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2020年10月 4日 (日)

新国立劇場主催「リチャード二世」新国立劇場中劇場

<2020年10月3日(土)昼>

側近に恵まれないリチャード二世が統治下のイングランド。諸国との戦争が続きしかも負けが込んでおり、国庫は足りず民は重税にあえいでいる。そこに従弟のヘンリーが、2人の叔父にあたるグロスター公暗殺の主導者として反目する貴族のボリンブルックを告発する。王の説得もむなしく反目が解消できなかったため、決闘で勝負をつけることになったが、当日立会った王は決闘を中止させ、2人を国外追放する。この処置を苦にしたヘンリーの父ランカスター公が病を得て亡くなると、リチャード二世は戦費に充てるためその財産と所領を没収する。あまりの対応に怒ったヘンリーは、名誉と財産所領の回復を求めるため、兵を率いてイングランドを目指す。

ヘンリー六世」「リチャード三世(見逃した)」「ヘンリー四世」「ヘンリー五世」と続いたシリーズの最後は押さえておきたくて観劇。ここで出てくるヘンリーが後のヘンリー四世で、リチャード二世からどうやって王位を受継いだのかが描かれる。満足度は高い、非常に高い芝居だったけど、その満足の理由に悩む不思議な仕上がりだった。以下、どこまでネタばれかわからない内容を含めて考えてみる。

誤解を恐れずに書くと、おそらくこの脚本はそこまで面白くない。ヘンリーが兵を率いて戻ってくるけど闘いを行なうわけでもなく、フォールスタッフのような道化役が出てくるわけでもない。普通に演出したら、昇り詰めるヘンリーが、わがままな王であるリチャード二世を引きずり下ろすよう演出されるはず。

ただし今回、ヘンリーは謙虚で、(タイトルロールだから当たり前だけど)リチャード二世の視点を強調した演出だった。それで観ると、リチャード二世の哀れなところがよくわかる。
・仲裁しても決闘を行なうことを止められないくらいに有力な臣下からは軽く見られていた
・フランスから王妃を迎えた結婚の時点で結婚式の費用を立替えてもらうほど国庫が不足していた
・耳に痛いことを忠告してくれる叔父たちは、自分に忠誠を尽くしてくれているわけではなく、亡くなった自分の父(叔父たちの兄)への畏怖と憧れから忠誠を誓っている
・それで頼った側近の政治能力がいまいちだった
・帰国が1日遅かったばかりに側近の傭兵隊が解散してしまった不運
・自分が招いた結果ではあるけど、ヘンリーが優勢と見るや次々と諸侯が鞍替えしていく様を目の当たりにする
・それでいて最後にもうひと謀反が企てられるくらいの臣下の忠誠は残っていたし、真っ先に処分された側近の中には死の直前まで忠誠を失わない者もいた
・王妃との仲は最後の最後までよかった
・ヘンリーを「民や使用人にまで挨拶して頭を下げている」と侮蔑していたが、最後に王や王妃に同情を寄せてくれたのは使用人だった

決して悪い面ばかりだったわけではなく、能力を備える前に王位について、能力をみがいて王位を固める前に戦争を重ねざるを得なかった男の悲劇として描かれていた。タイトルは「リチャード二世の悲劇」としたほうがしっくりくるくらいで、ひとことで言えば諸行無常。そこが自分の琴線に触れて満足度が上がった。それでいて庶民役の数名が舞台の外から騒動を眺める場面があって勝手にやってらあな感も出していた。

ここまで整理して考え直すと、岡本健一はリチャード二世の弱いところ、不安なところを強調して、諸行無常の演出に資していた。ただ、王妃と仲が良く、一部臣下の忠誠も残った魅力、おそらく優しさについて、王妃との別れの場面以外でももう少し前面に出せるとなおよかった(それは戦争能力の欠如にもつながるし、たぶん、神への祈りも欠かしたことはなかったんじゃないかという想像にもつながって、聖職者が最後の謀反を主導したことの裏付けにもなる)。演出で、冒頭の決闘と、病のランカスター公に対する場面とを工夫することである程度調整できたはず。

だからといって不満なわけではなく、休憩をはさんで3時間20分の大作を引っ張り続けた仕上がりは見事。役者はリチャード二世の岡本健一とヘンリーの浦井健治も含めて、台詞の量と評価が比例する状態で、脇まで含めてみんな上手という幸福な舞台。めったに味わえない大量のベテラン組の声と台詞回しを堪能するのが正解(配役表がないので役名と役者名が一致せず、さらに一晩たったら王族以外の役名も忘れて、誰がよかったのか具体的に言えない状態)。そういえば全然出てこないなと思った那須佐代子が終盤に笑いをさらったのはご愛敬。

スタッフワークも十分で、ラストの音楽は前にも聞いたような気がするけど演出に合っていて、曲名が知りたい。美術だけ、通常場面はいいけど、城の場面にあのハリボテが必要だったか、ハリボテ感を演出していたのだとしても疑問で、安く見えてもったいない。継続出演の役者、スタッフが多い中で数少ない理由あり交代だけど、予算が足りなかったか。

全体に、大河企画の締めにふさわしい1本だった。

以下新型コロナウィルスメモ。

・演出では、可能な場面では配慮したかもしれないけど、至近距離で言い合う場面もあり、わざわざ距離を確保したような雰囲気は感じられなかった。ごく素直に演出したように見える距離感。

・最初は1席飛ばしだったけど、途中から全席を売出したのは以前書いた通り。自分は狙っていたので全席売出しよりまえにチケットガイドで確保。

・入りは、センター前方が埋まって、左右前方が端は空いていたけど通路よりは埋まって、センター後方は前2-3列が埋まってそれより後ろは一部が隣あわせだけどおおよそ1席飛ばし、左右後方は前が1席飛ばしで後ろ数列は空席が目立った。2階席は不明。当日券でも1階良席が確保できる状態。距離が気になるなら後ろを選べる。ざっとした感覚で7割切るくらいの入り。

・来場者用紙に記載して入口前で渡す仕組み(充てられていたのはクロークスペースだったか)。他の人の鉛筆を使わないで済むよう、使った鉛筆は使用済みの箱に入れられるよう配慮。当日券限定か、チケットガイド経由で買った人は不要だったか、不明。とりあえず書いて出した。

・そのあとで、検温、アルコール消毒、チケット見せて自分でもぎり、チラシはほしい人が自分でピックアップ、だった。

・劇場全体が不要な個所を閉鎖していて、1階奥のテーブルスペース、2階の舞台衣装展示スペースに入れなかった(おそらく入場しないとトイレにたどり着けない)。入場後のロビーは、ペットボトルの飲物だけ売っているけど食事やコップ飲料の提供はなし。椅子とベンチが全部窓向きに配置、椅子は約1脚分スペースを空けて配置、ベンチは1人分のスペースが空くように張り紙。細かいところでは男子トイレの小便器もひとつ置きで、間隔が東京芸術劇場ほど広くないといっても本多劇場よりは広いし、それはさすがに念を入れすぎでは。

・過去には掲示されていて感動した王朝図などはQRコード掲示のみ。閲覧のための人混みができるのを嫌ったか。公式ページの関連資料からアクセスできるので、気になる人は事前に見ておくとよい。ただし、今回の芝居に限ればおそらく事前チラシ(掲載されているか不明)の中にある小さな家系図のほうが役に立つ。

・休憩時間中に場内消毒などはなし。見た目でわかった対策はドア開放のみ。

・場内アナウンスはうろ覚えで、「スマートフォンで接触確認アプリをご利用のお客様は音が出ない状態に、それ以外のお客様は電源からお切りください」だったか。ただそのせいかどうか、上演中にスマホを確認する客がいて集中をそがれた。こういう理由があるのに、アナウンスでそれを徹底するのは難しい。

・退場は順番にとアナウンスされていて、終演時はその通りだったけど、休憩時間のトイレやベンチの争奪には役に立っていなかった。休憩ありの芝居でどう運営するか難しいポイント。見かけた女性用のトイレ行列は三重の折返しになっていて、あれじゃ距離を空けても密になることは変わらなくて、並ばせ方も検討が必要。

・休憩時間中にマスクを外してしゃべる老紳士を発見。後半が始まるとマスクをしていたけど、意味が分からない。あれは頭の中にどういう新型コロナウィルス対応がインプットされているのだろう。

・大多数の観客はマスクつけっぱなし。客席では静かでロビーでは会話はそれなりにしていた。ロビーのざわめきは通常芝居を思い出させるものだった。センター前方の客席が埋まっていたためか、終演後の拍手も塊感が出ていた。

願わくはこの公演が最後まで完走できますように。

2020年8月17日 (月)

東京芸術劇場企画制作「赤鬼」東京芸術劇場シアターイースト

<2020年8月14日(金)夜>

嵐の後に浜辺に打上げられたのは、村から舟で逃げたはずの「あの女」たち。だがせっかく助かったのに「あの女」は身投げしてしまう。一緒に助けられた少し頭の足りない兄が説明する、「あの女」の身投げの理由と赤鬼をめぐる一連の騒動。

チケット購入に手が動かなかったところ、当日券で観た人による購入手続き説明付きの感想をうっかり読んでしまう。読んだ瞬間に、この日に行けば引けるという当日券の神様のお告げが聴こえて、ここまでクラスターになっていないし東京久しぶりだしと理由をつけて出かけて、引いた。

Dチーム。若手もいればそれなりに長くやっているベテランもいた回だったけど、ずいぶん若い芝居に仕上がっていた。よく言えば早口の台詞で勢いがある。反対に言えば緩急に欠ける。ところが、仕上がりはどこからどう見ても「赤鬼」だった。理由を考えると、第一には脚本の良さ。エネルギーを切らさず最後まで走り抜けられればある一定の仕上がりに達することができる、すでに古典の風格がありながら古びない脚本。

演出は昔のタイバージョンとそんなに変わっていない。村人が赤鬼への対処を相談する一場面だけ、村人がマスクをして、マスクをしていない兄に「何でマスクしてないんだよ」とツッコミをいれる演出が入っていた。今の新型コロナウィルス騒動に重ねて、一般人が未知のものを過剰に怖がる様子と自粛警察がはびこる様子とを短時間で表現していた。あの一場面だけでそういう見立てを伝えたのは見事。だけど新型コロナウィルスに直面した演劇業界のことをいろいろ書いた自分は、村人が演劇業界人で、赤鬼が一般人とか行政とか専門家会議の専門家とかでも成立つんじゃね、と思った(公演を自粛してほしいと希望する側に、何でだよ補償しろよドイツだよと演劇業界人が反発するイメージ)。2020年8月現在、すでに市中感染のレベルになって誰でも感染しうる状況で、小規模な公演でも大規模な公演でも実際にクラスターが発生した後で観ると、1か月前に固めたであろう演出がすでに古い。

そういう余計な考えを除けば、やっぱりどこを見ても「赤鬼」なので、久しぶりに観られて満足した。もったいなかったのは、会場の空間が芝居の広がりに対してやや狭い。もう少し広い会場で観たかった。あと、トータル95分だったけど、前に観たときはもう少し長かった記憶がある。新型コロナウィルス対応で、できるだけ短い時間に収める制限を設けたのか、減った客席をダレさせないための判断か。その中で緩急をつけるのもプロの技かもしれないけど、せめてあと5分追加できたらという惜しさは残った。ミズカネ演じる吉田朋弘が通してよかったけど、フクを演じた北浦愛の、最後「フカヒレって、言ったよね」からの気迫も「あの女」感が出ていてよかった。

そしてカーテンコール。四方向挨拶の動きに懐かしさを感じたけど、観客数の少なさを実感したのもここ。1席飛ばしの客席では満席でも拍手がまばらになって、拍手の塊感が出ない。熱演に拍手が届かなかった。

以下メモ。

・囲み舞台で1席飛ばしの自由席。客席とアクティングエリアの間はビニールシート。照明が入れば視界への影響は最小限だったし、(舞台中央だったけど)強い言葉で唾が飛ぶのが見えたので、やっぱりあってよかったと思う。ただ最前列はビニールシートが目の前(前の座席の背もたれまでくらいの距離)なので避けた。あれは好みで選べばいいと思う。

・ロビースタッフや客席誘導スタッフは全員マスクに加えてフェイスガードも装着。当日券購入時には連絡先記載。入場はチケットの番号順に1人ずつ呼んで入場。入場時は順に検温、チケットの目視確認(その後に自分でもぎり)、当日パンフは自分で任意にピックアップ、最後にアルコール消毒。手がふさがるのでアルコール消毒を前に持ってきてほしいけど、チケットを手に持っていたら変わらないか。退場はエリア別に順に退場。

・スマホには接触確認アプリをインストールしているけど、上演中は電源を切った(念のためスタッフに聞いたけど切ってくださいとの返答)。接触時間が長ければ判定になるので、電源入れっぱなしのほうがいいと思うけど、それは無理か。通信機能抑止装置を入れたらBluetoothもダメになるっぽいし。せめてと思って、開演ギリギリまでひっぱってから電源を切ったけど、あれはどうするのが正解なんだ。

<2020年11月21日(土)追記>

接所確認アプリの話は「電源オン、機内モードオン、Bluetoothオン、音は鳴らないように」がよいという結論になりました。

2020年2月22日 (土)

青年団「東京ノート」吉祥寺シアター

<2020年2月21日(金)夜>

近未来。ヨーロッパで戦争が起きて、大量の美術品が日本に「疎開」されている。その疎開先のひとつである小ぶりな美術館には、有名な絵画が多数運び込まれ、その展覧会が開催されている。展覧会ついでに集まる親族、絵の寄贈先を探しに来た女性たちを案内する学芸員、展覧会見学で偶然出会った男女などが、一休みしたり積もる話をしたりする美術館ロビーでの一幕。

インターナショナルバージョンも観に行きたかったけどスケジュール調整にしくじって日本版のみ。以前こまばアゴラ劇場で上演されたときは背景の戦争がもっと前面に出ていたように記憶しているけど、今回はもっと人間関係に重点が置かれている気がした。人間関係、より、登場人物各人の寂しさ、と書いたほうが近い。戦争の可能性が身近になった世相を慮って演出が調整したか、観ているこちらの単なる思い出補正か。

仕上がりの評価は難しい。いつもはもっとギリギリと演技やタイミングを詰めているところ、今回は言葉にはしづらい細かい点がところどころギクシャクして、すんなり流れに乗れない。狙いがあってわざとなのか、単なる二日落ち(3日目だけど)か、インターナショナルバージョンその他の事情で稽古が足りなかったか。いつもだと同時会話の場面も意識すればその会話が聞こえるけど、今回は声が低くて聞こえない会話が何箇所かあったので、二日落ちだと推測。そんなにひどいわけではないけど、絶妙なバランスが売りの青年団だと目立つ。元家庭教師と教え子の場面はもう少し攻められたはず。

そんな中で登場人物の特徴を全開させて眼をひいたのが長女役の松田弘子。良い演技に惹かれた面もあるけど、どちらかというと自分がその役が気になる年齢になってきたのが眼をひいた理由か。重い空気になりがちな役が多いところにアクセントをつける学芸員の兵藤公美も好印象。

前回観たときに唐突過ぎて意味不明だった、別の学芸員が弁護士に突然絡む場面と「うちの館長はいい絵を手に入れるためなら金に糸目はつけないからね」という台詞。あれは、どちらも(早とちりはあっても)嘘をついていないのであれば、その美術館に昔からなじみがあった別の登場人物が1枚噛んでいるという裏設定かも、と今回思った。

翌日から3連休の夜公演のせいか、昨今の新型肺炎騒動のせいか、客入りがいまいちで左右2列ずつ当日パンフを含む配布物を置かずに空けている状態。これだけ当日券が余裕ならもう一度観たいけど、都合がついても控えがちになる昨今。あの劇場の広さと客席の規模で2時間以内なら大丈夫だろうと踏んでの見物だったけど、感想を書いている今も少し緊張している。なおこれで金曜日の夜かというくらい電車も空いていたのは、連休前なのか人口減なのか働き方改革なのか新型肺炎で旅行客が減ったのか新型肺炎で在宅勤務が流行っているのか、どれなのか。

2020年2月11日 (火)

てがみ座「燦々」東京芸術劇場シアターウエスト

<2020年2月10日(月)夜>

幕末。子どものころから絵筆を取らせて絵を描かせていた、葛飾北斎の娘、お栄。母の勧めで結婚するが、初夜から夫を置いて火事観察に出かけてしまうほど絵が好きで、絵師を目指すも夫からは反対され、実家に戻る。だがその絵も、北斎にも兄弟子にも版元にも、近所のおかみさんにも未熟を指摘される。絵師になりたいのに書きたいものが何か迷うお栄は、機会があるごとに絵を描き続けるが・・・。

再演だけど初演未見。女が絵師になるための苦労、というよりは、周辺人物も含めて、描きたくてどうしようもないけど描けない芸術家の苦悩と挫折と成長、を描いたように見えた。その点「絢爛とか爛漫とか」を思い出すけど、今回のほうがより主人公を応援したくなる展開。一人複数役が普通だったため、蕎麦屋の夫婦が長屋の人、の展開が観ていてわからなかったのがもったいない(アフタートークでわかった)。

良い役者が多かったけど、版元の福本伸一と、複数役をこなした中で石村みかを挙げておく。スタッフワークはむき出しの木と不織布がそっけないようでいていろいろ変化をつけていた美術に、真面目に見たら江戸っぽくないのに気にさせなかった衣装とヘアメイクがよい仕事。まだ詰められる箇所はたくさんあるけど、総じて十分楽しめる仕上がり。

制作に注文として、調べても上演時間が見つからなかったので昼公演での見物予定を立てられずにこの日になってしまった。アフタートーク抜きで休憩なしの2時間10分だったけど、再演なら約2時間くらいは読めるだろうからホームページでもTwitterでもどこかに描いておいてほしい。

アフタートークは長田育恵と渡辺えり。あの台詞がいいこの場面が素晴らしい元気をもらった、と渡辺えりがパワフルに褒め倒して8割方しゃべり続けたので、内容をあらかた忘れてしまった。が、女が仕事をする苦労、という渡辺りの振りに長田育恵が乗っていたので、素直にそちらが主題だったのか、でも江戸で女絵師もいたはずだし、とか余計なことを考えたのも忘れた理由のひとつ。あと主人公が「俺」というのは永井愛か、父親も画家だし、と訊かれて偶然と返していた。それで永井愛が一人称に「俺」を使う人で、父親が永井潔という画家だと初めて知った。あれで笑っていた観客は玄人。

松竹製作「菅原伝授手習鑑」歌舞伎座

<2020年2月10日(月)昼>

その優れた手跡から、弟子への筆法伝授をと帝に望まれた菅丞相。だが今の弟子は頼むに足らず、腰元と駆落ちしたため勘当していた源蔵を呼寄せ腕前を確かめると、勘当は取りやめぬが秘伝を伝授する。折りしも、家来の手引きで逢引していた菅丞相の養女と斎世親王が、菅丞相の政敵である時平の家来に見咎められてしまい、2人は逃亡方々駆落ちしてしまう。それを皇位の簒奪だと時平に逆用されて、菅丞相は蟄居となってしまう。菅丞相の若君だけでも助けなくてはと源蔵が救い出すが、菅丞相は流罪が決定する。

初段と二段目のダイジェスト、なのかな。この後に国立劇場の文楽で今やっている三段目が挟まって、四段目の寺子屋につながるはず。寺子屋で若君をかくまっていた理由まではわかったけど、その恩義の深さが現代の自分には伝わらず、薄味。仁左衛門の菅丞相はどんなものかと観に行ったけど、ほとんど動かない、超地味な役どころ。品格と言われればそれまでだけど、つらい。その分他の役者に目が行って、玉三郎の覚寿が何と言っても一番。梅玉の源蔵もよかった。

東宝主催「天保十二年のシェイクスピア」日生劇場

<2020年2月9日(日)夜>

漁師上がりの親分が治めていた宿場。引退を考えた親分は3人の娘のうち、業突張りな上の娘たちではなく、養女だが心優しい末娘に縄張全部を譲りたいと考えていたが、お互いの思い違いから末娘は家を出ることになる。やむなく長女と次女に分けて譲ることになったが、相手を蹴落とそうとする2人のために宿場は2つの勢力にわかれてしまう。もともとこの宿場の生まれだが流れ者になって戻ってきた男が、この現状を見て、うまくのし上がってやろうと算段を働かし始める。

蜷川版を観て以来2回目。最後まで堪能して満足。やっぱりこの脚本は面白い。スタッフワークで洋風な音楽と振付をつけたのに対して、木場勝己がそこにいてしゃべるだけで良い意味の土着感が出て、古今東西風味が拮抗する。オープニングの曲のノリの良さは蜷川版と甲乙付けがたい。

オープニングの曲が終わって、出だしがやや低調だったけど持ち直し。浦井健治のきじるしの王次が出てきた瞬間の華やかさがすごかった。ああこの人はミュージカルが本家だ、ストレートプレイに出るのはもったいないんじゃないのかと場違いな感想。高橋一生の佐渡の三世次だけ、メイクや衣装も込みで独特に作りこんだ不気味さを前面に出していたけど、なのにこの芝居には合う不思議。終盤は独壇場だった。

「祝祭音楽劇」と題したとおりの出来で、開演して2日目3ステージなので調整の余地のある役者も若干見受けられたけど、客としてはそんなところを気にするより楽しんだほうが得。そういう1本。木場勝己が隊長役を務めているのがバランスの要だと思うので、観られるものなら今回もう1回観たい。

2020年2月 6日 (木)

カオルノグチ現代演技「セイムタイム・ネクストイヤー」下北沢駅前劇場

<2020年2月5日(水)夜>

それぞれ出張先と旅行先であるレストランで知合って一夜を共にした男女。互いに子供の写真まで見せ合うくらい心を許し、そのまま別れるに忍びなかった2人が出したのは、毎年一晩に限って同じ場所で会うこと。そして毎年お互いの配偶者の良いところと悪いところを伝えあうこと。

初日。前回とはうってかわって、翻訳物のストレートプレイを、まさかの挟み舞台にネタ演技も含めて直球の演出。本当に駅前劇場かと疑われるくらい品位に満ちた仕上がりに驚く。役年齢に応じて丁寧に声を変えてくる野口かおると、それに対抗しながら思わぬ特技も披露する山岸門人、どちらも初日からよい仕上がりで、しかもさらに伸びしろがありそう。スタッフもよかったけど第一に衣装を挙げたい。両面客席に配慮した美術もよかったけど両面に満遍なく見せた演技もよかった。

アメリカで上演すると近代史が重なるから、もう少しシリアスな要素が強くないと片手落ちになるところ、そこを追いすぎず2人の対話に寄せたのは演出判断か。直球の仕上がりすぎて演出の手柄がどこまでかはわからないけど、明星真由美の演出は結構よいのかも。

観終わって当日パンフを読んだら、これは飲み屋のトークから立ち上がったという、別の意味で王道な企画だと知って2度驚く。こんな芝居ができるなら毎晩でも飲んでほしい。

2020年1月29日 (水)

トライストーン・エンタテイメント/トライストーン・パブリッシング主催「少女仮面」シアタートラム(若干ネタばれあり)

<2020年1月28日(火)夜>

宝塚にあこがれる少女と老婆は、宝塚の元スターが経営する地下にある喫茶店「肉体」をたずねる。おかしな客とおかしな店員にあしらわれながら、どうしても会いたいと懇願する少女を元スターは見初める。そこから繰広げられる「嵐が丘」の一節は演技指導か幻か。

唐十郎の1969年初演の岸田國士戯曲賞。女が男を演じる宝塚のお約束や、腹話術師と人形の主従関係といった「見て見ぬ振り」から、敗戦の焼け跡の記憶を「見て見ぬ振り」して地下鉄工事が進む世相を一刀両断させ、そこから満州まで話を飛ばす飛躍力はさすが元祖小劇場の唐十郎。適当なようではっとさせる台詞がたくさんあって、アングラと片付けられない説得力があるのはさすが受賞作。水道水を求める喫茶店の来店者の台詞を聞くと、野田秀樹の「パンドラの鐘」はこれが元ネタだったのではないかと思わされる。

この時代にこの脚本を選んだのは慧眼だけど、アングラ要素の多い脚本をそのまま演出してもつらいだろうし、かといって現代的に演出しすぎると脚本が死ぬ。結構頑張っていたけど、肉体と幻のほうに力点が置かれていた模様。あと、オリジナルはもっと猥雑だったであろうところ、ずいぶん上品に演出したなという感想。劇場がシアタートラムで上品さに輪が掛かったたのが惜しい。

伝説の宝塚の元スターに若村麻由美をキャスティングしたのが実にはまった1本。やけにそれっぽいので、真面目なのか笑うところなのか微妙に迷うところが「見て見ぬ振り」の脚本にはまる。もったいなかったのは腹話術師と人形を演じた武谷公雄と森田真和のパートが妙に上手なため独立したパートのように見えてしまったことで、もう少し本編に寄っていたらよかった。

ずいぶん台詞が多かったけど、これで1時間40分なのだから、昨今の長時間芝居の人たちは見習ってほしい。

2020年1月14日 (火)

Triglav「ハツカネズミと人間」神奈川県立青少年センタースタジオHIKARI

<2020年1月12日(日)夕>

大恐慌時代のアメリカ。農場で働くジョージとレニーだが、力は強くとも頭が弱いレニーが起こす問題で前に働いていた農場から逃げて、新しい農場にやってきた。幸い農場の社長には受入れられ、荷運び頭からも目を掛けられたが、社長の息子には絡まれ、その新妻は相手構わず色目を使っていつ問題を起こすか周囲を危ぶませる。自分たちの農場を持って独立するのが夢でも資金のないジョージとレニーだったが、事故で手を切落としたため仕事がままならない老人のキャンディが貯金をはたいて一口乗るという。少しだけ働けばもらった給金で夢がかなうと張り切る3人だったが・・・。

まったくノーマークだったけどマニアたちが興奮していたので予定を変更して千秋楽を見物。農場を渡り歩く生活の厳しさ、白人と黒人との間にある差別、農業生活と都会生活との差。老いて耄碌した犬を臭い、役に立たないからと平気で殺す場面(これは後に効いてくる場面でもある)や、勝手に話をするレニーを相手に話を続ける登場人物たちの行動は、希望やコミュニケーションが足りない現代の世相に通じるところがある。大恐慌時代ということは1930年代が舞台だけど、100年前の殺伐さに、100年経っても変わらないどころか悪化しているのではないかと疑われる人間の悩みが織り交ぜられた、超硬派な脚本。ついでに書くと松尾スズキの「母を逃がす」の元ネタかもと想像してしまう。

その脚本がよく伝わってくるところまで仕上がっていたけど、役者によってややムラがあった。そんな中で、頭が弱いけどその中で何らかの判断基準を持っていることを実に絶妙な線で演じて伝えたレニー役は素晴らしかった。こちらによれば内藤栄一であっているかな。全体に、演じられている場面はおおむねいいのだけど、過去にいろいろあった設定の登場人物が多いので、そこがもう少し反映されているとなおよかった。粗探しではなくて、一定以上の水準で上演されていたため、逆に脚本の手ごわさが伝わってしまったという痛し痒しな結果。稽古すればするだけ良くなりそうな雰囲気を感じた座組だったので惜しい。

小動物は布を丸めてあらわし、ほぼ平台と箱馬の置き換えだけで進める場面転換は見事だったし、場面転換以外は効果音だけ使ってBGMを流さなかったのも好感。客席は3方向を囲んだコの字形の自由席で、自分はとても観やすい席だったけど、観やすすぎたので、他の席がどうだったかは気になる。たぶん外れ席があった。

そのコの字形客席について、劇団アンケートとは別紙でアンケートが用意されるという珍しいケースだったので、せっかくだから書いておく。

(1)劇場に入った第一印象はいかがでしたか?
どこに座ろうか迷った。

(2)「その席」を選んだ理由を教えてください。
観やすい席を推測して選んだけど、選んだ理由は企業秘密。

(3)「その席」から演者のほかに、観客も視界に入ることについてお聞きします。該当する番号に○をつけてください。また、理由なども記して頂け得ましたらと思います。
特に気にならなかった。演者に集中できれば観客は気にならない。なお囲み舞台は好き。

(4)「劇場空間の客席設定」全体について、改善すべき点、気がついた点などありましたら自由に記述してください。
一列が長い割に足元が狭いので、客入れ最後に真ん中の席に座ってもらうために客席案内担当が椅子を抜いて客に後ろから入ってもらっていた。上手下手の客席は中央に通路を取ったほうがよかったのではないか。あと階段の段差がもっとわかるように太い明るい色のテープを貼っておいてもらえると助かる。

(5)ご自身が坐られた席以外で気になる席ありましたら、気になる理由と共にお知らせください。
最前列にベンチシートがあったけど、椅子でそろえてほしい。どんなにいいクッションが用意されていたとしても、ベンチシート、かつ今回は座面が低いので、それだけで腰の痛さを想像して坐りたくない。

最後に制作陣に注文。ひとつ目、当日パンフには役者名だけでなく役名も併記してほしい。役名と役者名の関連がわからない当日パンフは価値半減。役名を載せることでネタばれになるのを避けるならわかるけど、今回の芝居ならネタばれの心配はなかったはず。ふたつ目、当日券の販売情報をWebのどこかに載せてほしい。本家サイトとTwitterを調べたけれど、価格は載っていても販売時間がいつかは見つからなかった。何分前に販売という情報と、枚数の余裕の両方を載せてもらえると助かる。今時は、ホームページにはTwitterに掲載の旨を書いておいて、Twitterで毎朝更新する方法が多い。みっつ目。上演時間の目安を載せてほしい。初日前に見込みで1回、初日終了時点で見込み時間に変更があったら更新、が望ましい。昨今は3時間越えの芝居も多々あり、終わった後の予定を事前に立てるのに必要。

2019年12月28日 (土)

世田谷シルク「青い鳥」シアタートラム

<2019年12月27日(金)夜>

クリスマスの夜の病院。入院して車椅子生活の年老いたチルチルとそのつきそいのミチル。そこにやってきた魔女が青い鳥を探せという。魔女からもらったダイヤのついた帽子をかぶったチルチルは立上がり、ミチルと、むかし会ったものたちと一緒に、青い鳥を探す旅に出かける。

ご存知メーテルリンクの青い鳥、と言いたいところだけど、探していた青い鳥が実は、というオチだけ知っていて原作未見。本来は少年少女のはずだけど、介護が必要な男性と介護する女性に置換えた、と当日パンフで断っていた。

大勢によるダンスパフォーマンス的な動きをした演技を大量に配しているのはもともとダンス畑の堀川炎ならでは。大勢登場するけど、それ以上に役が多くて、当日パンフの役名が役固定の一部役者以外はすごいことになっている。それをダンス的に動かして、全然混乱する気配がない。あれだけ動いても乱れずしかも音も出ないのは出演者みんなダンサー出身なのか。かといって台詞の大事なところもしっかり入れているので、ダンスがわからくても観られる。若干、原作読んでるだろと飛ばした気配が感じられる場面もあったけど、それでわからなくなるものでもない。

とにかく、青い鳥の原作が演出家にきちんと消化されて出来上がった舞台という感触がとても伝わる。観終わって、不思議だけどいいもの観た、という感想。「K.テンペスト」を観たときの感触に近い。観客参加型といわれてポンチョを着せられて、なんだこれはと思ったら最後の種明かしで「おお」とさせる芸の細かさ、私は気に入った。これは再演を計画してはどうかと世田谷パブリックシアターに勧めたい。

舞台は久しぶりにフラットなシアタートラム。この使い方を見たのは自分は野田秀樹「赤鬼」以来か。普段の上手下手(と一部正面)に客席を配置した挟み舞台(コの字舞台)で、細かい舞台装置はキャスター付きで都度出し入れさせて、センターに配置された上下できるカーテンで場面によって舞台を区切ったり、カーテンの開け具合で場面を変えたり、影を映したり。これらの工夫で役者が存分に動き回れるスペースを確保。オープニングでどの席もひとしく観づらい場面があると断っていたけど、かなり全方位にがんばっていたと思う。ついでに触れておくと美術の出し入れや一部演出を手伝う舞台スタッフ陣も、振付けの対象だったのか、なかなか良い感じだった。

そしてその美術を仕上げるのが照明で、客席も壁も天井も区別せず照らすことによる不思議な空間の中にいるような演出。線を出したり全体に照らしたり、スモークの炊き方も結構調整したのでは。普段の芝居ではあまり出番のない照らしかただけど、不思議な国を巡る話であり、またダンス的に演出された場面が多いから、とてもはまっていた。あれはよかった。

実はこの芝居、もともとこの日に芝居を観るつもりはなかったけど予定を変更して観る気になって、最初は他の芝居が候補だったけどそちらのチケットが厳しそうだからと変更して流れた、一番優先度の低い芝居だった。なのに観終わったらすごい満足感で、「観たいものから観る方針」なんて書いたばかりなのに大穴をひろってしまった。やっぱり芝居はふたを開けてみるまでわからない。年末を締めるのにふさわしい一本だった。

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