<2024年9月21日(土)夜>
戦中の日本、とある地方で行なわれている裁判。被告は父親殺しを疑われている花火師。起訴したのは地元の検察官、弁護するのは東京から来た弁護士。検察官が被害に遭った番頭たちを証人に出して被告の当夜の行動を示せば、弁護士は花火師の2人の弟を証人に立てて父親の酷さと兄の無実を申し立てる。空襲警報で何度も裁判が中断しながらも、他にも証人が入り乱れて、花火師と父親のこれまでの関係と当夜の出来事が少しずつ明らかになっていく。
前情報は入れないように注意して、大阪まで出掛けてきました。それは後で書くとして、カラマーゾフの兄弟を下敷きにしたという野田地図の新作。カラマーゾフの兄弟は未読なのでそちらとの比較はできませんので後からWikipediaで粗筋だけ確かめましたが、見所はありつつも大阪まで遠征させるものではないぞという出来。以下結末まで含めたネタバレです。
3人の兄弟が上から花火師、物理学者、牧師を目指してそうなったとオープニングで話されますが、スレた観客としてはここで「花火に物理学者なら爆弾?」と気が付いて、火薬を探す花火師に絡んで早い段階でウランという言葉が出てきたので、それで牧師なら教会で原爆で「パンドラの鐘」のリメイクか、と身構えながら観ることになりました。長崎の地名を出すのはだいぶ後まで引張ったのに、どうしてあんな早い段階でウランと明かしてしまったのか理解に苦しみます。後半、父親と花火師とで取合った女性としてグルーシェンカが出てきますから、それでしばらく引張ればよかったのに。
もっとも、E=mc^2もかなり前倒しで話していました。その物理学者の弟が原爆研究に携わり、その起爆に花火師の兄の腕前を云々というところは「東京原子核クラブ」を思い出させるような設定です。
牧師を目指した三男はどうもぱっとしないというか、話に絡むのが薄い。もちろんヨハネの黙示録の夢を見て原爆の投下を暗示するとか、兄が数式を話す手伝いをするとかあったのですが、都合よく話を進めるための役どころかと観終わったときには感じました。
で、観終わったところで思い返して、やっぱり「パンドラの鐘」だったと考えました。原爆投下の話にアメリカ人パイロットの会話を挟んだり、ラストが焦土になったりして、原爆を落とすなんてアメリカ人はとんでもねえよなと思わせる展開でした。だから一瞬、パンドラの鐘から20年経って還暦を過ぎて、野田秀樹も転向したのかと驚きました。
ただし竹槍で飛行機を落とす訓練をする場面を挟んだり、兄が戦死した電報を配る配達人を挟んだり、いまいちすっきりしないラストの長台詞だったりを考えると、あれはやっぱり、負け戦になっただけでなく焼け野原を引起した天皇の責任を訴える芝居だったのかと考えました。ここまでは観終わってホテルに戻って考えたところです。
その後、家に戻ってこの感想を書くためにカラマーゾフの兄弟の粗筋をWikipediaで読みました。割と芝居は原作の設定に則っているようで、次男が無神論者なことに加えて、三男の仕える牧師が亡くなって死体の臭いがきついから神への疑念を抱くところも原作にありました。神などいない、つまり現人神などいないに掛けていますよね。やっぱり「パンドラの鐘」だったと強く確信した次第です。ただの反戦ではないですよね。天皇を描かないようにしながら天皇の責任を問うためにカラマーゾフの兄弟を借景にした芝居だったと理解しました。
おかげで遠征させるものではないぞと考えた理由も整理できました。大きなところでは脚本が理由です。もともと難解なカラマーゾフの兄弟に寄せすぎて、野田秀樹の芝居の特徴である遊びが絡ませつつ、しかも天皇を描かずに戦争責任を問う(問うように誘導する)展開がかなり挑戦的です。予想では、カラマーゾフの兄弟を深く読んでいた人ほど脳内で補完して驚けたのではないかと思います。が、題名しか知らない自分にそれは無理でした。むしろ野田秀樹の過去作をそれなりに観た経験が邪魔をしたかもしれません。脚本で細かいところを言えば、途中で無理して韻を踏むような台詞を入れていましたが、あれは日本語の通じない外国人対策でしょうか。軽く飛んでいくような台詞が魅力の野田秀樹なのに、べったり重たく感じていまいちでした。
そして、3人兄弟が出てくるなら協力するにしても対立するにしてももっと互いが絡む要素を入れておくべきでした。特に長男の花火師が弟2人とあまり絡まないため、ラストの長台詞が活きない。序盤のあれだけでは足りない。いや違うか、弟に限らず長男が絡む他の役が少ないから、普段の生活感を感じられず、ラストの長台詞を語らせるのに向かなかったのですね。ここはカラマーゾフの兄弟に引張られすぎて野田秀樹が怠ったのではないかと想像します。
この3人兄弟ですが、悪くはなくとも良くもない。主人公となる長男の花火師を演じた松本潤は身のこなしがさすがでしたが、役に動きが感じられない。そういう脚本だと言えばその通りですし、どっしりとした存在感と言えばどっしりとしていましたが、主人公には前のめりな姿勢が求められるのが野田秀樹の芝居です。どうにもならないラストに向かって疾走して、力技でラストの長台詞を料理してほしかった。それは次男の物理学者の永山瑛太も同じで、後半のあるところから原爆の開発を目指すことが明確になって、兄に仕事を頼んで巻込むことになるのだから、そこからは悩みつつも危ういところへまっしぐらな様子を見せてほしかった。
そんな中で三男役を演じた長澤まさみが何とも不思議な印象で、野田地図2回目かな? 出番は少ないながらも声が耳を惹く。後半、早替えでグルーシェンカとの2役になったら遠目にもスタイルのいい姉ちゃんで、誰だこの役者と一瞬わかりませんでした。なんというか、助平心とは別の健康美のような華で気を惹かれました。それも助平心だろうと言われればその通りですが、「紫式部ダイアリー」よりは圧倒的によくて、カンパニーに馴染んでいました。ただし馴染んだだけでは駄目なのが野田地図で、そこにもうひと工夫がほしかった。2役どちらとも遊ぶ余地があった役のはずですが、役を役通りにこなして終わってしまいました。
圧倒的によかったのが脇だったはずの池谷のぶえで、ウワサスキー夫人というふざけた役名が体現するべきおふざけを完璧以上にやってのけました。声と言い仕草といいとぼけぶりといい、それでいて締めないといけないところもその延長でやってのけて、そうそうこれこそ野田秀樹芝居だよと出番のたびに考えました。あとは竹中直人も検察官と父親の2役ですが、どちらも渋い出来でいい感じでした。役者野田秀樹はいつも通りですが、村岡希美と小松和重が上手いだけで終わってしまったのがもったいない。もう少し遊べたところを上演時間の都合と外国公演向けに整理されたのかもと妄想します。字幕翻訳の都合でアドリブに近い言葉遊びネタが出来なくなるのだとしたらもったいないですね。そうなると池谷のぶえのやり方が正解になる。
あとはコロス。近頃の野田地図はコロスが美しくて、遠目にもよくできていたというか、遠目のほうが楽しめます。絵作りが上手ですよね。井出茂太を振付に呼んでいるだけのことはありますが、台詞も一部持たされてよく全うしていました。スタッフは今さらですが、ひびのこずえの衣装を挙げておきます。
だから総評は、脚本が無理な挑戦をして乗越えられなかったところを役者でカバーしたかったけれど、主役3兄弟がお呼ばれ感のあるお行儀のよさで天井を破れず、脇は脇で海外公演の都合で字幕をいじるような遊びを封じられて、それでも活路を見出した池谷のぶえの圧倒的技巧と、それに匹敵する長澤まさみの華と、それだけ無理をしてもなお形になったカラマーゾフの兄弟原作の骨格で何とか繋いでみせた仕上がり、でした。観てよかったかと聞かれればよかったと答えますが、遠征した甲斐がありましたかと聞かれれば私にとっては微妙でした。
そもそも東京公演、いつも通り舐めていたせいで前売りを買えずに当日券狙いになったのですが、4日間6公演でくじ引きに挑んで6回返り討ちに遭いました。うち3回が1番違いで、特に3回目の1番違いを引いた最後は、もう東京公演は諦めろという当日券の神様の啓示が降りてきましたね。お前以外にどれだけ当日券に祈りをささげる者がいるのか考えたことがあるのかと声が聞こえました。神はいます。いますけど、当日券の神様に座席は作れない。ただ差配するのみです。
ちなみに今回の当日券、東京公演がリストバンドによる抽選、北九州公演がオンラインによる先着、大阪公演がオンラインによる抽選でした。このあたりはスタッフの都合によるものか、いろいろな販売方法を試して次回に活かすつもりなのか、わかりません。東京公演では番号発表と自分の番号から察するに、毎回だいたい15倍から20倍くらいの倍率だったと推測します。リセール狙いは最後までやっていましたが、全滅しました。
ぼろ負けして発想を切替えられたので、大阪公演の予約が始まるところに間に合って何とか確保できました。前後左右全員双眼鏡持ちという座席でした。いい劇場なので見切れはありませんでしたが、遠いものは遠い。おかげで芝居から距離を置いて眺められたのはあったかもしれません。
それにしても純粋な遠征目的の旅行は人生2度目でしたが、宿の予約を舐めていたら高い宿になるし、昼間は観光で大阪を歩いてみようとうっかり歩いたら疲れて死にそうになって芝居の前に宿でひと休みしたりで、偉い目に遭いました。歩いたのは自分の物好きなのでさておき、東京に芝居を観に遠征してくる人たちはチケットが取れた瞬間に宿の予約に手が動いたり、持っていく荷物や格好も決まっていたり、このあたりはもうルーチンになっているんでしょうか。翌日の午後は早めに引揚げたつもりですが、家に戻ってから後片付けに追われるわ次の日に起きてもまだ足が痛いわで、遠征不慣れなばかりにへろへろになってしまいました。予定を組むのが嫌いなので割と行き当たりばったりで直前に決めるのですが、そういうことをやりたければ身体を鍛えるところから始めないといけないと思い知らされる遠征でした。