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2025年3月 9日 (日)

松竹制作「仮名手本忠臣蔵 夜の部(Bプロ)」歌舞伎座

<2025年3月8日(土)夜>

おかるの実家に身を寄せた早野勘平は猟師で身を立てているが、ある雨の夕暮れに山道でかつての塩冶家の同輩と出会う。仇討とそのための金策の打明けられたので住まいを教えるが、さりとてそのような金はない。二人が別れた後でおかるの父の与市兵衛が通りかかる。勘平のためにと勘平に内緒でおかるが祇園に身売りしたので、その半金五十両を持って家路を急いでいた。それをかつての家老の息子で身を持崩して山賊を行なっている斧定九郎が斬捨てて大金を懐にする。ところがそこに通った猪を狙って勘平が撃った鉄砲が斧定九郎を倒す。すでに夜のこと、勘平は誤って人を撃ったことには気付いたが相手のことはわからず、薬がないかと探った懐の財布に気付き、申し訳ないと思いつつも仇討に加わりたいため持帰ってしまう(五段目)。あくる日、まだ与市兵衛が戻らないと心配するうちに、祇園の女将たちがおかるを身請けにやって来る。そこに勘平が戻ってきて事情を聞かされ、おかるは連れて行かれる。その後で猟師仲間が見つかった与市兵衛の亡骸を運び込んだので、怪しい財布を持っていた勘平をおかるの母のおかやが問詰める。そこにかつての塩冶家の同輩2人がやって来る。勘平は家に戻る前に五十両の中身を預けていたが、駆落ちした勘平からの金は受取れないと返す。話を聞いたおかるは勘平を責め、勘平も2人の前で腹を切って金を手に入れたいきさつを話す。だが鉄砲で撃ったと話す勘平なのに与市兵衛の亡骸は刀傷のため、誤解がわかる。すでに瀕死の勘平におかるは詫び、同輩2人は勘平の腹を切った血で連判状に勘平の名を連ねる(六段目)。しばらく後の祇園。大星由良之助は茶屋に泊まり込んでうつつを決込む様子で、手の者が説教に来てもあしらって返す。そこにおかるの兄の寺岡平右衛門がやって来て仇討に加えてほしいと頼み込むがそれも断る。かつての家老で今は高師直の手先となっている斧九太夫は由良之助の様子を探りに来て、主君の命日に生臭ものを食べさせるが由良之助は平気で口にする。なお様子を調べるために床下に隠れた斧九太夫に気づかず、届けられた密書を読んでしまった由良之助だが、それを手鏡越しに2階から見ていたおかると、床下に潜む斧九太夫に気が付く。密書を見られたおかるを放っておけないため身請けを申し出た由良之助を待つ間に平右衛門がやって来て、兄妹は再開する。由良之助がおかるの口封じを考えていることに気が付いた平右衛門は、おかるに家族の様子を知らせ、仇討に加えてもらうための手柄におかるの首をくれと頼む。それならとおかるが思い切ったところで由良之助が2人を止める。代わりにおかるといっしょに床下の斧九太夫を刺し、平右衛門が仇討に加わることを認める(七段目)。ついに仇討の晩、激しい戦いの末に師直を見つけた一行は本懐を遂げる。師直の首を捧げるために菩提寺に向かう一行に、江戸見回中の旗本の服部逸郎は、旗本屋敷を通ると捕まりかねないので裏道を通って向かうのがよいと遠回しに指図する。案内に従って道を変えるように指図する由良之助に向かって、服部逸郎は別れの挨拶を交わす(十一段目)。

仁左衛門勘九郎のBプロ。昼の部はこちら。今後のためにとあれこれ調べて粗筋をまとめてみましたが、後半は重たい場面が多いのでまとめも大変です。省略されているのは八段目が加古川本蔵の娘が由良之助の息子への嫁入りに向かう場面。九段目がその親子と由良之助親子とが、いざこざの末に和解する場面。十段目は討入り前にかつての塩冶家の出入商人で仇討の協力者の廻船問屋の真意をもう一度確かめる場面です。二段目の省略と合せて、大星由良之助の息子と加古川本蔵の娘の婚約が、塩冶判官と桃井若狭之助との間に関わるところが丸ごとかとされています。ここまで入れたらプラス2時間でも収まらないだろうからやるなら思い切りカット、その代わりにおかる勘平平右衛門の側はきっちり、という上演でしょう。

仁左衛門の由良之助以外に、勘平の勘九郎は昼の部に続いて夜も腹を切りましたがやっぱり上手、おかるの七之助は笑わせようという場面をきっちり入れてきて、あと平右衛門の松也はきりっとして真っ直ぐな感じが出ていましたね。他だと斧九太夫の片岡亀蔵は憎い役のはずなのにわからなくもない線まで持ってきているのが目を惹きました。五段目の斧定九郎は中村仲蔵方式で来るかなとちょっぴり期待しましたが、きれいで男前な斧定九郎でした。役者の出来に文句はありませんが、最後の最後、仁左衛門が「吉良邸に討入り」と台詞を言ったように聞こえましたが、あれはそういうものなのか、間違えたのか、どちらでしょう。

芝居全体では、もう少し場面転換がスムーズだとよかったのになと取れる場面がいくつかあったのが惜しいです。あとはたっぷりやりすぎて長くなったのもやはりもったいない。これだけカットしても1日がかり、昔はこれを1日で上演したのでしょうか。だとしたらもっと早い時間から開幕したとしても、芝居をもっとテンポよく運ばないと1日では収まらなさそうです。これはコクーン歌舞伎でカットなしで1日通し上演をやってくれないかなと期待したいです。

ちなみに芝居が終わって外に出たらこの季節なのに雪で、うおお討入りだあああとテンションが上がりながら駅まで歩きました。服装はまあ暖かくできたでしょうし、動いているうちには身体も温まるでしょうが、討入りの時に手足の暖はどういう格好をしていたんでしょうね。寒さには今より慣れて強かったでしょうが、手がかじかんで刀が握れないようでは困ります。それなりに防ぐ知恵はあったと思いますが、そういう普段の格好すらわからなくなった昔の話なのだな、江戸は遠くなりにけり、との感を覚えました。

松竹制作「仮名手本忠臣蔵 昼の部(Aプロ)」歌舞伎座

<2025年3月7日(金)昼>

天下を平定した将軍足利直義は、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮に新田義貞の兜を奉納する。その検分のため足利家の重臣である高師直は、塩冶判官の妻の顔世御前を呼ぶ。検分は無事に終わったものの、顔世御前に横恋慕している師直は恋文を渡して口説こうとする。それと察した桃井若狭之助が顔世御前を逃がすものの、邪魔された師直は若狭之助を侮辱する。腹を立てた若狭之助が切りかかりそうなところを塩冶判官が止める(大序)。若狭之助の家来の加古川本蔵が主人に将軍饗応の名誉を賜った礼、その実は揉めた主人との仲を再び取持つためにと主人に内緒で進物を持ってくる。これに目がくらんだ師直は受入れて加古川本蔵も見学していくようにと館に入れる。若狭之助は館で師直と会って腹を立てたものの、進物を受取った師直は先手を打って頭を下げたので若狭之助も機嫌を治める。だが若造に頭を下げた師直は塩冶判官に遅いのなんのと八当たりする。そこに顔世御前から師直に、先日口説かれたことについてお断りとの文が届く。この顛末の鬱憤を目の前の塩冶判官にぶつけた師直だが、あまりの悪口雑言に塩冶判官は腹を据えかねて刃傷に及ぶが、加古川本蔵に止められて不首尾に終わる(三段目)。謹慎していた塩冶判官の元に上使がやって来て切腹、領地没収、館明渡を命じる。覚悟していた塩冶判官は取乱さないが、せめて家老の大星由良之助が国許から戻るのを待ちたい。だが戻らないのでもはやこれまでと腹を切ったところで由良之助が戻る。無念を伝えて喉まで切って果てた主君を菩提寺に見送ることで切腹を見届ける上使の石堂右馬之丞は戻るが、館明渡の見届ける薬師寺次郎左衛門は師直と仲がよいため早く館を明渡せと迫る。これを一度奥に休ませて家臣一同で今後の相談をするが、由良之助ともう一人の家老の斧九太夫とは知行に合せて塩冶家の財産を家臣に分けるのがよいと話して分かれる。それでいいのかと詰寄る家臣に由良之助は仇討のためにいまは時期を待とうと諭して館を明渡す。館の中で嗤う薬師寺次郎左衛門一行の声が聞こえる中を館から去る由良之助だったが、館から離れて門が間もなく見えなくなる場所まで来たところで泣崩れる(四段目)。顔世御前の腰元おかると、塩冶家家臣の一人であった早野勘平。二人で逢瀬を交わしていたため閉門された館に戻れず、主君の一大事に駆けつけられなかった二人。それを恥じて京都のおかるの実家を目指して西に駆落ちする。そこにおかるに懸想していた師直の家来である鷺坂伴内が奴を連れて二人に追いついて、おかるを寄越せと言い張る。勘平は相手を散々にやっつけたところで、おかるがそのくらいでと止めて、その隙に鷺坂伴内が逃げる(道行旅路の花聟)。

仁左衛門勘九郎のAプロ。夜の部はこちら。今後のためにとあれこれ調べて粗筋をまとめてみましたが、これだけやってもまだ省略されていて、二段目丸ごとは桃井若狭之助と加古川本蔵の主従のやり取り、三段目の一部はおかる勘平の逢瀬と鷺坂伴内からおかるへの懸想の前振り、四段目の一部は塩冶判官の身を案じる顔世御前と肚の小さい斧九太夫を描いているそうです。だから今回の上演では、塩冶判官と大星由良之助にフォーカスして、それと後で重要になってくるおかる勘平を紹介するといった趣です。それは夜の部を通じても変わらない。

省略版でもよくできている話ですが、見どころはやはり四段目。ここは塩冶判官も大星由良之助もあまり台詞がなく、少ない台詞にどれだけ心を籠められるかと、台詞のない場面をどれだけ見せられるかの勝負。切腹姿の美しい勘九郎と、切腹の後で固く握りしめた手を開く仁左衛門、それと館を立去る仁左衛門、いいものを観られました。

この四段目、上演が始まったら客を入れない「通さん場」と言われているそうです。場内アナウンスがあったので気が付きましたが、案内板も立っていたし、公式サイトにも載っています。このご時世でもまだ本当に通さん場をやるところが、伝統芸能ですね。切腹の場に途中から入れないというのは理屈のようで理屈じゃない。そういう理屈じゃないところがないと続かない。それも含めての忠臣蔵なんでしょう。

館を立去るところで回転舞台を使って、大星由良之助が花道のセリのあたりで止まったまま、門を遠ざけることで離れていく様子を描くのが歌舞伎にしては珍しく、自分の観た席からだと非常に効果的に観えました。そういう美術の使い方ができるなら普段からもっとあれこれやってほしいです。

2025年2月23日 (日)

松竹制作「猿若祭二月大歌舞伎 夜の部」歌舞伎座

<2025年2月21日(金)夜>

夜の部2本。大奥の女房江島と通じて島流しにあった歌舞伎役者生島は、島でも江島を忘れられず物狂いとなってしまったが、そこに通りかかった海女の1人が江島にそっくりで「江島生島」。博打にはまって素寒貧になり夫婦喧嘩が絶えない左官職人、一人娘が夜にも帰らないと騒いでいたところで吉原の店から使いがやって来て店に行けば、父の借金を返すために身を売りたいと娘が自分から言い出したとのこと、見かねた女将が娘は大事に預かるから1年限りで返して見せろと金を出し、さすがに心を入替えてさて家に帰ろうとしたところで「文七元結」。

チケットがあるかと思ったら普通席は完売で、当日券は「阿古屋」が売切れていたけどまだ買えた他の2本の当日券を掴んで観劇。「江島生島」は踊りと音楽で雰囲気を楽しむのが吉。そういう楽しみ方もあるのだなと発見。

「文七元結」は落語で聴いたばかりなので芝居ではどうかと見物。これは勘九郎と七之助ががっつりだけど、特に勘九郎が完全に劇場を手の内に収めて客席を転がしてみせた。演目だからか公演後半だからか、やや客席が慣れていた様子だったけれど、それを差引いても上々の上の出来。身投げの男を引き留める場面、誰も通りやしねえと言う台詞のところでちょうど客席の赤ん坊が声を上げてしまったのもすかさず「赤ん坊の声しか聞こえやしねえ」とネタにしたところは落着いたもの。最後の長屋での夫婦喧嘩からの大騒動はもう、七之助と二人してやりたい放題やっているのに矩を踰えないところに感心しきり。観られてよかった。名前の順番は一段下がるみたいだけど、兄弟二人がこの世代の一番二番です。

2024年12月28日 (土)

東宝製作「天保十二年のシェイクスピア」日生劇場

<2024年12月21日(土)夜>

漁師上がりの親分が治めていた宿場。引退を考えた親分は3人の娘のうち、業突張りな上の娘たちではなく、養女だが心優しい末娘に縄張全部を譲りたいと考えていたが、お互いの思い違いから末娘は家を出ることになる。やむなく長女と次女に分けて譲ることになったが、相手を蹴落とそうとする2人のために宿場は2つの勢力にわかれてしまう。もともとこの宿場の生まれだが流れ者になって戻ってきた男が、この現状を見て、うまくのし上がってやろうと算段を働かし始める。

新型コロナウィルスで途中中止になった2020年版に近いキャストで再上演で、木場勝己が前口上を披露してから始まる。やっぱりよくできた話だなとの認識を新たにする。

前回はきじるしの王次を演じた浦井健治が佐渡の三世次に回ったけれど、ここ一番で見せてくれる役者から伝わる波動のようなものが今回はものすごくはっきり感じられて、ああこれが主役オーラかとはっきりとわかった。あれも色気の一つの形態なんでしょう。のし上がっていくことに楽しみを見出す役作りで、非常に脚本に合った役作りをしていた。それだけに前回の高橋一生の佐渡の三世次の異様さを思い出した。あれはのし上がってもまったく満たされない、ただただめちゃくちゃにしてやれという虚無の人間の役作りだった。どちらがいい悪いではなくて、ほとんど同じ座組みで上演してもそのくらい役作りは幅のある作業だということ。

ただ、「絢爛豪華 祝祭音楽劇」と銘打った割には2020年版と比べるとどことなく暗い雰囲気が付きまとって、あれは狙って演出したというよりは、飛び立とうとして飛び立ちきれなかった。もちろんシェイクスピアの悲劇がベースにあるし、登場人物はどんどん死ぬしで、酷い話ではあるけど、役者スタッフ一同が慣れて洗練されすぎたからだったかもしれない。木場勝己ですら洗練されていた。この芝居にはもう少し雑味の多い賑わいを期待したい。ただ、その分だけ花見の場面の美しさは際立っていたから悪いばかりではない。観客は勝手なものです。

2024年12月 8日 (日)

朝日新聞社/有楽町朝日ホール主催「イッセー尾形の右往沙翁劇場」有楽町朝日ホール

<2024年12月6日(金)夜>

(1)友達と待合わせでデパートにやって来たが財布を家に忘れて母に持ってきてもらう娘「ロリータ」。(2)食品工場の責任者たちが記者を集めて謝罪する事件とは「謝罪会見」。(3)OL同士の井戸端会議「刈り上げOL」。(4)20年ぶりに北海道から東京に墓参りに来た老婦人だったが「墓がない」。(5)主任に呼ばれたベテラン職人が頭にかぶせられて言われるには「長年のカンをデータ化」。(6)邪気を払ってもらいた人たちが集まった神社で「神主のお祓い」。(7)紙芝居屋から立体芝居屋に転身した男が語る「雪子の冒険 小樽編」。(8)漁港で船員たちを相手にバーを開くママ「オーロラ銀座」。

初日。イッセー尾形の一人芝居。観終わった後に「新作が多くて面白かった」と話していた常連客らしき人の声が聞こえたので、内容とロビーの写真も含めて考えるに(1)(6)が再演、(7)(8)がシリーズものの新作、他が新作、と想像。個人的には(2)(4)(6)を楽しんだ。(7)は仮面を使ってやるのだけど仮面が多すぎて途中で見つからなくなって、こういうトラブルもまた芝居の醍醐味。(8)はちょっと声が小さかったのと席からは後ろ向きだったので歌がきちんと聞こえなかったのが残念。イッセー尾形の一人芝居を観るのは二度目ですけど、力押しの演目は今回は少な目でした。

ロビーに大量に仮面や人形が展示してあって、何かと思ったら宮沢賢治の話にちなんで全部イッセー尾形が作ったものらしい。とにかく作る人なんですね。

2024年12月 1日 (日)

松竹製作「朧の森に棲む鬼(尾上松也主演版)」新橋演舞場

<2024年11月30日(土)夜>

粗筋と役者以外の話は昼の回参照。

初演のキャスティングは古田新太以外は忘れていたのですが、観終わってから初演のキャストを検索したら、そもそも主演が幸四郎(当時染五郎)でした。忘れているにもほどがある。

で、ダブルキャストの主演です。昼の回の幸四郎は出だしのまだ軽い場面と、終盤で牢屋以降の悪人全開になる場面はさすがでした。夜の回の尾上松也も上手で、ツナに取入るところからの中盤は幸四郎よりいいんじゃないかという場面も多数です。この違いは初日であるだけでなく、両者のニンというのでしょうか。やっぱり幸四郎は三の線の似合う役者なので、取入るために嘘を付き続ける、肚の中で演技する中盤はどうしても軽くなるな、というのは初演と変わらない感想です。もう1役である四天王の1人、サダミツを演じているときはそれがいい方に働いて、こういうキャラなんだなとなるのですが。といって、サダミツを真面目にやった尾上松也はこれもいい出来でした。なので話が目当てならどちらを観ても構わないし、贔屓の役者がいるならそちらを選べばいいです。公演の間にどこまで変わるかが注目。

他の役者ですが、やっぱり上手なんですよ、みんな。その中で役どころもあって挙げておきたいのはツナの中村時蔵とマダレの市川猿弥。物語の要となる役どころを揺れる心と貫録とで十二分に出してていました。若首領のまっすぐさを出しつつチャンバラで一人だけ剣が速い市川染五郎は成長著しいので歌舞伎古典がどうなるか注目です。この3人以外にも、派手目な役と愛嬌もこなした大君の奥方シキブの坂東新悟も、肩の力の抜けた大君の坂東彌十郎もいいなあという人は多いでしょう。人懐っこくて身体が動いくキンタの尾上右近、悪いアラドウジの役を楽しそうにやった澤村宗之助、もう少し観たかったウラベの片岡亀蔵とショウゲンの大谷廣太郎。好きに選べって感じですね。名前の出てこない脇も含めて初日からいい出来です。

ただ、まだ初演のキャスティングを検索する前から、何となくこれは初演ではこの役者がやったのかなと見える役もちょいちょいありました。それだけ初演に役者が集まっていたということでもあるし、役者を考えての当て書きをしたこともあるのでしょうが、まだまだ工夫のしどころもあるのかなとは帰り道に考えました。

あと、殺陣の場面だったりその場面の主軸が台詞をセンターで話しているときに、脇で棒立ちになっている役者が多いのは気になりました。ちょっと身構えるだけでも全然違うのだから、そこは直してほしいです。

松竹製作「朧の森に棲む鬼(松本幸四郎主演版)」新橋演舞場

<2024年11月30日(土)昼>

とある島国では大君を抱くエイアン国が、金山を持つオーエ国に戦を仕掛ける戦乱の日々だった。そんな中で落武者狩りをして稼ぐ口のよく回るライと弟分のキンタ。だがその最中に朧の森に迷い込んだライは鬼から王になる啓示を剣を受ける。やがて鬼の予言通りに出会った男を倒すと、それはオーエ国と通じようとしていたエイアン国の武将だった。その場で出会ったオーエ国の族長を騙して秘密の約束を結んだライは、エイアン国の都に乗りこんで悪人の親玉マダレと通じると、武将の最後を報せるとその妻で検非違使長官ツナに取入り、口先と仕込みを駆使してエイアン国の中での地位を着々と固めていく。

初日。幸四郎が主演のライを演じる版。出来は上々、3日やったらやめられないというくらいのカーテンコールでした。すっかり話を忘れていましたけどお裁きの場面で観たことがあるなと思い出して、だけど粗筋はまったく忘れていたのでそのまま楽しめました。忘れっぽいことにもいいことがあります。

初めは夜の回のチケットを取ったのですが、後で昼の回の安い席を見つけたのでそちらを足しての1日2公演観劇です。こういう馬鹿な観劇を一度やってみたかったんです。役者寸評は夜の回で。先に3つ書いておきます。

まず、主演で演出は変わりません。照明美術きっかけありとあらゆるスタッフワークを駆使しているので演出を変える余裕はないというほうが正しいか。なので話が目当てならどちらを観ても構わないし、贔屓の役者がいるならそちらを選べばいいです。

それよりは座席のほうが大事で、花道のセリより客席側は出入り以外にほとんど使いませんけど、セリのあたりで演技することが多いのであそこが見えない下手サイド席だとモニターはあってもストレスになると思います。私は上手サイド席だったのでむしろ観やすかった。代わりに宙乗りが近いですけどそこは求めるものに応じて判断を。

あとは音響。初日のせいか出だしの朧の森の場面で台詞がいまいちわからず、特に昼のサイド席はさっぱりでした。かといって夜の回の1階席ならわかりやすいかというとそうでもない。あの場面がわからないとそのあとの展開もわからなくなります。新橋演舞場も初めてではないはずなので、何とか調整してほしいです。

2024年10月20日 (日)

unrato「Silent Sky」俳優座劇場

<2024年10月19日(土)夜>

19世紀のアメリカに牧師の娘として生まれたヘンリエッタ・スワン・レヴィット。まだ女性が就ける職が大幅に制限されていた時代、ヘンリエッタがハーバード大学に星の測定結果の整理を行なう計算手として職を得るところから、その仕事の傍らで星の距離を測るための重要な方法を見つけるに至るまでの話。

実際にいた女性天文学者を基に書かれた翻訳もの。Wikipediaによれば業績は知られていても人となりはあまり知られていないらしく、また少々省かれたり順番の入替ったりしているところもあるようなので、そのあたりは芝居として楽しむのが吉。

脚本がヘンリエッタの生涯のあらすじに当日の女性の自立運動を重ねるように書かれているためやや忙しく、そこを演出も追いかけて、よく言えばテンポがよくて、悪く言えば緩急が足りない。そこに強弱を足してくれた高橋由美子と竹下景子はさすがの出来。

と書くと悪く聞こえるけど、やっぱりそれなりによくできた脚本であり、シンプルな舞台美術が生きる場面も多数。2日目の3ステージ目だったので後半もっとよくなることも期待できる。

アフタートークがあったけど、演出家と、唯一の男性キャストの松島庄汰はいいとして、unratoの前回出演者の陣内将を招く必要があったのかは疑問。招かれたからにはもう少し観たばかりの芝居に対してコメントしてほしいし、進行した演出家もそちらに振ってほしい。それよりは出演者にもう一人頼めなかったのか。

2024年9月15日 (日)

俳優座劇場プロデュース「夜の来訪者」俳優座劇場

<2024年9月14日(土)昼>

昭和15年の日本。大会社の社長の息子と娘が婚約して、娘の家で娘の家族が祝いの酒を飲んでいるところに警部が訪ねてくる。病院に運び込まれて自殺した女性について話を聴きたいという。めでたい夜だがそれなら仕方ないと招き入れるが、警部は慇懃無礼とも言える態度で順々に質問を始める。

イギリスの脚本を日本に置きかえてまったく違和感のない出来。ミステリー風でもいまとなっては素直な脚本の部類に入るが、それでもよくできているし役者も好演。やや説教が前面に出てくるも面白かったです。

<2024年9月17日(火)追記>

詳細後日で書こうとしましたけど止めておきます。

2024年8月 6日 (火)

松竹製作「八月納涼歌舞伎 第三部 狐花」歌舞伎座

<2024年8月4日(日)夜>

作事奉行の上月監物の側用人から殿の御用と屋敷に呼ばれた口入屋と材木屋。娘が彼岸花の小袖を着た謎の男に魅入ってしまい、その男からの文を娘に届けた女中が寝込んでしまった。謎の男の手掛かりを得たい監物だが、女中は口入屋と材木屋の娘に会わせてほしいというばかりなので会わせてやってほしいという。後ろ暗いところのある四人だが、そうとあってはと娘たちを送り出す。だがその後に娘たち、それに口入屋と材木屋の身に起きた一大事で、幽霊の仕業ではないかと疑われる事態となった。そこで側人は監物の屋敷に憑物落とし・中禪寺洲齋を招いて事を調べさせようとする。

こちらは第三部を丸々使っての京極夏彦の書下ろし。京極夏彦はまだ読んだことはないのですが、楽しめました。という前提での感想です。

ミステリーというよりは上月家騒動始末といった内容でした。1か所、説明されてもわからないところがありました。それでも歌舞伎向きに向いた話であり、大筋は楽しめます。ただ、どうしても説明台詞が多くなるのはしょうがないにしても、一回当たりの台詞が長台詞になってしまう場面が多いのがつらいです。それと一応はミステリー仕立てを試みているので、後半になると、実は、実は、の展開が増えます。そこにひと捻りがあってさすがという話と、それを後出しにするかという話が混ざっていました。あまりネタバレはしませんが染五郎の役は後者かと。楽しめる筋だっただけに、かれこれ含めて、やや無理の残るところがもう少し舞台向けに整理されているとよかったです。

ところが、その無理の残るところを何とかするべく、役者スタッフがかなり頑張ることで面白くなるのだから舞台というのはわからない。役者でいえば、まず真っ先に勘九郎の上月監物の太さ。第二部の髪結新三をさらに大きくして出てきます。他にも側人の染五郎が期待以上に観られたとか、七之助にいい役を上手に当てたなとか、米吉演じる監物の娘の変わりようがいいとか、口入屋の片岡亀蔵と材木屋の猿弥が上手に回すとか、そのそれぞれの娘の虎之助の勝手なところとか新悟の高飛車なところとか、挙げたら切りがない。後半の場面、七之助と米吉、からの一連の流れは、あれはいい場面でした。

スタッフも、普通の歌舞伎らしいセットの場面と、出や照明を工夫した場面とのメリハリをつけて、歌舞伎の枠組みというのはなかなかに使い回しの利くものなのだなと再認識しました。

ただ、何でもよかったわけではない。役者では、憑物落としの幸四郎がさっぱりだった。歌舞伎の時代物とは違う調子の長台詞が多いのは気の毒だったけれど、だからこそびしっと決めてほしかった。明らかに台詞が出てこなかったところと、思い出しながら話しているところがあちこちにあって、観ているこちらがはらはらした。人の名前も1か所間違えていたような。主人公というより狂言回しに近いので、幸四郎には向いていなかったかもしれません。こういう台詞なら第二部にちょい役で出ていた香川照之こと中車が得意じゃないかと思うのですが、半分謹慎中ですから駄目ですよね。

あと音楽が、おおむねよかったけれど、ちょっと後半に緩い穏やか目な音楽をかけてしまった場面があって、あそこはもう少し緊迫感を煽ってもよかったと思います。録音だったはずですけど、生の三味線でもいけたのではないかなと私は考えました。あとは笛とか使ってもよかったかもしれません。ただ、舞台美術の都合で奏者の居場所がない。そこは美術にもうひと頑張りしてもらって、何とかできなかったかなと思います。

観終わった感想では、楽しめたけど、いろいろ作り直して再演してみてほしい1本でした。絶対もっと面白くできる。

そして人によっては他の役者を推したくなるくらい周りがいいのを認めた上でなお、勘九郎がよかった。第二部もそうでしたけど、この八月はそんな勘九郎の贔屓を作るための演目のようにも思えます。そんなに熱心に追っているわけではありませんし、見える人には見えていたのかもしれないですが、勘九郎が歌舞伎を背負える役者になったとこの2本を観て実感しました。

ちなみにこの日は京極夏彦が観に来ていました。関係者は初日に観に来るものだとなんとなく思い込んでいましたが、初日はどたばたするでしょうし、本人だって同行者だって都合もあるでしょうし、別に3日目だって悪いことはありませんやね。着物姿で首に巻いているものはまだわかるのですが、あの手袋だけはよくわかりません。ただ、そういう格好の人が書いた芝居と考えるとぴったりの内容でしたし、そういう格好が浮かない歌舞伎座は懐の深い劇場だと思います。

<2024年8月6日修正>

8月2日が初日でこの日が3日目だと思い込んでいましたけど、この日が初日でした。もう駄目です。暑さにやられたということで勘弁してください。

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