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2021年12月13日 (月)

Bunkamura企画製作「泥人魚」Bunkamuraシアターコクーン

<2021年12月11日(土)夜>

都会の片隅、店主は昼間はぼけ老人だが夜はうどん屋の娘をくどくダンディーな詩人の二面性を持つ男が店主のブリキ屋に、主人公は居候している。そこに故郷の関係者が次々と訪ねてくる。そこに、漁師の養女だった娘がやってくることで話は展開する。

粗筋を書くのはあきらめました。ネタバレってほどでもないので書くと、諫早湾の干拓事業による地元関係者の苦悩を元に、これぞ唐十郎、これに比べたら野田秀樹なんてわかりやすすぎて困る、というくらいの詩的脚本で書いた一本。正直、物語を追うものではない。

前半、主人公の磯村勇斗と店主の風間杜夫がメインになるのだけど、非常に不調だった。喉がイガらっぽかった磯村勇斗が出だしでつまづいて、そのまま休憩時間まで取り戻せなかった感じ。後半に宮沢りえの出番が増えたところから巻き返した。この訳の分からない芝居を巻き返したのはすごい。六平直政がいい出来だったのに加えて身体まで張って熱演。愛希れいかも宝塚出身でこのアングラに立ち向かえていたのは感心。

オープニングの美しさを含めて、音響照明が素晴らしかった。だけど特に後半、音と明かりで盛上げたと思ったら元に戻す、の繰返しで興醒めすること著しい。あれは演出が悪い。そこからネタに走るならまだしも、もう少し考えてほしい。

諫早湾の話が一段落した現在、雰囲気に浸れるかどうかで評価がわかれる芝居。個人的にはいまいち入り込めなかった。シアターコクーンは思っていたよりも広い劇場で、あの空間を雰囲気で満たすのは相応の技量が求められるのだな、これまでこの劇場で観てきた芝居は選ばれし精鋭たちによって上演されていたのだな、と再認識。

2021年11月23日 (火)

世田谷パブリックシアター企画制作「愛するとき 死するとき」シアタートラム

<2021年11月20日(土)昼>

東ドイツの学生の青春と終わりを描く第一部。東ドイツで反体制派だった父は逃げ伯父は捕まった母と子供たち兄弟、12年後、それゆえに大学に入学させてもらえないと屈折した青春を送る家族の前に釈放された伯父が戻ってくる第二部。妻子を持ち仕事で単身赴任する男が、赴任先で出会った女と恋愛関係になる第三部。

観て得るものはあったけど、もう一回見直してもまだわからないだろうなという超がつくほどの不親切芝居。時間を置いて書こうとしたら大まかな話の流れすら思い出すことがおぼつかない。

青春モノとか日常モノのとか、うっかりすると「劇的な」イベントがなく淡々と過ぎてしまう、ただでさえ舞台と相性の悪いジャンルで、本当に淡々とした脚本。そこに、ベルリンの壁が崩壊して30年以上経つ東ドイツが舞台という悪条件で、脚本にない情報を補足してほしいところ一切なし。かつ、覚えづらい名前の大勢の登場人物が第一部から第三部まで全員入替る上演なのに、第一部と第二部は登場人物を浦井健治や高岡早紀も含めた全員が複数役で演じるという混乱に輪をかける上演スタイル。

つらい世の中では子供から大人までまんべんなくしんどいよね、そんな世の中でも生きていくなかで恋愛は苦いことも多いけど必要だよねという脚本家の想いと、いまのつらい世の中は東ドイツ時代の閉塞感と似ているからそこを舞台にすることできっとむしろ現代らしく描けるはずだという脚本家の思いつきが合体したのがこの脚本のはず。それを、「チック」みたいな芝居他にもありませんかと2匹目のドジョウを狙った制作に、日本もつらいからぴったりです、学生とかつての学生の青春モノです、大勢の役が登場するけど「チック」みたいにひとり複数役でやります、とドイツ語の読めない制作を演出家が丸め込んで上演した。妄想レベルで考えると、そのくらい関係者のすっとぼけがないと上演された理由がわからない。

地味でわかりづらい脚本なのに、演出が何をやりたいのか見えなかったのがひとつ。それと交互に複数回出てくる役を、全員が複数役でやるというのがとにかく悪手で、複数役の演じ分けがほとんどわからないのがもうひとつ。「チック」は主役固定、かつロードムービー風なので一度出てきた役は後からほとんど出てこないという有利な面があったけど、これはそうではない。もう、観ていてわからないことによるストレスが大きすぎる。

で、わからなかったことへの文句を散々書いた後で得たところの話。ひとつは第二部の伯父。(たぶん)政治犯収容所のようなところで12年過ごして丸くなった伯父は、普通なら自殺していてもおかしくない。そこをしぶとく生きて、兄嫁(兄弟の母)に結婚を申しこんで一緒に暮らす。この伯父が、好きな女の子を兄に取られて落込む甥を酒場で「目立つな、英雄を気取るな、列に並んでみんなと一緒に行動しろ(公式サイトより)」と励ます場面。言葉をそのまま読んだら格好悪い台詞だけど、ここを浦井健治は、チャンスが巡ってくるまで何よりもまず生き延びろ、というニュアンスでやった。伯父役はぼそぼそと話す役作りだったけど、そこからさらに声を落としたこの場面が、実際に生き延びて甥の母と結婚した伯父の役や、他の場面で自殺する学生がいたことと合せて考えると、全編を通して鍵になる場面だったのかなと思い返す。

得たところのもうひとつは、役者としての浦井健治。観客の妄想では、出演者の中で唯一、おそらく演出家よりも、脚本を理解して演じようとして、また演じる技量があった。芝居を保たせていたのは間違いなくこの人の貢献。普段あれだけ華やかな芝居もできる役者なのにこの地味芝居に挑戦してしかも一定の成果を上げていたことは最大の発見。新国立劇場のシェイクスピアシリーズに出ていたのは伊達ではなかった。ちなみに高岡早紀は、もうわからんからいつも通りやりますとやって、しかもそれがいい線までいっていた印象。ただ第三部、独白というか地の文の語りというか、それが苦手でかなり損していた。ついでに書くと至近距離で観てあの美人ぶりは凄い。他のメンバーは、個々の場面を観れば悪くないけど、通して観たときには複数役の演じ分けの前に撃沈。おそらく脚本段階で混乱している。

察するに、小山ゆうなは綿密な演出プランで稽古に臨むよりは、役者にやってもらった内容を拾っていくスタイルなのではないか。欧米はそういう演出スタイルが主と読んだことがある。けど、それは稽古も含めて準備に年単位の時間が確保できる前提で、1か月前後の集中稽古で仕上げる日本なら脚本の整理や登場人物の関係構築も、ある程度は演出が主導する必要があるのではないか。

察したり妄想したり忙しい感想だけど、何がいいたいかというと、自腹で高い金額を払って、演出が悪いと一観客として判断したので、文句は演出家が引受けてくれということ。

2021年11月15日 (月)

Bunkamura・大人計画企画製作「パ・ラパパンパン」Bunkamuraシアターコクーン

<2021年11月14日(日)昼>

デビュー作が佳作、以降は鳴かず飛ばずの女性ファンタジー作家。それまでの路線から心機一転、新作はミステリーを書くと宣言したものの、粗筋すら思いつかずに締切が迫る。呆れる担当編集者だったが、編集長から今回の企画をあきらめるように指示されたことで、むしろ協力姿勢を示す。ふと話題に挙がったクリスマスキャロルから、守銭奴のスクルージが殺されればミステリーになると思いつくも、有名なミステリーも読んだことがない作家なので、展開も時代考証もでたらめなまま、勢いで書き進めるうちに、現実と作中とが曖昧になっていく。

翻訳でなく完全新作で松尾スズキが演出専念。ファンタジックミステリーコメディと銘打って、年末を狙った古典を題材に。ミステリーの要素もそれなりに考えられているが、肝心な何か所かをファンタジーに頼って解決しているので、ファンタジックコメディのほうがしっくりくる。ものすごい雑にまとめると、松尾スズキが演出した「サンタクロースが歌ってくれた」だった、とか書いて何人わかってくれるか。

スローな場面が、特に前半に多くて何かと思ったら、あれはテレビドラマのテンポか。脚本の藤本有紀は舞台脚本経験もあるが今時点ではテレビの脚本歴のほうが長い模様。テレビの連続ドラマと違ってつきっきりで観る芝居の場合、説明は劇中のどこかでされればいい、むしろ説明情報を散らしたほうが自然になるのでまとめて説明する必要はないところ、ちょっとうっとうしい会話が多かった。大勢の豪華メンバーにはそれなりに見どころを用意するという副作用もあって、それも重たくなった一因。

そんな中でも攻めてこその小劇場出身者。いまも全力でカマす皆川猿時に敬意を表しつつ、どんな演技でも常にテンション全開だった小松和重と、あれだけボケてもスクルージ役の雰囲気を壊さない小日向文世の技を挙げたい。歌も演技も上手い松たか子には満足だけど、松たか子に歌わせれば元は取ってもらえるだろうという姿勢も感じなくはない。スレた観客としては、松たか子が観たいのではなく、立上げ至難の舞台で成立困難な役を成立させたときにこそ役者は輝くのであり、それを成立させる実力を持つ松たか子が実力を発揮したところを観たいのだと言いたい。

それなりに笑いながら観たのに何でこんなに辛い感想になるのか、チケット代が高かったからか、と書いてから考えた。たぶん「現実と作中とが曖昧になっていく」パターンを芝居でよく見かけるから、自分の中でハードルが高くなっている。先に挙げた「サンタクロースが歌ってくれた」は映画の登場人物が現実に出てくるパターン。後藤ひろひとなんかはそれがとても上手で、「人間風車」が有名だけど、今回の連想では作中というか伝説を語る体の「ダブリンの鐘つきカビ人間」を思い出す。どれもだいたい2時間強で収まっていた。

今回は演出と演技で頑張って成立させた印象だけど、歌を入れて、休憩20分を挟んで、カーテンコールまでで3時間10分。ここから絞って、歌抜きなら2時間でいけるくらいまで密度を濃くした脚本で観たかった。絞る価値ある脚本だったと感じたからなおさら。

昨今は長い芝居の上演に寛容で、そのおかげで上演できる芝居の幅は広がったかもしれないけど、必要性を感じられずに無駄に長いのはよくない。無駄かどうかを何で判断するかと言ったら密度。笑いでも、情報でも、役同士の関係でも、雰囲気でも、なんでもいいけど、舞台上を流れる空気の密度。

あとメモ。今回の休憩時間、シアターコクーンが1階の入口前を一部閉鎖して(傘置き場のあたりから、レストラン手前まで)、休憩中の人がロビーに溢れないように、かつそこまでなら再入場不要になるよう工夫してくれていた。吹抜けだから外気にも当たれるし、あれはとてもよかったので記録しておく。思いついた人と実施決断してくれた人に拍手。できれば中二階も外に広げてほしかったけど、あそこはオーチャードホール入口への通路をふさぐから駄目だったか。

2021年6月27日 (日)

世田谷パブリックシアター企画制作「狂言劇場 『武悪』『法螺侍』」世田谷パブリックシアター

<2021年6月26日(土)昼>

Aプログラム。病で出仕できぬ日が続いたため主人の勘気から武悪を討つように申し渡された太郎冠者、幼いころより苦労を共にした相手だけに討つに討てず、討ったことにして見逃したが、逃げる途中の武悪が主人と会ってしまい幽霊としてごまかそうとすると「武悪」。素行の悪さから浪人に落ちぶれ金もないが女遊びに目がない洞田助右衛門、商人の妻2人への恋文を太郎冠者と次郎冠者に届けさせるが主人の横暴に耐えかねた2人が届け先の妻たちにばらしてしまう「法螺侍」。

「武悪」。腕が立つ武悪をだまし討ちしようとするも討つに討てない前半から、幽霊扱いされている武悪が主人に適当なことを言い出す後半まで、「武悪」はいかにも狂言らしい狂言。台詞をちゃんと聞き取れたか微妙だけど、幼いころより2人で頑張ってきた趣旨の台詞があったはずで、そこは太郎冠者の野村太一郎と武悪の野村万作が歳が離れすぎて見た目が苦しかったのだけ難だけど、軽く楽しめる。

野村太一郎の太郎冠者が顔も体も堂々とした押出しの一方、石田幸雄も主人らしい主人で貫禄十分だけど、出ていた3人の中で一番動きが決まっていたのが武悪の野村万作という芸能の謎。長年の動きが身体に染みこんでいるいるのもあるだろうし、歌舞伎の踊りを観たときにも思った、昔からの型や振付は昔の人の体形でちょうどよくなるように作られているのも理由のひとつだろうけど、それにしたって90歳であそこまでできるとか人類すごくないか。

「法螺侍」。シェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」を狂言に仕立てた一本。「まちがいの喜劇」を元にした「まちがいの狂言」よりもこちらのほうが1年早いらしい。鳴物でも遊べるところが新作狂言のいいところ。もとは野村万作が洞田助右衛門のところ、今回から野村萬斎にバトンタッチ。元がシェイクスピアなので筋に心配はなく楽しめる一本。

素行が悪いのではなく人生を楽しみ尽くしたいため結果周りにはそう見えてしまう主人公なのかなと台詞からは感じた。けど、いかにも素行が悪くて家来からもとっちめられそうな役作りに見えてしまうのは野村萬斎らしい。見えるというか粘りっ気の強い声がそう聞こえさせてしまう。この「人生を楽しみ尽くしたい」という考えからくるいい加減さは、今の世の中に減っている、非常に求められている心持なので、ここはもう少しおおらかさを優先するように工夫してほしかった。全体に、やや不慣れな印象があったけど、キャスティング変更の影響か。

この日はアフタートークありだったけど、万作と石田幸雄以外全員出ていたのかな。司会の萬斎のほかに6名出ていて、全員に話を振るので精一杯。演じているときとは違って野村裕基は声が萬斎そっくり。野村太一郎は「万作に師事して」という趣旨の発言があったので気になって調べたら、万作の兄である野村萬の孫だけど「本来なら襲名する立場にあった六世万之丞を従弟の虎之介(九世万蔵の長男)が襲名することになり、萬狂言を離れ父の従弟・野村萬斎に師事を替える」とWikipediaにあった。古典の世界は大変だ。

2021年3月28日 (日)

シス・カンパニー企画製作「ほんとうのハウンド警部」Bunkamuraシアターコクーン

<2021年3月27日(土)夜>

あまり期待ができないミステリーを観に来た2人の評論家。片方はすでに売れっ子で影響力も大きく、片方は別の売れっ子評論家のアシスタントで前評判がいまいちの芝居ばかり観に行かされている。開幕した芝居は案の定いまいちで、2人は舞台そっちのけで自分たちの愚痴を言い合う。

ネタバレしてはいけない芝居だから詳しくは書かないけど、トム・ストッパードはよほど評論家が嫌いだったのかと思わされる一本。調べたら自分も半年は評論家をやっていたらしい。そこでよほど嫌なものを見たか。今回の上演も、75分で終わるからというだけでなく、制作者か演出家か、どちらかまたは両方が評論家に嫌な思いをさせられたことがあったから選んだのかなとか想像してしまう。トム・ストッパード脚本だからイギリスの話だけど、評論家の影響力がどうにも高そうだと思って調べたら1968年初演だった。イギリスは評論家の影響が大きいとは蜷川幸雄も書いていたけど、今だとどうなんだろう。客のSNSのほうが影響力が高そうだけど。

芝居の話に戻ると、生田斗真演ずる評論家のアシスタントが、意味不明な演劇評論をぶつ台詞があって、あの気分がわかる。わかるし、アシスタント止まりなのもわかる。あの場面が笑いにつながらないのがもったいなかった。役者は、劇中劇でわざとらしい演技を面白く披露する芸達者たちのなかでも、「劇中劇としてのわざとらしさ」と「劇中でこの芝居を一生懸命演じてしかも結構上手な役者」の要素を絶妙のバランスで演じた峯村リエに一票。水準以上の演技だったけど場面ごとにこのバランスが偏って見えた山崎一は、小川絵梨子にもう少し使いこなしてほしかった。間と緩急をがっちりはめるコメディ向きの演出スタイルではないのだろうけど。

今回1階席で観られたけど、劇場の音響が確実によくなっている。前回メンテナンスで手を入れたのかも。音楽よかったし、千鳥格子の座席販売だったけど最後の拍手の音の埋まり具合もよかった。

配信のあった日だからか、カーテンコールで生田斗真が、観に来てくれた人に感謝、観に来たことがない人も安心して観に来られる日になりますように、という趣旨の挨拶で格好よかった。ただまあ、新型コロナウィルスのこの時期には収まりの悪さを感じる芝居だった。何でもないときに観たかったコメディ。

そのほか新型コロナウィルス対策メモ。入場前に靴裏消毒、手指消毒、カメラ検温。で、ようやくチケットもぎり、これはロビースタッフが行なった。ロビー販売は飲食なし、物販はパンフレットなど最小限。椅子は1階にはあったけど飲食は最低限の水分補給を除いて禁止の指示、この最低限という記述の細やかさが大事。開演前に注意事項の書かれたボードを持ったスタッフが歩き回ってボードを見せている。こちらはスタッフはフェイスシールドなし。開演前にはアナウンスでの注意があったはず。退場時はスタッフが客席列を示したボードを掲げて後ろがはけるまで待つように整列退場を依頼。75分の芝居を選んだのも対策の一環。全体にアクティングエリアが後方に寄るように(客席最前列と距離を保つように)導線を工夫していた気配もあった。

世田谷パブリックシアター企画制作「子午線の祀り」世田谷パブリックシアター

<2021年3月27日(土)昼>

源平合戦の末期、一の谷の合戦で義経に奇襲をかけられた平家軍が大敗し、阿波民部重能を頼って落延びるところから、源平双方が総力を挙げた舟戦である壇の浦の戦いで、平家が敗れて一族が入水または生捕りにされるまで。

前回観ていたけど、思うところがあってもう一度観ておきたかったので挑戦。今回は新型コロナウィルス対策のため、役者の数をぐっと減らして一部登場人物は削り、群読も控えめにしていた。なんとなく場面も減っていた気がする。詳細不明だけど上演時間が前回3時間50分、今回3時間20分、出なくなった役の分だけ短くなったか。

群読控えめなのでその点は前回のほうが脚本の魅力を伝えていた一方で、一人の役者の台詞は聞きやすく理解しやすく、一長一短。最後の合戦はさすがに群読を使って、そこは前回よりも少なめの人数かつ公演も終盤のため、聞きやすいと言えるくらい揃っていた。

役者の感想は前回に近い。何と言っても義経の成河が一押し。描かれていない場面まで想像して役作りしている雰囲気をひしひしと感じる。村田雄浩の阿波民部重能の無念から「民部、心はぐれてしまい申した」とか、金子あいの前回建礼門院から今回二位の尼の入水で「波の下にも都のさぶろうぞ」とか、ぐっとくる。野村萬斎は前回よりかなりよかったけど、やっぱり演出つけてもらうほうがこの人は生き生きとするなというのも同じ感想。

でも今回は、評議で紛糾してから法皇の院宣でさらにこじれるところや、義経と梶原景時が意見が合わずに衝突するところや、寝返っていないか疑う知盛と負けたときの対応まで考える重能との噛合わないところや、水主梶取を倒そうとする義経と止める船所五郎正利。この手の場面、無理なものを無理と認められない人間がいるばかりに揉める場面のなんと多いことかと泣きそうになった。疲れているな自分。

そもそも和平で一旦引いて立て直すのが最善だったのに揉めて和戦どちらか目的が揃えられないでいるうちに法皇に先を取られて追いこまれて戦わざるを得なくなった平家と、鎌倉から疎まれている現地の大将にも問題なきにしもあらざるものの戦って相手を滅ぼすのが目的であり揉めているのは戦いの進め方である源氏。戦略のミスを戦術に頼らざるを得ない時点で平家は負けていた。なのに、万が一と退却の道筋を用意していた民部を、とらわれた民部の息子が敵方に寝返ったからとは言え、疑って採用できなかった知盛(実際には塞がれて逃げられなかったのだけど)。戦略のミスは戦術で覆せないのに戦術頼みで負けるのは本邦千年来のお家芸なのか、古今東西の典型的な負けパターンなのか。平家物語に学ぶ戦略と戦術、とかコンサルタントが本を書くレベル。だから語り継がれて大勢の日本人が耳を傾けてきたに違いない。

思うところはもっと小さいところだったのに、観ていてそんな主語が大きい感想まで持ってしまった。やっぱり疲れている。前回より登場人物が減った分だけ骨格に目が向いたか。古典の元ネタに現代的な視点と詩的な語りが入って、とにかく脚本がよくできている。演者を揃えるのが大変な芝居だけど、今後も定期的な上演を望む。

その他特筆として舞台美術。前回は動く階段だけだったけど、今回は加えて海面を思わせる反射する円形の床に三日月形の回転する台を組合せて舞台中央に配置した、月の運航を思わせる美術の圧倒的正解感。高さと動きも作れて戦の場面も映える、次回以降の上演で定番化しそうな松井るみの力作。

疑問だったのは語りの録音。前回は低音過多で聞き取りにくかったけど、今回は低音を削りすぎて聞きやすい代わりに昔のラジオっぽく聞こえる。聞き取りにくいよりはいいけど、いいと思ってあのレベル調整したのかは気になる。

オープニングは前回と同じく数分前から日没と月を待つ体だったけど、若村麻由美以外は全員マスクで参加。カーテンコールも最後は全員マスクを付けて、新型コロナウィルス気を付けつつ客も気を付けろよとの無言のメッセージ。違和感なく成立していた。拍手。

そのほか新型コロナウィルス対策メモ。入場は消毒から自分でもぎり、チラシはロビーに置いて本人ピックアップで触った分は持ち帰れの指示。物販はパンフレットのみ、飲食なし。ロビーの椅子がほとんど取っ払われて入口階に単発の椅子が数席のみなのは会話防止か飲食防止か、休憩時間中にロビー休憩難民になる。客席だけでなくロビーも飲食禁止指示もこっそり飲物を飲むくらいは黙認。客席最前列はフェイスシールドをしていたが配布されたものか、多少舞台に距離を取っていたけど声が勝負のこの芝居なら用意するのは正解。スタッフはフェイスシールド着用。開演前を忘れたけど休憩時間終了間際は声掛けの代わりにボードで注意していたが、アナウンスを流さないのは実効性がないという経験則なのか、理由が知りたい。客席は当初すのこ状に列飛ばしで販売していたのを後から追加販売で、後方端と上階端以外は残っていたものの9割くらいの入りか。退場時は後方から列単位で整列退場実施、上階はある程度待ってから実施。客は見た範囲では全員マスク着用で会話も控えめ。

2020年2月22日 (土)

青年団「東京ノート」吉祥寺シアター

<2020年2月21日(金)夜>

近未来。ヨーロッパで戦争が起きて、大量の美術品が日本に「疎開」されている。その疎開先のひとつである小ぶりな美術館には、有名な絵画が多数運び込まれ、その展覧会が開催されている。展覧会ついでに集まる親族、絵の寄贈先を探しに来た女性たちを案内する学芸員、展覧会見学で偶然出会った男女などが、一休みしたり積もる話をしたりする美術館ロビーでの一幕。

インターナショナルバージョンも観に行きたかったけどスケジュール調整にしくじって日本版のみ。以前こまばアゴラ劇場で上演されたときは背景の戦争がもっと前面に出ていたように記憶しているけど、今回はもっと人間関係に重点が置かれている気がした。人間関係、より、登場人物各人の寂しさ、と書いたほうが近い。戦争の可能性が身近になった世相を慮って演出が調整したか、観ているこちらの単なる思い出補正か。

仕上がりの評価は難しい。いつもはもっとギリギリと演技やタイミングを詰めているところ、今回は言葉にはしづらい細かい点がところどころギクシャクして、すんなり流れに乗れない。狙いがあってわざとなのか、単なる二日落ち(3日目だけど)か、インターナショナルバージョンその他の事情で稽古が足りなかったか。いつもだと同時会話の場面も意識すればその会話が聞こえるけど、今回は声が低くて聞こえない会話が何箇所かあったので、二日落ちだと推測。そんなにひどいわけではないけど、絶妙なバランスが売りの青年団だと目立つ。元家庭教師と教え子の場面はもう少し攻められたはず。

そんな中で登場人物の特徴を全開させて眼をひいたのが長女役の松田弘子。良い演技に惹かれた面もあるけど、どちらかというと自分がその役が気になる年齢になってきたのが眼をひいた理由か。重い空気になりがちな役が多いところにアクセントをつける学芸員の兵藤公美も好印象。

前回観たときに唐突過ぎて意味不明だった、別の学芸員が弁護士に突然絡む場面と「うちの館長はいい絵を手に入れるためなら金に糸目はつけないからね」という台詞。あれは、どちらも(早とちりはあっても)嘘をついていないのであれば、その美術館に昔からなじみがあった別の登場人物が1枚噛んでいるという裏設定かも、と今回思った。

翌日から3連休の夜公演のせいか、昨今の新型肺炎騒動のせいか、客入りがいまいちで左右2列ずつ当日パンフを含む配布物を置かずに空けている状態。これだけ当日券が余裕ならもう一度観たいけど、都合がついても控えがちになる昨今。あの劇場の広さと客席の規模で2時間以内なら大丈夫だろうと踏んでの見物だったけど、感想を書いている今も少し緊張している。なおこれで金曜日の夜かというくらい電車も空いていたのは、連休前なのか人口減なのか働き方改革なのか新型肺炎で旅行客が減ったのか新型肺炎で在宅勤務が流行っているのか、どれなのか。

2020年1月29日 (水)

トライストーン・エンタテイメント/トライストーン・パブリッシング主催「少女仮面」シアタートラム(若干ネタばれあり)

<2020年1月28日(火)夜>

宝塚にあこがれる少女と老婆は、宝塚の元スターが経営する地下にある喫茶店「肉体」をたずねる。おかしな客とおかしな店員にあしらわれながら、どうしても会いたいと懇願する少女を元スターは見初める。そこから繰広げられる「嵐が丘」の一節は演技指導か幻か。

唐十郎の1969年初演の岸田國士戯曲賞。女が男を演じる宝塚のお約束や、腹話術師と人形の主従関係といった「見て見ぬ振り」から、敗戦の焼け跡の記憶を「見て見ぬ振り」して地下鉄工事が進む世相を一刀両断させ、そこから満州まで話を飛ばす飛躍力はさすが元祖小劇場の唐十郎。適当なようではっとさせる台詞がたくさんあって、アングラと片付けられない説得力があるのはさすが受賞作。水道水を求める喫茶店の来店者の台詞を聞くと、野田秀樹の「パンドラの鐘」はこれが元ネタだったのではないかと思わされる。

この時代にこの脚本を選んだのは慧眼だけど、アングラ要素の多い脚本をそのまま演出してもつらいだろうし、かといって現代的に演出しすぎると脚本が死ぬ。結構頑張っていたけど、肉体と幻のほうに力点が置かれていた模様。あと、オリジナルはもっと猥雑だったであろうところ、ずいぶん上品に演出したなという感想。劇場がシアタートラムで上品さに輪が掛かったたのが惜しい。

伝説の宝塚の元スターに若村麻由美をキャスティングしたのが実にはまった1本。やけにそれっぽいので、真面目なのか笑うところなのか微妙に迷うところが「見て見ぬ振り」の脚本にはまる。もったいなかったのは腹話術師と人形を演じた武谷公雄と森田真和のパートが妙に上手なため独立したパートのように見えてしまったことで、もう少し本編に寄っていたらよかった。

ずいぶん台詞が多かったけど、これで1時間40分なのだから、昨今の長時間芝居の人たちは見習ってほしい。

2019年12月28日 (土)

世田谷シルク「青い鳥」シアタートラム

<2019年12月27日(金)夜>

クリスマスの夜の病院。入院して車椅子生活の年老いたチルチルとそのつきそいのミチル。そこにやってきた魔女が青い鳥を探せという。魔女からもらったダイヤのついた帽子をかぶったチルチルは立上がり、ミチルと、むかし会ったものたちと一緒に、青い鳥を探す旅に出かける。

ご存知メーテルリンクの青い鳥、と言いたいところだけど、探していた青い鳥が実は、というオチだけ知っていて原作未見。本来は少年少女のはずだけど、介護が必要な男性と介護する女性に置換えた、と当日パンフで断っていた。

大勢によるダンスパフォーマンス的な動きをした演技を大量に配しているのはもともとダンス畑の堀川炎ならでは。大勢登場するけど、それ以上に役が多くて、当日パンフの役名が役固定の一部役者以外はすごいことになっている。それをダンス的に動かして、全然混乱する気配がない。あれだけ動いても乱れずしかも音も出ないのは出演者みんなダンサー出身なのか。かといって台詞の大事なところもしっかり入れているので、ダンスがわからくても観られる。若干、原作読んでるだろと飛ばした気配が感じられる場面もあったけど、それでわからなくなるものでもない。

とにかく、青い鳥の原作が演出家にきちんと消化されて出来上がった舞台という感触がとても伝わる。観終わって、不思議だけどいいもの観た、という感想。「K.テンペスト」を観たときの感触に近い。観客参加型といわれてポンチョを着せられて、なんだこれはと思ったら最後の種明かしで「おお」とさせる芸の細かさ、私は気に入った。これは再演を計画してはどうかと世田谷パブリックシアターに勧めたい。

舞台は久しぶりにフラットなシアタートラム。この使い方を見たのは自分は野田秀樹「赤鬼」以来か。普段の上手下手(と一部正面)に客席を配置した挟み舞台(コの字舞台)で、細かい舞台装置はキャスター付きで都度出し入れさせて、センターに配置された上下できるカーテンで場面によって舞台を区切ったり、カーテンの開け具合で場面を変えたり、影を映したり。これらの工夫で役者が存分に動き回れるスペースを確保。オープニングでどの席もひとしく観づらい場面があると断っていたけど、かなり全方位にがんばっていたと思う。ついでに触れておくと美術の出し入れや一部演出を手伝う舞台スタッフ陣も、振付けの対象だったのか、なかなか良い感じだった。

そしてその美術を仕上げるのが照明で、客席も壁も天井も区別せず照らすことによる不思議な空間の中にいるような演出。線を出したり全体に照らしたり、スモークの炊き方も結構調整したのでは。普段の芝居ではあまり出番のない照らしかただけど、不思議な国を巡る話であり、またダンス的に演出された場面が多いから、とてもはまっていた。あれはよかった。

実はこの芝居、もともとこの日に芝居を観るつもりはなかったけど予定を変更して観る気になって、最初は他の芝居が候補だったけどそちらのチケットが厳しそうだからと変更して流れた、一番優先度の低い芝居だった。なのに観終わったらすごい満足感で、「観たいものから観る方針」なんて書いたばかりなのに大穴をひろってしまった。やっぱり芝居はふたを開けてみるまでわからない。年末を締めるのにふさわしい一本だった。

2019年12月 8日 (日)

Bunkamura/大人計画企画製作「キレイ」Bunkamuraシアターコクーン

<2019年12月7日(土)夜>

日本が3つの勢力に分かれて内戦を続けている時代。死体集めを生業にする一家に、長年誘拐されていたため記憶も知識も欠けている謎の浮浪少女ケガレが保護される。仕事を覚えて色々な人たちと関わるうちに、忘れていた過去をケガレが少しずつ思い出していく。

再々々演ということで初演以来欠かさず観てきて4度目の観劇(再々演)。最初に書いておくとスタッフワークは今回が過去最高。ビジュアル面は予算をかけたのが伝わる衣装美術照明映像に加えてプロジェクションマッピングも若干追加、音楽はオケを入れた以上に音響抜群だったのは劇場設備か音響スタッフの努力か。全方面で質が高く洗練されている。昔はチープなスタッフワークのほうがいいと思っていたこともあったけど、ここまで質が上がるとこっちのほうが絶対いい。

それもあって演出の絵作りが格段に映える。美術の構成はほぼこれまでと同じなのに、その同じ構成で同じ場面をやってこんなにキレイに見えるのかと驚いた。脚本は大筋は変わらないけどやや親切に、歌も追加されていて、役名含めて全体には整える方向で手直しされていた。初演では公演中に長期誘拐の事件が発覚して騒ぎになったけど、昨今の不穏な世情から、今回はむしろ内戦や死体集め稼業などの背景設定のほうがひょっとしてあり得る未来かもと想像させられて、脚本の深さにうならされる。

なのに感想は、役者の違和感も過去最高。ただし下手ではない。断じて下手ではない。だから観終わってからずっと理由を考えていた。以下、とりあえず思いついた仮説。

この脚本は、設定にも展開にも登場人物にも台詞にも小劇場の雰囲気が色濃く反映されている。どれだけ整えても、どれだけ世情とシンクロしても、それは消えないし、消したら別物の脚本になる。だから演出でも演技でも、小劇場の雰囲気が要求される。上手く説明できないけど、物語は物語として遊べるところではネタを仕掛けてくるある種のおふざけ精神だったり、多少強引な展開でも納得させる勢いだったり、ネタはできても真面目な演技は苦手だから頑張るような必死さだったり、そういういろいろが重なってかもし出す怪しさだったり。別な言い方をすると、演出で調整して仕上げないといけない。

だから大人計画のメンバーははまっていたけど(同じ役を経験した役者が多いこともある)、客演陣は脚本どおりのふざけた役をきっちり真面目に作り上げることで脚本と喧嘩した。出ている割合は客演陣の方が高いので、違和感の多い舞台になった。というのが仮説。自分の感想では、客演陣で健闘していたのはカスミお嬢様の鈴木杏で、脚本に真面目すぎたのは青年ハリコナの小池徹平と以外やジュッテンの岩井秀人。あとマジシャンは阿部サダヲだったけど、テンションは高くても健康的な雰囲気で、大人計画のメンバーで唯一違和感があった(もっとも、宮藤官九郎が演じたときでも違和感のあった難しい役ではある)。生田絵梨花/麻生久美子のケガレは健闘していたけど、お互いの同一人物感は前回のほうが上。

公演後半になるともう少しこなれてくるかもしれないけど、4日目6ステージ目の感想はこの通り。あと、今回は公式3時間40分、実測3時間45分で、前より延びているはず。見ていて間延びする場面はないけど、終演時間が気になる人はご注意を。

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