2018年7月30日 (月)

DULL-COLORED POP「1961年:夜に昇る太陽」こまばアゴラ劇場(ネタばれあり)

<2018年7月23日(月)夜>

1961年の福島県双葉町。農家の長男は東大生だが家業を継がずに物理学を生かした仕事に就きたいと実家に頼むために帰郷する。次男は理解するも祖父とは喧嘩になる。その長男が帰りの汽車で一緒になった「先生」は町長の家に用事があるという。そのころ町では山高帽をかぶった怪しい男が目撃されるが、農家の三男たちは少年探偵団気分で正体を突き止めようとする。

福島三部作と銘打った連作の一本目。家族の対立を描く場面や、三文芝居的なラブコメや、人形を使った少年達など思いっきり素っ頓狂な場面を前振りに、双葉町に原発が誘致されるまでを描く。三部作で時間に余裕があることもあって、そのころの東京にいる人間からみた未来と科学技術がどのくらいまぶしかったかと、住んでいる本人達が認めるくらい双葉町がいかに貧しかったかとを、あの手この手で描く。

その後にくる、誘致のための土地の買収交渉の場面の思惑の交差。科学を信じつつ営利企業としても行動する者、この機会を逃さずに発展につなげたい町長たち、長男から実家を継がないと言われて言い分は分かっていても絶望していたところに転がり込んだ機会に悩む祖父の、三者三様の立場。調査と取材をした結果とのことだけど、これが本当なら、誘致をした側も受けた側もこうやって行動するよな、自分がその時その中の一人だったら同じ決断をするよな、という気にさせられる展開。前回公演の「演劇」でもあったように、この山場の場面の関係者もとても演劇的な立場に置かれて、ある人は自分から、ある人はやむを得ず、演劇的に振舞うように追込まれていく。

この場面が、何と言うか、いかにもありそうなやり取りで世の中は演劇的な場面にあふれているのだなという感想と、演劇で演劇的な場面を上演しているのにこれは事実に基づいて構成されたのだという事情と、その後に事故が起こるということを知っていることとが混ざって、観ていて胸焼けするような場面だった。

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2018年7月27日 (金)

新国立劇場主催「消えていくなら朝」新国立劇場小劇場

<2018年7月23日(月)昼>

東京に出て以来、初めて実家に帰った劇作家はバツイチ。一緒に連れてきた結婚するつもりの彼女は売れない女優。母は劇作家が子供の頃から宗教にのめり込んで父との仲は冷えて久しい。サラリーマンでこれもバツイチの兄や、父の会社で働く独身の妹もやってきて、十数年ぶりに家族が揃う。互いの立場への思いやりの欠如、仕事への無理解、母の宗教活動への遠慮が及ぼすよそよそしさなどが積もって罵りあいになる一晩の出来事。

これで芸術監督最後となる宮田慶子の演出作品は蓬莱竜太の家族体験に基づいたという新作。やりたいことをやっていていいよなという兄からの言葉や、売れていることがいいことではないのかという父からの言葉に返答が詰まったり、自分が言った言葉を否定する形で相手を貶めたり、いい意味で歯切れの悪さが出ている。反面、主人公以外の登場人物の日常や仕事についてはあまり描かれず。劇中の主人公に他の登場人物への想像力や理解が足りないのはよいけど、芝居を観ているこちら側にはもう少し想像する種を渡してほしい。家族の話だからと脚本の配慮で省いたのではなく、本当に知らなくて描けなかったのではないかと疑われる。

どこまでが実体験なのかはわからないけど、以前観た蓬莱竜太芝居に出演していたこともあり、宗教にはまりつつ恋愛もする母の造形は定期的に世間を騒がせる斉藤由貴がモデルなのかもと想像。この母の台詞の「誰もかまってくれなかったじゃない」が山場。互いの無関心の行き着いた果てのひとつを描いた芝居とも受取れる。演出がかなりフラットというか、よけいな脚色抜きで脚本を立上げるようにした結果、終わってみるととてもちっぽけな家族の話に着地したのが不満。ただその分、身近な問題をきっちり描いた感触も残って、良し悪し半々。平日で客席の年齢層が高かったためか、客席はしっかり受取っていた印象が強い。

主人公を演じた鈴木浩介の絶妙な上から目線加減と、そこまで多くない台詞で父親の微妙な立場を表した高橋長英が好印象。

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2018年6月24日 (日)

青年団「日本文学盛衰史」吉祥寺シアター(若干ネタばれあり)

<2018年6月23日(土)夜>

明治27年5月の北村透谷、明治35年9月の正岡子規、明治42年の二葉亭四迷、大正5年12月の夏目漱石、それぞれの葬儀後の場で交流する文人たちを通して、新しい日本にふさわしい日本語を発明しようと苦労した先人たちを「今風に」描く。

こんなあらすじだと堅苦しく見えるけど全然そんなことはなくて、「今風に」描くのでスマホも出ればラップもあれば、本当にタイムリーな時事ネタも混ざりつつ、突然チェルフィッチュとか何でもあり。原作があるせいか今までの青年団のないはっちゃけぶり。知識がなくても楽しめるけど、明治に活躍した作家や詩人の作品と、その作者である文人たちの私生活ネタまで知っているとなお一層楽しめる。それでいて現代批判と日本語の発達の経緯まで描いて無駄なく、混乱もせずに観られる。

西洋の文化の一環として日本に入ってきた文学と、それをあるいは言語で読みあるいは翻訳しあるいは影響を受けて自作を発表した文人たち。文語文をどこまで洗練させても「新しい日本」を伝えるに足りず悩んだ北村透谷、俳句の分野で「新しい日本」を見せた正岡子規、口語文という「新しい日本語」を発明したのに中身が伴わないと自身が評価しなかった二葉亭四迷、口語文の小説と一緒に「新しい日本」の日本人の悩みまで書いた夏目漱石。これらの人たちの活躍した時代は政治の分野でも「新しい日本」を目指す動きがあり、その活動を行なう人たちの中には文士もいた。森鴎外のように政府の要人になっている人もいれば、幸徳秋水のように政府に処刑された人もいて、目指すところは違っても「新しい日本」のために文字通り命がけだった。そしてようやく整ってきた日本語は「新しい考え」を可能にし、しかし新しい考えは傲慢な意識を芽生えさせ、一方その新しい考えが自分達に向かうのを恐れる支配者層は市民への取締りを強化していく。

というのが、メインの筋。これを、いろんな作家の作品の引用や私生活のエピソードを混ぜて描く内容が、どこまで原作でどこから平田オリザ創作かわからないけどものすごい上手。そもそもこの登場人物たちが一同に会したことなんてない(笑)。それを葬式後の会食という設定で無理矢理同じ部屋に登場させてそれっぽく会話させてしまうことができるのが、小説や芝居のいいところ。与謝野晶子から「自由恋愛を批判ってお前が言うなって顔していますね」と言われてその場の男性文士が全員うな垂れて、当時の文士の駄目人間だらけであることを一瞬で表す場面、楽しいですね。

一方で、ここに現代の時事ネタを取入れたり(幸徳秋水がもう一人と一緒にスネアドラムを叩きながら首相へのデモ調に「かつーら辞めろ」「かつーら辞めろ」とか)、現代の知識をメタに混ぜたり(夏目漱石の妻は悪妻というのが定評でしたが最近はNHKのドラマで名誉回復云々、とか)、現代のテクノロジーを登場させたり(モバイルスピーカーを持ってラップしながら登場する宮沢賢治とか)、こういうネタが笑いを誘って芝居の雰囲気をほぐしつつ、これは現在の話でもあるんですよ、とメインの筋を現代批判にもつなげる手腕が、もうこれは息を吸って吐くようにごく自然にそうなっている平田オリザ節。

一方で、坪内逍遥と島村抱月という日本近代劇の創始者を登場させたり、国木田独歩に鈴木メソッドで退場させたり、樋口一葉に「大つごもり」の粗筋をチェルフィッチュの「三月の5日間」と混ぜて語らせたり、うっすら演劇の話も混ぜている。そのものずばり「演劇のことば」という本(面白いです)を書いた平田オリザにしてみれば、芝居の日本語の近代化に興味も知識もあるし、何なら自分が芝居の日本語を一気に自然にしてみせたくらいの自負はあるかもしれない。

そういういろいろな話を混ぜて、4幕目はまったく年代が重ならない作家まで登場させて、紹介するのも面倒だから全員に名札を付けさせて、その雑な感じの勢いから静かな未来の提示、一転して踊り狂うあの乱暴なラストまでの流れ。原作があったとはいえ、昔と今の時間を混ぜる作りは唐十郎とか野田秀樹あたりがやっているザ・小劇場の芝居だけど、あんな小劇場っぽい芝居も作れるんだと平田オリザの実力と感性を見せ付けられた。本来ならこういう芝居は若手の小劇場が上演して評判を上げるべきところ、自慢の役者陣を大勢投入して、柱だけでふすまや壁を取払った和室といういつもながら見通しのいい美術や、着物や日本髪なども用意して抜かりのない衣装陣など、そこらの小劇場では用意できない誂えも準備して、大ベテランの平田オリザが隅々まで行き届いたお手本のような芝居。ここまでやられたらこの路線にはぺんぺん草も残らない、ってくらいよくできていた。

あと今回観て思ったのは、やっぱり青年団の演技は今っぽいというか、少し違う。同じ話をもし新劇系の役者で演じたら、よくも悪くももっと湿っぽい、役への思い入れが前に出た演技になったと思うし、それだと現代ネタを混ぜたこの話の上演は難しかったはず。ロボットにも同じ演出をするという平田オリザのことだから、動きや声の調整をメインにして雰囲気をコントロールできるような、役者の個人技でなく全体で雰囲気を作り出せるような演技を青年団の演技の基礎として求めているのだと感じた。それが実感できたのが今回の発見。

ひとつだけ迷った点を挙げるとすれば、大勢の役者以上に大勢の役があって、同じ役は同じ役者が演じていたけど、複数役を兼ねる役者もいたことと、あと男性役が多いのはしょうがないのだけど、そのうち結構な数を女優が演じていたこと。見た目も大幅に変えていたし、芸達者なことこのうえない青年団の役者陣だけど、最初はやや混乱した。それこそ4幕目はいるだけに近い役も結構あったのだけど、青年団なら一人一役で役者を用意できただろうし、かといってあのくらい芸達者な役者を1幕で退場させるのはそれこそもったいないし、どちらがよかったのかは今でもわからない。

でも個人的にはもう大満足の1本。この時代の作家や詩人の作品に造詣が深ければもっともっと楽しめたはずで、その方面の教養のなさが悔やまれる。

<2018年7月3日(火)追記>

全面更新。

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世田谷パブリックシアター企画制作「狂言『楢山節考』」世田谷パブリックシアター

<2018年6月23日(土)昼>

主人に無断で出かけてしまった太郎冠者が家に戻っているという噂を聞いて主人と次郎冠者が訪ねるも居留守を使う太郎冠者を引っ張り出すべくあの手この手「呼声」、食料が乏しいため70歳になると姥捨の風習がある山間の村でまだ1年あるのに行くという老母とそれを止めきれない息子が姥捨の山に行く「楢山節考」

能の回、狂言の回を組合せたプログラムのうち狂言のAプロの回を観劇。軽い前半と地味で力強い後半の組合せ。前半は居留守を使う太郎冠者を引っ張り出そうとする呼びかけがエスカレートして、節や拍子や踊りまでつける話。簡単といえば簡単な話だけど、なんとなく一緒に手拍子を叩きたくなるあたり、簡単に見えて結構な実力なんだろうと想像。後半は狂言なのに笑い要素皆無の、芝居要素の強い一本。タイトルだけは聞いていた話だけど、さっさと山に行けと言う村人、まだ山に行きたがらない親を追い出す他家の息子、山に行きたがる親を止められない息子と、厳しい村の生活に合わせて思い起こされる幼少期?の思い出。それをまとめた手際と仕上げた腕前は満足だった。けど、貧乏は嫌だとつくづく思わされる1本でもあった。

もう1本のBプロは能で「鷹姫」を上演して、「生きる」ことと「死ぬ」ことを並べたプログラムにしたと当日パンフで野村萬斎の説明。Bプロは観られないけど企画の勝利という気がする。

<2018年6月28日(木)追記>

感想を清書。

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2018年6月10日 (日)

こまつ座「父と暮せば」俳優座劇場(若干ネタばれあり)

<2018年6月9日(土)>

敗戦から3年後の広島。図書館に務める美津江は独り暮らし、のはずだが、すでに亡くなっている父が幽霊というべきか、家に出てくる。図書館に資料を借りに来た大学助手の青年から好意を示され、父の幽霊からも似合いの縁組と言われるが、美津江は反発を示す。美津江が家に帰るたびに繰返される父の幽霊との4日間のやり取り。

初演が1994年というから24年前。コンスタントに上演されているのに掛け違って、ようやく観られた。井上ひさしの芝居にしては寄道のほとんどない、一直線と言ってもいいくらいの2人芝居。原爆で亡くなった父や友人への引け目、その引け目を感じさせるくらいの原爆の悲惨さ、などを上手に織込んでの1時間半。終盤は劇場のそこかしこで鼻をすする音が聞こえるくらいで、たしかによい脚本だし役者は熱演なのだけど、何か観ていて入り込めないものがあった。

戦前に地元の古老から集めた民話を語り継ぐ会という話を持ってきて、それは自分達が勝手に変えてはいけない、語り継ぐべきだという台詞。これを原爆の被害を被害者である市民が(被害があまりにも悲劇的すぎたがために)むしろ忘れたいと願う台詞と対比させて、この悲劇は語り継がれないといけないというあたりに井上ひさしの主張もあると思う。けど、悲劇を語り継ぐことと再度の悲劇を防ぐための思案というのはほとんど別物だと考える。これだけ何演も繰返されているというのはすごいことだけど、実力ある脚本家であるがゆえに語り継ぐことの力を過大評価しているというか。

で、そういう芝居外の観点を除いて、純粋に芝居の内容だけで判断すると、物足りない。よくできた話だけど、力強く惹きつけられるでもなく、現代につながる要素が自分には見つけられるでもなく、すごく閉じた話に見えた。引け目を感じる美津江の心情だけを追うならむしろ原爆を持ってくるなと反発も感じる。

書けば書くほど実感から遠ざかる。面白い脚本を面白く立上げるのが難しかったという一言で片付けたほうがいいのか、それとも単に脚本がつまらなかったのか。自分の感想を言葉にできない能力不足が恨めしい

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2018年6月 4日 (月)

新国立劇場主催「ヘンリー五世」新国立劇場中劇場

<2018年6月2日(土)夜>

父の後をついで即位したヘンリー五世は、祖父の権利を行使するとしてフランス王に領土を渡すよう要求する。それを拒否したフランス王は内通者を仕立ててイギリス軍を害しようとするが、事前に察知したヘンリー五世は内通者を処分する。かくしてフランスに侵攻したイギリス軍とフランス軍との戦いが始まる。

出征する兵士の場面や、戦いの前夜にヘンリー五世が兵士を見回る場面などで多少のアクセントはあるものの、戦争予告で始まり、戦争して条約締結で終わるというびっくりするほど単純な芝居。新国立劇場のシェイクスピア王家話シリーズとして実力派メンバーが大勢続投しているけど宝の持ち腐れ。それでいいのかシェイクスピアと言いたくなるし、ここまで後回しにされた理由も納得。

ヘンリー五世を演じた浦井健治がとてもさまになっていたのと、横田栄司の役作りとアドリブで客席をわかせたのが救い。鈴木瑞穂が体調不良で降板していたのは残念。「ヘンリー四世」から再利用された美術は見通しがよくて高さも使えて万能かもしれないけど今後もシェイクスピアをやるなら新しい美術希望。

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イキウメ「図書館的人生Vol.4 襲ってくるもの」東京芸術劇場シアターイースト

<2018年6月2日(土)昼>

脳科学者だった父がアルツハイマーとの連絡を受けて帰国した息子が見たのは、父自身が精神と記憶を移植したコンピューターだった「箱詰め男」、どこから来たのかわからない衝動を無視するのはよくないという考えにとり付かれた運送会社の運転手は死亡事故を起こして交通刑務所から出てきた後もますますその考えを深めていく「ミッション」、就職活動を始めた女性は母の病気再発を聞かされて介護のために大学を辞めようかと相談するも家族からは反対されて恋人とも距離を置き始める「あやつり人間」。

日本人なのか人類全体なのかわからないけど、自他の区別が曖昧で自分の感情に鈍感な人間についての考察をちりばめた中篇3本。自分の興味ど真ん中で感心することしきりだったけど、この面白さをどうやって説明すればいい。

いつも主役に近い安井順平や浜田信也が引いて、ゲストの小野ゆり子、清水葉月、田村健太郎、千葉雅子に多めに活躍させたのは劇団としてよい兆候ととらえたい。1本目と3本目で確固とした存在感を示しつつ、2本目のおばちゃん所長役のほうがハマって見える千葉雅子はやはり小劇場の人。美術と照明を駆使した場面転換の場面は素敵。

後日更新するかも。

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M&O playsプロデュース「市ヶ尾の坂」下北沢本多劇場

<2018年5月26日(土)夜>

市ヶ尾の坂の横に住む3兄弟。両親はすでに亡くなり、長男と三男は地元で、次男は渋谷で働いている。近所に住む画家の妻は子連れの夫の後妻だが子供と上手くうちとけられないらしい。彼女に好意を持つ3兄弟は何かと家に呼んでおしゃべりを楽しむが兄弟同士で牽制しあって挙動不審である。

ミステリアスな女性が主人公のことが多い岩松了だけど、これは加えてミステリアスに見えないこともない男性3兄弟が絡む話。でも言わない台詞や微妙な仕草の隅々にたくさんの種を仕込んで観る側の想像力をかき立てるのはいつも通りの腕前。かついつも以上に冴えていて26年前の脚本とは思えないけど「描くために観ると観ているこちらが恥ずかしくなってくる」という台詞など今時の岩松了なら書かないであろう台詞にその名残が感じられる。水車小屋の話をする女性に焦がれる3兄弟の場面で3兄弟の気持ちを端的に表す照明がよい感じ。観ているうちにこちらの体温が上がってよくわからない興奮が残るという好調時の岩松了芝居に感じられる仕上がりを堪能。

後日更新するかも。

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2018年5月27日 (日)

赤坂ACTシアタープロデュース「志の輔らくご」赤坂ACTシアター

<2018年5月26日(土)昼>

なぜ歌舞伎の忠臣蔵は登場人物の名前が史実と異なるのかという疑問から始まって大序から11幕までのあらすじを浮世絵とともに説明する「仮名手本忠臣蔵のすべて」、下積から名代まで引立てられた役者に与えられた最初の役はいい役がたくさんある忠臣蔵の中で斧定九郎の一役のみという嫌がらせを引受けて一世一代の大勝負に「中村仲蔵」。

話だけでは難しいところ、各幕ごとの浮世絵を探してきてビジュアルを駆使して説明する懇切丁寧な前半。抜群に有名な代わりに長いので通しで演じられることの少ない演目を解説されて、始めて理解した。後半の落語のために全体を説明するのは「牡丹燈籠」と同じ趣向だけど、1時間ほどにまとまっているのでまずます観られる。
ただし後半の「中村仲蔵」は今回3回目だけど(1回目2回目)、よく言えば一番親切悪く言えば一番もたついた。昔は役作りに苦心して最初に披露する仲蔵の緊張と、引立てた団十郎の知ってはいるが見守るしかない立場からの感心と、名人の心情に絞ってテンポよくまとめていた。今回は仲蔵の生まれを足して、仲蔵の師匠の出番を足して、蕎麦屋の浪人とのやり取りを伸ばして、たぶん忠臣蔵のおかるを説明した一環だと思うけど女房とのやり取りも伸ばして、長い。「定九郎はあんなじゃないと思っていた」の説明もご隠居と団十郎とに繰返し説明させたのは工夫か間違いか判別しかねる。もともと5幕は弁当幕で云々と説明を足しているのに、さらに説明が増えて冗長に過ぎる。前半説明していればこそ、あるいは前半に説明を回して、後半は省略と洗練の極みで攻めることを望む。

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2018年5月13日 (日)

さいたまゴールド・シアター「ワレワレのモロモロ」さいたま芸術劇場NINAGAWA STUDIO

<2018年5月12日(土)昼>

役者に持寄ってもらった不幸なエピソードを構成する岩井秀人の「ワレワレのモロモロ」シリーズ。壊れかけた冷蔵庫の代わりを探すが、ほしい冷蔵庫について妻と夫との微妙な意見の食い違い「わが家の三代目」、中学で出会い高校で亡くなったかつての友人の記憶がよみがえる「友よ」、ゴールドシアターに入団して初めて台詞をもらえたのがうれしくて「無言」、夫が亡くなってから家にやってきた猫を飼う「パミーとのはなし」、軍人一家の末っ子が予科練に入隊する「荒鷲」、長姉と長兄は出かけて母と次姉と家に残っていた日の話「その日、3才4か月」。

岩井秀人は上手い役者を発掘してきて超絶妙なタイミングと演技が求められる芝居を作る人という印象で、さいたまゴールドシアターとの組合せも以外だったけど、素晴らしい成功例だった。今回で完全に見直した。

年配の役者ばかりだから亡くなる話が多くなるのは想定内のところ、冷蔵庫の話から始まって、でもその後の高校生で亡くなった女子高生や、誰か来てくださいという台詞の練習や、どうしようもない軍隊の実態など、いろいろな話が原爆投下直後の一家の姿に重なって、さらにその戦後の貧しかったころに米軍の大量の物資を見た記憶が海外製の大きい冷蔵庫をほしがる理由にまでつなげて最初に戻る。どうでもいい話から始めてどうでもよくない理由に戻る展開は見事の一言。

もともと動きや台詞の危ういゴールドシアターのメンバーだけど、この日は風邪で声が出ない役者がいて、マイクを使ったり急遽他の役者で台詞を分担したりとさらにアクシデントが加わったのだけど、まったく問題なしだった(ちなみに出来のよい回だったとのこと、トークショー参照)。緊急事態で役者の集中力が高まったのかもしれないけど、上手いとか下手とかお約束とか風邪をひいて声がでないとかどうでもよくなると思わせるくらいよくできた構成とががっちりかみ合った成功作。その理由はやっぱり一にも二にも脚本で、多少の出来不出来ではびくともしない構成があってこそ。岩井秀人は構成が持味というよりは、場合によって構成の強度や役者への依存度を調整した脚本を書き分けられるという印象。場所が遠いけど時間があったらぜひお勧めしたい。

以下、当日のトークショーのメモ。岩井秀人と、徳永京子と、渡辺弘。ずいぶんぺらぺら話すのだと思ったけど、作り上げるまでの苦労がつい口を滑らせたように見えた。一番面白いところはカット。誰がどの話をしたか、どの順番で話したかはずれている可能性あり。メモなので間違っていたらその責任はこちらにあるので申し訳ない。アフタートークは当日の晩くらいまではたいてい覚えているのだけど、このときは面白い話が目白押しでそこまで覚えていられなかった。

徳:蜷川幸雄の三回忌としてトークショーを開催します。
渡:午前中に御遺族と三回忌の法要に出席してきました。本当は他の方を呼ぶ予定だったのですが都合が合わず・・・。
岩:言わなければわかりませんから(笑)。
徳:蜷川さんと一緒にずっとやってきた方です。今は事業部長でしたっけ? 本当に凄い人なんですよ。
渡:今回初めてゴールドシアターを観た人は挙手をお願いします。・・・お、半分くらい。
徳:じゃあ岩井さんの芝居を今回初めて観た人は。・・・これも半分くらい。
岩:ありがとうございます。
渡:ずいぶん初めての人が多いですね。
岩:もともとゴールドシアターは演劇の幅を広げてきたというか(笑)、いろいろな常識が通用しない(笑)。

岩:今回はこれまでで一番感動的な回でした。
徳:風邪で声が出ない人はマイクを使っていました。
岩:本番45分前くらいに病院から戻ってきたら「先生、声が出ません」と蚊のような高い声で言われて(笑)。
徳:若者にだけ聞こえるというモスキート音のような(笑)。
岩:それで時間もなくてどうしようかと思いましたけど、ピンチのときは最初に思いついたことをやり遂げるしかなくて。演劇の幅を広げることにもなるしいいかなと(笑)。そうしたら周りの出演者が関係ない台詞を自主的に引取るようなサポートも本番中にしだして。ゴールドシアターは毎回仕上がりが変わるんですけど、今回は感動的な仕上がりになりました。

渡:以前から岩井さんとは一緒にやりたいと思っていたので、こういう形で実現しました。
徳:出演者に自分の不幸な出来事を書いてもらって、それを元に岩井さんが構成しています。岩井さんはこのフォーマットで公演もしているし全国でワークショップを何回も行なっています。最初にこのフォーマットを考え付いた経緯を。
岩:演劇ってまったく違う他人のことを上演するじゃないですか。それはやっぱり素人にはハードルが高いです。もともと自分の引きこもり体験を芝居にして上演していたので、素人が演劇を上演するなら、まずは自分の話を上演するのが一番いいと思っています。あと最近は、書いてもらった話の中で、できるだけ演劇らしくないものを選ぶようにしています。
徳:それはどういう理由で。
岩:演劇らしい話だと仕上がりが見えてしまってつまらないんですね。それよりは一見関係なさそうな話、それこそ今回のように壊れた冷蔵庫を買換えるような話のほうが、仕上がりが見えない分だけ可能性があると思って。それで不幸な話を書いて提出してもらったんですけど、みなさん手書きで、まずそこからか、と(笑)。それを劇場のスタッフがPCに入れてくれるのだけど「達筆で読めません」とか(笑)。それで面白かった人と話して詳しい話にする。
渡:横から見ていて、みなさんの話を引き出すのが非常に上手だったので感心しました。
岩:稽古に入っても一筋縄ではいかないことばかりで。最近のゴールドシアターの公演は、ネクストシアターの若手が入って手助けしながら公演していますけど、「せっかくだからゴールドシアターのメンバーだけでやります」と断ったんですね。そうしたら稽古初日から「ネクストシアター来てくれー」と何度も思いました(笑)。
渡:みなさん年を取って丸くなるかというとそんなことは全然なくて。
徳:初回公演(船上のピクニック)を岩松了さんに書いてもらったときに、本人に本読みをやってもらったら、岩松さんに「てにをは」の駄目出しをしていたとか(笑)。
渡:岩松さんが読んでいるときに、「そこは『が』じゃなくて『は』じゃないの」とか(笑)。あと、オーディションが終わった後に当代一流の講師を招いて1年間座学を設けたんですね。そうしたら「俺はそんなことやりたいんじゃない」と出席しない人もいて(笑)。
徳:私が聞いたエピソードは、公演の合間にだれるとかわいそうだからと、蜷川さんが伝手を頼ってピナ・バウシュ劇団にいる日本人ダンサーを呼んでムービングの講座を開催したんですね。そうしたら「俺はそんなことがやりたいんじゃない」と出席しない人がいたという(笑)。もぉっっったいない。
岩:ムービングの講座は受講者を一般公募して金を取りましょう(笑)。取れるくらい面白いでしょう。

渡:そういうメンバーばかりだから公演するごとに蜷川さんは病気をしていました。本当に、公演ごとに体調が悪くなって。
岩:聞いた話をまとめる段階でどうしても切らないといけない話が出てくるんですけど、切られた人は「あぁん?」(笑)。最後は「俺がそうまとまった話を観たいから、俺がそのほうが面白いと思うから切ります」と宣言してまとめました。
徳:すごいよく出来た話でした。

岩:蜷川さんが亡くなったあと、ゴールドシアターを解散するかという話はあったんですか。
渡:亡くなって1年くらいはどうしようかと本当に毎日悩んで。岩松さんと一緒にやることだけは決まっていたのでそれを頼りに続けて。今となってはそのタイミングがすぎたから解散できないです。ノゾエ征爾さんと「1万人のゴールドシアター」をやって、岩松さんと「薄い桃色のかたまり」をやって。いま活躍している中堅どころの人とも積極的に脚本演出をお願いしようと探して、岩井さんに依頼しました。
岩:自主的に退団した人はいるんですか。
渡:いません。亡くなった方と、病気でもう出られないから仕方なく退団された方だけです。
岩:うかがった話では、認知症で退団した方が、翌日うっかり稽古に来てしまったとか(笑)。
徳:オーディション時は55歳以上で募集していたましたけど、いま考えるとそれはずいぶん若くて。結成から12年経ったので平均年齢もだいぶ上昇しています。
渡:いまはネクストシアターがサポートしながら公演する形になって、それで「鴉よ、俺たちは弾丸を込める」と「リチャード二世」で世界まで行ってしまいました。蜷川さんが用意したものが10年経って花開いた成果です。
徳:「鴉よ、俺たちは弾丸を込める」は、裁判所で撃ち殺された老人が若くなって生まれ変わる話ですが、ネクストシアターの出演者はその場面まで待機しながらゴールドシアターのメンバーを助けていました。
岩:それ凄い話ですね、誰が書いたんだ(笑)。って、清水邦夫さんですね。
渡:ネクストシアターが作った映像がありますのでここで紹介を。劇場の25周年記念で、蜷川さんの舞台をいつも撮影していた写真家の写真に、ネクストシアターのバンド有志が歌をつけた、ゴールドシアターの紹介映像です。
(上映)
岩:これを自主的に作ったってすごいですね。
渡:客席の後ろにネクストシアターのメンバーが2人いますね。
徳:「いやいやそんなもんじゃない」って顔をしています(笑)。
岩:無理矢理作らされたとか(笑)。
渡:まあまあ(笑)。

岩:20代30代ってのし上がってやる、っていう気持ちが一番強い年代なのに、それがゴールドシアターのサポートをするって凄いですね。学校で蜷川さんに習っていたんですけど、周りはこの有名人を喰い物にしてやれって人たちばっかりでした。
渡:幅広い年代のメンバーが揃って、蜷川さんは晩年は「大家族ができた」と喜んでいました。
岩:最初にゴールドシアターを作ろうとよく考えましたね。
渡:最初は自分のお父さんとお母さんに、ハムレットとオフィーリアの格好をしてもらって写真を撮ろうとしたんです。そうしたら断られた(笑)。でもそこから、年をとった人でも何かできるんじゃないかと考えて、ゴールドシアターになりました。
岩:ネクストシアターのメンバーも、もっと有名になりたいとかあったんじゃないかな。でも蜷川さんはそういう欲望を肯定していて、もっと自分を踏台にして有名になってもらって構わないというスタンスだったんですよね。
渡:それで蜷川さんに怒られたと。
岩:いや、それは違って。品川幸雄っていう役を登場させた芝居を書いたんですけど(笑)、それを誰かが蜷川さんに伝えたんみたいなんですよ。それで後日蜷川さんに会ったら「お前、俺の悪口を書いて稼いでいるらしいじゃないか」って(笑)。話がだいぶねじ曲がっている(笑)。
徳:教え方も厳しかったんですか。
岩:いや、当時は人の襟首をつかんで「お前はっ!」って怒鳴るような講師が主流でしたから。それに比べれば蜷川さんのほうがずっとロジカルでわかりやすかったです。でもそのころは「大家族ができた」って喜ぶような人ではなかったですね。
渡:蜷川さんはこれまで劇団を作っては潰してしまってきた人だから、嬉しかったんじゃないでしょうか。

渡:蜷川さんはシャイな人。だから自分が怖い演出家とか灰皿を投げるとか、そういう評判も含めて演じていました。それで打解けるともっと深い話をしたり。
徳:埼玉県の川口市の出身で、町工場がたくさんある町で。
渡:その人たちが日常的に「バカヤロゥ!」って使うから自分も同じように使って。そういう人たちの立場で、蜷川さんは徹底的に生活者目線で作っていました。昔は歌舞伎だったところに演劇が入って、それが西洋からの借り物なのに現代は無自覚で使っているという問題意識をもっていて。それで、生活者目線の、借り物でない演劇を作ろうと苦心していました。

渡:岩松さんにゴールドシアターの初回公演をお願いしたとき、時間がない中で引受けていただいたのですが、やっぱり何十人分の役を書くのは難しくて、10人くらい難民A、難民Bという役で、どこの言葉かわからない役の人が出来てしまったんですね。次にKERAさんにお願いした「アンドゥ家の一夜」のときは、3日おきくらいに稽古を撮影した映像をKERAさんに送っていて、それを観ながらKERAさんが全員分の役に役名と台詞を書いてくれたんですよ。そうしたらみなさんとても喜んで。それを聞いた岩松さんが、次の「ルート99」では全員に役名を書いてくれました。

岩:「アンドゥ家の一夜」ではプロンプターがいましたけど、プロンプターのせめぎあいも面白かったですね。「ん、台詞が遅い、けどもう少し待ったほうがいいか、もうプロンプ出したほうがいいか」みたいな(笑)。
渡:これは確実なんですけど、人間は演劇をやると活性化します。ゴールドシアターのメンバーで、歩けないのに歩けるようになった人もいます。
徳:今日出演していた方ですね。
渡:演劇をやると元気になるということをどうにかして証明したい、というのが私のライフワークになっています。
岩:ゴールドシアターのメンバーは舞台上で無防備になれるのが凄いですよね。みなさん、「舞台の奥まで走って」ってお願いするとそこまでは動けるんですよ。でも奥について次に何をやるかわからなくなったときの無防備な背中(笑)。ネクストシアターのメンバーだってどうやったらあんなに無防備になれるんだろうって、気になりますよね(笑)。
渡:年をとったら自然にそうなりますよ(笑)。
岩:でもあれを意識的にできるようになりたいじゃないですか。

岩:今後はどうするんですか。
渡:もともと蜷川さんという重石があって収まっていたのがいなくなって。いろいろな人に頼みたいですね。
岩:ノゾエ征爾さんは裸の役者を天井からつるしておしっこさせながら台詞を言わせるような滅茶苦茶な演出家なんですけど、最近は丸くなって(笑)。ゴールドシアターは大変ですけど、岩松さんに去年お願いして引受けてもらえたのなら、それだけの魅力が何かあるってことだから、いろいろな人にお願いできるのでは。
渡:岩松さんの演出は去年が最初です。
岩:でも初回公演の脚本も引受けてもらっていますし。
渡:そこにたどり着くまでにどれだけの人に断られたことか。初演のときにそれこそ何人も断られ、もう時間がないという状態で岩松さんに引受けてもらって、あそこからよく脚本を書いていただいたという。これは声を大にして言いたいのですけど、日本の脚本家はせまい世界の知合いの役者に当て書きだけしていて外に出てこない。あれが日本の演劇界の悪いところですよ。
岩:でも40人はさすがに多くないですか(笑)。
渡:まあ多いですが。

渡:じゃあ次は再来年くらいでどうでしょうか。
岩:よろしくお願いします。

なお渡辺弘がどんな人なのか検索してみたら本当にすごいキャリアの人だった。脚本家や演出家は騙して1回は連れてこられるかもしれないけど、スタッフ部門のこういう力量実績のある人の後任者のほうが問題になるんじゃないのか。

<2018年6月27日(水)追記>

全面更新。

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