2017年10月 9日 (月)

KAAT×PARCOプロデュース「オーランドー」2017/09/23-10/09@神奈川芸術劇場ホール(若干ネタばれあり)

<2017年10月8日(日)昼>

16世紀に絶世の美少年として生まれ、詩人を目指すオーランド―。女王に見出されて宮廷に仕えることとなってから、17世紀を生き、18世紀にはなぜか美女となり、その後の時代も生き続ける彼のち彼女の話。

ヴァージニア・ウルフ原作小説の舞台化の翻訳。場面転換の多さや一人複数役をこなさないといけないところを、小劇場色の濃いキャスティングの妙と、生演奏と映像と衣装をスマートに振ったスタッワークとで、結果かなりモダンな芝居に仕上がった。自分はとても好み。

男が突然女になる点については、男だけで女も演じる劇団や、女だけで男を演じる劇団や、水やお湯をかぶると男女が入れ替わる漫画が存在する国の民としてはそんなに違和感はない。調べたら女性作家であるヴァージニア・ウルフが、そのころ付きあっていた女性詩人との関係をもとに書いたらしい。そういう背景なら男が女になる展開は理解できるけど、芝居の大きな嘘がもう一つ。16世紀からなぜかずっと生きるのは、筋を追うだけでは説明がなくて意味がわからない。そういう意味のわからないところがいかにも白井晃の企画だと思える。

そこはきっと舞台化するときに整理されていて、観た印象は「その時代でもっとも美しいとされていた存在」と「その時代で力を持ちもっとも美しいものを求めていた存在」との関係の変遷を描いて、その変遷の軌跡の上に現代ではその年齢の女性が一番美しくまた力を持っていて、そういう孤独な存在であるがゆえに他人を求めるという現代人への解釈兼賛歌に仕上がっていた。芝居中では21世紀が最後で、そこで詩人は読者を求めるという台詞と、タブレット端末を抱える詩人の現代女性という演出でとてもに今っぽく、格好良く、何というか、力強さを感じさせた。

これを成功させたのは一にも二にもキャスティング。オーランドーの多部未華子が、美少年も美女もやっぱり美しくて似合っていた。それを翻弄するロシア皇女の小芝風花が、回る装置の上で踊る場面を見ながら運動神経いいなと思ったらスケート経験者だった。見目麗しさを楽しむならなんといっても前半。それよりも脇がさすがで、宣伝では小日向文世の女王役が推されているけど、他の3人(戸次重幸  池田鉄洋  野間口徹)も含めて小劇場出身者が生きていた。芸達者というだけでなく、リアリティの処理が上手いと言えばいいのか。うっかりすると疑問を持ったり白けたりする場面だらけ、しかも詩的な台詞も多い脚本を、時に真面目に、時に笑わせながら成立させていた。女性陣の美しさに目を奪われがちなところ、男性陣の能力を見落してはいけない。ちなみに翻訳劇なのに小劇場っぽい台詞が多数。翻訳なのか現場で演出しながら直したのか、どっちなんだろう。

多部未華子の発声が喉声だったのだけが残念で、あの台詞群をしっかりした発声で言い回せていたらどれだけ説得力が増して芝居のレベルが上がったか。少年の場面はよくても大人の女性の場面がつらい。せっかくの大器なので、いまからでも発声を習ってほしい。

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株式会社パルコ企画製作「想い出のカルテット」EXシアター六本木

<2017年10月7日(土)昼>

音楽家ばかりが余生を送るホーム。特に仲がよいテノール歌手、バリトン歌手、アルト歌手の3人。そこにソプラノ歌手だった女性が入居する。彼女はバリトン歌手の元妻だった。4人はかつてカルテットで組んだこともあったので、秋に計画されているホームのイベントでトリを依頼されるが、ソプラノ歌手は拒否する。他の3人は何とかしてカルテットでイベントに参加できるように苦心する。

黒柳徹子の毎年恒例の海外喜劇。脚を骨折したとのことで、車椅子での出演。ソプラノ歌手は元気がない役だったけど、黒柳徹子がその通り元気がなさそうに見えて、ああこれで見納めかと思っていたら、上演後のトークショー(今回たまたまその日だった)では実に元気にしゃべり続けて、あれは演技だったのだなと後から納得。ただ上演中は演技か素かわからず、観ていてはらはらした。喜劇でこんな状況を作り出すのはよくないので、演出でもっと元気な造形にしてもよかったのではないかと思う。演出家が亡くなって、いまさら誰も提案できないんだろうな。

男同士はあまりお互いの秘密を伝えないのに、女同士は具体的に秘密を打明ける点に笑った。役者では、最初は声よしタッパよしのバリトン団時朗がいいなと思ったけど、ずっと観ているうちにテノール鶴田忍がいいなと思えた。どこがいいと上手くいえないけど、何だろうあのよさは。

トークショーのメモ。いつも時間が延びると言われて注意しながら話していても予定を10分オーバー。もちろん録音なんてしていない、記憶だけなので間違いご容赦。

・杉村春子は人のことを刺すような悪口を言ってしかも自覚がないからフォローしない人。唇の大きい人が口紅を塗らないで舞台に上がったら「何で口紅を塗っていないのか、あ、唇が大きいからいらないのか」と言って、しかも何もフォローしないから言われた方はたまらない(笑)。ところが自分も言われたとおっしゃる。劇団で初めて舞台に出演することになって先輩がメイクをしてくれることになって、いざメイクとなったら「あんたこんなまずい顔で。メイクどうしよう。これから女優をやっていくのにどうするの」と言われたと恨んでいた(笑)。なのに自分が刺すようなことを言っている自覚はない(笑)。

・杉村春子は黒柳徹子より前の時代の人。海外の芝居でも、初期のころは洋服の下から腰巻が見えるような衣装で頑張っていた。そんな格好でもあの人たちの世代が頑張ってくれたので日本の(現代の)芝居が始まった。

・今は全然着物を着ている人がいない。黒柳徹子の、まだ追放される前の小学校時代(笑)の写真を見ると、自分の母親は洋服だったが、他の子どもの親はみんな着物を着ている。でも着物はいいものなので世界ふしぎ発見では毎週着物を着ている。最初は、クイズ番組で間違えて馬鹿がばれると困るから変装のつもりで着ていた(笑)。あれは毎週違う着物を着ていて、当初はXXさんという染織家の人(名前失念)にお願いして、その後はそのお弟子さんの着物をお願いしている。

・芸人殺しと呼ばれている。徹子の部屋にお笑い芸人が出演して披露してくれても「ほう」とか「どういう意味ですか」と聞いてしまって、意味が分かるころには説明しているほうもつまらなくなっている(笑)。自分は説明が必要な笑いが好き(注:喜劇のような伏線のある笑いのことと推察)。

・(間があって)トークショーは面白いことを話さないといけないと考えながらしゃべるので間ができるのだけど、そうするとぼけたのかと心配されるのでなるべく間をあけないようにしないといけない(笑)。芝居は台詞が全部あり、脚本家が書いてくれたものなので、当然覚えている。生放送の時代はひどかった。

・どういうわけか女性は台詞を覚える。覚えないのは男性に多い。覚えないからあちこちにカンニングペーパーを用意する。書けるところには何でも書く。電柱のセットがあればそこに貼るけど、何かの拍子に電柱が回ってしまうと自分のカンニングペーパーがどれかわからなくなって、犬のように電柱の周りをぐるぐる回って探すことになる(笑)。もっとすごいのは白菜やネギや豆腐にも書いている(感嘆)。だから鍋物に入れる場面なのにそこは入れられない(笑)。

・小沢昭一だったか。全部台詞が飛んだので自分が全部しゃべったことがある(笑)。「こうでしょう、そうするとあなたはこう考えるわね、そしたらこうよ」と繋げた。あとで「あの時はありがとう」とずいぶん感謝された(笑)。(注:テレビドラマではこのエピソードは三木のり平になっていたけど、このトークショーでは小沢昭一と言っていた)

・三木のり平もひどかった。机の上の映らない場所にカンニングペーパーを用意しているが、「おう君はXX君か、えーと君の場合は」とカンニングペーパーが多すぎてどれがどれだかわからない(笑)。

・生放送時代はいろいろなハプニングがある。

・例1。刑事もので、オープニングで刑事が犯人に手錠をかけて、その後で刑事の家庭や取調室の場面が続くドラマだった。が、手錠の鍵が見つからない。仕方ないから刑事の家庭の場面では犯人がテーブルの下に潜ったり(笑)、取調室の場面で手錠を隠しながらつづけたりしようとしたけど、途中で打切られた(笑)。

・例2。時代劇で、オープニングで戸を開けると「ない!」と厨子が盗まれている、最後に取戻す、というドラマだった。が、リハーサルで置いた厨子を片づけ忘れて、戸を開けたら「ある!」となってしまった(笑)。そうしたら、赤い帽子をかぶったスタッフ(スタッフが見分けやすいようにそのころは赤い帽子をかぶっていた)がこそこそ厨子を片づけるのだけど、時代劇なのに帽子をかぶった人が映るのはおかしい(笑)。これも途中で打切られた。

・例3。左卜全が亡くなって棺桶に収まっている仏の役で、刑事役が森繁久弥。棺桶前で刑事が話す場面と他の場面が交互に映るドラマだったが、出番が終わったと勘違いした左卜全が途中で帰ってしまった(笑)。森繁久弥がつなげようと工夫するのだけど、さすがの森繁久弥でもつながらず、やっぱり途中で打切られた(笑)。

・途中で打切ってどうするかというと、「しばらくお待ちください」と表示して、そのうち次の番組になる。

・後年、ベストテンも生放送だったが、あれは一位が後ろに来るので何としても時間通りに進めないと一位が漏れてしまう構成。でも間に合わない場合も多々あった。化粧しながら出てきた女性歌手もいた(笑)。

・郷ひろみが登場する回で、同じ局のドラマで浅野匠之守を直前まで撮影していた。楽屋入りしたと連絡があったので安心していたら、時代劇の衣装を脱いで歌手の衣装になってメイクも直さないといけない。「どうぞ!」とやったら誰もでてこない。久米宏が中を覗き込んで「いない!」(笑)。久米宏は生放送の経験が(当時は)少なかったのであわてていたが、自分は慣れていたので「コマーシャルにしますか」とスタッフに訊いていた。

・自分の例。黒柳徹子が田舎から東京に出てくるドラマで、田舎のセットと東京のセットが同じスタジオに組まれていた。田舎の場面は縁側で、庭をニワトリが歩いている。次に東京の場面になって家族あてに手紙を書く場面で、部屋の中をニワトリが横切る(笑)。慌ててスタッフが取押さえた。そのあとでまた田舎に帰った場面になるが、ニワトリがいないので雰囲気がでない、と思ったら、縛られて動けないニワトリが放り込まれて、「ぐえっ、ぐえっ」と苦しそうに鳴く(笑)。思わず大笑いしてしまったら後で「あの笑いがよかった」とほめられた(笑)。普段出演しているときは笑わない。最近は出演者が笑うことも多いけど、自分は笑わない。

・毎年喜劇を上演しているけど、笑えば観終わった人が元気になるから。最近ますます欝になっている世の中で、せめて観ている間だけでも笑ってほしいと願っているから。悲劇なんて簡単でちょっと「(悲しげな声で)お母さん・・・」とか言えばみんな泣きますから(笑)。笑わせるのは難しい。

他にもあったと思うけど、とりあえずここまで。

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2017年10月 7日 (土)

ワタナベエンターテイメント企画製作「関数ドミノ」下北沢本多劇場

自動車が歩行者をはねたはずなのに、歩行者は無傷で自動車が大破、助手席の同乗者が瀕死の重傷となる。状況が不可解なため、再調査を依頼された保険調査員に集められた関係者たち。だが関係者の証言を再確認しても原因は不明のまま。話が行き詰ったところで、目撃者の一人が仮説を提案する。願いが何でもかなう人間が存在する「ドミノ理論」、その中でも思った瞬間に願いが叶う「ドミノ1枚」の人間がいたのではないか。提案した目撃者はこの仮説を確かめるためにある手段で調査を開始する。

自分が以前観たイキウメ本家はリライト版で、今回が初演版とのこと。演出の違いがあるにしても、印象が全然違ってもっとシリアスに。もともと面白い脚本が、全体にハズレのない役者陣でさらに面白く上演。その中でも目立ってよかったのは瀬戸康史と柄本時生だったけど、久しぶりに見た勝村政信ともっと久しぶりに見た千葉雅子の信頼感はさすがだった。いままで気がつかなかったけど、ひょっとして寺十吾っていい演出家なのかも。

勧められる仕上がりだった、といいたいけど、前回に続いて今回も前列端席を引いてしまい減点。しゃべっている役者の顔が見えないどころかその陰になって奥の役者まで見えない場面が多数。主なアクティングエリアは上手手前、下手手前、奥を含めた舞台全部の3パターンだったけど、席に近いエリアを使われたときのほうがむしろ見切れが激しい。端席より中央補助席のほうがいいのでそこは注意。

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国立劇場制作「霊験亀山鉾」国立劇場大劇場

<2017年10月6日(金)昼>

剣術試合の遺恨で相手を闇討ちにし、敵として追われる身である浪人の藤田水右衛門。敵討ちとして見つかるもあの手この手を使って返討ちにしながら逃げ続ける水右衛門と、返討ちにされてもなお敵討ちで追い続ける石井家との話。

初国立劇場にして通し上演。追う側と同じくらい追われる側を取上げて、3回も返討ちにする実に面白い脚本。何と言っても敵役の片岡仁左衛門が悪くて格好よくて色っぽい。二役で早替もあり、本水の場面もあり、桶を壊しての登場もあり、「うぇーぁっはっはっはっ」なんて笑い声があんなに板に付く役も役者も初めてで、劇団☆新感線だってああはいかない。悪い侍の坂東彌十郎とか助太刀を手伝う片岡松之助とか、他にもいろいろ活躍していた。

観ていて発見だったのは、脇のメンバーが何か違って見えて、たぶん長くやっている歌舞伎役者の身体付きや身体の使い方は昔の日本人に近くて、今の日本人とは違うんだなと認識。他に客席が自分も含めて筋立てに詳しい人が少なかったようで、見栄を決めても拍手や掛声をかけそびれた場面があったけど、そうすると実にさまにならない。歌舞伎は客席側からも盛上げる前提のライブパフォーマンスという面が見えた。難だったのは、座った席のせいか鳴り物がややうるさく、場面によっては台詞が聞こえなかった。特に前半、弦が荒い上に弦と打楽器との間でタイミングも合わなかったように聞こえたのは気のせいか。

ただし多少のことは仁左衛門が格好いいから許す。緩いテンポの長丁場だけど、脚本が面白いし、歌舞伎を観たい人の最初の一本にはよい。あと国立劇場なので(高いとはいえ)歌舞伎座よりもかなり安く観られるし、劇場がよく出来ていて、すくなくとも2階席3階席で観づらい席はなかった。1階席前方端も安い席になっていたけど、横に長いのが歌舞伎の舞台なので、目が良ければ3階席最後列のほうがむしろいいはず。で、そういう後ろの席はまだ残っているようなので、とりあえず興味があったら挑戦を。とにかく仁左衛門はいい。

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2017年10月 1日 (日)

日本のラジオ「カーテン」三鷹市芸術文化センター星のホール

<2017年9月30日(土)夜>

周辺国と緊張の続く某国。近隣の島国を戦場とした戦争で一時併合し、今も島国に軍隊を駐屯させているため、島国からは本土と呼ばれる。島国の巫女の一家を担いで独立を目指す武装組織が、本土の国立劇場の上演中に、多数の観客と関係者を人質に取って劇場を占拠して、投獄中の仲間の釈放が要求した。その劇場内の、武装組織メンバーと人質の話。

劇場を使って劇場占拠事件を上演したいというアイディアから発展させたと思しき一本。音響照明なしが許される設定で公演ハードルを下げる代わりに、演じていない役者に人質を兼務させて実質出ずっぱりにさせて上演ハードルを上げる挑戦的な芝居で、個人的には好みのアイディア。MITAKA "Next" Selectionに選ばれただけあって、一定水準を満たした役者を多く集めて成立させていた。人質の日本人と武装集団の撮影係との間で苦心する通訳とか、島の雰囲気が嫌で出てきたという劇場職員とか、大学の同級生同士の会話とか、細かいやり取りからドライに終わるラストとか、90分のコンパクトな中にいろいろ見どころあり。

ただ脚本演出の工夫が行き届いていないところが散見。上に挙げた見どころは違う立場のやり取りに由来するところが多いけど、15人の役者(ダミーの人質人形でもう少し多く見せていた?)のうち10人を武装集団に割当てたせいで(立場や考え方の相違はあっても)仲間内での進行が多くなってしまったのは設定ミス。当日パンフレットに書いた以上の劇中世界を広げる機会がつぶれた。劇場占拠のリアリティを求めて見た目も声も地味な演技が多くメリハリに欠けたのは演出ミスで、それと思わせることができれば別に大声で話しても問題はなくて、実際、通訳を介して人質のわがままな日本人演出家が興奮する場面は成立していた。初めてのナレーションが中盤からだったため唐突な印象を受けたとか、もっといるはずの人質への言及がなく劇場スペースが余ったように見えてしまったとか、島の言葉と本土の言葉の使い分けがいまいち伝わらないとか、細かいところでは他にもあり。日本を皮肉に見て書いたであろう設定ももうひと押しほしい。伸びしろのある脚本なのでブラッシュアップして再上演に挑戦してほしい。

ただ最大のミスは、あのドライなラストを台無しにした脚本演出家(?)の終演アナウンス。物販だけでなく後半日程の予約状況からくるSNSへの宣伝依頼など、しかもそれがぐだぐだになって、余韻を台無しにするにもほどがある。アンケート記載依頼と役者挨拶の案内は終演後でもいいけど、少なくともこのラストなら、物販とチケット宣伝は開演前に回して手際よく済ませてほしい。あれで個人的には評価を下げた。

でも中々見られないスタイルでもあるし、次回は王子小劇場の佐藤佐吉演劇祭で評判をとったという「ツヤマジケン」でこまばアゴラ劇場登場なので、演劇フリークは今のうちに観ておいてよい1本。10月4日以降がガラガラなようなので、当日券でもふらっとどうぞ。

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さいたまゴールド・シアター「薄い桃色のかたまり」彩の国さいたま芸術劇場インサイド・シアター(若干ネタバレあり)

<2017年9月30日(土)昼>

福島県。原発事故による避難区域指定が解除された地域。戻ってきた住人達は家の片づけを行なうが、電車の線路は復旧半ば。復興業務を委託された会社に協力する形で住民たちも線路の敷設工事を手伝うが、イノシシが出没して怪我を負ったり、家族に不幸があったりして一筋縄では進まない。その地域にある日若い女性が東京からやってきた。地震の翌日に色がわからなくなったとメールで連絡を受けたきり、消息の知れない恋人を探しにやってきたという。

さいたまゴールドシアターにさいたまネクストシアターのメンバーが協力した、岩松了の新作。原発事故の直接の話よりも、影響を受けた人と生活の雰囲気を控えめにかつ確実に漂わせながら、復旧を目指す地域の話が進んでいく。不思議な透明感と力強さを残す話。

いろいろ隠すことの多い岩松了の脚本に、ネクストシアターのメンバーがついていくのもすごいけど、ゴールドシアターのこなれてきた女性陣と、まだゴツゴツしたところが残っている男性陣とが、上手さとか粗さとかを超えた存在感で芝居を立上げる。台詞の多寡はあっても脇役のない脚本が大勢の登場を成立させ、それが仕上がりに厚みを持たせる。服を使って互いの距離を縮める場面の技術はさすがだし、ごくシンプルな展開で最後に転結させて見せたあのラスト、線路の延伸を未来に見立てたのは美しさと相まって、観終わったこちらに力強さを与える素晴らしい場面。

台詞の多い妻役を演じた上村正子がさすが、ネクストシアターの堅山隼太、内田健司、佐藤蛍が好演。だけどこの結構凝った上演を実現できるメンバーを、スタッフを含めてここまで育てた蜷川幸雄の功績はいまさらだけどやっぱりすごい。

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2017年9月26日 (火)

インプレッション企画制作「謎の変奏曲」世田谷パブリックシアター

人間嫌いで知られ、北の孤島に一人暮らしをするノーベル賞受賞作家。恋人との往復書簡の体裁をとった新作が評判を取るなか、とある地方紙のインタビューの申込にだけ応じ、自宅に招待する。新作は作家が実際に交わした手紙でモデルがいるのではないかと問うインタビュアーと、それは作り話だと応じる作家とのインタビューの行方。

大人の洒落をいっぱいに詰めた脚本。偏屈な情熱を持ちながら上から物申したり下手に出たりする作家に橋爪功のキャスティングがいかにも似合って適任。後から思い返して気が付く、長さを感じさせない長台詞はさすが超ベテランの技。それを相手に丁々発止に持込む井上芳雄も好演。少しの笑いも交えながら押し引きを続けて最後の場面まで飽きさせない。ネタばれしたらつまらないのでこれから観る人はよけいな検索はしないほうがいい。

背の高い劇場に組まれた背の高い美術もさすがの仕事だったけど、窓を大きく取った美術の向こうに「北欧が昼から夜に変わる年に一度の日」の抜けるような昼の空から夜までを再現したホリゾントは、シルエットや夜間の室内照明と併せていままで観た中で一番美しい照明。緊張の途切れない2人芝居の向こうを張って拮抗した佐藤啓の照明と伊藤雅子の美術のタッグ。これは絶賛したい。

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こまつ座「円生と志ん生」紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

<2017年9月23日(土)昼>

軍属で満州慰問団に参加したものの、敗戦で仕事がなくなり帰国もできなくなった三遊亭円生と古今亭志ん生。帰国を目指して食いつなぎながらも落語の修業は忘れない2人の話。

後半はかなりテンポよくなるも前半は3場中2場に重い話。円生が劇団に属したという事実の時系列上しかたないとは言え配分を間違えた脚本との印象。それを鵜山仁が丁寧に演出しすぎて重さに拍車がかかる。前半途中で抜ける客もあり。大森博史とラサール石井がたぶん本人に似せた話し方をしていたのだと思うけどそれがまたおとなしく、落語の修業は片時も忘れず、という根幹の話が目立たず。モデルは気にせずにやったほうがよかったのではないか。

後半は盛り返して修道院の場面はさすが。女優4人は通して健闘。元トップらしさを抑えて他の3人を支えた大空ゆうひ、上手いだけでなく飛び道具としての冴えを見せた池谷のぶえの2人、特によし。

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2017年9月17日 (日)

風琴工房「アンネの日」三鷹市芸術文化センター星のホール

<2017年9月16日(土)夜>

大手化学メーカーの女性開発員は新型生理用ナプキン開発の追込み真っ只中。リーダーを務める女性に同じチームの同期の女性開発員から、実は普段は自社のナプキンを使っていない、天然素材のナプキンを開発できないかと持ちかけられる。それどころではないと喧嘩する2人に、今は企画部部長の元上司が、会社の「自由研究プロジェクト」を使えばよいと情報をもたらす。元上司のおぜん立てで集まった7人の女性で発足したプロジェクトの初回に、そのプロジェクトを知って混ぜてほしいと総務の女性が直訴に来て始まるナプキン開発と、それに関わるメンバーの生理についての物語。

15年ぶりくらいの風琴工房は、生理を巡る女性の話を、生理の基礎知識説明まで丁寧にしたうえで、あのアングラスタイルはどこに行ったのかというくらいポップかつ正面から描く。トランスジェンダーで性転換手術を行なった役まで登場させて8人8様の初潮の話から開発への思いにつなげる脚本スタイルは「ヴァギナ・モノローグス」を思い出すけど、それよりはもっと、ナプキン開発というテーマで1本の物語にして進めていく。役者も力みすぎず流しすぎず、真面目すぎず茶化さず、観る側が引かないようなラインで演じきっていた。これは脚本を含めた演出家の調整の賜物だと思う。難癖をつければ、8人の所帯で全員同じくらいのテンションで前向きに揃っている点に若干ひっかかるけど、開発者の物語としては満点の出来。観れば何かしら発見があるはず。

でも開発の物語ではない。チラシに生理用ナプキン「開発」の物語とあったので、もっと開発の話が前面に出てくるかと期待していた。でもナプキン開発を通して生理を描くことを通して生理を巡る女心を描いていた。どちらの誤解になるのかはともかく、そこが個人的に残念。

<2017年9月18日(月)追記>

そういえば最後列に何をやっても笑っているおっさんがいたけど、あれはなんだったんだろう。大きな劇場だとたまに見かけるけど、業界関係者か。一応こらえていたつもりなのだろうけど、あのサイズの客席ではつらい(実はかなり近い席だった)。あれだけ頻繁に笑われてもリズムを崩さなかった役者はあっぱれだけど、観ている側のリズムというか入り込み具合は損なわれた。ライブは難しい。

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ななふく本舗「浪曲タイフーン!」カメリアホール

<9月16日(土)昼>

若旦那が泊った宿屋、預けた売掛金が足りなくて責められた宿屋の娘、自害を思いとどめてくれた武士を探しあてたら「赤穂義士伝 貝賀弥左衛門」。静岡は掛川の宿、大納言一行が泊るから宿泊お断りの宿屋に無理やり泊ったのは、名を明かさぬ名人の左甚五郎と、これまた謎の老人、夜中の厠の途中に新築の部屋を見つけた2人の悪戯ごころ「左甚五郎旅日記 (失念)」。家付き娘のお内儀の焼きもちが有名な上方の繁盛している商家、今は所帯を持ったかつての奉公娘が法事に寄ったら、旦那との不義を疑い追い返す始末「(失念)」、いつも酒に酔って金にも困った様子の男が兄上と酒を酌み交わしたいと訪ねたが、あいにく兄は留守で酔っぱらいの義弟を嫌う兄嫁は仮病で引っ込む、しかたなく兄の紋付を相手に酒を飲んだ男が出かけた先は「赤穂義士伝 赤垣源蔵 徳利の別れ」。

人生初の浪曲は玉川奈々福と春野恵子それぞれ2席ずつの4本立て(春野恵子、玉川奈々福、春野恵子、玉川奈々福の順)。聴いているこちらが気持ちよくなるほどの声。落語よりもさらに声を聴かせるスタイルの芸という印象。

日本人ならまず琴線に引っかかる赤穂義士伝が良くできていたのは当然。として、今の気分を表したという名人のいたずら話、他のどの登場人物よりも主人公の恨みがましさから思い切るまでの流れが一押しの話、そちら2本のほうがそれぞれ演者にマッチしていた。

三味線がまた興味深い。春野恵子と組んだ一風亭初月は弾くより叩いて盛上げるスタイルでこれはこれでいいのだけど(恨む女の場面は実に盛上げていた)、玉川奈々福と組んだ沢村豊子の音が太くて滑らかで、右手の撥の動きが弦を撫でるようにまた艶っぽくて、弦楽器を弾くならあんな音を出したいと思うような理想のひとつ。声も三味線もマイクなしでもっと狭い会場で贅沢に聴いてみたい。

客席からの掛声もあったけど、ファンなのか、上手前方にタイミング悪く声を掛ける客がいて、贔屓の引倒し。今後も機会があれば聴いてみたいけど、折込チラシを見た範囲ではだいたい1日限り1公演なので、観る側として日程調整で最優先しないと見逃してしまうのが難。

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