2024年9月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

2024年7月 1日 (月)

パルコ企画製作「ウーマン・イン・ブラック」PARCO劇場

<2024年6月30日(日)昼>

若い頃の仕事で忘れられない経験をして歳を重ねた弁護士。誰にも語らずに悩みつづけた弁護士は、他人にその経験を語ることで自分の悩みが吹っ切れることを期待して、経験を親族に伝えることを決意する。伝えるべき内容を書上げた弁護士だが、親族相手といえども人前での朗読は未経験で不慣れ。そこで役者を雇って劇場での個人レッスンを依頼する。弁護士の書いたものが素人には長すぎることを問題視した役者は、2人で芝居形式で演じることで、より短く効果的に伝えることを提案する。特に話の多い弁護士本人の役を役者が引受け、弁護士はそれ以外の人々の台詞を覚えるように提案する。さっそく稽古を開始する2人だが・・・。

ネタバレはしませんが、2003年と2008年、斎藤晴彦と上川隆也の組合せで前に2回観ています。それが今回は勝村政信と向井理の顔合わせ、となれば雰囲気も多少は変わるというものですが、いい芝居はやはりいい芝居でした。

渋い演技が昔の時代の雰囲気に合っていた斎藤晴彦と、イケメンでありながら実直な上川隆也との組合せは初めからじわじわと怖がらせていました。それが今回は、笑いを取ってから深刻に持っていく勝村政信と、背が高い足が長い顔が小さいこれで本当に日本人かの華やかな向井理との組合せは、明るい場面と暗い場面の落差で勝負です。

脚本演出が全体に、親切寄りになっていました。昔はあそこまで見せなかったような気がします。そのあたりは時代です。それもあるし、3回目だし、怖がることはないと思って観ていたのですが、音にはやっぱり驚かされます。客席にもスピーカーを仕込んでいるんですね、あれ。

初見の向井理が思ったよりも上手で、さすが二人芝居に抜擢されるだけのことはありましたが、多役をこなしてなおかつ本命の弁護士役の切実さを見せてくれた勝村政信の芸達者が一枚も二枚も上手でした。それはもう芸歴の違いとしか言えません。ただ、割と噛合わせのいい2人でしたね。

うっかり東京千秋楽を良席で観られたのですが、たまにはそんなこともあらあな、ということで。

2024年5月12日 (日)

青年団「思い出せない夢のいくつか」こまばアゴラ劇場

<2024年5月11日(土)夜>

歌手とマネージャーと付人が、営業先に移動するために夜中の電車に乗っている。煙草を吸いに行った別の車両では、妙な乗客に話しかけられて辟易とする。車中のこととてたいしたことができるわけでもなく、取りとめもなく交わされる会話の数々。

マネージャー役の大竹直と歌手役の兵頭公美は2019年版と同じ、付人が南風盛もえで今回は変わりました。元は緑魔子主演の外部プロデュースのために書かれた、銀河鉄道の夜をモチーフに作られた一本ですけど、当日パンフには「阿房列車」をセルフカバーする形で作られたとありました。冒頭にほとんど同じ会話を出してきたので、両方観るとそこは同じような台詞でも変わるものだなと。

あれと言えばこれと返せるくらい話が合う付合いの長い歌手とマネージャーで、別の人間と結婚数ヶ月で破綻した歌手はマネージャーにひそかに好意を寄せている、というところまでは2019年版と同じです。ただ2019年版は、「夫婦が似るって本当ですか」と聞く若い付人に懸想するマネージャーと、それを察していながら知らん振りして若い付人を遠くへやれないか考える歌手、という関係に見えました。そこが今回は、すでにマネージャーと付人は付合っていて、付人は歌手を尊敬していて、歌手は二人を応援する、という関係に見えました。はっきりとした応援の台詞や笑いの終わりに泣いたように見せる演技が前回はあったか、思い出せません。

前回観たときもいいなあと思いましたが、この芝居にはマネージャー役の大竹直と歌手役の兵頭公美の組合せが似合っています。青年団で平田オリザの演出に応えつつ、普段の青年団らしくない雰囲気も出せますよね。南風盛もえも好演でした。

S高原から」「銀河鉄道の夜」と来て、「阿房列車」に続けてこの「思い出せない夢のいくつか」を観て、こまばアゴラ劇場の閉館前の観劇を締められたのはよかったです。「思い出せない夢のいくつか」を最後の1本にしたかったので、それは上手くいったし、最後の1本にふさわしい仕上がりでした。

青年団「阿房列車」こまばアゴラ劇場

<2024年5月11日(土)夕>

娘夫婦を訪ねるために電車に乗っている夫婦。何となく気のない会話しているところに若い女性がやって来て向かい座る。夫は何かと話しかけるが若い女性には迷惑そうである。

「旅行ですか」と話しかけるところから始まる三人の会話は、平田オリザの本に書かれていたかな。オチのない会話が続く中、三人の誰がいるかいないかを使って描かれる夫婦の関係です。

何かと夫に気を使うのに夫から気に掛けているようで雑に扱われる妻、妻には気のない会話をするのに若い女性には何かと話しかけたい夫、夫に話しかけられても迷惑そうにするのに夫のいないところでは妻に自分から話しかける若い女性、実に上手です。三人とも好演でしたが、役どころもあってかたむらみずほがやや目立ちます。

若い女性が社内販売の売り子を務めるのが二役ではなく別人であると劇中では示しながら進むところは、一見笑いを取りに行ったように見えます。だけど娘に会いに行くことを話す中で「もうすぐですね」と話したり、偽卵のことを話したりするあたり、どことなく孫のことを予感させます。

初演は平田オリザ初の外部への描き下ろしだそうですが、平田オリザのお手本のような芝居でした。

2024年5月 2日 (木)

青年団「銀河鉄道の夜」こまばアゴラ劇場

<2024年4月25日(木)昼>

学校でいじめられっ子のジョバンニが、町の夏祭の夜に、唯一の親友カムパネルラと銀河鉄道に乗って銀河を旅する。

前に一度観ていて、今回が二度目。ダブルキャストの初日でチーム白鳥座。相変わらず本家の宮沢賢治は読んだことがないのですけど、オープニングの暗転の中で騒ぐところの他にも細かい工夫が増えて演出には磨きがかかった印象。

初日だったせいか、青年団の芝居には珍しく精緻さよりも勢いで押しているように見える場面が散見した。やっている人たちは好きな演目なのだろうかと感じさせる場面が多く、その分もう少し、仕事に徹してほしいという印象を覚える仕上がり。どれだけやっても宮沢賢治のフォーマットから外れない脚本だけど、といってそのまま好きにやればいいってものでもないのだなと勉強になった。

2024年4月10日 (水)

青年団「S高原から」こまばアゴラ劇場

<2024年4月6日(土)昼>

他人には伝染しないが緩やかに死に向かう病。その病気にかかった患者向けに高原に作られた療養所。そこに入院する患者と、お見舞いに来る人と、働く人たちのある日の様子を描く。

これで三回は見ているはずの、青年団を代表する一本。スマホが出てくるけれど電波が届かない扱いになっていたり、微妙に設定は現代にアップデートされていました。ただ、細かい設定の違いは除いても、会話をそこまで大袈裟にいじるわけにはいきません。そこを追うと登場人物には20世紀生まれ20世紀育ちいまも20世紀の雰囲気を多く感じました。

ただ、スマホが出た後のいつ頃の想定なのかは芝居からは窺い知れません。ジブリの風立ちぬのことはこちらが先だから出さないのはごめんなさいと当日パンフで謝っていたから、それより後(2013年以降)、やっぱり現代を想定してアップデートしてきたのだと思います。

ただし本当に現代だと、ネットで暇をつぶす患者や(金持ち向けの療養所なのにネットが入っていないってことはないはずですけど)、それゆえに通販で何でも買っちゃうような人(金持ちなので)がいてもおかしくありません。脚本がいつの時代まで現代を保って更新できるのか、平田オリザが挑戦していたのかもしれませんが、その分だけ脚本の完成度を崩してしまってやや中途半端な感はありました。

そんな中では、島田曜蔵演じる看護人の、我慢を堪えるうちに怒りだす様子に一番今を感じました。元からあんなに怒っていた役かは覚えていないですけど。あれをもっと若い役者が演じると、きっと淡々とこなすような演出になるのかもと考えながら観ていました。あまり時代の影響を感じなかったのは、初めに出てくる患者と婚約者とその付添いの友達のところと、お見舞いに来ていた三人組のところです。怪獣の靴の兄妹や絵描き関係は今回かなり引っ込んで見えました。

演出の違いか役者の違いかはわかりませんけれど、設定は古いままのほうがもう少し逼塞感が強まって、死でも性でも雰囲気が強く漂って、そのほうがこの芝居は好みかなと思ったり思わなかったりします。いっそ百年経てば初演の脚本が古典として固定されると思いますけど、それを生モノとしてアップデートしようとすると現代劇は難しいですね。スマホの発明はそれだけ世の中を変えたのだと実感しました。

2023年12月24日 (日)

株式会社パルコ企画製作「海をゆく者」PARCO劇場

<2023年12月16日(土)昼>

アイルランドの田舎町。仕事を辞めて久しぶりに家に戻ってきた弟は帰ってきて早々、目の見えない兄が友人と酒を飲み明かす世話に追われることになる。それから数日が経ったクリスマスイブの日、兄と兄の友人と三人でクリスマスを祝おうと街で買物をしてくるが、目を離した隙に兄が弟と因縁のある男を呼んでしまった。男はバーで知合った紳士も一緒に連れてやってきたが、弟は昔、その紳士と出会ったことがあった。

三演目ですけど、初演を観て、再演は見送って、今回また観ました。当時は吉田鋼太郎が演じていた兄が高橋克美に交代したものの後の四人は継続です。観終わっての満足度は高いです。

初演の記憶よりもずいぶんとわかりやすくなっていたような気がします。初演がプレビュー公演でまだこなれていなかったからでしょう。吉田鋼太郎の声の大きさと勢いに引張られていた前半が高橋克美で整理されて、弟の平田満にスポットが移ってはっきりしていました。加えて兄の友人の浅野和之、因縁のある大谷亮介がこなれていたからでしょう。初演のときよりも派手目になっていました。

ただ、浅野和之と大谷亮介はややこなれすぎな感もありました。どこで受けるのかわかってやっているというのかな。いや面白いんですけど。後半修正してきていました。その点は磨いた感がある平田満、交代して役の大きさを見せてくれた高橋克美のほうが好みでした。

高橋克美は汚いことを気にしないおっさんという立場を痰を吐くという工夫で浅野和之と連携して笑いを取っていましたが(初演にはなかったような)、客席から「やだぁ」と言われているのが印象的でした。痰を吐く人って最近見かけなくなりましたね。そして名前の呼びかけで思いっきり台詞を間違えていましたけど、客席に言うような言わないような風に謝って進めてしまえるのがベテランです。身体に丸い愛嬌があるんですけど、神様に祈るところはすっと決めるあたりもベテランです。

そしてずっと同じ役を務めているのに今回が初演ですといわんばかりの緊張感を見せてくれたのが小日向文世。新鮮だったというのかな。受けやすい役ではありますけど、新鮮さの点では一頭地が抜けていました。手練れ揃いの5人で誰が一番かといえば私は小日向文世でした。

で、初演の感想で「落込みそうなところで観ると慰められるというか励まされるような芝居で、実際励まされるところがありました」と書きましたが、今回はその感想に加えて、この芝居は駄目なおっさんだって一生懸命生きて何が悪いと小さくつぶやくような芝居だとも言いたい。やっぱりいい芝居です。ただし、それを演じているおっさんどころか年齢だけならじいさん5人は全国のじいさんたちの上澄みで、魑魅魍魎のうごめく芸能界という荒波を乗切ってこの場に立っている海千山千のつわものです。そういう意味では5人とも「海をゆく者」ですね。

2023年11月12日 (日)

世田谷パブリックシアター企画制作「無駄な抵抗」世田谷パブリックシアター

<2023年11月11日(土)夜>

とある町の駅前広場。なぜか半年前から電車が止まらなくなり、かつての賑わいが閑散としてしまった。そこにやってきた大道芸人は何も芸をしないで広場にやってきた人たちを眺めるばかり。ある日、その駅前広場でカウンセリングのために二人の女性が待合せた。患者は町で歯医者を開業しており、カウンセラーは一時期テレビでもてはやされた占い師で、二人は付きあいは薄くとも小学校の同級生だった。かつてカウンセラーの女性に言われた言葉が胸に刺さっている、だからあなたのカウンセリングを受けたいという歯科医の女性に、カウンセラーの女性はカウンセリングを引受ける。駅は動いているのに電車が止まらない駅前広場でカウンセリングが始まる。

初日。イキウメの面々にゲストを迎えてのプロデュース公演は、駅前広場をギリシャの円形劇場に見立てて、あの有名なギリシャ悲劇の構成を上手く用いて、笑いは少な目ながらも実に完成度の高い仕上がり。そしてこの時期に上演するからには一般論以上に当然あの事件を連想しますよねという物語。

キャスティングで患者に池谷のぶえ、カウンセラーに松雪泰子というのが良く考えられていて、逆にしなかったところがいい。終盤のやや急な展開のところを個人技で押しきったところは池谷のぶえの面目躍如。そのほかの面々も持味発揮。スタッフワークもばっちり。この舞台美術はいろいろな芝居に再利用できるんじゃないか。

この仕上がりに一切文句はない素晴らしいものだし、駅は動いているのに止まらない電車と何もしない大道芸人を使った比喩が寓話らしさを出しつつさらに射程を広げていた。

だからこそもっともっとそれ以前のところで、観客という立場である私個人との見解の違いにすれ違いも感じた。その点で「無駄な抵抗」というタイトルの正確さには深く同意する。この話を話すと長いので感想後日。というか思った感想を書ける自信がない。

まあみなさん観てください。世間の感想が知りたい。

2023年9月18日 (月)

梅田芸術劇場企画制作「アナスタシア」東急シアターオーブ

<2023年9月17日(日)夜>

帝政ロシアに革命が起きてロマノフ王朝は滅亡したが、パリで過ごしていて難を逃れた皇太后以外に、死体が見つからなかったため皇女アナスタシアはまだ生きているのではと噂されていた。アナスタシアを見つけたものには報奨金を出すという話に、サンクトペテルブルクでくすぶっていた詐欺師ディミトリと元伯爵のヴラドはアナスタシアの身替りを探す。そこにやってきたのが偽の国境通過証を求めるアーニャ。記憶喪失だがパリに行きたいとロシア中を歩いてサンクトペテルブルクまでやって来たという。これはものになりそうだと二人はアーニャにアナスタシアの情報を覚えさせてパリを目指す。

この日はこんなキャスティングでした。ミュージカルはダブルキャストどころかトリプルキャストまでやるので忙しいですね。私はこだわらずに時間の都合だけで観に行きましたけど、目当ての役者がいる人は大変です。

・アーニャ:木下晴香
・ディミトリ:内海啓貴
・グレブ:堂珍嘉邦
・ヴラド:大澄賢也
・リリー:マルシア
・リトルアナスタシア:鈴木蒼奈

筋は前半がロシアからの脱出、後半がパリでのあれこれときれいに通っているのでわかりやすいです。木下晴香は台詞はやや軽いですけど、歌は声に重さが乗っていていいですね。個人的にはややチャラいヴラド伯爵を演じた大澄賢也と、なんといっても皇太后をシングルキャストで演じた麻美れいがいいです。

日本語歌詞のイントネーションが曲の旋律に乗りづらいところ、麻美れいだけは少し台詞っぽさを混ぜていたのがよかったです。あれは海外もののミュージカルをやるときの解法のひとつだと思いますけど、他の人はあまりそういうのはありませんでしたね。

他にも劇中劇で白鳥の湖の超ダイジェストをやってくれるんですけど、全員上手でしたね。この前観ておいたのであれは王子様こっちは邪悪な魔術師と中身がわかってよかったです。

この日はアフタートークがありましたが、ちょっとリピーターチケットの宣伝が多すぎた。主役二人はフリートークが苦手そうだったので、事前に聞きたいこと質問しておいた方がよかったのではないかと思います。だいたい客が聞きたいのは、自分が芝居のどこで悩んだか(または大事にしたか)、相手役をどう思うか、同じ役を務める他の役者をどう思うか、くらいに集約されるでしょうし。その点、大澄賢也の「今回はあまり役を作らずに地でいけた」「いくつになってもときめきは大事ですよ」(どちらも大意)はアフタートークとして面白かったです。

あとは映像パネルを多用した美術が本当に見事だったんですけど、あれは映像を映した上にさらにプロジェクションマッピングを重ねて奥行きを出しているそうです。あとパネルとケーブルには絶対に触るなと厳命が出されているとか。あれは、映像も美術も海外のものをそのまま持ってきたのかな。クレジットがよくわかりませんでした。場面転換を素早くするために、オブジェらしいオブジェは上手と下手に固めて、電車みたいな大物はたまにひとつだけどんと出して、非常によく考えられていました。

話だけを考えると、前回の公演から今回の公演の間にロシアのウクライナ進行があって、あとはパリのエッフェル塔での写真撮影騒動があったりして、芝居鑑賞に邪魔くさい現実社会のノイズが増えているんですけど、それはそれ、これはこれで気にせずに観るのがよいかと思います。

2023年5月29日 (月)

インプレッション製作「ART」世田谷パブリックシアター

<2023年5月28日(日)昼>

ここしばらく現代アートに熱中してきた皮膚科のセルジュは、大金をはたいて巨匠の白い絵を買ってきた。エンジニアの親友のマルクを我が家に呼んでお披露目したところ、マルクがこの絵と、絵を買ったセルジュをけなしたことで2人は険悪になる。この2人の親友のイヴァンは双方から話を聞くが、自分の結婚準備が忙しいのも相まって話がうまくできない。3人が集まって楽しむ予定の晩、お互いが歩み寄ろうとしていたが・・・。

ヤスミナ・レザの翻訳物。観たことのある芝居だと「LIFE LIFE LIFE」があります。イッセー尾形、小日向文世、大泉洋という人気者3人が揃ってつまらないはずがなく、実際面白かったのですが、少しひねって来ました。それも含めて面白かったです。

相手の持っている絵をコケにするところから始まって、3人の男の会話のすれ違いから段々と剣呑な雰囲気が高まっていく展開。3人それぞれが性格に欠点があって、だけど相手を非難するときは的確に非難するという、非常に面倒くさい3人です。これを素直に丁々発止で上演すればコメディーですし、実際、笑える場面も多数ありました。

けど、少なくともイッセー尾形はその脚本の流れから外してきました。もう少しこう、喧嘩をするおっさんのみっともなさと、そんなおっさんだけど一寸の虫にも五分の魂があるんだぞというあたりを狙ってきました。おそらく、十五年来の親友でいい年なのにフランス人とはいえこんな露骨に喧嘩をするものかという辺り、脚本の人物造形に一言あったのだと思います。サブテキストを含めて、ごっそり自分のやりたい方向に引寄せた印象です。

小日向文世もおそらくイッセー尾形に乗っていたはずですが、これはちょっと上手すぎてどのくらいずらしたのかさっぱりわかりませんでした。嫌味になりすぎないように注意していたのはわかりましたが、脚本通りものすごく自然に演じたようにも見えるし、脚本よりは丸めたと言えなくもありません。3人の中では一段若い、とはいっても40歳の友人の設定の大泉洋は、ここまで独身だった男の稚気を、脚本が許す範囲と、実際にいそうだな、という範囲の間で最大限デフォルメすることを狙っていたようです。

で、三者三様で微妙に方向性の違う役作りがどうだったかというと、そもそも喧嘩する設定と相まって、面白かったです。何に感心したって、途中からはおっさん3人の喧嘩が続くのに、うるさくない。途中でダレたり、特定の誰かに肩入れして敵味方を作りたくなりそうなものですけど、誰の方向にも倒れそうで倒れないコマが最後まで回りきってラストにつながりました。あれは並の役者には務まらない。脚本には、芸術には不思議な力があるというメタなメッセージもあったように思いますが、それも含めて成功していました。

この3人の出演で演出家が小川絵梨子だと2020年の案内で知ったときに、さすが人気者の演出をまかされるとは売れっ子演出家だ、くらいの感想でした。でもこの、多少笑いを犠牲にしてもずれを生かして最後まで持っていくのは、他にできる人がいないとまではいいませんが、小川絵梨子ならではの演出でした。同じ小川絵梨子演出の「おやすみ、お母さん」で那須凜が狙って及ばなかったことをイッセー尾形は成立させていました。逆かな。新型コロナウイルスで途中で公演中止になったとはいえ、すでにこういう実例を成立させていたから、「おやすみ、お母さん」でも挑戦してみたのかもしれません。

あと、新国立劇場主催の芝居に実験的、育成的な要素が多いだけ、こういう人気者の芝居を芸術監督自らが再演の機会に新国立劇場に引張ってきてもいいと思うのですが如何。天井が高くても両端の間口をがっちり作っているから案外コンパクトにできるんですよね、世田谷パブリックシアターは。観る分には世田谷パブリックシアターで贅沢させてもらいましたが。それとも前回の上演計画を全うするためにはしょうがなかったか。

2023年5月18日 (木)

イキウメ「人魂を届けに」シアタートラム

<2023年5月17日(水)昼>

人里離れた森の奥の家で暮らす「お母さん」と住人たちの元に、刑務官の男がやってくる。執行に関わった死刑囚が死刑のときに身体から人魂が落ちた、気になって取っておいたが周りの人間に声が聞こえてうるさいから捨てて来いと言われた、書類上は前例がないので恩赦と書かれている、それなら死刑囚が「お母さん」と呼んでいたこちらに届けるべきと考えたから、という。人魂は受取られたが、家にいた一人は刑務官が森に来る前に会った男だった。時間が合わないはずなのになぜここにいるのか。刑務官は家で暮らす人たちと会話を始める。

よくわからないところから始まって観ていくうちに明らかになっていくのは、タイトル通り人の魂を扱った話。いかにもイキウメらしい芝居で、かつ非常に丁寧な仕上がりでした。丁寧というだけでは雑な感想なのですが、ちょっとうまい言葉が見つからない。

魂という切口で現実の問題を取上げるためにはオカルトに陥りすぎないことが必要です。昔のイキウメならもっとオカルトに振ってきたんじゃないかと思いますが、刑務官というメインの役を置くことでなるべく観客が戻ってこられるようにする工夫がされていました。たまに左派というかリベラルな話題が混じりますが、その辺は昔ながらのイキウメです。観ていて醒める前に終わりますから気にしないで観続けましょう。

ネタバレしないように書くのも難しいですが、平野の話と、応募の話はつらいものがありました。あとラスト、あれは昔のイキウメならそうしなかったよね、という感想です。今の時代っぽいラストでした。

演じる側もよかった。いつもだと安井順平が目立ちますけど、今回はゲストを含めて全員の水準が揃っていました。特別上手いとは言いませんけど、何ていうか、繊細ともまた違うし、一体感というのも違う。役者同士の絡みが少ない脚本で、自分の持ち場で掛軸の描かれた和紙を2枚に剥離する作業を求められて、それを役者ひとりひとりが全員うまくはがせたというか。意味不明ですいません。あと、篠井英介の使い方はちょっとずるいと思わなくはないですが、思いついたらやりたくなるのはわかります。

イキウメは、誰が観てもよくわかる話と、曖昧な設定で積極的に観にいかないと置いていかれる話と2パターンありますが、今回はそこまでひどくないものの後者寄りです。最後にきれいにつながりますが、前者の代表である「散歩する侵略者」とか「関数ドミノ」みたいな明快な話を期待した人には厳しいかもしれません。カーテンコールは2回でしたから。でも仕上がりは高水準でしたし、こちらのほうがイキウメの本分というか、根っこに近い芝居じゃないかと個人的には考えます。

より以前の記事一覧