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2021年6月13日 (日)

松竹製作「六月大歌舞伎 第二部 桜姫東文章 下の巻」歌舞伎座(ネタバレあり)

<2021年6月12日(土)昼>

追放されて行き場がない清玄と赤子は、同じく追放された残月と長浦の2人が暮らす地蔵堂の庵に身を寄せる。金のない2人に病みついた清玄の面倒を見るのは苦しいため、お参りに来た女に子供を預け、清玄を殺してしまう。仏の墓堀に呼んだ権助と穴を掘っていると、女衒が女を売り飛ばす相談のために女を連れてくるが、この女が桜姫だった。女衒が女郎屋と話をつけるために席を外したすきに、残月は言い寄り、権助は機会をうかがう。

親切にも冒頭で上の巻のあらすじを語ってくれた後に始まる(明瞭な口跡でよかったけど誰だか名前がわからない・・・)。上の巻は終盤数日が中止になったから、救済の意味もあるか。上の巻は仁左衛門メインに見えたけど、下の巻は玉三郎オンステージ。出だしの色っぽい雰囲気と、女郎を経た後半の蓮っ葉な雰囲気、前半は子供と会いたいと言っていたのに後半は子供がほしけりゃ産んでやるという落差がすごい。仁左衛門権助の格好いい場面も玉三郎桜姫の引立てになる。

ただ話はいろいろかっ飛ばしている。終盤、父が亡くなり家も潰れたきっかけである都鳥の巻物を盗んだのが権助であることを知った桜姫が、仇として権助を殺すのはわかるけど、権助が父親とはいえ自分の産んだ赤子まで殺すのはもはやホラー。そこから最後、殺害の下手人として追われた桜姫が、取返した巻物で一転、御家再興がかなって大団円の急転直下。

権助と桜姫との間に産まれた赤子が、人手に渡しても結局戻ってきたり、いろいろ言われている割にさして大切にされていなかったり。扱いが雑かというとそうでもなく、あえて書くなら呪いの象徴のように見える。清玄の幽霊も、雷で生き返った清玄がうっかり穴に落ちたのは暴れた本人かもしれないけどそのまま放置したのは桜姫。なのに出てきた幽霊に桜姫が怖がるのでもなく話しかけるという地続き感。冷静に考えれば芝居のご都合主義だけど、観ているとそうとばかりも言えず、いろいろ強引な展開が不気味さで束ねられているようなところがある。これが鶴屋南北の怪奇趣味か。

物語の理解はやっぱり、タイトルロール通り桜姫を追うのがいい。不運な亡くなり方をした白菊丸の生まれ変わりである桜姫が、(清玄と二役である)権助にひどい目に合わされた上に取りこまれたところ、まずは清玄に(結果として)復讐しつつ、清玄(の幽霊)に埋合せをしてもらって権助にも復讐し、最後は御家復興で幸せになるまでの一部始終を、輪廻転生や因果応報の形で描いた、と考えるのがすっきりくる。清玄と権助の二役が有名な芝居で見せ場が多いし、仁左衛門が色気があって格好よくて興行的には売物にするのが欠かせないとしても、芝居を背負うのは桜姫。その点、下の巻が玉三郎オンステージになったのは必然だったし、玉三郎もそれに応えていた。

なんか近代に毒されたような感想だけど、雰囲気勝負と割りきるにはいろいろややこしい芝居だった。にもかかわらず、描きたい雰囲気を重視するから筋立てなんて多少強引でもいいんだよ、木戸銭払った客を楽しませて興行が成功すればやったもん勝ちだよ、と訴えかける何かがあった。現代劇ではなかなかお目にかかれない、生き残った古典劇の力強さは、シェイクスピアを思わせる。それは逆に、芝居を立上げるためには役者に大きさ、強さが求められるということでもあって、玉三郎仁左衛門が活躍したからこそ成立した芝居だったのかな、他にここまでできる人たちが今だれかいるかな、というのもおまけの感想。

2021年4月11日 (日)

松竹製作「四月大歌舞伎 第三部 桜姫東文章 上の巻」歌舞伎座

<2021年4月10日(土)夜>

僧侶である清玄と稚児の白菊丸が江ノ島で心中を図るが、先に飛込んだ白菊丸の後を追えずに清玄が生き残ってしまう。17年後、高僧となった清玄は、不幸が続く名家の17歳の娘である桜姫の出家の相談に呼ばれる。生まれつき左手が開かない桜姫に清玄一行が読経すると左手が開くが、そこで出てきたのは心中のときに白菊丸と交わした香箱で、清玄は白菊丸の生まれ変わりが桜姫だと信じる。そこに、桜姫との縁組を求める悪五郎が言い寄るが、とんでもないことと女中に断られたため、何とかするために悪党の権助を桜姫への使いに立てる。

下の巻は6月公演にお預けで、今回は上の巻として前半。この後、権助が実は桜姫を以前強姦していたが、そのときのことを桜姫は忘れられず権助を思い続けて出家を待つ身なのに不義を働き、その相手が清玄だと誤解される、と続く。上の巻の展開だけ見たら桜姫はさっさと首をはねてもいいくらいの身勝手な役で、そこを納得させるのが役者の腕の見せ所だけど、玉三郎が頑張った。

というか、上の巻だけを観た範囲では筋を追ってもしょうがない。それより、権助と桜姫の不義の場面、玉三郎と仁左衛門の色気が全開で、70歳以上でここまでできる歌舞伎役者やばい。仁左衛門は清玄と権助の二役だけど、悪い権助のほうがいろいろ似合っていた。

実はいろいろあって冒頭の数分を見逃したので心中で飛込むまでのやり取りを聞き逃したのだけど、まあしょうがない。なんか荒唐無稽な雰囲気があるので、続編の下の巻に期待。新型コロナウィルス対策メモは第一部に書いたので省略。

松竹製作「四月大歌舞伎 第一部」歌舞伎座

<2021年4月10日(土)朝>

帝に献上する刀を打つよう命じられた刀匠だがそれだけの技量を持つ相槌を打つ相方がおらず稲荷明神に祈りをささげると童子が現れて「小鍛冶」。鎌倉の頼朝から逃れるべく奥州を目指す義経一行が安宅の関所で見とがめられて切抜けるために弁慶の一世一代「勧進帳」。

小鍛冶。素直に踊りを楽しめばよし。中車の刀匠と猿之助の童子実は稲荷明神もいいけど、間に出てきた弟子の中で、ネタ台詞を言っていた若木色というか緑の着物を着ていたのは猿弥であっているか。短い時間だったけど、踊りが上手かったというか、所作がはまっていた。なぜかと考えるに、決して悪口ではないのだけど、体型バランスが旧世代の日本人に近いからだと思われる。日本の踊りの振付は、当時の日本人の体型バランスできれいに見えるように作られたとどこかで読んだことがあるけど、納得。

鳴物が、ダルダルのダウンチューニングから始まって、増し締めしながら弾くという珍しいスタイル。動きもあったからあれは狙ったもので、緩い弦の音で不安な心持を表そうとしたのかと推測。

勧進帳。今回は白鸚の弁慶に幸四郎の富樫のA日程。白鸚が最初の出番で花道から出てまだ台詞を言わないで立っただけの瞬間から呼吸が荒い。声もおとなしめで勧進帳の読みあげが終わった瞬間に拍手が出せない。最後、呼吸を整えるための息の荒さが劇場に響いて、飛び六方がよれよれだった。幸四郎が明朗な台詞だった分だけ余計に目立つ。今回の出来を純粋に評すれば荒事の代表格の弁慶役として擁護の余地はない。

休憩タイミングを含めていろいろ段取りが整っていたから多分体調ではなく体力の問題。自分の席からは見えなかったけど、音から推測するに途中で汗拭きや水分補給だけでなく酸素補給もしていたかもしれない。弁慶はそもそも気力体力が求められる役で、さらに衣装はものすごい重たくて着て立つだけでも大変らしいから、それで舞台に出られるだけ同年代の一般人よりは元気だと思うけど、半月前に吉右衛門が倒れたばかりなので、途中で倒れないか観ていてはらはらし通しだった。弁慶はこれ限りの演じ収めになるはずなので白鸚贔屓の人は観に行っておくことを勧める。

そのほか新型コロナウィルス対策メモ。場内混雑をつくらないようにイヤホンガイドを入場するより前に劇場外で借りて返すシステム。自力もぎり、検温、消毒で入場。飲食は最低限の水分補給を除いて場内禁止で食事処も営業していない。パンフレット以外の物販は全部なしで、1階の土産物屋はチケットなしで外に開放して外から入るようにしている。ロビーの椅子は間隔を空けられるところは2席空けて距離確保。男子トイレも小便器はひとつ飛ばし。スタッフはマスクにフェイスガード。席は最前列と、花道脇は列によって3-4席空けて、他は千鳥格子を基本に一部は2人並びの席も用意、桟敷席も1人。まあまあ入っていたけど空席もあり。さすがに1人だけだけど、話すときにマスクを外す人を遠くに発見、年寄りは小声で話そうとするとマスクを外してしまう模様。退場時は後方から整列退場。

場内はスタッフは注意事項を書いた案内板を掲示、説明は主にアナウンス。COCOAを推奨するというアナウンスがあったけど、その後で携帯電話の電源をお切りくださいとのアナウンスもあり。それは駄目じゃないか

2020年2月11日 (火)

松竹製作「菅原伝授手習鑑」歌舞伎座

<2020年2月10日(月)昼>

その優れた手跡から、弟子への筆法伝授をと帝に望まれた菅丞相。だが今の弟子は頼むに足らず、腰元と駆落ちしたため勘当していた源蔵を呼寄せ腕前を確かめると、勘当は取りやめぬが秘伝を伝授する。折りしも、家来の手引きで逢引していた菅丞相の養女と斎世親王が、菅丞相の政敵である時平の家来に見咎められてしまい、2人は逃亡方々駆落ちしてしまう。それを皇位の簒奪だと時平に逆用されて、菅丞相は蟄居となってしまう。菅丞相の若君だけでも助けなくてはと源蔵が救い出すが、菅丞相は流罪が決定する。

初段と二段目のダイジェスト、なのかな。この後に国立劇場の文楽で今やっている三段目が挟まって、四段目の寺子屋につながるはず。寺子屋で若君をかくまっていた理由まではわかったけど、その恩義の深さが現代の自分には伝わらず、薄味。仁左衛門の菅丞相はどんなものかと観に行ったけど、ほとんど動かない、超地味な役どころ。品格と言われればそれまでだけど、つらい。その分他の役者に目が行って、玉三郎の覚寿が何と言っても一番。梅玉の源蔵もよかった。

東宝主催「天保十二年のシェイクスピア」日生劇場

<2020年2月9日(日)夜>

漁師上がりの親分が治めていた宿場。引退を考えた親分は3人の娘のうち、業突張りな上の娘たちではなく、養女だが心優しい末娘に縄張全部を譲りたいと考えていたが、お互いの思い違いから末娘は家を出ることになる。やむなく長女と次女に分けて譲ることになったが、相手を蹴落とそうとする2人のために宿場は2つの勢力にわかれてしまう。もともとこの宿場の生まれだが流れ者になって戻ってきた男が、この現状を見て、うまくのし上がってやろうと算段を働かし始める。

蜷川版を観て以来2回目。最後まで堪能して満足。やっぱりこの脚本は面白い。スタッフワークで洋風な音楽と振付をつけたのに対して、木場勝己がそこにいてしゃべるだけで良い意味の土着感が出て、古今東西風味が拮抗する。オープニングの曲のノリの良さは蜷川版と甲乙付けがたい。

オープニングの曲が終わって、出だしがやや低調だったけど持ち直し。浦井健治のきじるしの王次が出てきた瞬間の華やかさがすごかった。ああこの人はミュージカルが本家だ、ストレートプレイに出るのはもったいないんじゃないのかと場違いな感想。高橋一生の佐渡の三世次だけ、メイクや衣装も込みで独特に作りこんだ不気味さを前面に出していたけど、なのにこの芝居には合う不思議。終盤は独壇場だった。

「祝祭音楽劇」と題したとおりの出来で、開演して2日目3ステージなので調整の余地のある役者も若干見受けられたけど、客としてはそんなところを気にするより楽しんだほうが得。そういう1本。木場勝己が隊長役を務めているのがバランスの要だと思うので、観られるものなら今回もう1回観たい。

2019年11月15日 (金)

松竹製作「連獅子」「市松小僧の女」歌舞伎座

<2019年11月13日(水)夜>

長い毛を振る有名なアレ「連獅子」。母の死をきっかけに剣術修行にのめりこみ男の風体でごろつきもあしらう裕福な商家の娘が、後妻の娘との跡継ぎ問題に嫌気がさして乳母を頼って家出した先で見かけた乱暴者「市松小僧の女」。

「連獅子」は有名だけど初見。霊山を舞台に、獅子は子を千尋の谷に突き落とす、というのを模した踊りらしい。その突き落とした後に、霊山の頂上を目指す修行僧の軽いコメディが挟まって、獅子の精になった親子が舞って長い毛を振る、と調べると一応舞台設定があった。幸四郎と染五郎を目当てにきた客の、萬太郎と亀鶴演じる修行僧が出てきたときの誰だお前感がすごかった。自分もそうだった。毛振りを観るのが目当てだからしょうがない。でもそこからちゃんと笑いを取って馴染んでいた。最後は遠めにも綺麗な毛を激しく振ったのが観られて満足。染五郎が赤で幸四郎が白。踊りは染五郎も上手だったと思うけど、並んで踊ると幸四郎の動作に余裕と安定があるのがわかって、勉強になる。

「市松小僧の女」は池波正太郎脚本ということで見物。それにしては展開がぶつ切りで滑らかでなく、起承転結というより起転転転という印象。物語よりは役者へのあて書きがメインだったか。その目で観れば役に似合う役者が演じていた。ただ、道場の兄弟子である同心は、このぶつ切りな脚本の中でも前振りも少なく短い時間で振舞いが変わる役で、演じていた芝翫も苦しんだか、若干浮いていた。

2019年9月 9日 (月)

松竹製作「秀山祭九月大歌舞伎 夜の部」歌舞伎座

<2019年9月7日(土)夜>

寺子屋の夫婦が菅原道真の若君を我が子としてかくまっていたものの発覚して差出せと言われて窮しその日に入門に来た子を身代わりにと考える「寺子屋」、源義経を奉じて奥州に行こうとする弁慶たちが安宅の関で見咎められて勧進の一行だと言張る「勧進帳」、赤穂浪人大高源吾の不忠が気に入らぬと出入禁止にした殿様松浦鎮信を宥める俳人其角が会ったばかりの大高源吾の俳句を伝えると「松浦の太鼓」。

夜の部をフルで観て初物経験。「すまじきものは宮仕え」と台詞が出てきたけど寺子屋が出典らしい。で、寺子屋を初めて観終わって自分でも驚いたけど、この展開の芝居は現代ではないだろうという感想。二十歳のころなら多分納得していたので、おもったより自分の考え方が近代化してきている。調べたら菅原道真を中心に五段目まであるうちの四段目のそのまた一部が寺子屋で、寺子屋夫婦の源蔵も首検分する松王丸もその前に登場しているらしい。けど現代芝居ならこの展開を納得させるために源蔵と松王丸が道真から恩を受けたことを中心に組立てなおして3時間以上は必要な大作になる。古典なので直すものでもないけど、こんな感想を持つ日が来ようとは。

役者は、吉右衛門の松王丸、千代の菊之助、戸浪の児太郎あたりはいいのだけど、源蔵の幸四郎がちょっと軽い。

勧進帳は奇数日で仁左衛門弁慶に幸四郎富樫。仁左衛門は格好よかったけど、勧進帳の読上げとか義経を叩くところとか、ここ一番が若干薄い。後半でうっすら息切れしていたのは酒を飲んだ後の演技かとも思ったけど、最後の飛び六方が厳しそうだったので多分体力の問題。弁慶は体力的にきつい役と噂に聞くけど実際そうなんだろう。

そしてここでも幸四郎。富樫が弁慶一行を見逃したあたりの心情、納得して見逃したのか、わかって見逃したのか、仁左衛門に目がいっていたのもあるけどそこらへんがいまいちわからず。もともと幸四郎というか高麗屋は弁慶側なので、できることなら偶数日を観たい。

最後の松浦の太鼓は殿様が笑わせる狂言物。歌六の殿様もいいけど大高源吾の妹で殿様に仕える女中の米吉がいい感じ。出だしはともかく、だんだん殿様の可笑しさが伝わってくる後半は、力が抜けて観られるけど、終演9時過ぎのせいかここまで観ずに帰る人も散見。前2本と比べて地味といえば地味だけどもったいない。

2019年6月19日 (水)

松竹製作「月光露針路日本」歌舞伎座

<2019年6月16日(日)夜>

江戸時代、米を運ぶ商船が難破する。船頭を務める雇い主の息子、光太夫の判断で沈没は免れ、積んでいる米で食事は取れるものの、力尽きて亡くなるものもある。8ヶ月の漂流の末に流れ着いたのはロシア領の小島。次々と乗組員が亡くなるなか、光太夫は生き残る乗組員を励まして何とか帰国を目指すが、逆にロシアの奥地へ奥地へと進むことになってしまう。

「決闘! 高田馬場」が2006年なので13年ぶりの三谷歌舞伎。スーツ姿の松也の解説で湧かせつつ前知識を教え込む工夫で始まるも、1幕が難破から、2幕最初の小島生活で、なんとも重苦しい出だし。その後、小島を出てロシア本土に着いたあたりから少しずつはずみがつき、2幕最後の犬で大盛上がり、3幕はその勢いで終幕までまとまった、という印象。

難破の場面は船上なので動きが少ないし、開幕したばかりで登場人物紹介の面もあるけど、多すぎる役者にそこそこの台詞を割振った上に歌舞伎のテンポで話すので、正直遅い。これを書いている時点ですでに序盤の内容をほとんど忘れていて、検索しながら書いている。乗組員が減るほどにテンポが良くなっていって、3幕は主要な登場人物が限られるので話もわかりやすいけど、今回唯一の歌舞伎以外役者の八嶋智人が大げさかつスピーディーな台詞回しを披露。これが本来の三谷芝居のスピードだよなと認識。二部制の月は休憩を2回挟んで3幕4時間は持たせないといけない歌舞伎座のルールとはいえ、特に前半は間延びしたうらみがある。後半は面白かったけど、「決闘! 高田馬場」の勢いを思い出すに、全体であと30分は短くしてほしかった。

一番盛上がったのは犬だったけど、あの毛並みと動きは拍手喝采したくなるのももっともな出来で、単純に楽しめる。染五郎が初見でどんなものかと思ったけど、さすがにまだまだで、ただし気になる声質がどことなく将来を期待させる印象を持った。

2019年6月 9日 (日)

松竹製作「六月大歌舞伎 昼の部」歌舞伎座

<2019年6月7日(金)昼>

ダイナミックで賑やかな踊り「寿式三番叟」、名作の場面を女性に置換えて踊りで見せる「女車引」、鶴ヶ岡八幡宮に参詣中の大庭三郎俣野五郎兄弟と梶原平三景時の前にのっぴきならない事情で刀を買取ってほしいと現れた翁と孫娘、刀の目利きをした景時は太鼓判を押すも試し切りをしないと買わないという兄弟、だが重ね切りを試したいも罪人はひとりしかおらず「梶原平三誉石切」、遊女・梅川に惚れあった亀屋忠兵衛は身請けの手付金を払うも後が続かない、そこへ同業の丹波屋八右衛門が梅川を身請けすると割込んできて「恋飛脚大和往来 封印切」。

朝一番からノリのいい鳴物の合せて激しく踊る「寿式三番叟」は、観ているこちらも身体が揺れて踊りたくなる一本で、終わって三番叟は誰だと確認したら幸四郎と松也。幸四郎ってあんなに踊れるのか。それを落着かせる「女車引」。「梶原平三誉石切」は吉右衛門の景時もいいけど、それは翁の歌六と孫娘の米吉の迫力のためでこの2人の出来が素晴らしい。「恋飛脚大和往来」は「近松心中物語」の原作の一本で、仁左衛門のチャラい忠兵衛なんぞにほれるものかというところ、愛之助の八右衛門が低い声で嫌味を言っていいバランス。

4本観てこれだけ当たりだらけの歌舞伎はひょっとしたら初めての経験。歌舞伎勉強にもいい感じなので、安い席でもいいからたまには歌舞伎も如何。

2019年4月21日 (日)

松竹製作「実盛物語」歌舞伎座

<2019年4月20日(土)夕>

 

平家の時代に源氏の子を身ごもる夫人を匿っている百姓家。源氏の仲間に連絡しようと出した娘は帰ってこない。そこに夫人の見回りに侍が来る。実は源氏贔屓の斎藤実盛は、産まれてくるのが男子ならその場で始末すると意気込む同僚の瀬尾十郎をなだめて追い返す。が、それを怪しんで隠れていた瀬尾に、出産したことをつかまれる。赤子が男子か女子かと詰寄る瀬尾に百姓夫婦が差出したのは、切られた女性の腕。さきほど川に流れてきたものを拾ったものだった。それを手掛かりに実盛は瀬尾を言いくるめて一度は切り抜けたものの・・・。

 

あっさり人が死んだり死ななかったり、入組んだ人間関係だったり、歌舞伎だけど小劇場的な要素満載の物語。筋だけ見れば陰々滅々な芝居になるところ、妙にさわやかでむしろめでたい仕上がりになったのは何と言っても仁左衛門の色気と華やかさ。そこはこんなインタビューが見つかった。たしかにこんなやり方もあるんだな、と納得させられた。

 

「演目によっては深く掘り下げなければいけませんが、こういう演目は、ご覧になる方にもドラマや理屈ばかりを追い求めるのでなく、歌舞伎独特の雰囲気というものを味わっていただきたいですね。歌舞伎には役者の華で魅せる芝居というものもあるのです」

 

それはそれとして、主要登場人物に話が集中しているせいか、役者を楽しむ見方もできる。全員いい感じだったけど、仁左衛門以外では特に瀬尾十郎の歌六がよかった。出番は少ないけど夫人の葵御前の米吉も声が色っぽかった。そして台詞の多い子役は寺嶋眞秀のクレジット、寺島しのぶの息子だ。

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