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2024年11月24日 (日)

新国立劇場演劇研修所の21期生募集とコクーンアクターズスタジオの2期生募集

新国立劇場の演劇研修所もそんなに長く続いているのかと驚きました。3年間の本格的な研修所で、入所費用は33000円、年額授業料は242000円と決して安くありませんが、奨学金が2年目から出ますからこの手の研修所では負担は少ない方です。応募締切は年内ですが、その前に「ロミオとジュリエット」の試演会がありますから、応募したい人は雰囲気を確かめてから応募できます。

そしてコクーンアクターズスタジオは1年だけの活動だと考えていましたが、2期生募集の案内を見かけました。1年間の研修で入学金160000円と授業料260000円です。1期生の公演が3月に行なわれますが、応募締切が年内なので、こちらは雰囲気を確かめることができません。が、講師陣の顔ぶれとコメントを読めば何となく伝わります。

研修所としては真逆にあるだろう2つで、3年かけて役者の地力を鍛えようとする新国立劇場は台詞に重きを置いています。コクーンアクターズスタジオは笑いを外せない要素の1つに据えています。新劇出身の芸術監督が多く、そこから所長にスライドする新国立劇場と、松尾スズキが芸術監督と主任を務めるコクーンとでは、それは性格も違うだろうというものです。

ただまあ、どちらの研修所がいいとか悪いとかではなく、1人の人間として物事の捉え方というものがありますよね。結局そこがしっかりしているかどうかが続く役者になれるかどうかの分かれ道ではないかと近頃は考えるようになりました。別の言い方をすると、演出家が務まるような能力も役者には必要ではないかということです。これには脚本の世界をどう捉えてどう立上げるかを考えられる能力という意味と、役者から制作まで集団を考えながら芝居に足並みを揃えられるかどうかという意味とがあります。ちなみに売れるかどうかは実力+色気+運です。

大変な時代ですが、その道を選んで入った人たちにはぜひとも活躍してほしいと願っております。

2024年10月27日 (日)

今時は駄目出しと言わずにノートというらしい

そういえばこの前観てきた芝居で2回(「ピローマン」「Silent Sky」)アフタートークに当たりました。狙っていたわけではないのですがそういうことはままありますが、それはいいとして。

その中で「ノート」という言葉を使っていたから一瞬何のことかわかりませんでした。話の流れで「ああ、駄目出しのことだ」と気が付きました。同じ何でそんな言葉を使っているのかと考えましたが、おおよそこんな理由ではないでしょうか。

(1)駄目出しという言葉を文字通り取れば、駄目なところを正しく直す意味しか含まれない。こんなことはどうだろうかという提案や、演出側も考えてみたいからそのときの解釈を教えてくれという相談といった意味が含まれない。役者を指示待ちする怠け者にさせてしまう。

(2)駄目出しというと、駄目を出す側と出される側との上下関係を無意識のうちに作ってしまう。芝居に対する発言が演出家から役者への一方通行のみ許可されていると役者側を委縮させるだけでなく、演出家から役者へのパワハラの土壌となりかねない。

(3)脚本や役の解釈を深掘りして演出家と役者との共同作業で芝居を作り上げていきたいと考えるような演出家や役者ほど(1)(2)のような状況が迷惑と考える。

検索したら英語でNoteだそうです。井上芳雄の記事が引っかかりました。ここに書かれた記事を読んだら、おおよそ私の考えたことと間違っていなさそうです。実に結構なことです。

ただ、それに当たるような日本語は発明できないのかという話があります。駄目出しという単語が(1)や(2)を引起こすのはわかりますが、それでも耳で聴いて一発でわかる言葉だという点は見逃せません。

明治時代は何でも無理やり翻訳して何なら造語もした結果難解になった面もありましたが、近頃は反対にカタカナで直接置換えすぎじゃないかと考えることもあります。ここまでだとパワハラなんて言葉もそうですね。これは広く実態があったためにあっという間に人口に膾炙して短縮呼びされて市民権を獲得するに至りました。

ならば何かいい置換えの言葉を考え付くかというとそれは難しい。井上芳雄の記事では「いい出し」という言葉が紹介されていますが、それでは(2)は回避できても(1)には繋がらない。だからそのまま「ノート」と使うことになったのでしょう。

関係ない観客が心配する話でもありませんし、だからどうしたという話ですが、暇ネタでした。

2024年7月 1日 (月)

観客の気持ちがわからないPARCO劇場

新しくなってから何度か観に出かけていますが、いまは入場前のフロアには大きい画面があって、宣伝映像を流しているんですよね。だからポスターはありません。

宣伝映像はいま上演中の芝居の宣伝だけでなく、これから上演する芝居や、前に上演した芝居の円盤発売の宣伝も流れます。それが繰返し流されます。

するとどうなるか。いま上演中の芝居の画面をスマホで写真に撮るために、宣伝画面が一周するまで画面を囲んでスマホを構えた客が待つことになります。いつも同じ光景を目にします。

ポスターでいえばロビーの中にあることが多くて、今回私が観た芝居では、チケットもぎった正面、机を挟んで回り込んだその向こう(日付入り)、手前の劇場内入口、奥の外階段側の入口脇と4か所も用意しています。日付入りのポスターを用意しているということは、ここで撮影してほしいと劇場は考えているわけです。

だけどよほどマイナーな会場でない限り他の劇場はどこでも劇場の外にポスターを飾ってあります。だからポスターの写真を撮る人は、劇場に着く、ポスターの写真を撮る、チケットを出して中に入る、という順番が習い性になっています。観客の身体に染みついた行動はなかなか変わりませんし、中に入ったらポスターがあるかどうかわかりませんから、そうなるわけです。

あれだけいつも同じことを目にしていたら、劇場に入る前のところにいるスタッフが、ポスターが中に入ったロビーにあるので撮影はそちらでどうぞ、と声掛けをしてもいいはずです。日付入りのポスターまで用意しているのに。でなければ素直に、ロビーのポスターをひとつ、画面と反対の壁(当日券で並ばされる側の壁)に置いておけば済みます。

私自身は写真を撮る習慣はありませんが、それだけに宣伝映像が一周するのを待っている人たちを見るたびに、どうしてこれを放っておくんだろうなと首をかしげています。

2024年6月 2日 (日)

国立劇場の再整備が難航中

朝日の「国立劇場、再整備見直しへ 資材高騰で事業者決まらず『国費増額を』」からですが、無料の部分だけしか読んでいません。

 老朽化が進んだため劇場を運営する独立行政法人・日本芸術文化振興会(芸文振)は2016年、全面改修する計画を作成。20年には「文化観光拠点としての機能強化」を掲げて建て替えの方針へと転換した。民間の資金や経営力を生かすPFI方式を導入することとし、ホテルなどの併設を目指した。民間事業者はホテルやカフェなどを整備・運営し、土地の賃料を芸文振に払う仕組みだ。

 関係者によると、入札にあたっては、国費をもとに800億円超の財源を用意。しかし全国的な建築資材の高騰や人材不足などが影響し、22、23年の入札では落札に至らなかった。再整備のめどが立たないなかで23年10月に国立劇場は閉場した。

国立劇場の建替え話が表に出てきたのは2021年の11月でした。似たような時期で2021年5月にBunkamuraも長期休館が決まりましたが、2021年に発表ならそれよりもう少し前から話を進めていたでしょうし、東急グループのBunkamuraは身内に施行を請負った東急建設がいるから、実際にはもっと早くから話を進めていたことでしょう。国立劇場とは前提が異なります。あるいはあの時期ですから、1年差でも資材高騰の影響差は大きかったでしょう。

で、記事のタイトルからすると有料で読めない部分に国費増額の話が書いてありそうなのですが、どうでしょう。そもそも立地の隼町のあたり、観光エリアからも商業エリアからも外れていますから、一等地とは言えホテルやカフェを出したい会社がどれだけあるのか怪しいです。

賃料が入らない前提だとどのくらい足りなくなるのでしょう。うっかりすると倍くらいになるかもしれません。いまそれだけ余裕があるのかという話です。いっそホテル抜きにして今のように低層の劇場だけにしたほうが安くなるんじゃないのか、高層ビルだとメンテナンスの費用も馬鹿にならないだろうし、と素人考えでは思いますが、どうなることやら、です。

KUNIOが演出家兼美術家の主宰ダウンで公演中止

あるようであまりないケースなのでは。本家サイトより。

平素よりKUNIOをご愛顧くださり、誠にありがとうございます。
この度、2024年6月22日(土)から6月30日(日)まで、KAAT神奈川芸術劇場にて上演予定のKUNIO16『ゴドーを待ちながら』について、本作品の演出を担う杉原邦生の体調不良のため公演を中止する運びとなりました。
ご来場を楽しみにお待ちいただいていたお客様には多大なご迷惑をおかけしますことを、深くお詫び申し上げます。

公演中止に伴う前売チケットの払戻し方法につきましては、後日、下記の公式サイト内にてご案内いたします。今しばらくお待ちくださいますようお願いいたします。払い戻しのご案内までチケットはお手元にお持ちくださいますようお願いいたします。

KUNIO16『ゴドーを待ちながら』公式サイト

誠に勝手ではございますが、何卒ご理解賜りますよう、お願い申し上げます。

2024年5月29日
主催:KUNIO/KUNIO,Inc.

公演まであと1か月を切ったところで随分と思い切りのいい判断です。何となく、代わりに演出家を立てて上演するところではないかと考えなくもないのですが、探す時間が足りなかったか、そこまで予算を捻り出せなかったか、美術の兼任が重かったか、KUNIOなんだからKUNIOが倒れたら中止すんのが当たり前なんだわと考えたか、どのあたりでしょう。

台風で計画中止にするのは支持しますし、みんながこの人を観に来るという役者が降板になって公演中止するのは考えられなくもないですけど、演出家が体調不良で公演まで中止にするのはちょっと意外な印象でした。純然たる商業演劇とは違うところです。

神奈川芸術劇場なら、いっそ芸術監督の長塚圭史に代打を頼めなかったものかとも思いますが、観たかった芝居なので惜しい中止です。

2024年5月14日 (火)

こまばアゴラ劇場閉館

後がどうなるのかわかりませんけど、無くなるものとして。

青年団の本拠地として長らくやってきましたし、そこから生みだされた現代口語演劇はいまはかなり当たり前になりました。その影響は大きいです。

一方で劇場だけ見ると、ここから羽ばたいて日本でメジャーになった劇団がほとんどいない劇場です。ここでいうメジャーとは、もっと大きな劇場に活躍の場を広げて動員数を増やすことを指します。

いやいや、青年団を初めとして海外で上演するようになった団体がいくつもあるから、世界で活躍するならそれは活躍の場を広げることを指しているでしょうと言えなくもありません。ただ、日本人として本拠地の国である日本での活躍度合いが気になります。個人でいえば、青年団在席からメジャーに出ていった人で思いつくのは岩井秀人ですが、がっつりメジャーかというとまだそこまででもなさそうです。あとは役者だと志賀廣太郎は映像の出番が増えていた印象がありました。

どうも私は頭が古いので、国内動員数の多い劇団こそメジャーな劇団という感覚が抜けません。そのためには会場の規模を広げるか上演回数を増やしてロングランを目指すか、二択になるだろうと考えます。小さい劇場でも日本風ロングランの目安としてステージ数がひと月三十公演を超えてくると、頑張っているメジャーな劇団なのだなと見たりもします。

もちろん助成金を駆使して数日間数ステージの公演を成立たせたっていいわけですが、それがメジャーかと言われるとそんなことはないわけです。

こういうことを書くと古臭い小劇場すごろくを信じていやがると噛みつく人がいるのですが、別にそうでない公演があるのは構いません。それだって演劇の多様性のひとつでしょう。ただそれなら、メジャーな公演だって多様性のひとつとして認められるべきです。売れない人が金に魂を売りやがったと難じるのは簡単で、本当は売れてなお魂を持ち続けるほうが困難です。

別の言い方をするなら、こまばアゴラ劇場は芸術に関心のある劇団向けの劇場であり、芸能に関心のある劇団向けの劇場ではありませんでした。そもそも青年団が(内面はともかく)外見は静かな演劇を志向して、大きすぎる劇場の公演を拒否していました。たしか600人くらいまでは成立すると平田オリザがどこかで話していて、その同じ話の中で、その人数目一杯での上演は目指さないとも話していたのを読んだことがあります。

平田オリザの父親が建てた自宅兼劇場なので平田オリザがオーナー一家の代表として運営してきたわけですが、その時点でもう劇場の方向性が決まっていたとも言えます。芸術監督という言葉が今よりも珍しかった時代でも、オーナーの運営方針はそのまま芸術監督のような仕事を含んでいたでしょう(途中から芸術監督と名乗っていた)。

実際に、貸館を止めて演目すべてを自分たちで選んだプロデュース公演にするとか、支援会員制度の導入とかをしてきたわけです。fringeの「こまばアゴラ劇場、2003年度から全公演を劇場プロデュースとして劇場費無料に!」にその時のことが載っています。

上演する側には破格の条件でしたが、助成金の制度変更と、会員数の伸び悩みが原因で終わりました。これはやはり注目すべきところで、海外の事情はいざ知らず、日本では芸術よりも芸能です。やりたいことよりも観たいもの、考えさせるものよりも楽しませるもの、無名な芸達者ばかりでなく一人くらいは名前を知っている人が出ていること、チラシを読んでも中身の想像がつかない芝居でなくどのような芝居かある程度推測できるもの。俗な言い方をすれば客受けする芝居が求められます。

いまそれに近いことをやっているのは、三谷幸喜と宮藤官九郎ですよね。脚本演出両方できる人たちですが、脚本は必ず練った構成と笑いを入れつつ、本人たちがエッセイなり役者なりなんなりで世間の認知を上げつつ、気になる役者も呼んでくる。自分で自分を観客に売込んでいる。思えば蜷川幸雄もそうでした。平田オリザもこまめに売込んでいましたが、どうしてもここ一番で悪目立ちしてしまいました。それは運不運以上に、根が芸能ではなく芸術の人だからでしょう。

そういう平田オリザに率いられた青年団と青年団リンクはこまばアゴラ劇場を拠点に現代口語演劇をアップデートして完成の域まで育てましたが、そういう芝居の集まる、あるいは集めた劇場だったからこそ、知る人ぞ知るマイナー劇場止まりだったのかなと考えます。同じ井の頭線沿いで、本多劇場グループのある下北沢から多くがメジャーに育ち、PARCO劇場やBunkamuraがあった渋谷で上演して、それでも定期的に本多劇場でも上演していたのとは対照的です。渋谷区と世田谷区に挟まれた目黒区とでもいいましょうか。

メジャーとマイナーと、どちらが偉い偉くないということではありません。他に似たカラーの劇場も少なくとも都内では思いつかない、まったくカラーの違った劇場でした。

2024年5月12日 (日)

唐十郎亡くなる

ステージナタリー「唐十郎が急性硬膜下血腫により84歳で死去、アングラ演劇で人気博す」より。

劇作家・演出家・俳優・小説家の唐十郎が、昨日5月4日21:01に急性硬膜下血腫により死去した。84歳だった。
(中略)
唐は1940年、東京都生まれ。1958年に明治大学文学部演劇科に入学し、学生劇団・実験劇場で俳優として活動する。1963年に劇団・シチュエーションの会を旗揚げ(翌1964年に状況劇場へ改名)。1967年に東京・新宿の花園神社境内にて初の紅テント公演を行う。アンダーグラウンドカルチャーの旗手として人気を博し、演劇論「特権的肉体論」は後続に大きな影響を与えた。1989年に劇団唐組を旗揚げし、横浜国立大学、近畿大学で教授・客員教授を務めた。1970年に「少女仮面」で岸田國士戯曲賞、1983年に「佐川君 からの手紙」で芥川賞に輝く。また2003年に「泥人魚」で紀伊国屋演劇賞、読売演劇大賞演出家優秀賞、鶴屋南北戯曲賞、読売文学賞を受賞した。

蜷川幸雄が亡くなったのが2016年ですから、長生きしたほうでしょう。唐組も、本人の役者も、本人の演出も観ていません。観た脚本で思いついた限りだと「ジャガーの眼2008」「秘密の花園」「少女仮面」「泥人魚」を観ました。出来についてはその時々です。

ただ、それよりはやはり、この世代の芝居を観て影響を受けて育った人たちの芝居、切り拓いた道で違う花を咲かせた人たちですね。野田秀樹を初めとして、自分が観てよかったと思えた芝居なり役者なりを辿ったときに、影響を与えていただろうなと思うことはあります。

猥雑さがあって物語が飛ぶ脚本なので、まともなだけの役者には向きません。ただし詩的な台詞に溢れているので、やりたがる人はこれからも細々と出てくるでしょう。

合掌。

2024年5月 2日 (木)

AI脚本の朗読劇が中止になった話のメモ

少し前の話で、そんな公演が予定されていたのは中止になってから知ったのですが、もったいないなと思ったのでメモだけ残しておきます。

といっても遅れたのでいまいち話が分かっていません。AIに脚本を書かせて、それを声優に読ませる朗読劇だったようです。公式サイトより。

この度、弊社が企画いたしました「~AI朗読劇~AIラブコメ」についてAIで生成された脚本、デザインについてご説明いたします

日本俳優連盟様が、文化庁に提出されました【AIと著作権に関する考え方について(素案)】の中に書かれている「AIは、人間のクリエイターに取って代わるものではなく、人間のクリエイターに力を与え、補強するために使われるツール」という点において、弊社としても同じ考えをしており、今回の企画についても、その考えに基づいて制作をしております。
脚本、デザイン共に生成AIアプリを使用はしておりますが、一部利用しているにすぎず、クリエイタースタッフがハンドリングして制作しております。
具体的には、生成AIアプリに複数のキーワードを入力し、導き出した成果物に、クリエイターが手を加えて仕上げております。

生成される成果物は様々なキーワードの組合せによって無限に変化致しますので、何度もキーワードの組合せや言い回しを変えながら繰り返すことで、希望イメージに近い成果物が出るように、クリエイターが努力をしています。そのキーワードのセレクトはクリエイタースタッフが知恵や経験を活かして一般的なパブリックなワードを捻出しております。
※特定のクリエイターや個人のお名前、及び、作品名、キャラ名など著作権を有する名称をキーワードに用いることは一切行っておりません
以上のように、本作の制作の過程において生成AIアプリは、あくまでクリエイターが創作する一助に過ぎないことをご報告させていただきます。

本企画は、AIというデジタルを使って、人間が紡ぎ出す作品に、固定概念にとらわれない要素が入る、新しいクリエイティブへの挑戦であり、今までにない世界を楽しめる作品を目指して企画いたしました。
実際に、作られた脚本もデザインもクリエイタースタッフがまったく予想していなかった点が多々ありますので、ご来場いただいたお客様にはお楽しみいただけると思っております。

「~AI朗読劇~AIラブコメ」主催
株式会社Lol

元はシアターサンモールで2024年3月13日(水)-3月20日(水)に11公演を行なう予定で、ステージナタリーで見かけた出演者表だと1公演4人の声優が交代で演じる予定だったようです(クレジットが3人の公演が1回だけありますが)。

ところがこれが3月9日に中止になります。公式より。

この度、弊社企画で上演予定でした「~AI朗読劇~AIラブコメ」につきまして、公演を中止することとなりました。

応援いただいていた皆様及び、関係者の皆様には多大なるご迷惑をお掛けしましたことを深くお詫び申し上げます。

この企画は、進化するデジタル技術とエンターテイメントとの融合を、皆様に楽しんでいただく新たなる試みとして企画いたしました。
本企画の発表の後、皆様より様々なご意見を頂くことは予想しておりましたが、一部の方々には、意図せず不信感・不安感を与えてしまう結果となり、関係者の皆様、出演者の皆様、事務所の皆様に多大なるご迷惑がかかる危険があるとの理由から、断腸の思いではございますが、中止という判断をさせていただきました。

チケットの払い戻しにつきましては、ご購入いただきました各プレイガイドにて対応させていただきます。払い戻し方法が決まり次第、改めてご報告させていただきます。

また、応援してくださった皆様、あたたかいメッセージをいただきました皆様には、心より感謝を申し上げますとともに、このような結果になってしまいましたことを、深くお詫び申し上げます。

これだけだとよくわからないので検索したら読売の記事が見つかりました。「『AI脚本』を人気声優が朗読…銘打ったイベントは中止、『盗作』と批判相次ぎ 」より。

 同社によると、脚本は、業務委託したクリエイターが、有料で契約したチャットGPTなどの生成AIにアイデア出しを指示し、生成AIが作り出したものをたたき台にして、作成したという。既存の著作物と類似していないか複数で確認したとしている。

 劇場では、脚本の内容や話の流れに不自然な点があっても声優がそのまま読み上げて、終了後のトークセッションで、どの部分がAIで作られたものか種明かしする予定だったという。

 生成AIは、インターネット上の膨大な情報を機械的に学習し、精度を上げている。著作権法30条の4は、著作権者の利益を不当に害する場合を除き、AIが脚本などの著作物を無断学習することを認めているが、権利者団体などからは「ただ乗りだ」などと批判の声が出ている。

 同社が3月4日以降、SNSで「AIが書いた脚本を声優が演じる!」などとイベントの概要を発表すると批判が殺到。「無断学習がまかり通っている今、盗作脚本と変わらないのではないか」といった声や、生成AIを利用したイベントに声優が参加することで「声優さんの声を(AIに)学習されても何も文句言えなくなる」などの声が多く上がった。

 同社に対しても、「出演する声優は応援しない」「中止にすべきだ」といった批判的な意見が500件ほど届き、イベントが始まる4日前の同月9日に中止を発表した。

 同月6日から販売していたチケットは全額返金予定だといい、中止による損失額は1000万円に上るという。同社は取材に対し「エンタメの新しい可能性の一つとして生成AIを使ったが、説明不足な点があった。出演者の声優に迷惑がかかる危険があり、断腸の思いで中止の判断をした」としている。

なお公式に載っていた粗筋は以下の3本です。声優が演じることの前提か受け狙いかはわかりませんが、漫画やアニメやラノベに寄せた設定ですね。はっきりしませんが一度に3本上演する予定だったと思われます。

第1話『エイプリルフールの恋人』

登場人物
佐藤美咲:高校1年生の十五歳。ごく普通の女子高生。本が好き。
犬飼太陽:小学3年生の男子。美咲に好意を持っている。ちょっと生意気。10年間、二十歳になるまで毎年美咲に告白をする。

あらすじ
4月1日。高校の入学式の日。
美咲はいつも通る桜の木の下で突然告白をされる。しかし、その相手の背中には明らかにランドセルが・・・
10歳だという太陽の真剣な告白に心を動かされた美咲は「二十歳になったら付き合ってあげる」と約束をする。
年の離れた二人は徐々に心を通わせ、太陽は中学生になった。
だが、美咲と連絡が取れなくなってしまい・・・

第2話『声響剣士、幻想世界でアイドル譚』

登場人物
青山海斗:アイドルグループ『エンシャントドリーム(Enchanted Dream)のメンバー。
ルックスもダンスもファンサービスも完璧なのに、歌がど下手。
しかし、その声は異世界で桁外れの攻撃力となる。
リリア・ホーリーブルーム:異世界の見習い神官。ドジでおっちょこちょいだが〝声〟の攻撃力を目視する能力を持っている。その反面、修行不足のため自分の心の声がダダもれてしまう欠点がある。

あらすじ
海斗は人気アイドルグループのメンバー。
だが、歌が壊滅的に下手なことが原因でメンバーとぎくしゃくしてしまう。
そんなある日、ひょんなことから異世界に飛ばされるのだった。
見知らぬ世界で海斗を見つけたのは、リリアという新米神官。
海斗の甘いマスクも異世界では全く通用せず、ルックスには自信があった海斗は落ち込むが、逆にコンプレックスだった歌声が、魔物を倒す武器になるとわかり・・・

第3話『御曹司の花婿』

登場人物
桜井大樹:桜井財閥の御曹司。大手化粧品メーカーの若手社長。 俺様気質でクール。正妻の子ではないため冷遇されている。
一条かおる:蚕業を営む一条家の当主。内緒でラノベ作家をしている。滅多に外出しないので肌だけはキレイ
柏木真央:大樹の秘書。秘かに大樹に想いをよせる
一条ひかる:かおるの姉でワガママなお譲様

あらすじ
若くして大手化粧品メーカーの社長に就任した桜井大樹。
幼い頃から誰かと政略結婚させられることは決まっていたので、結婚に関して興味はなかった。 父親が持って来たのは、よりにもよって性格が最悪な一条家の長女ひかるとの縁談。
しかし、見合いの場で大樹は、ひかるの付き添いで来ていた弟のかおると結婚したいと言い出す。
もちろん無理だと断るかおるだったが、意外にも大樹の父は乗り気になった。
かくして、男性同士の偽装結婚生活が始まり・・・・

私はこれ、試しに一度上演してみればよかったんじゃないかと思うんですよね。「劇場では、脚本の内容や話の流れに不自然な点があっても声優がそのまま読み上げて、終了後のトークセッションで、どの部分がAIで作られたものか種明かしする予定だったという」というから、むしろ今時のAIでどのくらいオリジナルな脚本が作れるのか実験としてちょうどよかったんじゃないかと思います。

だから抗議をした人たちの背景は知りませんが、本気で盗作脚本を疑う人が抗議するなら「あとで盗作を検証するために映像とトークセッションを残して公開するところまでやるべきだ」と言うべきだったと考えます。そもそも私たちは本や映像や舞台や音楽を吸収して育って、その人たちがオリジナルを書いたりパクリを書いたりするわけです。脚本家が知らずに書いた場面が他の作品に似ていたとして、それはオリジナルかパクリかというのは興味深い議論です。著作権上は先取権の利が優先されますが、昔の大家でもパクリじゃないのかという作品は見かけるところですから。

なお「声優さんの声を(AIに)学習されても何も文句言えなくなる」なんて抗議は論外で、別の話です。本職の声優同士や声優組合(あるのかわかりませんが)が言うべきことで、将来の話はさておき、これで実際に声優の仕事をひとつ潰したわけですから、贔屓の引倒しです。ついでに言えば、声優の声だけではなく生身の演者としての価値が高まる可能性は信じなかったのかなとも思います。

で、盗作云々の話にもどりますが、私はAIに限らず非常に難しいと思うんですよね。というのも、一度だけ事例を調べてみたことがあるので。もしこのAI脚本に盗作を指摘できるような箇所があるならそれを挙げてもらって、むしろどこまでが盗作でどこまでが一般論か、グレーゾーンを潰すことはできないにしても狭めるような議論ができればよかったと思います。

初めての試みでそこまで要求するのは酷な話ですし、興行側が発表以上にどこまで深く考えていたかは知る由もありませんが、軽く検索した限りは中止にしたのはもったいなかったというのが私の今の感想です。

東京芸術劇場の芸術監督は野田秀樹から岡田利規に

公式サイト「東京芸術劇場新芸術監督の就任について」より。

令和6年4月25日
生活文化スポーツ局
東京都歴史文化財団

 東京芸術劇場では、令和8年(2026年)3月31日をもちまして、野田秀樹芸術監督が退任し、令和8年(2026年)4月1日付で新芸術監督として岡田利規氏(舞台芸術部門)と山田和樹氏(音楽部門)が就任することとなりました。

 野田秀樹芸術監督は、平成21年(2009年)、初代芸術監督として着任以来、東京芸術劇場を東京の舞台芸術(演劇・音楽・舞踊等)分野の中心的施設として育てられたほか、世界の劇場と積極的に連携し、多くの良質の海外舞台作品の招聘や、日本の数々の舞台作品を海外に送り出すなど国際交流を推進されました。また、池袋西口を中心とした賑わいの創出、質の高い創造発信、若手育成の活動等にも多大な貢献をいただきました。

 今後は、そのクリエイションが世界から注目を集める岡田氏を舞台芸術部門の芸術監督に迎え、新たな文化の創造・発信を行う場として館のプレゼンスの向上と、世界の劇場と伍する発信力を発揮できる劇場を目指してまいります。また新たに音楽分野の芸術監督として日本を代表するマエストロである山田氏を迎えることで、1999席の座席数を有する日本有数のシンフォニーホールの特性を活かし、音楽公演のクオリティや国内外への発信力をより一層高めてまいります。
(中略)
※なお、岡田氏におかれましては、令和7年(2025年)度からの東京芸術祭アーティスティックディレクターにも就任することが決定しています。
(後略)

すでに結構な歳だとしても個人的には野田秀樹は蜷川幸雄のように身体が動く限り芸術監督を務めるものだと思いこんでいました。野田秀樹が芝居に専念したいから退任を申し出たのか、そろそろ次をと東京芸術劇場側が考えたのかはいまのところわかりません。後任を芝居と音楽とで分けるのも納得です。ただ、個人的には岡田利規というのは意表を突かれました。

理由を考えるに、これまでも東京芸術劇場はいろいろないわゆる芝居の上演と、演劇祭で外国の演目を呼ぶことと、2通りの系統がありました。野田秀樹も野田地図で海外公演が増えていますし、そもそもクラシック音楽自体が欧米のものです。だからもともと海外志向というか、国際的にありたいと考える東京都の中の人が多かったのでしょう。それが本物の国際志向なのかか鹿鳴館根性なのかは別として。そうなると、おそらく選考条件に外国でも活躍している演出家であることが含まれていて、そこから優先度が上がったのだと想像します。

ただまあ、岡田利規はあまり大衆感のない演出家という印象があります。それと、東京から熊本に引越していたはずですが、東京は安全だと信じられるようになったのなら目出度いことです。昔よりもいまのほうが東京の地震の恐れは増えていますから、そうなったら踏ん張ってくださいというのが願いです。

いまのところはアナウンスだけで会見は未定なので詳しいところはわかりませんが、3年もすれば劇場の性格もだいぶ変わるんじゃないかと予想します。

それともうひとつ。野田秀樹がいなくなるなら盟友の高萩宏はどうなるのかと気になりましたが、調べてみたらすでに2021年7月から世田谷パブリックシアターの館長に移っていました。最後に見ていたのが2020年の情報だったので見落としていました。古巣に戻るという意味ではあり得る話です。

ただこれ、ひょっとして白井晃の後任で野田秀樹がそちらの芸術監督に移る布石だったりしますかね。野田地図くらい大勢客が来ると安定して確保できる大劇場があるとありがたいだろうし、「パンドラの鐘」を初演した世田谷パブリックシアターは東京芸術劇場のプレイハウス代わりにちょうどいいだろうなとは思いますが、どうでしょう。ちょっと先が読めなくなってきました。

2024年3月31日 (日)

新国立劇場の次の芸術監督は上村聡史

ステージナタリー「新国立劇場の次期芸術監督予定者に上村聡史」より

新国立劇場の管理運営を行う公益財団法人新国立劇場運営財団が、同劇場2026/2027シーズンからの芸術監督について、オペラ部門は大野和士が再任、演劇部門は上村聡史が次期芸術監督予定者として芸術参与に就任することを発表した。

小川絵梨子が現芸術監督を務める演劇部門の次期芸術監督予定者に選ばれたのは、上村聡史。芸術参与としての任期が9月1日から2年間設けられ、芸術監督任期は2026年9月1日から4年間となる。

上村は1979年、東京都生まれ。2001年に文学座附属演劇研究所に入所、2018年に同劇団を退座し、現在はフリー。2009年より文化庁新進芸術家海外留学制度において1年間イギリス・ドイツに留学した。

やっぱり新劇系から呼んできたんだ、というのが初めの感想です。小劇場黄金期を彩った花形演出家はほぼ全員どこかの芸術監督になりましたし、まだの人たちにいまから声を掛けるのはやや遅い気がします。

その次の世代の人たちで新国立劇場で演出をしていた人たちの中には、この辺りは候補としてお試しで呼ばれたのではないかなと考えた人たちもいましたが、他の仕事に行ったり諸事情あったりして頼めない人になってしまいました。

新国立劇場の芸術監督は交代で揉めたことがあったので頼まれてもいまなお警戒する人もいるかもしれませんが、その後を継いだ宮田慶子があらためて地均ししして、小川絵梨子を引張ってくるという大胆人事を実現、小川絵梨子も割といろいろ試行錯誤してそれが認められている感じように一観客の私には見えています。揉めたころの雰囲気はだいぶ消えたのではないでしょうか。仮に揉めていたとしても表に出てこないだけでもこのSNS全盛時代に十分だと思いますが。

その過程で、国立の劇場として外国の芝居にも目を光らせることが増えてきた気がします。宮田慶子は近代外国ものが得意ですが、小川絵梨子は現代外国ものもよく気にしているようです。そうなると国内ドメスティックな演出家、まして自分の芝居だけを演出するような演出家は好まれないでしょう。かれこれ考えて、この人事なのかなと推測します。

上村聡史は当たり外れが大きいけれど、当たった時の芝居はいい演出家という印象です。せっかくなので自分の演出芝居は打率よりも飛距離で勝負してほしいと願います。あと、新国立劇場のラインナップが一時は派手目になるかな、と思われたのにまた地味目に戻ってきたのが気になります。私に新劇の良さを教えてくれたのは新国立劇場ですが、もう少し一般受け目線で話題になるような派手目な芝居を増やすようにしてもらえればなとも願います。

小川絵梨子が2期8年で退くのはもったいない話ですが、残りのラインナップもある程度固まっているでしょうから、何が出てくるか観客としては期待する側です。

そして第2コーナーを回ったところまでは予想通りの展開なので、ひそかに手に汗握っているのは内緒です。

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