2025年3月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

2025年3月 1日 (土)

読んだだけで観に行った気になれるブロードウェイ観劇事情

“観劇特化”のNYブロードウェイ旅 習得ノウハウまとめ(2025年2月)」というブログのエントリーが公開されています。4万字は伊達ではありません。ブロードウェイで芝居を観るための情報があれこれ書かれています。読み終わったらお腹いっぱいでもう観てきた気分になれます。観に行きたいけどよくわからない人は必見です。

いくつかある中で、特に目を惹いたのがこちらです。

(1ドル159円換算)
チケット  157608  9本。個別内訳は別表参照。

円安時代だからというのはわかりますが、割引を駆使してあれこれやった上でこの値段です。さすがブロードウェイ、いいお値段しております。

主宰に愛想を尽かして演出家が逃げて公演が中止になるという珍しいケース

2024年の公演中止のいろいろ」などというエントリーを書いた者ですが、また新しい公演中止のケースが1つ増えました。演劇集団アトリエッジという団体の公演中止です。いしだ壱成が出演予定だったということもあったか、記事になっていました。

公式サイトには以下の通りの文章が掲載されています。

【お詫びとお知らせ】
三月に公演を予定しておりました
「PEACE in the Bottle」ですが、
この度、劇団代表である私の劇団員への不適切な指導により、演出の古新舜様が降板されると言う結論を招いてしまい、
関係者の皆様には多大なご迷惑をおかけしてしまいました。
劇団側で協議を重ねた結果、責任をとって、今作品の公演中止を決定いたしました。
諸々の事務処理は弁護士と相談の上、真摯に対応させて頂きます。
尚、既にチケット等、代金を入金されているお客様への返金は速やかに対応させていただきます。
大変申し訳ありませんでした。

演劇集団アトリエッジ主宰・奈美木映里
制作一同

劇団代表が自分が原因だと明言するのは何かかばうようなことがあったのか、それとも認めざるを得ないくらい明らかに原因だったのか、どちらかと考えていたら、当の演出家本人がXで長文説明していました。申し訳ありませんが全文引用します。

【ご報告:古新舜の舞台『PEACE in the Bottle』演出・監督降板と舞台中止のお知らせ】
こんにちは。古新です。
日頃より温かい応援を賜り、心より感謝いたします。
この度、私、古新舜は舞台『PEACE in the Bottle』の演出・監督を降板することを決断いたしました。
この舞台を愉しみにしてくださっていた皆様には、
このような形でのご報告となることを、心よりお詫び申し上げます。
公演に向けて連日、準備を進めてまいりましたが、
関係者のケアや事実確認、弁護士との協議を重ねた結果、
演出家としての責任を果たすことが難しいと判断しました。
その理由について、簡潔にお伝えいたします。
1. 劇団代表が、劇団員に手を上げる行為を容認できないため:
稽古の一環として、劇団代表が遅刻して来た劇団員に対しての指導行為として、
他の演者の前で手を上げる行為がありました。
たとえ厳しさの一環であったとしても、演劇において暴力が許容されるべきではないと私は考えています。
演劇とは「人と人とが表現を通じて心を伝え合うもの」であり、
その手段として身体的な力が用いられることに強い違和感を覚えました。
私は、すべての出演者が安心して創作に打ち込める環境でなければ、良い作品は生まれないと信じています。
そのため、この環境で演出を続けることはできないと判断しました。
2. 運営体制に問題を感じたため:
商業公演として皆様に作品をお届けする以上、運営の在り方には慎重であるべきと考えています。
しかし、準備や進行の面で改善の必要性を強く感じる点があり、演出に専念できる状況ではありませんでした。
公演を愉しみにしてくださっているお客様に誠実な作品を提供するためには、より良い体制が必要であると判断しました。
3. 主宰者の創作への接し方で疑問を感じたため:
作品を創り上げていく中で、舞台の主宰者との価値観の違いを感じる場面がありました。
舞台は多くの人が関わる共同作業です。信頼関係を築き、互いに尊重し合うことが作品の完成度を高めると考えています。
しかしながら、今回の制作過程において、そのような環境を作ることが難しいと感じました。
演出家として、共に作品を創る方々と良好な関係を築くことができなければ、作品をより良いものにすることはできません。
そのため、この舞台を離れることを決断しました。
このような結果となり、作品を愉しみにしてくださっていた出演者皆様には、
大変申し訳なく思っております。
私自身も、この公演に向けてこの数ヶ月、全身全霊で取り組んできただけに、残念な思いでいっぱいです。
この決断に至るまでのこの三日間、古新は大変苦しみました。
作家として、人間として、さまざまな想いが交錯しました。
ですが、私の次回作が困窮家庭の子どもたちを題材としている上で、
現状、このような状況下で、この舞台を手がけることはけっしてできないという判断に至りました。
最後に、日頃より温かい応援を寄せていただいている全国の皆様に、心より感謝申し上げます。
そして、この舞台にご尽力くださいました出演者、スタッフ、応援者皆様に厚く御礼申し上げます。
このようなことがありましたが、今回の経験を十全に活かして、
来月の「夢AWARD15」のファイナリスト登壇、そして
次回作「ギブ・ミー・マイライフ!」に
全身全霊で臨んでいきたいと考えております。
引き続き、研鑽を重ねてまいりますので、
これからも温かい応援のほど、よろしくお願い申し上げます。
古新 舜拝

午後8:09 ・ 2025年2月28日

公式サイトに載っていた「劇団員への不適切な指導」として、少なくとも「稽古の一環として、劇団代表が遅刻して来た劇団員に対しての指導行為として、他の演者の前で手を上げる行為」があったと断定しています。弁護士とも協議したと書いているくらいですし、演出家から辞退するからには相応の理由がないと演出家自身の将来の仕事に差障ります。だから事実でしょうし、劇団公式サイトも載せざるを得なかったのでしょう。

このツイートの前にもいくつかツイートがあります。「この決断に至るまでのこの三日間」のツイートです。

外の世界を知らないと、自分たちの慣習だけで事業を成り立たせている組織が多々あるが、風の時代は、組織の隠蔽や支配の構図は露呈されていると感じる。起業の前に、経営者免許のようなモラルや理念経営を学ぶことが必須ではないか。ホットハートだけではなくクールマインドが経営者には必要だ。 #コニーのまなざし
午前6:54 ・ 2025年2月26日

 

家庭でも芸能界でも、躾や愛情と称して子どもや俳優に手を出す親や経営者が多々いるが、看過できない。歪んだ支配は、風の時代にはそぐわない。古新も姫も、暴力なしで相手を成長させられると強く説いている。教育とは支配ではない。安心と信頼によって、人格を尊重する環境をしっかり広げたい。 #コニーのまなざし
午前6:38 ・ 2025年2月27日

 

半年間全身全霊をかけて向き合ってきたことが、とある一人の身勝手な営為で全てがパーになった。古新にとって不可抗力ではあるが、関係者が泣いていて心が痛い。日中報告します。物作りは得てして想いばかりが先行するが、運営体制、人間性、倫理観、社会性それらを学ばずして事業は行えない。 #コニーのまなざし
午前6:40 ・ 2025年2月28日

泣いている関係者が誰なのかはわかりませんが、「とある一人の身勝手な営為」と書いてあるので、他にもいろいろあったのを主宰が引っ被ったわけではなく、本当に主宰がひどかったのだと思われます。

となると、手を上げた話が一番目立つ話ですが、それだけにわからない。

まず、演出家が役者を殴るならたまに聞く事件なのですが、今回は演出をしない主宰が手を上げたというのが珍しいところです。

遅刻してきた劇団員を叱るだけでなく殴ったというなら、まだわかります。「時間厳守」「挨拶」「年齢よりも芸歴優先で相手を立てる」のが芸能界の掟で、何しろ色々な人がいる業界ですから、そんな中でも仕事を回していくために最低限かつ必ず守るべきとされたのがその3つの掟だと素人のこちらは理解しています。そこから先は売れている者が正義。

なのですが、稽古の一環として手を上げるというのがさっぱりわからない。殴るのが稽古になるわけがない。それなら虫の居所が悪かったから八つ当たりで殴ったというほうがまだ納得がいきます。検索して見つけましたが、今回の主宰は1957年生まれだそうなので、遅刻したら手を上げられても文句を言えない古き芸能界を生き延びてきた人なのでしょう。去年観た別の芝居のアフタートークで「非常に雰囲気のいい現場」という話が強調されていたので、その裏返しの極端な例が今回なのかなと考えます。

ちなみに有名な話では、芝居の本番に遅刻した阿部サダヲを松尾スズキが殴った話があります。だから稽古でよほど何度も遅刻している前科があるなら主宰に多少同情の余地があるかもしれませんが、それなら降板するのは演出家ではなく役者でしょうから、そういうわけでもないと考えられます。

他の2つの理由も併せて考えると、演出家が仕事を引受けてはみたものの、3番目の「主宰者の創作への接し方で疑問を感じ」ることが何度かあり、それもある程度は致し方なしと進めていた。その過程で演出以外にも公演を手伝わされるような状況になって2番目の「運営体制に問題」を感じることが多々あった。とは言え、逃げるに逃げられないところ、1番目の問題があって、さすがにこれはあかんとケツをまくった、といった経緯ではないかと推測します。

仮に、本当に仮にですが、病気でもないのに手を上げないとわからないような劇団員なら、昔はいざ知らず今なら手を上げるよりクビにするほうが当世流です。暴力は、暴力を受けた本人だけでなく、周りも嫌な雰囲気になって、全体のパフォーマンスが落ちると言われています。

それは反対に言えば、理不尽に一発二発殴る殴られるくらいは当たり前、それよりは一芸で何とか身を立てることを優先したいような人はお呼びではないということです。宮沢章夫が亡くなった2022年に私はこんなエントリーを書きました。

昨今はインターネットが発達したことと世間全般にハラスメントという概念が膾炙したことで、不行跡が伝えられると魅力にダメージが入って謹慎に追込まれるようになりました。が、能力はまた別の話です。場合によっては歪んだ人格が能力や魅力を生みだす面もあります。が、経緯はどうあれ獲得された能力というものはあります。

俗に「作者と作品は別人格」といいますが、これは作品は独立して評価されるべきという話だけではありません。客を呼べるだけの成果を出せる人の人格がまともなわけがないだろうという話も含んでいます。周りにかける迷惑の度合いに濃淡があるだけです。

繰返しますが私は暴力反対です。だからと言ってつまらないものに金を出すつもりもありません。私に限らずたいていの人が同じでしょう。だから昔から世間では、芸能界や出版界は堅気じゃない、まともな人間のつく職業ではないと区別していました。今でもそう考える人は多いでしょう。それは差別と呼ばれるレベルの区別ですが、人格よりも能力や魅力が必要な業界ではそうならざるを得ないからです。

それが最近、堅気と業界との境が曖昧になってきました。またハラスメントのない創作および創作環境の追求を試みる活動も出てきました。宮沢章夫の暴力沙汰からの隠遁は、その過渡期の出来事と言えます。

その活動がどこに落ちつくのか、金を払いたくなるコンテンツが引続き提供されるのかは、芝居なり本なりに金を払ってきた客の一人として興味を持っています。

世間の潮流は、芸能界の行き過ぎた面を正す方向に向かっています。それはそれで一理あって、うっすらと考えていることもあるのですが、本件とは話がずれますのでまずはここまで。

2024年12月29日 (日)

2024年の公演中止のいろいろ

KUNIOの公演中止はすでに書きましたが、今年は他にもいろいろ公演中止があったので、メモしておきます。

その1。これは一部中止のケースですが、2024年2月6日-28日に帝国劇場で上演予定だった「ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド」は初日から3日間4ステージを中止して、さらに予定休日明けの土日である2月10日と11日の2日間3ステージも中止しました。これは発表が初日2日前、さらに商業演劇ど真ん中だったため新聞記事にもなり、海外からも公演を観に来る観客の話を見かけて私も驚いた記憶があります。結局チケット代だけでなく交通費に宿泊費まで負担するという珍しい返金にまでなりました。公式サイトより、初めの公演中止の経緯説明と、公演中止期間延長の説明と、2本立てで。

帝国劇場2月公演
ミュージカル『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』
一部公演中止に関するお詫びとお知らせ

2024年2月6日
東宝株式会社 帝国劇場

 平素より東宝演劇に格別のご愛顧を賜りまして誠にありがとうございます。

 2月4日に、弊社ホームページ及びX(旧ツイッター)において急ぎお知らせ致しましたとおり、ミュージカル『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』につきましては、2月6日から8日までの合計4公演を中止させていただきました。この度の公演中止は私ども東宝株式会社の本公演製作における見通しの甘さ、製作体制の不行き届きが招いた結果でございます。ご観劇を楽しみにされていたお客様をはじめすべての関係者の皆様に心より深くお詫び申し上げます。
 また、公演中止のご案内が公演日の直前となった結果、お客様に多大なご迷惑をおかけ致しましたこと、公演中止に関する当初のご説明に至らない点があり、多くのお客様にご心配、ご迷惑をおかけ致しましたことにつきましても、重ねてお詫び申し上げます。

 改めまして、今回の中止に至った経緯と、中止になった公演のチケットをご購入いただいていたお客様への対応についてご説明申し上げます。
 本作品については、弊社製作体制のもと、その複雑な演出プランに対応するための確認作業が想定以上に必要となったことなどから、稽古の進行が予定より遅れておりました。帝国劇場における舞台上での稽古開始後も、ぎりぎりまで、予定通りの初日に向けて一同で力を尽くして参りましたが、さらなる修正・見直し等が発生するなどしたことから、進行の遅れを挽回することができず、協議を重ねた結果、スタッフ・キャストの安全確保の観点からも、初日を延期し、上記4公演を中止せざるを得ないという判断に至りました。

 かかる事態は、全くもってあってはならないことであり、弊社ではその責任を重く受け止めております。

 弊社といたしましては、中止となった上記4公演のチケットをご購入いただいていたお客様に対しましては、チケット代金の払戻しのほか、ご購入時のチケット販売手数料およびシステム利用料、公演中止発表以前にご手配済の交通費および宿泊費のキャンセル料、またはキャンセルが叶わなかったお客様は上記交通費および1公演日につき1泊分の宿泊費を、弊社で負担をさせていただきます。お支払いされた金額の領収書等および中止公演回のチケットをお手元に保管頂きたくお願い申し上げます。
(後略)

 

帝国劇場2月公演
ミュージカル『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』
公演中止期間延長【2月10日~11日】のお知らせ

2024年2月8日
東宝株式会社 帝国劇場

平素より東宝演劇に格別のご愛顧を賜りまして誠にありがとうございます。

ミュージカル『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』につきまして、既にお知らせの通り、2月6日(火)~8日(木)の公演を中止とさせていただきました。

その後、2月10日からの公演実施に向けて一同鋭意舞台稽古に取り組んで参りましたが、スタッフ・キャストの安全確保に努めながらの準備に更なる時間を要し、誠に苦渋の決断ではございますが、2月10日(土)、11日(日)の3公演も中止とさせていただき、2月12日(月・祝)の公演より上演させていただきます。

ご観劇を楽しみにお待ちいただいたお客様に対しては中止期間の延長を誠に申し訳なく存じますとともに、ご案内がご観劇日の直前となりましたことにも衷心よりお詫び申し上げます。

弊社といたしましては、弊社の本公演製作の見通しの甘さ、製作体制の不行き届きにより、お客様に多大なるご迷惑をお掛けしたこの度の事態を重く受け止め、再びこのようなことを引き起こさないようその対策を徹底して参る所存です。

<中止となる公演>

・2月6日(火) 18:00開演の部
・2月7日(水) 18:00開演の部
・2月8日(木) 13:00開演の部
・2月8日(木) 18:00開演の部
・2月10日(土) 13:00開演の部
・2月10日(土) 18:00開演の部【貸切公演】
・2月11日(日) 13:00開演の部

上記公演回の入場券をお持ちのお客様につきましては、チケット代金の他、ご購入時のチケット販売手数料およびシステム利用料、公演中止発表以前にご手配済の交通費および宿泊費のキャンセル料、またはキャンセルが叶わなかったお客様は上記交通費および1公演日につき1泊分の宿泊費を、弊社で負担をさせていただきます。
また、上記公演回の入場券をお持ちのお客様につきましては、本公演の配信を無料視聴いただけるよう検討しております。
実施が決まりましたらご案内させていただきます。
なお、振替公演につきましては、鋭意調整を試みましたが、この度は残念ながら実施することが難しいとの判断に至りました。
本公演を楽しみにお待ちいただいていたお客様にはこのようなご案内となり誠に申し訳ございません。
(後略)

時期としてはその2にKUNIOの件がありましたが、それはすでに書いたので飛ばします。

その3。トリコ・Aは2025年3月14日-16日に座・高円寺で、続いて2025年3月28日-30日までロームシアター京都で上演予定だった「穴」を中止しました(発表はたしか9月10日)。これは資金難と正直に話した珍しいケースです。さらにロームシアター京都の2024年度のラインナップにも並んでいた作品らしく、半年以上前とは言え、そんな理由での中止が珍しくて覚えていました。助成金を申請していたけど通らなかったとかそんな理由でしょうか。公式サイトより。

トリコ・A演劇公演2025『穴』公演中止のお知らせ

平素よりトリコ・Aを応援いただき、誠にありがとうございます。

この度、2025年3月に上演を予定しておりましたトリコ・A演劇公演2025『穴』につきまして、全公演を中止させていただくこととなりました。上演に向けて準備を進めてまいりましたが、資金面での採算の目途が立たないことが大きな理由で、今後もトリコ・Aの活動を継続していくための決断となります。

今後の公演の時期については、改めてお知らせいたします。

楽しみにしてくださっていた皆様には、大変ご迷惑をおかけいたしますこと、心よりお詫び申し上げます。

なお、東京公演につきましては、予定しておりました公演に代わりまして、市民の皆様も対象としたワークショップを開催する予定です。こちらの詳細については、後日改めて発表いたします。

何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。


その4。一般社団法人PALは2024年11月1日-3日にアトリエ春風舎で上演予定だった「他人」を中止しました(発表は10月10日付)。直前まで進めていた別の劇場オープンによって力尽きたという珍しいケースです。劇場ホームページに載ったカンパニーからの告知より。

アートボックス卸町オープン記念公演
『他人』公演中止のお知らせとお詫び

既に大勢の方からチケット予約をいただいているアートボックス卸町オープン記念公演『他人』の公演ですが、大変申し訳ありませんが中止とさせていただくこととなりました。
先月より稽古に入り、これまで公演準備を進めてきましたが、私のこの半年間のアートボックス開設に関する作業の疲労が心身共に極致に達し、今月に入ってからは夜間の稽古にまったく集中することが出来ず、実のある稽古になりませんでした。
このままでは出演している俳優たちはもちろん、観客の皆様にも御納得いただける作品を仕上げることは出来ないと判断し、本当に慚愧に堪えませんが公演の中止を決定したしだいです。
東京より秋田に招いた北川莉那さん、この公演に全力で取り組んでいた木村麻子さん、妻である主演の大崎由利子、そしてなによりこの公演に期待を寄せてくださっていた観客の皆様に心より深くお詫び申しあげます。
アートボックス卸町のオープン記念公演第1弾、麿赤兒ソロ舞踏『Alter Ego』は満席のお客様を迎え、感動と興奮の渦の中、無事に終了いたしました。
その直後にこのようなことをお知らせしなければならないのは、本当に心苦しい限りなのですが、何卒ご理解くださいますよう伏してお願い申し上げます。

一般社団法人PAL 芸術監督
『他人』公演演出担当
山川三太

その4。PARCO劇場が自分の劇場で上演した芝居を高解像度で撮影して舞台そのままの映像を同じ劇場で上映する「パルコステージ "8K" フェス」を2024年11月8日-14日で予定していましたが、一挙5作品上映の予定がうち2作品が予定が間にあわずその2本の回は上映中止になりました(11月に入るか入らないかのころに発表)。これは中止になった「海をゆく者」を観ようとしていたので覚えています。公式サイトにちらっと載っています。

『パルコステージ "8K" フェス』上映作品変更のお知らせ

パルコステージ "8K" フェスで上映を予定しておりました5作品のうち、
「海をゆく者」と「オーランド」につきましては、上映のための準備が整わず、やむを得ず今回の上映を見送ることといたしました。
楽しみにお待ちいただいていたお客様へは大変申し訳ございませんが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。

東宝の件は、長くやっているだけあってやらかしと思われる公演中止を過去にもやっているため、そちらと関係づけて避難する観客も多かったと記憶しています。ただ他は、1つ1つの理由を見れば、自分が同じ立場ならそう決断したいだろうなとわかる理由ばかりです。ですが、規模は小さいとは言うもののショーマストゴーオンの芸能界の端にいる小劇場ですらこのような理由の中止が目立ってきています。

公演中止自体は以前からあったでしょうが、それは主演の体調不良のような、中止になってもしょうがないと観客から見える理由が多かったです。台風による交通機関の影響が出た場合の公演中止はもう少し前から行なわれるようになりましたが、あれは観に行かないとチケット代が損になると考える客が交通機関の運休に巻き込まれて交通難民や宿泊難民になることを防ぐという面のほうが大きいと理解しています。裏方事情の中止を堂々と公にすることは少なかったです。

2024年は公演中止がいろいろあって、あれが舞台業界のターニングポイントだったと振返りそうな予感がありますから、備忘録として残しておきます。

2024年11月24日 (日)

新国立劇場演劇研修所の21期生募集とコクーンアクターズスタジオの2期生募集

新国立劇場の演劇研修所もそんなに長く続いているのかと驚きました。3年間の本格的な研修所で、入所費用は33000円、年額授業料は242000円と決して安くありませんが、奨学金が2年目から出ますからこの手の研修所では負担は少ない方です。応募締切は年内ですが、その前に「ロミオとジュリエット」の試演会がありますから、応募したい人は雰囲気を確かめてから応募できます。

そしてコクーンアクターズスタジオは1年だけの活動だと考えていましたが、2期生募集の案内を見かけました。1年間の研修で入学金160000円と授業料260000円です。1期生の公演が3月に行なわれますが、応募締切が年内なので、こちらは雰囲気を確かめることができません。が、講師陣の顔ぶれとコメントを読めば何となく伝わります。

研修所としては真逆にあるだろう2つで、3年かけて役者の地力を鍛えようとする新国立劇場は台詞に重きを置いています。コクーンアクターズスタジオは笑いを外せない要素の1つに据えています。新劇出身の芸術監督が多く、そこから所長にスライドする新国立劇場と、松尾スズキが芸術監督と主任を務めるコクーンとでは、それは性格も違うだろうというものです。

ただまあ、どちらの研修所がいいとか悪いとかではなく、1人の人間として物事の捉え方というものがありますよね。結局そこがしっかりしているかどうかが続く役者になれるかどうかの分かれ道ではないかと近頃は考えるようになりました。別の言い方をすると、演出家が務まるような能力も役者には必要ではないかということです。これには脚本の世界をどう捉えてどう立上げるかを考えられる能力という意味と、役者から制作まで集団を考えながら芝居に足並みを揃えられるかどうかという意味とがあります。ちなみに売れるかどうかは実力+色気+運です。

大変な時代ですが、その道を選んで入った人たちにはぜひとも活躍してほしいと願っております。

2024年10月27日 (日)

今時は駄目出しと言わずにノートというらしい

そういえばこの前観てきた芝居で2回(「ピローマン」「Silent Sky」)アフタートークに当たりました。狙っていたわけではないのですがそういうことはままありますが、それはいいとして。

その中で「ノート」という言葉を使っていたから一瞬何のことかわかりませんでした。話の流れで「ああ、駄目出しのことだ」と気が付きました。同じ何でそんな言葉を使っているのかと考えましたが、おおよそこんな理由ではないでしょうか。

(1)駄目出しという言葉を文字通り取れば、駄目なところを正しく直す意味しか含まれない。こんなことはどうだろうかという提案や、演出側も考えてみたいからそのときの解釈を教えてくれという相談といった意味が含まれない。役者を指示待ちする怠け者にさせてしまう。

(2)駄目出しというと、駄目を出す側と出される側との上下関係を無意識のうちに作ってしまう。芝居に対する発言が演出家から役者への一方通行のみ許可されていると役者側を委縮させるだけでなく、演出家から役者へのパワハラの土壌となりかねない。

(3)脚本や役の解釈を深掘りして演出家と役者との共同作業で芝居を作り上げていきたいと考えるような演出家や役者ほど(1)(2)のような状況が迷惑と考える。

検索したら英語でNoteだそうです。井上芳雄の記事が引っかかりました。ここに書かれた記事を読んだら、おおよそ私の考えたことと間違っていなさそうです。実に結構なことです。

ただ、それに当たるような日本語は発明できないのかという話があります。駄目出しという単語が(1)や(2)を引起こすのはわかりますが、それでも耳で聴いて一発でわかる言葉だという点は見逃せません。

明治時代は何でも無理やり翻訳して何なら造語もした結果難解になった面もありましたが、近頃は反対にカタカナで直接置換えすぎじゃないかと考えることもあります。ここまでだとパワハラなんて言葉もそうですね。これは広く実態があったためにあっという間に人口に膾炙して短縮呼びされて市民権を獲得するに至りました。

ならば何かいい置換えの言葉を考え付くかというとそれは難しい。井上芳雄の記事では「いい出し」という言葉が紹介されていますが、それでは(2)は回避できても(1)には繋がらない。だからそのまま「ノート」と使うことになったのでしょう。

関係ない観客が心配する話でもありませんし、だからどうしたという話ですが、暇ネタでした。

2024年7月 1日 (月)

観客の気持ちがわからないPARCO劇場

新しくなってから何度か観に出かけていますが、いまは入場前のフロアには大きい画面があって、宣伝映像を流しているんですよね。だからポスターはありません。

宣伝映像はいま上演中の芝居の宣伝だけでなく、これから上演する芝居や、前に上演した芝居の円盤発売の宣伝も流れます。それが繰返し流されます。

するとどうなるか。いま上演中の芝居の画面をスマホで写真に撮るために、宣伝画面が一周するまで画面を囲んでスマホを構えた客が待つことになります。いつも同じ光景を目にします。

ポスターでいえばロビーの中にあることが多くて、今回私が観た芝居では、チケットもぎった正面、机を挟んで回り込んだその向こう(日付入り)、手前の劇場内入口、奥の外階段側の入口脇と4か所も用意しています。日付入りのポスターを用意しているということは、ここで撮影してほしいと劇場は考えているわけです。

だけどよほどマイナーな会場でない限り他の劇場はどこでも劇場の外にポスターを飾ってあります。だからポスターの写真を撮る人は、劇場に着く、ポスターの写真を撮る、チケットを出して中に入る、という順番が習い性になっています。観客の身体に染みついた行動はなかなか変わりませんし、中に入ったらポスターがあるかどうかわかりませんから、そうなるわけです。

あれだけいつも同じことを目にしていたら、劇場に入る前のところにいるスタッフが、ポスターが中に入ったロビーにあるので撮影はそちらでどうぞ、と声掛けをしてもいいはずです。日付入りのポスターまで用意しているのに。でなければ素直に、ロビーのポスターをひとつ、画面と反対の壁(当日券で並ばされる側の壁)に置いておけば済みます。

私自身は写真を撮る習慣はありませんが、それだけに宣伝映像が一周するのを待っている人たちを見るたびに、どうしてこれを放っておくんだろうなと首をかしげています。

2024年6月 2日 (日)

国立劇場の再整備が難航中

朝日の「国立劇場、再整備見直しへ 資材高騰で事業者決まらず『国費増額を』」からですが、無料の部分だけしか読んでいません。

 老朽化が進んだため劇場を運営する独立行政法人・日本芸術文化振興会(芸文振)は2016年、全面改修する計画を作成。20年には「文化観光拠点としての機能強化」を掲げて建て替えの方針へと転換した。民間の資金や経営力を生かすPFI方式を導入することとし、ホテルなどの併設を目指した。民間事業者はホテルやカフェなどを整備・運営し、土地の賃料を芸文振に払う仕組みだ。

 関係者によると、入札にあたっては、国費をもとに800億円超の財源を用意。しかし全国的な建築資材の高騰や人材不足などが影響し、22、23年の入札では落札に至らなかった。再整備のめどが立たないなかで23年10月に国立劇場は閉場した。

国立劇場の建替え話が表に出てきたのは2021年の11月でした。似たような時期で2021年5月にBunkamuraも長期休館が決まりましたが、2021年に発表ならそれよりもう少し前から話を進めていたでしょうし、東急グループのBunkamuraは身内に施行を請負った東急建設がいるから、実際にはもっと早くから話を進めていたことでしょう。国立劇場とは前提が異なります。あるいはあの時期ですから、1年差でも資材高騰の影響差は大きかったでしょう。

で、記事のタイトルからすると有料で読めない部分に国費増額の話が書いてありそうなのですが、どうでしょう。そもそも立地の隼町のあたり、観光エリアからも商業エリアからも外れていますから、一等地とは言えホテルやカフェを出したい会社がどれだけあるのか怪しいです。

賃料が入らない前提だとどのくらい足りなくなるのでしょう。うっかりすると倍くらいになるかもしれません。いまそれだけ余裕があるのかという話です。いっそホテル抜きにして今のように低層の劇場だけにしたほうが安くなるんじゃないのか、高層ビルだとメンテナンスの費用も馬鹿にならないだろうし、と素人考えでは思いますが、どうなることやら、です。

KUNIOが演出家兼美術家の主宰ダウンで公演中止

あるようであまりないケースなのでは。本家サイトより。

平素よりKUNIOをご愛顧くださり、誠にありがとうございます。
この度、2024年6月22日(土)から6月30日(日)まで、KAAT神奈川芸術劇場にて上演予定のKUNIO16『ゴドーを待ちながら』について、本作品の演出を担う杉原邦生の体調不良のため公演を中止する運びとなりました。
ご来場を楽しみにお待ちいただいていたお客様には多大なご迷惑をおかけしますことを、深くお詫び申し上げます。

公演中止に伴う前売チケットの払戻し方法につきましては、後日、下記の公式サイト内にてご案内いたします。今しばらくお待ちくださいますようお願いいたします。払い戻しのご案内までチケットはお手元にお持ちくださいますようお願いいたします。

KUNIO16『ゴドーを待ちながら』公式サイト

誠に勝手ではございますが、何卒ご理解賜りますよう、お願い申し上げます。

2024年5月29日
主催:KUNIO/KUNIO,Inc.

公演まであと1か月を切ったところで随分と思い切りのいい判断です。何となく、代わりに演出家を立てて上演するところではないかと考えなくもないのですが、探す時間が足りなかったか、そこまで予算を捻り出せなかったか、美術の兼任が重かったか、KUNIOなんだからKUNIOが倒れたら中止すんのが当たり前なんだわと考えたか、どのあたりでしょう。

台風で計画中止にするのは支持しますし、みんながこの人を観に来るという役者が降板になって公演中止するのは考えられなくもないですけど、演出家が体調不良で公演まで中止にするのはちょっと意外な印象でした。純然たる商業演劇とは違うところです。

神奈川芸術劇場なら、いっそ芸術監督の長塚圭史に代打を頼めなかったものかとも思いますが、観たかった芝居なので惜しい中止です。

2024年5月14日 (火)

こまばアゴラ劇場閉館

後がどうなるのかわかりませんけど、無くなるものとして。

青年団の本拠地として長らくやってきましたし、そこから生みだされた現代口語演劇はいまはかなり当たり前になりました。その影響は大きいです。

一方で劇場だけ見ると、ここから羽ばたいて日本でメジャーになった劇団がほとんどいない劇場です。ここでいうメジャーとは、もっと大きな劇場に活躍の場を広げて動員数を増やすことを指します。

いやいや、青年団を初めとして海外で上演するようになった団体がいくつもあるから、世界で活躍するならそれは活躍の場を広げることを指しているでしょうと言えなくもありません。ただ、日本人として本拠地の国である日本での活躍度合いが気になります。個人でいえば、青年団在席からメジャーに出ていった人で思いつくのは岩井秀人ですが、がっつりメジャーかというとまだそこまででもなさそうです。あとは役者だと志賀廣太郎は映像の出番が増えていた印象がありました。

どうも私は頭が古いので、国内動員数の多い劇団こそメジャーな劇団という感覚が抜けません。そのためには会場の規模を広げるか上演回数を増やしてロングランを目指すか、二択になるだろうと考えます。小さい劇場でも日本風ロングランの目安としてステージ数がひと月三十公演を超えてくると、頑張っているメジャーな劇団なのだなと見たりもします。

もちろん助成金を駆使して数日間数ステージの公演を成立たせたっていいわけですが、それがメジャーかと言われるとそんなことはないわけです。

こういうことを書くと古臭い小劇場すごろくを信じていやがると噛みつく人がいるのですが、別にそうでない公演があるのは構いません。それだって演劇の多様性のひとつでしょう。ただそれなら、メジャーな公演だって多様性のひとつとして認められるべきです。売れない人が金に魂を売りやがったと難じるのは簡単で、本当は売れてなお魂を持ち続けるほうが困難です。

別の言い方をするなら、こまばアゴラ劇場は芸術に関心のある劇団向けの劇場であり、芸能に関心のある劇団向けの劇場ではありませんでした。そもそも青年団が(内面はともかく)外見は静かな演劇を志向して、大きすぎる劇場の公演を拒否していました。たしか600人くらいまでは成立すると平田オリザがどこかで話していて、その同じ話の中で、その人数目一杯での上演は目指さないとも話していたのを読んだことがあります。

平田オリザの父親が建てた自宅兼劇場なので平田オリザがオーナー一家の代表として運営してきたわけですが、その時点でもう劇場の方向性が決まっていたとも言えます。芸術監督という言葉が今よりも珍しかった時代でも、オーナーの運営方針はそのまま芸術監督のような仕事を含んでいたでしょう(途中から芸術監督と名乗っていた)。

実際に、貸館を止めて演目すべてを自分たちで選んだプロデュース公演にするとか、支援会員制度の導入とかをしてきたわけです。fringeの「こまばアゴラ劇場、2003年度から全公演を劇場プロデュースとして劇場費無料に!」にその時のことが載っています。

上演する側には破格の条件でしたが、助成金の制度変更と、会員数の伸び悩みが原因で終わりました。これはやはり注目すべきところで、海外の事情はいざ知らず、日本では芸術よりも芸能です。やりたいことよりも観たいもの、考えさせるものよりも楽しませるもの、無名な芸達者ばかりでなく一人くらいは名前を知っている人が出ていること、チラシを読んでも中身の想像がつかない芝居でなくどのような芝居かある程度推測できるもの。俗な言い方をすれば客受けする芝居が求められます。

いまそれに近いことをやっているのは、三谷幸喜と宮藤官九郎ですよね。脚本演出両方できる人たちですが、脚本は必ず練った構成と笑いを入れつつ、本人たちがエッセイなり役者なりなんなりで世間の認知を上げつつ、気になる役者も呼んでくる。自分で自分を観客に売込んでいる。思えば蜷川幸雄もそうでした。平田オリザもこまめに売込んでいましたが、どうしてもここ一番で悪目立ちしてしまいました。それは運不運以上に、根が芸能ではなく芸術の人だからでしょう。

そういう平田オリザに率いられた青年団と青年団リンクはこまばアゴラ劇場を拠点に現代口語演劇をアップデートして完成の域まで育てましたが、そういう芝居の集まる、あるいは集めた劇場だったからこそ、知る人ぞ知るマイナー劇場止まりだったのかなと考えます。同じ井の頭線沿いで、本多劇場グループのある下北沢から多くがメジャーに育ち、PARCO劇場やBunkamuraがあった渋谷で上演して、それでも定期的に本多劇場でも上演していたのとは対照的です。渋谷区と世田谷区に挟まれた目黒区とでもいいましょうか。

メジャーとマイナーと、どちらが偉い偉くないということではありません。他に似たカラーの劇場も少なくとも都内では思いつかない、まったくカラーの違った劇場でした。

2024年5月12日 (日)

唐十郎亡くなる

ステージナタリー「唐十郎が急性硬膜下血腫により84歳で死去、アングラ演劇で人気博す」より。

劇作家・演出家・俳優・小説家の唐十郎が、昨日5月4日21:01に急性硬膜下血腫により死去した。84歳だった。
(中略)
唐は1940年、東京都生まれ。1958年に明治大学文学部演劇科に入学し、学生劇団・実験劇場で俳優として活動する。1963年に劇団・シチュエーションの会を旗揚げ(翌1964年に状況劇場へ改名)。1967年に東京・新宿の花園神社境内にて初の紅テント公演を行う。アンダーグラウンドカルチャーの旗手として人気を博し、演劇論「特権的肉体論」は後続に大きな影響を与えた。1989年に劇団唐組を旗揚げし、横浜国立大学、近畿大学で教授・客員教授を務めた。1970年に「少女仮面」で岸田國士戯曲賞、1983年に「佐川君 からの手紙」で芥川賞に輝く。また2003年に「泥人魚」で紀伊国屋演劇賞、読売演劇大賞演出家優秀賞、鶴屋南北戯曲賞、読売文学賞を受賞した。

蜷川幸雄が亡くなったのが2016年ですから、長生きしたほうでしょう。唐組も、本人の役者も、本人の演出も観ていません。観た脚本で思いついた限りだと「ジャガーの眼2008」「秘密の花園」「少女仮面」「泥人魚」を観ました。出来についてはその時々です。

ただ、それよりはやはり、この世代の芝居を観て影響を受けて育った人たちの芝居、切り拓いた道で違う花を咲かせた人たちですね。野田秀樹を初めとして、自分が観てよかったと思えた芝居なり役者なりを辿ったときに、影響を与えていただろうなと思うことはあります。

猥雑さがあって物語が飛ぶ脚本なので、まともなだけの役者には向きません。ただし詩的な台詞に溢れているので、やりたがる人はこれからも細々と出てくるでしょう。

合掌。

より以前の記事一覧