2017年9月26日 (火)

インプレッション企画制作「謎の変奏曲」世田谷パブリックシアター

人間嫌いで知られ、北の孤島に一人暮らしをするノーベル賞受賞作家。恋人との往復書簡の体裁をとった新作が評判を取るなか、とある地方紙のインタビューの申込にだけ応じ、自宅に招待する。新作は作家が実際に交わした手紙でモデルがいるのではないかと問うインタビュアーと、それは作り話だと応じる作家とのインタビューの行方。

大人の洒落をいっぱいに詰めた脚本。偏屈な情熱を持ちながら上から物申したり下手に出たりする作家に橋爪功のキャスティングがいかにも似合って適任。後から思い返して気が付く、長さを感じさせない長台詞はさすが超ベテランの技。それを相手に丁々発止に持込む井上芳雄も好演。少しの笑いも交えながら押し引きを続けて最後の場面まで飽きさせない。ネタばれしたらつまらないのでこれから観る人はよけいな検索はしないほうがいい。

背の高い劇場に組まれた背の高い美術もさすがの仕事だったけど、窓を大きく取った美術の向こうに「北欧が昼から夜に変わる年に一度の日」の抜けるような昼の空から夜までを再現したホリゾントは、シルエットや夜間の室内照明と併せていままで観た中で一番美しい照明。緊張の途切れない2人芝居の向こうを張って拮抗した佐藤啓の照明と伊藤雅子の美術のタッグ。これは絶賛したい。

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2017年9月10日 (日)

Q「妖精の問題」こまばアゴラ劇場

<2017年9月9日(土)夜>

ブスの排除と弱った老人の撲滅を掲げて選挙に元女優が立候補する世の中で、ブスの女子中学生同士がお互いの容姿を貶しあいながら将来に絶望したり希望したりする様子を落語で描く「第1部:ブス」。豚骨ラーメン屋の近くに住んだばかりに繁殖が止まらないゴキブリとの終わりなき戦いを歌い上げる「第2部:ゴキブリ」。健康のためには菌を殺すのではなく適切なバランスで共存させるべきと主張するセミナー主宰者が勧める食品は「第3部:マングルト」。

自分と違った人間を排除すべきとの主張を、誰でも排除したくなる対ゴキブリに視点をずらして、体内菌の共存で多様性を訴える展開はお手本のような正反合。それを演じる格好が、出だしからインパクト強すぎで、しかもそれで最後まで通すとか、エネルギーありすぎ。

ただ演出とスタッフワークには異議あり。ひとつは第2部の歌。膨大な台詞を音に乗せるためか、似た伴奏が似たテンポで続くためさすがに飽きるのと、マイクが声質に合っていないのかキンつく場面あり。あと客席がコの字なのだけど、特に第2部と第3部は劇場入口から見て左奥が正面扱いされて、右手前からは背中だらけになる場面多数。特に第2部は天井からぶら下げた美術が映像を邪魔しないように左奥に配置したと思われるが、そこに照明とマイクスタンドと楽譜台を置いて左奥向きに歌ったため顔は見えてもほとんど横顔。あれは映像のない第2部しか使わないのだから正面に配置して上下させればよかった。これは美術。演出の注文かスタッフの考慮不足かわからないけど、演出が責任を取るべき。あとこれまでいろんな芝居で書いてきたけど、囲み舞台で稽古場の演出家席がわかるような動きは演出家が直すべ。一人芝居(第3部はそうではない)で役者に任せた動きが多そうだけど、直せないなら囲み舞台は使ってはいけない。

全体に、創作意欲(脚本能力)に演出能力(スタッフワークへの目配り含む)が追いついていない。

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2017年8月13日 (日)

Bunkamura企画製作「プレイヤー」Bunkamuraシアターコクーン(若干ネタばれあり)

<2017年8月11日(金)昼>

某地方の公共ホール。町おこしの一環で地元の人間と東京から来た役者とで芝居の共同制作を行なうその稽古場。刑事の失踪した友人である女性が死体で発見されたため、女性が生前に力を入れていた瞑想セミナーに刑事が赴くという脚本。それを稽古している出演者たちの演技が、脚本の内容とがだんだん混ざっていく。

オカルト要素をふんだんにちりばめた前川友大のホラー脚本を、茶化す要素ほぼ皆無で長塚圭史が演出。前川友大が脚本演出を行なうと脚本のホラー要素は慎重に演出され、長塚圭史が脚本演出すると脚本が振り切れすぎているのでシリアスに演出してもフィクション感が残るところ、今回の組合せだとオカルトホラーとシリアスが必要以上の相乗効果。お盆の時期とはいえ、今時はとことんやらないと驚かれないとはいえ、劇場ライブとしては個人的には演出やり過ぎの判断。芝居はのめり込んで観たいといつも思っているのに、引きながら観ないといけないと思ったのは初。

峯村りえ演じる劇場制作者がこの脚本を選んだ理由からオチはある程度予想できたけど、劇場制作者と真飛聖演じる演出家との間に裏設定がありそうで、そこが観ていて嫌だった。刑事役を演じる有名俳優役の藤原竜也の熱演も裏目。演出助手の安井順平だけが最後まで稽古場の人間の立場で、客席ののめり込みを防ぐ役だったけど、これだけでは足りない。

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2017年8月 7日 (月)

Bunkamuraその他主催「ウェスト・サイド・ストーリー」東急シアターオーブ

<2017年7月28日(金)昼>

ニューヨークのダウンタウンで縄張争いの小競合いを繰返す、ポーランド系白人不良グループ「ジェッツ」とプエルトリコ系黒人不良グループ「シャークス」。ジェッツのリーダーは決着をつけるためにシャークスに決闘を申込み、グループを抜けたトニーに助太刀を頼む。決闘の方法を決める場に出かけたトニーは、シャークスのリーダーの妹であるマリアに出会い、互いに恋に落ちる。だが決闘の場所と日取りは決まり、両グループは準備を進めていく。

有名なミュージカルをようやく生で見物。あれだけ踊っても息を切らさないダンサーも凄いが、その中でもやはり主役級になるほど踊りが決まっている印象。刑事と酒場のマスターは踊らずに台詞のみだが、それでも思わず目を留めてしまうのは声の確かさのため。流れて散漫な印象の場面も何箇所かあり、値段に見合っているかと言われると正直疑問だが、観終わったあと歩きながら指を鳴らしたくなるのはさすがの名作。

<2017年8月8日(火)追記>

ちなみに製作カンパニー名がサイトに見つからず、主催はBunkamura/TBS/VIS A VISION/ローソンチケット/ぴあ/TBSサービスが正式。あまりにも長すぎたのでタイトルでは省いた。大掛かりなのはわかるのだけど、もう少し何とかならないか。

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2017年7月 3日 (月)

世田谷パブリックシアター企画制作「子午線の祀り」世田谷パブリックシアター

<2017年7月1日(土)昼>

源平合戦の末期、一の谷の合戦で義経に奇襲をかけられた平家軍が大敗し、阿波民部重能を頼って落延びるところから、源平双方が総力を挙げた舟戦である壇の浦の戦いで、平家が敗れて一族が入水または生捕りにされるまで。平家物語の巻の九後半から巻の十一の源平双方の努力と運命を描く。

初日プレビュー観劇。格好良いタイトルだけ知っていてどんな話かと思ったら、登場人物の心理描写を台詞に託して現代劇風(もう少し古くてシェイクスピアくらいか)にした直球の平家物語。壇の浦の戦いを分けた潮の満ち干きを月の運行から眺めて、併せて世の移り変わりの潮目を描いた大作。堪能した。

片や後手を踏んで講和の道を断たれて追いこまれるも阿波民部重能の助けで最後の一戦までこぎつける平知盛、片や戦上手だが政治に疎く梶原景時と衝突して軍をまとめられない源義経。まだどちらに転んでもおかしくないところを、敗北に転がる平家の下り坂を描いて無駄のない脚本。これを、伝統芸能からも現代劇からも大勢の芸達者を集めることが前提の、ぴたりと決まる構えや迫力ある台詞回し、平家物語の文体をそのまま生かして全員で読む郡読などで魅せつつ引張る。カーテンコールまで入れたら3時間50分の超大作で、キャスティングまで考えると公共劇場でないと演じられない規模。

いい役者ばかりだったけど、その中でも、何と言っても、義経の成河が出色の出来。身軽な身体能力で躍動感を見せてくれるだけでなく、才能が走りすぎて衝突してしまう良くも悪くも若いところを絶妙に演じてくれた。これが今井朋彦の梶原景時と火花を散らす場面とか、長らく小劇場を観てきたこちらの贅沢気分をくすぐることったらない。阿波民部重能の村田雄浩とか、二位の尼の観世葉子あたりも、このまま大河ドラマに投入して活を入れてほしいくらい。声も思慮も余裕大きく貫禄あるところを演じた弁慶の星智也とか、あと名前を確認し忘れたけど、揉める義経と景時を仲裁する三浦介義澄のすっとぼけた味とか、補佐したり諫めたりしながらも地位の上下を固く守って演じた船所五郎正利とか、いいです。とにかく全員声が出るので、群読の場面だけでなく、声を揃えて応じる場面だけでも劇場を声が揺らして気持ちがいい。

惜しかったのは、結構な場面数だけど、野村萬斎演じる平知盛が出る場面。前半は節回しが粘りすぎて重くなってテンポがそがれた。後半はなぜか一人だけものすごい声が小さくなって、他が大きいだけ聞き劣りがひどかった。あと語りの録音は野村萬斎と若村麻由美だけど、低くて篭りがちな言い回しで、二人とも聞取りづらい。子午線の説明が出るのは語りの部分なので、そこが聞取りづらいと芝居の魅力が減る。録りなおすのが理想だけど、それが無理なら音響でもう少し調整できないか。若村麻由美もそうだけど、野村萬斎が自分を演出する場面が全般に他に追いついていなかった。前から思っていたけど、野村萬斎は自分が出演するときは演出を兼ねないほうがいい。

ちなみに潮の流れについては大正時代の調査を元に説明している説がある。自分は海音寺潮五郎を読んで知っていたけど、木下順二も読んでいたかも。

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2017年6月29日 (木)

青年団「さよならだけが人生か」吉祥寺シアター

<2017年6月24日(土)昼>

雨の工事現場の休憩所。遺跡が出てきて工事が中断している。発掘の手伝いに来た学生たちや文化庁の職員に建築会社の社員は平身低頭。娘の話題が出て機嫌が悪いおじさんやその日が最後で故郷に戻る人の話題で盛上がる現場のメンバー。休憩所の床は割目が広がっていい加減危なくなっている。見回りした人たちはミイラを見たと言い出す。雨がやまないので休憩所で話すくらいしかやることがないある日の午後の2時間。

遺跡の発掘に頑張る学生たちと早くマンション建てたいので穏便に済ませてほしい建設会社の社員たちの話を縦糸に、結婚したい人たちとまだ結婚したくない人たちの話を横糸にして、遠くに行く人と行けなかった人と行かれてしまった人の来し方行末をいつも通りだらだらとした会話で描く。1992年初演の比較的初期の芝居だけど、すでにスタイルが完成されていて近年の芝居と同じように楽しめる。そこはかとなく色っぽい場面が出てくるのも初期作品っぽい。床の割目に手を入れたら抜けなくなった場面は何の話だったか。

青年団+無燐館で最近観たメンバーも出ていて、出だしはどうかと思ったけど、だんだん馴染んでいた。客席に背を向けて話すのは青年団のたまにやる手法だけど、縄文時代の研究をなぜ目指したのか訊かれて、そのまま突然話が止まらなくなってこれはやばいと思わせる怪演を魅せた文科省の役人、誰が演じたのかと思ったら立蔵葉子だった。手元の過去ログを検索すると「忠臣蔵OL編」とか「サンタクロース会議」とか五反田団の「ふたりいる風景」とか、見た目も声も覚えられない割に出ているといつも気になる演技で魅せてくれる。足場とパイプで組んだ素通しの小屋の舞台、こういう美術もあるのかという発見がある。

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2017年4月15日 (土)

青年団・こまばアゴラ演劇学校無隣館「南島俘虜記」こまばアゴラ劇場(ネタばれあり)

<2017年4月8日(土)夜>

近未来の日本は戦争中。それで捕虜になった日本の軍人たちが、孤立した島に収容されている。もっとも待遇がよいとされているその収容所は平和そのもので、捕虜に課される日々の労働も対したことはない。さしてやることがない労働をさぼって医務室でくつろぐ捕虜たちのある日のひとこま。

Bチーム。初演が2003年らしいけど、日本と日本人の嫌なところを描かせたら筋金入りの平田オリザによる嫌日本人シリーズの系譜の1本。そんなシリーズはないけど今作った。興味深い話だったけど、いつにも増して表現が難しい。いつもだともっと何本も緊張の伏線を張るところ、退屈がテーマなので、たぶん意図的に緊張しすぎないように調整している。

表の話は、やることがなく監視も緩いので、捕虜同士でセックスが盛んになって、それで妊娠した女性兵士を巡る緊張、になりそうなところ、自分で話を広めた結果登場人物全員が知っている状態になってかえってのんびりした状態に。女性兵士の素性は自称と他人の噂と両方出てきて、女性兵士の本当の素性は確定しないままに終わるのだけど、その過程で捕虜たちの心残りが少しずつ出てくるあたりが一応の筋。

平和すぎて退屈すぎて、そうすると日々の生きる張りとなる目的意識も持てないのがあらわになってきて、その借景に何が目的で戦争をやっているのかすらわからなくなった日本を持ってきたり、島のアホウドリは助走しないと飛べないとか飛んでも風任せなんて暗喩も挟みつつ、日本人嫌いになった現地人まで念入りに登場させて、話は(狙い通り)ねちっこくだらだら過ぎていく。

わざわざ公式サイトの説明に、大岡昇平の「俘虜記」へのオマージュと、もうひとつ、坂口安吾の「魔の退屈」の

つまり我々は虚しく食つて生きてゐる平和な阿呆であつたが、人間ではなかつたのである。

を描けないか考えたと載せているくらいなので、この日本人の目的意識のなさ、生きる張りのなさに悪意、と言って悪ければ表現意欲をそそられたのだと思うけど、自分は登場人物とシンクロしそうな感覚があった。あの状況になったら自分もあんな退屈になる確信があった。だからすごい平静に観ていたし、描かれている状況にたいして肯定的だった。

ただそういう脚本の世界観とは別に、もう一段上の仕上がりにならなかったものかと思う。理由のひとつは若い役者が多かったことで、年上の役者が混ざっていたら違う印象をもてたと思う。そこは無隣館メインの公演のためしょうがない。あともうひとつ、どこがどうと言えないのだけど、やっぱり役者にもう少し頑張る余地が残っていた気がする。全3チームあるので、他のチームで観たら印象がかわったかもしれない。

客席も天井も一杯に張りめぐらされた舞台美術で覗き見感満載。勝手知ったるホームグランドの、狭い劇場だからこそ実現できる美術は劇場に入った瞬間から入り込める。一見の価値あり。

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2017年3月31日 (金)

シス・カンパニー企画製作「令嬢ジュリー」Bunkamuraシアターコクーン

<2017年3月28日(火)昼>

収穫祭の夜。領主の館で祭が催されている。主人は外出していて留守だが、令嬢は祭に参加している。召使の男と料理人の女は婚約しているが、令嬢は料理人に犬のえさの調理を命じ、召使とダンスで盛上がる。ダンスが終わって地下の厨房に戻ってきた男を令嬢は追いかけて、寝室に下がった料理人をよそに誘惑する。最近婚約破棄をしたばかりの令嬢を相手に召使は説得を試みる。

ダウントン・アビーを髣髴とさせる地下の調理場の舞台。時代と親の教育方針とで歪んだ自我を持つに至った令嬢と、今の境遇から抜け出すチャンスをつかもうとする召使と、それまでのしきたりを微塵も疑わない料理人の3人による衝突。古いようで今も古くない脚本を現代的に作った一本。

やりがいのある脚本だしよく出来ていたと思うのだけど、もう一押しほしかった。表向きは貴族と召使の話、そこに自由平等の時代が到来した人間の葛藤が重なる。だから上下関係がめまぐるしく入替わっていくのが脚本の見所のひとつだとにらんだけど、そこが弱かった。令嬢の貴族っぽさがあってこそ召使に命令する場面も映えるし、落ちていく落差も際立つので、小野ゆり子にもう少し貴族っぽさがあってほしかった。何が貴族っぽいかなんて聞かれても困るのだけど。あと召使の城田優も料理人の伊勢佳世も背が高くて顔もはっきりしているので、見た目も不利があった。カナリアの場面なんかははまっていたのだけど。

料理人のクリスティンは主人が尊敬できないといけないという点。芝居としても成立しつつ、「死の舞踏」で妻に怒鳴られて辞めてしまった(名前しか出てこない)召使としてのつながりもつけて、両方観た人へのサービス。上の階と下の階をつなぐ伝達管も、同じ時代の同じような館の話であることを連想させて、上が上なら下も下、という混乱した時代の象徴になっていてよい感じ。

張出し舞台で客席との距離は近くて観やすい。中2階から階段をおろした美術が地下室感を出すために絶妙。「死の舞踏」の反対側であることを想像するのが難しいくらいがらっと変えた舞台で、明かり取りの窓の半円がつながりを感じさせるけど、それも位置が微妙に違っていた気がする。ひょっとして後ろの壁の部分は毎回つるしなおしているのか。だとしたらかなり手間をかけた美術で、両作品とも雰囲気の構築に与って力があった。

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鳥公園「ヨブ呼んでるよ」こまばアゴラ劇場

夢の中でいつも同じ男性と会う女性。現実では子供を抱えて稼ぐのもままならず兄からも援助を受けているが、そのたびに責められることに耐えかね、援助を断る。兄は仲間を連れて妹の説得に赴く。

貧困や依存や育児放棄など話を重ねて、それを聖書の一節で表しつつ、圧力を逃がすような笑いもはさみつつ、痛いところを正確な言葉で刺してくるあたりは当日パンフの挨拶にたがわない仕上がり。

藁だらけの舞台はキリストが生まれた馬小屋の連想だと思うけど、別に神様は登場しない。ただ、急転直下のラストで、登場人物によって、何でもないと思う人と、吐気を催す人と、幸せを感じた人とに分かれるあの場面は、神様って単語が似合う。タイトルが「ヨブ」なのでこの後はハッピーエンドだったと信じたい。

演出形式は小劇場スタイルだけど、取扱っている話題とその飛ばし方がちょっと珍しく、他の小劇場芝居でも、もちろん商業演劇でも見かけない。無理に分類すれば海外芝居の脚本のほうが近い印象。こういう芝居を上演するならこまばアゴラ劇場だよな、よく似合っていたなと思うし、こういう芝居を上演する劇場のステータスを上げて懐の深さをアピールしてくれるような芝居。前回観たときから格段に違う。藁の舞台で埃を気にしてマスクを配った制作の配慮もよかったのでメモ。

こまばアゴラ劇場らしかったけど、こういう懐の深さをもった劇場のままキャパシティを増やしたいなら次はシアタートラムが似合うと思うので如何。

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シス・カンパニー企画製作「死の舞踏」Bunkamuraシアターコクーン

<2017年3月19日(日)夜>

軍の拠点として要塞が建築されている島。ここに赴任している大尉と、元女優である年の離れた妻。2人の子供は学校に通うため島を離れている。食糧のツケを払う金にも困る貧乏な生活のなか、軍人としては先がない夫と、単調な生活から逃れて華やかな世界に戻りたい妻とは事あるごとに反目して離婚を考えている。ある日、妻のいとこが島の研究所の所長として赴任する。この機会に島を逃れたい妻と、それを邪魔したい夫との間で、いとこを巻きこんだ互いの喧嘩がますます大きくなる。

多少緩めるところはあっても、砂を噛むような冷え冷えとした夫婦関係が最後まで続く。これまでの人生を賭けた夫とこれからの人生を賭けた妻との夫婦喧嘩は、一応最後に救いはあるけど、こんなに殺伐としたものなのかというくらい。よくこんな脚本を書いたし、よくこんな演出をしたと思う。夫役が池田成志だからきっところでもまだ緩和されたほう。一応これでも褒めて書いているけど、これに驚くか理解を示すか共感するかは観る側の人生経験が問われるような、1時間45分でここまでできるんだという大人の芝居。

それを助長するのが特別舞台で、大きな窓と壁とでプロセニアムアーチをふさいで、普段の舞台側に挟み舞台を用意したもの。プロセニアムアーチの上まで舞台から8メートルくらいか、一番後ろの席だったけどそれより高いところまで窓と壁があって、バトンで天井を同じくらいの高さで揃えていた。至近距離でこのくらい大きい窓が用意されていると迫力と圧迫感がすごくて、それが行き場がなく閉じこめられた夫婦の設定に一役買っていた(脚本中の設定では元監獄を改装して住んでいる)。窓は実際に開いて、普段の客席側へ声が実際に広がる微妙な開放感もある。実際の客席側は「令嬢ジュリー」の舞台だけどそんなことは微塵も感じさせない。これは舞台美術に拍手。シアターコクーンの舞台が天井も袖もあんなに広いとは思わなかった。この舞台の形式は今後もっと活用されてほしい。

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