2019年4月
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2019年4月21日 (日)

松竹製作「実盛物語」歌舞伎座

平家の時代に源氏の子を身ごもる夫人を匿っている百姓家。源氏の仲間に連絡しようと出した娘は帰ってこない。そこに夫人の見回りに侍が来る。実は源氏贔屓の斎藤実盛は、産まれてくるのが男子ならその場で始末すると意気込む同僚の瀬尾十郎をなだめて追い返す。が、それを怪しんで隠れていた瀬尾に、出産したことをつかまれる。赤子が男子か女子かと詰寄る瀬尾に百姓夫婦が差出したのは、切られた女性の腕。さきほど川に流れてきたものを拾ったものだった。それを手掛かりに実盛は瀬尾を言いくるめて一度は切り抜けたものの・・・。

あっさり人が死んだり死ななかったり、入組んだ人間関係だったり、歌舞伎だけど小劇場的な要素満載の物語。筋だけ見れば陰々滅々な芝居になるところ、妙にさわやかでむしろめでたい仕上がりになったのは何と言っても仁左衛門の色気と華やかさ。そこはこんなインタビューが見つかった。たしかにこんなやり方もあるんだな、と納得させられた。

「演目によっては深く掘り下げなければいけませんが、こういう演目は、ご覧になる方にもドラマや理屈ばかりを追い求めるのでなく、歌舞伎独特の雰囲気というものを味わっていただきたいですね。歌舞伎には役者の華で魅せる芝居というものもあるのです」

それはそれとして、主要登場人物に話が集中しているせいか、役者を楽しむ見方もできる。全員いい感じだったけど、特に瀬尾十郎の歌六がよかった。出番は少ないけど夫人の葵御前の米吉も声が色っぽかった。そして台詞の多い子役は寺嶋眞秀のクレジット、寺島しのぶの息子だ。

2019年4月16日 (火)

シス・カンパニー企画製作「LIFE LIFE LIFE」Bunkamuraシアターコクーン

<2019年4月13日(土)夜>

 

天体学者の夫と金融機関に勤める妻。子供を寝かしつけるのに苦戦している。そこにやってきたのは夫のボスとその妻。翌日がディナーのはずだったが1日間違えていた。しかたなくありもので間に合わせて応対するが。

 

この応対を3パターン見せるので「LIFE LIFE LIFE」。気の持ちようで人生が色々代わる人と、どの人生でも変わらない人生になる人との対比が脚本のメインかと思われる。でもそこをそんなに強調せず、喜劇を追求したKERA演出。これでもかと受ける客席もすごかったけど、昨今のKERAのぎっしり詰まった芝居からすると1時間半でかなりあっさりした仕上がり。全員いいのは言うまでもないけど、ともさかりえの、ほんのちょっと誇張した演技がものすごく魅力的ということに今さら気がついた。

 

四面客席の舞台を回転させながらなるべく全方面に見せようとするのは「バージニア・ウルフなんて怖くない」のときと同じ。その再演のために同じメンバーを集めたのが流れてこの芝居になって、確かに面白くて文句のない仕上がりだったけど、この豪華メンバーならやっぱり再演が観たかった。

 

あわせて気になったのは、一度は再演を発表したのに、数日で流れて、すぐにこの演目が代案として発表されたこと。別の企画のために上演権を獲得済みだったのかもしれないけど、あんなにすぐに、この4人にぴったりの演目が出てきたのはすごいこと。毎日1本は脚本を読むという辣腕制作者の見事な腕前だった。

 

<2019年4月16日(火)追記>

ネタばれに対して雑すぎた記述を修正。

松竹製作「御存 鈴ヶ森」歌舞伎座

<2019年4月13日(土)昼>

 

雲助の物取りがたむろする鈴ヶ森。そこでつかまった飛脚が命惜しさに差出した手紙にあったのは、故郷で人を殺めて手配になった白井権八の名前。捕まえれば褒美がもらえると一同が色めきたったところにやってきたのはまさにその人で、繰広げられる大立回り。そこに駆けつけたのが幡随院長兵衛。

 

菊五郎が白井権八で吉右衛門が幡随院長兵衛。落語その他でこの2人が有名になっていて、その出会いの場面が特に有名だからご存知という題名、という前知識も今は必要とされる時代。大立回りのところでいろんな切られかたをするところが見所。深いこと考えずに楽しんでくれや、という1本。

2019年3月29日 (金)

KUNIO「水の駅」森下スタジオ

<2019年3月27日(水)夜>

 

人が来ては去る道の真ん中に、一本の水道がある。流しっぱなしのその蛇口から水を飲む人達の様子。

 

舞台奥から人が来ては水を飲んで去っていくのだけど、ある人は喜びある人は興奮しある人は亡くなる。元の脚本がどのくらいはっきりした解釈を持っているのかは知らないけど、たぶん何とでも取れるように意図されたのだと思う。自分が観た印象は生々流転を表したかったのかなと考えたけど、いろいろな解釈はあり得るし、解釈を許容する芝居だと思う。

 

普通の芝居だと舞台が客の気をそらさないような工夫をしているけど、これは客の集中力を試すような芝居。なのに体調へろへろな状態で観に行ったので、つらかった。沈黙劇とはどんなものかと油断していたらマニア度高い。自分にとって声と言葉の重要度を思い知らされた。これを楽しめるようになったらまた出直す

2019年3月24日 (日)

燐光群「あい子の東京日記 / 生きのこった森の石松」ザ・スズナリ

<2019年3月23日(土)昼>

 

燐光群の中山マリが、母で作家の中山あい子が書いた「私の東京日記」を元に、母と自分の生活を語る「あい子の東京日記」。森の石松が現代でおでんの屋台をひきながら客と語る中に様々なエピソードが語られる「生き残った森の石松」。

 

2本立て。最初のタイトルとは順番が入替わっていたのでその順で記載。「あい子の東京日記」が不思議な雰囲気で抜群に引きこまれる。これですべてではないけど今なら話せそうなところまで話してみました、という奥ゆかしさにあふれる仕上がり。一人芝居(劇中劇の場面では援軍が入る)を引張った中山マリの、子供劇団から役者を続けていたという実力も堪能。母と娘の演じわけが、そんなに素早くないメガネの有り無しというベタな方法を律儀に続けていたけど、それすら雰囲気。珍しい経歴で育って母と過ごした娘が、大きくたくましい母が娘をよく見て書き残した本を通じて演じてみせることによって(ややこしい)、人生と母への愛情が伝わる一本。これは中山マリが元気なうちに再演されるべき名作だと思うけど、書いている時点であと1日2回公演しかなく、再演される保証もないので、間に合えばお勧めしたい。

 

一方「生き残った森の石松」は、当日パンフによると森の石松モノの名場面を元に構成したとのこと。残念ながらその知識が皆無だったので、設定を理解するまでに時間を要した上に、その理解の前に現代の風刺ネタが混ざったりしたので、かなり混乱した。これはひょっとしたらメイン上演の「九月、東京の路上で」を観たあとに観たほうがよかったのか。

パラドックス定数「Das Orchester」シアター風姿花伝

<2019年3月22日(金)夜>

 

ナチスが政権をとった直後のベルリン。世界を代表するオーケストラと、最高の音楽を要求してオーケストラに君臨する指揮者。民族の優秀さを示すため、またユダヤ人の追放を画策するため、オーケストラを支配下に置こうと工作を進めるナチス。最高の音楽のためには民族など関係ないと一蹴する指揮者だったが、時代の流れはそこまで迫っていた。

 

1年間7本公演の最後。固有名詞を出さないあたりが一種の作劇術なのかもしれないけど、オーケストラはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で、みんなからマエストロと呼ばれる指揮者はフルトヴェングラー(ここは「ヴ」を使いたい)。大学時代の初脚本をリライトして上演とのことだったけど、新作と言われてもわからないくらいこれまで観たの事件モノの芝居とまったく同じ雰囲気。脚本家としての趣味はまったく変わっていない模様。

 

大勢の楽団員を率いる指揮者と国民を熱狂させたヒトラーを重ねたり、楽団員がいないと何もできないという指揮者のありようが演劇の演出家に重なったり、演劇は言葉を扱う芸術だからか簡単に扱えましたよというゲッペルスの言葉は日本も似たようなものだったり、音楽は抽象的であるがゆえに直接的であるという(元ネタがあるのかわからないけど)切れる台詞が出てきたり、扱っている話題がかなり奥行きを持っていてしかも狙ったものかどうか今の日本にタイムリー。国立つながりで、6月に予定されている新国立劇場の脚本にこれをぶつけたら面白かったのではないか。

 

その一方で直接的な表現かつヒロイズムに満ちた台詞が多い。これなら演技をもっとクールに振ってバランスを取ってほしかったところ、そこに付き合って甘めの演技が多かったのが残念。そんな中で指揮者の秘書を演じた松本寛子が気丈なところから絶叫まで見所を体現。ちなみに野木萌葱の芝居で女性登場人物を観たのはこれが初めて。今後も出てこない気がする。

 

今回も面白いけど、これは演出家が違うと化ける脚本なので、将来どこかの団体で上演してほしい。シス・カンパニーあたりでやってもらえないものか。

2019年3月20日 (水)

名取事務所「ベッドに縛られて / ミスターマン」小劇場B1

<2019年3月14日(木)夜>

 

10年間ベッドに寝たきりの若い女性の元に父親を名乗る男がやってきて2人で交互に語りつくす「ベッドに縛られて」。母と2人暮しで信心深い息子が、その信心深さから孤立していく「ミスターマン」。アイルランド芝居の2本立て。

 

後で気がついたら昼も夜も小田島恒志の翻訳という1日。2人芝居と1人芝居(声だけの出演あり)で登場人物が少なく、セットも固定で、勢い多い台詞への比重が高くなる2本。

 

これでもかという早口で全編通した「ベッドに縛られて」は、早口に囚われて起伏の付け方に失敗。様子がわかってくる後半はまだしも前半はつらい。その点は時間の短い「ミスターマン」のほうが1人芝居ということもあってまだつけやすかったようだけど、これでも起伏は不足している。2本立てで時間が足りなかったか、全体に、演出がHowにこだわってWhatやWhyを掘下げきれなかった印象。「ベッドに縛られて」の寺十吾と小飯塚貴世江、「ミスターマン」の斉藤淳とも適材適所だったのにもったいない。ただ斉藤淳はこいつヤバイ感が全開の怪演で、探せば名手はいるものだ、の感を新たにした。

 

それにしてもネタばれだけど、2本立ての両方とも殺人が起きる。マーティン・マクドナーといい、このエンダ・ウォルシュといい、苦しい環境で精神に異常を来たして人を殺す以外のアイルランド芝居はないのか。

加藤健一事務所「喝采」下北沢本多劇場

<2019年3月14日(木)昼>

 

1950年のアメリカ。初演を3週間後に控えている舞台が、契約上の手違いで主演俳優が映画撮影のため離脱してしまい、制作者、演出家、脚本家が代役に頭を悩ませている。アンダースタディのベテラン俳優の起用を主張する演出家に対し、新しい役者を手配しようとする制作者。かつて彼の舞台を観た演出家にはその実力が忘れられないが、アルコールによる失敗を懸念する制作者は反対する。不安定な契約ながらも主張を通した演出家。だが当の俳優自身が不安を抱き、その妻はそれ以上に心配する。

 

加藤健一事務所は初見。いまどきこんなバタ臭い芝居があるかと思いきやよくよく見ると、バタ臭いベテラン俳優の加藤健一、バタ臭さに付合うけど一線は守る演出家の小須田康人、最初からバタ臭さに付合うつもりのない妻の竹下景子、バタ臭さに付合うことで見せ場との落差を作って盛上げるプロデューサーの奥村洋治など、役者によって微妙に違うスタンスに興味をそそられる。小須田康人がとてもよい感じ。

 

舞台は1950年のアメリカ・・・と始まるナレーションで舞台設定を説明しながら開演するのは脚本の指示なのか演出の工夫なのか、芝居初心者へのハードルを下げる工夫として感心。ただ、最初はベテラン俳優が主役だったのが、途中からその妻が主役の話に移ってやや困惑。有料パンフレットでは、原題が「The Countory Girl」で、そこに作家の思いが込められていると演出家が文章を寄せていた。そこまで考えていてなぜこういう演出になる。それと、どこかつながりの悪さを感じる脚本で、特に演出家がそこまでベテラン俳優に拘る理由が、昔観て感激したという説明はあっても希薄だった。時間短縮のために一部場面をカットしていたのかもしれない。次回も翻訳モノだけど今回に増して文学座のエースが集結する座組なので、もう一度観たいところ。

 

あと細かいところで、開演前のアナウンスが、他所では「携帯電話やスマートフォンをお持ちのお客様は・・・」と流すところ、「スマートフォンや携帯電話をお持ちのお客様は・・・」と流していた。この順番で聞いたのは自分は初。今のスマホの普及率を考えると他所もこの順番に直したほうが時勢に合う。

2019年3月15日 (金)

小田尚稔の演劇「是でいいのだ」三鷹SCOOL

<2019年3月9日(土)夜>

東日本大震災が起きた日の新宿駅近く。就職活動をしていた女子学生は面接が中止になった挙句に電車が止まって家まで歩いてかえる羽目になる。喫茶店で離婚届の書類を書いていた女性は埼玉に帰れずに公園で休んでいたところを、寝過ごして地震に気がつかず中野からやってきた学生に声を掛けられてカラオケボックスで休む。スマートフォンの調子が悪い会社員は仕事で六本木に来ている最中に地震に遭う。新宿の本屋で働く女性は入社2年目にして仕事に疑問を抱く。その日の話と、だいぶ経ってからの日の話。

1年前に観た前回から、脚本はおそらく同じで、一部キャスティングが代わり、その分良くも悪くも違う雰囲気に仕上がっていた。役者のレベルは今回のほうが上で、笑える場面も増えていた。ただし声も態度も強い感じの役者が増えて、小さい人間の弱いところを絶妙のバランスで描く感じはなくなっていた。観る人によるだろうけど、個人的には前回のほうが好み。こういうことがあるから演劇は難しい。

青年団「思い出せない夢のいくつか」こまばアゴラ劇場(若干ネタばれあり)

<2019年3月6日(水)夜>

歌手とマネージャーと付人が、営業先に移動するために夜中の電車に乗っている。煙草を吸いに行った別の車両では、妙な乗客に話しかけられて辟易とする。車中のこととてたいしたことができるわけでもなく、取りとめもなく交わされる会話の数々。

あれと言えばこれと返せるくらい話が合う付合いの長い歌手とマネージャー。別の人間と結婚数ヶ月で破綻した歌手はマネージャーにひそかに好意を寄せているが、独身のマネージャーは歌手がいないときに「夫婦が似るって本当ですか」と聞く若い付人に懸想する。それを察していながら知らん振りして若い付人を遠くへやれないか考える歌手。三角関係の事情がわかるにつれて、何気ない会話が手に汗握る牽制に見えてくるのが見所。別の車両の乗客に銀河鉄道の夜の登場人物を引いて先行きの不安を醸しだしながら、見方のわからない星座盤でこれからの混乱を暗示する手際。

静かな演劇に見えて内面は全然穏やかではない脚本は、これが新作ならさすがベテランと書くところ、初演は1994年2月で25年前。その次が「東京ノート」という初期絶好調時代の1本。なおタイトルは俵万智の短歌から無意識に引用した(気がついて後日許可をもらった)と当日パンフの弁。

ポーカーフェイスのマネージャーを演じた大竹直、付人で歌もいい藤松祥子も好演だったけど、歌手を演じて久しぶりに出番の多かった兵藤久美がいわく言いがたいけど実に良い感じ。

今回の「平田オリザ展」は観たことのない芝居ばかり3本観たけど、どれも夫婦とは何ぞや、という芝居ばかりだったのは偶然か狙ったのか単に少人数芝居を選んだらそうなったのか。あとこの大量の芝居を交代で上演するために美術は共通化して簡単に入替えられるようにしているなと思っていたけど、今回の1本はいきなりごつい美術になっていて、壁や線路をどんなパーツで構成していたのかが気になる。あの狭い劇場でそんなに簡単に入替えられるのか。

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