2017年2月25日 (土)

M&Oplays製作「皆、シンデレラがやりたい」下北沢本多劇場

<2017年2月24日(金)夜>

メジャーデビュー前の男性アイドルの追っかけで知り合った女性3人。中の一人が経営するスナックに集まっては男性アイドルの話題で盛上がる。ある日、男性アイドルの寝顔を付きあっている女性アイドルがTwitterに投稿したことで炎上する。相手の女性アイドルが許せない3人は、貶める情報の検索や拡散に努めるが・・・。

役者の根本宗子は観たことがあったけど、脚本演出作品は初見。追っかけ以外は趣味も境遇も異なる3人の違いを、結構ひどいこと言葉でカラッとした笑いに紛れ込ませつつ、追っかけ側の思い込みや妄想論理を明快に描いた1本。今まで見逃していたのがもったいないと思わせる仕上がり。

途中ものすごい早口でまくしたてるのも含めて、いまどき珍しい1時間45分でお腹いっぱいの満足感。このスピード感と誇張感は最近細っていた小劇場のノリと笑いを使いこなしている。小劇場から大きくなった代表的な劇団から腕利き女優を3人集めるキャスティングからして趣味がはっきりしていて、よくぞ集めたという感じ。美術や衣装や音楽が芝居のトーンに揃っていて、目が行き届いていた。最後はあれだけのために人を集めたという思い切りのよさも魅力。

これで出演もやってかなり上手だから、できる人はできるんだなと思い知らされる。チラシに挟まっていたインタビューを読んだら学生時代に年間100本観てメモを残していたのもすごいけど、コメントのいちいちがはっきりしている。この前スズナリでやっていたと思ったらすでに本多劇場2回目だったのも納得の出来。観て損はしない。

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2017年2月24日 (金)

世田谷パブリックシアター企画制作「お勢登場」シアタートラム (若干ネタばれあり)

<2017年2月20日(火)夜>

若くして歳の離れた男性と結婚したお勢。子供ももうけているが、派手に化粧して度々出かけるお勢の浮気が疑われる。このお勢の来し方行末と、お勢に関わりあった人物たちの人生模様。

江戸川乱歩の短編8本を再構成した芝居。お勢の話が続くと思いきや、「二銭銅貨」のようなお勢が一切関係ない話も足してきて、視点がぶれる。原作を尊重したのかもしれないけど、強引にでもお勢を登場させて、話に一本筋を通してほしかった。あの最後で締めるならなおさら。単発で見ればそれぞれ面白い話が、お勢の話とそれ以外とに散るせいで理解が散漫になってマイナスに働く。怪しい雰囲気だけでつなぐのはつらい。

並居るベテランの中でも片桐はいりがピカイチで、真面目に見せる場面と笑わせる場面の両方とも光る。これに食われたわけではないけど、お勢を演じた黒木華が最初の1本とその後の話とでつながらずにもったいない。舞台に写される年から時系列を考えると、最初の1本はすでに十分悪女の時代のはずで、旦那を見殺しにする場面で思い切りのよさを見せて欲しい。遊園地で働く女の演技は好み。

スタッフワークは衣装と映像がよかったけど、その分予算を取られたのか美術がそれらに見合わず安っぽく見えた。多い場面数に対応して転換に工夫を凝らしただけでなく回転木馬まで導入していたけど、シアタートラムだと舞台に近すぎて目立つ。

観てそれなりに楽しんで、江戸川乱歩の怪しい雰囲気も、笑いも味わったけど、同じくらいもったいない点が目立った芝居だった。美術の話はさておき、脚本演出でもう少し持っていけたはず。

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2017年2月23日 (木)

Bunkamura/キューブ企画製作「陥没Bunkamuraシアターコクーン(若干ネタばれあり)

<2017年2月18日(土)昼>

東京オリンピック開幕前の昭和の日本。実業家がホテルの建築を計画していたが、事故死してしまう。後を継いだ一人娘は何とか開業にこぎつけたものの、夫の浮気が原因で離婚し、父がスカウトした会社の同僚と再婚している。プレオープンの日、父の借金のため費用をかけられなかったホテルはアンケートに苦情の嵐。本日は別れた元夫の再婚パーティー開催が予定されており、関係者が宿泊に来ているが、不穏な空気が流れている。死後の世界から様子を見に来た父は何とかしようと奮起し、それを早く連れ戻したい死者の見張り役とトラブルになる。

あまりオリンピックは関係なく、スマホも携帯電話もありません、くらいの時代設定。亡くなった父が見張り役に頼んで七つ道具を駆使するあたりからKERA版真夏の世の夢が始まって、その裏で一人娘と元夫と再婚相手とがぎくしゃくするKERA版岩松了が進んで、でもやっぱり要所要所がKERA芝居で、最後は、これもスクリューボールコメディっていうのか、お楽しみ、な展開。

七つ道具で「触ると内心のことを正直に話してしまう粉」がツボで、これを振りかけた椅子に座るかな、座らないかな、のじらし具合はお手の物。それを忘れたころに使うのが実に上手。何と言うか、よくできたベタな笑いがこんなに面白いとは思わなかった。もちろん丁寧な前振があるのだけど、久しぶりに大笑いした。客席のノリもいい日だった。

やっぱり主役の小池栄子が素晴らしくて、社長令嬢の役にふさわしくものすごいきれいだった。「グッド・バイ」もそうだったけど、悩んでも何しても真っ直ぐな役が似合う、華のある人で、脂の乗っている女優という表現がぴったり。それなのにきっちりおっぱいネタもこなす偉ぶらなさがまたいい。あと、山崎一の演技が芝居の軽い側の線をまとめている。何か植木等に似ているように見えてきた。他の出ている役者は複数役を兼ねたり同じ役でも体を乗っ取られたりして忙しいのだけど、それでも楽しんで観ていられるこの余裕のキャスティング。このくらいが標準になってくれるといいのだけど、やっぱり贅沢だよなあ。

芝居初心者にもぜひ勧めたい一本。1階端席で観たけど事前に言われたほどの見切れはなかった。立見ならチケット代はぐっと安くなる代わりにたぶん見切れがひどいのでできるだけ後ろ側で。

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カタルシツ演芸会「生きてる時間」あうるすぽっと

<2017年2月18日(土)昼>

近未来の日本。税金を免除する代わりにすべての健康状態とライフログを市に提供することが義務付けられたモデルタウン。このデータから人間の残り寿命を測定するシステムを開発してしまった医者が自分の寿命を知ったことによる顛末。そのシステムの延長で人間の時間を売買できるようになり、ためしに時間を購入した老夫婦の結末。その情報たまたま知ったフリーライターが進める取材の行方。

今回のカタルシツは落語とのコラボレーション。寿命を知った顛末と老夫婦の結末が落語で、その合間に演劇形式の取材の行方が入る。たぶん、取材の行方が元の話で、その背景で匂わされていた寿命を知った顛末と老夫婦の結末を、落語として追加したと思われる。落語の話で背景が広がり、取材の話がぐっと面白くなる。

ただ、落語とのコラボレーションは実験的な要素もあるので、100%成功したわけではない。まず、イキウメはSF要素が多くて全体にかっちり話す脚本だけど、落語はやわらかく話すのでそこのギャップがひとつ。イキウメの看板で見に来た自分としては、柔らかく語るのではなく、もう少しかっちりした台詞術のような語りが聞きたいし、この脚本なら落語側をもう少し固いほうに寄せたほうがよさそう。

次に、落語側と演劇側との間で、登場人物の関係はあっても場面上の接点はないので、話がつかめるまでが長い。もう少しお互いの共通場面があると助かる。そして、それに関係するけど、落語、演劇、落語、演劇、の順番は反対にしたほうがいい。でなければ、頭に演劇を入れて5幕モノにしてほしい。交互に2つずつは落語のスタイルだけど、それに拘る必要はない。カタルシツだから語る時間が長いのは歓迎だし、真打を呼んでおいてもったいないけど、落語の体感時間がちょっと長い。

あとこれはないと思ったのは、演劇は生声で、落語はマイクを使ったこと。終盤に双方が話す場面があるけど違和感が大きい。あうるすぽっとなら生声で揃えてほしい。

苦情ばかり書いたけど、話は面白いし、この形式は発展の余地があるので、第2弾、第3弾と計画して育ててほしい。

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2017年2月22日 (水)

野田地図「足跡姫」東京芸術劇場プレイハウス(ネタばれあり)

<2017年2月11日(土)昼>

江戸初期、裸も見せる女の踊りで人気を博す興行の一座。役人の取締りをごまかすための男衆もおり、看板娘の阿国の弟サルワカもその一人だが、地球の反対側に行けないかといつも穴を掘っている。ある日、穴掘りの不始末で座長の不興を買って一座から追い出されそうになったところ、弟をかばう姉が、面白い物語を書かせると宣言する。詩的だが抽象的な話しか書けない弟に代わって、一座にいつの間にかもぐりこんでいた男が代筆した脚本が大当たりを取る。だがこの大当たりが仇となり、役人の取締に合ってしまう。妹分の踊子が身代りで捕まり、阿国とサルワカは逃げられたが働き口がない。かねてから裸以外にも客を喜ばせる表現があるはずだと考えていた阿国は、踊った足跡が絵になる足跡姫の演目を思い立つ。

時間が経ってしまったので粗筋が微妙に間違っているかもしれないけど御容赦。勘三郎の弔辞で三津五郎が語ったという「肉体の芸術ってつらいね、死んだら何も残らないんだものな」に対する野田秀樹のオマージュがこれ。踊子がいなくなっても足跡(あしあと)が残るという筋を、足跡(そくせき)が残ると掛けて、何も残らないわけじゃない、その先まで続いていく足跡を残したんだと実に明快な回答。

劇中では、芸能に生きるものの表現欲を描きつつ、そのあちらこちらに勘三郎ネタあり。代筆された脚本に仲のよかった仁左衛門の名前を出すくらいはご愛嬌のうち。倒れた阿国に救急車を呼ぶか呼ばないかという場面は宮沢りえの「すったもんだがありました」事件のパロディだけど、それを宮沢りえにやらせる野田秀樹も野田秀樹だし、やる宮沢りえも宮沢りえ(褒め言葉)。最後の場面が満開の桜なのは、反骨の先祖が桜の下に埋められたという劇中の展開もあるけど、太地喜和子の舞台の千秋楽に小道具の桜の花びらを差入れしたエピソードからなのかな。知っている人にはもっとわかるネタがあるのかも。助平な伊達の十役人という役もあるけど、モテた勘三郎のことだったりして。

前半のラスト、死の間際の阿国の母が言葉が上手に話せず「いいあい」と言っていたのは「死にたい」と言っていたのだと思い込んでいた阿国に対して、それは「生きたい」ではないかと返したサルワカに喜んで「だからお前は天才よ」と返す場面。野田秀樹が実際に似たようなことを言われたんじゃないのかな。それがラストでは、生きたいではなく行きたい、踊れない踊子がもっとも行きたかったのは死の床からもっとも遠い反対側、つまり舞台だと繋げて、ああそれは病室で見取った勘三郎のことかと思わせる。この時点ですでに感動しているところ、あの美しい長台詞でこの足跡は十八代までは続くだろうという締め。全然違う話でここまで上手に勘三郎を称えるのだから野田秀樹は天才だけど、この天才をそこまで心服させた勘三郎の魅力ってなんだったんだろう。

脚本ばっかり書いたけど、もちろん仕上がりはよい。宮沢りえが一番だったけど、池谷のぶえが張りきっていて、古田新太は比較的おとなしくしていた。コロスのメンバーが、踊りもいいし、武士集団の動きも切れがある。スタッフワークは言うに及ばず、簡素な美術の割に貧弱さも感じず。全体に質が高い。これは再演されないか、それとも十九代目の襲名があったら再演されるか。もう一度観たい。

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2016年12月30日 (金)

シス・カンパニー企画製作「エノケソ一代記」世田谷パブリックシアター

<2016年12月23日(昼)>

喜劇役者榎本健一ことエノケン、にあこがれてエノケ「ソ」として一座で巡業生活を送る男。座員は妻、相手役兼スタッフ一切の男、脚本家兼マネージャ一切の男、の4人だけ。興行元の誤解や妥協に付けこんでの巡業なのでトラブルも多いがあの手この手で乗りきっていく。しかし本物のエノケンに問題が起きたら偽者はどうするべきか・・・。

どんなものだろうと観に行って、普通に観ればよくできているけど不満の残る出来。期待していたハードルはもっと高い。

満足したのはなんといっても吉田羊。脚本に魂を吹きこんで確実に芝居を一段上に上げていた。笑いをきっちりとって、偽者の夫を支える妻役の座中の立場もきっちり見せて、その分ラストで涙を誘う。カーテンコールの拍手の半分は吉田羊向け。脚本もおいしかったかもしれなけど、それ以上に仕上げていた。浅野和之と春海四方もいい感じ。浅野和之は「まともなヤツと付きあうのはもう飽きた」って台詞(聞きようによっては肝の台詞)で一部の客が吹いたのにつられて、一瞬詰まっていた。名手浅野和之の珍しいとちり。

あと、今回は3階サイドの席で観たのだけど、舞台がセンターに固めてあって、見切れが全然なかった(上手の端だと2場の黒板だけ見えなかったかも)。結構広い劇場なので目一杯使いたくなるところ、コンパクトに抑えてしかも小さく感じさせないのは親切かつ見事。

不満は3つあって、ひとつは猿之助。1月に観たのと同じ役者とは思えないオーラのなさで、脚本に書かれていることは全部やるけど書かれていないことは一切やらない、みたいな演技だった。偽者のオーラのなさまで演じたのかもしれないけど、それはそれとして、観客を揺さぶってほしい。あれじゃエンノスケじゃなくてエンノケソ。劇中でも芝居でも吉田羊に頼りっぱなしなのはどうなんだ。

あと脚本。よくできていたけど、巡業プラスアルファの5場を、ナレーションで繋ぐのは物足りない。場面が変わったときにそれがどういう場面かをいかに上手に伝えるかは脚本の技術であり、その情報を受取りながら芝居にのめりこんでいくのは観客の醍醐味だけど、そこはぜんぶ飛ばされていた。大河ドラマのナレーションが評判になっていたのに味を占めたのか。1時間50分という近年稀に見る短時間に収まったのはありがたいけど、あと15分延ばしてもいいからナレーションなしで挑んでほしい。

で、不満の最後が役者三谷幸喜。一般に観ればあれだけできれば上手だけど、残念ながら三谷幸喜芝居のレベルに達していなかった。チョイ役とか、インフルエンザの役者の代役とかだったらご愛嬌だけど、3場の相手役としてフル出演していたのはいただけない。このチケット代の芝居には見合わないし、あれでOKでは猿之助の演技に駄目だしできない。今後は出演するにしても控え目にしてほしい。

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2016年12月20日 (火)

新国立劇場主催「ヘンリー四世(第一部、第二部)」新国立劇場中劇場

<2016年12月15日(木)昼・夜>

先王を廃して王位についたヘンリー四世。その際に協力しあった領主一族とも晩年には揉めて、その領主一族から謀反を企てられる。王はごろつきと付きあって放蕩している長男も呼び戻して戦い、勝利し、やがてその長男がヘンリー五世を継ぐまでの物語。

あまり評判が上がって来ないので心配しつつ、「ヘンリー六世」を観たからにはこれも観たいので通しで観劇。結果、かなりよかった。シェークスピア芝居を抑えておきたい人にはぜひお勧めしたい。

最初は長男がヘッドホンして衣装がスカジャンだったり、音楽がクイーンだったりして、うわーこれどうしようと思ったのだけど、観ているうちに違和感もなくなったし、他はごく王道のスタッフワークと演出だった。そうすると、王位を巡る両一族の対立がきれいにわかって、入り込めた。それでもややこしいのだけど、ロビーに人物関係を描いたパネルが展示されていたのが理解に一役買っていたので、始まる前に、せめて休憩時間にでもいいから眺めておくべき。

そのややこしい話を違和感なく観られたのは役者の実力の賜物。シェイクスピアは日本になじみのない舞台に昔ながらのくどい台詞がつきものでハードルが高いのだけど、あの台詞を特にひっかかることなく聞けるのは幸せな座組だと最近気がついた。

その中でも特筆モノなのがごろつきのフォールスタッフを演じた佐藤B作。強盗を働き、酒におぼれて女と金にだらしなく、ケチで見栄っ張りで、強きにへつらい弱きを挫き、うるさい声で呼吸をするように嘘をつくのだけど、必至さと愛嬌とで何とか日々を過ごしていく憎めない奴。こう言っては失礼だけど、役者佐藤B作に対してもっている、うるさそうな人とかケチそうな人とかうっとおしそうな人とか、そういう偏見全部を引受けてなおかつ憎めない役に仕上がっていた。間違いなくはまり役で、60歳を大幅に超えてこんな役に出会えるなんて幸運な人だし、それを観られた自分も幸運だった。キャスティングした人の慧眼に敬意を表する。

実は人物関係のパネルを読んでも半分くらい配役が理解できなかったのだけど、他の人もまあ実力十分だった。他に一人だけ、那須佐代子を挙げておく。第一部はほとんど出番がなかったけど、でも酒場の場面で出てきて一言二言話しただけで目が向いた。その分第二部でははっちゃけた役を披露していた。

他にスタッフワーク2つ。ひとつは舞台美術で、奥に傾斜がついた殺風景な床に木組みで3階立ての仕切り。途中で小道具の当たった垂木が1本飛ぶ始末で、よほど金がないのかとおもっていた。けど終盤、ヘンリー四世が病に伏してヘンリー五世と話す、街頭のようなオレンジの照明が当たる場面。立派なように見えても王政なんてぼろぼろの体制で、何かあったら簡単に崩れるものだって印象が強く伝わった。もうひとつはロビーに貼ってあった現在までのイギリスの王朝の系図。シェイクスピアの題材になった王に色がついて、ヘンリー四世で王朝が変わって、その後ヘンリー六世やリチャード三世につながるイメージがよく伝わって、理解の助けになった。1枚でとても勉強になるので、この系図が載っていたらパンフレットを買おうと思ったのだけど、見本を読んでも載っていないんだこれが。次にシェイクスピアの王朝ものをやるときにはぜひ載せてほしい。

正直言うと、王位を巡る争いとごろつきたちの場面とのバランスがよいは第一部に比べて、第二部は出世したフォールスタッフが目立ちすぎてバランスが悪い。たぶんシェークスピアは第一部だけのつもりで書いたら、芝居もいいしフォールスタッフもいいしで思わぬ人気が出て、フォールスタッフが多めに出るように第二部を書いたんじゃないだろうか。でもそういうことまで考えさせるほど、脚本をよく反映した仕上がりだった。「ヘンリー六世」の他に「リア王」や「十二夜」も観ているけど、鵜山仁のシェイクスピアはよい。

で、これだけ満足した芝居なのだけど、座席がすかすか。2階はよく見なかったけど、7割切っていたんじゃないのか。平日なのを差引いてもひどい。開演が12時と17時半だったのは、通しで観た自分にはありがたかった。けど、休憩込みで第一部が3時間、第二部が3時間20分なら、勤め人も少しは取り込む狙いでせめて13時18時にしたほうがよかったのではないか。公演日程を見ると今後の参考のためか、平日は試行錯誤の跡がうかがわれる。ただこれを書いている今日と明日が18時半でそれぞれ第一部と第二部、チケットはまだ余裕なので当日券でも問題なし、なんなら千秋楽もまだチケット買えるので、とりあえず第一部だけでも如何。

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2016年12月 6日 (火)

KERA・MAP「キネマと恋人」シアタートラム

<2016年12月1日(木)夜>

昭和初期。勤め先の工場が倒産して失業し酒とギャンブルと浮気におぼれて暴力を振るう夫を持つ女は勤め先に内職を掛け持ちして家計を支える。そんな女の唯一の趣味は映画鑑賞。東京から遠く離れた離島の町に1件しかない映画館では東京から6ヶ月遅れの映画が上映されるが、それも毎日観に来る。ある日、上演中の時代劇を観ていると、映像の中から登場人物に話しかけられる。やがて映像から飛び出してきて映画館が混乱すると、その隙に登場人物は女を連れて脱走する。折りしも、その時代劇の続編を撮影するために、役者陣がその島にロケに来ている。

元ネタは「カイロと紫のバラ」という映画だと公言しているけど、未見のためどこまで元ネタに近いかは不明。観終わってみれば、映画の登場人物に主人公の女に妹の話も絡めて、実によく出来たプロットの王道な展開。舞台内映画の映像やプロジェクションマッピングを贅沢に使う割にはアナログな手段も駆使して、それ自体も含めて笑いにするような仕上げ。

周辺の話も存分にネタを仕込んであり、それなりに楽しんだのに、どこか釈然としない。昔の喜劇の知識がないのでそこのネタが分からなかったからなのか、あんな扱いをされておとなしくしている女に緒川たまきが見えなかったからなのか、映像の登場人物が主人公にほれる理由が不明だからなのか、そこに説得力を持たせられなかった妻夫木聡が悪いのか、映像のテンポと舞台演出のテンポが合っていなかったのか、たまたまテンポがずれた回を観てしまったのか、いろいろ可能性を考えるけど、どれも可能性として間違っている気がする。

観ていて、これと間逆のラストを期待していた自分に気がついたので、たぶん自分が疲れていたのが一番の原因だと思う。主人公の幸福感は伝わってきたけど、それを自分の元気に転化しきれなかった。うーん。

それ以外だと、インフルエンザで中止の回があったのも困ったけど、19時開始で3時間20分だとちょっと交通事情も厳しくて。蜷川幸雄がBunkamuraの駐車場が閉まるより長く上演する公演が昔あったけど、それは考えてほしい。KERA芝居で上演時間が長いのは覚悟の上だけど、終了時間まで真似ないでほしい。14時19時を13時18時半の繰上開始にできなかったものか。

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2016年11月13日 (日)

新国立劇場演劇研修所「ロミオとジュリエット」新国立劇場小劇場

<2016年11月12日(土)夜>

2つの名家が反目を続けて勢力が二分されている街、ヴェローナ。一方のモンタギュー家の御曹司であるロミオは恋に破れたばかり。いたずら好きの友人にそそのかされて、もう一方のキャピュレット家が主催する仮面舞踏会に潜り込む。そこでキャピュレット家の一粒種の娘、ジュリエットと出会う。

一度はどこかで観たはずで、観終わって筋を思い出した。結構期待していたのだけど、窮屈な演技で終わってしまった。これでは合格点はおろか及第点にも届かない。研修所の上演とはいえ、やりたくったってやれないシェイクスピアの、そのまた王道の1本に主要な役で参加できる貴重な機会だったはずだけど、残念。周辺役でちょっといい感じと思ったのは後で確認したら全員卒業生だった。

がんばっているのはわかるけど完全に台詞に負けていて、まっすぐこちらに届く台詞がほとんどなかった。「ロミオとジュリエットは結構恥ずかしい台詞。日本人のメンタリティでは言えない。」って言葉が今になってようやく実感できた。これは難しい脚本。上手にやるかどうかより、ほとばしるエネルギーで芝居をねじ伏せるのが先に必要だけど、エネルギーが足りない。とりあえず大声出しとけって言ったのは野田秀樹だったか。

最後の場面、アメリカ大統領選だけでなく日本を含めた世界中が似たような状況になっているので、そういう意図も込めて脚本選んだのかな。そうすると、世界をねじ伏せるような愛を見せつけてくれないといけない。ますます難しい脚本。

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2016年11月 6日 (日)

劇団チョコレートケーキ「治天ノ君」シアタートラム(若干ネタバレあり)

<2016年11月3日(木)夜>

病気のために執政の期間が短かった大正天皇。父である明治天皇や息子である昭和天皇との不和に悩みながらも全力で生きた生涯のうち、皇太子時代に婚約してから亡くなるまでを、貞明皇后が振返る。

少年期は父から叱責を受け、晩年は摂政の立場を巡って息子と対立。重い話の枝葉を落としてまとめて、一見よくできた芝居だったけど、個人的には合わなかった。

先に良いところを挙げておくと、役者はとてもよい。威厳のある天皇から食えない政治家まで、全体に雰囲気を揃えて宮中のトーンを作っていた。あと狙った配役なのか、皇族役に美声の持主が多くて、それがここ一番の場面を盛上げるのに一役かっていた。その点は観て後悔はない。

もったいなかったのは舞台美術と役者の出入り。玉座から伸びる赤絨毯を置いてしまったために、絨毯をまたいで部屋を移動する場面が多数出た。あれは色に拘らず照明で必要に応じてあらわした方がよかった。あと絨毯の話も関係するけど、役者が舞台から出たり入ったりする位置と部屋の関係が全然頭に入らなくて最後まで場所への想像力が追いつかなかった。あれは何かを意図してわざとやっているのか。だとしても意図がわからない。

個人的に合わなかったのは、扱っている歴史の認識が合わなかったのがひとつ。明治天皇と明治時代が威厳があって、明治への復古を目指した体制が昭和の悪さを構築していった、という流れだけど、そうかなあ。明治天皇と明治時代は偉大ではあるけど本来もっとおおらかだったのを、後付けで威厳があったと昭和時代に構築したんじゃないかな。神棚という台詞はあったけど、明治天皇に現人神という単語を使わせているから、前者のように受取れた。これは趣味の違い。

歴史の扱い方に疑問があったのがもうひとつ。当日パンフで「この物語は歴史的事実を参考にしたフィクションです」と書かれているけど、それにしては全体を大真面目に作りすぎている。それでいてどこか薄い。設定だけ借りてハチャメチャな芝居にすることは望まなかっただろうけど、事実を押さえて不明なところを埋めたという感じもしない。大正天皇をモデルにした話に専念すればよかっただろうけど君が代まで流してしまったし。

前回もそうだったけど、登場人物がほとんどすべての状況と心情を台詞で説明している。逆に、登場しない人物や外部の状況を伝えるような情報はほとんどない。ただし今回はその説明台詞だらけでバランスが一応成立している。なぜかと言えば、観ているこちら側が必ず何かしらの歴史情報を持っているから、背景を知識で想像できる。その代り、各人の歴史情報に依存するので想像の背景はばらつく弱点があるし、そこに疑問が生じると話が成立しない。この脚本を架空の国の王3代の物語に置きかえたらスカスカになる。だから一応成立していると書いたけど、実は適切なバランスではない。だったらもっと歴史的事実で観客の想像力を方向付けするような脚本にすることが望ましいけど、そうなっていない。そこをフィクションで済ませるのは、重い歴史を扱った割には軽い扱いではないか。なにより、宣伝チラシに引用していた渡辺保の劇評で

「治天の君」は衝撃的な舞台であった。私たちの体験した戦争がどのようにして決定されたかが鮮明に描かれていたからである。

とまで書かれた劇評を引用するからには、フィクションでないと描けない真実があるという意見には賛成するけど、今回についてはフィクションで済ませないでほしかった。そういう色々なことが、個人的に合わなかった理由。ちょうど昼間に観た「遠野物語」がフィクションについて上手に扱っていた芝居だったのでなおさら。

あともうひとつ運営について。今回当日券を買ったらトラムシートしか余っておらず、後ろが立見だったからまあましな席を確保できてよかったと思っていたら、招待券が大量に余ったのか、立見客が椅子席に案内されていた(椅子席が埋まったあとはトラムシート)。席を無駄にするくらいなら直前でも捌いた方がいいのでこれ自体はいい判断。

ただそれならトラムシートの客から案内してほしかった。開演直前でまとまった枚数を急いで処理しないといけなかったのはわかるけど、優先されたのはキャンセル待ちの客じゃなくてすでに立見席を買って入場まで済ませた客ですからね。自分たちで立見席より先にトラムシートを売っていたのだから、どちらが先に並んでいたのかわかるでしょう。トラムシートは当日券金額だったけど、ひょっとして立見席は当日券よりも安く売っていた可能性もあるので、だとしたら割高なトラムシートを買ったことになる。早めに劇場に来て並んでチケット買ったほうが損するのはどうなんだと文句を言いたい。立見より楽とはいえトラムシートでも腰にきつい、そういうときに限って休憩なしの2時間半。芝居の感想と合せて踏んだり蹴ったり。

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