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2024年12月28日 (土)

東宝製作「天保十二年のシェイクスピア」日生劇場

<2024年12月21日(土)夜>

漁師上がりの親分が治めていた宿場。引退を考えた親分は3人の娘のうち、業突張りな上の娘たちではなく、養女だが心優しい末娘に縄張全部を譲りたいと考えていたが、お互いの思い違いから末娘は家を出ることになる。やむなく長女と次女に分けて譲ることになったが、相手を蹴落とそうとする2人のために宿場は2つの勢力にわかれてしまう。もともとこの宿場の生まれだが流れ者になって戻ってきた男が、この現状を見て、うまくのし上がってやろうと算段を働かし始める。

新型コロナウィルスで途中中止になった2020年版に近いキャストで再上演で、木場勝己が前口上を披露してから始まる。やっぱりよくできた話だなとの認識を新たにする。

前回はきじるしの王次を演じた浦井健治が佐渡の三世次に回ったけれど、ここ一番で見せてくれる役者から伝わる波動のようなものが今回はものすごくはっきり感じられて、ああこれが主役オーラかとはっきりとわかった。あれも色気の一つの形態なんでしょう。のし上がっていくことに楽しみを見出す役作りで、非常に脚本に合った役作りをしていた。それだけに前回の高橋一生の佐渡の三世次の異様さを思い出した。あれはのし上がってもまったく満たされない、ただただめちゃくちゃにしてやれという虚無の人間の役作りだった。どちらがいい悪いではなくて、ほとんど同じ座組みで上演してもそのくらい役作りは幅のある作業だということ。

ただ、「絢爛豪華 祝祭音楽劇」と銘打った割には2020年版と比べるとどことなく暗い雰囲気が付きまとって、あれは狙って演出したというよりは、飛び立とうとして飛び立ちきれなかった。もちろんシェイクスピアの悲劇がベースにあるし、登場人物はどんどん死ぬしで、酷い話ではあるけど、役者スタッフ一同が慣れて洗練されすぎたからだったかもしれない。木場勝己ですら洗練されていた。この芝居にはもう少し雑味の多い賑わいを期待したい。ただ、その分だけ花見の場面の美しさは際立っていたから悪いばかりではない。観客は勝手なものです。

2024年12月 8日 (日)

朝日新聞社/有楽町朝日ホール主催「イッセー尾形の右往沙翁劇場」有楽町朝日ホール

<2024年12月6日(金)夜>

(1)友達と待合わせでデパートにやって来たが財布を家に忘れて母に持ってきてもらう娘「ロリータ」。(2)食品工場の責任者たちが記者を集めて謝罪する事件とは「謝罪会見」。(3)OL同士の井戸端会議「刈り上げOL」。(4)20年ぶりに北海道から東京に墓参りに来た老婦人だったが「墓がない」。(5)主任に呼ばれたベテラン職人が頭にかぶせられて言われるには「長年のカンをデータ化」。(6)邪気を払ってもらいた人たちが集まった神社で「神主のお祓い」。(7)紙芝居屋から立体芝居屋に転身した男が語る「雪子の冒険 小樽編」。(8)漁港で船員たちを相手にバーを開くママ「オーロラ銀座」。

初日。イッセー尾形の一人芝居。観終わった後に「新作が多くて面白かった」と話していた常連客らしき人の声が聞こえたので、内容とロビーの写真も含めて考えるに(1)(6)が再演、(7)(8)がシリーズものの新作、他が新作、と想像。個人的には(2)(4)(6)を楽しんだ。(7)は仮面を使ってやるのだけど仮面が多すぎて途中で見つからなくなって、こういうトラブルもまた芝居の醍醐味。(8)はちょっと声が小さかったのと席からは後ろ向きだったので歌がきちんと聞こえなかったのが残念。イッセー尾形の一人芝居を観るのは二度目ですけど、力押しの演目は今回は少な目でした。

ロビーに大量に仮面や人形が展示してあって、何かと思ったら宮沢賢治の話にちなんで全部イッセー尾形が作ったものらしい。とにかく作る人なんですね。

2024年12月 1日 (日)

松竹製作「朧の森に棲む鬼(尾上松也主演版)」新橋演舞場

<2024年11月30日(土)夜>

粗筋と役者以外の話は昼の回参照。

初演のキャスティングは古田新太以外は忘れていたのですが、観終わってから初演のキャストを検索したら、そもそも主演が幸四郎(当時染五郎)でした。忘れているにもほどがある。

で、ダブルキャストの主演です。昼の回の幸四郎は出だしのまだ軽い場面と、終盤で牢屋以降の悪人全開になる場面はさすがでした。夜の回の尾上松也も上手で、ツナに取入るところからの中盤は幸四郎よりいいんじゃないかという場面も多数です。この違いは初日であるだけでなく、両者のニンというのでしょうか。やっぱり幸四郎は三の線の似合う役者なので、取入るために嘘を付き続ける、肚の中で演技する中盤はどうしても軽くなるな、というのは初演と変わらない感想です。もう1役である四天王の1人、サダミツを演じているときはそれがいい方に働いて、こういうキャラなんだなとなるのですが。といって、サダミツを真面目にやった尾上松也はこれもいい出来でした。なので話が目当てならどちらを観ても構わないし、贔屓の役者がいるならそちらを選べばいいです。公演の間にどこまで変わるかが注目。

他の役者ですが、やっぱり上手なんですよ、みんな。その中で役どころもあって挙げておきたいのはツナの中村時蔵とマダレの市川猿弥。物語の要となる役どころを揺れる心と貫録とで十二分に出してていました。若首領のまっすぐさを出しつつチャンバラで一人だけ剣が速い市川染五郎は成長著しいので歌舞伎古典がどうなるか注目です。この3人以外にも、派手目な役と愛嬌もこなした大君の奥方シキブの坂東新悟も、肩の力の抜けた大君の坂東彌十郎もいいなあという人は多いでしょう。人懐っこくて身体が動いくキンタの尾上右近、悪いアラドウジの役を楽しそうにやった澤村宗之助、もう少し観たかったウラベの片岡亀蔵とショウゲンの大谷廣太郎。好きに選べって感じですね。名前の出てこない脇も含めて初日からいい出来です。

ただ、まだ初演のキャスティングを検索する前から、何となくこれは初演ではこの役者がやったのかなと見える役もちょいちょいありました。それだけ初演に役者が集まっていたということでもあるし、役者を考えての当て書きをしたこともあるのでしょうが、まだまだ工夫のしどころもあるのかなとは帰り道に考えました。

あと、殺陣の場面だったりその場面の主軸が台詞をセンターで話しているときに、脇で棒立ちになっている役者が多いのは気になりました。ちょっと身構えるだけでも全然違うのだから、そこは直してほしいです。

松竹製作「朧の森に棲む鬼(松本幸四郎主演版)」新橋演舞場

<2024年11月30日(土)昼>

とある島国では大君を抱くエイアン国が、金山を持つオーエ国に戦を仕掛ける戦乱の日々だった。そんな中で落武者狩りをして稼ぐ口のよく回るライと弟分のキンタ。だがその最中に朧の森に迷い込んだライは鬼から王になる啓示を剣を受ける。やがて鬼の予言通りに出会った男を倒すと、それはオーエ国と通じようとしていたエイアン国の武将だった。その場で出会ったオーエ国の族長を騙して秘密の約束を結んだライは、エイアン国の都に乗りこんで悪人の親玉マダレと通じると、武将の最後を報せるとその妻で検非違使長官ツナに取入り、口先と仕込みを駆使してエイアン国の中での地位を着々と固めていく。

初日。幸四郎が主演のライを演じる版。出来は上々、3日やったらやめられないというくらいのカーテンコールでした。すっかり話を忘れていましたけどお裁きの場面で観たことがあるなと思い出して、だけど粗筋はまったく忘れていたのでそのまま楽しめました。忘れっぽいことにもいいことがあります。

初めは夜の回のチケットを取ったのですが、後で昼の回の安い席を見つけたのでそちらを足しての1日2公演観劇です。こういう馬鹿な観劇を一度やってみたかったんです。役者寸評は夜の回で。先に3つ書いておきます。

まず、主演で演出は変わりません。照明美術きっかけありとあらゆるスタッフワークを駆使しているので演出を変える余裕はないというほうが正しいか。なので話が目当てならどちらを観ても構わないし、贔屓の役者がいるならそちらを選べばいいです。

それよりは座席のほうが大事で、花道のセリより客席側は出入り以外にほとんど使いませんけど、セリのあたりで演技することが多いのであそこが見えない下手サイド席だとモニターはあってもストレスになると思います。私は上手サイド席だったのでむしろ観やすかった。代わりに宙乗りが近いですけどそこは求めるものに応じて判断を。

あとは音響。初日のせいか出だしの朧の森の場面で台詞がいまいちわからず、特に昼のサイド席はさっぱりでした。かといって夜の回の1階席ならわかりやすいかというとそうでもない。あの場面がわからないとそのあとの展開もわからなくなります。新橋演舞場も初めてではないはずなので、何とか調整してほしいです。

2024年10月20日 (日)

unrato「Silent Sky」俳優座劇場

<2024年10月19日(土)夜>

19世紀のアメリカに牧師の娘として生まれたヘンリエッタ・スワン・レヴィット。まだ女性が就ける職が大幅に制限されていた時代、ヘンリエッタがハーバード大学に星の測定結果の整理を行なう計算手として職を得るところから、その仕事の傍らで星の距離を測るための重要な方法を見つけるに至るまでの話。

実際にいた女性天文学者を基に書かれた翻訳もの。Wikipediaによれば業績は知られていても人となりはあまり知られていないらしく、また少々省かれたり順番の入替ったりしているところもあるようなので、そのあたりは芝居として楽しむのが吉。

脚本がヘンリエッタの生涯のあらすじに当日の女性の自立運動を重ねるように書かれているためやや忙しく、そこを演出も追いかけて、よく言えばテンポがよくて、悪く言えば緩急が足りない。そこに強弱を足してくれた高橋由美子と竹下景子はさすがの出来。

と書くと悪く聞こえるけど、やっぱりそれなりによくできた脚本であり、シンプルな舞台美術が生きる場面も多数。2日目の3ステージ目だったので後半もっとよくなることも期待できる。

アフタートークがあったけど、演出家と、唯一の男性キャストの松島庄汰はいいとして、unratoの前回出演者の陣内将を招く必要があったのかは疑問。招かれたからにはもう少し観たばかりの芝居に対してコメントしてほしいし、進行した演出家もそちらに振ってほしい。それよりは出演者にもう一人頼めなかったのか。

2024年9月15日 (日)

俳優座劇場プロデュース「夜の来訪者」俳優座劇場

<2024年9月14日(土)昼>

昭和15年の日本。大会社の社長の息子と娘が婚約して、娘の家で娘の家族が祝いの酒を飲んでいるところに警部が訪ねてくる。病院に運び込まれて自殺した女性について話を聴きたいという。めでたい夜だがそれなら仕方ないと招き入れるが、警部は慇懃無礼とも言える態度で順々に質問を始める。

イギリスの脚本を日本に置きかえてまったく違和感のない出来。ミステリー風でもいまとなっては素直な脚本の部類に入るが、それでもよくできているし役者も好演。やや説教が前面に出てくるも面白かったです。

<2024年9月17日(火)追記>

詳細後日で書こうとしましたけど止めておきます。

2024年8月 6日 (火)

松竹製作「八月納涼歌舞伎 第三部 狐花」歌舞伎座

<2024年8月4日(日)夜>

作事奉行の上月監物の側用人から殿の御用と屋敷に呼ばれた口入屋と材木屋。娘が彼岸花の小袖を着た謎の男に魅入ってしまい、その男からの文を娘に届けた女中が寝込んでしまった。謎の男の手掛かりを得たい監物だが、女中は口入屋と材木屋の娘に会わせてほしいというばかりなので会わせてやってほしいという。後ろ暗いところのある四人だが、そうとあってはと娘たちを送り出す。だがその後に娘たち、それに口入屋と材木屋の身に起きた一大事で、幽霊の仕業ではないかと疑われる事態となった。そこで側人は監物の屋敷に憑物落とし・中禪寺洲齋を招いて事を調べさせようとする。

こちらは第三部を丸々使っての京極夏彦の書下ろし。京極夏彦はまだ読んだことはないのですが、楽しめました。という前提での感想です。

ミステリーというよりは上月家騒動始末といった内容でした。1か所、説明されてもわからないところがありました。それでも歌舞伎向きに向いた話であり、大筋は楽しめます。ただ、どうしても説明台詞が多くなるのはしょうがないにしても、一回当たりの台詞が長台詞になってしまう場面が多いのがつらいです。それと一応はミステリー仕立てを試みているので、後半になると、実は、実は、の展開が増えます。そこにひと捻りがあってさすがという話と、それを後出しにするかという話が混ざっていました。あまりネタバレはしませんが染五郎の役は後者かと。楽しめる筋だっただけに、かれこれ含めて、やや無理の残るところがもう少し舞台向けに整理されているとよかったです。

ところが、その無理の残るところを何とかするべく、役者スタッフがかなり頑張ることで面白くなるのだから舞台というのはわからない。役者でいえば、まず真っ先に勘九郎の上月監物の太さ。第二部の髪結新三をさらに大きくして出てきます。他にも側人の染五郎が期待以上に観られたとか、七之助にいい役を上手に当てたなとか、米吉演じる監物の娘の変わりようがいいとか、口入屋の片岡亀蔵と材木屋の猿弥が上手に回すとか、そのそれぞれの娘の虎之助の勝手なところとか新悟の高飛車なところとか、挙げたら切りがない。後半の場面、七之助と米吉、からの一連の流れは、あれはいい場面でした。

スタッフも、普通の歌舞伎らしいセットの場面と、出や照明を工夫した場面とのメリハリをつけて、歌舞伎の枠組みというのはなかなかに使い回しの利くものなのだなと再認識しました。

ただ、何でもよかったわけではない。役者では、憑物落としの幸四郎がさっぱりだった。歌舞伎の時代物とは違う調子の長台詞が多いのは気の毒だったけれど、だからこそびしっと決めてほしかった。明らかに台詞が出てこなかったところと、思い出しながら話しているところがあちこちにあって、観ているこちらがはらはらした。人の名前も1か所間違えていたような。主人公というより狂言回しに近いので、幸四郎には向いていなかったかもしれません。こういう台詞なら第二部にちょい役で出ていた香川照之こと中車が得意じゃないかと思うのですが、半分謹慎中ですから駄目ですよね。

あと音楽が、おおむねよかったけれど、ちょっと後半に緩い穏やか目な音楽をかけてしまった場面があって、あそこはもう少し緊迫感を煽ってもよかったと思います。録音だったはずですけど、生の三味線でもいけたのではないかなと私は考えました。あとは笛とか使ってもよかったかもしれません。ただ、舞台美術の都合で奏者の居場所がない。そこは美術にもうひと頑張りしてもらって、何とかできなかったかなと思います。

観終わった感想では、楽しめたけど、いろいろ作り直して再演してみてほしい1本でした。絶対もっと面白くできる。

そして人によっては他の役者を推したくなるくらい周りがいいのを認めた上でなお、勘九郎がよかった。第二部もそうでしたけど、この八月はそんな勘九郎の贔屓を作るための演目のようにも思えます。そんなに熱心に追っているわけではありませんし、見える人には見えていたのかもしれないですが、勘九郎が歌舞伎を背負える役者になったとこの2本を観て実感しました。

ちなみにこの日は京極夏彦が観に来ていました。関係者は初日に観に来るものだとなんとなく思い込んでいましたが、初日はどたばたするでしょうし、本人だって同行者だって都合もあるでしょうし、別に3日目だって悪いことはありませんやね。着物姿で首に巻いているものはまだわかるのですが、あの手袋だけはよくわかりません。ただ、そういう格好の人が書いた芝居と考えるとぴったりの内容でしたし、そういう格好が浮かない歌舞伎座は懐の深い劇場だと思います。

<2024年8月6日修正>

8月2日が初日でこの日が3日目だと思い込んでいましたけど、この日が初日でした。もう駄目です。暑さにやられたということで勘弁してください。

松竹製作「八月納涼歌舞伎 第二部」歌舞伎座

<2024年8月4日(日)昼>

身代の厳しい材木屋で娘に持参金付きの婿を取らせることになったが、手代と好き合っている娘は互いに身の行方を儚む。それを聞きつけた出入りの髪結である新三が手代に持ちかけたのは二人での家出。自分の長屋に匿うからと唆したら、家を出てきた娘は攫って手代は打ちつける。初めから大店相手に強請りでひと儲けを狙っていた新三だが、店が番頭に頼んで交渉に寄越したのは「梅雨小袖昔八丈」。夏の神社の夕涼みでいろいろな職業の町人が踊る「艶紅曙接拙」。

梅雨小袖昔八丈は髪結新三のサブタイトルが付く1本。愛想よく見せかける勘九郎もいいけれど、悪い男を全面に出した勘九郎が新鮮で、しかも見応えがあった。悪い役をやらせても上手いですね。啖呵もさすがです。なんとなく仁左衛門でも観てみたい演目です。

他にも攫われる娘の鶴松がきれいだとか、手代の七之助のなよなよした駄目っぷりとか、新三の手下の巳之助がなかなかいいとか、新三を相手にする大家の彌十郎が狸だとか、役者に見応えのある中で、岡っ引きを演じた幸四郎がなんともしょんぼりした出来。新三に追返されるから間違っていないけど、それよりも声も何もかもが小さかった。これは第三部に気を取られていたのではないかと推測しますけど、もう少しぱりっとしてほしかった。

娘を返した金を数えるところが盛上がりすぎて、終わったら帰ろうとするお客さんが多く、その後に橋の前での場面があるから気を付けましょう。でも、最後にあんな終わらせ方があるとは知らなかった。

艶紅曙接拙も出てくる人が一通り踊るけど、一番たくさん踊るのが勘九郎。上手ですね。足を上げて軽く踊るなかでたまに足裏が地面に吸い付いたような動きをするところがあって、鍛えているんだろうなと思わされました。

これは良席でみられたのもありますが、背景の書割が抜けるような絵になっていました。こういう席で観ると慣れない踊りでも背景も相まって、感想も変わってくるなと今更ながらに考えました。

2024年7月14日 (日)

ルックアップ企画製作「虹のかけら」有楽町よみうりホール

<2024年7月14日(日)昼>

映画に歌手にと大活躍したジュディ・ガーランド。「オズの魔法使い」のオーディションで出会って以来、その付人を務めた同い年のジュディ・シルバーマン。世間に知られざる彼女の物語と、そんな彼女の目から見たジュディ・ガーランドの物語。

三谷幸喜による戸田恵子の一人芝居第2弾。ジュディ・ガーランドに目を付けて、その付人を切口にここまでの話を仕上げて、戸田恵子に歌って朗読させて演技させる三谷幸喜はやはり第一人者です。

そしてそれに見事に応える戸田恵子もやはり、第一人者です。歌の伸びやかな声、朗読での声の使い分け、そしてこの芝居を最後までやり遂げる演技、どれをとっても一級品で、実に耳を楽しませてくれました。役者は声だとこれだけはっきり教えてくれる芝居も役者もなかなかいないでしょう。

戸田恵子本人がコンパクトにしたバージョンだと冒頭で話していた通り、途中がどうも端折りすぎではないかと思えたのですが、これはこれで話がすっきりしてよかったという声も聞こえたので、そこは人によるようです。ただ、今回のコンパクトなバージョンでも物語は通じていました。オチもだいたい予想は付きましたけど、しっかり前振りしているからフェアでしたし、いいですね。

上演していることに気が付かないで、たまたま見つけてうっかりチケットが買えてしまったのですが、何の心配もなく舞台に集中して楽しんだ1本でした。

2024年7月 8日 (月)

東宝製作「ムーラン・ルージュ!」帝国劇場

<2024年7月6日(土)夜>

20世紀初めのパリのショー劇場、ムーラン・ルージュ。経営不振のオーナーが公爵をパトロンにするべく看板歌手をあてがおうとするが、歌手は別の若い青年のことを公爵だと勘違いしてしまう。アメリカからパリにやって来て間もない青年は作詞作曲が達者で、歌手の貧乏時代の仲間がその上演で一旗揚げようと歌手に頼むためにムーラン・ルージュまで連れてきたところだった。勘違いは間もなく発覚するが、公爵への言い訳をしているうちに2人は恋に落ち、公爵の目を盗んで逢瀬を繰返す。

せっかくなのでヒーローに井上芳雄、オーナーに橋本さとしの出る回を狙ってやろうと様子を見ていたら無事にチケットが取れました。ヒロインは平原綾香、公爵が伊礼彼方、青年の仲間はロートレックに上野哲也、サンティアゴに中河内雅貴、その恋人ニニが藤森蓮華。

時代を跨いだ名曲で構成されているらしいですが、1曲しかわかりませんでした。が、べたな展開も役者の熱演で目を逸らさせません。平原綾香と井上芳雄の歌の上手さには惹かれますが、やはり個人的には橋本さとしの胡散臭さです。ショー劇場のオーナーにぴったりです。煽りどころ、笑わせどころ、締めるところ、間違いがありません。主要メンバーみんな割とよかったのですが、公爵の伊礼彼方が端正でいい感じの公爵でした。

この日の客席は何と言うか、仕上がっていました。出だしから手拍子の強さと揃い具合がすごい。初めに井上芳雄が台詞を言う場面で戸惑っていたくらい。予習ばっちり感が強すぎやしないかと思わないでもありませんでしたが、ミュージカル初心者には手を叩くタイミングがわかりやすいのは助かりました。

出だしから派手な歌と踊りがいいですね。チケット代も派手でしたけど、たまにはこういうのを観るのもいいもんだと素直に楽しんできました。

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