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2022年9月23日 (金)

人格より前に能力と魅力が求められる業界の話

宮沢章夫が亡くなりました。ステージナタリーより。

宮沢章夫が、うっ血性心不全のため9月12日に東京都内の病院で死去した。65歳だった。
(中略)
宮沢は1956年生まれの劇作家・演出家・小説家。1980年代半ばに竹中直人、いとうせいこうらと共にラジカル・ガジベリビンバ・システムを立ち上げた。また、シティボーイズの作品を手がけたことでも知られている。1990年に遊園地再生事業団の活動をスタートさせ、1993年に「ヒネミ」で第37回岸田國士戯曲賞を受賞。主な著作に「東京大学『80年代地下文化論』講義 決定版」「時間のかかる読書」「ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット 第3集」「長くなるのでまたにする。」「NHK ニッポン戦後サブカルチャー史 深掘り進化論」などがある。

私が芝居を観始めた時期がその劇場活躍時期より遅かったので、脚本演出両方手がけたもので観たのは2018年の「14歳の国」1本だけです。遊園地再生事業団名義でおそらく最後の公演です。あとは覚えている範囲で「ひょっこりひょうたん島」が共同脚本でした。なのでほとんど接点はありません。

2018年はすでに早稲田大学の教授で、公演のあった早稲田どらま館の芸術監督の肩書もありましたが、翌年に稽古場で役者を殴って事実上のクビになりました。そのころのTwitterのいろいろはこちらでまとまっています。昔から暴れがちな人だったようです。岸田國士戯曲賞の選考委員も辞退して、あとはあまり表だった仕事はしていなかったはずです。

前提として、私は暴力沙汰は苦手です。仕事で殴られたら何はさておき辞めて逃げます。そのうえで。

「14歳の国」はよくできた芝居でした。1998年の初演から20年経っても成立する脚本だったし、あの公演自体もよくできたものでした。前述の引用に載っている通り、脚本に限らず本の執筆もたくさん手がけています。過去の演出でどの程度暴力沙汰を起こしていたのかはわかりませんが、芸能界や出版界で活躍できるだけの能力を持っていたといえるでしょう。

世の中にはいろいろな仕事がありまた業界がありますが、雑に分類すると「赤点を超えれば問題ない仕事や業界」と「満点を超えない成果には意味がない仕事や業界」の2種類に分かれます。芸能界全体でとらえれば後者です。格好いい演技でも上手い歌手でも面白いトークでも、なんなら有名という知名度でも、琴線に触れるだけのピークを出せているから客は金を払います。赤点をはるかに超えていたとしても満点に届かないものに客は金は払いません。少なくともそれが単体で成立するだけの金を引張れません。

また別の雑な分類では「継続的な安定供給が求められる仕事や業界」と「成果が繰返し提供できるので1回の大成功が求められる仕事や業界」があります。芸能界の中には両方あると思いますが、映像や本などコンテンツと呼ばれるようなもの、客が金を払うものはたいてい後者に当たります。客は面白そうと思えばこそ金を払います。

芸能ごと全般が、そういうものです。そして困ったことに、能力だけでは足りません。そこに一定以上の魅力がないと一銭にもなりません。魅力とは琴線に触れるだけのピークを出せる人や持っている人で、いわゆる「客が呼べる」というものです。そして客を呼べる人はつねに不足しています。

そういう業界だからこそ、客が呼べる立場の人が威張る余地があります。威張りすぎて嫌われて干す人もいれば、それが金になるならかばって働かせる人もいます。客を呼べるだけの魅力があればある程度のアウトローには目をつぶってもらえるという点で、そういう人達がより多く流れ込むサイクルになっているとも言えます。

昨今はインターネットが発達したことと世間全般にハラスメントという概念が膾炙したことで、不行跡が伝えられると魅力にダメージが入って謹慎に追込まれるようになりました。が、能力はまた別の話です。場合によっては歪んだ人格が能力や魅力を生みだす面もあります。が、経緯はどうあれ獲得された能力というものはあります。

俗に「作者と作品は別人格」といいますが、これは作品は独立して評価されるべきという話だけではありません。客を呼べるだけの成果を出せる人の人格がまともなわけがないだろうという話も含んでいます。周りにかける迷惑の度合いに濃淡があるだけです。

繰返しますが私は暴力反対です。だからと言ってつまらないものに金を出すつもりもありません。私に限らずたいていの人が同じでしょう。だから昔から世間では、芸能界や出版界は堅気じゃない、まともな人間のつく職業ではないと区別していました。今でもそう考える人は多いでしょう。それは差別と呼ばれるレベルの区別ですが、人格よりも能力や魅力が必要な業界ではそうならざるを得ないからです。

それが最近、堅気と業界との境が曖昧になってきました。またハラスメントのない創作および創作環境の追求を試みる活動も出てきました。宮沢章夫の暴力沙汰からの隠遁は、その過渡期の出来事と言えます。

その活動がどこに落ちつくのか、金を払いたくなるコンテンツが引続き提供されるのかは、芝居なり本なりに金を払ってきた客の一人として興味を持っています。

2022年8月20日 (土)

ラノベは現代の時代小説

このエントリーは全部思い込みで書いていますから、証拠をよこせと言われてもそんなものはありませんし、こんな反例があると言われたら知りませんでしたごめんなさい、と最初に言い訳をしておきます。

20年くらい前までは本屋にたくさん新刊の娯楽時代小説がありました。今にして思えばあれは昭和から書いて名を知られた作家の晩年の仕事でした。池波正太郎とか藤沢周平とか、井上ひさしも一部そういう小説を書いています。だいたい戦国時代から明治初期くらいを舞台にした小説です。

その人たちが亡くなって、今でも時代小説の新刊は細々と出版されていますが、明らかに種類が違います。たぶん資料収集の多寡によります。実際にあった町や家や藩を調べたうえで、それをディテールに生かした話をつくるのと、設定だけその当時にしているけど現代小説でも違和感のない話をつくるのとの差です。あとは作家本人が幼少のころに街並みや着物など江戸時代の延長の文化に接していたかにもよるでしょう。作家の祖父母世代なら江戸時代の人ですし。

ただ、どれだけディテールを書きこんでも、世話物だったり、職人や武士の修行だったり、捕物帖だったり、武家のお家騒動だったりで、話自体にそこまでパターンはありません。娯楽フィクションに徹しても忍者かチャンバラか魔物退治です。山田風太郎みたいな。社会の仕組みを問うような話よりは、パターンの中で登場人物の機微をいかに描くかが主流だった気がします。

これをひねくれた眼で見ると、娯楽小説が多かったとも言えます。趣味で読書したい人が大半ですし、それなら肩ひじ張った物語より娯楽を読みたい人のほうが多いでしょう。でも、一定数いたんですよね。娯楽小説として時代小説を読む人たちが。

その人たちは年を取って亡くなったのでしょうが、同じ国の人間の、全体的な性格が10年や20年で変わることはないです。娯楽小説を読む人たちは今も一定数いるはずで、その需要はどこで満たされているか。

新型コロナウィルスが流行って、固い物語以外にライトノベル略してラノベを紙の本でもWebでもある程度読んで、ようやく気がつきました。娯楽小説を読みたい人たちの需要のかなりの部分はラノベが満たしていました。ここに現代の作家が集まっている。集まった人数が一定の閾値を超えて、量が質を産んでいます。裾野が広いほど山は高いというやつですね。

ラノベは経済圏が出来ていて、Webで公開、人気が出たら小説出版、向いていたら漫画化またはアニメ化です。漫画やアニメは一発当たると大きいこと、脚本ひいては原作の需要が高いのと、またWebで実物が公開されて反応も読めれば人気も予測しやすいこととがあいまって、活況を呈しているのが勝手な推測です。Webで人気を博した人がプロになって最初から小説出版になることもあります。

小説が一番当たりにくいように見えますが、底堅い需要があります。そもそも新刊を出さないと出版社が困るのが一番の理由でしょうが、それでも本屋で「何万部突破」の帯を眺めた感触では、まともな質のラノベだと1巻5万冊くらい売れています。出版されるに当たってWebで公開していた小説を削除するケースもありますが、宣伝を兼ねているのかたいていはそのまま公開されています。それを見比べると、ほぼそのまま本になるケースと、本になる過程で編集して洗練されるケースと両方ありますが、Webで無料で読めるものが多いです。なのに本の小説に金を払う熱心な読者層が、全国に5万人います。

たぶんここが重要で、目利きの役割を果たすとともに、実際の金の動きを読む指標にもなっています。小説ならアマチュアからプロまで裾野の広い作家と、この5万人の熱心な読者層とがあいまって、ラノベ界が形成されています。漫画化アニメ化で原作に興味を持った層が流れ込むと、この5万が上振れします。

ついでに書くと漫画やアニメまで含めて、大げさに言うと今の娯楽フィクションの業界はルネッサンスと呼べるくらいの花盛りです。日本の人口と過去のコンテンツの集積に支えられた今がおそらくピークで、この後は人口減とともに勢いが落ちます。芝居と違って文字のコンテンツは後に残りますが、時代の雰囲気も含めて今のうちに親しんでおくのがよいです。

話はラノベに戻ります。ラノベもテンプレートと言われるような展開はいろいろありますが、舞台設定として時代小説の扱う時代は抜けています。あるのかもしれませんが、読み始めた程度では見つけられません。

「なーろっぱ」と呼ばれるドラクエ風西洋中世で剣と魔法の世界で活躍、または王族との恋愛もの。中華皇帝またはその後宮で人助けと謎解き、または皇族との恋愛もの。日本だと平安時代までさかのぼって(あやかしが出たり出なかったりして)人助けと謎解き、または有能な貴族との恋愛もの。近代日本なら大正、現代日本だと必ずあやかしが出て人助けと謎解きに加えて有能な手助けとの恋愛もの。だいたいこんな舞台設定です。日本の戦国時代から明治初期くらいまでがありません。

あれだけたくさん出ていた時代小説がなんでないのか。身近すぎて吹っ飛んだ展開が書きづらいのか、すでに散々書かれて今さら書くネタが見つからないのか、生活習慣が近代化しすぎてなーろっぱのほうがむしろ書きやすいのか。

いろいろ理由は考えられますが、おそらく一番の理由は、女性主人公またはそれに準ずる女性キャラクターを出しづらいからです。活躍させるにしても恋愛させるにしても、戦国時代や江戸時代では動かしづらい。武家だと守られる姫みたいになる。チャンバラだとくの一になる。池波正太郎の「剣客商売」には田沼意次の隠し子で剣の腕前が一流の三冬というキャラクターが出てきますが、作中(後半)では主人公の息子の嫁です。活躍する回ももちろんありますが、読者がスカッとするにはちょっと遠いポジションです。

昭和の時代小説の中にはサラリーマンの悲哀に見立てた主人公が云々、なんて書かれたものもありますが、それは昔の話。いろいろ苦労はするにしても、やっぱりラノベは主人公が活躍してナンボです。あと恋愛要素があったほうが収まりがいいし、読者もそれを期待している気配があります。だから日本が舞台の場合、平安貴族の次が大正まで飛ぶ。どれだけ荒唐無稽でも、貴族という設定で女性の活躍の舞台を担保する。現代日本であやかしが出てきたら、それはあやかしと付き合えたり退治できたりする能力で女性の活躍の舞台を担保する。その場合、資料を調べてディテールを知るよりは、フィクションを成立たせる舞台設定のほうが必要度が高いです。ディテールは質の底上げに必要不可欠ではありますが、面白さの上限を引上げるのは舞台設定やプロットやキャラクター造形など別の要素です。

脱線すると、昔の時代小説は主人公の立場に違いはあれど、主人公が自分の人生に責任を負う視点がほとんどでした。ラノベだとこれが、能力のある主人公を、別の能力と権力のある周囲が助けたりかばったりする視点になります。「同じ国の人間の、全体的な性格が10年や20年で変わることはない」と書きましたけど、性格でなく世相で言えば、ここは大幅に変わったところです。

ところで、何でも芝居に関連付けて考えるこのブログでは、ラノベが広がることで舞台の原作としての位置づけがどうなるかを考えました。

漫画アニメが原作の芝居はいろいろ上演されています。元祖はたぶん「ベルサイユのばら」ですが、最近では漫画だと「SPY×FAMILY」とかアニメで宮崎駿だと「千と千尋の神隠し」とか。ここまで大掛かりでなくとも、コアな人気の役者をキャスティングした2.5次元はいろいろ上演されています。

何本かラノベを読んで舞台化できないか考えた感想は、結構面倒です。面白いかどうか以前に、上演しやすいかどうかの壁があるからです。

・空を飛ぶ:魔法はおそらくスタッフワークでなんとかなります。空を飛ぶのも単発ならがんばれます。当たり前のように空を飛ばれると、おそらく観ていてつらい演出になります。
・食事が売り:動きが出せないし、そもそも他人の食事を眺めて面白いことはありません。「孤独のグルメ」が成功したのは無料で観られるテレビだからで、最初から映画や芝居で金を払うメディアだったらあんなに流行りませんでした。
・ものづくりがメイン:これも動きが出せません。
・人間以外の動物や魔物が出てくる:背景的な位置づけならいいですし、台詞なしで戦うなら何とかなりそうですが、大きさの違う生き物と交流があると難しいです。あと盲点なのが馬です。もとがフィクションで成立させようと頑張っている世界に、二人一組で人間が中に入った馬が出てくるとぶち壊しの恐れがあります。馬車なら馬を登場させないで済みますが、乗馬や騎馬が当たり前のように出てくると厳しいです。
・子供から大人に成長する:ずっと子供ならそういう設定だと舞台のお約束である「不振の一時的停止」で通せますが、成長して背丈が大幅に変わる場合は扱いに頭を悩ませることになります。異世界転生もので子供時代が長いとこの条件が悪いほうに効きます。
・東洋貴族設定:これは衣装や美術に金がかかるのが難点です。西洋ドレスと館のほうがまだ手慣れてやりやすいでしょう。

ほしいのは「リアリティーより説得力」なので、なーろっぱでも何でも、原作で舞台設定詰め切れていないのは構いません。が、それを芝居にしたときに最低限のリアリティーを担保するための準備は必要です。上演しやすそうなラノベもたまにありますけど、少数派です。

だから本当は最初から脚本家としても活躍する人が出てくれるのが望ましいです。池波正太郎は芝居脚本が先で小説が後、井上ひさしもストリップ劇場のコントから始まって放送作家になってから芝居脚本を書いて小説が最後です。最近だとイキウメの前川友大が漫画原作をやっていました。三谷幸喜や宮藤官九郎も芝居をやりながら放送作家を経て映像脚本家です。芝居から始めて他に広がる人はいても、他から芝居へは流入が少ないのですよね。ぱっと思いつくのはCM業界から芝居にも手を広げた山内ケンジくらいです。

パソコンとインターネット環境があれば世界のどこでも書いて発表できる小説と、人が集まって上演しないと完結しない芝居との差はあります。でも原作上演ではなくオリジナルを依頼する団体が出てきてもよいはずです。やっぱり脚本形式で上演可能であることを意識しながら2時間なり3時間なりに収めるところにハードルがあるのでしょうか。

あと、時代小説が減ったと書いてきましたが、テレビで時代劇が減ったのは何年も前から言われてきたことです。いま新作で作られている時代劇はスタッフの技を維持する目的も大きいとどこかで読みました。だから歌舞伎と大河ドラマくらいしか時代劇が作れなくなる云々。

これはまったく根拠のない推測ですが、どこかで反動が来ると予想します。あと10年か20年くらいしたら、時代小説の名手と呼ばれる書き手が彗星のように突然現れて、そこから時代劇が作られて、息を吹き返すのではないかと期待しています。本当にただの勘ですが、そんな勘を言葉にするなら、やっぱり日本人の血が根強く時代劇を求める予感があるからです。それをもっと詳しい言葉にするなら、外国でも見かけるような多様化が進むほどに反動としてルーツを求める揺り戻しであったり、科学技術が発展しすぎて理解困難なことから人力と人間関係で理解できる世界が求められたり、です。

時代小説と入替りにラノベ経済圏が花盛りですが、これが芝居にどのくらい影響を与えるのかに注目です。

2022年6月30日 (木)

芸術監督蜷川幸雄の発掘仕事と胆力の話

ドライブイン カリフォルニア」で書き忘れたことがあったので追記です。公式サイトで松尾スズキがこんなことを書いています。

「ドライブイン カリフォルニア」三度目の公演である。
今まで再演されたわたしの作品は、
これをふくめて「愛の罰」「ゲームの達人」「ふくすけ」「マシーン日記」「悪霊」
「母を逃がす」「キレイ」「業音」「ニンゲン御破算」今年再演される「命、ギガ長ス」
と・・・・三〇年以上演劇を続けていると、
まあまあやっているなという感じになるわけであるが、
三度以上のものとなると、
「ふくすけ」「マシーン日記」「悪霊」「キレイ」と、四つほど。
ぐっと絞られたラインナップに「ドライブイン」は参入する、
ということは、自分の中でも「好き」
そして、それが許されるということは
「世間的評価がよろしい」ということになるのだろう。
現に、初演を見に来た蜷川幸雄さんのゴーサインをもって、
わたしはシアターコクーンという商業劇場に進出することになった。
いわば、わたしにとって初めての「外の世界に向かって開かれた」作品だといえる。
それに、わたしにしては「悪霊」とともに、
とても珍しい一幕もの(一部幻想的シーンははさまれるが)で、
良くも悪くも、めまぐるしい場面転換で知られる松尾作品の中では異彩を放つ、
わりと落ち着いた「芝居らしい芝居」であって、
松尾初心者の方にも、「あ、今、自分は何を見せられているのだろうか」という
時間のない入門編として、
いかがでしょうかとおすすめせずにはいられない一品となっております。
初演はみな、背伸びをして大人を演じておりましたが、
再再演ではむしろ大人になりすぎてはいまいかと
不安げな大人計画の面々を生暖かい目で見守ってください。
ゲストの皆さんとの邂逅も、松尾は楽しみでなりません。
では、その日まで、みなさん、お達者で。

松尾スズキ

この中の「初演を見に来た蜷川幸雄さんのゴーサインをもって、わたしはシアターコクーンという商業劇場に進出することになった」のくだりに注目です。

蜷川幸雄がシアターコクーンの芸術監督を務めた時期は1999年からです。シアターコクーンのサイトによると以下の通りです。

シアターコクーンでは、開館時から芸術監督を務めた串田和美氏の任期が96年で満了した後、99年より演出家の蜷川幸雄氏(~16年)が就任。2020年からは、作家・演出家・俳優の松尾スズキ氏が芸術監督に就任しました。

ちなみに1998年にはさいたま芸術劇場の芸術監督にも就任しています。この辺の経緯わからないのですが、串田和美が辞めて次の芸術監督を蜷川幸雄が打診された。さいたま芸術劇場の芸術監督もあるから時期はずらしてもらうとして、ラインナップが重ならないようにする必要がある。さいたま芸術劇場はシェイクスピアで話題を呼んで、シアターコクーンはそれ以外で話題を呼ぼうと、新鮮味を出せる若手を探したのでしょう。

もちろん蜷川幸雄がひとりで検討したわけはないでしょうが、面白いという話が挙がって自分で足を運んで観に行った。「ドライブイン カリフォルニア」初演は1996年12月、目いっぱい入れて定員294人のシアターサンモールです。同じ年の7月に岸田國士賞受賞の「ファンキー!」が本多劇場で上演されていますが、岸田國士賞の発表は年明けなのでまだ受賞は決まっていません。本多劇場はおそらく1994年の「愛の罰」とまだ2回だけです。大人計画の公式記録によればこのころは上演ペースが年に5-8本と狂っていますが1回あたりの公演日数は長くて2週間です。冒頭の通り松尾スズキにまだ商業劇場の経験はありません。

それでも自分の目で確かめて、3年半後の上演にゴーサインを出した。1996年当時だと61歳くらいでしょうか、並々ならぬ行動力と決断力です。ラインナップを決めるにあたって、そういう発掘作業を行なっていた。これぞ芸術監督という仕事です。その成果が2000年6月の「キレイ」です。私の松尾スズキ初見作でもあります。

芸術監督の似た仕事だと、新国立劇場は国内国外の既存脚本を使って、演出家を呼ぶ企画が多いです。演出家探しには熱心ですが、演劇研修所を持っているせいか役者を発掘している印象はありません。東京芸術劇場は、小劇場の劇団を探す芸劇eyesはよい企画だと思いますが、発掘しているというより機会を設けるという形のようです。昔より今のほうが東京芸術劇場は活発化していますが、発掘して推す印象はありません。三鷹市芸術文化センターはMITAKA "Next" Selectionがありますが、あれは発掘よりもSelection、今面白いものを選ぶという印象が強いですが、東京芸術劇場よりは推しています。ただしオファーから上演まで1年後とかそのくらいのスパンです。

そう考えていくと、その人の商業演劇の初の1本を任せるという決断、なかなかできるものではありません。

芸術監督の仕事の一端をのぞき見ることができた、という話でした。

<2022年7月2日(土)追記>

タイトルを更新し忘れていたので更新。

2022年6月29日 (水)

劇場によって全然違う芝居宣伝文

隔月で芝居情報を調べるのにチラシと劇場サイトを見るという古臭い手法を取っています。そのうちの劇場サイトの話です。

劇場がどこまで芝居の宣伝をするかはいろいろな条件に左右されます。貸公演だと書かないことのほうが多いですね。主催公演は真面目に宣伝文を書くことが多いようです。で、書くときの文章が劇場によって全然違います。実例を見てもらったほうが早いので4本集めてみました。見出しが太字なのはだいたい共通なので再現しましたが、フォントの色やサイズなどは無視しました。そのほうが文章の違いがわかります。

最初は世田谷パブリックシアターの「毛皮のヴィーナス」です。

新鋭の演出家・五戸真理枝がシアタートラムで初演出
人間が持つ根源的な欲望を描いたスリリングな二人芝居に、高岡早紀と溝端淳平が挑む

世田谷パブリックシアターでは8月~9月、シアタートラムにて二人芝居『毛皮のヴィーナス』を上演いたします。本作は、「トラム、二人芝居」と称し、新進の演出家を起用し、実力派キャストによる二人芝居を上演する企画のうちの一作です。

『毛皮のヴィーナス』は、“マゾヒズム” の語源にもなったオーストリアの小説家L・ザッヘル=マゾッホの小説から想を得て、米劇作家デヴィッド・アイヴズが舞台用に戯曲を執筆し、2010 年にオフ・ブロードウェイにて初演された作品です。その後ブロードウェイでも上演、さらに2013年にはロマン・ポランスキー監督により映画化もされました。オーディションを受けに来た女優と演出家、さらに戯曲の登場人物も交錯するという二重構造を駆使しつつ、人間が持つ根源的な性的欲望をスリリングに描き出していく、ライブ感あふれる舞台です。

本作『毛皮のヴィーナス』の演出を手掛けるのは文学座所属の五戸真理枝。上村聡史らのもとで演出助手として研鑽を積んだ後、2016年に文学座アトリエの会『かどで/舵』の『舵』で、初演出を果たしました。また、新国立劇場等の外部公演でもゴーリキーやチェーホフといった古典の名作を瑞々しい感性で演出し、脚光を浴びています。さらに、元々は劇作家志望だったということもあり、戯曲や小説からの脚色、童話の執筆にも積極的に取り組むなど、多彩な才能の持ち主です。そしていよいよ本作で世田谷パブリックシアター主催公演の演出デビューを飾ることになりました。

女優ヴァンダ役を演じるのは高岡早紀です。世田谷パブリックシアター主催公演へは3年連続の出演となります。三部構成の『愛するとき 死するとき』(21年、演出:小山ゆうな)では複数女性像を巧みに演じ分け、世田谷パブリックシアター×東京グローブ座『エレファント・マン』(20年、演出:森新太郎)ケンダル夫人役では知的な演技と優美な姿で観客を魅了しました。その確かな演技力と美貌で、謎多き女優・ヴァンダをいかに演じるか大きな期待がかかります。

ヴァンダに翻弄されながらも惹かれていく演出家・トーマス役は溝端淳平が演じます。シアタートラムへは、繊細な演技が好評を博した『管理人』(17年、森新太郎演出)以来の登場です。相手役の高岡とは舞台では3回目となる共演で、互いに信頼を寄せ合う「同志」のような二人のタッグが、本作の世界観をさらにパワーアップさせていくに間違いありません。

シアタートラムという限られた空間での、刺激的でライブ感あふれる二人芝居『毛皮のヴィーナス』、どうぞご期待下さい。

ストーリー
演出家のトーマスは、彼が脚色した戯曲『毛皮のヴィーナス』のヒロイン役のオーディションをするも、これぞ!という女優は見つからなかった。帰ろうとしたところに、オーディションに遅刻したという無名の女優ヴァンダが現れる。トーマスが求めるヒロイン像とは何もかもが違っていたが、強引なヴァンダに押し切られ、しぶしぶオーディションをすることになった。しかし相手役を務めるトーマスは、次第にヴァンダの演技に惹かれ出し、3ページで切り上げるはずだった読み合わせは、いつしか……。

次はBunkamura公演ですがシス・カンパニー製作の「ザ・ウェルキン」です。

12人の女性の手に委ねられた少女の命。
大胆かつスリリングに!残酷なほど正直に!
女性たちは自分自身と少女に向き合っていく。

英国の若手劇作家ルーシー・カークウッドの新作として、
コロナ禍直前の2020年1月末に英国ナショナルシアターにて開幕。
ロックダウンで中止になるまでの限られた上演でしたが、
サスペンスフルに展開する物語は大喝采を浴びました。
一人の殺人犯の少女と、陪審員となった市井の12人の女性たち。
猥雑で力強いエネルギーと笑いにも彩られながら、
男性支配社会に生きた18世紀半ばの女性たちの姿が浮き彫りに…。
気鋭の加藤拓也が初の翻訳戯曲演出に挑み、卓越した力を誇る俳優陣が激突!
演劇ならではの魅力に溢れた時間をお届けします!

あらすじ
1759年、英国の東部サフォークの田舎町。
人々が75年に一度天空に舞い戻ってくるという彗星を待ちわびる中、
一人の少女サリー(大原櫻子)が殺人罪で絞首刑を宣告される。
しかし、彼女は妊娠を主張。妊娠している罪人は死刑だけは免れることができるのだ。
その真偽を判定するため、妊娠経験のある12人の女性たちが陪審員として集められた。
これまで21人の出産を経験した者、流産ばかりで子供がいない者、早く結論を出して家事に戻りたい者、生死を決める審議への参加に戸惑う者など、その顔ぶれはさまざま。
その中に、なんとかサリーに公正な扱いを受けさせようと心を砕く助産婦エリザベス(吉田羊)の姿があった。
サリーは本当に妊娠しているのか? それとも死刑から逃れようと嘘をついているのか?
なぜエリザベスは、殺人犯サリーを助けようとしているのか…。
法廷の外では、血に飢えた暴徒が処刑を求める雄叫びを上げ、そして…。

同じBunkamuraでも特設サイトの「世界は笑う」です。

ケラリーノ・サンドロヴィッチが描く、
昭和30年代新宿、笑いに魅せられ、笑いに取り憑かれた人々の奇想天外な人間ドラマ。
5年ぶりのBunkamuraシアターコクーンで、
豪華キャストを迎え、新作書き下ろし!!

劇作家・演出家のケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)が、2017年『陥没』以来5年ぶりに、Bunkamura シアターコクーンで新作公演を行うことが決定しました。

舞台は、昭和30年代初頭の東京・新宿。敗戦から10年強の月日が流れ、巷に「もはや戦後ではない」というフレーズが飛び交い、“太陽族”と呼ばれる若者の出現など解放感に活気づく人々の一方で、戦争の傷跡から立ち上がれぬ人間がそこかしこに蠢く…。そんな殺伐と喧騒を背景にKERAが描くのは、笑いに取り憑かれた人々の決して喜劇とは言い切れない人間ドラマ。

戦前から舞台や映画で人気を博しながらも、時代の流れによる世相の変化と自身の衰え、そして若手の台頭に、内心不安を抱えるベテラン喜劇俳優たち。新しい笑いを求めながらもままならぬ若手コメディアンたちなど、混沌とした時代を生きる喜劇人と、彼らを取り巻く人々が、高度経済成長前夜の新宿という街で織りなす、哀しくて可笑しい群像劇。

出演には、KERAとの3度目のタッグとなる瀬戸康史、2度目となる松雪泰子をはじめ、KERA作品に初出演となる千葉雄大、勝地 涼、伊藤沙莉、ラサール石井、銀粉蝶など、勢いのある若手から存在感が際立つベテランまで多彩な実力派キャストが顔を揃えました。 2009年より昭和の東京をモチーフに発表してきた「昭和三部作」シリーズをはじめ、日頃から “昭和”という時代への深い愛着を公言するKERAが、“昭和の喜劇人”を作品の題材とするのは今回が初めて。その挑戦に期待が高まります。

最後にパルコの「VAMP SHOW」です。あらすじ紹介が過去作紹介と合体しているのですがそこは目をつぶって引用。

三谷幸喜 作、幻のホラー・コメディ!
新たな血を求めて、21年ぶりに復活!!
全国を旅して暮らす、陽気な五人の男たち。
みんな揃って歌好きで、何故だか全員、夜行性。趣味は襲撃、献血カー。
苦手なものは、十字架で、大好きなのは―チュウチュウチュウ!?

本作は、1992年、サードステージのプロデュース公演として初めて上演された伝説の舞台。2001年にはパルコ&サードステージ提携プロデュースとしてPARCO劇場にてキャストを一新し、池田成志の演出で上演された、三谷幸喜作、異色のホラー・コメディです。
楽しく旅する5人組の吸血鬼。うっそうとした森に囲まれたさびれた山間の駅にたどり着く。駅には駅長と、電車を待つ女性が一人・・・。
西村雅彦、古田新太、池田成志(1992年)、佐々木蔵之介、堺雅人、河原雅彦、橋本じゅん、伊藤俊人(2001年)と、当時の若手実力派俳優が出演し、上演してきた幻の作品がついにPARCO劇場へ帰ってきます!

2001年版で出演していた河原雅彦が演出のバトンを受け継ぎ、キャストにはドラマ『最愛』や『ミステリと言う勿れ』などに出演し癖のある役も難なくこなす高い演技力で評価されながら、現在放送中の「恋なんて、本気でやってどうするの?」で不器用ながらも主人公の親友にアプローチする不思議男子・克巳を演じ普段の役とのギャップでTwitterトレンド入りも果たした岡山天音、映画『今日から俺は!!』や連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』に出演し、『インビジブル』では主人公の刑事人生を大きく揺るがせた事件で殉職した安野慎吾を演じたことも記憶に新しい平埜生成、映画『銀魂』やドラマ『勇者ヨシヒコと導かれし七人』に出演し、2022年春放送の『ユーチューバーに娘はやらん!』ではユーチューバーの不安定だが冒険家なタックタックを演じるなど多くの作品で抜群のコメディーセンスを発揮している戸塚純貴。獣電戦隊キョウリュウジャーで注目を集め、バンド女王蜂のMV(『KING BITCH』)出演や現在放送中の連続ドラマ『探偵が早すぎる?春のトリック返し祭り?』では、主人公に熱心にアプローチする会社の同僚・大谷和馬を演じ話題を呼んだ塩野瑛久、NHK連続テレビ小説『ひよっこ』での頼もしい兄から、NHK連続テレビ小説『カーネーション』では不憫な次男、ドラマ『アンナチュラル』『シグナル』の連続殺人犯役と演技の幅が広く、どんな役柄でも自分のものにしてしまう個性派俳優尾上寛之と今後益々期待される若手演技派俳優たちが結集!
さらに、NHK連続テレビ小説『べっぴんさん』やドラマ『過保護のカホコ』『オー!マイ・ボス!恋は別冊で』など話題作への出演が続いており、7月にはドラマ『雪女と蟹を食う』の出演も控えている注目の若手俳優久保田紗友。また、数々の舞台に出演し、連続テレビ小説『エール』や、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』など映像作品でも活躍、2022年には映画『20歳のソウル』の公開も控えている菅原永二の2人が加わり、全キャストが決定いたしました。

2022年版、新たな「VAMP SHOW」にご期待ください!

これまでのVAMP SHOW

山間の寂れた駅で、5人の青年がある女性と出会うことで始まる物語。
明るく楽しい旅行者の青年たちは実は吸血鬼で・・・。

初演は1992年。俳優・池田成志の「怖くてびっくりするホラーな芝居がやりたい」、から始まった本企画。中心に流れる話は魅力的でないと成立しない、と脚本を三谷幸喜に依頼。
三谷幸喜作品らしい笑いはもちろん、ゾクっとするホラー要素が加わり、若手俳優たちの演技合戦も魅力的な、見どころ満載の傑作ホラー・コメディが誕生した。

2001年版では、それぞれ演劇界を中心に実績を重ね、映像にも活躍の場を広げ注目されていた、堺雅人、佐々木蔵之介、橋本じゅん、河原雅彦、伊藤俊人らが演じ、舞台俳優の魅力と演劇の面白さを存分に発揮した。

そして、2022年。様々な作品で欠かせない存在となっている実力俳優が集まり、新たな「VAMP SHOW」が誕生する。

どうでしょう。

「毛皮のヴィーナス」は好ましいですね。芝居のあらすじがわかって、関係者紹介文も芝居関係の経歴で紹介しているところがよいです。可能な限り自劇場に出演した時の経歴で紹介するところは、長くやっている劇場ならではです。

「ザ・ウェルキン」の宣伝文も好ましいです。あらすじはきっちりわかります。そのうえで、多すぎる出演者の紹介はあらすじに混ぜて控えめにしつつ、脚本の評判を推していくというスタイルです。

「世界は笑う」は、KERA新作なので脚本が出来上がっていないでしょうからあらすじ紹介がないのは割引きます。とはいえ、KERAであることが一推し、さらに紹介不要な有名出演者で推していく、という姿勢は見て取れます。

「VAMP SHOW」の異質さがひときわ際立ちます。ホラーコメディだからあまりネタバレしてはいけないのはわかるのですが、出演者の紹介をすべて映像で揃えているのが他3サイトと明らかに違います。

この「VAMP SHOW」の文章に違和感を感じすぎてこのエントリーを書いています。出演者の舞台経験が少ないからしょうがないと言われればその通りですが、もう少し書きようがないものか。

と考え出すと、そもそも劇場サイトは誰に向けて情報発信しているんだとなります。劇場サイトを見て観に行こうと考える客がどれだけいるか。

出演者目当ての人は、出演者の公式サイトを見て決めるでしょう。その場合、劇場サイトに望むことは日程やチケットの公演情報であり、宣伝文は読まないと思います。

私みたいな人間だと、劇場と脚本演出出演者で最初のフィルターが働きます。そのうえであらすじを見て判断します。あらすじ以外の宣伝文は補足です。読んでも観に行く行かないの判断には影響しません。

芝居見物の大ベテランだとチラシで判断していると思います。劇場サイトに望むことは日程やチケットの公演情報であり、宣伝文は読んでいないでしょう。

芝居初心者はどうかというと、そもそも劇場サイトを見ません。たまたまチラシを手に取って興味が湧くか、テレビその他で紹介されていて気になって、人によっては劇場サイトで調べるのが導線だと思います。でも、調べて満足するのが大半、観に行くつもりの人は公演情報を確認したいのが目的です。宣伝文で観に行くことを決める人はごくごく少数と推測します。

そうなると誰向けの情報なのか。おそらく「VAMP SHOW」は、芝居を知らないマスコミ関係者に記事を書いてもらうための宣伝資料なのではないでしょうか。

ならば一般観客向けに宣伝文は不要か。そう言い切れないのが難しいところです。劇場サイトを読んだ側に与える印象というものがあるからです。売りになるものがあるかないかとはちょっと違います。宣伝文のひとつも書けない芝居では、制作の本気度が疑われます。そのうえで、何を宣伝に選ぶかで制作の趣味を無意識に訴えかけています。観客側は、宣伝文を見て決めるというより、宣伝文を含めた劇場サイト全体の雰囲気で制作の趣味と信頼度と本気度を測っています。

野田地図の「Q」を載せた東京芸術劇場のサイトを追加引用します。

野田秀樹×QUEENの衝撃作品、世界ツアー決定!
松たか子、上川隆也、広瀬すず、志尊淳らが奇跡の再集結!

イギリスを誇る世界的ロックバンド、クイーンが1975年に発表した傑作『オペラ座の夜』の世界観と、シェイクスピアの名作『ロミオとジュリエット』の “その後の物語” =もしも2人が生きていたら…。という野田秀樹の着想が結び付き、2019年に東京で初演。舞台を14世紀のイタリアから12世紀末の日本に移し、両家の対立を源平合戦に見立てたこの奇想天外な構想は、初演時には7万人を超える観客を魅了し、第27回読売演劇大賞・最優秀作品賞を受賞した。

今回の再演では、松たか子、上川隆也、広瀬すず、志尊淳らの初演時のオリジナルキャスト全10名が奇跡の再集結。
このワールド・ツアーの企画は、初演の東京公演を来日観劇したクイーンの伝説的マネージャーのジム・ビーチ氏が絶賛しことを契機にクイーンのお膝元であるロンドン公演の計画が動き始めた。
東京・大阪公演に加え、ロンドン、台北を巡り、国内外4都市を巡るワールド・ツアーが実現。
日本の演劇史のみならず世界のエンタテインメント史に新たな1ページを刻む2022年版『Q』:A Night At The Kabuki。是非ともご期待ください!

ずいぶんと端的にまとまった宣伝文です。が、これでまとまるのは初演の実績、紹介無用の豪華出演陣、海外ツアーがあればこそで、例外中の例外中の例外です。東京芸術劇場は公演特設ページを作ったりしないので、サイトで読んだら同じ文章でもそっけないことこの上ありません。芸術監督の芝居をえこひいきにするわけにもいかないでしょうし、野田地図の本家サイトが本来の役目を果たすのかもしれませんが、それにしたってさすがにもうちょっと派手にしろよと言いたくなる劇場サイトです。普通の人はこんなそっけないサイトを見ても観に行く気にはなりません。

そう考えると、東京芸術劇場は最初から劇場サイトに求められる役割を公演情報提供と割りきったサイト、他の劇場は劇場サイトによる集客能力を信じているサイト、と言えなくもありません。どの程度意図されているかは別として。

書き終わって読み返したら我ながら何書いてるんだかと思いましたが、宣伝文ひとつとっても考え出したら悩ましい、という暇文でした。

2022年5月23日 (月)

伝わることに関する具体的な例

謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」ってエントリーを引用したばかりですが、そうしたらちょうどこんなTwitterを見かけました。

ビニールタッキー@vinyl_tackey

金ローで『ローマの休日』を初めて見た妻の発言集「セリフが超少ないのに全部伝わる」「今のドラマとかアニメの1話分ぐらいしかセリフがないのに」「信じられないほどの美女と美男だった」「ギャグとかいっぱいあるのに粋」「久しぶりに「これが映画だ」と思う映画を見た」

午後10:12・2022年5月16日

メッセージのないエンターテインメントだって極めればここまで行けるわけですよ。エンターテインメントだからこそ手練手管を駆使して「セリフが超少ないのに全部伝わる」とか実現してほしいのですよ。メッセージを持たせたいからといって全部台詞で言わずに伝える努力をお願いしたいのですよ。

みたいなことを思いました。数ある映画の中でも今もって鑑賞に堪える傑作中の傑作だからと言われればそれまでですし、メッセージのない粗筋の簡単なエンターテインメントと言われればその通りなんですけど。

ちなみに似た映画枠では「アパートの鍵貸します」も推したいです。

2022年5月12日 (木)

子役にはなかなかハードな「SPY×FAMILY」のオーディション

「SPY×FAMILY」面白いですよね。みんな考えることは同じなので東宝でミュージカル化されることになりました。個人的には「SPY×FAMILY」は文楽でいろいろ無茶やったら面白いだろうなと漫画を読みながら考えていましたが、さすがに舞台化が先でした。

で、アーニャ役をオーディション募集していました。なかなかハードなので記録しておきます。

応募条件

●次の稽古および公演に参加可能なこと
<稽古> 2023年1月中旬~2月下旬
<公演> 2023年3月(帝国劇場)
2023年4月~2023年5月(地方公演)
※公演日程詳細は、公式ホームページをご覧ください
●年齢は問わないが、身長が70cm~100cm程度(身長制限についてはあくまで目安です。応募前後での成長も加味しますので、現時点での身長が10cm程度前後しても問題ございません) で、演技、歌唱、ダンスが得意であること

応募方法

①プロフィールの提出
・プロフィール(氏名・年齢・身長・体重・経歴/芸歴・音域)
・バストアップ写真+全身写真各1枚
を、併せて全体でA4用紙2枚以内にまとめたデータをご用意いただき、下記アドレスまでメールで送信して下さい。

プロフィール送付先メールアドレスXX@gmail.com

②自己紹介動画の撮影・アップロード
自己紹介動画(30秒~1分以内)をYouTubeにアップロードして下さい。

*お顔がよく見えるアングル・明度で撮影をお願いします。
*歌の場合はマイクとの距離をできれば1m以上とってください。
*公開範囲は、必ず「公開」または「限定公開」の設定にしてください。
*なりすましや映像・音声の加工は固くお断りいたします。

③エントリー
応募者の基本情報と、②でご用意いただいたYouTubeのリンクを下記URLよりご入力ください。

*複数人まとめてご応募される場合には1回で10名までまとめてご入力いただけます。
*動画が正常に再生できるか必ずご確認の上、入力してください。

応募者基本情報エントリーフォーム

応募締切
2022年6月17日(金)23:59〆切

合否の結果は、書類審査を通過された方にのみ、2022年6月27日(月)までに連絡致します。
書類を通過されますと、2022年8月6日(土)、7日(日)、都内にて実施予定の実技審査に進んでいただきます。
実技審査に通られた方は、9~10月に、ワークショップ形式のレッスンにご参加頂き、11月の最終オーディションに進んでいただきます。
ご応募に際してご承知おきください。

*9~10月のレッスンにつきましては、実技試験を通られた方にのみ、詳細をご連絡差し上げます。

書類選考の段階ですでに動画が入るのが今どきだなと思います。ただ書類の送付先がGmailなのと、動画のアップロード先がYouTubeなのが、さらに今どきだと思います。割りきれば募集側の受付体制は無料で作れますねここら辺。複数人まとめて応募の規定があるのは児童劇団とか子役スクールの応募を想定しているのでしょうか。

書類が通過したら8月の頭に実技審査。ここは夏休みだからまあいいと思いますが、そのあと9月10月にワークショップ形式のレッスン。これは週末なのか平日放課後なのか。それが終わって11月にやっと最終オーディション。コロナに備えてダブルキャストトリプルキャストくらい採用しそうですが、それでも狭き門なのは間違いありません。

合格したら稽古が1月中旬から2月下旬、つまり3学期の間ずっと稽古です。脚本で出番の量は調整するとしても、アーニャだったら漫画なら主人公の1人ですから、すっぽかすわけにはいきません。で、春休みの3月が本番、で終わらずに4月5月にツアーです。

学校休んでも構わないという親を含めた体制が前提で、うっかりすると普通教育を受けさせる権利に抵触しそうなスケジュールです。世の中いろいろなのでその是非をここでは問いませんが、客も安からぬ木戸銭を払うのがミュージカルではありますから、その場に立つためにこのくらいの努力が要求されるという一例です。

ちなみにキャスティングはまだ発表されていませんけど、誰が来るでしょうか。ミュージカルには疎いので、雰囲気でロイド役に浦井健司、ヨル役に松たか子、ユーリ役に藤原竜也とか言っときます。注目は夜帷役ですけど、宝塚男役出身者から誰かが起用されると予想します。す。

アナウンスが丁寧な片岡仁左衛門休演

松竹「歌舞伎座『六月大歌舞伎』第三部 片岡仁左衛門休演のお知らせ並びに第三部演目変更のお知らせ」より。

2022年5月12日

平素より格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
歌舞伎座「六月大歌舞伎」第三部『与話情浮名横櫛』の与三郎に出演を予定しておりました片岡仁左衛門ですが、頭皮における帯状疱疹(たいじょうほうしん)が発症し、舞台に立つのに必要なかつらを掛けることができず、休演させていただきます。その他の体調に関しては問題ございません。

それに伴いまして、下記の通り「六月大歌舞伎」第三部の演目・出演者を変更して公演いたします。

◆歌舞伎座「六月大歌舞伎」第三部
【6月2日(木)~27日(月)午後6時開演 休演9日(木)、20日(月)】

有吉佐和子 作
『ふるあめりかに袖はぬらさじ』
芸者お園 坂 東 玉三郎
通辞藤吉 中 村 福之助
遊女亀遊 河 合 雪之丞
岩亀楼主人 中 村 鴈治郎

何卒ご了承賜りますようお願い申し上げます。
皆様には、大変なご心配とご面倒をお掛けしますこと、深くお詫び申し上げます。

最初に休演って見たときにどきっとしましたから、わざわざ「その他の体調に関しては問題ございません」って書くあたり、わかってますよね松竹も。3月に途中休演したばかりですし。

帯状疱疹は過労とストレスが原因でしょうか。3週間では治るか微妙なところで、思い切って休んで養生してください、ってなもんです。

2022年4月13日 (水)

宝塚の入学倍率の話

こんな記事を見かけました。デイリースポーツ「宝塚音楽学校 4回目で合格『信じられない』 元タカラジェンヌ名ダンサーの娘も」より。

 タカラジェンヌを育成する兵庫県宝塚市の宝塚音楽学校で30日、第110期生の合格発表が行われ、692人が受験し、17・3倍の難関を突破した40人が夢への切符を手にした。

17.3倍とは難関だなと思ったので、難関倍率話題でよく挙がる東大の入学倍率を調べてみました。今載っている最新情報が1年前の情報ですが、記事に合せて受験者数と合格者数で一番低いのが理科一類の2744人対1122人で2.45倍、一番高いのが理科三類の335人対98人で3.42倍です。

他に何かないかなと考えて、東京藝術大学の入学倍率を調べてみました。こちらは今年の情報がすでに載っています。志願者数と募集人員なので厳密には違いますが、一番低いのが音楽学部邦楽科の41人対25人で1.64倍、一番高いのが美術学部絵画科油画の951人対55人で17.29倍です。

つまり、藝大の最難関コースと宝塚音楽学校とで、倍率がほぼ同じです。

もちろん東大は優秀さでふるいにかけられたあとの受験者による倍率ですし、藝大だって芸術実技のコースは試験の時点で実技が一定以上できる受験者による倍率です。さらに宝塚音楽学校は入学時年齢が15歳から19歳なので対象年齢も違います。が、公開されている審査内容も第3次試験まであってなかなかの厳しさです。

・面接では、容姿、口跡、動作、態度、華やかさ等、宝塚歌劇の舞台への適性を審査します。
・歌唱試験では、課題曲の歌唱により、声量、声質、音程等を審査します。加えて新曲視唱により基礎的な読譜力を審査します。
・舞踊試験では、リズム感など基本的な運動能力や柔軟性、ならびに洋舞の適性等を審査します。課題は、当日試験場において本校生徒が模範演技を示します。

華やかさまで審査対象になる点は、筆記試験の東大や実技の比率が高い藝大よりしんどいとも言えます。それで受験のライバルが、ミス・ワールド・ジャパンのファイナリストや、親が宝塚の二世です。東大にも藝大にも二世三世はいるでしょうが、勝るとも劣らない難関と言えます。

音楽学校入学が40人です。そして今の宝塚は5組それぞれに70人強、それと専科で、ざっと400人です。途中辞める人もいれば長く活動する人もいて、在籍平均がざっと10年になります。最初の1-2年は慣れるところからでしょうが、通算10年活躍してもらわないといけない。そのための基礎をゼロから2年で叩きこむのは無理だし、芸能ごとで客から求められる華やかさは先天性によるところが大きい。それに応えられる人材を宝塚の芝居で魅了して引き寄せないといけない。

順調に回っているときはいいですが、駄目になったらとことん駄目になるシステムです。いきおい、音楽学校入学時点の重要性が高くなり試験も厳しくなろうというものです。

<2022年4月14日(木)追記>

全文引用するなと指摘が来たので記事部分を倍率の個所のみに削減。

2022年4月11日 (月)

新国立劇場バレエ団が見せたいろいろな支援の形

「アンチポデス」がプレビューに続いて初日も延期と聞いて新国立劇場の公式発表を見に行ったら、たまたま見つけました。「ウクライナ情勢の影響により帰国しているダンサーのクラスレッスン受け入れについて」より。

2022年4月11日

新国立劇場バレエ団は、ウクライナ情勢の影響により帰国している、プロフェッショナルとして活動中のバレエダンサーをサポートいたします。
大変難しい状況下におかれている方々への支援の一環として、バレエ団のクラスレッスンを提供させていただきます。僅かながら一助となれば幸いです。

ご希望の方は下記の内容をご覧いただき、下記のメールアドレスへご連絡ください。
募集内容
レッスン期間:2022年4月より 
スケジュール:平日10:00~12:00の間で75分程度
場所:新国立劇場 リハーサル室
お申込み先: buyo_fm@nntt.jac.go.jp へメールにてご連絡ください。
その他
※事前に連絡先や職歴などをご記入いただく書式、参加にあたっての承諾書をご提出いただきます。
※初回のレッスン前および定期的に実施する、劇場の指定するウイルス検査を受検いただきます。
※新型コロナウイルス感染拡大予防対応によるリハーサル室のスペースの都合上、定員になり次第お申し込みを締め切らせていただきます。

吉田都舞踊芸術監督よりメッセージ

バレエダンサーには毎日の基礎レッスンが欠かせません。ウクライナ情勢のために、急に拠点を離れ稽古場を確保しなければならない状況に置かれたダンサーたちに、バレエ団のクラスレッスンを受けていただきたいと思います。私自身もイギリスを離れ日本でフリーとして活動することになった時に、スターダンサーズ・バレエ団のクラスレッスンに参加させていただき、大変有難く思った経験があります。

新国立劇場バレエ団にできることはどういうことか、考え続けています。少しでも辛い思いをされているバレエダンサーの力になれるよう、これからも動いてまいります。

ウクライナ関係者に直接支援するのではなく、自分たちの守備範囲にある巻きこまれた人達に、無理のない形で間接的に支援を提供するのが、何というかその、いいですよね。「帰国している」とあるので邦人メインかと思いますが、ウクライナ難民にもダンサーがいるかもしれない。そういうところにつながる可能性もある。

世間全般の各種支援の中では地味なほうに分類されるでしょうけど、国公立劇場にふさわしい活動です。侵攻から2か月経っていないのに実現までもっていった芸術監督および関係者の努力が報われますように。

2022年4月 6日 (水)

表現の自由は他人の自由を含むか

走り書きです。

去年の年末にこんなことを書きました。これはコンテンツ(あえて芸術とは言わない)を創る側の表現の自由についてです。

一番は自民党が参議院の立候補に漫画家を立てての表現の自由に関する話題です。ことさらに取りあげるのは、表現の自由なんて芝居関係者には自明のことと考えるのは早計だからです。もともと左翼的イデオロギーの強い舞台関係者の中に自民党大嫌いという人達が一定数いて、表現の自由より自民党嫌いを優先させるひねくれものが一定数出てくる可能性があります。私自身もその傾向がありますが、大義のために気に入らない奴のことを我慢するくらいなら、大義なんて蹴っ飛ばして気に入らない奴をけなすほうがいい、と思うことは度々あります。それが行き過ぎて、自民党を応援することになるくらいなら表現の自由をあきらめてもいいと言い出す関係者が出てこないか、比べられないものを比べて蹴っ飛ばす人が出てきてしまわないか、今からドキドキしています。出てこないことを願います。

ただ最近思ったのは、コンテンツに対する表現の自由は案外認められるのではないか、その代わりにコンテンツに対する評価を統一するような動きが出る可能性があるのではないか、です。この統一の対象とは、面白いつまらないの評価だけではなく、そのコンテンツの社会的立ち位置についての評価です。

例を挙げます。いまロシアをテーマにした新作芝居をつくるとして、ロシアを褒める内容の芝居だったとします。この上演は認められるとして、観客がロシアにも認めるべき点があると感想を書けるか。書いた瞬間に芝居と現実の区別がついていない間抜けという非難が飛んでこないか。

観客は芝居を観ての芝居についての感想であり、現実のロシアについては是々非々とわかっていたとしても、読者が多ければ非難は飛んでくるでしょう。むしろ芝居と現実の区別がついていないのは非難した側なのに。いわゆるクソレス、クソリプと呼ばれるものです。だからと言って感想への反応を止めるわけにはいきません。誤解する人間は一定数いるので、少なくとも読解力のある人間に誤解されないように書く努力を試みる必要があります。

一方で、コンテンツと呼ばれるものは鑑賞する側に影響を及ぼすことを志向するので、観客がロシアにも認めるべき点があると感想を書いたらガッツポーズですし、そこに非難の余地はありませんし、非難するべきでもありません。ただし、この時期にロシアをほめる内容の芝居を上演して穴だらけの設定だったら非難されるのは最初から覚悟しておくべきですし、木戸銭払った観客につまらないと感想を書かれたなら甘受すべきです。

表現の自由の定義は「やりたいことをやる」では片手落ちで、「自分にとって気に入らないことをやっていることを認める」まで含みます。もちろん程度問題であり、さすがに人殺しを認めろとまでは言いません。ただ表現の自由とは、自由という名前にも関わらず不自由も強います。

年末に偉そうなことを書きましたが、たまに沸騰して文句を書き散らす自分がどこまで表現の自由を尊重しているかと言われると、自信がありません。このブログでは、少なくとも芝居の感想は、自腹で木戸銭を払った人間として書いてきました。零細ブログと言えども、その線だけは守りたいです。

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