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2025年3月16日 (日)

ワタナベエンターテインメント企画制作「マスタークラス」世田谷パブリックシアター

<2025年3月15日(土)夜>

世界的なオペラ歌手のマリア・カラス。彼女が劇場で生徒を相手に公開指導を行なうマスタークラスが開催される。やってきた生徒を相手に指導を行なううちに、昔の思い出がよみがえる。

黒柳徹子がセゾン劇場の再演で演じたのを観て以来だから何年ぶりでしょうか。細かいところは忘れて臨みましたが、実はよくできた話だったのだなと観終わって感心していました。

前に観たときはマリア・カラスのとがったプライドと、生徒や他の有名な歌手に対して意地が悪い様子のところに笑っていた覚えがあります。今回それはそれとして、マリア・カラスが音楽に対しては真摯に臨んでいた面をそれ以上に強調する演出でした。で、そこを取出したら、考え方としてはやや古いものの、古いなりに筋の通った、そして極めるからにはひとつのことに打込むことが当たり前、当たり前にならざるを得なかった余裕のない時代で最高峰まで上り詰めた歌手の芝居に仕上がっていました。

それを演じた望海風斗も、出だしはやや硬かったものの後半は調子が上がっていました。宝塚トップも務めた喉の披露はほどほどに、だけど経験と貫録は引っさげて、いいマリア・カラスでした。他もなかなかいいのですが、演奏とスタッフ役の2人はともかく、歌手の3人が単体で観るといいのですがどうも馴染んでいない。歌唱力優先で選んだためか地の場面の調子まで大げさに過ぎる。これは公演後半になるほど馴染んでしっくりくるケースと見受けましたが、こちらはもう一度観るわけにはいかないので、演出でもう少し調子は均しておいてほしかったです。

あまり比べるものではありませんが、とはいえやはり黒柳徹子の芝居を思い出すと、前半最後の回想場面で「私は勝った!」と叫んだときのあの一声、あれで私は黒柳徹子を女優と認識したので、あそこにひとつピークがほしかったとは思いました。それは他の歌手に対して意地が悪い様子との裏返しなので演出に合わなかったかもしれませんが。まだ芝居に対してどんなものかと探っていたころに受けた強烈な印象というのはなかなか抜けないものだと、帰り道に自分も回想していました。

梅田芸術劇場/研音企画制作主催「昭和元禄落語心中」東急シアターオーブ

<2025年3月15日(土)昼>

昭和の時代、名人と呼ばれるも弟子を取らないことで有名な噺家が、刑務所帰りで弟子入りを頼み込んだ男を弟子に取る。住込みなので自宅に居候となるが、家族はおらず、付人以外にはかつての兄弟弟子の娘が暮らしている。兄弟弟子が妻と一緒に亡くなったので引取って養っているのだが、その娘は噺家が両親を殺したと言い張る。ただ事ではないので新弟子が訊ねたところ、付人は娘の両親と噺家を巡る因縁を話し出す。

漫画原作も一切情報を入れないで観に行ったら、落語の話ではなく落語家の話でした。なので落語に寄せた展開は多少出てくるものの、本筋は身寄りのない子供が噺家に弟子入りして辿った因果です。

落語の場面は初めと終わりだけやるので座りっぱなしの場面が続くわけではありませんが、それだけに落語家らしく見せるのは難しい。そこを山崎育三郎は破天荒な落語家という設定を生かして、きっぷのよさと華を前に押し出して歌に演技に魅せてくれました。そちらが動なだけもう一方の落語家は静にならざるを得ず、古川雄大は歌はいいものの場面作りで動きを大げさにつけるわけにもいかず苦労していました。事情はみよ吉を演じた明日海りおも同じで、芸者時代は着物もあって動きが狭く、洋装になってからの方が場面は短くとも自由でした。それよりも落語家の物語という体を保っていたのは二人の師匠を演じた中村梅雀によるところが大きく、この人あってこその今回の物語と思わされました。

原作が選ばれることだけのことはあってよくできていましたし、役者も歌と演技を熱演していました。ただ、落語をミュージカルにするならともかく、落語家の話をミュージカルにするのはなかなか難しかった。ミュージカルにするには食い合わせが悪いというか、ストレートプレイの方が向いている原作だったように思われます。それをミュージカルにするなら歌の歌詞も挟みどころもまだまだ工夫のしどころがあったかなと思います。歌詞については後ろのスクリーンに映していましたが、私の観た席からだと半分以上見切れましたので、その辺もストレスでした。

その歌詞が見切れた理由の1つは高さのあるセットを組んだからですが、あの高さも物語にはここ一番以外にはいらなかった。大きい劇場を満員にした集客力はさすがでしたが、PARCO劇場とは言わないまでも、せめてシアタークリエくらいに抑えていたらまた評価も変わったかな、というのがミュージカルひよっこな観客としての感想です。

2025年2月23日 (日)

東京サンシャインボーイズ「蒙古が襲来」PARCO劇場

<2025年2月21日(金)昼>

来客の準備に忙しい対馬の村長の家。どうやら鎌倉から武士がやって来たらしい。海の向こうから異国の襲来があるかどうかを確かめたいからだという。だが手伝ってほしい子供は遊びに出かけ、久しぶりに戻ってきた村長の息子は妹夫婦に準備を任せてぐうたらしている。鎌倉からの客人の相手をするために他の村や神社からも人が来ているが、どうにものんびりとした晴天の1日。

東京サンシャインボーイズ再公演ということで、観ました。普段の三谷幸喜の芝居から考えていたのとはだいぶ異なるスロースタートな芝居なのは、劇団員が多くてその分だけ登場人物が増えて、紹介に時間がかかるからでしょう。三谷幸喜のことだから、むしろそれを解決するためにのんびりとした漁村という舞台設定を選んだに違いありません。そこから少しずつ笑いが始まっていきます。オチはどうなるかと考えながら観ていたら、これはないよなと考えていたオチになりました。そうやって期待を裏切っていってこその三谷幸喜、でしょうか。

名前を見れば「おお」と思うような実力派が並んでいるのですが、全員役に徹して、狙って笑いを取りに来るようなことはしません。が、それが過ぎて、観たことのある役者でも「この役があの人かな?」となってしまいました。三谷幸喜の嫌うところではあるでしょうが、もう少しあざとく笑わせに来てもよかったかなと思います。

開演前と後のアナウンスもささやかに笑いを取りに来るので、早めに劇場に着いてアナウンスが聞こえてきたら耳を傾けてみましょう。

2025年1月13日 (月)

パルコ企画制作「志の輔らくご in PARCO 2025」PARCO劇場

<2025年1月12日(日)昼>

いろんな人がやって来る窓口は応対する職員も大変で「みどりの窓口」。実家の寺を継ぐつもりで故郷に戻ったものの父が元気なら自分は必要ないとわかって市役所勤めを始めた男の無鉄砲な行動力「ローマへの米」。博打に狂った左官の親方、積もった借金をきれいにしてほしいと娘が吉原に身を売ろうとするも、女将の計らいで一年の猶予をもらって大金を手にしたが「文七元結」。

新年吉例。「みどりの窓口」は聴いたことがあったけれどもやっぱり面白い。「ローマへの米」は細部はともかく実話だけれど、家に帰って検索してわかったのは故郷に戻る前の前職で、それは行動力もある人だろうなと。そしてたまに見かける話の元がこれだったかとようやく知った「文七元結」。どれもよくできている。幕間の映像だけは、笑わせようとして一部ネタを入れていたんじゃないかと思うけど、客席全員信じていたみたいなので笑うか迷った。でもパルコが2位なわけないだろうと思う。

聴き終わって、1本目はともかく2本目と3本目はいい話に寄せてきたなと感じたけれど、それは終わりに志の輔が話していた。去年1年のあれこれをどうまとめようか毎年うんうん唸ってようやく形にするのがこの1か月公演、昨今のひどい世の中を考えると何とかなってほしい。それは自分にはよくわかって、昔の世の中だってひどいことはたくさんあったけど、それだからこそそれ以上に世の中捨てたもんじゃない話もたくさんあったんだという話。昨今は下は余裕がなくて、余裕があるはずの上は狡すっからい考えが目に付いて、神も仏もあるものかと言いたくなる世の中だからこその演目選定かと。

2024年12月28日 (土)

シス・カンパニー企画製作「桜の園」世田谷パブリックシアター

<2024年12月22日(日)昼>

帝政末期のロシア。先祖代々の資産を食潰しながら、なお贅沢な暮らしを続ける未亡人である伯爵夫人とその兄。地主ではあるが、借金の抵当となっている自宅の屋敷と、その周りの広大な桜の園。抵当の競売流れを防ぐために娘や領地の農奴の息子の成上り商人たちが頑張ってお膳立てして決断を促すも、当主の未亡人はなかなか思い切れずに時間ばかりが過ぎていく。

かもめ」「三人姉妹」「ワーニャ伯父さん」と続いたKERAのチェーホフシリーズの最後。本当は2020年に上演のはずが新型コロナウィルスで直前で中止が決まって、そのときは大竹しのぶ主演だったけど、今回は天海祐希に交代しての再上演。笑いを混ぜていじっても、大本が崩れないのはさすがの見極めであり、古典の強度。圧倒的にわかりやすい。

役者の選び方はさすがで、一に天海祐希の伯爵夫人。初めに出てきたときに屋敷の中を見る体で客先に向いてポーズを決めるのだけど、その瞬間でもう貴族だった。あれは周りの人も強く出られない。その分だけ、情けない部分は兄の山崎一が多めに引受けていたけれど、崩れそうで崩れない役作りはさすが。

そして成上り商人ロパーヒンの荒川良々。代々農奴の出身で決して洗練されてはいないけど、頑丈な身体で惜しみなく働いて財を築き、そこには成金とはいえ軽蔑する要素を感じさせないこと、そして周りへの親切が金になってしまう、だけど伯爵夫人一家にだけはいまでも真摯に尽くして上下関係が乗り越えられない。あの感じは、日本人である自分にとって想像と親近感が届く役作りと設定だった。その役に真摯に臨んだ荒川良々の当たり役として記憶されていい出来。

この天海祐希の伯爵夫人と荒川良々の成上り商人、二人の関係が過去最高にしっくりきた。だからこそ他をどれだけいじっても全体が崩れない。さすがだった。他にメモとして、小間使いの池谷のぶえの娘々した演技、執事でネタ多目に見えてそればかりではない役どころをこなした浅野和之、長女をド安定で演じた峯村リエ、家庭教師なのに何気に本当に手品が上手かった緒川たまき、借金をせびる隣人なのにそこまで嫌さを感じさせずに通した藤田秀世を挙げておく。ちなみに亡き息子の家庭教師の井上芳雄は、この手練れ達の前に埋没した感あり。

演出としては多数ネタを入れても本筋はきっちりしてたけど、少し今まで観たものとは違う。没落を防ぐ手を伸ばされているのに手を取れない貴族の愚かさは押さえつつも、新しい時代と生活に胸を躍らせる娘と家庭教師も馬鹿にしている感あり。天涯孤独で次の仕事に食いつこうという娘の家庭教師とか、親を捨てて自分の暮らしたい暮らしを選ぶ従僕とか、そういう脇も全体に突き放した感がある。これはいまだに言葉にできないのだけど、安定した暮らしなんてないと言わんばかりのドライな雰囲気が漂っている。

だからなのか、観終わってから打ちのめされたような気分になって、続けて観ようと考えていた芝居を取りやめてしまった。この週末は疲れていたところにまとめて芝居を観すぎて、得るところも多かったけどここが限界だった。

スタッフワークは、プロジェクションマッピングがない代わりに、壁を組合せての場面転換、あるいは壁を外して庭を見せるのが見事。いろいろ工夫があるものだと発見を新たにした。

2024年11月24日 (日)

世田谷パブリックシアター企画制作「ロボット」シアタートラム

<2024年11月23日(土)夜>

生物を作り出すことを発明した博士とその甥から幾年、とある島では生物的には人間と同じ器官を持ち、ただし感情や痛覚を持たない生き物を作って売っている工場があった。この生物はロボットと呼ばれ、世界中で引っ張りだこであった。この会社の社長令嬢がロボットの人権向上を目指して島に見学に訪れるが、島で働く数少ない人間である工場長に求婚されて島に残る。それから10年、社長令嬢の誕生日、1週間前から島に船がやって来ていなかった。

古典小説らしいですが、役者を信用して脚本演出したなという印象。出だしはさておき、それから10年で話を飛ばすところは字幕か何かを出しそうなものですが、舞台替えだけでそのまま押しました。向こうに大勢のロボットがいる場面で役者の演技が実に揃っていて、腕のある役者が集まっていました。何でもない場面を面白くやって盛上げる渡辺いっけいはさすがで、対照的に突然ネタを挟んでうけを狙ってくる菅原永二は、うん、この日は滑っていました。小劇場的演出の生理としてここでひと笑いほしいというのはわかるのですが、そこはもう少し別のところでやるように演出で整理してほしい。ただし役者全員、テンションを維持していたのはさすがです。話に出ていたレンガを模したであろう板で舞台美術を変えていくところは面白い。

物語はやっぱり古典らしいというか、三幕目に相当するところが蛇足といえば蛇足だし、今となっては終わり方も楽観的すぎる。けど、それも含めて古典じゃないですかね、という感想。「来てけつかるべき新世界」とこの「ロボット」との間を埋めるような芝居が望まれます。それが何というか、人類の未来への希望になるのではないかと。

2024年10月20日 (日)

世田谷パブリックシアター企画制作「セツアンの善人」世田谷パブリックシアター

<2024年10月18日(金)夜>

善人を探すために旅をしている三人の神様は、貧しくてあわただしい街セツアンにやって来た。そこで一夜の宿に泊めてくれた貧しい娼婦のシェン・テを善人として、大金を与えて去る。その金で煙草屋を買って商売を始めようとするが、煙草屋を買うところから騙された上に知合いの貧しい一家が押しかけて来たために初めから躓く。そこを何とかするために、損得を第一に考える架空の従兄シュイ・タを考え付くと、自分でシュイ・タに化けて周りの貧しい人たちを一掃する。それで一息ついたシェン・テだが、ある雨の夜に失業中のパイロット、ヤン・スンと出会ってしまい、一目惚れして恋に落ちる。

有名だけど見たことがなかったブレヒトの1本。観終わればまあなんという意地悪な脚本だと考えずにはいられない。シェン・テとシュイ・タ2役の葵わかなは前半ヤン・スンと結婚を決める場面にもう少し迷った風情がほしかったけど後半はいい感じ。ヤン・スンの木村達成はヒモっぷりがいい感じ(笑)。脇も十分実力揃い。最後に異化効果で終わるのがああこれが異化効果かブレヒトらしいと思えるけど、たったあれだけの台詞でも説得力を持たせるには小林勝也は適任。

席はまだ空いていたけど、まだ観たことのない人には上の席なんかで勧めておきたい。これ、時間を置いて二度観ると自分の立場や考え方の変わりように気づかされるような脚本なので。

2024年7月 1日 (月)

パルコ企画製作「ウーマン・イン・ブラック」PARCO劇場

<2024年6月30日(日)昼>

若い頃の仕事で忘れられない経験をして歳を重ねた弁護士。誰にも語らずに悩みつづけた弁護士は、他人にその経験を語ることで自分の悩みが吹っ切れることを期待して、経験を親族に伝えることを決意する。伝えるべき内容を書上げた弁護士だが、親族相手といえども人前での朗読は未経験で不慣れ。そこで役者を雇って劇場での個人レッスンを依頼する。弁護士の書いたものが素人には長すぎることを問題視した役者は、2人で芝居形式で演じることで、より短く効果的に伝えることを提案する。特に話の多い弁護士本人の役を役者が引受け、弁護士はそれ以外の人々の台詞を覚えるように提案する。さっそく稽古を開始する2人だが・・・。

ネタバレはしませんが、2003年と2008年、斎藤晴彦と上川隆也の組合せで前に2回観ています。それが今回は勝村政信と向井理の顔合わせ、となれば雰囲気も多少は変わるというものですが、いい芝居はやはりいい芝居でした。

渋い演技が昔の時代の雰囲気に合っていた斎藤晴彦と、イケメンでありながら実直な上川隆也との組合せは初めからじわじわと怖がらせていました。それが今回は、笑いを取ってから深刻に持っていく勝村政信と、背が高い足が長い顔が小さいこれで本当に日本人かの華やかな向井理との組合せは、明るい場面と暗い場面の落差で勝負です。

脚本演出が全体に、親切寄りになっていました。昔はあそこまで見せなかったような気がします。そのあたりは時代です。それもあるし、3回目だし、怖がることはないと思って観ていたのですが、音にはやっぱり驚かされます。客席にもスピーカーを仕込んでいるんですね、あれ。

初見の向井理が思ったよりも上手で、さすが二人芝居に抜擢されるだけのことはありましたが、多役をこなしてなおかつ本命の弁護士役の切実さを見せてくれた勝村政信の芸達者が一枚も二枚も上手でした。それはもう芸歴の違いとしか言えません。ただ、割と噛合わせのいい2人でしたね。

うっかり東京千秋楽を良席で観られたのですが、たまにはそんなこともあらあな、ということで。

2024年5月12日 (日)

青年団「思い出せない夢のいくつか」こまばアゴラ劇場

<2024年5月11日(土)夜>

歌手とマネージャーと付人が、営業先に移動するために夜中の電車に乗っている。煙草を吸いに行った別の車両では、妙な乗客に話しかけられて辟易とする。車中のこととてたいしたことができるわけでもなく、取りとめもなく交わされる会話の数々。

マネージャー役の大竹直と歌手役の兵頭公美は2019年版と同じ、付人が南風盛もえで今回は変わりました。元は緑魔子主演の外部プロデュースのために書かれた、銀河鉄道の夜をモチーフに作られた一本ですけど、当日パンフには「阿房列車」をセルフカバーする形で作られたとありました。冒頭にほとんど同じ会話を出してきたので、両方観るとそこは同じような台詞でも変わるものだなと。

あれと言えばこれと返せるくらい話が合う付合いの長い歌手とマネージャーで、別の人間と結婚数ヶ月で破綻した歌手はマネージャーにひそかに好意を寄せている、というところまでは2019年版と同じです。ただ2019年版は、「夫婦が似るって本当ですか」と聞く若い付人に懸想するマネージャーと、それを察していながら知らん振りして若い付人を遠くへやれないか考える歌手、という関係に見えました。そこが今回は、すでにマネージャーと付人は付合っていて、付人は歌手を尊敬していて、歌手は二人を応援する、という関係に見えました。はっきりとした応援の台詞や笑いの終わりに泣いたように見せる演技が前回はあったか、思い出せません。

前回観たときもいいなあと思いましたが、この芝居にはマネージャー役の大竹直と歌手役の兵頭公美の組合せが似合っています。青年団で平田オリザの演出に応えつつ、普段の青年団らしくない雰囲気も出せますよね。南風盛もえも好演でした。

S高原から」「銀河鉄道の夜」と来て、「阿房列車」に続けてこの「思い出せない夢のいくつか」を観て、こまばアゴラ劇場の閉館前の観劇を締められたのはよかったです。「思い出せない夢のいくつか」を最後の1本にしたかったので、それは上手くいったし、最後の1本にふさわしい仕上がりでした。

青年団「阿房列車」こまばアゴラ劇場

<2024年5月11日(土)夕>

娘夫婦を訪ねるために電車に乗っている夫婦。何となく気のない会話しているところに若い女性がやって来て向かい座る。夫は何かと話しかけるが若い女性には迷惑そうである。

「旅行ですか」と話しかけるところから始まる三人の会話は、平田オリザの本に書かれていたかな。オチのない会話が続く中、三人の誰がいるかいないかを使って描かれる夫婦の関係です。

何かと夫に気を使うのに夫から気に掛けているようで雑に扱われる妻、妻には気のない会話をするのに若い女性には何かと話しかけたい夫、夫に話しかけられても迷惑そうにするのに夫のいないところでは妻に自分から話しかける若い女性、実に上手です。三人とも好演でしたが、役どころもあってかたむらみずほがやや目立ちます。

若い女性が社内販売の売り子を務めるのが二役ではなく別人であると劇中では示しながら進むところは、一見笑いを取りに行ったように見えます。だけど娘に会いに行くことを話す中で「もうすぐですね」と話したり、偽卵のことを話したりするあたり、どことなく孫のことを予感させます。

初演は平田オリザ初の外部への描き下ろしだそうですが、平田オリザのお手本のような芝居でした。

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