何て言うんでしょう。駄目でした。語りの言葉が分からない。粗筋は公式サイトを見ながら書きました。文楽みたいに字幕がほしい。その前提で、よさげに見えたのは時姫の梅枝。藤三郎実は、の芝翫は勢いはよくても台詞がわからない。字幕がほしい。

踊りを3本並べた「顔見世季花姿繪」。これも唄がわかると踊りの意味が見えてくるのは文楽で経験済みなので、字幕がほしい。その前提で、目を引いたのは2本目の「三社祭」の善玉を踊った尾上右近。丸い動きの踊りに色気があるし、飛ぶときも少し長くて動きに余裕がある。

2023年11月 2日 (木)

新国立劇場主催「終わりよければすべてよし」新国立劇場中劇場

<2023年10月21日(土)夜>

未亡人である伯爵夫人の一人息子バートラムと、医者の父がなくなり伯爵夫人が引取って侍女としているヘレナ。ヘレナはバートラムに恋しているが、バートラムにはまったくその気がない。バートラムはフランス王に召しだされて王の元に向かうが、王は病が重く医者も匙を投げたところだった。バートラムを追いかけたいヘレナは亡き父の薬で王を治すといい伯爵夫人も後押しをする。無事に王は病が治り、ヘレナはその褒美としてバートラムとの結婚を認めてもらうが、そもそもバートラムはまったくヘレナを愛していなかった。王と母の命令を断れないため、バートラムは策を弄して戦地へ赴くと称して初夜のないまま逃げてしまう。

2本立てのその2(もう1本はこちら)。こちらのほうがもう1本と比べて素直な演出で楽しめるところも多かったですが、そうしたらダークコメディじゃなくてホラーじゃないのかという出来になりました。私の感想ですが。

もともとそういう脚本ですが、もう1本と合せて女性を主人公として応援する、今回だとヘレナを徹底的に応援する演出です。その分だけバートラムと、バートラムの部下のペーローレスが嘘つきな男として描かれます。バートラムは女性に対する嘘つき、ペーローレスは男性に対する嘘つきですがバートラムが策を弄するのにも協力します。

バートラムから見れば、怖いですよね。家で働いていた母の侍女にまったく何も興味がなかったし王の元に向かう前に何か言われたわけでもないのに、母を味方につけて、王の信頼を勝ち取って、王命で無理やり結婚を迫ってくるんですから。しかも戦場の帰りに口説いた女性がいつの間にか入替っているとか。素直にコメディとして上演すればバートラムは遊び人の年貢の納め時になるはずですが、ストレートプレイで上演したらヘレナが有能過ぎるストーカー女性に見えてしまって話が変わります。

バートラムを演じた浦井健治がもっと遊び人で応じるならよかったですが、おそらくわざと、感情をあまり表に出さない演技で応じるものだから、見た目が格好いいだけでろくに話もできなかった男性に執着するヘレナがますます怖く見える。このあたり、演出を好意的に解釈するならもう1本のアンジェラの岡本健一や公爵の木下浩之がやっていたことを女性が男性にやるとこう見えるんですよ、と訴えているのかもしれませんが、怖いものは怖い。芸能界だと思い込みの強いファンに結婚を迫られるようなこともあるのかなとか考えたり考えなかったり。

そういう場面とのバランスを、ペーローレスの亀田佳明の場面で取っていました。こちらは大げさにふざけて、戦場で自分の手柄にほらを吹くだけでなく味方の情報を敵に売るような役ですが、大げさにやってみせました。白状させる場面は全員ノリノリでしたよね。ああいう場面できっちり笑わせるからこそ真面目な場面も真面目に観ようと思うわけで、よかったです。

こちらはやや前方の席で観られたので芝居が小さいと感じることはありませんでした。初登場の場面では誰が演じているのかわからなかった王様の岡本健一もいい味だしていましたし、真面目な役でも安定の那須佐代子でした。やっぱり浦井健治の使い方がもったいないとは思いますが、こちらのほうがまだ納得いきます。

スタッフのコメントはもう1本と同じです。他のスタッフはよくてもやっぱり音響が中途半端でした。

最後に終わりよければすべてよし云々と王様が客席に台詞を言いますが、全然よくないですよねという芝居です。今回は2本とも意地悪な演出のシェイクスピアでした。

新国立劇場主催「尺には尺を」新国立劇場中劇場

<2023年10月21日(土)昼>

厳格な法律を定めているも運用が柔軟に行なわれているため法律が形骸化してきている中世ウィーン。これをどうするべきか悩んでいるウィーン公爵は、公用で旅に出ると称して融通がまったく利かない謹厳実直なアンジェロに後事を託し、自身は修道士に化けてウィーンに留まりアンジェロが法律を運用した成果を確かめようとする。アンジェロは法律を厳格に適用して逮捕者を増やすが、その中に婚約者と婚前交渉した男女がいた。制定されて以来一度も使われなかった婚前交渉を罰する姦淫罪を、アンジェロは周囲が止めるのも聞かずに適用して死刑にしようとする。それを止めようと逮捕された男の妹イザベラがアンジェロに兄の助命を願い出るが、妹の美しさに心捉われたアンジェロは自分に身を任せれば許すという。修道女の誓いを立てる寸前だったイザベラは、厳格なアンジェロがそのような取引を持掛けたなど誰も信じないぞと脅されて苦悩する。

2本立てのその1(もう1本はこちら)。日程の早いところで観たのでこれが本気だったかはわかりませんが、演出意図は良とするも出来はいまいちでした。

2本ともダークコメディと呼ばれているそうですが、上演の意図は本来コメディ仕立てのものを真面目に演じたら果たしてコメディになるのか、登場人物はそんなに幸せなのか、を追求してみた演出でした。もっと言えば主要な男性登場人物の身勝手がイザベラ一人に集中してひどいじゃないかという演出です。

修道女になるところをアンジェラに迫られ、牢獄で兄に相談したらそれで自分が助かるなら身を任せてくれ頼むと泣きつかれ、最後に修道士に言われた通りに告発したらぎりぎりまで追詰められてから助けられるも公爵に勝手に嫁にされて修道女になれない。イザベラの立場から見たら悲劇です。

ただ、芝居に統一感がありませんでした。アンジェラの岡本健一が現代的リアリズムで、兄の浦井健治が小劇場的コメディで、公爵の木下浩之は新劇的リアリズム(まったくのリアルではない)です。イザベラのソニンもその相手をする手前、芝居がいったりきたりです。で、肝心のシェイクスピアの脚本ががっちりとした古典的コメディ(無茶な展開は承知のうえだしあるていどわざとらしい演技を期待する役もある)なので、喧嘩が激しい。

そして今回の演出だと、公爵が無能者に見えてしまいます。実態に即さないと思うなら自分で法律を改めろ、百歩譲って運用の成果を確かめたいなら酷い運用に出くわしたならさっさと名乗り出て止めろ、なに最後に良いことしたつもりでいるんだ、って感じです。公爵を認められないと、法律を運用した成果を隠れて確かめるという芝居の構成自体に疑義が出て入り込めません。素直にシェイクスピアを上演するなら公爵は木下浩之の新劇的リアリズムが正解だったかなと思いますけど、演出はそれを拒否するところから始まっていますから、木下浩之が上手だった分だけ芝居が疑わしくなるという悩ましい関係です。

それと、元の脚本だと法律の運用を茶化すところがあったはずです。厳格に運用したら娼婦たちが取締まられて、婚約者同士の婚前交渉まで取締まられて、そんなの人間の必要悪に逆らいすぎじゃないかというところです。遊び人のイーシオや女衒がその辺りをまくしたてるのが楽しみのひとつで、ここは演出として上手に処理したいところだったと思いますけど、別話で終わってしまいました。一応、最後にイーシオが捕まってオチにはなっていますけど、二人とも出番の多さの割りにイザベラの本筋に上手に絡んでいるとは思えませんでした。イーシオの宮津侑生は怪我人の代役を半月で仕上げて格好いい動きは見とれましたが、この役にはもう少しうさん臭さがほしかった。後半でどうなったか、観たかったです。

それと芝居が小さい。1階後方の席だったんですけど、新国立劇場の小劇場ならちょうどいいよねという規模の芝居でした。一番サイズ感がしっくりこなかったのが岡本健一ですが、ほかにもちらほら。あれは日が悪かったのか、これまでこの劇場で何度もシェイクスピアを上演してきた人たちとは思えない出来でした。

スタッフで言うと、広い劇場を上手に処理して中央に集めた美術と照明、それにいつも通り楽しみな衣装はいいのですが、音響が中途半端。チェンバロかな? 当時の小品の音楽を小さめの音で流していたのですが、もっとがっつりと演出を後押しするような選曲で芝居の方向性を出してほしかったです。

あとは浦井健治の出番が少なすぎて無駄遣いでした。正しく役不足です。もう一本で激しくやるからこちらは控えた、というわけでもありません。格と出番で言えば公爵を演じてほしかったです。本当に根拠のない推測ですが、そうすると「公爵に勝手に嫁にされるのがいいのか」という演出に「この公爵の嫁ならいいんじゃないの」というコメントが出てきてしまうのを避けたのかもしれません。だとしてももったいない。そうさせないための役作りの負担が大きくなっても浦井健治ならいけたと思いますし、いけなくても観たかった。岡本健一はどちらも割と主要な役ですし、中嶋朋子のマリアナは出番が少ないけどもう1本と役どころを揃える上にそちらは主役みたいなものですからわかるのですが。

演出意図はわかりますけど、ちょっとあちこち目配りが届いていなかった。とりあえず上演するところまで持ってきたけど、ここから揃えていきたいところで初日が来た。そんな印象でした。後半もっと変わったのかは気になります。

2023年10月10日 (火)

御園座主催「東海道四谷怪談/神田祭」御園座

<2023年10月8日(日)昼>

民谷伊右衛門は浪人して貧乏生活に甘んじている。妻のお岩は男の子を産んだが産後の肥立ちが悪く、邪険にしている。そこに隣家の伊藤家から薬の差入が届き、お礼に訪ねたら一目ぼれした孫娘と一緒になってくれないかと頼まれて出世のために承諾してしまう。一方、夫の留守に薬を飲んだお岩は顔が崩れてしまう。実は伊藤家が伊右衛門の妻を陥れたものだった。

要らない了見抜きで芝居を観るために初遠征。妻を邪険にして悪い男ぶりの仁左衛門の伊右衛門と、恨めしやと恨みがエスカレートする玉三郎のお岩が見どころです。ただ、玉三郎は思ったよりも背が高いのですね。一人で演じる場面で思ったよりも背が伸びて、そこだけ驚きました。登場人物ではもうひとり、按摩宅悦を演じた片岡松之助がお岩に同情する役どころを上手く演じていたのがよかったです

役者の演技には満足しても、どうも足りない気がすると思って調べたら、通しではお岩の妹の話があったんですね。それは足りないわけだ。全体にモノトーンの舞台や衣装ですが、恨めしやというくらいだからそれは合っている。けど、なかなか悲惨な場面が続くので、拍手のしどころに欠けるのが困りました。

それを補うのが神田祭で、鳶の頭と芸者の設定を、派手な背景と派手な衣装でぱあっと明るく踊ります。こっちの玉三郎は仁左衛門とじゃれ合って実に上手で、芸者なのに初々しい。仁左衛門もそこにいるだけで格好いい。周りもとんぼを見事に決めたりして、拍手も遠慮なく何度も出ました。

観られた場面にはすべて満足しましたが、できれば四谷怪談は通しで上演してほしかった。名古屋だと出張公演になるから費用がかさむにしても、やっぱり歌舞伎座より高いチケット代になるからにはねえ、という点には不満の残る公演でした。

劇団四季「キャッツ」名古屋四季劇場

<2023年10月7日(土)夜>

ジェリクルキャッツと呼ばれる個性豊かな猫たちによる年に1度の舞踏会。長老猫に選ばれた猫が新しいジェリクルキャッツとして次に生まれ変わることができるが、選ばれるのはたった1匹だけ。その1匹に選ばれるために猫たちは夜通し歌って踊り続ける。

わざわざ観に行ったわけではなくて、別件のために名古屋に行くなら観光もしようと探しているときに見つけたもの。劇団四季のストレートプレイは1度だけ観ているけどミュージカルはまだだなと思い出したので、特に期待せずに観たのがよかった。満足度が高かったです。

まず演目が、1匹に選ばれるためにひたすら歌って踊るというのがよかった。筋も少しはあるけれど、そこまで追わないで歌と踊りに集中できるので。そして有名な猫の扮装をした役者が歌って踊るわけですが、歌も踊りも一級品でした。

まず歌が明瞭。おおぜいで歌っても歌詞がわかるように発声と発音の訓練をされた歌声で、これが浅利慶太の目指した成果だという歌声でした。

歌についていえば、日本語訳詞がわりと主旋律にきれいに乗っていて、クレジットには「日本語台本 浅利慶太」とあるので、浅利慶太の翻訳ですよね。ほぼ全部日本語にしてあそこまで乗せてくるのは単なる翻訳を超えた仕事ぶりです。あと、声を埋もれさせない音響も預かって力がありました。

そして踊りは、脚が上がるあたりの振付は若干ウエストサイドストーリーっぽさを感じないではありませんでしたが、とにかく脚が上がるし、回るし、飛ぶし、足場の狭いところでもものともせずに踊ります。単純に観ていて気持ちがいいです。これも訓練の賜物という踊りでした。

客席に入って目につくのは二階席まで派手に飾り付けられた美術ですが、美術も動きます。そこに仕掛けも用意して、照明と合せて、専用劇場の長所を十二分に発揮しています。役者は客席にも来てくれますが、近くで見ても猫の衣装とメイクはそこまで違和感ありませんでした。よくできていますよね。

で、ソロでも歌よし踊りよしの役者が揃っていたのですが、それはそれとしてこの日個人的に気になったのは、泥棒雌猫ランペルティーザ役の清水杏柚でした。背丈は下から数えたほうが早いくらい低い人でしたが、目を引くパフォーマンスをするのはタッパじゃないなと教えてくれました。

ということで観終わって満足しましたが、観る前にもよかったことがあったので2つ。ひとつは残席状況をかなり細かく発表してしかも1日複数回更新していること。あとは客入りに合せて3段階に料金を分けていること。やっぱりロングランで自前のチケットシステムを導入しているとそのあたりまでできるようになるのだなと思いました。子供料金半額も実現しています。

これは好きになる人がいるのもわかりました。ということで、もう何本か追ってみたいと思います。

2023年9月30日 (土)

タカハ劇団「ヒトラーを画家にする話」シアターイースト

<2023年9月28日(木)夜>

美大生で画廊の息子の僚太は、卒業後に画家の道に進むか、両親から言われている画廊の跡取りになるべきか、進路に迷っている。すでに就職の進路を決めた朝利と板垣の二人と教授のゼミ室で悩んでいたら、教授の科学美術の発明により手違いで1908年のウィーンのタイムスリップしてしまい、そこで美術アカデミーへの入学を目指して練習するヒトラーと出会ってしまう。現代に戻れるまでの約一か月、ヒトラーを美術アカデミーに合格させることで後の世の悲劇を回避することを目指すと決めた三人だが、同じ下宿にやってきた、やはり美術アカデミー入学を目指すポーランド系ユダヤ人クラウスの画力は、ヒトラーとは比べ物にならないほど優れていた。

初日。タイムスリップやら何やらの理屈付けにはそれらしい話を用意していますが、メインは僚太、ヒトラー、クラウスを巡る進路の話です。ヒトラーを画家にできるかどうかのネタ勝負かと思ったらそういうわけでもなく、もちろんこのころもユダヤ人相手の差別はありますからそれも絡んできます。

タイムスリップしたのにスマホがつながるという無茶を押通して反対に設定に活用しながらも、ユダヤ人を巡る話は真摯に扱い、ただし画家を目指して絵を描くことを反対された人が画家を諦めさせる立場にもなる入れ子にして大きな柱に据えることで、差別の具体例が生きてくる。個人的には最後の場面二つだけ順番を入替えて、マイクの台詞で終わってほしかったですけど、それくらいです。小劇場が重たい話題を扱う際のアプローチとしてお手本にしたいような脚本でした。「レオポルトシュタット」は向こうに任せておけばいい。

その反面、役者の明暗が分かれて、ベテラン勢はみないい仕事をしていたのですが、メインの若手、特に男性陣が全滅でした。一瞬だけいい場面があっても続かない。進路の話と親との葛藤、絵を描くことの意味、才能と評価の話、ユダヤ人差別の状況に対してどのような態度をとるか。とっかかりはいくつもあって、役者という仕事を選んだ人たちには身近な話題も多かったはずですがすべて中途半端で、初日だからとはいえない力不足に見受けられました。良く言えば脚本全体に寄添っていましたが、設定からしてごりごりに小劇場な脚本なので、繊細を通り越して小さい、近頃の日常系小劇場の役作りは合いません。あれは演出でもう少し何とかしてほしかったです。

あとは額縁とかキュビズム? っぽい美術がシンプルな割に空間をきれいに埋めて、映像も頑張っていましたが、画家の話で絵をどこまで見せるかは難しい判断でした。小劇場なら絵を一切見せずに枠と照明だけで押通すのもありなのですが、ナチスの説明をするときに当時の写真を盛大に使ったのと、描いて破いた絵を進行の都合で一枚だけ見せたおかげで、他の絵を見せないのが逃げに思えてしまいました。ヒトラーの絵は権利を含めて適当な画像の入手が難しかったのかもしれませんが、それとは別に最後の一枚は、見せたかった。あれこそ観客の想像に委ねたかったのかもしれませんが、それなら照明でなく小道具としてベールをかぶせた絵を用意してベールを取らずに進めるべきだった。このあたりは演出や制作に関わるところですけど、まあ個人的な趣味の問題です。

これは再演するならどこかに脚本を託して再演したほうがいいです。ちょっともったいないことが多かったので。

ヨーロッパ企画「切り裂かないけど攫いはするジャック」本多劇場

<2023年9月28日(木)昼>

19世紀のロンドン。下町の同じ場所で4日で3人が攫われてロンドン中で騒がれている。3人目が攫われたときには花売り娘の叫び声を聞いて付近の住民が現場に駆けつけたが、犯人も花売り娘も姿が見えなかった。事件を調べるためにやって来た警部だが、自分で犯人を推理して押しつけてくる人たちを相手に聞込みにも難渋する。

25周年企画にして初見。ミステリーコメディらしいですけど、どたばたコントですね。辻褄を合わせようとはしていますが、発散することすること。適度に考えつつも深く考えないのが正しい見方だと気がついてからは素直に笑って楽しめました。

テンションと突っ込みの間合いで勝負の2時間みたいなところがあって、それで最後まで走り切った技量はすごかったです。ただし、100求められるところにきっちり100で答えていた感はあります。勢いがあるように見えて、振りきってはいなかった。ミステリー要素とコメディ要素、両方とも外したらいけない間があるのでそこは守らないといけないのですが、引出しは3000くらいあるけどそのうち100だけ出してみましたというような役者はいなくて、みんな真面目に100を積んでいました。

カーテンコール含めて観終わったあとでこの雰囲気はどこかで観たことがあるなと思い返していたのですが、演劇集団キャラメルボックスの舞台がちょっとこんな雰囲気でした。良くも悪くも劇団と観客との間で信頼が大きいようです。泣かせる話が得意な向こうと笑わせてなんぼの今回とは違いますが、多少強引な設定を最後まで持っていきつつ、絶対に客席に不快を与えないであろうと思わせる安心感も似ています。

この日はおまけトークがありましたが、「役者によっては出ずっぱり」「たくさん推理できる人とできない人がいる」「台詞が多いので緊張感が切れると台詞が出て来なくて真っ白になることがある」「当時の言葉に寄せつつもミステリー関係の言葉だけは現代の言葉を使わせてもらった」「某役を追詰める場面の方法はミステリーとしてぜひやってみたかった」などなど、いろいろ面白かったです。

それで言えば、脚本は言葉選びで微妙に作品世界に馴染んでいないところがいくつかあったのですが、理由は納得です。それと、某役を追詰める場面の方法をやってみたかったというのはわかります。私もあの場面は好きでした。

ネタばれしたら面白くないのでネタばれはしません。観た人が楽しんでください。

2023年9月18日 (月)

梅田芸術劇場企画制作「アナスタシア」東急シアターオーブ

<2023年9月17日(日)夜>

帝政ロシアに革命が起きてロマノフ王朝は滅亡したが、パリで過ごしていて難を逃れた皇太后以外に、死体が見つからなかったため皇女アナスタシアはまだ生きているのではと噂されていた。アナスタシアを見つけたものには報奨金を出すという話に、サンクトペテルブルクでくすぶっていた詐欺師ディミトリと元伯爵のヴラドはアナスタシアの身替りを探す。そこにやってきたのが偽の国境通過証を求めるアーニャ。記憶喪失だがパリに行きたいとロシア中を歩いてサンクトペテルブルクまでやって来たという。これはものになりそうだと二人はアーニャにアナスタシアの情報を覚えさせてパリを目指す。

この日はこんなキャスティングでした。ミュージカルはダブルキャストどころかトリプルキャストまでやるので忙しいですね。私はこだわらずに時間の都合だけで観に行きましたけど、目当ての役者がいる人は大変です。

・アーニャ:木下晴香
・ディミトリ:内海啓貴
・グレブ:堂珍嘉邦
・ヴラド:大澄賢也
・リリー:マルシア
・リトルアナスタシア:鈴木蒼奈

筋は前半がロシアからの脱出、後半がパリでのあれこれときれいに通っているのでわかりやすいです。木下晴香は台詞はやや軽いですけど、歌は声に重さが乗っていていいですね。個人的にはややチャラいヴラド伯爵を演じた大澄賢也と、なんといっても皇太后をシングルキャストで演じた麻美れいがいいです。

日本語歌詞のイントネーションが曲の旋律に乗りづらいところ、麻美れいだけは少し台詞っぽさを混ぜていたのがよかったです。あれは海外もののミュージカルをやるときの解法のひとつだと思いますけど、他の人はあまりそういうのはありませんでしたね。

他にも劇中劇で白鳥の湖の超ダイジェストをやってくれるんですけど、全員上手でしたね。この前観ておいたのであれは王子様こっちは邪悪な魔術師と中身がわかってよかったです。

この日はアフタートークがありましたが、ちょっとリピーターチケットの宣伝が多すぎた。主役二人はフリートークが苦手そうだったので、事前に聞きたいこと質問しておいた方がよかったのではないかと思います。だいたい客が聞きたいのは、自分が芝居のどこで悩んだか(または大事にしたか)、相手役をどう思うか、同じ役を務める他の役者をどう思うか、くらいに集約されるでしょうし。その点、大澄賢也の「今回はあまり役を作らずに地でいけた」「いくつになってもときめきは大事ですよ」(どちらも大意)はアフタートークとして面白かったです。

あとは映像パネルを多用した美術が本当に見事だったんですけど、あれは映像を映した上にさらにプロジェクションマッピングを重ねて奥行きを出しているそうです。あとパネルとケーブルには絶対に触るなと厳命が出されているとか。あれは、映像も美術も海外のものをそのまま持ってきたのかな。クレジットがよくわかりませんでした。場面転換を素早くするために、オブジェらしいオブジェは上手と下手に固めて、電車みたいな大物はたまにひとつだけどんと出して、非常によく考えられていました。

話だけを考えると、前回の公演から今回の公演の間にロシアのウクライナ進行があって、あとはパリのエッフェル塔での写真撮影騒動があったりして、芝居鑑賞に邪魔くさい現実社会のノイズが増えているんですけど、それはそれ、これはこれで気にせずに観るのがよいかと思います。

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