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2024年4月10日 (水)

青年団「S高原から」こまばアゴラ劇場

<2024年4月6日(土)昼>

他人には伝染しないが緩やかに死に向かう病。その病気にかかった患者向けに高原に作られた療養所。そこに入院する患者と、お見舞いに来る人と、働く人たちのある日の様子を描く。

これで三回は見ているはずの、青年団を代表する一本。スマホが出てくるけれど電波が届かない扱いになっていたり、微妙に設定は現代にアップデートされていました。ただ、細かい設定の違いは除いても、会話をそこまで大袈裟にいじるわけにはいきません。そこを追うと登場人物には20世紀生まれ20世紀育ちいまも20世紀の雰囲気を多く感じました。

ただ、スマホが出た後のいつ頃の想定なのかは芝居からは窺い知れません。ジブリの風立ちぬのことはこちらが先だから出さないのはごめんなさいと当日パンフで謝っていたから、それより後(2013年以降)、やっぱり現代を想定してアップデートしてきたのだと思います。

ただし本当に現代だと、ネットで暇をつぶす患者や(金持ち向けの療養所なのにネットが入っていないってことはないはずですけど)、それゆえに通販で何でも買っちゃうような人(金持ちなので)がいてもおかしくありません。脚本がいつの時代まで現代を保って更新できるのか、平田オリザが挑戦していたのかもしれませんが、その分だけ脚本の完成度を崩してしまってやや中途半端な感はありました。

そんな中では、島田曜蔵演じる看護人の、我慢を堪えるうちに怒りだす様子に一番今を感じました。元からあんなに怒っていた役かは覚えていないですけど。あれをもっと若い役者が演じると、きっと淡々とこなすような演出になるのかもと考えながら観ていました。あまり時代の影響を感じなかったのは、初めに出てくる患者と婚約者とその付添いの友達のところと、お見舞いに来ていた三人組のところです。怪獣の靴の兄妹や絵描き関係は今回かなり引っ込んで見えました。

演出の違いか役者の違いかはわかりませんけれど、設定は古いままのほうがもう少し逼塞感が強まって、死でも性でも雰囲気が強く漂って、そのほうがこの芝居は好みかなと思ったり思わなかったりします。いっそ百年経てば初演の脚本が古典として固定されると思いますけど、それを生モノとしてアップデートしようとすると現代劇は難しいですね。スマホの発明はそれだけ世の中を変えたのだと実感しました。

2023年12月24日 (日)

株式会社パルコ企画製作「海をゆく者」PARCO劇場

<2023年12月16日(土)昼>

アイルランドの田舎町。仕事を辞めて久しぶりに家に戻ってきた弟は帰ってきて早々、目の見えない兄が友人と酒を飲み明かす世話に追われることになる。それから数日が経ったクリスマスイブの日、兄と兄の友人と三人でクリスマスを祝おうと街で買物をしてくるが、目を離した隙に兄が弟と因縁のある男を呼んでしまった。男はバーで知合った紳士も一緒に連れてやってきたが、弟は昔、その紳士と出会ったことがあった。

三演目ですけど、初演を観て、再演は見送って、今回また観ました。当時は吉田鋼太郎が演じていた兄が高橋克美に交代したものの後の四人は継続です。観終わっての満足度は高いです。

初演の記憶よりもずいぶんとわかりやすくなっていたような気がします。初演がプレビュー公演でまだこなれていなかったからでしょう。吉田鋼太郎の声の大きさと勢いに引張られていた前半が高橋克美で整理されて、弟の平田満にスポットが移ってはっきりしていました。加えて兄の友人の浅野和之、因縁のある大谷亮介がこなれていたからでしょう。初演のときよりも派手目になっていました。

ただ、浅野和之と大谷亮介はややこなれすぎな感もありました。どこで受けるのかわかってやっているというのかな。いや面白いんですけど。後半修正してきていました。その点は磨いた感がある平田満、交代して役の大きさを見せてくれた高橋克美のほうが好みでした。

高橋克美は汚いことを気にしないおっさんという立場を痰を吐くという工夫で浅野和之と連携して笑いを取っていましたが(初演にはなかったような)、客席から「やだぁ」と言われているのが印象的でした。痰を吐く人って最近見かけなくなりましたね。そして名前の呼びかけで思いっきり台詞を間違えていましたけど、客席に言うような言わないような風に謝って進めてしまえるのがベテランです。身体に丸い愛嬌があるんですけど、神様に祈るところはすっと決めるあたりもベテランです。

そしてずっと同じ役を務めているのに今回が初演ですといわんばかりの緊張感を見せてくれたのが小日向文世。新鮮だったというのかな。受けやすい役ではありますけど、新鮮さの点では一頭地が抜けていました。手練れ揃いの5人で誰が一番かといえば私は小日向文世でした。

で、初演の感想で「落込みそうなところで観ると慰められるというか励まされるような芝居で、実際励まされるところがありました」と書きましたが、今回はその感想に加えて、この芝居は駄目なおっさんだって一生懸命生きて何が悪いと小さくつぶやくような芝居だとも言いたい。やっぱりいい芝居です。ただし、それを演じているおっさんどころか年齢だけならじいさん5人は全国のじいさんたちの上澄みで、魑魅魍魎のうごめく芸能界という荒波を乗切ってこの場に立っている海千山千のつわものです。そういう意味では5人とも「海をゆく者」ですね。

2023年11月12日 (日)

世田谷パブリックシアター企画制作「無駄な抵抗」世田谷パブリックシアター

<2023年11月11日(土)夜>

とある町の駅前広場。なぜか半年前から電車が止まらなくなり、かつての賑わいが閑散としてしまった。そこにやってきた大道芸人は何も芸をしないで広場にやってきた人たちを眺めるばかり。ある日、その駅前広場でカウンセリングのために二人の女性が待合せた。患者は町で歯医者を開業しており、カウンセラーは一時期テレビでもてはやされた占い師で、二人は付きあいは薄くとも小学校の同級生だった。かつてカウンセラーの女性に言われた言葉が胸に刺さっている、だからあなたのカウンセリングを受けたいという歯科医の女性に、カウンセラーの女性はカウンセリングを引受ける。駅は動いているのに電車が止まらない駅前広場でカウンセリングが始まる。

初日。イキウメの面々にゲストを迎えてのプロデュース公演は、駅前広場をギリシャの円形劇場に見立てて、あの有名なギリシャ悲劇の構成を上手く用いて、笑いは少な目ながらも実に完成度の高い仕上がり。そしてこの時期に上演するからには一般論以上に当然あの事件を連想しますよねという物語。

キャスティングで患者に池谷のぶえ、カウンセラーに松雪泰子というのが良く考えられていて、逆にしなかったところがいい。終盤のやや急な展開のところを個人技で押しきったところは池谷のぶえの面目躍如。そのほかの面々も持味発揮。スタッフワークもばっちり。この舞台美術はいろいろな芝居に再利用できるんじゃないか。

この仕上がりに一切文句はない素晴らしいものだし、駅は動いているのに止まらない電車と何もしない大道芸人を使った比喩が寓話らしさを出しつつさらに射程を広げていた。

だからこそもっともっとそれ以前のところで、観客という立場である私個人との見解の違いにすれ違いも感じた。その点で「無駄な抵抗」というタイトルの正確さには深く同意する。この話を話すと長いので感想後日。というか思った感想を書ける自信がない。

まあみなさん観てください。世間の感想が知りたい。

2023年9月18日 (月)

梅田芸術劇場企画制作「アナスタシア」東急シアターオーブ

<2023年9月17日(日)夜>

帝政ロシアに革命が起きてロマノフ王朝は滅亡したが、パリで過ごしていて難を逃れた皇太后以外に、死体が見つからなかったため皇女アナスタシアはまだ生きているのではと噂されていた。アナスタシアを見つけたものには報奨金を出すという話に、サンクトペテルブルクでくすぶっていた詐欺師ディミトリと元伯爵のヴラドはアナスタシアの身替りを探す。そこにやってきたのが偽の国境通過証を求めるアーニャ。記憶喪失だがパリに行きたいとロシア中を歩いてサンクトペテルブルクまでやって来たという。これはものになりそうだと二人はアーニャにアナスタシアの情報を覚えさせてパリを目指す。

この日はこんなキャスティングでした。ミュージカルはダブルキャストどころかトリプルキャストまでやるので忙しいですね。私はこだわらずに時間の都合だけで観に行きましたけど、目当ての役者がいる人は大変です。

・アーニャ:木下晴香
・ディミトリ:内海啓貴
・グレブ:堂珍嘉邦
・ヴラド:大澄賢也
・リリー:マルシア
・リトルアナスタシア:鈴木蒼奈

筋は前半がロシアからの脱出、後半がパリでのあれこれときれいに通っているのでわかりやすいです。木下晴香は台詞はやや軽いですけど、歌は声に重さが乗っていていいですね。個人的にはややチャラいヴラド伯爵を演じた大澄賢也と、なんといっても皇太后をシングルキャストで演じた麻美れいがいいです。

日本語歌詞のイントネーションが曲の旋律に乗りづらいところ、麻美れいだけは少し台詞っぽさを混ぜていたのがよかったです。あれは海外もののミュージカルをやるときの解法のひとつだと思いますけど、他の人はあまりそういうのはありませんでしたね。

他にも劇中劇で白鳥の湖の超ダイジェストをやってくれるんですけど、全員上手でしたね。この前観ておいたのであれは王子様こっちは邪悪な魔術師と中身がわかってよかったです。

この日はアフタートークがありましたが、ちょっとリピーターチケットの宣伝が多すぎた。主役二人はフリートークが苦手そうだったので、事前に聞きたいこと質問しておいた方がよかったのではないかと思います。だいたい客が聞きたいのは、自分が芝居のどこで悩んだか(または大事にしたか)、相手役をどう思うか、同じ役を務める他の役者をどう思うか、くらいに集約されるでしょうし。その点、大澄賢也の「今回はあまり役を作らずに地でいけた」「いくつになってもときめきは大事ですよ」(どちらも大意)はアフタートークとして面白かったです。

あとは映像パネルを多用した美術が本当に見事だったんですけど、あれは映像を映した上にさらにプロジェクションマッピングを重ねて奥行きを出しているそうです。あとパネルとケーブルには絶対に触るなと厳命が出されているとか。あれは、映像も美術も海外のものをそのまま持ってきたのかな。クレジットがよくわかりませんでした。場面転換を素早くするために、オブジェらしいオブジェは上手と下手に固めて、電車みたいな大物はたまにひとつだけどんと出して、非常によく考えられていました。

話だけを考えると、前回の公演から今回の公演の間にロシアのウクライナ進行があって、あとはパリのエッフェル塔での写真撮影騒動があったりして、芝居鑑賞に邪魔くさい現実社会のノイズが増えているんですけど、それはそれ、これはこれで気にせずに観るのがよいかと思います。

2023年5月29日 (月)

インプレッション製作「ART」世田谷パブリックシアター

<2023年5月28日(日)昼>

ここしばらく現代アートに熱中してきた皮膚科のセルジュは、大金をはたいて巨匠の白い絵を買ってきた。エンジニアの親友のマルクを我が家に呼んでお披露目したところ、マルクがこの絵と、絵を買ったセルジュをけなしたことで2人は険悪になる。この2人の親友のイヴァンは双方から話を聞くが、自分の結婚準備が忙しいのも相まって話がうまくできない。3人が集まって楽しむ予定の晩、お互いが歩み寄ろうとしていたが・・・。

ヤスミナ・レザの翻訳物。観たことのある芝居だと「LIFE LIFE LIFE」があります。イッセー尾形、小日向文世、大泉洋という人気者3人が揃ってつまらないはずがなく、実際面白かったのですが、少しひねって来ました。それも含めて面白かったです。

相手の持っている絵をコケにするところから始まって、3人の男の会話のすれ違いから段々と剣呑な雰囲気が高まっていく展開。3人それぞれが性格に欠点があって、だけど相手を非難するときは的確に非難するという、非常に面倒くさい3人です。これを素直に丁々発止で上演すればコメディーですし、実際、笑える場面も多数ありました。

けど、少なくともイッセー尾形はその脚本の流れから外してきました。もう少しこう、喧嘩をするおっさんのみっともなさと、そんなおっさんだけど一寸の虫にも五分の魂があるんだぞというあたりを狙ってきました。おそらく、十五年来の親友でいい年なのにフランス人とはいえこんな露骨に喧嘩をするものかという辺り、脚本の人物造形に一言あったのだと思います。サブテキストを含めて、ごっそり自分のやりたい方向に引寄せた印象です。

小日向文世もおそらくイッセー尾形に乗っていたはずですが、これはちょっと上手すぎてどのくらいずらしたのかさっぱりわかりませんでした。嫌味になりすぎないように注意していたのはわかりましたが、脚本通りものすごく自然に演じたようにも見えるし、脚本よりは丸めたと言えなくもありません。3人の中では一段若い、とはいっても40歳の友人の設定の大泉洋は、ここまで独身だった男の稚気を、脚本が許す範囲と、実際にいそうだな、という範囲の間で最大限デフォルメすることを狙っていたようです。

で、三者三様で微妙に方向性の違う役作りがどうだったかというと、そもそも喧嘩する設定と相まって、面白かったです。何に感心したって、途中からはおっさん3人の喧嘩が続くのに、うるさくない。途中でダレたり、特定の誰かに肩入れして敵味方を作りたくなりそうなものですけど、誰の方向にも倒れそうで倒れないコマが最後まで回りきってラストにつながりました。あれは並の役者には務まらない。脚本には、芸術には不思議な力があるというメタなメッセージもあったように思いますが、それも含めて成功していました。

この3人の出演で演出家が小川絵梨子だと2020年の案内で知ったときに、さすが人気者の演出をまかされるとは売れっ子演出家だ、くらいの感想でした。でもこの、多少笑いを犠牲にしてもずれを生かして最後まで持っていくのは、他にできる人がいないとまではいいませんが、小川絵梨子ならではの演出でした。同じ小川絵梨子演出の「おやすみ、お母さん」で那須凜が狙って及ばなかったことをイッセー尾形は成立させていました。逆かな。新型コロナウイルスで途中で公演中止になったとはいえ、すでにこういう実例を成立させていたから、「おやすみ、お母さん」でも挑戦してみたのかもしれません。

あと、新国立劇場主催の芝居に実験的、育成的な要素が多いだけ、こういう人気者の芝居を芸術監督自らが再演の機会に新国立劇場に引張ってきてもいいと思うのですが如何。天井が高くても両端の間口をがっちり作っているから案外コンパクトにできるんですよね、世田谷パブリックシアターは。観る分には世田谷パブリックシアターで贅沢させてもらいましたが。それとも前回の上演計画を全うするためにはしょうがなかったか。

2023年5月18日 (木)

イキウメ「人魂を届けに」シアタートラム

<2023年5月17日(水)昼>

人里離れた森の奥の家で暮らす「お母さん」と住人たちの元に、刑務官の男がやってくる。執行に関わった死刑囚が死刑のときに身体から人魂が落ちた、気になって取っておいたが周りの人間に声が聞こえてうるさいから捨てて来いと言われた、書類上は前例がないので恩赦と書かれている、それなら死刑囚が「お母さん」と呼んでいたこちらに届けるべきと考えたから、という。人魂は受取られたが、家にいた一人は刑務官が森に来る前に会った男だった。時間が合わないはずなのになぜここにいるのか。刑務官は家で暮らす人たちと会話を始める。

よくわからないところから始まって観ていくうちに明らかになっていくのは、タイトル通り人の魂を扱った話。いかにもイキウメらしい芝居で、かつ非常に丁寧な仕上がりでした。丁寧というだけでは雑な感想なのですが、ちょっとうまい言葉が見つからない。

魂という切口で現実の問題を取上げるためにはオカルトに陥りすぎないことが必要です。昔のイキウメならもっとオカルトに振ってきたんじゃないかと思いますが、刑務官というメインの役を置くことでなるべく観客が戻ってこられるようにする工夫がされていました。たまに左派というかリベラルな話題が混じりますが、その辺は昔ながらのイキウメです。観ていて醒める前に終わりますから気にしないで観続けましょう。

ネタバレしないように書くのも難しいですが、平野の話と、応募の話はつらいものがありました。あとラスト、あれは昔のイキウメならそうしなかったよね、という感想です。今の時代っぽいラストでした。

演じる側もよかった。いつもだと安井順平が目立ちますけど、今回はゲストを含めて全員の水準が揃っていました。特別上手いとは言いませんけど、何ていうか、繊細ともまた違うし、一体感というのも違う。役者同士の絡みが少ない脚本で、自分の持ち場で掛軸の描かれた和紙を2枚に剥離する作業を求められて、それを役者ひとりひとりが全員うまくはがせたというか。意味不明ですいません。あと、篠井英介の使い方はちょっとずるいと思わなくはないですが、思いついたらやりたくなるのはわかります。

イキウメは、誰が観てもよくわかる話と、曖昧な設定で積極的に観にいかないと置いていかれる話と2パターンありますが、今回はそこまでひどくないものの後者寄りです。最後にきれいにつながりますが、前者の代表である「散歩する侵略者」とか「関数ドミノ」みたいな明快な話を期待した人には厳しいかもしれません。カーテンコールは2回でしたから。でも仕上がりは高水準でしたし、こちらのほうがイキウメの本分というか、根っこに近い芝居じゃないかと個人的には考えます。

2023年4月24日 (月)

株式会社パルコ企画製作「ラビット・ホール」PARCO劇場

<2023年4月23日(日)昼>

一人息子を車の事故で亡くして8か月、セラピーに通うのを止めた妻と通い続ける夫。家には子供の面影があちこちに残る。妻の妹は姉に気を使うも恋人の子供を妊娠し、妻の母は慰めようとして逆に積極的に息子の死を話題に持出す。妻と夫の関係がぎくしゃくしたある日、事故の車を運転していた青年から一度会いたいと手紙が届く。

機微に触れる話題が最初から最後まで続く脚本。どこかで気を抜くと全部が駄目になる脚本を、役者、スタッフ、演出家が同じ目標を目指して仕上げた1本。迷ったけど観てよかったと断言できます。

宮澤エマ演じる妻の、まだ立ち直れているようないないような心境を、周りがかき回してやっぱり立ち直れていないところが続くところ。成河演じる夫の、立ち直っているように見えて引きずりつつ夫の義務と妻への諦めの合間で悩むところ。シルビア・グラブ演じる母の、強引と母は強しの両立。土井ケイト演じる妹の、この芝居唯一の癒し系おとぼけポジションを維持しながら正面から言葉をぶつけるたくましさ(笑)。観た回では山﨑光が演じた青年の、悪気はないし反省もしているけど空気も読めない絶妙のライン。全員、脚本の求める理屈に魂を込めることに成功した役作りでした。

直線を多用した舞台、転換時の線のはっきりした照明、シンプルな音楽、柄の少ない衣装は、ソリッドという言葉を体現した一体感を持たせて、芝居の緊張感を保つのに一役買っていました。そういう面も含めて、演出の藤田俊太郎がよくぞ最後まで繊細さを実現して引っ張りきりました。

この脚本は意地悪なところがあって、妻の心境の変化は丁寧に追うけど夫の心境は観客の推測に任せているし、思い出のビデオを消してしまったのが妻の間違いなのかわざとなのかはわからないしで、演出と役者にゆだねられているところが多い。でも、ありそうやりそうわかるかも、の連続ですね。後半のわりと後半まで引っ張っての、ふっと抜けるところは絶妙です。けど、夫の職業がリスク管理会社のマネージャーだったか、あの傷に塩を塗るような設定は、聞いて内心泣かずにはいられなかった。

ひとつだけ難を挙げるなら、翻訳。たまたま前日と同じ小田島創志の翻訳だったけど、こっちのほうがなんというか、たまに印象がぶれるときがあった。特に序盤。自然な言葉を目指すために稽古場で役者が変更を提案して、翻訳者が片っ端から通したってどこかのインタビューで読んだけど、詰め切れていなかったと思う。多少ならまだしも、翻訳者が責任を持って統括して、役者がそこに魂を込めていくほうがいいのではないか。

2023年3月14日 (火)

Bunkamura企画製作「アンナ・カレーニナ」Bunkamuraシアターコクーン

<2023年3月12日(日)昼>

19世紀のロシア。公爵の次女であるキティは田舎で領地経営を行なうリョーヴィンと惹かれあっていたが、親の決めた青年将校ヴロンスキーと婚約するためプロポーズを拒否する。公爵の長女であるドリーはすでにオブロンスキーと結婚して子をもうけていたが、オブロンスキーの浮気に激怒する。兄のオブロンスキーから仲裁を頼まれた妹のアンナも子を持つ既婚者だが仲裁のためにモスクワに上京する。ここでアンナと出会ったヴロンスキーが恋に落ち、ペテルブルクまで追いかける。婚約者に逃げられたキティは憔悴し、浮気相手が地元までやってきたアンナの夫カレーニンは何とか事を収めようとする。だがアンナの妊娠が発覚する。

小説を読んだことがない私が超おおざっぱにまとめると、愛と結婚とは何か、という芝居でした。タイトルロールのアンナを巡る三角関係と、ドリーが浮気した夫をどうするかと、キティが果たして復活できるかと、大まかにこの3つの関係で描きます。

ただ宮沢りえ演じるアンナ・カレーニナの役どころがヤバかった。浮気したところまではまあいいとして、モスクワの社交界での扱いに耐えられずに、しまいにはヴロンスキーのことまで疑うようになっていく有様はメンヘルの一言です。宮沢りえの説得力でかろうじて成立するくらいです。

そして一度はドリーに許されたもののまた遊ぶオブロンスキーに対しては、就職口が決まって借金を返す当てはついたものの、ドリーは出て行くことを選びます。

さらにこの演出は、その陰で子供が犠牲になることを描きます。アンナはカレーニンとの間にもうけた息子を引取ろうとしますし息子も母恋しさに父に反抗しますが、ならアンナが引取ればいいのか、カレーニンの何が悪かった、という問題でもあります。

小説は未見ですが、チラシにある「真実の愛を求める人間たち」は、まあ嘘ではないでしょうか。どちらかというと、浮気相手に走ったアンナ、浮気したオブロンスキー、双方に対して突き放した感じのある演出でした。

このドロドロとの対比でひときわ輝いてくるのがキティとリョーヴィンのカップルです。チョークと黒板を使った二度目のプロポーズの場面や、初産を控えて誤解と思い込みで喧嘩するところから仲直りする場面など、言葉を選ばずに言えばバカップルです。なのですが、いいじゃないか小さな誤解くらいと思わせる勢いがあります。ここで振りきった浅香航大と土居志央梨は記録しておきたい。

神父を目指していたリョーヴィンの兄を看取る場面、妻の出産の無事を願って「誰もいない部屋でひとり言葉をつぶやくならこれは祈りではないか(大意)」と気がつく場面、こちらのカップルに色恋を超えて相手を想う愛が描かれます。

個人の意思の尊重が行き過ぎて夫婦も子供も訳が分からなくなった現代社会です。それもいいけど、夫婦と子供という基本のコミュニティについてもう少し考えなおしてみないか、個人の自由と家族を維持する努力とに折合いを付けてみないか、自分で行動できる大人と庇護を必要とする子供との違いに目を向けてみないか。そういう演出だと私は受取りました。最初1時間くらいはとっちらかった座組だなと思っていたのですが、終わってみたら子役含めていい座組に見えた、そういう芝居でした。

私が最近ラノベを読みすぎて「真実の愛」と見ると後ろに「(笑)」が浮かんで見えるようになってしまったで、その点は差引いてください。

2023年2月16日 (木)

パルコ企画製作「笑の大学」PARCO劇場

<2023年2月11日(土)夜>

昭和戦前。浅草の喜劇劇団「笑の大学」の座付作家は、来月上演する芝居の脚本の検閲結果を確認するために警視庁を訪れる。今月から担当になった検閲官はこのご時世に喜劇の上演はけしからんという堅物。脚本の書直しか上演中止かを迫る検閲官に、座付作家は翌日までの書直しを選ぶ。

名前は知っていたけど観たことがなかった三谷幸喜の再々演二人芝居。無理な書直し指示と、それをかいくぐろうと更新される脚本。粗筋で展開はだいたい想像がつきますね。そして文句なしに面白かったです。

キャスティングは2人ともはまり役でした。座付作家の瀬戸康史は笑わせたがる性分と、何とかしてやろうという根性の両面を表現。検閲官の内野聖陽は度が過ぎていらいらするくらい堅物でありつつ、家族その他の話で奥行きを表現。観たのが日程初期のため2人とも若干固いところが残っていましたが、それがむしろ設定に合って良い方向に作用していました。

シリアスな設定と喜劇脚本という相反する組合せ、起承転結とおもいきや起承転転結の展開、昨今の流行よりやや押さえられた情報密度と展開速度でありつつ1時間50分に収まる無駄のなさ。どこを取っても一級品の脚本に恵まれたキャスティングで、誰が観ても面白い仕上がりはさすが三谷幸喜です。若干難癖をつけるなら音楽はもっと少ないほうがいい、少なくても行けたと思いますが、その辺は好みの範疇です。

昔の上演を観た人は比べてあれこれ言うかもしれませんが、映画も含めて観たことのなかった自分には文句ありません。開演から4ステージ目ですが3割くらいスタンディングオベーションでした。ひねくれものの私でも観終わって思わずスタンディングオベーションで腰を浮かせそうになった出来です。いまさら緊急口コミプッシュを出したりしませんが、大満足でした。

ここまではすぐに思いついた感想で、ここからは蛇足の妄想です。

この芝居は検閲官という役と時代背景を置いていますが、個人的にはスポンサーやいわゆるお偉いさんのことを揶揄した芝居じゃないかと読みとりました。

三谷幸喜は自分の芝居や劇団を、劇場を出た後はなにも心に残らないような芝居が理想、同時代に何も影響を及ぼさなかった劇団などと評しています。この辺りは喜劇好みの三谷幸喜が狙っていた作風でもあるでしょう。

今でこそお笑いが一世を風靡していますが、笑いや喜劇を一段下に見る風潮は、20世紀にはまだ残っていました。個人的には、笑いを目指してつまらなかった時のつまらなさ、くだらなさ、醜さの下限がストレートプレイよりひどくなるという笑いの特性に基づくもので、今でもまったく根拠のないものでもないと考えています。それはさておき。

この芝居の初演はラジオドラマで1994年。劇団は10年目、脚本家としてもキャリアを積んでいましたが、まだ大手を振って威張れる前の時代です。後に「ラヂオの時間」のもとになった脚本を書直された1993年のドラマ「振り返れば奴がいる」の翌年で、古畑任三郎の初回は1994年です。

何を言われようが受入れて書直す、なんならそれでもっと面白くして見せる、という本作の話は、そのころの三谷幸喜の脚本家のキャリアから来た話だと思います。それをそのまま描くわけにはいかないので検閲官という設定まで出てくるある種壮大な喜劇論になってしまいました。が、結果として「劇場を出た後はなにも心に残らないような芝居が理想」を作風とする三谷幸喜としては異色に分類されます。他に観てわかる限りでは、離婚を扱った「グッドナイト スリイプタイト」くらいです。

25年ぶりの上演について三谷幸喜は、似合う役者が見つかるまで上演したくなかったと言っています。それ自体は本当でしょうが、自意識が前に出ている脚本を上演したくなかったという気持ちもあったのではないでしょうか。それを解禁していいと思えるようになった心境の変化がどのようなものかはわかりません。ただ、今後の新作はもっと伸び伸びとした芝居が増えるような気がします

2023年1月 9日 (月)

パルコ企画製作「志の輔らくご in PARCO」PARCO劇場

<2023年1月7日(土)昼>

子供が習っているそろばん教室の先生の息子が結婚したと先生にお祝いを言いに来たのはいいが余計な一言が多い「まさか」。新作を盗作されて身投げするところを助けた狂言師のために長屋の連中が面白い話を教えようとする「狂言長屋」。堅物で通るが実は芸者遊び好きな大店の番頭が内緒で芸者を連れて向島の花見に繰りだしたらうっかり店の旦那と鉢合わせ「百年目」。

吉例企画。この劇場でやるからにはと噺以外の趣向も用意しているのでそこは観に行ってからのお楽しみ。おなじみのオープニング一言からマクラも工夫しての前半戦は素直に楽しむ。3本目だけ、もうちょっと縮めたほうが自分には好みだけど、人情噺なのでたっぷりのほうが好きな人が多そうで悩ましい。

面倒なことは考えずに素直に笑える、年の初めの1本に適した演目が選べて満足です。

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