2017年5月11日 (木)

ローザンヌ・ヴィディ劇場製作「ウェルテル!」静岡芸術劇場

<2017年4月28日(金)夜>

引越した先で知合った女性シャルロッテに恋したウェルテル。彼女にはすでに婚約者がいた。叶わぬ恋に悩み自殺するまでの話をウェルテルとして演じる一人芝居。

初日。マイクとカメラでライブ映像を映したりしながら演じ通す。ドイツ芝居(というか原作小説)は強度があって何とでもいじれるとの評判は伊達ではない。恥ずかしながら原作を読んでいないのだけど、開演前にSPACのメンバーがロビーで粗筋解説していた。粗筋がわかったからといって楽しむのに問題ないとの判断もあってのことだと思う。

実際の上演は、本人が客席とのコミュニケーションを楽しむスタイルを好んだようだけど、ドイツ語メインかつ字幕にいろいろ問題があって客席との齟齬が多く、結構滑った。途中で日本語を繰出したり四苦八苦していたのだけど個人的にはことごとく裏目に出ていた。演技はよかっただけにもったいない。

齟齬について補足しておくと、客席に話しかけたりリアクションを期待した芝居が開演直後から多数あったのだけど、英語ならともかくドイツ語だと客席に通じる割合が低く、反応が鈍かった(出来なかった)。特に、途中で一度終わったように見せかけて退室する演出があったのだけど、そこで拍手なり笑いなりを期待していた役者と、いやいや全然終わりじゃないだろそんなのネタだってバレバレだから拍手も笑いも無しで続きを早くというスレた客席(自分を含む)とで思いっきり食い違って、非常に気まずい進行だった。客いじりなんて日本人が日本人を相手にしても難しいのだから、最後まで飛ばしてもらってもよかったと思う。クラシック音楽の演奏会みたいに、最後にわっと拍手するのもいいものだ。

あと字幕はひどかった。台詞と全然合っていないだけでなく、先に進みすぎた字幕を戻したりして(PowerPointのスライドをキーボードで行ったり来たり操作するような)、初日ゲネですらなかった。字幕の完成が遅かったのか、ビデオ含めて一度も上演内容を確認せずにぶっつけ本番でやったのか、字幕のオペ担当が急病で代理になったか。すくなくともドイツ語がまったく分かっていなかったのは確かで、通訳が客席後方で待機していたのだから(オペも客席後方だった)通訳に任せたほうがまだマシだったはず。

字幕についてはもうひとつ。天井の高い劇場の後方を目一杯ライブ映像に使っていたので、字幕がさらにその上に表示された。たぶんそれが原因で、客の目線が上に寄って、客席とコミュニケーションを取ろうとした役者が映像トラブルを疑って最初に何度も後方を確認していた。字幕の配置場所はもっと配慮があってもよかった。映像を使うから悩みどころだけど、重ねてしまってもよかったと思う。途中で前方に幕を追加する演出があって、それがまた悩みどころだけれど。

終演後は役者のフィリップ・ホーホマイアーのアフタートーク。客席から集めた質問を宮城聰が訊く形。ちょっとうろ覚えだけど覚えている範囲でメモ。間違っていたらそれは私が悪い。当日パンフの内容が混ざっているかも。

・小さい頃に独学で詩を勉強した。中学生になって授業でコッポラの映画を観たあと、教師から感想を求められた。他の同級生が何も感想を言わない中で、自分は机の上に立って詩を朗読した。あれが自分の初の演劇体験。

・その後、演劇学校に入って役者の勉強をしたが、そのころに演出のニコラス・シュテーマンと知合った。今回上演した芝居は演劇学校で最初に発表したもので、基本的にはその20年前のときと同じ演出で今回も上演した。「若きウェルテルの悩み」はドイツでは全員が知っている有名な小説で、(一般階級の男性が恋に破れて自殺するというのは発表された1774年当時では衝撃的な内容だったため)ドイツの小説史上でもとても重要な位置づけがされている。

・演劇は自分にとってはこれしかできないもの。他の仕事をやったら「カローシ(過労死)」してしまう。

・普段はできるだけ自分をニュートラルに保って、何かあったときにそれを即座に自分の中に取りこめるように努めている。取りこんだものを芝居に出す。(通訳補足)今回の上演で「津軽海峡冬景色」を流したが、あれは前日の懇親会で流れた曲を本人が耳にして、その場でダウンロードして、今日の芝居に使うことを決めた。

・上演中は飛行機のパイロットのつもりでいる。出発地と到着地は同じでも、周囲の状況は違う。雲の中をどうやって抜けていくか、風が吹いている中で無事に離着陸できるか、状況が毎回変わる中でどうやって運転するかが大事になる。芝居の上演も状況が毎回異なる中で、運転を調整しながら、到着地を目指している。

・(今までで一番記憶に残る公演は?)毎回違う状況で運転しているので、どれが記憶に残るということはないが、今日の公演は滅多にない公演だった(客席の反応が鈍かったことを指している)。

・(ひとつの演技に複数の感情が込められていたが、どのようにしているのか?)自分たちは普段の生活で、すでにそのように行動している。演技でも、できるだけ自分自身を正直に解放するように演じると、そこに複数の感情が表れる。

・(劇中で食器を割る場面で、何のためらいもなく食器を割っていたのに魅了されたが、ためらいはないのか?)あの場面はウェルテルの心がそれを欲しているので、ためらいはない(宮城聰も面白い質問と言っていたけど、日本人ならもったいない意識が働きがちなところ、どうももったいない感覚自体が伝わっていなかった?)

・(大きい声を出すにはどうすればいいですか?)筋肉を鍛える!

こういうトーク、向こうの人たちはとても真摯に応対する印象がある。芸術の国と芸能の国の違いかもしれないけど、ストレートでいいなあという感想と、もう少し照れてくれたっていいんじゃないかという感想と、半々。

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2017年4月15日 (土)

青年団・こまばアゴラ演劇学校無隣館「南島俘虜記」こまばアゴラ劇場(ネタばれあり)

<2017年4月8日(土)夜>

近未来の日本は戦争中。それで捕虜になった日本の軍人たちが、孤立した島に収容されている。もっとも待遇がよいとされているその収容所は平和そのもので、捕虜に課される日々の労働も対したことはない。さしてやることがない労働をさぼって医務室でくつろぐ捕虜たちのある日のひとこま。

Bチーム。初演が2003年らしいけど、日本と日本人の嫌なところを描かせたら筋金入りの平田オリザによる嫌日本人シリーズの系譜の1本。そんなシリーズはないけど今作った。興味深い話だったけど、いつにも増して表現が難しい。いつもだともっと何本も緊張の伏線を張るところ、退屈がテーマなので、たぶん意図的に緊張しすぎないように調整している。

表の話は、やることがなく監視も緩いので、捕虜同士でセックスが盛んになって、それで妊娠した女性兵士を巡る緊張、になりそうなところ、自分で話を広めた結果登場人物全員が知っている状態になってかえってのんびりした状態に。女性兵士の素性は自称と他人の噂と両方出てきて、女性兵士の本当の素性は確定しないままに終わるのだけど、その過程で捕虜たちの心残りが少しずつ出てくるあたりが一応の筋。

平和すぎて退屈すぎて、そうすると日々の生きる張りとなる目的意識も持てないのがあらわになってきて、その借景に何が目的で戦争をやっているのかすらわからなくなった日本を持ってきたり、島のアホウドリは助走しないと飛べないとか飛んでも風任せなんて暗喩も挟みつつ、日本人嫌いになった現地人まで念入りに登場させて、話は(狙い通り)ねちっこくだらだら過ぎていく。

わざわざ公式サイトの説明に、大岡昇平の「俘虜記」へのオマージュと、もうひとつ、坂口安吾の「魔の退屈」の

つまり我々は虚しく食つて生きてゐる平和な阿呆であつたが、人間ではなかつたのである。

を描けないか考えたと載せているくらいなので、この日本人の目的意識のなさ、生きる張りのなさに悪意、と言って悪ければ表現意欲をそそられたのだと思うけど、自分は登場人物とシンクロしそうな感覚があった。あの状況になったら自分もあんな退屈になる確信があった。だからすごい平静に観ていたし、描かれている状況にたいして肯定的だった。

ただそういう脚本の世界観とは別に、もう一段上の仕上がりにならなかったものかと思う。理由のひとつは若い役者が多かったことで、年上の役者が混ざっていたら違う印象をもてたと思う。そこは無隣館メインの公演のためしょうがない。あともうひとつ、どこがどうと言えないのだけど、やっぱり役者にもう少し頑張る余地が残っていた気がする。全3チームあるので、他のチームで観たら印象がかわったかもしれない。

客席も天井も一杯に張りめぐらされた舞台美術で覗き見感満載。勝手知ったるホームグランドの、狭い劇場だからこそ実現できる美術は劇場に入った瞬間から入り込める。一見の価値あり。

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2017年4月13日 (木)

劇団青年座「わが兄の弟」紀伊國屋ホール

<2017年4月8日(土)昼>

奨学金をもらう医学生でありながら家計を助けるために小説家として働き後に認められたチェーホフの、あったのかなかったのかでいうと多分なかったことのほうが多い出来事を通して描かれる、あったかもしれない熱い魂の伝記。

副題が「贋作アントン・チェーホフ傳」だから想像の出来事がほとんどだと思うけど、ニーナという名前の女性が出てきたり、三人の姉妹の住む屋敷に避暑で訪れたり、湖の周りで小説家(チェーホフ)が話したり、たぶん他にもいろいろなチェーホフの芝居や小説から場面設定を取ってきている。ちなみにメインのタイトルは短編小説短編小説時代のペンネームから拝借したとのこと。だからこそ脚本家の想像力で存分に遊べる2時間35分。楽しかった。

青年座はたしか初見だけど、今回は声でキャスティングを決めたのかというくらい声の出る役者ばかりが揃っていた。色々な声なのだけど全員同じゴールを目指して鍛えて獲得した声です感があって、老舗劇団の底力十分だった。正直に書くと、チェーホフの時代で、マキノノゾミのオリジナル脚本なのによくぞ翻訳っぽい調子まで再現したって台詞も多いから、ベテランに比べて中堅若手は言葉が身についていない場面もあった。けどそれも含めて、劇団っぽい一体感にあふれるていた。演出も青年座出身の宮田慶子で、新国立劇場芸術監督の手腕はさすが。もう少し多めに笑いを取りにいける脚本だけど品位を重視してここまで仕上げた。

老舗劇団のよさが出たのは他にもあって、3つ上げておくと、ひとつは年齢に添った役者の配置。劇団M.O.P.ならここは同年代の役者が1人2役、になるところ、年齢の幅が広い役者が専任で出演していて、しかも上手。あと衣装。今回は当時の雰囲気の再現でここは外してはいけない、ここができれば他は最悪ごまかせる要のスタッフだけど、学生劇団だと頑張って用意してもひとり1着になりがちなところ、場面ごとに複数の衣装も用意して、昔のロシアっぽさが出ていた。少なくともそう信じて芝居に没入できた。あと最後に小道具。銀のサモワール(*)はマキノノゾミが遊び心で狙って出しているはずけど、ちゃんと(銀ではなくとも)サモワールの実物を持ってきた。今時なら手に入れるのは難しくないかもしれないけど、ああいう努力が芝居の質に確実に貢献している。別に他のスタッフもごまかしていなかったですよ念のため。

*昔チェーホフの芝居を上演するにあたって「銀のサモワールでお茶を飲む」という場面が出てきて、当時はロシアの情報なんてないから誰も観たことがなくて、八方手を尽くして実物が置いてある店を探して、使い方を勉強させてもらってから上演に臨んだ、というのが、近代演劇史初期の劇団の苦労話兼笑い話兼努力系美談の例として、いろんな本で目にする。

あとマキノノゾミの脚本が不思議で、長い芝居とはいえ全部で4場しかない脚本なのに、全然過不足を感じなかった。チェーホフの一生を描くのが目的ではないとはいえ、それで観るべきものは観た気になれた。場面転換時にはつなぎを兼ねて登場人物による長めのナレーションが入るのだけど、あんな芝居こんな芝居と比べると、すんなり馴染んでいたというか、十分かつ必要なナレーションだった。たぶん情報の量とか順番を上手にコントロールしているからだと思うのだけど、具体的に何が違ってここまで印象が変わるのかわからない。そんなに何本も観られていないけど、当たりの多い名脚本家だと思う。ついでに書くと、これはキムラ緑子がやったらよさそうだなって役があった。劇団M.O.P.を想像しながら書いているのかな。

久しぶりに一体感のある中身も面白い芝居で、いまどきの高額なプロデュース公演に慣れているとこれが4800円はお得。当日券は余裕だったので時間のある人はぜひ。

と芝居は手放しで褒めるのだけど残念なことがひとつ。後半3場に謎の会話が聞こえて、それが3場(後半の前半分)が終わるまでずっと響いて、いい場面だったのに集中力がそがれた。最初は客席かと思ったけど、客席以外から聞こえているような声の響きで(あれだけ長く話していたらさすがに近くの人が止めると思う)、3幕途中でロビーに出る人がいたから扉が開いたけどロビーの声でもなく、スタッフのオペ室か楽屋かな。客席だったら勘違いで申し訳ないけど、本当あの邪魔な会話だけが残念。

<2017年4月26日(水)訂正と追記>

ネタばれを含む引用もとを説明してくれて助かるしのぶの演劇レビューのエントリーが上がっていたので紹介。かっこいいチラシを褒めるのを忘れていたけど、あの絵は兄が弟を描いたものだとは知らなかった。で、タイトルは短編小説時代のペンネームだったとのことなので本文を訂正。

せっかくなので調べてみたら演出のe+の宮田慶子のインタビューを見つけた。この脚本の成立ちが興味深いのだけど、こういうインタビューはある日突然消えてしまうのでちょっと長いけど引用しておく。

──チェーホフは宮田さんからの提案だったんですね。

 もちろん、マキノさんも、チェーホフの『かもめ』を2002年に新国立劇場で演出していらっしゃいますし、わたし自身も『かもめ』を演出してる。実を言うと、ここ数年、アントン・チェーホフがひそかにマイブームだったんですよ。

 脚本(ほん)をお願いしたのが、もう2年前になります。チェーホフの作品は、もちろんよく知っていたけれど、ふたつのエピソードがすごく心に残っていて、ひとつは、あれだけ浮名を流していたチェーホフだけど、なぜか妻を娶(めと)ることが晩年までなかった。

──結婚したのは、亡くなる3年前。ほぼ最晩年でした。

 最晩年にやっとモスクワ芸術座の女優オリガと結婚して。それも別居を前提で結婚するんですよ。「あなたは女優だから、モスクワで仕事をしてくれ。わたしは別の土地で診察をしているから」というように、いっしょに住まない。だから、独得な女性観の持ち主だなと、すごく気にはなっていた。

 もうひとつは、チェーホフにはお兄さんがふたりいて、歳が近いニコライという画家とものすごい気が合って、芸術家としても尊敬をしていた。この兄は放蕩のあげく、早くして結核で亡くなるんだけど、医者としてのアントンは、どんどん病いに蝕まれていく兄の体を診つづけた。

 兄の方も、病気だからといって放蕩三昧を改めない。酒と女に溺れるむちゃな生活、むちゃな絵の創作を続けて、芸術家の業(ごう)を見せつける。最後には、三幕で出てくる別荘に、みんなでニコライを呼び寄せて、たぶん、あと命がもって数日というときに、たまたま長男がやってきたのにかこつけて「頼むよ」と言い残し、チェーホフは危篤状態の最愛の兄をそのままにして、旅に出るんです。

 それで結局、嵐みたいな悪天候のなか、ずぶ濡れで旅を続けていた先で、兄が死んだという電報を受け取る。医者でありながら末期の患者を見捨てるようなことをし、最愛の兄でありながら、最後の死にざまを見ないという……。

──おそらくチェーホフは、意図的に看取らなかったわけですね。

 そう。何がアントンをそこまで追い込んだんだろう。実際にそういう史実があるので、このふたつのエピソードをマキノさんにしゃべったの。

 そしたら、マキノさんは「チェーホフというとロシアの大作家で、すごく端正な作品を書いて……としか思ってないけど、そんな実生活があったんだね」と言いながら、「でも、他にも書きたいものもあるので、時間をください」ということだった。そして、さんざん悩んだあげく、「ほとんどゼロから考え直すけど、アントン・チェーホフでやってみましょうか」ということになった。

──そのようにしてスタートしたチェーホフの評伝劇ですが……。 

 そこからマキノさん、本当に苦しんで書いてくださって。まあ、珍しかったですね。マキノ氏は演劇界広しといえども、珍しく締め切りを守る劇作家。青年座には、いままで一回も遅れたことがない。

──おおっ。

 そのぶん、ご自分の劇団M.O.P.にはすごい遅れたりしてるわけ。だけど、外から発注を受けたものは、絶対遅れないことで有名だったのに、初めて遅れたんだよね。いやもう、それはどれだけ大変なことになってるか、なんとなく想像ついてたんだけど……。

──参考文献だけ見ても、ものすごい冊数ですよね。

 マキノさんはずっと資料を読み込みながら、人間チェーホフをつかみたくて、ずっともがいていたと思うんです。年越さないで台本をいただけるかなと思ってたのが、年越しして、翌年2月にやっといただいて。読んでみたら「ああっ、やっぱり、これはかかるわ」という。ここまで虚実ないまぜに、調べてくださった史実と、チェーホフの作品と、それからご自分の創作の全部を、擦り合わせて、バズルのように組み立てていくには、これだけ時間がかかるのはしょうがなかっただろうと。 

──戯曲のいたるところに、チェーホフ作品がこれでもかとちりばめられてますからね。

 それで、なんとなくチェーホフの実生活までがフィクションのように見えてくる。たとえば、第3幕は現実にあったことなのに、まるでチェーホフの芝居をそのままパクッたと言うと変だけど……。

──そうなんです。チェーホフの短篇や戯曲のエピソードだけを再構成したように見えてしまう。第3幕は特にそうですね。

 あの場面の設定や台詞は『桜の園』にあったな。それから『かもめ』にも、湖のほとりで、みんなでしゃべっていて、最後にニーナがトリゴーリンに憧れる場面があったななどと思ってしまう。まったくそこに流れている空気は、チェーホフ作品ですからね。見事なんですよ。だから、本当に今のチェーホフを作っちゃったよって。

──本当にそう思います。

 だから、不思議な感覚で、われわれも稽古していても、マキノ氏の作品をやってるんだか、チェーホフの芝居をやってるんだか、わかんなくなるような錯覚に陥るところがある。

──文体も神西清さんの訳文を髣髴(ほうふつ)させるところがあって……。

 もう完全に、完全になぞってます。わざと遊んでる。

──同じ文体を、まるでトレースするように描いてるところがありますね。

 そうなんです。だから、かなり上級な遊びになっちゃうけど、作劇する過程で、わざとチェーホフ世界を構築した大枠を、どうやって見せていこうかなと。これは最終的には、わたしの演出の仕事にもなってきちゃうんだろうけど。

──これほどまでに長篇戯曲、一幕劇、小説、短篇の数々が、史実に巧みに組み込まれているのかと驚きました。職人芸の域に達している。

 マニアはたまんないね、きっとね。チェーホフ・マニアは「うわっ、ここに出てきたか」って、思うだろうし……。

あの面白い脚本には相応の苦労があったんだとか、やっぱりあの台詞は翻訳調の再現だったんだ、ということが確認できた嬉しさとは別に、「マキノ氏は演劇界広しといえども、珍しく締め切りを守る劇作家」のフレーズに笑ってしまった。おなじチェーホフの話で井上ひさしの「ロマンス」という芝居があるけど、これは栗山民也が「演出家の仕事」という本に脱稿が本番直前(記憶だと確か5日前)って書いていた。

改めて満足感をかみしめているので、ぜひ再演してほしい。ロシアに持っていけたら面白そうなんだけど、新国立劇場の芸術監督の立場を濫用してできないかな。

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2017年3月31日 (金)

シス・カンパニー企画製作「令嬢ジュリー」Bunkamuraシアターコクーン

<2017年3月28日(火)昼>

収穫祭の夜。領主の館で祭が催されている。主人は外出していて留守だが、令嬢は祭に参加している。召使の男と料理人の女は婚約しているが、令嬢は料理人に犬のえさの調理を命じ、召使とダンスで盛上がる。ダンスが終わって地下の厨房に戻ってきた男を令嬢は追いかけて、寝室に下がった料理人をよそに誘惑する。最近婚約破棄をしたばかりの令嬢を相手に召使は説得を試みる。

ダウントン・アビーを髣髴とさせる地下の調理場の舞台。時代と親の教育方針とで歪んだ自我を持つに至った令嬢と、今の境遇から抜け出すチャンスをつかもうとする召使と、それまでのしきたりを微塵も疑わない料理人の3人による衝突。古いようで今も古くない脚本を現代的に作った一本。

やりがいのある脚本だしよく出来ていたと思うのだけど、もう一押しほしかった。表向きは貴族と召使の話、そこに自由平等の時代が到来した人間の葛藤が重なる。だから上下関係がめまぐるしく入替わっていくのが脚本の見所のひとつだとにらんだけど、そこが弱かった。令嬢の貴族っぽさがあってこそ召使に命令する場面も映えるし、落ちていく落差も際立つので、小野ゆり子にもう少し貴族っぽさがあってほしかった。何が貴族っぽいかなんて聞かれても困るのだけど。あと召使の城田優も料理人の伊勢佳世も背が高くて顔もはっきりしているので、見た目も不利があった。カナリアの場面なんかははまっていたのだけど。

料理人のクリスティンは主人が尊敬できないといけないという点。芝居としても成立しつつ、「死の舞踏」で妻に怒鳴られて辞めてしまった(名前しか出てこない)召使としてのつながりもつけて、両方観た人へのサービス。上の階と下の階をつなぐ伝達管も、同じ時代の同じような館の話であることを連想させて、上が上なら下も下、という混乱した時代の象徴になっていてよい感じ。

張出し舞台で客席との距離は近くて観やすい。中2階から階段をおろした美術が地下室感を出すために絶妙。「死の舞踏」の反対側であることを想像するのが難しいくらいがらっと変えた舞台で、明かり取りの窓の半円がつながりを感じさせるけど、それも位置が微妙に違っていた気がする。ひょっとして後ろの壁の部分は毎回つるしなおしているのか。だとしたらかなり手間をかけた美術で、両作品とも雰囲気の構築に与って力があった。

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KAJALLA「裸の王様」天王洲銀河劇場(若干ネタばれあり)

<2017年3月25日(土)夜>

小林賢太郎を含めた5人組によるコント集。

粗筋すら知らないで観たほうが面白いので、それは末尾で。観る予定がある人は読まないほうがいいです。この後ツアーで、東京にも戻る予定あり。

とてもよくできていた、というと語弊がある。ある程度強引につなげてみせたほうがコントとして面白くて、でも最初から強引につなげるのは急なので、きれいにまとまったコントから入ってすこしずつ強引感を増やして、後半に強引なコントを集めて、最後はきれいに終わらせる、という全体の展開をとても意識した構成だった。笑ってやるもんかと思っていたけど強引な後半のネタにはさすがに笑わされた。

5人とも体がよく動く上に美声の持主で、台詞が飛んだりもしていたけど、演技も上手。よくぞ集めたという精鋭メンバー。中でも辻本耕志の振り幅と自由度の大きい演技は素晴らしかった。

急遽気がついたので観劇したのだけど、何で気がついたかというと小林賢太郎の本をたまたま本屋で見かけて、読んだら面白かったので何かやっていないかと検索したら見つかった次第。本が非常に面白いのでその感想は後日。

ちなみにネタリストは以下。タイトルは適当。何か抜けていたり順番が違っていたりするかも。

自分が王様の世界があったらそこには何がある「俺ランド」。親方が留守の最中に毒に手を出すなと言われれば見たくなるのが人情「鍛冶屋」。やることなすこと馬鹿ばっかり「バカ部長とバカ部下」。舌を噛みそうなくらいの仕事が「さぎょうがたくさん」。終業間近のオフィスで仕事に励む同僚のキーボードの音に誘われて「丘を越え行こうよ」。ひとつ考えるとそこから連想が始まる悩み「考える人」。再就職で警備会社の面談に来たら担当者はなぜかウサギ耳のカチューシャをつけていて「バニーガード」。3連覇の王者に挑戦者が挑む大会は「日本リフージン選手権」。仕立屋が4人の王様に呼ばれて国を訪問する「裸の王様」。

ラーメンズの「アリス」でもバニー部というネタをやっていたし、客席の反応からするとおそらく前回もバニーネタをやっていたっぽい。バニー好きだな小林賢太郎。

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鳥公園「ヨブ呼んでるよ」こまばアゴラ劇場

夢の中でいつも同じ男性と会う女性。現実では子供を抱えて稼ぐのもままならず兄からも援助を受けているが、そのたびに責められることに耐えかね、援助を断る。兄は仲間を連れて妹の説得に赴く。

貧困や依存や育児放棄など話を重ねて、それを聖書の一節で表しつつ、圧力を逃がすような笑いもはさみつつ、痛いところを正確な言葉で刺してくるあたりは当日パンフの挨拶にたがわない仕上がり。

藁だらけの舞台はキリストが生まれた馬小屋の連想だと思うけど、別に神様は登場しない。ただ、急転直下のラストで、登場人物によって、何でもないと思う人と、吐気を催す人と、幸せを感じた人とに分かれるあの場面は、神様って単語が似合う。タイトルが「ヨブ」なのでこの後はハッピーエンドだったと信じたい。

演出形式は小劇場スタイルだけど、取扱っている話題とその飛ばし方がちょっと珍しく、他の小劇場芝居でも、もちろん商業演劇でも見かけない。無理に分類すれば海外芝居の脚本のほうが近い印象。こういう芝居を上演するならこまばアゴラ劇場だよな、よく似合っていたなと思うし、こういう芝居を上演する劇場のステータスを上げて懐の深さをアピールしてくれるような芝居。前回観たときから格段に違う。藁の舞台で埃を気にしてマスクを配った制作の配慮もよかったのでメモ。

こまばアゴラ劇場らしかったけど、こういう懐の深さをもった劇場のままキャパシティを増やしたいなら次はシアタートラムが似合うと思うので如何。

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シス・カンパニー企画製作「死の舞踏」Bunkamuraシアターコクーン

<2017年3月19日(日)夜>

軍の拠点として要塞が建築されている島。ここに赴任している大尉と、元女優である年の離れた妻。2人の子供は学校に通うため島を離れている。食糧のツケを払う金にも困る貧乏な生活のなか、軍人としては先がない夫と、単調な生活から逃れて華やかな世界に戻りたい妻とは事あるごとに反目して離婚を考えている。ある日、妻のいとこが島の研究所の所長として赴任する。この機会に島を逃れたい妻と、それを邪魔したい夫との間で、いとこを巻きこんだ互いの喧嘩がますます大きくなる。

多少緩めるところはあっても、砂を噛むような冷え冷えとした夫婦関係が最後まで続く。これまでの人生を賭けた夫とこれからの人生を賭けた妻との夫婦喧嘩は、一応最後に救いはあるけど、こんなに殺伐としたものなのかというくらい。よくこんな脚本を書いたし、よくこんな演出をしたと思う。夫役が池田成志だからきっところでもまだ緩和されたほう。一応これでも褒めて書いているけど、これに驚くか理解を示すか共感するかは観る側の人生経験が問われるような、1時間45分でここまでできるんだという大人の芝居。

それを助長するのが特別舞台で、大きな窓と壁とでプロセニアムアーチをふさいで、普段の舞台側に挟み舞台を用意したもの。プロセニアムアーチの上まで舞台から8メートルくらいか、一番後ろの席だったけどそれより高いところまで窓と壁があって、バトンで天井を同じくらいの高さで揃えていた。至近距離でこのくらい大きい窓が用意されていると迫力と圧迫感がすごくて、それが行き場がなく閉じこめられた夫婦の設定に一役買っていた(脚本中の設定では元監獄を改装して住んでいる)。窓は実際に開いて、普段の客席側へ声が実際に広がる微妙な開放感もある。実際の客席側は「令嬢ジュリー」の舞台だけどそんなことは微塵も感じさせない。これは舞台美術に拍手。シアターコクーンの舞台が天井も袖もあんなに広いとは思わなかった。この舞台の形式は今後もっと活用されてほしい。

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PARCO Production「不信」東京芸術劇場シアターイースト

<2017年3月18日(土)夜>

引越してきた夫婦。中庭をはさんで向かいの家にも夫婦が住んでいる。挨拶に行ったところきつい臭いに閉口して、付合いはほどほどにしておこうと気をつける。そのうち、隣町のスーパーで買物中の妻が、向かいの家の妻の万引きを目撃する。夫に訴えても人違いではないかと言うのだが・・・。

上手な4人によるサスペンス。誰が誰に不信を抱いているのかを変えながら最後の落としどころに持っていく展開。複数の不信の話を並行で仕込むあたりは「刑事フォイル」を彷彿とさせる。古畑任三郎の脚本家の面目躍如。なのだけど、個人的には釈然としない。

展開はよくできた脚本なのだけど、いろいろ移っていく場面で、4人のうちの誰かか、夫婦か、4人全員を外から観ているのか、どの視点から描いたのかがよくわからずに没入しづらかった。偉そうに言うと観客の視点が誘導できずにぶれていたのだと思うけど、何が原因でそうなったかはわからない。

情報量のバランスも問題。人物の背景に関する情報が大幅に制限されている上に、大切な情報が後半に突然ストレートに出てきたりするので、観ながら登場人物に想像を働かせるのが難しく、観ていて唐突感がある。

役者だと向かいの家の妻を演じた戸田恵子、見るからに不審な演技で始まって、後半は落着き気味の演技になるけど、この違和感が最後までとれなかった。推測では、観客側の邪推を誘発させようと三谷幸喜が演出したのだと思うけど、そうだとしたらもったいないの一言。あんなに上手な役者なのだから、普通を装ったほうがよほど怪しくなったのに。

あのラストを生かすためにはどうすればよかったのか、考えたのだけどわからなくてこんな文章になった。

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2017年2月25日 (土)

M&Oplays製作「皆、シンデレラがやりたい」下北沢本多劇場

<2017年2月24日(金)夜>

メジャーデビュー前の男性アイドルの追っかけで知り合った女性3人。中の一人が経営するスナックに集まっては男性アイドルの話題で盛上がる。ある日、男性アイドルの寝顔を付きあっている女性アイドルがTwitterに投稿したことで炎上する。相手の女性アイドルが許せない3人は、貶める情報の検索や拡散に努めるが・・・。

役者の根本宗子は観たことがあったけど、脚本演出作品は初見。追っかけ以外は趣味も境遇も異なる3人の違いを、結構ひどいこと言葉でカラッとした笑いに紛れ込ませつつ、追っかけ側の思い込みや妄想論理を明快に描いた1本。今まで見逃していたのがもったいないと思わせる仕上がり。

途中ものすごい早口でまくしたてるのも含めて、いまどき珍しい1時間45分でお腹いっぱいの満足感。このスピード感と誇張感は最近細っていた小劇場のノリと笑いを使いこなしている。小劇場から大きくなった代表的な劇団から腕利き女優を3人集めるキャスティングからして趣味がはっきりしていて、よくぞ集めたという感じ。美術や衣装や音楽が芝居のトーンに揃っていて、目が行き届いていた。最後はあれだけのために人を集めたという思い切りのよさも魅力。

これで出演もやってかなり上手だから、できる人はできるんだなと思い知らされる。チラシに挟まっていたインタビューを読んだら学生時代に年間100本観てメモを残していたのもすごいけど、コメントのいちいちがはっきりしている。この前スズナリでやっていたと思ったらすでに本多劇場2回目だったのも納得の出来。観て損はしない。

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2017年2月24日 (金)

世田谷パブリックシアター企画制作「お勢登場」シアタートラム (若干ネタばれあり)

<2017年2月20日(火)夜>

若くして歳の離れた男性と結婚したお勢。子供ももうけているが、派手に化粧して度々出かけるお勢の浮気が疑われる。このお勢の来し方行末と、お勢に関わりあった人物たちの人生模様。

江戸川乱歩の短編8本を再構成した芝居。お勢の話が続くと思いきや、「二銭銅貨」のようなお勢が一切関係ない話も足してきて、視点がぶれる。原作を尊重したのかもしれないけど、強引にでもお勢を登場させて、話に一本筋を通してほしかった。あの最後で締めるならなおさら。単発で見ればそれぞれ面白い話が、お勢の話とそれ以外とに散るせいで理解が散漫になってマイナスに働く。怪しい雰囲気だけでつなぐのはつらい。

並居るベテランの中でも片桐はいりがピカイチで、真面目に見せる場面と笑わせる場面の両方とも光る。これに食われたわけではないけど、お勢を演じた黒木華が最初の1本とその後の話とでつながらずにもったいない。舞台に写される年から時系列を考えると、最初の1本はすでに十分悪女の時代のはずで、旦那を見殺しにする場面で思い切りのよさを見せて欲しい。遊園地で働く女の演技は好み。

スタッフワークは衣装と映像がよかったけど、その分予算を取られたのか美術がそれらに見合わず安っぽく見えた。多い場面数に対応して転換に工夫を凝らしただけでなく回転木馬まで導入していたけど、シアタートラムだと舞台に近すぎて目立つ。

観てそれなりに楽しんで、江戸川乱歩の怪しい雰囲気も、笑いも味わったけど、同じくらいもったいない点が目立った芝居だった。美術の話はさておき、脚本演出でもう少し持っていけたはず。

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