2017年8月16日 (水)

日本総合悲劇協会「業音」シアターイースト

<2017年8月15日(火)夜>

母親の介護を理由に芸能界を引退していた歌手が、借金返済のため介護の美談を使って演歌歌手としての再デビューを目指す。が、自分が運転する車でマネージャーと移動の途中、歩道の女性をはねてしまう。その際に、実は亡くなった母親の死体を車に積んで再デビューまでは隠そうとしたことまでばれてしまう。マネージャーが身代わりで出頭するが、口止めと引換に歌手は女性の家庭に引き留められる。

荻野目慶子主演で2002年初演の芝居を大人計画メンバーで再演。松尾スズキが過激な時代の脚本で、新主演の平岩紙にいろいろ負担がかかるも物語の展開上は疑問が多く、初演時に荻野目慶子を追込みたかったという経緯を知らなければ強引に見える。いろいろ社会の暗いところを当時の基準で切取っていたけど、明るみに出たりそれ以上の問題が起きたりして時代遅れになった話題多く、「ふくすけ」同様脚本の古さは否めず。それよりこのサイズの劇場で役者の声にエネルギーを感じられなかったほうが問題。そもそも無茶な展開がある脚本なのだから丁寧に作る以前に熱量が必要。千秋楽までの改善を期待。観た回では皆川猿時が健闘、美術とプロジェクションマッピングよい。

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2017年8月13日 (日)

松竹製作「野田版 桜の森の満開の下」歌舞伎座

<2017年8月11日(金)夜>

古代ヒダの国の王が3人の彫刻職人を呼寄せる。昼しか起きない早寝姫と夜しか起きない夜長姫の2人の姫の成人に祝いに、3年の期限で仏像を彫ってほしいという。ところがそのうち一人は誤って師匠を手をかけた弟子が、もう一人は道中を襲った山賊の頭が成りすましている。互いに様子を見ながら過ごしていると、もう一人の職人は姫と近づきになり、ヒダの国の丑寅に封印されている鬼のことを調べている。

これまでは舞台を江戸に寄せて上演してきたのを、常連スタッフともども遊眠社通りの設定で歌舞伎座に。1等席で見物したところ周辺客席からは「シュール」「難しい」の声しきりで、他の劇場と歌舞伎座との客層の違いを思い知る。衣装は豪華になったものの、言葉遊びから想像を飛ばして客席を巻きこむ野田秀樹の脚本には必ずしもプラスにならず、むしろ鬼の面など具象的な要素が入りこむことで想像の邪魔に。それなりに台詞をこなす役者はさすがも歌舞伎のフォーマットで芝居のテンポが損なわれる点も散見。残念ながらこれなら2割安く東京芸術劇場で上演してもらったほうがよい。

勘九郎はさすがにノリを理解して馴染んでいたが、顔も声も父親そっくりで、これが歌舞伎を見ることかと得心。それ以上に七之助の夜長姫の狂いっぷりが見事。市川猿弥のマナコ思い切りよし。奴隷女の中村芝のぶは少ない出番だけど確実に目を引いて、これだけの役者にこれだけしか役を与えないのだから日本の伝統芸能は残酷。野田秀樹が現代演劇側に引張るべき才能。

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Bunkamura企画製作「プレイヤー」Bunkamuraシアターコクーン(若干ネタばれあり)

<2017年8月11日(金)昼>

某地方の公共ホール。町おこしの一環で地元の人間と東京から来た役者とで芝居の共同制作を行なうその稽古場。刑事の失踪した友人である女性が死体で発見されたため、女性が生前に力を入れていた瞑想セミナーに刑事が赴くという脚本。それを稽古している出演者たちの演技が、脚本の内容とがだんだん混ざっていく。

オカルト要素をふんだんにちりばめた前川友大のホラー脚本を、茶化す要素ほぼ皆無で長塚圭史が演出。前川友大が脚本演出を行なうと脚本のホラー要素は慎重に演出され、長塚圭史が脚本演出すると脚本が振り切れすぎているのでシリアスに演出してもフィクション感が残るところ、今回の組合せだとオカルトホラーとシリアスが必要以上の相乗効果。お盆の時期とはいえ、今時はとことんやらないと驚かれないとはいえ、劇場ライブとしては個人的には演出やり過ぎの判断。芝居はのめり込んで観たいといつも思っているのに、引きながら観ないといけないと思ったのは初。

峯村りえ演じる劇場制作者がこの脚本を選んだ理由からオチはある程度予想できたけど、劇場制作者と真飛聖演じる演出家との間に裏設定がありそうで、そこが観ていて嫌だった。刑事役を演じる有名俳優役の藤原竜也の熱演も裏目。演出助手の安井順平だけが最後まで稽古場の人間の立場で、客席ののめり込みを防ぐ役だったけど、これだけでは足りない。

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2017年8月 7日 (月)

シス・カンパニー企画製作「子供の事情」新国立劇場中劇場

<2017年8月5日(土)夜>

三谷幸喜の小学校4年生時代。クラス替えがなく3年生から同じメンバーだったクラスに、転校生がやってくる。放課後に残っていて遊んでいたメンバーに参加するが、悪知恵の働く転校生はみんなを次々に陥れていく。

シチュエーションを思いついた瞬間にガッツポーズが出たであろう企画。いろいろ強引で無理な展開を大人が小学生を演じるという無茶な設定で成立させ、その無茶な設定を無駄に贅沢なキャスティングで納得させ、その無駄なキャスティングは無理な展開をこなさせるために必要となる。今の舞台界のトップを占めている立場を存分に活用。「こんばんは、三谷幸喜です」でいきなり笑いを取ってくるオープニングから、たっぷり笑わせてきっちり郷愁をさそって、劇中歌が転じてカーテンコールの歌になるところまで見事の一言。

華も実もある主役級の役者陣に目移りするも、舞台中央で決めポーズを取っただけで拍手が起きる天海祐希、素直でない悪ガキを演じて魅力たっぷりの小池栄子、陥れていく様がときに爆笑になる転校生の大泉洋の3人が存分に活躍し喧嘩せずに成立するのはシチュエーションのよさ。広い舞台を見切れないように割切って狭く取ったのかと思いきや、奥行きを活用した中劇場ならではのラストは以前のシアターコクーン(「死の舞踏」「令嬢ジュリー」)にも増して美術の松井るみを絶賛したい。これより面白い芝居も質の高い芝居も観たことはあるけど、誰が観ても満足度高いだろうというくらいここまで満足度の高い芝居はなかなかお目にかかれない。

なお当日券は最初早い者勝ちだったのが徹夜組が出たため途中から抽選に変更。初期の早い者勝ちの段階で劇場に行ってみて2回断念、抽選でも2回目でようやく引き当てる。最初から抽選にしておけよの文句くらいは言わせてほしい。参加した抽選2回とも倍率10倍以上、15枚に160人とか21枚に250人とか並んで抽選を引くまでも一苦労。キャンセル待ちは加えて各回5人だけだが入れたかどうかは不明。一応記録。あれなら見切れ上等でサイド席も1-2列解放すればよかったのではないか。

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東京芸術劇場企画制作「気づかいルーシー」東京芸術劇場シアターイースト

<2017年7月28日(金)夜>

おじいさんと馬と暮らす少女ルーシー。ある日おじいさんは馬に乗って出かけたが、馬から落ちて気絶してしまう。それを死んだと勘違いした馬は、ルーシーが悲しまないように、おじいさんの皮を剥いでかぶり、おじいさんに成りすます。バレバレだが、馬の気遣いがわかるルーシーは、気付かないフリをして馬に気遣いながら暮らしを続ける。

松尾スズキらしい無茶な展開と思って観ているうちに何となくこれはとてもいいものじゃないかという気分にさせられる不思議な芝居。岸井ゆきののルーシーと栗原類の馬鹿王子があまりにはまっていて、帰りに物販で原作の絵本を買ったらそのまんまだったので二度びっくり。他の役者もそれぞれよかったけど、この芝居の成功の半分は岸井ルーシーにある。ジェンガを模したシンプルな舞台がいろいろ展開していくところや丸見えの生演奏が、生々しさを中和してちょうどよい。再演した理由がわかる芝居だし、メンバーが集まるうちに再々演もやっておくべき。

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Bunkamuraその他主催「ウェスト・サイド・ストーリー」東急シアターオーブ

<2017年7月28日(金)昼>

ニューヨークのダウンタウンで縄張争いの小競合いを繰返す、ポーランド系白人不良グループ「ジェッツ」とプエルトリコ系黒人不良グループ「シャークス」。ジェッツのリーダーは決着をつけるためにシャークスに決闘を申込み、グループを抜けたトニーに助太刀を頼む。決闘の方法を決める場に出かけたトニーは、シャークスのリーダーの妹であるマリアに出会い、互いに恋に落ちる。だが決闘の場所と日取りは決まり、両グループは準備を進めていく。

有名なミュージカルをようやく生で見物。あれだけ踊っても息を切らさないダンサーも凄いが、その中でもやはり主役級になるほど踊りが決まっている印象。刑事と酒場のマスターは踊らずに台詞のみだが、それでも思わず目を留めてしまうのは声の確かさのため。流れて散漫な印象の場面も何箇所かあり、値段に見合っているかと言われると正直疑問だが、観終わったあと歩きながら指を鳴らしたくなるのはさすがの名作。

<2017年8月8日(火)追記>

ちなみに製作カンパニー名がサイトに見つからず、主催はBunkamura/TBS/VIS A VISION/ローソンチケット/ぴあ/TBSサービスが正式。あまりにも長すぎたのでタイトルでは省いた。大掛かりなのはわかるのだけど、もう少し何とかならないか。

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ホリプロ企画制作「NINAGAWA・マクベス」さいたま芸術劇場大ホール

<2017年7月14日(金)昼>

戦功で地域の領主に取立てられたマクベス。だが魔女の予言に唆されて、労いに行幸した王を妻と共謀して殺害して王位をのっとってしまう。それに気がついた心ある臣下は去って捲土重来を期す。

有名な蜷川演出。衣装を日本の戦国時代にしたことで洋の東西を越え、仏壇のプロセニアムアーチの前に座る老婆が声を出さずに嘆きおののく姿で惨劇を歴史に乗せ、恒久的な悲劇であることを証明した演出はやっぱり凄いの一言。殺陣が若干もたつくものの、マクベスの悲劇を、日本人にも理解しやすい形で十分に味わえる。マクベスの友人でやがて敵となるバンクォーの辻萬長とくによし。

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2017年7月 3日 (月)

世田谷パブリックシアター企画制作「子午線の祀り」世田谷パブリックシアター

<2017年7月1日(土)昼>

源平合戦の末期、一の谷の合戦で義経に奇襲をかけられた平家軍が大敗し、阿波民部重能を頼って落延びるところから、源平双方が総力を挙げた舟戦である壇の浦の戦いで、平家が敗れて一族が入水または生捕りにされるまで。平家物語の巻の九後半から巻の十一の源平双方の努力と運命を描く。

初日プレビュー観劇。格好良いタイトルだけ知っていてどんな話かと思ったら、登場人物の心理描写を台詞に託して現代劇風(もう少し古くてシェイクスピアくらいか)にした直球の平家物語。壇の浦の戦いを分けた潮の満ち干きを月の運行から眺めて、併せて世の移り変わりの潮目を描いた大作。堪能した。

片や後手を踏んで講和の道を断たれて追いこまれるも阿波民部重能の助けで最後の一戦までこぎつける平知盛、片や戦上手だが政治に疎く梶原景時と衝突して軍をまとめられない源義経。まだどちらに転んでもおかしくないところを、敗北に転がる平家の下り坂を描いて無駄のない脚本。これを、伝統芸能からも現代劇からも大勢の芸達者を集めることが前提の、ぴたりと決まる構えや迫力ある台詞回し、平家物語の文体をそのまま生かして全員で読む郡読などで魅せつつ引張る。カーテンコールまで入れたら3時間50分の超大作で、キャスティングまで考えると公共劇場でないと演じられない規模。

いい役者ばかりだったけど、その中でも、何と言っても、義経の成河が出色の出来。身軽な身体能力で躍動感を見せてくれるだけでなく、才能が走りすぎて衝突してしまう良くも悪くも若いところを絶妙に演じてくれた。これが今井朋彦の梶原景時と火花を散らす場面とか、長らく小劇場を観てきたこちらの贅沢気分をくすぐることったらない。阿波民部重能の村田雄浩とか、二位の尼の観世葉子あたりも、このまま大河ドラマに投入して活を入れてほしいくらい。声も思慮も余裕大きく貫禄あるところを演じた弁慶の星智也とか、あと名前を確認し忘れたけど、揉める義経と景時を仲裁する三浦介義澄のすっとぼけた味とか、補佐したり諫めたりしながらも地位の上下を固く守って演じた船所五郎正利とか、いいです。とにかく全員声が出るので、群読の場面だけでなく、声を揃えて応じる場面だけでも劇場を声が揺らして気持ちがいい。

惜しかったのは、結構な場面数だけど、野村萬斎演じる平知盛が出る場面。前半は節回しが粘りすぎて重くなってテンポがそがれた。後半はなぜか一人だけものすごい声が小さくなって、他が大きいだけ聞き劣りがひどかった。あと語りの録音は野村萬斎と若村麻由美だけど、低くて篭りがちな言い回しで、二人とも聞取りづらい。子午線の説明が出るのは語りの部分なので、そこが聞取りづらいと芝居の魅力が減る。録りなおすのが理想だけど、それが無理なら音響でもう少し調整できないか。若村麻由美もそうだけど、野村萬斎が自分を演出する場面が全般に他に追いついていなかった。前から思っていたけど、野村萬斎は自分が出演するときは演出を兼ねないほうがいい。

ちなみに潮の流れについては大正時代の調査を元に説明している説がある。自分は海音寺潮五郎を読んで知っていたけど、木下順二も読んでいたかも。

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2017年7月 1日 (土)

文学座「中橋公館」紀伊國屋ホール

<2017年6月30日(金)夜>

早くに中国に移住して、子供はみな中国で生まれた中橋家。医者として中国全土を回っていた父は家庭を顧みず、長男が一家を支える。北京の自宅で終戦の報を聞いた中橋家に父が帰宅するが、敗戦よりも次の医療奉仕に気が向いて相談相手になれない。敗戦によってデマが飛びかい安全におびえる中、残るか、日本に行くかで揺れる中橋家一族の葛藤。

初日観劇。戦後間もない1947年初演の芝居。敗戦に臨んだ登場人物の良し悪しをこれでもかと描く3時間。「シニカルな喜劇」と宣伝されていて、初日でやや客席が固かったのもあるけど、自分の感想は純粋にシニカルな芝居だった。外れなしの役者を揃えて質は高いけど、こんなに感想に困る芝居は久しぶりだ。

敗戦に当たってじたばたしてもしょうがないと落着いた登場人物と、慌てふためく登場人物と、両方でてくる。でもよい面でも悪い面でもどちらも「日本人なんだから」というくくりに自分たちを当てはめて出処進退を決めようとする価値観は、初演の時代には自然に受止められたんだろうか。それとも自分がひねくれているだけで、むしろ今のほうが自然に受止められるんだろうか。かといって、敗戦なんて気にしないと行動しようとする父は家族の今後をまったく考えられておらず、個人主義が行き過ぎて自分勝手になる。内輪で交わされる会話の端々に、国と家族と個人との関係の「整理されていなさ」を、ものすごく正確に描いている。

それが外に向かうとき、中国人に家が襲われたのは横暴な態度を取っていた日本人の家だけだだとか、会社接収で鉢合わせた中国の軍隊を本社に行けと追いかえした中国人のボーイを日本人の社員が突然あがめだしたとか、いかにもあったようなみっともない日本人のエピソードを会話に織り交ぜる。特定個人の中国人への感謝をはっきり台詞にしている一方、大勢が引揚げた後の市場で見た日本の着物が乱暴に扱われる場面に表明する集団の中国人への嫌悪も描く。

大陸で生まれて育ったら日本は祖国ではないし行く当てもないのに引揚げるってどういうことかとさりげなく重要な台詞が出てくるけど、その台詞をいう姉妹たちは、以前日本に旅行して日本が嫌いになったと日本語で話合う。それを日本育ちの母親が、出征している孫の無事を願うというごく素朴な感情を吐露することで家族の方針が揃う当たり、父性よりも母性というか、日本的なまとまりかたというか。

めでたいエピソードや前向きな場面もたくさんあったのだけど、シニカルと呼ぶにはきつい面ばかり覚えている。それはラストで言った「島国根性」なるものを追い求めて描いた脚本だからに思える。脚本家がどのくらい意図的にエピソードを盛りこんだのか気になるけど、それぞれのエピソード自体は当時の同じ経験をした日本人の自然な行動や感情に思える。だから、何と言うか、別に興行を邪魔したいわけではないけど、この芝居に入り込んで自然に親和してしまうような人間では駄目というか、どんなに立派でも田舎者は田舎者というか、精神の安定を他に依存するようでは一人前ではないというか、異なる文化と付き合える人間と付き合えない人間とを分かつものは何かとか。なんかひどいことを書いている気がするけど、上手い言葉が見つからない。これを言葉で表現できないと感想として成立しないのに見つからない。

全然まとまっていないうえに、実は人生初の開演時間遅刻をやってしまい冒頭を見逃したせいで肝心のポイントを理解していない気がしている。御容赦。

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2017年6月29日 (木)

新国立劇場主催「君が人生の時」新国立劇場中劇場

<2017年6月24日(土)夜>

1939年のサンフランシスコの港近くにある安酒場。あまり客も来ないが、店には似合わない金離れのいい男が毎日たむろしている。男の使いっ走りは店にたむろする売春婦にほれている。ピンボールに入れこむ若者、金がなくて仕事のほしいミュージシャンやダンサー、ほら吹きの親父、教養あってあえて港で働く人足夫、仕事が嫌になった警官、恋人に求婚する若者、物珍しさで見物に来た金持の夫婦、売春婦の取締りに血眼な警察。いろいろな人間が出入りする酒場の1日。

実際の初演も同じ年で、名前だけ聞いたことがあっても観たことのないアメリカ芝居。ほとんど出ずっぱりな人物から一場面だけ出て終わりの人物まで総勢25人(子役がダブルキャストなのを数えると26人)の役者で構成される、それぞれの「君が人生の時」のひとこま。宮田慶子演出で期待したものの、残念ながら好みに合わず。

出番の長い役でも背景が完全に説明されることはほとんどなくて、出番の短い役ならなおのこと。出番の長短に関わらず、そのひとこまを見せてみろ、それを的確に表現した上にようやく成立させてやる、という意地悪な脚本なのかと思われる。ただしほとんどの役者がそこまでたどり着いていなかったので、観ていて入り込めず。ほら吹き親父の木場克己と悪徳警官の下総源太朗が素晴らしい仕上がりだったけど、これがぱっと観はよさそうな他の役者の仕上がり不足を浮きあがらせる副作用。人数が多い割に同じようなテンポで場面が進むので統一された雰囲気や一部登場人物の連帯感を感じることもなく、それがあのラスト、登場人物が喜ぶ場面なのに、観ていて雑な展開という印象につながった。美術衣装音楽などスタッフワークがかなり上出来だった分、惜しいを通り越してもったいない。

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