2019年2月12日 (火)

松竹製作「二月大歌舞伎 夜の部」歌舞伎座

<2019年2月11日(月)夜>

息子の初陣を案じてあえて陣中に駆けつけ主人に様子を尋ねる妻だがそこには敵方の武将の母も現れて仇討ちを狙う「熊谷陣屋」、親の仇を討つために踊りを披露する名目で屋敷に入った兄弟が踊る「當年祝春駒」、派手好みで旦那もいれば情夫もいる芸者に入れ込んで貢いだ行商人だが袖にされ「名月八幡祭」。

幕見席の通しで観劇。熊谷陣屋は、チラシのあら筋は読んで臨んだけど、まったく不覚なことにしゃべっている台詞の1割も言葉として理解できなくて、あら筋の内容すら観て取れなかった。芝居観すぎて疲れていたのは確かだけど、あまりのわからなさにひょっとして病気かと自分でも驚いた。有名な古典だから筋も台詞も知っている人は多いだろうけど、純粋に日本語として聞き取れている人はどのくらいいたのか。

代わりに楽しんだのが名月八幡祭。わかりやすい筋立てに、歌舞伎には珍しく照明と効果音を使ったクライマックス。堅気の新助を演じる松緑の明晰な台詞と最後の笑い声、それをかばう歌六の大人振り、芸者の美代吉を演じる玉三郎の色っぽさ(相手に気を持たせるうちわの使い方が素晴らしい)、そして情夫という名のヒモ男が最高に似合う仁左衛門。見どころが多い。新歌舞伎っていいものだ。

當年祝春駒、難しいことを考えずに単に音と動きのきれいなことを追えばそれでもよいのかと思えたら、楽しめた。

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渡辺源四郎商店シェアハウス「過ぎたるは、なお」こまばアゴラ劇場(ネタばれあり)

<2019年2月11日(月)朝>

青森県の、とある施設。かつて2人の息子を育てた母が入居している。入居している人たちは、仲よく過ごす人もあり、部屋で引きこもる人たちもあり。そこに新しい入居者がやってくる。

実にあらすじの書きにくい話だけど、重い話を別の話で包んで、1時間半ないと思えない密度。さすが長年やっているだけのことはある仕上がり。

実は早くになくなった母の代わりに導入されたロボットで、プルトニウムを燃料に半永久的に動くはずだったのに、エネルギーに欠陥が見つかり処分されるところを施設に入り、という背景はそのまま原発事故の敷衍。それを、少しずつひっかかる情報を提示しながら引張り込む。そこに、他のロボットが待つ恋人の話とか、育てた息子達が思惑をもって面会にやってきてからのいきさつを混ぜて、人間とロボットの「人間らしさ」の話に一気に振る幅の広さ。さらに、災害の話とか、ロボットの扱われ方の話とか、ガリガリ君の歴史(笑)とか、情報をちら見せして世界の奥行きを広げる手腕。青森は処理場があるだけにより実感のある話題だろうけど、重い話への重い抗議も間接的に示して芝居らしさも失わないバランス感覚は、さすが長年やっているだけのことはある。

終演後の話だと、畑澤聖悟と工藤千夏が交互に書いて、相手が書いた部分も勝手に書き直して、という手法で書かれたとのこと。どこがどちらの書いたものなのか気になる。役者はひとりくらい青年団出身の人が混ざっていると思ったけど、全員地元の人らしい。大千秋楽だったとはいえ至近距離に耐える演技。凝っているようでいてシンプルな舞台を飽きさせずに使って、まったく文句なし。もっと早くから観ておけばよかった。

遠征の都合で連休のときにしか上演できないとはいえ、東京では追加含めて4日間6ステージしか上演しないのだから、贅沢な話。ただし次回はGWを使ってスズナリで6日間8ステージ。

<2019年2月13日(水)>

感想を清書。

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タカハ劇団「僕らの力で世界があと何回救えたか」下北沢小劇場B1

<2019年2月10日(日)夜>

かつて漁業が主要産業だった町。誘致合戦に勝抜いて素粒子研究のための研究所が稼働を始めるのを記念して、科学イベントが開催される。そこにトークイベントの参加兼取材で作家がやってくる。取材先の学校では、科学らしい企画を頼まれた無線部OBたちが企画に頭を悩ませていた。が、そこで無線に、ラジオのジングルが聞こえてくる。かつて無線部のメンバーが自主的に流していたもので、それを知っている人間は当時の無線部のメンバー以外にはありえない。そこで話は、唯一この場にいない、かつてのメンバーについての話となる。

詳細後日。

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新国立劇場演劇研修所「るつぼ」@新国立劇場小劇場

<2019年2月10日(日)昼>

1962年、アメリカの片田舎であるセイラム。娘や姪たちが夜の森で踊っているのを牧師が見つけたところ、娘が寝込む。姪がかつての勤め先の主人と不倫していたが振られて解雇されたのを恨んで、近所の少女たちを集めてその妻を呪い殺すための儀式を行なっていたのだが、驚いて寝込んだままの娘のことを魔女だという噂が広がる。姪はそれを隠すために、悪魔に取りつかれたと嘘の告発を行なうが、それを信じた村人たちの誤解を逆手にとって、何でもない村人たちを次々と魔女扱いで告発していく。

超重量級の脚本を、鑑賞に耐える水準を超えて脚本に対抗しうるところまで仕上げた力作。主要な役を演じた12期生も、ヘルプの修了生も、見どころ多い。

これを書いている時点であと平日2回、3時間20分だけど、A席でも3240円だし、観られるものなら観てほしい。

詳細後日。

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2019年2月 4日 (月)

東京芸術劇場制作「父」東京芸術劇場シアターイースト

<2019年2月3日(日)昼>

パリに暮らす父と長女。長女が在宅の介護士を手配するも、3人雇って3人とも介護士を追い出してしまい、次女は優しいのにと長女に当てこすりを言う。ところが長女の言うことが毎回違う。どうやら父には認知症の気配があるようだが、父は自分の症状を認めない。

演技がこなれすぎていて、登場人物の名前や室内靴履きなど一部小道具以外は日本の脚本なのではないかと疑われる仕上がり。介護の問題を真正面から扱っているけど、軽い種明かしとしては、認知症の父の視点から見た場面と、長女の立場から見た場面が混在している芝居。大筋はわかっても詳細がどんどんずれて、認知症の人から見えている世界はこうなんだろうなと思わせる展開。

橋爪功の(文字通り)ボケかたに説得力があったけど、今回は追詰められる長女役の若村麻由美がその向こうを張ってさらに素晴らしい出来。脇を固めるメンバーも、相対的に出番は少ないけど手抜き一切無し。ラスト場面の柔らかさが見事だった女優は全然知らなくて、控えめに演じているのに存在感が強くて背も高くて、日本のどこにこんな女優がいたかと壮一帆を調べたら元トップだった。宝塚侮れん。

終演後のロビーで「認知症の父の視点から見た場面と、長女の立場から見た場面が混在している芝居」という点を同伴者に説明している人多数だったので、そこだけ承知して臨めばいろいろ感じるところのある芝居。まもなく介護される人も介護経験者も、年齢や経験を積んだ人ほど観てみては如何。当日券はまだあったけど、会場前方端だと見切れるので注意。大して広い劇場でもないので、選べるなら最後列端のほうがよい。

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2018年12月26日 (水)

カタルシツ演芸会「CO.JP」スーパーデラックス

<2018年12月23日(日)夜>

最近よくないことが続く男が訪ねた「霊媒師」、スーパーでつかまった高校生が盗もうとした品がどうもおかしい「万引き」、久しぶりに新刊を出した作家が宣伝で話すインタビュアーの話し方が気になる「インタビュー」、クラスメートからは仲良く構ってもらえるものの不満がある「転校生」、妻が入院して駆けつけた夫に医者が病状を説明する「手術」、引越した友人の家を訪ねたらなぜか取付けられている「ボタン家」、主人が亡くなって犯人を見つける「名探偵」、順調に正解を続けているが「クイズ」、栄えある一等賞に選ばれたものの「メガネ男子」、計画を立てて押しこんだはずだったが「銀行強盗」、日本を救え「ジャパンレンジャー」。

順番とタイトルは一部適当。コントと演劇の境界を探ると銘打ったが「ゴリゴリのコントに仕上がりました」との前口上で始まるコント集。深いことは考えずに笑えるコントが並ぶ。こういうのを観るときは意地悪い気分で笑ってやるものかと身構えるけど、笑わされた。設定の妙に負けた「転校生」とあんまりな展開にやられた「名探偵」が特によい。たまにアドリブが入って共演者が笑うのはわかるけど、あまりにも上手い間がはまって共演者が笑うのはほどほどにとは思う。それも含めて面白かった。こんなにリラックスしていた客席の雰囲気は久しぶり。

横長の舞台を三方から囲むのでサイド席だと表情が隠れる場面もあったはずだけど、顔や仕草に頼る笑いが少なく声でしっかり突込みが入るから、わからなくて笑えないことはほぼない。それは逆にいうと設定と構成がしっかりしていた証拠。他人を馬鹿にするような要素もなく、政治的な話もなく、誰が観ても等しく楽しめる見本のようなコント集。

それとは別の感想として、ゴリゴリのコントとは言っていたけど、出来上がったものは演劇に近い。具体的にはKERAの芝居を観ているような気分になった。不条理劇と呼ばれる分野の脚本を書いて喜劇的に演出するKERAと、理不尽だったり強引だったりする設定やそこへのツッコミで笑いを取る今回の公演と、そんなに差はないことを実感。場面がつながって一本の物語になるか、ならないかだけが違いではないか。あるいは、困った(けどあり得ないことではない)場面に追詰められた登場人物がおかしいのがウェルメイドな喜劇で、理不尽な(本来あり得ない)場面に振回される登場人物がおかしいのが不条理劇で、それが短いコントになっていても長い物語になっていても根は同じではないか。今回のコントが不条理劇風味のラインナップで揃っていたのは、やっぱりコントと演劇の境界を探った成果ではないか。

こんな感想を書くのは、ついこの前「風の演劇」という別役実の評伝を読んだから。この本の中でも三木のり平やKERAを絡めて、不条理劇は喜劇に近いという話が載っていた。よく考えたら別役実は一度も観たことがないけど、コントだと思って機会があったら臨みたい。

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月刊「根本宗子」「愛犬ポリーの死、そして家族の話」下北沢本多劇場

<2018年12月23日(日)昼>

母が駆落ちし父はアル中になって亡くなって祖母に引取られた4人姉妹。祖母も亡くなった後で上の3人は結婚して家を出たが、若い頃に引きこもりになった四女は飼犬と本だけに関心をつないで生きている。22才の誕生日を祝いに姉夫婦たちが集まるが、その最中に飼犬が死に、義兄たちが嫌いな四女は義兄たちのせいだと恨む。その直後に、いつも読んでいる本の作家から四女にSNSでコンタクトが届く。

高圧的、マザコン、浮気性と駄目な男性の見本市のなか、それを見ていた四女が何をどうしてどうなるか。男性の駄目さを描く腕前は冴えていて、特に浮気性の夫が妻に言い訳する場面は台詞も演出も秀逸。演じた田村健太郎の逆切れぶりが素晴らしく、イキウメの「図書館的人生」の爽やかなストーカーを思い出す。

それに反して駄目な男性と別れない女性陣の描き方は最後まで筆が鈍ったまま。納得させるわけでもなく、突き抜けるわけでもなく、消化不良のぬるぬるが残る。演技演出が上手な分だけ演劇的な突き抜けた感のなさが目立つ。タイトルにも入っている愛犬ポリーは開始早々に忘れ去られて、でもポリーを活用しようとした痕跡は残っていたので、一度書いたプロットに納得がいかず書き直したものと推測。だとしても観ていて納得のいかないラスト。

あと全員の演技に文句はないけど、根本宗子だけ声の小ささが目立った。自分の芝居だけでなく「水の戯れ」とか役者出演でもいい腕前の人なので惜しかった。細かいところでは、歌とダンスの場面で4人の女性陣が踊るとき、根本宗子ひとりだけが笑顔の場面があった。当日チラシだと振付も本人なので、そこまで目が届かなかったんだろう。

結局、根本宗子の不出来または不行届にいきつく仕上がり。主役が直前で体調不良で交代するという不利はあったけど藤松祥子は代役をこなしていたし、何より脚本が迷走していた。チラシ作成時点で脚本未完成だったとしても「一人の少女が自分と周りを信じて家族を変えるお話です」と書いてあのラストはどうなのか。本多劇場ではあまり見かけない質感に仕上がりましたと当日チラシで言われても、まずは質感より質がほしい。

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2018年12月18日 (火)

シアター風姿花伝企画製作「女中たち」シアター風姿花伝

<2018年12月15日(土)夜>

あまりよくない経歴を持つ、姉妹で奉公する女中たち。主人を密告し奥様を悩ませ、形見分けとして財産をもらおうと画策する。留守を狙って奥様の部屋で将来を夢見ていたが・・・。

虚実が曖昧な芝居と当日パンフに書かれていたけど、観た感じははっきりしていて特にそうは思わず。むしろ客を笑わせようというサービス精神の多い脚本と思えた。オープニングのどっきりとか、女中たちが奥様の口調や仕草を真似るところ(後で奥様がそのような演技をする)や、飲みそうで飲まない煎じ薬の扱いなど、そこは脚本家が絶対狙っているだろ、というネタが多い。もうだめだ、と嘆く台詞も笑わせどころにできたはずで、これは絶対喜劇。

なのだけど、鵜山仁がそうとう真面目に演出して、もちろん質は確保されていたけど、なんかアングラっぽい雰囲気になってしまってネタが生かされていない(白黒のメイド衣装にアングラを連想してしまったのは自分の偏見か)。いい感じの奥様の甘ったるさが放置されてしまったし、そして女中2人とも演技以前に存在に貫禄がありすぎて女中らしさが薄く、奥様との上下関係が弱い。那須佐代子の最後の長台詞は圧巻だったけど、あれをより生かすにはそこまでにもっと笑わせておいてほしかった。

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2018年12月15日 (土)

Bunkamura企画製作「民衆の敵」@Bunkamuraシアターコクーン

<2018年12月14日(金)夜>

ノルウェーの田舎町。見つかった温泉を整備して保養にふさわしい地域として宣伝し、町が活気にあふれている。が、温泉整備の発案者であるドクターは、保養客が病気になったのを不信に思い調べたところ、採取ルートが悪かったため汚染されていることがわかる。この事実を公表しようとするが、市長で温泉施設長も兼ねる兄は影響の大きさから発表を見合わせるように弟を説得する。それでもドクターの発表の意思は変わらなかったが、兄は具体的な町の損害を算出してドクターに賛同する人たちの説得を開始する。

イプセンでまだ見たことのなかった一本。タイトルが半分ネタばれだけど、実に設定の上手な、これは揉めるに決まっているだろうという状況で意見を変える人たちの姿を描いた秀作。自分には多数派がついていると最初にドクターに言わせて、後で多数派を非難するというあの脚本の意地悪さ。

加えて演出で上手だったのが、堤真一演じるドクターを単なる正義の味方にせずに、日常生活にやや想像力の欠ける人間として描いたこと。町の住人が、持っている土地や株券がパーになったり、失業したり、そこまで可能性を考えてなお決断するなら立派だし、そこまで考えたら行動に移れないとも思うけど、あの態度では他人事ながら手のひらを返されても不思議ではない。盗人にも三分の理というけど、観ていて市長や記者や不動産協会会長の立場に感情移入の対象が移ることが一再ならずあって、その点では芝居として実によいバランスだった。観た人に、誰の意見に賛成するか訊いてみたい。

編集長の谷原章介と、不動産協会会長の大鷹明良がいい感じ。兄で市長の段田安則と、ドクターの一家に味方する木場勝己は実にはまっているのだけど、個人的にはいつも似た役どころで観ているので、逆の役で観たかった。あと、音響が実に上手。普段は舞台から飛んでくるような音だけど、今回は劇場に音が湧いて充満するような音響だった。あれは劇場改修の成果なのか、今回の音響デザインがよかったのか、知りたい。

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新国立劇場主催「スカイライト」@新国立劇場小劇場

<2018年12月14日(金)昼>

ロンドンの、治安がよくない地域でアパートに独り暮らしをする女性の元に、かつて一緒に暮らした一家の息子が訪ねてくる。女性が出て行き、母が亡くなってから父の様子がおかしいので会ってほしいと言う。息子が帰ったあと、父である男性が訪ねてくる。女性は実家を出て男性が経営するレストランで勤務し、その一家に見込まれて一緒に住んでいたが、男性と不倫関係にあり、関係が妻に知られてから姿を消していた。話は近況の報告からお互いの価値観、そして過去の出来事と様々に進む。

小川絵梨子の芸術監督就任後初演出。ほぼ出ずっぱりの蒼井優と浅野雅博が、とにかくしゃべる。その会話の内容がいかにもイギリス芝居っぽい。相手をしゃべらせて、非難して、その言葉から相手を非難し返して、仲直りして、またしゃべらせて、がなんども続く。同じ出来事に対してこれだけ違う見方を提示しながら会話を続けるのは立派。1995年初演らしいけど、それにしたって浅野雅博演じる男性は余計なことを言い過ぎで、あれでよくひっぱたかれないなという脚本。ラスト15分ごろ、タクシーを呼ぶところからの蒼井優が突然いい感じになって、この人は高い声を普段無理して出しすぎで、もっと低い声のほうが楽に発声できるのではないか。

劇場の中央横に舞台を置いて、舞台を挟む席とギャラリーを囲む席の配置だったけど、役者の顔はやっぱり正面席優遇の感は否めず。今回入って奥側で観たけど、台所から食卓までの導線が正面向くようになっていたけど、それなら椅子や床に座ったときで顔の向きの按配を調整してほしかった。何度も書くけど、囲み舞台をやるなら稽古場の演出家席がわかるようなバランスはやめてほしい。あと入って正面から見て下手側の席だと、上手側と比べて窓が内よりに配置された舞台美術で、あれが役者に重なってストレス。床から上がる玄関を配置したのと、窓から差込む光を照明で作るために位置と距離を稼ぎたかったのが理由だと思うけど、あれでS席として同じチケット代ってことはないだろう。座席の不満が大きくて感想が薄い。

<2018年12月16日(日)追記>

寝て落着いたから思い出したことを若干ネタばれで追記。

表向きは不倫していた2人が過去や互いのよかったこと悪かったことを振返る話だけど、その振返る内容のかなりの部分に貧富の問題が含まれていて、そちらが本筋ではないかと思う。特に、治安のよくない地域からレストラン経営で身を起こして一代で富裕層になった男性と、弁護士の娘に生まれて大学を優秀な成績で卒業したのに治安のよくない地域に住みながら教育に力を注ぐ女性との対比は、役の基本背景として隅々まで行き渡っていてほしかった。それが最後に、あなたはどんなときでも現状では満足できない人、君は自分の身を他人に預けることが出来ない人、のすれ違う台詞で締めくくるような脚本になっていたはず。

この線でいくと、寝室を豪華に作ることが罪滅ぼしになったと考えていた男性と、もう花は見たくないと言った男性の妻とのすれ違いもあって、そこに貧民にも成金にも共通な軽蔑される要素を描くという、いかにもイギリスっぽい、ある意味嫌味な面もあったはず。

そんなことをつらつらと考えると、男性を演じた浅野雅博が紳士すぎた。人に命令しなれて、見下して、成功がさらに自意識を拡大して、でも飽くなき上昇欲を持ち、創業者ならではのエネルギッシュな魅力を放出して、少なくとも料理については唐辛子を先に入れる以外にも豪華な朝食を食べるなど一家言あり、それらが今はぺしゃんこになっているけど認められないという、少なくとも紳士ではない面をもっと見せてほしかった。相手を非難するときも、言葉の割に攻撃感が少ないというか。

もうひとつ違和感があったのは、ワンルームが広すぎたこと。囲み舞台にしたせいで壁を立てられなくて台所やストーブでしかボロさを出せなかったのはわかる。でもその場合にどこで貧しさを感じるかといえば日本人としては広さで、貧しい地域とはいえ1995年でロンドンで手ごろな家賃であの広さが借りられるのか。いや舞台美術なのはわかっているけど、それでも手狭さを出せなかったものか。

あと芝居とはまったく関係ないけど、終演後のカーテンコールで蒼井優のお辞儀に感じた真剣味というか深刻さというか、あれは何だったんだろう。単に少し長くお辞儀しているのがそう見えただけなのかな。

<2018年12月17日(月)追記>

何でろくに知らないイギリスの芝居にこんなコメントが出てきたのかと自分で疑問だったけど、これだ。「イギリスでは労働階級出身だと芸能人になれないらしい」ってエントリーを書いていたんだ。

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