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2025年6月 1日 (日)

シス・カンパニー企画製作「昭和から騒ぎ」世田谷パブリックシアター

<2025年5月31日(土)夜>

昭和の落着いた時期の鎌倉。芝居好きの教授の家に、贔屓の旅芸人一座から以前も相手をした役者たちが訪ねてくる。人気役者の木偶太郎は教授の長女のいい口喧嘩仲間だが、弟弟子の定九郎は次女に一目惚れしてしまい次女も満更ではない。次女の気持ちを確かめるのを手伝ってほしいと兄弟子に無理やり頼み込むところに見回りの巡査がやってきて、いい案を思いついたからと木偶太郎は協力することになってしまう。

本家の「から騒ぎ」は観たことがありませんが、昔ながらの芝居のだいぶ強引なところは多数あって、そこを大泉洋を中心とした手練れに突っ込みを入れさせつつの力技で乗り切って大笑いという仕上がりでした。

巡査がどうしてそこまで他人の家の話に深く関わってしかも引っ掻き回すのかと現代劇なら通じないところ、こいつがすべての元凶だと芝居の中で突っ込ませつつ、昭和もまだ五輪前くらいなら馴れ馴れしいくらい入り込むのもぎりぎりあるかなというあたりを狙って翻案するのはさすがでした。日本家屋も女中も旅芸人も、ぎりぎり残っていたでしょう。これはこの時代を選んだ三谷幸喜の慧眼です。

それでもシェイクスピア原作で、しかもあの時代の喜劇ですから、話の進め方は強引の一言に尽きるのですが、その強引を納得させる主役に大泉洋を選んだ三谷幸喜のキャスティングはさすがとしか言えません。出て来るだけで拍手をもらう大泉洋はずるいのですが、この荒唐無稽な話を観客に納得させられるイメージと見た目と腕前のすべてを兼ね備えた当代の一人です。その相手役の宮沢りえが芝居を引張るのではなく馴染むのも久しぶりに見ましたが、そういうときでもいい役者ですよね。シス・カンパニー所属とはいえ脇に小劇場で揉まれたベテランを当てるところの確かさ。だから全員役に徹しつつ、熱海五郎一座よりもよほど東京軽演劇ではないかという仕上がりでした。

ちなみにこの日は巡査役の山崎一が名手らしからず二度もトチって、二度目は客席が笑いつつ役者が笑わないようにこらえる中、後ろを向いてごまかしたところから一気に引き戻した松本穂香の根性は見事でした。

それにしても大泉洋と宮沢りえが、年齢不詳でした。芝居上は特に年齢は触れられていませんが、途中で身体を使って入替る場面もあったりして、三十代前半と二十代後半くらいかなあ、というつもりで最後まで観られました。これが売れっ子役者というものかと帰り道でしみじみ思い返していました。

日本家屋の一間が舞台なので蛍を除けば動きの少ないスタッフワークですが、全体に色が少ないところが、狙っていたのでしょうけどよかったですね。一人を除いて衣装は白またはかなり白に近いグレー、日本家屋も余計な色のついた置物は置かずに、庭の隅の緑は照明を隠して目立たせず。花火映えするのもありますが、全体にすっきりして、昔の日本の家はこんな感じだったよなと祖母の家を思い出しました。

役者良し、スタッフ良しですが、それらをひっくるめてさすが三谷幸喜とこれはシャッポを脱ぐしかない芝居でした。カーテンコールで大泉洋が「こんなくだらない芝居を皆様よくぞ」と話すような芝居です。そもそも元の題名からして「から騒ぎ」なのですが、ここまで真面目にくだらない話に徹した喜劇は昨今貴重なので、無事に千秋楽まで完走してほしいです。

<2025年6月18日(水)追記>

文章を少し調整。

2025年5月12日 (月)

イキウメ「ずれる」シアタートラム

<2025年5月11日(日)夜>

とある会社の社長の兄とその弟。豪邸を建てた両親は海外に移住して2人暮らし。弟は精神病院に半年入院して退院したばかりだが、仕事だけでなく家事一切すら行なうつもりはない。事情があって長年勤めていた家政婦に暇を出したばかりなので新しく人を探している。幸い隣町出身の格好の人材が応募してきたので兄は雇って働き始めてもらったが、弟は弟で怪しげな男を家に連れ込む。折しも、山を越えた隣町では豪雨災害の影響で人だけでなく野生の動物まで避難してきていると言われている。

初日。ああ、イキウメっぽい、という芝居。具象芝居ではあるけど、半分ネタバレで書くと「人魂を届けに」とか「新しい祝日」とか、そんな感じ。そこでいままでのイキウメと違うなと感じたのは、観客に芝居と距離を取らせたかったか、登場人物5人とも、素直に感情移入できないような要素を持たせていること。さらっとしていいように見せているけどあの役もしれっと酷いですから(ネタバレ防止)。

それなりに笑いはあっても、観終わってすっきりするかというと、そういう芝居ではない。こんな終わり方でいいのかという終わり方。こんな終わり方でもそれなり以上に格好が付いてしまう世の中になってしまった。そういう現代をイキウメっぽく切り取って見せた1本。

ケムリ研究室「ベイジルタウンの女神」世田谷パブリックシアター

<2025年5月11日(日)昼>

親から社長の椅子を譲り受けた、とある大デベロッパー会社の世間知らずの令嬢社長。1か月後に結婚を控える婚約相手の専務は次の市長選に打って出る予定で順風満帆。そのためにもと、街中の貧民街ベイジルタウンの再開発を計画する。隣接する区画を譲ってもらうため訪れた会社の社長はかつての小間使いだが、まったく覚えていない。そこに相手から持掛けられたのは、令嬢社長1人だけでベイジルタウンで着の身着のまま1か月無事に過ごせたら土地をただで渡す、過ごせなかったらただで譲るという賭け。こうしてベイジルタウンにやってきた社長令嬢だが・・・。

これがKERA芝居かと言いたくなるくらいの予定調和に充ちたハートフル不条理ファンタジーコメディ。相変わらず名人芸の映像とステージワークまでハートフルな絵を使って、お終いは思いっきり甘く巻いて仕上げた1本。緒川たまきに本気でぶりっこをさせてどこまで魅力を引出せるかに挑戦したに違いないので、主役が体調不良では中止もやむなし。もともと緒川たまきメインのKERAとのユニットでもあるし。

役者は書かれている名前から好きな人を選べばいいんじゃないですかね、1行目と3行目なんて誰を選んでもいいですよ、と言いたいところだけど、古田新太があの役かと言われるとそれは疑問。この日は台詞ととちっていたけどそんなことは関係なく、さすがに役に合わなさすぎじゃないのかと。

2025年3月16日 (日)

ワタナベエンターテインメント企画制作「マスタークラス」世田谷パブリックシアター

<2025年3月15日(土)夜>

世界的なオペラ歌手のマリア・カラス。彼女が劇場で生徒を相手に公開指導を行なうマスタークラスが開催される。やってきた生徒を相手に指導を行なううちに、昔の思い出がよみがえる。

黒柳徹子がセゾン劇場の再演で演じたのを観て以来だから何年ぶりでしょうか。細かいところは忘れて臨みましたが、実はよくできた話だったのだなと観終わって感心していました。

前に観たときはマリア・カラスのとがったプライドと、生徒や他の有名な歌手に対して意地が悪い様子のところに笑っていた覚えがあります。今回それはそれとして、マリア・カラスが音楽に対しては真摯に臨んでいた面をそれ以上に強調する演出でした。で、そこを取出したら、考え方としてはやや古いものの、古いなりに筋の通った、そして極めるからにはひとつのことに打込むことが当たり前、当たり前にならざるを得なかった余裕のない時代で最高峰まで上り詰めた歌手の芝居に仕上がっていました。

それを演じた望海風斗も、出だしはやや硬かったものの後半は調子が上がっていました。宝塚トップも務めた喉の披露はほどほどに、だけど経験と貫録は引っさげて、いいマリア・カラスでした。他もなかなかいいのですが、演奏とスタッフ役の2人はともかく、歌手の3人が単体で観るといいのですがどうも馴染んでいない。歌唱力優先で選んだためか地の場面の調子まで大げさに過ぎる。これは公演後半になるほど馴染んでしっくりくるケースと見受けましたが、こちらはもう一度観るわけにはいかないので、演出でもう少し調子は均しておいてほしかったです。

あまり比べるものではありませんが、とはいえやはり黒柳徹子の芝居を思い出すと、前半最後の回想場面で「私は勝った!」と叫んだときのあの一声、あれで私は黒柳徹子を女優と認識したので、あそこにひとつピークがほしかったとは思いました。それは他の歌手に対して意地が悪い様子との裏返しなので演出に合わなかったかもしれませんが。まだ芝居に対してどんなものかと探っていたころに受けた強烈な印象というのはなかなか抜けないものだと、帰り道に自分も回想していました。

梅田芸術劇場/研音企画制作主催「昭和元禄落語心中」東急シアターオーブ

<2025年3月15日(土)昼>

昭和の時代、名人と呼ばれるも弟子を取らないことで有名な噺家が、刑務所帰りで弟子入りを頼み込んだ男を弟子に取る。住込みなので自宅に居候となるが、家族はおらず、付人以外にはかつての兄弟弟子の娘が暮らしている。兄弟弟子が妻と一緒に亡くなったので引取って養っているのだが、その娘は噺家が両親を殺したと言い張る。ただ事ではないので新弟子が訊ねたところ、付人は娘の両親と噺家を巡る因縁を話し出す。

漫画原作も一切情報を入れないで観に行ったら、落語の話ではなく落語家の話でした。なので落語に寄せた展開は多少出てくるものの、本筋は身寄りのない子供が噺家に弟子入りして辿った因果です。

落語の場面は初めと終わりだけやるので座りっぱなしの場面が続くわけではありませんが、それだけに落語家らしく見せるのは難しい。そこを山崎育三郎は破天荒な落語家という設定を生かして、きっぷのよさと華を前に押し出して歌に演技に魅せてくれました。そちらが動なだけもう一方の落語家は静にならざるを得ず、古川雄大は歌はいいものの場面作りで動きを大げさにつけるわけにもいかず苦労していました。事情はみよ吉を演じた明日海りおも同じで、芸者時代は着物もあって動きが狭く、洋装になってからの方が場面は短くとも自由でした。それよりも落語家の物語という体を保っていたのは二人の師匠を演じた中村梅雀によるところが大きく、この人あってこその今回の物語と思わされました。

原作が選ばれることだけのことはあってよくできていましたし、役者も歌と演技を熱演していました。ただ、落語をミュージカルにするならともかく、落語家の話をミュージカルにするのはなかなか難しかった。ミュージカルにするには食い合わせが悪いというか、ストレートプレイの方が向いている原作だったように思われます。それをミュージカルにするなら歌の歌詞も挟みどころもまだまだ工夫のしどころがあったかなと思います。歌詞については後ろのスクリーンに映していましたが、私の観た席からだと半分以上見切れましたので、その辺もストレスでした。

その歌詞が見切れた理由の1つは高さのあるセットを組んだからですが、あの高さも物語にはここ一番以外にはいらなかった。大きい劇場を満員にした集客力はさすがでしたが、PARCO劇場とは言わないまでも、せめてシアタークリエくらいに抑えていたらまた評価も変わったかな、というのがミュージカルひよっこな観客としての感想です。

2025年2月23日 (日)

東京サンシャインボーイズ「蒙古が襲来」PARCO劇場

<2025年2月21日(金)昼>

来客の準備に忙しい対馬の村長の家。どうやら鎌倉から武士がやって来たらしい。海の向こうから異国の襲来があるかどうかを確かめたいからだという。だが手伝ってほしい子供は遊びに出かけ、久しぶりに戻ってきた村長の息子は妹夫婦に準備を任せてぐうたらしている。鎌倉からの客人の相手をするために他の村や神社からも人が来ているが、どうにものんびりとした晴天の1日。

東京サンシャインボーイズ再公演ということで、観ました。普段の三谷幸喜の芝居から考えていたのとはだいぶ異なるスロースタートな芝居なのは、劇団員が多くてその分だけ登場人物が増えて、紹介に時間がかかるからでしょう。三谷幸喜のことだから、むしろそれを解決するためにのんびりとした漁村という舞台設定を選んだに違いありません。そこから少しずつ笑いが始まっていきます。オチはどうなるかと考えながら観ていたら、これはないよなと考えていたオチになりました。そうやって期待を裏切っていってこその三谷幸喜、でしょうか。

名前を見れば「おお」と思うような実力派が並んでいるのですが、全員役に徹して、狙って笑いを取りに来るようなことはしません。が、それが過ぎて、観たことのある役者でも「この役があの人かな?」となってしまいました。三谷幸喜の嫌うところではあるでしょうが、もう少しあざとく笑わせに来てもよかったかなと思います。

開演前と後のアナウンスもささやかに笑いを取りに来るので、早めに劇場に着いてアナウンスが聞こえてきたら耳を傾けてみましょう。

2025年1月13日 (月)

パルコ企画制作「志の輔らくご in PARCO 2025」PARCO劇場

<2025年1月12日(日)昼>

いろんな人がやって来る窓口は応対する職員も大変で「みどりの窓口」。実家の寺を継ぐつもりで故郷に戻ったものの父が元気なら自分は必要ないとわかって市役所勤めを始めた男の無鉄砲な行動力「ローマへの米」。博打に狂った左官の親方、積もった借金をきれいにしてほしいと娘が吉原に身を売ろうとするも、女将の計らいで一年の猶予をもらって大金を手にしたが「文七元結」。

新年吉例。「みどりの窓口」は聴いたことがあったけれどもやっぱり面白い。「ローマへの米」は細部はともかく実話だけれど、家に帰って検索してわかったのは故郷に戻る前の前職で、それは行動力もある人だろうなと。そしてたまに見かける話の元がこれだったかとようやく知った「文七元結」。どれもよくできている。幕間の映像だけは、笑わせようとして一部ネタを入れていたんじゃないかと思うけど、客席全員信じていたみたいなので笑うか迷った。でもパルコが2位なわけないだろうと思う。

聴き終わって、1本目はともかく2本目と3本目はいい話に寄せてきたなと感じたけれど、それは終わりに志の輔が話していた。去年1年のあれこれをどうまとめようか毎年うんうん唸ってようやく形にするのがこの1か月公演、昨今のひどい世の中を考えると何とかなってほしい。それは自分にはよくわかって、昔の世の中だってひどいことはたくさんあったけど、それだからこそそれ以上に世の中捨てたもんじゃない話もたくさんあったんだという話。昨今は下は余裕がなくて、余裕があるはずの上は狡すっからい考えが目に付いて、神も仏もあるものかと言いたくなる世の中だからこその演目選定かと。

2024年12月28日 (土)

シス・カンパニー企画製作「桜の園」世田谷パブリックシアター

<2024年12月22日(日)昼>

帝政末期のロシア。先祖代々の資産を食潰しながら、なお贅沢な暮らしを続ける未亡人である伯爵夫人とその兄。地主ではあるが、借金の抵当となっている自宅の屋敷と、その周りの広大な桜の園。抵当の競売流れを防ぐために娘や領地の農奴の息子の成上り商人たちが頑張ってお膳立てして決断を促すも、当主の未亡人はなかなか思い切れずに時間ばかりが過ぎていく。

かもめ」「三人姉妹」「ワーニャ伯父さん」と続いたKERAのチェーホフシリーズの最後。本当は2020年に上演のはずが新型コロナウィルスで直前で中止が決まって、そのときは大竹しのぶ主演だったけど、今回は天海祐希に交代しての再上演。笑いを混ぜていじっても、大本が崩れないのはさすがの見極めであり、古典の強度。圧倒的にわかりやすい。

役者の選び方はさすがで、一に天海祐希の伯爵夫人。初めに出てきたときに屋敷の中を見る体で客先に向いてポーズを決めるのだけど、その瞬間でもう貴族だった。あれは周りの人も強く出られない。その分だけ、情けない部分は兄の山崎一が多めに引受けていたけれど、崩れそうで崩れない役作りはさすが。

そして成上り商人ロパーヒンの荒川良々。代々農奴の出身で決して洗練されてはいないけど、頑丈な身体で惜しみなく働いて財を築き、そこには成金とはいえ軽蔑する要素を感じさせないこと、そして周りへの親切が金になってしまう、だけど伯爵夫人一家にだけはいまでも真摯に尽くして上下関係が乗り越えられない。あの感じは、日本人である自分にとって想像と親近感が届く役作りと設定だった。その役に真摯に臨んだ荒川良々の当たり役として記憶されていい出来。

この天海祐希の伯爵夫人と荒川良々の成上り商人、二人の関係が過去最高にしっくりきた。だからこそ他をどれだけいじっても全体が崩れない。さすがだった。他にメモとして、小間使いの池谷のぶえの娘々した演技、執事でネタ多目に見えてそればかりではない役どころをこなした浅野和之、長女をド安定で演じた峯村リエ、家庭教師なのに何気に本当に手品が上手かった緒川たまき、借金をせびる隣人なのにそこまで嫌さを感じさせずに通した藤田秀世を挙げておく。ちなみに亡き息子の家庭教師の井上芳雄は、この手練れ達の前に埋没した感あり。

演出としては多数ネタを入れても本筋はきっちりしてたけど、少し今まで観たものとは違う。没落を防ぐ手を伸ばされているのに手を取れない貴族の愚かさは押さえつつも、新しい時代と生活に胸を躍らせる娘と家庭教師も馬鹿にしている感あり。天涯孤独で次の仕事に食いつこうという娘の家庭教師とか、親を捨てて自分の暮らしたい暮らしを選ぶ従僕とか、そういう脇も全体に突き放した感がある。これはいまだに言葉にできないのだけど、安定した暮らしなんてないと言わんばかりのドライな雰囲気が漂っている。

だからなのか、観終わってから打ちのめされたような気分になって、続けて観ようと考えていた芝居を取りやめてしまった。この週末は疲れていたところにまとめて芝居を観すぎて、得るところも多かったけどここが限界だった。

スタッフワークは、プロジェクションマッピングがない代わりに、壁を組合せての場面転換、あるいは壁を外して庭を見せるのが見事。いろいろ工夫があるものだと発見を新たにした。

2024年11月24日 (日)

世田谷パブリックシアター企画制作「ロボット」シアタートラム

<2024年11月23日(土)夜>

生物を作り出すことを発明した博士とその甥から幾年、とある島では生物的には人間と同じ器官を持ち、ただし感情や痛覚を持たない生き物を作って売っている工場があった。この生物はロボットと呼ばれ、世界中で引っ張りだこであった。この会社の社長令嬢がロボットの人権向上を目指して島に見学に訪れるが、島で働く数少ない人間である工場長に求婚されて島に残る。それから10年、社長令嬢の誕生日、1週間前から島に船がやって来ていなかった。

古典小説らしいですが、役者を信用して脚本演出したなという印象。出だしはさておき、それから10年で話を飛ばすところは字幕か何かを出しそうなものですが、舞台替えだけでそのまま押しました。向こうに大勢のロボットがいる場面で役者の演技が実に揃っていて、腕のある役者が集まっていました。何でもない場面を面白くやって盛上げる渡辺いっけいはさすがで、対照的に突然ネタを挟んでうけを狙ってくる菅原永二は、うん、この日は滑っていました。小劇場的演出の生理としてここでひと笑いほしいというのはわかるのですが、そこはもう少し別のところでやるように演出で整理してほしい。ただし役者全員、テンションを維持していたのはさすがです。話に出ていたレンガを模したであろう板で舞台美術を変えていくところは面白い。

物語はやっぱり古典らしいというか、三幕目に相当するところが蛇足といえば蛇足だし、今となっては終わり方も楽観的すぎる。けど、それも含めて古典じゃないですかね、という感想。「来てけつかるべき新世界」とこの「ロボット」との間を埋めるような芝居が望まれます。それが何というか、人類の未来への希望になるのではないかと。

2024年10月20日 (日)

世田谷パブリックシアター企画制作「セツアンの善人」世田谷パブリックシアター

<2024年10月18日(金)夜>

善人を探すために旅をしている三人の神様は、貧しくてあわただしい街セツアンにやって来た。そこで一夜の宿に泊めてくれた貧しい娼婦のシェン・テを善人として、大金を与えて去る。その金で煙草屋を買って商売を始めようとするが、煙草屋を買うところから騙された上に知合いの貧しい一家が押しかけて来たために初めから躓く。そこを何とかするために、損得を第一に考える架空の従兄シュイ・タを考え付くと、自分でシュイ・タに化けて周りの貧しい人たちを一掃する。それで一息ついたシェン・テだが、ある雨の夜に失業中のパイロット、ヤン・スンと出会ってしまい、一目惚れして恋に落ちる。

有名だけど見たことがなかったブレヒトの1本。観終わればまあなんという意地悪な脚本だと考えずにはいられない。シェン・テとシュイ・タ2役の葵わかなは前半ヤン・スンと結婚を決める場面にもう少し迷った風情がほしかったけど後半はいい感じ。ヤン・スンの木村達成はヒモっぷりがいい感じ(笑)。脇も十分実力揃い。最後に異化効果で終わるのがああこれが異化効果かブレヒトらしいと思えるけど、たったあれだけの台詞でも説得力を持たせるには小林勝也は適任。

席はまだ空いていたけど、まだ観たことのない人には上の席なんかで勧めておきたい。これ、時間を置いて二度観ると自分の立場や考え方の変わりように気づかされるような脚本なので。

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