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2007年7月 5日 (木)

2007年上半期決算

半年なんてあっという間に過ぎていくもので、上半期の決算をしてみたいと思います。2007年上半期に観劇した一覧です。

(1)PARCO PRESENTS「志の輔らくご in PARCO 2007」パルコ劇場
(2)松竹製作「朧の森に棲む鬼」新橋演舞場
(3)PARCO PRESENTS「志の輔らくご in PARCO 2007」パルコ劇場(2回目)
(4)キョードー東京・Me&Herコーポレーション・ネビュラプロジェクト「えっと、おいらは誰だっけ?」青山円形劇場
(5)演劇集団THE・ガジラ「セルロイド」ザ・スズナリ
(6)新国立劇場主催「コペンハーゲン / COPENHAGEN」新国立劇場小劇場
(7)五反田団「いやむしろわすれて草」こまばアゴラ劇場
(8)パルコ企画製作「コンフィダント・絆」PARCO劇場
(9)青年団「東京ノート」こまばアゴラ劇場
(10)こまつ座「紙屋町さくらホテル」俳優座劇場
(11)ナイロン100℃「犬は鎖につなぐべからず~岸田國士一幕劇コレクション~」青山円形劇場
(12)世田谷パブリックシアター企画制作「死のバリエーション」シアタートラム
(13)グリング「ヒトガタ」THEATER/TOPS
(14)M&Oplays + ペンギンプルペイルパイルズプロデュース「ワンマン・ショー」シアタートラム
(15)阿佐ヶ谷スパイダース「少女とガソリン」ザ・スズナリ
(16)世田谷パブリックシアター企画・製作「国盗人」世田谷パブリックシアター

上記16本、他に隠し観劇はなし、チケットは全て公式ルートで購入した結果

  • チケット総額は95850円
  • 1本あたりの単価は5990円

となりました。今回はひょっとしたら数百円の誤差があるかもしれないので、その場合は単価が6000円を超えます。以前は単価が5000円、5500円と順調に?上がってしまっていたのですが、今回さらに単価記録を更新してしまいました。昔はほとんどタダに近かった交通費も今ではかなりの額がかかっていますので、周辺コストまで含めると大変なことになります。

現在は出費総額を抑える方針、かつ時間の都合がつきにくいという事情があるため、本数は減少しているのですが、過去の傾向では年末の駆込需要がひどいので、今から予断を許しません。

改めて上の一覧を眺めてみると、冒険する余裕がなくなっていることがはっきりします。観られる本数が少ないからというのもあるのですが、去年あたりから趣味への時間配分ということを気にするようになりまして、当日券派でもある私にとってはチケット確保から終演まで、芝居というのはその点非常に不利なわけです。

もともと細く長くのつもりで書いているブログであり、「どれだけ舞台を観られるかは時間とお金と運次第」と冒頭にも明記してありますが、このブログを熱心に継続するためには、趣味以外の新しい位置づけを芝居に与える必要がありそうです。それが見つかるまでは荒れた文章も混じるかと思いますが、細く長くのお付合いを改めてお願いします。

2007年6月28日 (木)

世田谷パブリックシアター企画・製作「国盗人」世田谷パブリックシアター

<2007年6月27日(水)昼>

白薔薇国と赤薔薇国との戦いが起こり、白薔薇国の勝利が決まった後のこと。白薔薇国の王族の一員でありながら戦いで怪我を負い、目だった官職に就けなかった悪三郎。様々な恨みが重なった彼は、自らが王の地位に就くべく、兄たちや、元赤薔薇国の王族だった者たちを追落とすことを画策する。

シェークスピアの「リチャード三世」がオリジナル。とは言いつつそちらは観たことが無い。「天保十二年のシェークスピア」とか「朧の森に住む鬼」とか、アレンジされたものから原作を想像するのみ。よくできた話しだなとは思うけど、休憩を挟んで3時間は長い。戦国時代ものは和風のアレンジが合うようで、能の技術をちりばめた演出は面白かった。けど、一部を除いて全体にリズムがゆったりしているので、間延びしているように感じた。休憩抜きで2時間20分くらいだとちょうどよくなったかも。いずれ再演すると思うので、その際はスピード感重視でおねがいします。

石田幸雄とか大森博史とか、周りの人はよいのだけど、主役でほとんどしゃべりっぱなしの野村萬斎の狂言口調が悪い方向に働いたのでは。王子(萩原もみぢ)が普通に話すのを聞いて、ものすごく魅かれた(この人、短い出番だったけどいい見せ場でしたね)。白石加代子はもちろん上手なんだけど、担当の役が多すぎて、人物関係の理解にはマイナスに作用したのが惜しい。

石と鉄の劇場である世田谷パブリックシアターから既存の舞台を取払って、木製の変形能舞台とブラインドを持込んだ美術は力作。ずいぶん太い木材で作られていたみたいだけど、どこかから既存の舞台を持込んだのかな。

劇場内ではシェークスピア史劇(?)シリーズと題して、日本で上演されたリチャード三世他のポスターを特集していた。いつもいろいろなポスターを飾っているけど、演目に合わせてこういう企画が繰出せるあたりは、劇場の余裕というものなんだろう。

2007年6月17日 (日)

阿佐ヶ谷スパイダース「少女とガソリン」ザ・スズナリ(一部ネタばれあり)

<2007年6月16日(土)夜>

地理に由来した差別を周囲から長年受けてきた某地域。再開発の影響で長年営業されていた蔵元が解散し、そのため無職となった元職人たちは居酒屋に集って蔵元の復興を目指しつつ、再開発に抗議を続けている。彼らはあるアイドルとその歌を支えに日々の苦難を辛抱していたが、そのアイドルが再開発のオープニングセレモニーに招待されたことを知り、葛藤する。ところが、向こうから店にやってくる。

長塚圭史の妄想炸裂。過去にも組んだ男臭いキャストで、はじけるはじける。歌もあるし、舞台びしょ濡れだし、血もあるし(笑)。演歌の世界とお笑いの世界を自由に組合わせつつ、差別の話をひっそりと絡めて、休憩なしの2時間30分をまったく飽きさせない。最後の歌は男の声を強調した歌い方(海外のサッカー中継を見るときの、男の声が地鳴りのように響く応援みたいな感じ)で格好よかった。この歌詞は当日パンフに載っているけど、作詞はやっぱり長塚圭史なのかな、とてもよいです。

終盤に中村まことと犬山イヌコと2人だけの場面があるが、ここでの2人の表情が違うベクトルでそれぞれ絶品。それを堪能できたのはこの規模の劇場ならでは。小劇場の芸達者がそろってしまった中ではあるが、それを差引いても下宮里穂子は歌も演技もまだまだ。これを上手く使いこなした長塚圭史はさすが。

スタッフワークは、スズナリでは観たことがないような高水準。特に、乱暴に扱ってもビクともしない美術と格好いい音楽。劇場全体までいろいろ飾りつけている。当日券の発売も人手を割いて丁寧な運営で、好感度アップ。

少々値段が張るけど、それ以上の価値はある。文句なしのお勧め。

M&Oplays + ペンギンプルペイルパイルズプロデュース「ワンマン・ショー」シアタートラム

<2007年6月16日(土)昼>

懸賞マニアの男。最近は架空の人物を利用して多数の応募を行なっている。夫婦仲は上手くいっているが、妻の兄が無職で頻繁に押掛けるため、妻は肩身が狭い。夫婦の家の庭は隣家の住人に覗かれているようだ。ある日その兄に仕事が決まったが、どうも胡散臭い。

いかにも舞台向きのテーマに、様々な仕掛けを凝らした一品。面白いが、内容の割にずいぶんおとなしい演出で損をしている。小林高鹿やぼくもとさきこが引張るも、水野美紀がおとなしすぎ。美人にして力業も任せられる小島聖は貴重な役者。長い手足を見せつけるような衣装で、結構見とれる。最近そんなのばっかだ。

いくつか光る台詞があったけど、「もっと決め付けて」はよかったな。笑える割に奥が深い。

2007年6月10日 (日)

グリング「ヒトガタ」THEATER/TOPS

<2007年6月10日(日)>

祖母の通夜に集まった家族。同居していた者、金をほしがる者、夫婦仲が微妙な者、家族同様に世話をしていた隣家の者、その関係者たち。昔の傷と現在の悩みが錯綜する、通夜の最中の別室の話。

あらすじがそっけないのは家族関係が抜けているから。それを書くと長いのでまあ省略。というか、非常に説明のしずらい芝居。最後の5分でもって行く豪腕はさすが。仕上がりは十分。まだ未解決の問題を残して終わるあたり、いいなあ。

だけどもっといけるはず。全員上手だけど、雰囲気が設定と一致しない役者多し。そんなにひどくないけど、グリングでは珍しい。当初予定の役者が体調不良で交代したけど、それが理由ってこともないでしょう。そんな中では、人形職人役の辻親八と、その息子の妻役の弘中麻紀と、息子の同級生役の杉山文雄がよい。人形教室の生徒役の高橋理恵子は、艶っぽい喪服姿に大満足だけど(違)、設定がかなり強引で、脚本をもう少しなんとかしてほしかった。

それと、目にまぶしい蛍光灯と、つながっている畳(ロールシートのためか)は再考してほしいところ。あれだけ声が筒抜けな部屋で(実際筒抜けていたし)、あんなに密談をしていいのかな、なんて他人事ながら心配したり。

これだけ言うのは期待度が200%くらいまで高かったからで、もちろん芝居はよい。それだけに、あれだけ空席の多い現状は何事かと。前回公演で紀伊国屋に来たお客さんはどこにいったのだろう。

2007年5月21日 (月)

世田谷パブリックシアター企画制作「死のバリエーション」シアタートラム(ネタばれあり)

<2007年5月20日(日)昼>

すでに分かれた夫婦。夫だった男の元に、妻だった女が娘の訃報を知らせに来る。記憶の中で昔を思い出す2人だが、幸福な時間はほとんどなかった。亡くなった娘も、小さいころから独りを好む、さびしい娘だった。

全編を貫く陰鬱な雰囲気。回想場面はできちゃった婚の2人が新居に住み始めるところから始まるけど、最初から先が思いやられる展開。そんな環境で育った娘に友人はなく、親とも距離感がつかめない。そんな娘は「虚無」を友人とするようになる。

夫婦の現在と若い頃と、両方に役者が用意されているけど、主人公は娘ですね。娘を軸に、夫婦の軽率さと、人生が生きるに値しない人間の絶望を描いていて。最後で絶望している夫婦に、若い頃の夫婦の回想場面「なんとかなるよ、大丈夫だよ」という台詞をかぶせるあたり、もうこてんぱんですよ。

なんでこんな暗い話をわざわざ芝居にするんだか、と言いたい所だけど、いかにも昨今の時代の雰囲気にぴったり。というか、他人事じゃないぞ、紙一重だ俺、みたいな。単調な台詞の繰返しが、絶望を深めていく。抽象的な構成のようだけど、周りとのつながりの無さを考えるとむしろ具体的とも。そんな難しい芝居の中で、一人だけ明るく振舞える「虚無」の笠木誠がアクセントに。何といってもあの身体の切れは、観ていて楽しい。

演出が面白くて、背景の一部だけ明るい舞台。まだ希望がある人は明るい部分から出入りするけど、絶望しているひとは暗い部分から出入りする。全員絶望すると舞台全体が暗くなる(笑)。あと、前衛的なダンスみたいな振付で、役者がお互いに触りそうで触らない仕草を多用して、理解しあえない距離感を表現。いくら脚本が海外物でも、日本人っぽくない仕上がりだな、と思ったらフランス人演出だった。ひょっとして、婚外子が多かったり、暴動が起きたり、何かと目立つフランスの社会現象が演出に反映されたのかも。

あんまりにも深刻な舞台だったから、ちょっと一服するためのリンクを貼っておきますね。

最後に、あの不思議な舞台美術の構造がわかる人がいたら教えてください。暗いところと明るいところを、どうやって仕切って出入りしていたんだろう。

2007年5月13日 (日)

ナイロン100℃「犬は鎖につなぐべからず~岸田國士一幕劇コレクション~」青山円形劇場

<2007年5月12日(土)夜>

岸田國士の脚本から、結婚と夫婦を扱った場面を抜出して1本に再構成した芝居。成長の遅い子供と飼っている犬が近所との騒動の種になる「犬は鎖につなぐべからず」。音楽学校の学生が実家に内緒で結婚していたら、兄が突然尋ねてきて「ここの弟あり」。隣同士で住み互いに違う気性のパートナーと結婚している夫婦が、それぞれ相手のパートナーを想う「隣の花」。不和のため新婚旅行から急遽帰宅した妻が姉夫婦を相手に愚痴をこぼす「驟雨」。百貨店の屋上で昔の友人と再会した男だが、現在の境遇の違いからなかなか素直になれない「屋上庭園」。少女時代の恋人と夢の中で出会う「ぶらんこ」。今度出かける旅行の予定を夫婦で話すうちに、旅行に出かけている気分になっていく「紙風船」。

こんなものか。なんかこちらのエントリみたいな文体になってしまった。

現代風にアレンジされた戦前の衣装と、時代不明のカラフルな美術。そこで展開される芝居は(言葉遣い以外は)現代の話と言われても違和感なし。どのくらいが岸田脚本の手柄で、どのくらいがKERAの手柄なのかは不明。結構胸に染みる芝居を、距離の近い青山円形劇場で、というのは大成功。

複数の芝居を平行して走らせるための場面転換を、踊りで振付けたり、ネタにしたりして、堅い話をほぐすあたりは演出の手腕。それぞれの話を微妙につなげるあたり(事故と新聞とか)は、きっと楽しんで考えたんだろうな、と。

ナイロン100℃の達者な役者に、昔言葉が苦手という弱点があるとは思わなかった。その点で役者ごとの差がはっきり。客演の役者はその点しっかり。

屋上庭園だけが他よりもシリアスな話だけど、メインの2人が共に客演でさらにナイロンらしくない展開。そんな中での植本潤の出来が突出していて、ナイロンの役者が霞んでみえるくらいの迫力。今まで(たぶん)観たことなかった人だけど、覚えておかないと。

他には順不同で驟雨の松永玲子、ここに弟ありの廣川三憲と安澤千草、犬は鎖に~の大河内浩、屋上庭園の植木夏十、紙風船の緒川たまきがすばらしかった。

不思議な美術は加藤ちか。円形の舞台をさらに回転させるあたりは「バージニア・ウルフなんて怖くない」の四面舞台でKERAが会得したのであろう作戦で、観る人に親切。ダンスじゃなくて踊りといいたくなる振付が新鮮。「踊れない人を踊れないなりに踊らせる名手、イデビアン・クルーの井手茂太」という紹介は笑ってしまった。なんだか着物が着たくなるような、えらい斬新な衣装は豆千代。

全体に、着物の裾捌きがもっときれいだとよかったんだけど、それよりはスピード感を優先したんだろうな、と自己解決してみる。

2007年5月 3日 (木)

こまつ座「紙屋町さくらホテル」俳優座劇場(ネタばれあり)

<2007年5月2日(水)夜>

戦争中、観光客の減少に伴って、軍の慰問劇団兼稽古場に衣替えしたホテルでは、東京から有名俳優と有名女優を招いて入団審査中。ホテルの女主人はアメリカ帰りの日系人であるため、特高から監視されている。そこへやってきた薬の行商人は、宿泊と引換に入団することになる。実はこの行商人は、天皇陛下からの密命を受けて全国の陸軍施設の現状を隠密調査している海軍大将だった。その大将を尾行していた陸軍の密偵も、行きがかりで入団することになる。全員で3日後の芝居上演を目指すためにいろいろな騒動が起きる、昭和20年5月の広島。

劇中稽古に歌を絡めて、本当の演技指導まで取入れつつ、戦争へのメッセージを織交ぜるという面倒くさい構成をすっきり見せる、非常に良く出来た脚本。3ヵ月後はチラ見せだけで観客の想像に任せているのがよい。

戦争で苦労するのはいつも下っ端で(*)、戦争なんてやるもんじゃないし、戦時中の国家も勝手なことばっかり、守る国民を犠牲にしてとはどういう了見だ、だいたいどこにそんな物資を隠し持っているんだ、というメッセージはまあその通り。

私が食いついたのは「国民の被害が拡がったのは、終戦の決断を陛下に促さなかった私にも上層部の一員として責任がある(大意)」という海軍大将(辻萬長)の台詞。国を会社に、天皇陛下を社長に見立てれば、完敗(倒産)したのはトップの責任だろう、という翻訳をすると、井上ひさしの政治的意見も理解しやすいのではないかと。天皇機関説というか、天皇陛下社長(会長?)説、ですね(**)。なんでこんな見立てを行なったかというと、サラリーマンをそこそこやっていると、組織の長の責任というものにいろいろ言いたいことが(略)。

それよりも注目なのが、いろいろな演技指導や新劇初期の話。なんか残しておきたいと脚本家が思ったんでしょうか。前半終盤の稽古場面は相当面白い。名前を呼びかける場面は、役者の実力を試されているみたい。いろいろ説明される舞台関係者も実名ばかりで、特に築地小劇場の3人については、今回の会場である俳優座劇場に写真が飾ってあるという縁も。

役者(「俳優だ!」)は有名俳優役の木場勝己がいち押し。辻萬長、栗田桃子が続く。陸軍密偵役の河野洋一郎は現在場面がいまいち。有名女優役の森奈みはるは歌声が出ていない。言語学者役の久保酎吉は、手帳の長台詞が迫ってこなかったのが残念(他はよかったのに)。軍の現状を劇団に例えて説明する場面は会場の反応はいまいちだったけど、私は内心爆笑。

何度も上演されるだけの出来です。全員の紹介が終わる前半の前半までは遅いけど、残り4分の3はお勧め。今回は当日券は補助席のみ。多分最大でも15席くらいのはず。

チラシには前回公演のこちら方の感想が載っていました。こちらの方は今回も観たようです(ひょっとして同じ回だったのかも)。ブログからの引用とは最近の事情を反映しているな、掲載許可の連絡はあったのかな、と内容とは無関係なところに発想がすぐ飛ぶ今日この頃。

*:下っ端というのは見下した意味では使っているわけではない。為念。

**:芝居に政治が持込まれるのが私は嫌い。ここは芝居サイトなので、政治については論じない。純粋に、私が会社で(略)な連想が働いて、その副産物として拒否反応が少なく済んだ、ということ。為念。

2007年5月 1日 (火)

青年団「東京ノート」こまばアゴラ劇場(ネタばれありあり)

<2007年4月30日(日)昼>

近未来、ヨーロッパで戦争が行なわれている時世。芸術品を疎開させるという目的でフェルメールの絵画が勢ぞろいした、その割に来館者の少ない都内の某美術館。そんな美術館のロビーで繰広げられる来館者の人間模様。

登場人物またはその関係者のほとんどが戦争の影響を受けているという、近未来の日本。戦争に直接間接に関わって、順調な人たちと悲愴な人たち。そんなご時世に、結婚とか離婚とか介護とか相続とか不倫とかとにかく家族の問題を抱えた人たちがいて。いろいろな問題が密に絡まって、その割に会話はすれ違ってばかり。

で、キーワードとして「観ること」が出てくる。

  • 「絵を観るのは難しい。対象と、画家が観た対象と、どっちを観ているのかわからなくなる」
  • 「本物の風景や人物より、絵に描かれた風景や人物のほうがきれいに思えるのはなんででしょう」
  • 顕微鏡と望遠鏡の話。
  • 長女がカメラを多用する。
  • 「絵を描いてください。ちゃんと私を観て」

こういうことを、絵画の美術館という場所で、フェルメールという画家を持ってくる(「彼の絵は窓を向いたものばかり。光の当たるところがはっきり見えて、他が真っ暗になる」だそうです)、というお膳立てが凝っている。

遠くの戦争も近くの家族問題も、いろいろな現実を、フィルターを通すのではなくて、自分の眼で観るようにしろ、ということですかね。いや、非常にうなずくところがあったのですけど、終盤でずいぶん直截的な台詞が目立ったので、平田オリザってこんな作風なんだ、と(過去には「S高原から」しか観たことがないもので)。

学芸員が弁護士に突然絡む場面だけ、いまいち腑に落ちず。「いつも別の事を考えているように思える」「うちの館長はいい絵を手に入れるためなら金に糸目はつけないからね」という台詞はあっても、いきなりあんな話をするのはいかがなものか。何か台詞を聞き逃したのかな。こちらの方はずいぶんいろいろ感じ取っていたみたいだけど。

そして今公演の一番の見所は、戦時の日本の振舞が描かれた世界観ではなく、2階も上手に使った非常に美しい舞台美術でもなく、登場人物のほとんどが男女問わず異常に脚の細いところではないかと愚考する次第であります。

最後は難癖。その1。当日パンフの配役表では、カップル3組は誰が誰だかわかりません。ネタばれとの兼合いも難しいところですけど、もう少し頑張ってほしかった。

難癖その2。開演前にロビーの様子を観にきていたのは平田オリザご本人だったと思いますが、すでに当日券キャンセル待ち組への発売が開始している中、ぎりぎりにやってきた関係者予約の人へチケット発売->挨拶というありがちな光景を拝見しました。パルコ劇場あたりではよく見る光景ではありますが、チケットが手に入るかどうかやきもきしている人たちの前でそういうことはできれば控えていただければ、と。10分前になったら予約解除していただけるとすっきりしてありがたい。

2007年4月15日 (日)

パルコ企画製作「コンフィダント・絆」PARCO劇場

<2007年4月14日(土)夜>

エッフェル塔が建築中の頃のパリ。当時無名の画家であるゴッホ、ゴーギャン、スーラ、シュフネッケルの4人は共同でアトリエを借りていた。芸術家として成功を目指すという点で繋がれた性格も経歴も違う4人だったが、モデルとして雇った女性をめぐって、その違いが露になっていく。

三谷幸喜の新作。共同でアトリエを借りたりとか、そういうのが事実かどうかはわからないけど、そんなことは関係なく楽しめる。モデル(堀内敬子)が歌いだしたときは「うわーこまつ座かよ」と思ったけど、堀内敬子の歌は上手だし、芝居中の歌の量は控えめだし、生ピアノだと違和感が減るし(むしろお洒落)、実は歌詞がよく出来ているし、いいアクセントになっていた。

それぞれの画家の性格をはっきり演じ分けた、華も実もある役者4人は言うことなし。個人的には生瀬勝久と寺脇康文が特によい。ドタバタで笑わせるは中盤の1回だけ。三谷作品の女性はエロ皆無でロマンティック路線全開だけど、まあ誰も三谷幸喜にエロは期待していないだろうからよし。

生ピアノだけでなく、劇場ロビーに4人の作品を飾るあたりも、お洒落でいいです。

連続成功で有頂天真っ只中な三谷幸喜による、身もふたもない芸術論の本作は、今まで観た三谷作品の中で一番面白い。まずは鑑賞能力がないと始まらない(大意)というのは今回一番気に入った言葉。値段高いしチケット売切だけど、観られるものなら観ておけというお勧め作品。

あと、自分はロートレックだと三谷幸喜本人が思っていることに100ペリカ。