2019年2月12日 (火)

松竹製作「二月大歌舞伎 夜の部」歌舞伎座

<2019年2月11日(月)夜>

息子の初陣を案じてあえて陣中に駆けつけ主人に様子を尋ねる妻だがそこには敵方の武将の母も現れて仇討ちを狙う「熊谷陣屋」、親の仇を討つために踊りを披露する名目で屋敷に入った兄弟が踊る「當年祝春駒」、派手好みで旦那もいれば情夫もいる芸者に入れ込んで貢いだ行商人だが袖にされ「名月八幡祭」。

幕見席の通しで観劇。熊谷陣屋は、チラシのあら筋は読んで臨んだけど、まったく不覚なことにしゃべっている台詞の1割も言葉として理解できなくて、あら筋の内容すら観て取れなかった。芝居観すぎて疲れていたのは確かだけど、あまりのわからなさにひょっとして病気かと自分でも驚いた。有名な古典だから筋も台詞も知っている人は多いだろうけど、純粋に日本語として聞き取れている人はどのくらいいたのか。

代わりに楽しんだのが名月八幡祭。わかりやすい筋立てに、歌舞伎には珍しく照明と効果音を使ったクライマックス。堅気の新助を演じる松緑の明晰な台詞と最後の笑い声、それをかばう歌六の大人振り、芸者の美代吉を演じる玉三郎の色っぽさ(相手に気を持たせるうちわの使い方が素晴らしい)、そして情夫という名のヒモ男が最高に似合う仁左衛門。見どころが多い。新歌舞伎っていいものだ。

當年祝春駒、難しいことを考えずに単に音と動きのきれいなことを追えばそれでもよいのかと思えたら、楽しめた。

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2018年12月26日 (水)

カタルシツ演芸会「CO.JP」スーパーデラックス

<2018年12月23日(日)夜>

最近よくないことが続く男が訪ねた「霊媒師」、スーパーでつかまった高校生が盗もうとした品がどうもおかしい「万引き」、久しぶりに新刊を出した作家が宣伝で話すインタビュアーの話し方が気になる「インタビュー」、クラスメートからは仲良く構ってもらえるものの不満がある「転校生」、妻が入院して駆けつけた夫に医者が病状を説明する「手術」、引越した友人の家を訪ねたらなぜか取付けられている「ボタン家」、主人が亡くなって犯人を見つける「名探偵」、順調に正解を続けているが「クイズ」、栄えある一等賞に選ばれたものの「メガネ男子」、計画を立てて押しこんだはずだったが「銀行強盗」、日本を救え「ジャパンレンジャー」。

順番とタイトルは一部適当。コントと演劇の境界を探ると銘打ったが「ゴリゴリのコントに仕上がりました」との前口上で始まるコント集。深いことは考えずに笑えるコントが並ぶ。こういうのを観るときは意地悪い気分で笑ってやるものかと身構えるけど、笑わされた。設定の妙に負けた「転校生」とあんまりな展開にやられた「名探偵」が特によい。たまにアドリブが入って共演者が笑うのはわかるけど、あまりにも上手い間がはまって共演者が笑うのはほどほどにとは思う。それも含めて面白かった。こんなにリラックスしていた客席の雰囲気は久しぶり。

横長の舞台を三方から囲むのでサイド席だと表情が隠れる場面もあったはずだけど、顔や仕草に頼る笑いが少なく声でしっかり突込みが入るから、わからなくて笑えないことはほぼない。それは逆にいうと設定と構成がしっかりしていた証拠。他人を馬鹿にするような要素もなく、政治的な話もなく、誰が観ても等しく楽しめる見本のようなコント集。

それとは別の感想として、ゴリゴリのコントとは言っていたけど、出来上がったものは演劇に近い。具体的にはKERAの芝居を観ているような気分になった。不条理劇と呼ばれる分野の脚本を書いて喜劇的に演出するKERAと、理不尽だったり強引だったりする設定やそこへのツッコミで笑いを取る今回の公演と、そんなに差はないことを実感。場面がつながって一本の物語になるか、ならないかだけが違いではないか。あるいは、困った(けどあり得ないことではない)場面に追詰められた登場人物がおかしいのがウェルメイドな喜劇で、理不尽な(本来あり得ない)場面に振回される登場人物がおかしいのが不条理劇で、それが短いコントになっていても長い物語になっていても根は同じではないか。今回のコントが不条理劇風味のラインナップで揃っていたのは、やっぱりコントと演劇の境界を探った成果ではないか。

こんな感想を書くのは、ついこの前「風の演劇」という別役実の評伝を読んだから。この本の中でも三木のり平やKERAを絡めて、不条理劇は喜劇に近いという話が載っていた。よく考えたら別役実は一度も観たことがないけど、コントだと思って機会があったら臨みたい。

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2018年10月23日 (火)

松竹製作「助六曲輪初花桜」歌舞伎座

<2018年10月20日(土)夜>

吉原の三浦屋で一番の花魁である揚巻。その揚巻が三浦屋の得意客を袖にしてもぞっこんなのが花川戸の助六。侍と見ては喧嘩を売って歩くやくざ者だが、見事な色男っぷりに吉原では煙管の雨が降る。それにしてもあまりの乱暴振りだったが、実は訳があった。

一幕見席。最後がすごい中途半端だったけど、Wikipediaによれば元は3時間を2時間に縮めてそこで止めるのが通例の演出とのこと。筋書きだけならもうどうでもよくて、助六役がいかに格好良く見得と啖呵を切ってくれるか、あと所々のアドリブで楽しませてくれるかだけの芝居。

物語を楽しみたい自分のような客にとっては肩透かしもいいところの演目だったけど、これがびっくりするような大人気。前売完売どころか、一幕見席も満員札止めで後からきて並べもしないで帰る人多数。しかもその前の演目の一幕見席も売切れていた(一幕見席をつなげると早く会場に入って座席を確保できるのが歌舞伎座ルール)。その立見も老若男女いろいろで、驚くべきは杖代わりにカートを使うような御婦人が立見で頑張るほど。なんだ、歌舞伎は筋より役者なのか、色っぽい役者が綺麗な格好をして見得を切ったり気の利いた台詞を言ったりするのを、スナップショットで楽しむものなのか、うすうす気がついていたけど、汚しの入った衣装や舞台のリアリズムより、省略と誇張を駆使したぴかぴかのお約束が好きなのか。というのを見せつけられた次第。

いや、それはわからなくもないんだ。疲れてしんどいときに深刻な芝居を観ると身体がもたないのは身をもって体験しているところで、「せめて観ている間だけでも笑ってほしいと願っている」という黒柳徹子の考えにも大いに賛同する。昼間の芝居が悲惨な話なのに感動したのは体調がよかったことも大いに関係している。さらにいえば自分も仁左衛門が格好いいのは認める。けど、それももう少しの筋があり役があった上でのことだし、もうちょっと喜怒哀楽のバランスが取れてもいいんじゃないかと。まあ、「助六」についてお約束を知ったうえで楽しむもので、そういう教養を求められるのは「助六」が古典の位置づけを確立しているということなのでしょう。ちなみに誰が助六を演じるかでタイトルも異なって、今回のタイトルは仁左衛門専用らしい。初心者としてそういうところから少しずつお約束を学ぶことにします。

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2018年9月25日 (火)

松竹製作「俊寛」歌舞伎座

<2018年9月22日(土)夜>

平家を相手に謀反を企てたとして同士2人と一緒に島流しにあって3年の俊寛。同士の1人が島の娘と夫婦になると紹介に連れてきて、一同はめでたいと祝宴の真似事をする。そこに都の使者がやってきて、恩赦で3人を都に連れて帰るという。喜んだ3人は島の娘と一緒に船に乗ろうとするが、恩赦で連れて帰るのは3人だけであると使者が断る。押し問答の末に俊寛が取った行動は・・・。

一幕見席で見物。吉右衛門の当たり役とのことで、3年経って娑婆っ気の抜けた俊寛が、都に帰れる望みを見つけたとたんに見も世もなく使者に取りすがる場面の「みっともなさ」のリアリティはさすが。ただ、他がいかにも歌舞伎調な中で、リアルな演技を頑張るほどに吉右衛門が浮いて見えるのが難。これが統一した演出のない歌舞伎の悪いところ。その点、調子は全体に整っていた昼の「河内山」のほうが自分は好ましいと考える。

舞台は一幕で、これは乗り付ける船であったり、最後に盆を回して海を広げて孤島の感じを出したり、花道まで波を敷いたり、美術の出来も転換も「河内山」よりこちらのほうが圧倒的によい。最後の海の広さは1階席より2階以上のほうがより効果的に見えたのではないか。

ちなみに席取りの意味もあって「松寿操り三番叟」も見物。後見の役者が操り人形役の役者を操っている、という想定の舞踊。幸四郎の踊りもよかったけど、操る役の吉之丞が半身で足拍子を取る姿が格好良かった。

今回は昼夜とも一幕見席で観たけど、4階席でもセリと舞台は全部見えるので、いろいろ文句はあってもあの値段なら有名どころの芝居を試してみるのにいいかなと思えてきた。

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2018年9月 9日 (日)

松竹製作「秀山祭九月大歌舞伎 河内山」歌舞伎座

<2018年9月8日(土)昼>

幕府の御数寄屋坊主を勤めているものの、裕福な商家にたかるようなこともしている河内山。たかり目的で寄った質屋で親戚一同相談中の事情を聴くと、大名屋敷に奉公に上がった娘が殿様の目に留まり妾になれと言われている、すでに結婚の約束を交わした相手もいるので断るも殿様からは手打ちにする、それならされると明日をも知れぬ身だという。助け出す知恵の湧かない質屋の内儀に、前金百両、無事に救い出せたらもう百両の話を取付けた河内山が、大名屋敷に乗りこんで一芝居打つ。

一幕見席で見物。一芝居打つと言ってもそこまでひねったものでなし、大名相手にやり込めて、追加の賄賂も巻き上げて、最後に見破られるものの開き直って啖呵を切って押し返すまでの一連の流れは実に素直。筋を楽しむより、わがままな武家を懲らしめるという展開が、当時の町人受けを狙ったもの、その背景として当時の町民は武家にそういう感情を持っていたのだろうなと推測。吉右衛門の啖呵が聞かせてくれるけど、愛嬌が多くて格好よすぎるのがこの話には難。筋が素直な分だけ、もう少し全体に生臭さも増やして、毒を以て毒を制す感じが出ていたほうが個人的には望ましい。

久しぶりに歌舞伎を観たけど、現代で観るには演技がゆったりしすぎと感じるのはいつも通り。自分には遅すぎると感じるけど、あれでないと昔の雰囲気が出ないと反論されるのはわかる。ただ場面転換はもっとスピーディーにならないかとは思う。盆を回すのにあれだけ時間がかかるのは舞台が広くてしょうがないにしても音や照明で工夫してほしいし、音も流さないで幕を閉めて場面転換するなんて論外。余所の芝居を観に行かないのかな。それにしたって「鼠小僧」その他で間近に観ているだろうに。

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2018年6月10日 (日)

こまつ座「父と暮せば」俳優座劇場(若干ネタばれあり)

<2018年6月9日(土)>

敗戦から3年後の広島。図書館に務める美津江は独り暮らし、のはずだが、すでに亡くなっている父が幽霊というべきか、家に出てくる。図書館に資料を借りに来た大学助手の青年から好意を示され、父の幽霊からも似合いの縁組と言われるが、美津江は反発を示す。美津江が家に帰るたびに繰返される父の幽霊との4日間のやり取り。

初演が1994年というから24年前。コンスタントに上演されているのに掛け違って、ようやく観られた。井上ひさしの芝居にしては寄道のほとんどない、一直線と言ってもいいくらいの2人芝居。原爆で亡くなった父や友人への引け目、その引け目を感じさせるくらいの原爆の悲惨さ、などを上手に織込んでの1時間半。終盤は劇場のそこかしこで鼻をすする音が聞こえるくらいで、たしかによい脚本だし役者は熱演なのだけど、何か観ていて入り込めないものがあった。

戦前に地元の古老から集めた民話を語り継ぐ会という話を持ってきて、それは自分達が勝手に変えてはいけない、語り継ぐべきだという台詞。これを原爆の被害を被害者である市民が(被害があまりにも悲劇的すぎたがために)むしろ忘れたいと願う台詞と対比させて、この悲劇は語り継がれないといけないというあたりに井上ひさしの主張もあると思う。けど、悲劇を語り継ぐことと再度の悲劇を防ぐための思案というのはほとんど別物だと考える。これだけ何演も繰返されているというのはすごいことだけど、実力ある脚本家であるがゆえに語り継ぐことの力を過大評価しているというか。

で、そういう芝居外の観点を除いて、純粋に芝居の内容だけで判断すると、物足りない。よくできた話だけど、力強く惹きつけられるでもなく、現代につながる要素が自分には見つけられるでもなく、すごく閉じた話に見えた。引け目を感じる美津江の心情だけを追うならむしろ原爆を持ってくるなと反発も感じる。

書けば書くほど実感から遠ざかる。面白い脚本を面白く立上げるのが難しかったという一言で片付けたほうがいいのか、それとも単に脚本がつまらなかったのか。自分の感想を言葉にできない能力不足が恨めしい

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2017年10月 9日 (月)

株式会社パルコ企画製作「想い出のカルテット」EXシアター六本木

<2017年10月7日(土)昼>

音楽家ばかりが余生を送るホーム。特に仲がよいテノール歌手、バリトン歌手、アルト歌手の3人。そこにソプラノ歌手だった女性が入居する。彼女はバリトン歌手の元妻だった。4人はかつてカルテットで組んだこともあったので、秋に計画されているホームのイベントでトリを依頼されるが、ソプラノ歌手は拒否する。他の3人は何とかしてカルテットでイベントに参加できるように苦心する。

黒柳徹子の毎年恒例の海外喜劇。脚を骨折したとのことで、車椅子での出演。ソプラノ歌手は元気がない役だったけど、黒柳徹子がその通り元気がなさそうに見えて、ああこれで見納めかと思っていたら、上演後のトークショー(今回たまたまその日だった)では実に元気にしゃべり続けて、あれは演技だったのだなと後から納得。ただ上演中は演技か素かわからず、観ていてはらはらした。喜劇でこんな状況を作り出すのはよくないので、演出でもっと元気な造形にしてもよかったのではないかと思う。演出家が亡くなって、いまさら誰も提案できないんだろうな。

男同士はあまりお互いの秘密を伝えないのに、女同士は具体的に秘密を打明ける点に笑った。役者では、最初は声よしタッパよしのバリトン団時朗がいいなと思ったけど、ずっと観ているうちにテノール鶴田忍がいいなと思えた。どこがいいと上手くいえないけど、何だろうあのよさは。

トークショーのメモ。いつも時間が延びると言われて注意しながら話していても予定を10分オーバー。もちろん録音なんてしていない、記憶だけなので間違いご容赦。

・杉村春子は人のことを刺すような悪口を言ってしかも自覚がないからフォローしない人。唇の大きい人が口紅を塗らないで舞台に上がったら「何で口紅を塗っていないのか、あ、唇が大きいからいらないのか」と言って、しかも何もフォローしないから言われた方はたまらない(笑)。ところが自分も言われたとおっしゃる。劇団で初めて舞台に出演することになって先輩がメイクをしてくれることになって、いざメイクとなったら「あんたこんなまずい顔で。メイクどうしよう。これから女優をやっていくのにどうするの」と言われたと恨んでいた(笑)。なのに自分が刺すようなことを言っている自覚はない(笑)。

・杉村春子は黒柳徹子より前の時代の人。海外の芝居でも、初期のころは洋服の下から腰巻が見えるような衣装で頑張っていた。そんな格好でもあの人たちの世代が頑張ってくれたので日本の(現代の)芝居が始まった。

・今は全然着物を着ている人がいない。黒柳徹子の、まだ追放される前の小学校時代(笑)の写真を見ると、自分の母親は洋服だったが、他の子どもの親はみんな着物を着ている。でも着物はいいものなので世界ふしぎ発見では毎週着物を着ている。最初は、クイズ番組で間違えて馬鹿がばれると困るから変装のつもりで着ていた(笑)。あれは毎週違う着物を着ていて、当初はXXさんという染織家の人(名前失念)にお願いして、その後はそのお弟子さんの着物をお願いしている。

・芸人殺しと呼ばれている。徹子の部屋にお笑い芸人が出演して披露してくれても「ほう」とか「どういう意味ですか」と聞いてしまって、意味が分かるころには説明しているほうもつまらなくなっている(笑)。自分は説明が必要な笑いが好き(注:喜劇のような伏線のある笑いのことと推察)。

・(間があって)トークショーは面白いことを話さないといけないと考えながらしゃべるので間ができるのだけど、そうするとぼけたのかと心配されるのでなるべく間をあけないようにしないといけない(笑)。芝居は台詞が全部あり、脚本家が書いてくれたものなので、当然覚えている。生放送の時代はひどかった。

・どういうわけか女性は台詞を覚える。覚えないのは男性に多い。覚えないからあちこちにカンニングペーパーを用意する。書けるところには何でも書く。電柱のセットがあればそこに貼るけど、何かの拍子に電柱が回ってしまうと自分のカンニングペーパーがどれかわからなくなって、犬のように電柱の周りをぐるぐる回って探すことになる(笑)。もっとすごいのは白菜やネギや豆腐にも書いている(感嘆)。だから鍋物に入れる場面なのにそこは入れられない(笑)。

・小沢昭一だったか。全部台詞が飛んだので自分が全部しゃべったことがある(笑)。「こうでしょう、そうするとあなたはこう考えるわね、そしたらこうよ」と繋げた。あとで「あの時はありがとう」とずいぶん感謝された(笑)。(注:テレビドラマではこのエピソードは三木のり平になっていたけど、このトークショーでは小沢昭一と言っていた)

・三木のり平もひどかった。机の上の映らない場所にカンニングペーパーを用意しているが、「おう君はXX君か、えーと君の場合は」とカンニングペーパーが多すぎてどれがどれだかわからない(笑)。

・生放送時代はいろいろなハプニングがある。

・例1。刑事もので、オープニングで刑事が犯人に手錠をかけて、その後で刑事の家庭や取調室の場面が続くドラマだった。が、手錠の鍵が見つからない。仕方ないから刑事の家庭の場面では犯人がテーブルの下に潜ったり(笑)、取調室の場面で手錠を隠しながらつづけたりしようとしたけど、途中で打切られた(笑)。

・例2。時代劇で、オープニングで戸を開けると「ない!」と厨子が盗まれている、最後に取戻す、というドラマだった。が、リハーサルで置いた厨子を片づけ忘れて、戸を開けたら「ある!」となってしまった(笑)。そうしたら、赤い帽子をかぶったスタッフ(スタッフが見分けやすいようにそのころは赤い帽子をかぶっていた)がこそこそ厨子を片づけるのだけど、時代劇なのに帽子をかぶった人が映るのはおかしい(笑)。これも途中で打切られた。

・例3。左卜全が亡くなって棺桶に収まっている仏の役で、刑事役が森繁久弥。棺桶前で刑事が話す場面と他の場面が交互に映るドラマだったが、出番が終わったと勘違いした左卜全が途中で帰ってしまった(笑)。森繁久弥がつなげようと工夫するのだけど、さすがの森繁久弥でもつながらず、やっぱり途中で打切られた(笑)。

・途中で打切ってどうするかというと、「しばらくお待ちください」と表示して、そのうち次の番組になる。

・後年、ベストテンも生放送だったが、あれは一位が後ろに来るので何としても時間通りに進めないと一位が漏れてしまう構成。でも間に合わない場合も多々あった。化粧しながら出てきた女性歌手もいた(笑)。

・郷ひろみが登場する回で、同じ局のドラマで浅野匠之守を直前まで撮影していた。楽屋入りしたと連絡があったので安心していたら、時代劇の衣装を脱いで歌手の衣装になってメイクも直さないといけない。「どうぞ!」とやったら誰もでてこない。久米宏が中を覗き込んで「いない!」(笑)。久米宏は生放送の経験が(当時は)少なかったのであわてていたが、自分は慣れていたので「コマーシャルにしますか」とスタッフに訊いていた。

・自分の例。黒柳徹子が田舎から東京に出てくるドラマで、田舎のセットと東京のセットが同じスタジオに組まれていた。田舎の場面は縁側で、庭をニワトリが歩いている。次に東京の場面になって家族あてに手紙を書く場面で、部屋の中をニワトリが横切る(笑)。慌ててスタッフが取押さえた。そのあとでまた田舎に帰った場面になるが、ニワトリがいないので雰囲気がでない、と思ったら、縛られて動けないニワトリが放り込まれて、「ぐえっ、ぐえっ」と苦しそうに鳴く(笑)。思わず大笑いしてしまったら後で「あの笑いがよかった」とほめられた(笑)。普段出演しているときは笑わない。最近は出演者が笑うことも多いけど、自分は笑わない。

・毎年喜劇を上演しているけど、笑えば観終わった人が元気になるから。最近ますます欝になっている世の中で、せめて観ている間だけでも笑ってほしいと願っているから。悲劇なんて簡単でちょっと「(悲しげな声で)お母さん・・・」とか言えばみんな泣きますから(笑)。笑わせるのは難しい。

他にもあったと思うけど、とりあえずここまで。

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2017年10月 7日 (土)

国立劇場制作「霊験亀山鉾」国立劇場大劇場

<2017年10月6日(金)昼>

剣術試合の遺恨で相手を闇討ちにし、敵として追われる身である浪人の藤田水右衛門。敵討ちとして見つかるもあの手この手を使って返討ちにしながら逃げ続ける水右衛門と、返討ちにされてもなお敵討ちで追い続ける石井家との話。

初国立劇場にして通し上演。追う側と同じくらい追われる側を取上げて、3回も返討ちにする実に面白い脚本。何と言っても敵役の片岡仁左衛門が悪くて格好よくて色っぽい。二役で早替もあり、本水の場面もあり、桶を壊しての登場もあり、「うぇーぁっはっはっはっ」なんて笑い声があんなに板に付く役も役者も初めてで、劇団☆新感線だってああはいかない。悪い侍の坂東彌十郎とか助太刀を手伝う片岡松之助とか、他にもいろいろ活躍していた。

観ていて発見だったのは、脇のメンバーが何か違って見えて、たぶん長くやっている歌舞伎役者の身体付きや身体の使い方は昔の日本人に近くて、今の日本人とは違うんだなと認識。他に客席が自分も含めて筋立てに詳しい人が少なかったようで、見栄を決めても拍手や掛声をかけそびれた場面があったけど、そうすると実にさまにならない。歌舞伎は客席側からも盛上げる前提のライブパフォーマンスという面が見えた。難だったのは、座った席のせいか鳴り物がややうるさく、場面によっては台詞が聞こえなかった。特に前半、弦が荒い上に弦と打楽器との間でタイミングも合わなかったように聞こえたのは気のせいか。

ただし多少のことは仁左衛門が格好いいから許す。緩いテンポの長丁場だけど、脚本が面白いし、歌舞伎を観たい人の最初の一本にはよい。あと国立劇場なので(高いとはいえ)歌舞伎座よりもかなり安く観られるし、劇場がよく出来ていて、すくなくとも2階席3階席で観づらい席はなかった。1階席前方端も安い席になっていたけど、横に長いのが歌舞伎の舞台なので、目が良ければ3階席最後列のほうがむしろいいはず。で、そういう後ろの席はまだ残っているようなので、とりあえず興味があったら挑戦を。とにかく仁左衛門はいい。

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2017年8月13日 (日)

松竹製作「野田版 桜の森の満開の下」歌舞伎座

<2017年8月11日(金)夜>

古代ヒダの国の王が3人の彫刻職人を呼寄せる。昼しか起きない早寝姫と夜しか起きない夜長姫の2人の姫の成人に祝いに、3年の期限で仏像を彫ってほしいという。ところがそのうち一人は誤って師匠を手をかけた弟子が、もう一人は道中を襲った山賊の頭が成りすましている。互いに様子を見ながら過ごしていると、もう一人の職人は姫と近づきになり、ヒダの国の丑寅に封印されている鬼のことを調べている。

これまでは舞台を江戸に寄せて上演してきたのを、常連スタッフともども遊眠社通りの設定で歌舞伎座に。1等席で見物したところ周辺客席からは「シュール」「難しい」の声しきりで、他の劇場と歌舞伎座との客層の違いを思い知る。衣装は豪華になったものの、言葉遊びから想像を飛ばして客席を巻きこむ野田秀樹の脚本には必ずしもプラスにならず、むしろ鬼の面など具象的な要素が入りこむことで想像の邪魔に。それなりに台詞をこなす役者はさすがも歌舞伎のフォーマットで芝居のテンポが損なわれる点も散見。残念ながらこれなら2割安く東京芸術劇場で上演してもらったほうがよい。

勘九郎はさすがにノリを理解して馴染んでいたが、顔も声も父親そっくりで、これが歌舞伎を見ることかと得心。それ以上に七之助の夜長姫の狂いっぷりが見事。市川猿弥のマナコ思い切りよし。奴隷女の中村芝のぶは少ない出番だけど確実に目を引いて、これだけの役者にこれだけしか役を与えないのだから日本の伝統芸能は残酷。野田秀樹が現代演劇側に引張るべき才能。

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2015年5月17日 (日)

PARCO Production「幕が上がる」Zeppブルーシアター六本木

<2015年5月16日(土)昼>

とある高校の演劇部。地区大会を突破したものの、信頼する顧問が学校を辞めてしまい、動揺する部員たち。体調不良で部活を休む部員もいる中であせる部長が何とか取りまとめるものの、部員の一人が台詞を言えなくなってしまう。その回復を願いつつも試験前の部活禁止期間に突入して稽古はできない。果たして無事に県大会を迎えることができるか。

小説、映画に続いて舞台まで、きっちりと制作側の思惑に乗せられて観劇。アイドルの初舞台だからグダグタになることも想像していたけど、想像の一番上よりもさらに上の出来で仕上げてきた。平田オリザがワークショップを設けたそうだけど、だとしても、もっと広い会場でもっと大勢の観客を相手にパフォーマンスしてきたアイドルをなめてはいけないと一人で反省中。「演技は声派」の自分としては玉井詩織がよかった(腹筋しながら歌うのすごい)。けど周りに見覚えがあって妙に上手いと思ったら、7人中4人を青年団(無燐館経由)で固めていた。それは上手いはずだ。

映画と違って舞台は平田オリザが脚本だけど、観客が小説か映画を見ている前提のようで、いつになく早いテンポの導入部分。けど、やっぱり歌わせないと、という期待に応えてさりげなく歌わせる展開から、そういう繋がりで突っ込むかという舞台オリジナルの話をピークにもっていくところ、さらに最後の展開の飛ばし方は、さすがの手腕。いつもの青年団と違うとしたら音響の使い方で、選曲が映画監督らしかった。そして最後の場面にビジュアル的な美しさを持ってくるところがとても素敵。

客席数が900もある割に、横に長くて舞台までの距離が短いため観やすい劇場にも恵まれて、暴れるようなファンもおらず、好印象の芝居だった。そして普通の芝居ではまず聞いたことがない、終演後の熱烈で切れのいい拍手を聞いて、ああ今目の前にいるのは人気のあるアイドルなのだなと改めて認識した次第。

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