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2024年11月24日 (日)

世田谷パブリックシアター企画制作「ロボット」シアタートラム

<2024年11月23日(土)夜>

生物を作り出すことを発明した博士とその甥から幾年、とある島では生物的には人間と同じ器官を持ち、ただし感情や痛覚を持たない生き物を作って売っている工場があった。この生物はロボットと呼ばれ、世界中で引っ張りだこであった。この会社の社長令嬢がロボットの人権向上を目指して島に見学に訪れるが、島で働く数少ない人間である工場長に求婚されて島に残る。それから10年、社長令嬢の誕生日、1週間前から島に船がやって来ていなかった。

古典小説らしいですが、役者を信用して脚本演出したなという印象。出だしはさておき、それから10年で話を飛ばすところは字幕か何かを出しそうなものですが、舞台替えだけでそのまま押しました。向こうに大勢のロボットがいる場面で役者の演技が実に揃っていて、腕のある役者が集まっていました。何でもない場面を面白くやって盛上げる渡辺いっけいはさすがで、対照的に突然ネタを挟んでうけを狙ってくる菅原永二は、うん、この日は滑っていました。小劇場的演出の生理としてここでひと笑いほしいというのはわかるのですが、そこはもう少し別のところでやるように演出で整理してほしい。ただし役者全員、テンションを維持していたのはさすがです。話に出ていたレンガを模したであろう板で舞台美術を変えていくところは面白い。

物語はやっぱり古典らしいというか、三幕目に相当するところが蛇足といえば蛇足だし、今となっては終わり方も楽観的すぎる。けど、それも含めて古典じゃないですかね、という感想。「来てけつかるべき新世界」とこの「ロボット」との間を埋めるような芝居が望まれます。それが何というか、人類の未来への希望になるのではないかと。

2024年10月20日 (日)

世田谷パブリックシアター企画制作「セツアンの善人」世田谷パブリックシアター

<2024年10月18日(金)夜>

善人を探すために旅をしている三人の神様は、貧しくてあわただしい街セツアンにやって来た。そこで一夜の宿に泊めてくれた貧しい娼婦のシェン・テを善人として、大金を与えて去る。その金で煙草屋を買って商売を始めようとするが、煙草屋を買うところから騙された上に知合いの貧しい一家が押しかけて来たために初めから躓く。そこを何とかするために、損得を第一に考える架空の従兄シュイ・タを考え付くと、自分でシュイ・タに化けて周りの貧しい人たちを一掃する。それで一息ついたシェン・テだが、ある雨の夜に失業中のパイロット、ヤン・スンと出会ってしまい、一目惚れして恋に落ちる。

有名だけど見たことがなかったブレヒトの1本。観終わればまあなんという意地悪な脚本だと考えずにはいられない。シェン・テとシュイ・タ2役の葵わかなは前半ヤン・スンと結婚を決める場面にもう少し迷った風情がほしかったけど後半はいい感じ。ヤン・スンの木村達成はヒモっぷりがいい感じ(笑)。脇も十分実力揃い。最後に異化効果で終わるのがああこれが異化効果かブレヒトらしいと思えるけど、たったあれだけの台詞でも説得力を持たせるには小林勝也は適任。

席はまだ空いていたけど、まだ観たことのない人には上の席なんかで勧めておきたい。これ、時間を置いて二度観ると自分の立場や考え方の変わりように気づかされるような脚本なので。

2024年7月 1日 (月)

パルコ企画製作「ウーマン・イン・ブラック」PARCO劇場

<2024年6月30日(日)昼>

若い頃の仕事で忘れられない経験をして歳を重ねた弁護士。誰にも語らずに悩みつづけた弁護士は、他人にその経験を語ることで自分の悩みが吹っ切れることを期待して、経験を親族に伝えることを決意する。伝えるべき内容を書上げた弁護士だが、親族相手といえども人前での朗読は未経験で不慣れ。そこで役者を雇って劇場での個人レッスンを依頼する。弁護士の書いたものが素人には長すぎることを問題視した役者は、2人で芝居形式で演じることで、より短く効果的に伝えることを提案する。特に話の多い弁護士本人の役を役者が引受け、弁護士はそれ以外の人々の台詞を覚えるように提案する。さっそく稽古を開始する2人だが・・・。

ネタバレはしませんが、2003年と2008年、斎藤晴彦と上川隆也の組合せで前に2回観ています。それが今回は勝村政信と向井理の顔合わせ、となれば雰囲気も多少は変わるというものですが、いい芝居はやはりいい芝居でした。

渋い演技が昔の時代の雰囲気に合っていた斎藤晴彦と、イケメンでありながら実直な上川隆也との組合せは初めからじわじわと怖がらせていました。それが今回は、笑いを取ってから深刻に持っていく勝村政信と、背が高い足が長い顔が小さいこれで本当に日本人かの華やかな向井理との組合せは、明るい場面と暗い場面の落差で勝負です。

脚本演出が全体に、親切寄りになっていました。昔はあそこまで見せなかったような気がします。そのあたりは時代です。それもあるし、3回目だし、怖がることはないと思って観ていたのですが、音にはやっぱり驚かされます。客席にもスピーカーを仕込んでいるんですね、あれ。

初見の向井理が思ったよりも上手で、さすが二人芝居に抜擢されるだけのことはありましたが、多役をこなしてなおかつ本命の弁護士役の切実さを見せてくれた勝村政信の芸達者が一枚も二枚も上手でした。それはもう芸歴の違いとしか言えません。ただ、割と噛合わせのいい2人でしたね。

うっかり東京千秋楽を良席で観られたのですが、たまにはそんなこともあらあな、ということで。

2024年5月12日 (日)

青年団「思い出せない夢のいくつか」こまばアゴラ劇場

<2024年5月11日(土)夜>

歌手とマネージャーと付人が、営業先に移動するために夜中の電車に乗っている。煙草を吸いに行った別の車両では、妙な乗客に話しかけられて辟易とする。車中のこととてたいしたことができるわけでもなく、取りとめもなく交わされる会話の数々。

マネージャー役の大竹直と歌手役の兵頭公美は2019年版と同じ、付人が南風盛もえで今回は変わりました。元は緑魔子主演の外部プロデュースのために書かれた、銀河鉄道の夜をモチーフに作られた一本ですけど、当日パンフには「阿房列車」をセルフカバーする形で作られたとありました。冒頭にほとんど同じ会話を出してきたので、両方観るとそこは同じような台詞でも変わるものだなと。

あれと言えばこれと返せるくらい話が合う付合いの長い歌手とマネージャーで、別の人間と結婚数ヶ月で破綻した歌手はマネージャーにひそかに好意を寄せている、というところまでは2019年版と同じです。ただ2019年版は、「夫婦が似るって本当ですか」と聞く若い付人に懸想するマネージャーと、それを察していながら知らん振りして若い付人を遠くへやれないか考える歌手、という関係に見えました。そこが今回は、すでにマネージャーと付人は付合っていて、付人は歌手を尊敬していて、歌手は二人を応援する、という関係に見えました。はっきりとした応援の台詞や笑いの終わりに泣いたように見せる演技が前回はあったか、思い出せません。

前回観たときもいいなあと思いましたが、この芝居にはマネージャー役の大竹直と歌手役の兵頭公美の組合せが似合っています。青年団で平田オリザの演出に応えつつ、普段の青年団らしくない雰囲気も出せますよね。南風盛もえも好演でした。

S高原から」「銀河鉄道の夜」と来て、「阿房列車」に続けてこの「思い出せない夢のいくつか」を観て、こまばアゴラ劇場の閉館前の観劇を締められたのはよかったです。「思い出せない夢のいくつか」を最後の1本にしたかったので、それは上手くいったし、最後の1本にふさわしい仕上がりでした。

青年団「阿房列車」こまばアゴラ劇場

<2024年5月11日(土)夕>

娘夫婦を訪ねるために電車に乗っている夫婦。何となく気のない会話しているところに若い女性がやって来て向かい座る。夫は何かと話しかけるが若い女性には迷惑そうである。

「旅行ですか」と話しかけるところから始まる三人の会話は、平田オリザの本に書かれていたかな。オチのない会話が続く中、三人の誰がいるかいないかを使って描かれる夫婦の関係です。

何かと夫に気を使うのに夫から気に掛けているようで雑に扱われる妻、妻には気のない会話をするのに若い女性には何かと話しかけたい夫、夫に話しかけられても迷惑そうにするのに夫のいないところでは妻に自分から話しかける若い女性、実に上手です。三人とも好演でしたが、役どころもあってかたむらみずほがやや目立ちます。

若い女性が社内販売の売り子を務めるのが二役ではなく別人であると劇中では示しながら進むところは、一見笑いを取りに行ったように見えます。だけど娘に会いに行くことを話す中で「もうすぐですね」と話したり、偽卵のことを話したりするあたり、どことなく孫のことを予感させます。

初演は平田オリザ初の外部への描き下ろしだそうですが、平田オリザのお手本のような芝居でした。

2024年5月 2日 (木)

青年団「銀河鉄道の夜」こまばアゴラ劇場

<2024年4月25日(木)昼>

学校でいじめられっ子のジョバンニが、町の夏祭の夜に、唯一の親友カムパネルラと銀河鉄道に乗って銀河を旅する。

前に一度観ていて、今回が二度目。ダブルキャストの初日でチーム白鳥座。相変わらず本家の宮沢賢治は読んだことがないのですけど、オープニングの暗転の中で騒ぐところの他にも細かい工夫が増えて演出には磨きがかかった印象。

初日だったせいか、青年団の芝居には珍しく精緻さよりも勢いで押しているように見える場面が散見した。やっている人たちは好きな演目なのだろうかと感じさせる場面が多く、その分もう少し、仕事に徹してほしいという印象を覚える仕上がり。どれだけやっても宮沢賢治のフォーマットから外れない脚本だけど、といってそのまま好きにやればいいってものでもないのだなと勉強になった。

2024年4月10日 (水)

青年団「S高原から」こまばアゴラ劇場

<2024年4月6日(土)昼>

他人には伝染しないが緩やかに死に向かう病。その病気にかかった患者向けに高原に作られた療養所。そこに入院する患者と、お見舞いに来る人と、働く人たちのある日の様子を描く。

これで三回は見ているはずの、青年団を代表する一本。スマホが出てくるけれど電波が届かない扱いになっていたり、微妙に設定は現代にアップデートされていました。ただ、細かい設定の違いは除いても、会話をそこまで大袈裟にいじるわけにはいきません。そこを追うと登場人物には20世紀生まれ20世紀育ちいまも20世紀の雰囲気を多く感じました。

ただ、スマホが出た後のいつ頃の想定なのかは芝居からは窺い知れません。ジブリの風立ちぬのことはこちらが先だから出さないのはごめんなさいと当日パンフで謝っていたから、それより後(2013年以降)、やっぱり現代を想定してアップデートしてきたのだと思います。

ただし本当に現代だと、ネットで暇をつぶす患者や(金持ち向けの療養所なのにネットが入っていないってことはないはずですけど)、それゆえに通販で何でも買っちゃうような人(金持ちなので)がいてもおかしくありません。脚本がいつの時代まで現代を保って更新できるのか、平田オリザが挑戦していたのかもしれませんが、その分だけ脚本の完成度を崩してしまってやや中途半端な感はありました。

そんな中では、島田曜蔵演じる看護人の、我慢を堪えるうちに怒りだす様子に一番今を感じました。元からあんなに怒っていた役かは覚えていないですけど。あれをもっと若い役者が演じると、きっと淡々とこなすような演出になるのかもと考えながら観ていました。あまり時代の影響を感じなかったのは、初めに出てくる患者と婚約者とその付添いの友達のところと、お見舞いに来ていた三人組のところです。怪獣の靴の兄妹や絵描き関係は今回かなり引っ込んで見えました。

演出の違いか役者の違いかはわかりませんけれど、設定は古いままのほうがもう少し逼塞感が強まって、死でも性でも雰囲気が強く漂って、そのほうがこの芝居は好みかなと思ったり思わなかったりします。いっそ百年経てば初演の脚本が古典として固定されると思いますけど、それを生モノとしてアップデートしようとすると現代劇は難しいですね。スマホの発明はそれだけ世の中を変えたのだと実感しました。

2023年12月24日 (日)

株式会社パルコ企画製作「海をゆく者」PARCO劇場

<2023年12月16日(土)昼>

アイルランドの田舎町。仕事を辞めて久しぶりに家に戻ってきた弟は帰ってきて早々、目の見えない兄が友人と酒を飲み明かす世話に追われることになる。それから数日が経ったクリスマスイブの日、兄と兄の友人と三人でクリスマスを祝おうと街で買物をしてくるが、目を離した隙に兄が弟と因縁のある男を呼んでしまった。男はバーで知合った紳士も一緒に連れてやってきたが、弟は昔、その紳士と出会ったことがあった。

三演目ですけど、初演を観て、再演は見送って、今回また観ました。当時は吉田鋼太郎が演じていた兄が高橋克美に交代したものの後の四人は継続です。観終わっての満足度は高いです。

初演の記憶よりもずいぶんとわかりやすくなっていたような気がします。初演がプレビュー公演でまだこなれていなかったからでしょう。吉田鋼太郎の声の大きさと勢いに引張られていた前半が高橋克美で整理されて、弟の平田満にスポットが移ってはっきりしていました。加えて兄の友人の浅野和之、因縁のある大谷亮介がこなれていたからでしょう。初演のときよりも派手目になっていました。

ただ、浅野和之と大谷亮介はややこなれすぎな感もありました。どこで受けるのかわかってやっているというのかな。いや面白いんですけど。後半修正してきていました。その点は磨いた感がある平田満、交代して役の大きさを見せてくれた高橋克美のほうが好みでした。

高橋克美は汚いことを気にしないおっさんという立場を痰を吐くという工夫で浅野和之と連携して笑いを取っていましたが(初演にはなかったような)、客席から「やだぁ」と言われているのが印象的でした。痰を吐く人って最近見かけなくなりましたね。そして名前の呼びかけで思いっきり台詞を間違えていましたけど、客席に言うような言わないような風に謝って進めてしまえるのがベテランです。身体に丸い愛嬌があるんですけど、神様に祈るところはすっと決めるあたりもベテランです。

そしてずっと同じ役を務めているのに今回が初演ですといわんばかりの緊張感を見せてくれたのが小日向文世。新鮮だったというのかな。受けやすい役ではありますけど、新鮮さの点では一頭地が抜けていました。手練れ揃いの5人で誰が一番かといえば私は小日向文世でした。

で、初演の感想で「落込みそうなところで観ると慰められるというか励まされるような芝居で、実際励まされるところがありました」と書きましたが、今回はその感想に加えて、この芝居は駄目なおっさんだって一生懸命生きて何が悪いと小さくつぶやくような芝居だとも言いたい。やっぱりいい芝居です。ただし、それを演じているおっさんどころか年齢だけならじいさん5人は全国のじいさんたちの上澄みで、魑魅魍魎のうごめく芸能界という荒波を乗切ってこの場に立っている海千山千のつわものです。そういう意味では5人とも「海をゆく者」ですね。

2023年11月12日 (日)

世田谷パブリックシアター企画制作「無駄な抵抗」世田谷パブリックシアター

<2023年11月11日(土)夜>

とある町の駅前広場。なぜか半年前から電車が止まらなくなり、かつての賑わいが閑散としてしまった。そこにやってきた大道芸人は何も芸をしないで広場にやってきた人たちを眺めるばかり。ある日、その駅前広場でカウンセリングのために二人の女性が待合せた。患者は町で歯医者を開業しており、カウンセラーは一時期テレビでもてはやされた占い師で、二人は付きあいは薄くとも小学校の同級生だった。かつてカウンセラーの女性に言われた言葉が胸に刺さっている、だからあなたのカウンセリングを受けたいという歯科医の女性に、カウンセラーの女性はカウンセリングを引受ける。駅は動いているのに電車が止まらない駅前広場でカウンセリングが始まる。

初日。イキウメの面々にゲストを迎えてのプロデュース公演は、駅前広場をギリシャの円形劇場に見立てて、あの有名なギリシャ悲劇の構成を上手く用いて、笑いは少な目ながらも実に完成度の高い仕上がり。そしてこの時期に上演するからには一般論以上に当然あの事件を連想しますよねという物語。

キャスティングで患者に池谷のぶえ、カウンセラーに松雪泰子というのが良く考えられていて、逆にしなかったところがいい。終盤のやや急な展開のところを個人技で押しきったところは池谷のぶえの面目躍如。そのほかの面々も持味発揮。スタッフワークもばっちり。この舞台美術はいろいろな芝居に再利用できるんじゃないか。

この仕上がりに一切文句はない素晴らしいものだし、駅は動いているのに止まらない電車と何もしない大道芸人を使った比喩が寓話らしさを出しつつさらに射程を広げていた。

だからこそもっともっとそれ以前のところで、観客という立場である私個人との見解の違いにすれ違いも感じた。その点で「無駄な抵抗」というタイトルの正確さには深く同意する。この話を話すと長いので感想後日。というか思った感想を書ける自信がない。

まあみなさん観てください。世間の感想が知りたい。

2023年9月18日 (月)

梅田芸術劇場企画制作「アナスタシア」東急シアターオーブ

<2023年9月17日(日)夜>

帝政ロシアに革命が起きてロマノフ王朝は滅亡したが、パリで過ごしていて難を逃れた皇太后以外に、死体が見つからなかったため皇女アナスタシアはまだ生きているのではと噂されていた。アナスタシアを見つけたものには報奨金を出すという話に、サンクトペテルブルクでくすぶっていた詐欺師ディミトリと元伯爵のヴラドはアナスタシアの身替りを探す。そこにやってきたのが偽の国境通過証を求めるアーニャ。記憶喪失だがパリに行きたいとロシア中を歩いてサンクトペテルブルクまでやって来たという。これはものになりそうだと二人はアーニャにアナスタシアの情報を覚えさせてパリを目指す。

この日はこんなキャスティングでした。ミュージカルはダブルキャストどころかトリプルキャストまでやるので忙しいですね。私はこだわらずに時間の都合だけで観に行きましたけど、目当ての役者がいる人は大変です。

・アーニャ:木下晴香
・ディミトリ:内海啓貴
・グレブ:堂珍嘉邦
・ヴラド:大澄賢也
・リリー:マルシア
・リトルアナスタシア:鈴木蒼奈

筋は前半がロシアからの脱出、後半がパリでのあれこれときれいに通っているのでわかりやすいです。木下晴香は台詞はやや軽いですけど、歌は声に重さが乗っていていいですね。個人的にはややチャラいヴラド伯爵を演じた大澄賢也と、なんといっても皇太后をシングルキャストで演じた麻美れいがいいです。

日本語歌詞のイントネーションが曲の旋律に乗りづらいところ、麻美れいだけは少し台詞っぽさを混ぜていたのがよかったです。あれは海外もののミュージカルをやるときの解法のひとつだと思いますけど、他の人はあまりそういうのはありませんでしたね。

他にも劇中劇で白鳥の湖の超ダイジェストをやってくれるんですけど、全員上手でしたね。この前観ておいたのであれは王子様こっちは邪悪な魔術師と中身がわかってよかったです。

この日はアフタートークがありましたが、ちょっとリピーターチケットの宣伝が多すぎた。主役二人はフリートークが苦手そうだったので、事前に聞きたいこと質問しておいた方がよかったのではないかと思います。だいたい客が聞きたいのは、自分が芝居のどこで悩んだか(または大事にしたか)、相手役をどう思うか、同じ役を務める他の役者をどう思うか、くらいに集約されるでしょうし。その点、大澄賢也の「今回はあまり役を作らずに地でいけた」「いくつになってもときめきは大事ですよ」(どちらも大意)はアフタートークとして面白かったです。

あとは映像パネルを多用した美術が本当に見事だったんですけど、あれは映像を映した上にさらにプロジェクションマッピングを重ねて奥行きを出しているそうです。あとパネルとケーブルには絶対に触るなと厳命が出されているとか。あれは、映像も美術も海外のものをそのまま持ってきたのかな。クレジットがよくわかりませんでした。場面転換を素早くするために、オブジェらしいオブジェは上手と下手に固めて、電車みたいな大物はたまにひとつだけどんと出して、非常によく考えられていました。

話だけを考えると、前回の公演から今回の公演の間にロシアのウクライナ進行があって、あとはパリのエッフェル塔での写真撮影騒動があったりして、芝居鑑賞に邪魔くさい現実社会のノイズが増えているんですけど、それはそれ、これはこれで気にせずに観るのがよいかと思います。

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