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2019年6月19日 (水)

松竹製作「月光露針路日本」歌舞伎座

<2019年6月16日(日)夜>

江戸時代、米を運ぶ商船が難破する。船頭を務める雇い主の息子、光太夫の判断で沈没は免れ、積んでいる米で食事は取れるものの、力尽きて亡くなるものもある。8ヶ月の漂流の末に流れ着いたのはロシア領の小島。次々と乗組員が亡くなるなか、光太夫は生き残る乗組員を励まして何とか帰国を目指すが、逆にロシアの奥地へ奥地へと進むことになってしまう。

「決闘! 高田馬場」が2006年なので13年ぶりの三谷歌舞伎。スーツ姿の松也の解説で湧かせつつ前知識を教え込む工夫で始まるも、1幕が難破から、2幕最初の小島生活で、なんとも重苦しい出だし。その後、小島を出てロシア本土に着いたあたりから少しずつはずみがつき、2幕最後の犬で大盛上がり、3幕はその勢いで終幕までまとまった、という印象。

難破の場面は船上なので動きが少ないし、開幕したばかりで登場人物紹介の面もあるけど、多すぎる役者にそこそこの台詞を割振った上に歌舞伎のテンポで話すので、正直遅い。これを書いている時点ですでに序盤の内容をほとんど忘れていて、検索しながら書いている。乗組員が減るほどにテンポが良くなっていって、3幕は主要な登場人物が限られるので話もわかりやすいけど、今回唯一の歌舞伎以外役者の八嶋智人が大げさかつスピーディーな台詞回しを披露。これが本来の三谷芝居のスピードだよなと認識。二部制の月は休憩を2回挟んで3幕4時間は持たせないといけない歌舞伎座のルールとはいえ、特に前半は間延びしたうらみがある。後半は面白かったけど、「決闘! 高田馬場」の勢いを思い出すに、全体であと30分は短くしてほしかった。

一番盛上がったのは犬だったけど、あの毛並みと動きは拍手喝采したくなるのももっともな出来で、単純に楽しめる。染五郎が初見でどんなものかと思ったけど、さすがにまだまだで、ただし気になる声質がどことなく将来を期待させる印象を持った。

2019年6月 9日 (日)

松竹製作「六月大歌舞伎 昼の部」歌舞伎座

<2019年6月7日(金)昼>

ダイナミックで賑やかな踊り「寿式三番叟」、名作の場面を女性に置換えて踊りで見せる「女車引」、鶴ヶ岡八幡宮に参詣中の大庭三郎俣野五郎兄弟と梶原平三景時の前にのっぴきならない事情で刀を買取ってほしいと現れた翁と孫娘、刀の目利きをした景時は太鼓判を押すも試し切りをしないと買わないという兄弟、だが重ね切りを試したいも罪人はひとりしかおらず「梶原平三誉石切」、遊女・梅川に惚れあった亀屋忠兵衛は身請けの手付金を払うも後が続かない、そこへ同業の丹波屋八右衛門が梅川を身請けすると割込んできて「恋飛脚大和往来 封印切」。

朝一番からノリのいい鳴物の合せて激しく踊る「寿式三番叟」は、観ているこちらも身体が揺れて踊りたくなる一本で、終わって三番叟は誰だと確認したら幸四郎と松也。幸四郎ってあんなに踊れるのか。それを落着かせる「女車引」。「梶原平三誉石切」は吉右衛門の景時もいいけど、それは翁の歌六と孫娘の米吉の迫力のためでこの2人の出来が素晴らしい。「恋飛脚大和往来」は「近松心中物語」の原作の一本で、仁左衛門のチャラい忠兵衛なんぞにほれるものかというところ、愛之助の八右衛門が低い声で嫌味を言っていいバランス。

4本観てこれだけ当たりだらけの歌舞伎はひょっとしたら初めての経験。歌舞伎勉強にもいい感じなので、安い席でもいいからたまには歌舞伎も如何。

2019年4月21日 (日)

松竹製作「実盛物語」歌舞伎座

<2019年4月20日(土)夕>

 

平家の時代に源氏の子を身ごもる夫人を匿っている百姓家。源氏の仲間に連絡しようと出した娘は帰ってこない。そこに夫人の見回りに侍が来る。実は源氏贔屓の斎藤実盛は、産まれてくるのが男子ならその場で始末すると意気込む同僚の瀬尾十郎をなだめて追い返す。が、それを怪しんで隠れていた瀬尾に、出産したことをつかまれる。赤子が男子か女子かと詰寄る瀬尾に百姓夫婦が差出したのは、切られた女性の腕。さきほど川に流れてきたものを拾ったものだった。それを手掛かりに実盛は瀬尾を言いくるめて一度は切り抜けたものの・・・。

 

あっさり人が死んだり死ななかったり、入組んだ人間関係だったり、歌舞伎だけど小劇場的な要素満載の物語。筋だけ見れば陰々滅々な芝居になるところ、妙にさわやかでむしろめでたい仕上がりになったのは何と言っても仁左衛門の色気と華やかさ。そこはこんなインタビューが見つかった。たしかにこんなやり方もあるんだな、と納得させられた。

 

「演目によっては深く掘り下げなければいけませんが、こういう演目は、ご覧になる方にもドラマや理屈ばかりを追い求めるのでなく、歌舞伎独特の雰囲気というものを味わっていただきたいですね。歌舞伎には役者の華で魅せる芝居というものもあるのです」

 

それはそれとして、主要登場人物に話が集中しているせいか、役者を楽しむ見方もできる。全員いい感じだったけど、仁左衛門以外では特に瀬尾十郎の歌六がよかった。出番は少ないけど夫人の葵御前の米吉も声が色っぽかった。そして台詞の多い子役は寺嶋眞秀のクレジット、寺島しのぶの息子だ。

2019年4月16日 (火)

松竹製作「御存 鈴ヶ森」歌舞伎座

<2019年4月13日(土)昼>

 

雲助の物取りがたむろする鈴ヶ森。そこでつかまった飛脚が命惜しさに差出した手紙にあったのは、故郷で人を殺めて手配になった白井権八の名前。捕まえれば褒美がもらえると一同が色めきたったところにやってきたのはまさにその人で、繰広げられる大立回り。そこに駆けつけたのが幡随院長兵衛。

 

菊五郎が白井権八で吉右衛門が幡随院長兵衛。落語その他でこの2人が有名になっていて、その出会いの場面が特に有名だからご存知という題名、という前知識も今は必要とされる時代。大立回りのところでいろんな切られかたをするところが見所。深いこと考えずに楽しんでくれや、という1本。

2019年2月12日 (火)

松竹製作「二月大歌舞伎 夜の部」歌舞伎座

<2019年2月11日(月)夜>

息子の初陣を案じてあえて陣中に駆けつけ主人に様子を尋ねる妻だがそこには敵方の武将の母も現れて仇討ちを狙う「熊谷陣屋」、親の仇を討つために踊りを披露する名目で屋敷に入った兄弟が踊る「當年祝春駒」、派手好みで旦那もいれば情夫もいる芸者に入れ込んで貢いだ行商人だが袖にされ「名月八幡祭」。

幕見席の通しで観劇。熊谷陣屋は、チラシのあら筋は読んで臨んだけど、まったく不覚なことにしゃべっている台詞の1割も言葉として理解できなくて、あら筋の内容すら観て取れなかった。芝居観すぎて疲れていたのは確かだけど、あまりのわからなさにひょっとして病気かと自分でも驚いた。有名な古典だから筋も台詞も知っている人は多いだろうけど、純粋に日本語として聞き取れている人はどのくらいいたのか。

代わりに楽しんだのが名月八幡祭。わかりやすい筋立てに、歌舞伎には珍しく照明と効果音を使ったクライマックス。堅気の新助を演じる松緑の明晰な台詞と最後の笑い声、それをかばう歌六の大人振り、芸者の美代吉を演じる玉三郎の色っぽさ(相手に気を持たせるうちわの使い方が素晴らしい)、そして情夫という名のヒモ男が最高に似合う仁左衛門。見どころが多い。新歌舞伎っていいものだ。

當年祝春駒、難しいことを考えずに単に音と動きのきれいなことを追えばそれでもよいのかと思えたら、楽しめた。

2018年12月26日 (水)

カタルシツ演芸会「CO.JP」スーパーデラックス

<2018年12月23日(日)夜>

最近よくないことが続く男が訪ねた「霊媒師」、スーパーでつかまった高校生が盗もうとした品がどうもおかしい「万引き」、久しぶりに新刊を出した作家が宣伝で話すインタビュアーの話し方が気になる「インタビュー」、クラスメートからは仲良く構ってもらえるものの不満がある「転校生」、妻が入院して駆けつけた夫に医者が病状を説明する「手術」、引越した友人の家を訪ねたらなぜか取付けられている「ボタン家」、主人が亡くなって犯人を見つける「名探偵」、順調に正解を続けているが「クイズ」、栄えある一等賞に選ばれたものの「メガネ男子」、計画を立てて押しこんだはずだったが「銀行強盗」、日本を救え「ジャパンレンジャー」。

順番とタイトルは一部適当。コントと演劇の境界を探ると銘打ったが「ゴリゴリのコントに仕上がりました」との前口上で始まるコント集。深いことは考えずに笑えるコントが並ぶ。こういうのを観るときは意地悪い気分で笑ってやるものかと身構えるけど、笑わされた。設定の妙に負けた「転校生」とあんまりな展開にやられた「名探偵」が特によい。たまにアドリブが入って共演者が笑うのはわかるけど、あまりにも上手い間がはまって共演者が笑うのはほどほどにとは思う。それも含めて面白かった。こんなにリラックスしていた客席の雰囲気は久しぶり。

横長の舞台を三方から囲むのでサイド席だと表情が隠れる場面もあったはずだけど、顔や仕草に頼る笑いが少なく声でしっかり突込みが入るから、わからなくて笑えないことはほぼない。それは逆にいうと設定と構成がしっかりしていた証拠。他人を馬鹿にするような要素もなく、政治的な話もなく、誰が観ても等しく楽しめる見本のようなコント集。

それとは別の感想として、ゴリゴリのコントとは言っていたけど、出来上がったものは演劇に近い。具体的にはKERAの芝居を観ているような気分になった。不条理劇と呼ばれる分野の脚本を書いて喜劇的に演出するKERAと、理不尽だったり強引だったりする設定やそこへのツッコミで笑いを取る今回の公演と、そんなに差はないことを実感。場面がつながって一本の物語になるか、ならないかだけが違いではないか。あるいは、困った(けどあり得ないことではない)場面に追詰められた登場人物がおかしいのがウェルメイドな喜劇で、理不尽な(本来あり得ない)場面に振回される登場人物がおかしいのが不条理劇で、それが短いコントになっていても長い物語になっていても根は同じではないか。今回のコントが不条理劇風味のラインナップで揃っていたのは、やっぱりコントと演劇の境界を探った成果ではないか。

こんな感想を書くのは、ついこの前「風の演劇」という別役実の評伝を読んだから。この本の中でも三木のり平やKERAを絡めて、不条理劇は喜劇に近いという話が載っていた。よく考えたら別役実は一度も観たことがないけど、コントだと思って機会があったら臨みたい。

2018年10月23日 (火)

松竹製作「助六曲輪初花桜」歌舞伎座

<2018年10月20日(土)夜>

吉原の三浦屋で一番の花魁である揚巻。その揚巻が三浦屋の得意客を袖にしてもぞっこんなのが花川戸の助六。侍と見ては喧嘩を売って歩くやくざ者だが、見事な色男っぷりに吉原では煙管の雨が降る。それにしてもあまりの乱暴振りだったが、実は訳があった。

一幕見席。最後がすごい中途半端だったけど、Wikipediaによれば元は3時間を2時間に縮めてそこで止めるのが通例の演出とのこと。筋書きだけならもうどうでもよくて、助六役がいかに格好良く見得と啖呵を切ってくれるか、あと所々のアドリブで楽しませてくれるかだけの芝居。

物語を楽しみたい自分のような客にとっては肩透かしもいいところの演目だったけど、これがびっくりするような大人気。前売完売どころか、一幕見席も満員札止めで後からきて並べもしないで帰る人多数。しかもその前の演目の一幕見席も売切れていた(一幕見席をつなげると早く会場に入って座席を確保できるのが歌舞伎座ルール)。その立見も老若男女いろいろで、驚くべきは杖代わりにカートを使うような御婦人が立見で頑張るほど。なんだ、歌舞伎は筋より役者なのか、色っぽい役者が綺麗な格好をして見得を切ったり気の利いた台詞を言ったりするのを、スナップショットで楽しむものなのか、うすうす気がついていたけど、汚しの入った衣装や舞台のリアリズムより、省略と誇張を駆使したぴかぴかのお約束が好きなのか。というのを見せつけられた次第。

いや、それはわからなくもないんだ。疲れてしんどいときに深刻な芝居を観ると身体がもたないのは身をもって体験しているところで、「せめて観ている間だけでも笑ってほしいと願っている」という黒柳徹子の考えにも大いに賛同する。昼間の芝居が悲惨な話なのに感動したのは体調がよかったことも大いに関係している。さらにいえば自分も仁左衛門が格好いいのは認める。けど、それももう少しの筋があり役があった上でのことだし、もうちょっと喜怒哀楽のバランスが取れてもいいんじゃないかと。まあ、「助六」についてお約束を知ったうえで楽しむもので、そういう教養を求められるのは「助六」が古典の位置づけを確立しているということなのでしょう。ちなみに誰が助六を演じるかでタイトルも異なって、今回のタイトルは仁左衛門専用らしい。初心者としてそういうところから少しずつお約束を学ぶことにします。

2018年9月25日 (火)

松竹製作「俊寛」歌舞伎座

<2018年9月22日(土)夜>

平家を相手に謀反を企てたとして同士2人と一緒に島流しにあって3年の俊寛。同士の1人が島の娘と夫婦になると紹介に連れてきて、一同はめでたいと祝宴の真似事をする。そこに都の使者がやってきて、恩赦で3人を都に連れて帰るという。喜んだ3人は島の娘と一緒に船に乗ろうとするが、恩赦で連れて帰るのは3人だけであると使者が断る。押し問答の末に俊寛が取った行動は・・・。

一幕見席で見物。吉右衛門の当たり役とのことで、3年経って娑婆っ気の抜けた俊寛が、都に帰れる望みを見つけたとたんに見も世もなく使者に取りすがる場面の「みっともなさ」のリアリティはさすが。ただ、他がいかにも歌舞伎調な中で、リアルな演技を頑張るほどに吉右衛門が浮いて見えるのが難。これが統一した演出のない歌舞伎の悪いところ。その点、調子は全体に整っていた昼の「河内山」のほうが自分は好ましいと考える。

舞台は一幕で、これは乗り付ける船であったり、最後に盆を回して海を広げて孤島の感じを出したり、花道まで波を敷いたり、美術の出来も転換も「河内山」よりこちらのほうが圧倒的によい。最後の海の広さは1階席より2階以上のほうがより効果的に見えたのではないか。

ちなみに席取りの意味もあって「松寿操り三番叟」も見物。後見の役者が操り人形役の役者を操っている、という想定の舞踊。幸四郎の踊りもよかったけど、操る役の吉之丞が半身で足拍子を取る姿が格好良かった。

今回は昼夜とも一幕見席で観たけど、4階席でもセリと舞台は全部見えるので、いろいろ文句はあってもあの値段なら有名どころの芝居を試してみるのにいいかなと思えてきた。

2018年9月 9日 (日)

松竹製作「秀山祭九月大歌舞伎 河内山」歌舞伎座

<2018年9月8日(土)昼>

幕府の御数寄屋坊主を勤めているものの、裕福な商家にたかるようなこともしている河内山。たかり目的で寄った質屋で親戚一同相談中の事情を聴くと、大名屋敷に奉公に上がった娘が殿様の目に留まり妾になれと言われている、すでに結婚の約束を交わした相手もいるので断るも殿様からは手打ちにする、それならされると明日をも知れぬ身だという。助け出す知恵の湧かない質屋の内儀に、前金百両、無事に救い出せたらもう百両の話を取付けた河内山が、大名屋敷に乗りこんで一芝居打つ。

一幕見席で見物。一芝居打つと言ってもそこまでひねったものでなし、大名相手にやり込めて、追加の賄賂も巻き上げて、最後に見破られるものの開き直って啖呵を切って押し返すまでの一連の流れは実に素直。筋を楽しむより、わがままな武家を懲らしめるという展開が、当時の町人受けを狙ったもの、その背景として当時の町民は武家にそういう感情を持っていたのだろうなと推測。吉右衛門の啖呵が聞かせてくれるけど、愛嬌が多くて格好よすぎるのがこの話には難。筋が素直な分だけ、もう少し全体に生臭さも増やして、毒を以て毒を制す感じが出ていたほうが個人的には望ましい。

久しぶりに歌舞伎を観たけど、現代で観るには演技がゆったりしすぎと感じるのはいつも通り。自分には遅すぎると感じるけど、あれでないと昔の雰囲気が出ないと反論されるのはわかる。ただ場面転換はもっとスピーディーにならないかとは思う。盆を回すのにあれだけ時間がかかるのは舞台が広くてしょうがないにしても音や照明で工夫してほしいし、音も流さないで幕を閉めて場面転換するなんて論外。余所の芝居を観に行かないのかな。それにしたって「鼠小僧」その他で間近に観ているだろうに。

2018年6月10日 (日)

こまつ座「父と暮せば」俳優座劇場(若干ネタばれあり)

<2018年6月9日(土)>

敗戦から3年後の広島。図書館に務める美津江は独り暮らし、のはずだが、すでに亡くなっている父が幽霊というべきか、家に出てくる。図書館に資料を借りに来た大学助手の青年から好意を示され、父の幽霊からも似合いの縁組と言われるが、美津江は反発を示す。美津江が家に帰るたびに繰返される父の幽霊との4日間のやり取り。

初演が1994年というから24年前。コンスタントに上演されているのに掛け違って、ようやく観られた。井上ひさしの芝居にしては寄道のほとんどない、一直線と言ってもいいくらいの2人芝居。原爆で亡くなった父や友人への引け目、その引け目を感じさせるくらいの原爆の悲惨さ、などを上手に織込んでの1時間半。終盤は劇場のそこかしこで鼻をすする音が聞こえるくらいで、たしかによい脚本だし役者は熱演なのだけど、何か観ていて入り込めないものがあった。

戦前に地元の古老から集めた民話を語り継ぐ会という話を持ってきて、それは自分達が勝手に変えてはいけない、語り継ぐべきだという台詞。これを原爆の被害を被害者である市民が(被害があまりにも悲劇的すぎたがために)むしろ忘れたいと願う台詞と対比させて、この悲劇は語り継がれないといけないというあたりに井上ひさしの主張もあると思う。けど、悲劇を語り継ぐことと再度の悲劇を防ぐための思案というのはほとんど別物だと考える。これだけ何演も繰返されているというのはすごいことだけど、実力ある脚本家であるがゆえに語り継ぐことの力を過大評価しているというか。

で、そういう芝居外の観点を除いて、純粋に芝居の内容だけで判断すると、物足りない。よくできた話だけど、力強く惹きつけられるでもなく、現代につながる要素が自分には見つけられるでもなく、すごく閉じた話に見えた。引け目を感じる美津江の心情だけを追うならむしろ原爆を持ってくるなと反発も感じる。

書けば書くほど実感から遠ざかる。面白い脚本を面白く立上げるのが難しかったという一言で片付けたほうがいいのか、それとも単に脚本がつまらなかったのか。自分の感想を言葉にできない能力不足が恨めしい