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2024年10月20日 (日)

unrato「Silent Sky」俳優座劇場

<2024年10月19日(土)夜>

19世紀のアメリカに牧師の娘として生まれたヘンリエッタ・スワン・レヴィット。まだ女性が就ける職が大幅に制限されていた時代、ヘンリエッタがハーバード大学に星の測定結果の整理を行なう計算手として職を得るところから、その仕事の傍らで星の距離を測るための重要な方法を見つけるに至るまでの話。

実際にいた女性天文学者を基に書かれた翻訳もの。Wikipediaによれば業績は知られていても人となりはあまり知られていないらしく、また少々省かれたり順番の入替ったりしているところもあるようなので、そのあたりは芝居として楽しむのが吉。

脚本がヘンリエッタの生涯のあらすじに当日の女性の自立運動を重ねるように書かれているためやや忙しく、そこを演出も追いかけて、よく言えばテンポがよくて、悪く言えば緩急が足りない。そこに強弱を足してくれた高橋由美子と竹下景子はさすがの出来。

と書くと悪く聞こえるけど、やっぱりそれなりによくできた脚本であり、シンプルな舞台美術が生きる場面も多数。2日目の3ステージ目だったので後半もっとよくなることも期待できる。

アフタートークがあったけど、演出家と、唯一の男性キャストの松島庄汰はいいとして、unratoの前回出演者の陣内将を招く必要があったのかは疑問。招かれたからにはもう少し観たばかりの芝居に対してコメントしてほしいし、進行した演出家もそちらに振ってほしい。それよりは出演者にもう一人頼めなかったのか。

狂言ござる乃座「70th Anniversary」国立能楽堂

<2024年10月19日(土)昼>

猟師の霊が妻子の前で生前の猟の様子やその報いで地獄で鳥に追われる様子を描く「善知鳥」。遊山に出かけた主人と太郎冠者だが、川で舟の渡しを呼ぶときに太郎冠者はふなと呼ぶので、それはふねだと主人が教えたらそんなことはないと太郎冠者が言い返す「舟ふな」。親族すべて罠にかかって失った狐が僧に化けて猟師に狐を釣る罠猟を止めるようにと言い含め、それで罠を捨てさせて喜んでいたが「釣狐」。

動きの妙を観ていた「善知鳥」と「釣狐」。言葉遣いが古いところに節回しが重なって何を話しているのかわからない、大勢でユニゾンをやられるとなおわからない、やっぱり字幕がほしいと考えてしまった。古典だから筋を知って観るものだと頭ではわかるけど。

その点「舟ふな」は、ひらたい話を明晰に話すのでわかりやすい。万作はさすがだけど、太郎冠者の三藤なつ葉はその孫娘でまだ小学生らしいのに、あれだけしっかり姿勢を決めてはっきり話せるのはさすが。そのやや高い声ではっきりと話すのを聞いて、元の台詞の言葉遣いの古さとイントネーションの関西風なことを改めて認識した。

あれくらいはっきり話してもらって観客にはちょうどいいけど、やはり能狂言は重々しさも求められて、そのあたりの兼合いが観客としては悩ましい。

世田谷パブリックシアター企画制作「セツアンの善人」世田谷パブリックシアター

<2024年10月18日(金)夜>

善人を探すために旅をしている三人の神様は、貧しくてあわただしい街セツアンにやって来た。そこで一夜の宿に泊めてくれた貧しい娼婦のシェン・テを善人として、大金を与えて去る。その金で煙草屋を買って商売を始めようとするが、煙草屋を買うところから騙された上に知合いの貧しい一家が押しかけて来たために初めから躓く。そこを何とかするために、損得を第一に考える架空の従兄シュイ・タを考え付くと、自分でシュイ・タに化けて周りの貧しい人たちを一掃する。それで一息ついたシェン・テだが、ある雨の夜に失業中のパイロット、ヤン・スンと出会ってしまい、一目惚れして恋に落ちる。

有名だけど見たことがなかったブレヒトの1本。観終わればまあなんという意地悪な脚本だと考えずにはいられない。シェン・テとシュイ・タ2役の葵わかなは前半ヤン・スンと結婚を決める場面にもう少し迷った風情がほしかったけど後半はいい感じ。ヤン・スンの木村達成はヒモっぷりがいい感じ(笑)。脇も十分実力揃い。最後に異化効果で終わるのがああこれが異化効果かブレヒトらしいと思えるけど、たったあれだけの台詞でも説得力を持たせるには小林勝也は適任。

席はまだ空いていたけど、まだ観たことのない人には上の席なんかで勧めておきたい。これ、時間を置いて二度観ると自分の立場や考え方の変わりように気づかされるような脚本なので。

新国立劇場主催「ピローマン」新国立劇場小劇場

<2024年10月18日(金)昼>

とある検閲の厳しい国家で警察に呼ばれた男。兄と二人で暮らしており、趣味で短編小説を書いている。一緒に押収された小説は子供が酷い目に遭って終わる話ばかりだが、それで警察に呼ばれるとは考えられないと訴える。やがてやり取りの末に聞かされた話は、自分の書いた小説の通りに殺された子供がいて、兄と共謀して子供を殺した容疑であることと、隣の取調室に兄も呼ばれていること。自分も兄もそんなことはしていないと必死に訴えるが・・・。

悲惨な話で定評のあるマーティン・マクドナーの一本を小川絵梨子が演出。十分に素晴らしい出来だけど脚本の裏テーマである小説家と読者と物語の話を掘りすぎて表である酷い目に遭った子供の話が置いていかれた感あり。まだまだ役者にできることがたくさんある印象。

劇場の壁にも貼られていたしこの日あったアフタートークの頭でも話していたけど、物語を創ることを演出家が追及した結果こうなったのは想像が付く。ただ、アフタートークで真っ先に、救われましたよねと司会が話していたけど、誰が何から救われたかといえば観客が絶望から救われたのは第二で、第一には作家の弟がそこに至るまでの酷い人生のはずだから、そこは両方追及してほしかった。

ちなみに小川絵梨子の過去の本人演出は観逃したけど、パルコ劇場の日本初演(のはず)は観たことがある。あのときはロンドン留学前でバイオレンス全盛時代の長塚圭史が演出して、高橋克実、山崎一、中山祐一朗、近藤芳正が主要4人だった。今回よりももっと乱暴な演技で表の話を強調しながらも、物語を創る裏の話は脚本に十分織込まれているのだからそれでも通じた覚えがある。記憶の美化はあるかもしれないけど。

今回は対面舞台。距離が近いのは結構なことで、奥側の席で観たけれど多少正面寄りの場面はあってもさして損した気分はなかったからそこは気を使って演出されていた。ただし舞台前面端に置かれた美術の数々は客の陰に隠れて後ろからは見えなかったから、前2列くらいとそれより後ろとでは受ける印象はかなり変わるはずで、あれはもったいなかった。バルコニー席は不明。音響が選曲と会場の音響構築と両方でいい感じ。

アフタートークは次があって途中で抜けたからあまり書かないけど、役者全員に小川絵梨子に司会は中井美穂であっているか。全員で英語脚本と小川絵梨子の翻訳を見比べながら細かい語尾や単語は役者が調節もしたらしい。あとは非常に雰囲気のいい現場だと役者が全員強調していたけど、それなら余所の現場はどうなんだとツッコミのひとつもほしいところ。人が多すぎて話を回すのに一苦労で分散していたのがもったいない。

2024年9月29日 (日)

ヨーロッパ企画「来てけつかるべき新世界」本多劇場

<2024年9月28日(土)夜>

大阪は新世界の片隅の外れにある串揚げ屋。母が亡くなってから引きこもって飲んだくれる父に代わって娘が切盛りする店には、近所のうだつのあがらないおっさんたちが常連客としてやって来る。だが世の中は進む。ドローン技術やロボット技術、AI技術が進み、その波は新世界の片隅の外れにある串揚げ屋にも確実にやって来た。

岸田國士戯曲賞受賞作の再演。技術の進歩を縦軸に、その技術を活用したり翻弄したり受入れたり受入れなかったりする人間模様を横軸に、だけどあくまで新世界の片隅の外れを舞台に庶民の立場で描く舞台。技術に翻弄されてもひるまず、きれいばかりではない駄目人間も馬鹿にせず、技術ネタからこてこてのネタまで笑いをこれでもかと詰込んでダレることなく2時間強を走り抜けた1本。誇張抜きで過去一番笑った芝居だったかもしれない。

はまり役ばかりの役者陣では、主人公の娘を演じて今が見ごろの藤谷理子、憎めない役を精度高く演じたトラやんの永野宗典とラーメン香港の中川晴樹を挙げておく。歌姫の町田マリーと散髪屋の岡田義徳とキンジの金丸慎太郎のゲスト組はもう少し観てみたかったけど文句なし。というか文句をつけるところなし。

技術と人間の関わり方は今ならどんぴしゃま話題なので、全国ツアーをやっているけど海外ツアーを組まれるべきだった。超ローカルにして超グローバルな芝居。岸田國士戯曲賞も納得の、文句なしの傑作。

劇団青年座「諸国を遍歴する二人の騎士の物語」吉祥寺シアター

<2024年9月28日(土)昼>

街から離れた砂漠のどこかにある移動式簡易宿泊所。やって来たのは病人を治して稼ごうとする医者と看護婦、それに亡くなる人に祈りを捧げて稼ごうとする神父。買出しに出かけていた宿の人も戻ってきて険悪な雰囲気になりかけたところに、遍歴する二組の騎士と従者がやってくる。どうにも話がまとまらない中、水を飲んだ看護婦の体調がおかしくなり・・・。

初日。ナンセンスな出だしからは思いつかないくらい殺伐とした話に進むのも不条理と言うべきか。遍歴する二人の騎士である山路和弘と山本龍二の掛合いが始まるあたりからが本調子になってくる演出。この年齢までやってきた二人だからこその凄みととぼけた感じを両立させるやり取りが見どころ。山路和弘が適当にアドリブをかまして周りの役者を笑わせていたけど、それより初日で比べるなら山本龍二を推したい。周りの役者もいい感じではあったけど、脚本にいろいろあった小ネタは流したのか上滑りして流されたか、できればそこでも笑いを取りたい。音楽に生演奏を入れることで雰囲気のライブ感がより高まる仕組みもいい感じ。年齢高い人の方が楽しめるかもしれない。初の別役実作品としてなかなかいい芝居を観られたので満足。

2024年9月23日 (月)

野田地図「正三角関係」SkyシアターMBS(ネタバレあり)

<2024年9月21日(土)夜>

戦中の日本、とある地方で行なわれている裁判。被告は父親殺しを疑われている花火師。起訴したのは地元の検察官、弁護するのは東京から来た弁護士。検察官が被害に遭った番頭たちを証人に出して被告の当夜の行動を示せば、弁護士は花火師の2人の弟を証人に立てて父親の酷さと兄の無実を申し立てる。空襲警報で何度も裁判が中断しながらも、他にも証人が入り乱れて、花火師と父親のこれまでの関係と当夜の出来事が少しずつ明らかになっていく。

前情報は入れないように注意して、大阪まで出掛けてきました。それは後で書くとして、カラマーゾフの兄弟を下敷きにしたという野田地図の新作。カラマーゾフの兄弟は未読なのでそちらとの比較はできませんので後からWikipediaで粗筋だけ確かめましたが、見所はありつつも大阪まで遠征させるものではないぞという出来。以下結末まで含めたネタバレです。

3人の兄弟が上から花火師、物理学者、牧師を目指してそうなったとオープニングで話されますが、スレた観客としてはここで「花火に物理学者なら爆弾?」と気が付いて、火薬を探す花火師に絡んで早い段階でウランという言葉が出てきたので、それで牧師なら教会で原爆で「パンドラの鐘」のリメイクか、と身構えながら観ることになりました。長崎の地名を出すのはだいぶ後まで引張ったのに、どうしてあんな早い段階でウランと明かしてしまったのか理解に苦しみます。後半、父親と花火師とで取合った女性としてグルーシェンカが出てきますから、それでしばらく引張ればよかったのに。

もっとも、E=mc^2もかなり前倒しで話していました。その物理学者の弟が原爆研究に携わり、その起爆に花火師の兄の腕前を云々というところは「東京原子核クラブ」を思い出させるような設定です。

牧師を目指した三男はどうもぱっとしないというか、話に絡むのが薄い。もちろんヨハネの黙示録の夢を見て原爆の投下を暗示するとか、兄が数式を話す手伝いをするとかあったのですが、都合よく話を進めるための役どころかと観終わったときには感じました。

で、観終わったところで思い返して、やっぱり「パンドラの鐘」だったと考えました。原爆投下の話にアメリカ人パイロットの会話を挟んだり、ラストが焦土になったりして、原爆を落とすなんてアメリカ人はとんでもねえよなと思わせる展開でした。だから一瞬、パンドラの鐘から20年経って還暦を過ぎて、野田秀樹も転向したのかと驚きました。

ただし竹槍で飛行機を落とす訓練をする場面を挟んだり、兄が戦死した電報を配る配達人を挟んだり、いまいちすっきりしないラストの長台詞だったりを考えると、あれはやっぱり、負け戦になっただけでなく焼け野原を引起した天皇の責任を訴える芝居だったのかと考えました。ここまでは観終わってホテルに戻って考えたところです。

その後、家に戻ってこの感想を書くためにカラマーゾフの兄弟の粗筋をWikipediaで読みました。割と芝居は原作の設定に則っているようで、次男が無神論者なことに加えて、三男の仕える牧師が亡くなって死体の臭いがきついから神への疑念を抱くところも原作にありました。神などいない、つまり現人神などいないに掛けていますよね。やっぱり「パンドラの鐘」だったと強く確信した次第です。ただの反戦ではないですよね。天皇を描かないようにしながら天皇の責任を問うためにカラマーゾフの兄弟を借景にした芝居だったと理解しました。

おかげで遠征させるものではないぞと考えた理由も整理できました。大きなところでは脚本が理由です。もともと難解なカラマーゾフの兄弟に寄せすぎて、野田秀樹の芝居の特徴である遊びが絡ませつつ、しかも天皇を描かずに戦争責任を問う(問うように誘導する)展開がかなり挑戦的です。予想では、カラマーゾフの兄弟を深く読んでいた人ほど脳内で補完して驚けたのではないかと思います。が、題名しか知らない自分にそれは無理でした。むしろ野田秀樹の過去作をそれなりに観た経験が邪魔をしたかもしれません。脚本で細かいところを言えば、途中で無理して韻を踏むような台詞を入れていましたが、あれは日本語の通じない外国人対策でしょうか。軽く飛んでいくような台詞が魅力の野田秀樹なのに、べったり重たく感じていまいちでした。

そして、3人兄弟が出てくるなら協力するにしても対立するにしてももっと互いが絡む要素を入れておくべきでした。特に長男の花火師が弟2人とあまり絡まないため、ラストの長台詞が活きない。序盤のあれだけでは足りない。いや違うか、弟に限らず長男が絡む他の役が少ないから、普段の生活感を感じられず、ラストの長台詞を語らせるのに向かなかったのですね。ここはカラマーゾフの兄弟に引張られすぎて野田秀樹が怠ったのではないかと想像します。

この3人兄弟ですが、悪くはなくとも良くもない。主人公となる長男の花火師を演じた松本潤は身のこなしがさすがでしたが、役に動きが感じられない。そういう脚本だと言えばその通りですし、どっしりとした存在感と言えばどっしりとしていましたが、主人公には前のめりな姿勢が求められるのが野田秀樹の芝居です。どうにもならないラストに向かって疾走して、力技でラストの長台詞を料理してほしかった。それは次男の物理学者の永山瑛太も同じで、後半のあるところから原爆の開発を目指すことが明確になって、兄に仕事を頼んで巻込むことになるのだから、そこからは悩みつつも危ういところへまっしぐらな様子を見せてほしかった。

そんな中で三男役を演じた長澤まさみが何とも不思議な印象で、野田地図2回目かな? 出番は少ないながらも声が耳を惹く。後半、早替えでグルーシェンカとの2役になったら遠目にもスタイルのいい姉ちゃんで、誰だこの役者と一瞬わかりませんでした。なんというか、助平心とは別の健康美のような華で気を惹かれました。それも助平心だろうと言われればその通りですが、「紫式部ダイアリー」よりは圧倒的によくて、カンパニーに馴染んでいました。ただし馴染んだだけでは駄目なのが野田地図で、そこにもうひと工夫がほしかった。2役どちらとも遊ぶ余地があった役のはずですが、役を役通りにこなして終わってしまいました。

圧倒的によかったのが脇だったはずの池谷のぶえで、ウワサスキー夫人というふざけた役名が体現するべきおふざけを完璧以上にやってのけました。声と言い仕草といいとぼけぶりといい、それでいて締めないといけないところもその延長でやってのけて、そうそうこれこそ野田秀樹芝居だよと出番のたびに考えました。あとは竹中直人も検察官と父親の2役ですが、どちらも渋い出来でいい感じでした。役者野田秀樹はいつも通りですが、村岡希美と小松和重が上手いだけで終わってしまったのがもったいない。もう少し遊べたところを上演時間の都合と外国公演向けに整理されたのかもと妄想します。字幕翻訳の都合でアドリブに近い言葉遊びネタが出来なくなるのだとしたらもったいないですね。そうなると池谷のぶえのやり方が正解になる。

あとはコロス。近頃の野田地図はコロスが美しくて、遠目にもよくできていたというか、遠目のほうが楽しめます。絵作りが上手ですよね。井出茂太を振付に呼んでいるだけのことはありますが、台詞も一部持たされてよく全うしていました。スタッフは今さらですが、ひびのこずえの衣装を挙げておきます。

だから総評は、脚本が無理な挑戦をして乗越えられなかったところを役者でカバーしたかったけれど、主役3兄弟がお呼ばれ感のあるお行儀のよさで天井を破れず、脇は脇で海外公演の都合で字幕をいじるような遊びを封じられて、それでも活路を見出した池谷のぶえの圧倒的技巧と、それに匹敵する長澤まさみの華と、それだけ無理をしてもなお形になったカラマーゾフの兄弟原作の骨格で何とか繋いでみせた仕上がり、でした。観てよかったかと聞かれればよかったと答えますが、遠征した甲斐がありましたかと聞かれれば私にとっては微妙でした。

そもそも東京公演、いつも通り舐めていたせいで前売りを買えずに当日券狙いになったのですが、4日間6公演でくじ引きに挑んで6回返り討ちに遭いました。うち3回が1番違いで、特に3回目の1番違いを引いた最後は、もう東京公演は諦めろという当日券の神様の啓示が降りてきましたね。お前以外にどれだけ当日券に祈りをささげる者がいるのか考えたことがあるのかと声が聞こえました。神はいます。いますけど、当日券の神様に座席は作れない。ただ差配するのみです。

ちなみに今回の当日券、東京公演がリストバンドによる抽選、北九州公演がオンラインによる先着、大阪公演がオンラインによる抽選でした。このあたりはスタッフの都合によるものか、いろいろな販売方法を試して次回に活かすつもりなのか、わかりません。東京公演では番号発表と自分の番号から察するに、毎回だいたい15倍から20倍くらいの倍率だったと推測します。リセール狙いは最後までやっていましたが、全滅しました。

ぼろ負けして発想を切替えられたので、大阪公演の予約が始まるところに間に合って何とか確保できました。前後左右全員双眼鏡持ちという座席でした。いい劇場なので見切れはありませんでしたが、遠いものは遠い。おかげで芝居から距離を置いて眺められたのはあったかもしれません。

それにしても純粋な遠征目的の旅行は人生2度目でしたが、宿の予約を舐めていたら高い宿になるし、昼間は観光で大阪を歩いてみようとうっかり歩いたら疲れて死にそうになって芝居の前に宿でひと休みしたりで、偉い目に遭いました。歩いたのは自分の物好きなのでさておき、東京に芝居を観に遠征してくる人たちはチケットが取れた瞬間に宿の予約に手が動いたり、持っていく荷物や格好も決まっていたり、このあたりはもうルーチンになっているんでしょうか。翌日の午後は早めに引揚げたつもりですが、家に戻ってから後片付けに追われるわ次の日に起きてもまだ足が痛いわで、遠征不慣れなばかりにへろへろになってしまいました。予定を組むのが嫌いなので割と行き当たりばったりで直前に決めるのですが、そういうことをやりたければ身体を鍛えるところから始めないといけないと思い知らされる遠征でした。

2024年9月17日 (火)

神奈川芸術劇場主催企画制作「リア王の悲劇」神奈川芸術劇場ホール内特設会場

<2024年9月16日(月)昼>

老いて国を三人の娘に分け与えようとする王。長女と次女の追従に喜ぶが、言葉を飾らず感謝を述べる三女に激怒して勘当してしまう。三女に与えるつもりだった領地も長女と次女に与えて自分は月替わりで世話になるつもりだったが、父親の癇癪ぶりを目の当たりにした長女と次女は一計を案じる。その裏で、王の家来である伯爵の私生児である息子が、後継ぎの座を狙って姉を追落としにかかる。

初日。見慣れたせいか自分が歳をとったのか、それとも翻訳がこなれているのか、特に翻案はしていないはずなのに日本語のシェイクスピアもここまで来たかというくらい明瞭な上演。リア王の木場勝己はここからさらに先を期待できる出来。ケント伯爵の石母田史朗、グロスター伯爵の伊原剛志、次女の森尾舞、コーンウォール侯爵の新川將人が快調。兄ならぬ姉になったエドガーの土井ケイトは場面によって良し悪しの幅が大きいからがんばれ、二役の原田真絢は道化はいいから三女をがんばれ、長女の水夏希はもっとがんばれ、エドマンドの章平とオズワルドの塚本幸男とオールバニ侯爵の二反田雅澄はいいけどもっといける、が初日寸評。スタッフはどれもいいけど和風の歌を歌わせた宮川彬良に一票。なぜか似合っていたし、あれを道化に歌わせることで芝居の調子が決まった感がある。雨だけ客席も巻込むつもりでもっと大袈裟にやってもよかった。

今回は配役でも訴える演出。三女と道化を同じ役者が二役兼ねることで追放した三女に道連れで助けられるというメタなところが出たし、グロスター伯爵も疑って追手を掛けた娘に助けられるというリア王と同じ境遇が造れた。あとはコロスにあたる兵士にきっちり演技をさせるところもよかった。あれをやればこそ、伝令を伝えるにしても止めに入るにしても、場面が生きる。行届いた演出。

客席削っているから距離は近くで観られるけど、舞台の間口は削らずに客席が横に長いから、前の端席だと首が痛くなる。当日券を狙うなら後ろでも中央寄りをお勧め。あれは客席の組み方をもう少し工夫してほしかった。

なお、芝居を観終わってこの感想を書こうとしたらちょうど社長が娘に刺されたという事件が目に入ってきました。何と普遍的な芝居だと感に入っているところです。

2024年9月16日 (月)

木ノ下歌舞伎「三人吉三廓初買」東京芸術劇場プレイハウス

<2024年9月15日(日)昼>

将軍家から拝領の脇差を盗まれたためにお家断絶して吉原に沈んだ妹の厄介になりながら悪事を働くお坊吉三、旅回りの役者上がりで娘のふりをして盗みを働くお嬢吉三、これが盗んだ百両を巡って寄越せ寄越さないと揉めたところを仲裁した和尚吉三。義兄弟の契りを結んだ三人だが、この百両を巡って三人に縁のある人間の運命が動き出す。

初日。歌舞伎の台詞も節回しを止めて話してみれば実に明瞭。よくぞこれだけ色々な役者を揃えたもので、初日にして仕上がり十分。目を惹いたのはお坊吉三の須賀健太と吉野の高山のえみ。特に須賀健太はこの役のためによくぞ見つけてきたなの一言。出来のよさなら伝吉の川平慈英が文句なしの一番で、和尚吉三の田中俊介が後半尻上がりに調子を上げていく。そのままやったら役に負けるところ役を手中に入れた文里の眞島秀和とおしづの緒川たまき。おいしい役を楽しそうにやった武兵衛の田中佑弥と金貸太郎右衛門の武居卓。役に徹して控えめにやって見せた武谷公雄と山口航太と緑川史絵。スタッフは和洋ごちゃ混ぜの衣装がことによし、音楽は一幕が薄い割に後ろが濃いのはバランス調整の余地あり、が初日寸評。

一度観るにはいい座組みですけど、当日券は余裕あるも、上演時間が休憩2回挟んで5時間20分なのは覚悟してください。今思えばコクーン歌舞伎の3時間40分は素晴らしかった。地獄の場が初演以来カットされてきたのももっともで、あそこを切って休憩1回減らせば30分以上縮まりますよね。せめて4時間半に収まってくれれば他の芝居の夜の部に当日券狙いで駆けつけられたものを。それでもやるなら、長引くからと自虐するよりもっと笑わせに来いや、と言いたくなる。あの場面だけが瑕疵。

詳細後日、は書かなくてもいいかな。

2024年9月15日 (日)

ロデオ★座★ヘヴン「法王庁の避妊法」「劇」小劇場

<2024年9月14日(土)夜>

大正時代の新潟。産科の荻野は不妊や多産に悩む患者を診察しながら、女性の排卵日を知るための研究を続けている。その産科には堕胎をよろこばないカトリックの助手や、女性解放運動に賛同する看護婦が働く。そんな荻野のところに結婚話が上がり、結婚するなら自分の研究に協力してほしいといきなり相手に申し入れてしまう。

オギノ式で知られる荻野久作がそれを見つけるまでの苦闘を縦軸に、それにまつわる様々な立場の登場人物を上手に配置して横軸に、初演1994年とはまったく思えない脚本は何度も上演されることがよくわかる。その脚本を小劇場らしさを上手に生かした手つきで演出して役者も好演。ここで一度観ておくかと選んだ判断は正しかった。面白かったです。上演期間が短いですけど未見の人は当日券狙いもいかが。

<2024年9月17日(火)追記>

詳細後日で書こうとしましたけど止めておきます。

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