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2024年3月 7日 (木)

劇団四季「ジーザス・クライスト=スーパースター(エルサレム・バージョン)」自由劇場

<2024年3月6日(水)昼>

奇跡を起こして人を助け、庶民からは神の子と崇められていたジーザス・クライスト。だがその人気を恐れた為政者と既存宗教の司祭によって捕えられ、庶民からも石を投げられて処刑されるまでの日を描く。

崇めるためにやってくる庶民にうんざりするキリストと、キリストを想うあまり裏切るユダが話の中心。いいも悪いもあるけれど、自分にはいまいちでした。

悪いところで言うと、曲も編曲も古い。どうも昔のロックに聴こえると思って調べたら初演は1971年です。ああ、庶民から人気のキリストを当時のロックスターの人気になぞらえた芝居だからスーパースターなんだ、と家に帰ってから腑に落ちました。そしてロックスターに例える発想がやはり古い。古典と言うにはもう少し時間がほしいところです。

いいところで言うと、荒野の美術と襤褸の衣装を使ったエルサレム・バージョンの演出。浅利慶太の演出を踏襲しているそうですが、ロックスターになぞらえるところを無視すればありです。ダンスらしいダンスはなくて、代わりにアンサンブルで見せるのはどうよと思わないでもありませんが、それも含めての演出です。庶民がキリストを崇めるために囲む出だしなんかは非常にいい掴みでした。古びていません。

そうは言ってもミュージカルなんだから踊ってくれよとも思いました。自分は台詞なしのオペラ形式というのが苦手なんだと思います。それならそれでキャッツくらい踊ってもらえるとよかったんですけど、そうするとエルサレム・バージョンの演出になりません。かれこれ含めて自分には相性の悪い一本でした。

2024年2月27日 (火)

KERA CROSS「骨と軽蔑」シアタークリエ

<2024年2月25日(夜)>

どこか西洋風の国。東西に分かれて戦争が続いており、男手はすでに足りなくて女子供まで徴兵されている。その西側で兵器工場を経営する一家。兵器工場の社長である主人は病気で寝たきりとなって女性秘書が何くれとなく世話を焼いている。その妻は完全に夫のことを諦めている。二人の娘は姉が売れない小説家だが徴兵されそうになった夫が行方不明になる。独身の妹は家の手伝いをしながら夫から姉に届く手紙を母と女中と相談して処分している。

どことなく暗い雰囲気の一家と関係者を描く女優ばかり7人の芝居。女中役の犬山イヌコがたまに客席に語り掛けたりして自分がこれまで観たKERA芝居とはやや違う。ただ、気が付いたら終わっていた。それはのめり込んで時間を忘れたのではなく、もうふた波乱くらい来るかなと考えていたところで巻きに入ると宣言されて、さらにそこからが微妙に時間が掛かる。女性秘書が起点になってもう少し一家を引っ掻き回すかなと思っていたけれどそちらの話が少な目。

何となくだけれど、もう少し用意していた話があったのを上演時間の都合で削ったような気がする。休憩を挟んで3時間に収めていたのは観る側としては助かるけれど、「フローズン・ビーチ」なんかは休憩なしの2時間だったからあれと比べるとどうも話の密度が薄く、食い足りなく感じた。

役者で言うと、頭から芝居のリズムをわからせてくれる犬山イヌコがやっぱり得難いところで、峯村リエが後半もう少し出番がほしくて、宮沢りえが出番の割りにもったいなくて、鈴木杏が後半に向かってどんどんよくなって、堀内敬子が地味ながらもおいしいところもある役をきっちりこなして、水川あさみは役どころの割りに出番が少ない。

小池栄子が難しい。かなりいい役を持ち場以上にいい役に仕上げていた。でもあの役はもう少しとんちんかんで不穏な役にもできたんじゃないか、明るく前向きな役に仕上げたばかりに食い足りなさの原因のひとつになっていないか、と疑っている。演出かもしれないけど。

文句なしにすごかったのは舞台で、庭と屋敷の中をプロジェクションマッピングと照明で切替えるけど、どう見ても無茶な美術のはずなのにまったく違和感がない。違和感がなさすぎて芝居中でネタにしていたくらい違和感がない。それはもうさすがとしか言いようがない。これを見たらミュージカルのスクリーンやプロジェクションマッピングですら野暮ったく見える。場面転換の極致みたいなことをやっているのでこれは見てのお楽しみで。

2023年12月24日 (日)

松竹主催「十二月大歌舞伎 第一部」歌舞伎座

<2023年12月17日(日)昼>

生まれた子供を妻の母に見せようとやってきた夫婦だったが、母はすでに病気で亡くなっていた。旅の途中、近所の娘の世話で寺に一夜の宿を求めることになったが、寺を預かる老婆は亡くなった妻の母とそっくりだった。甦ったのだというのだが「旅噂岡崎猫」。千本桜の咲く神代の時代に、異国からの青龍の精の襲撃を受ける。千本桜の守護である白狐や美玖姫は辛くも難を逃れるが、千本桜は花を散らした。それから千年後に再開した白狐と美玖姫は「今昔饗宴千本桜」。

旅噂岡崎猫は坂東巳之助が始めからわかりやすい格好で出てきてやっぱり悪い化け猫という話。その坂東巳之助もよかったのだけど、夫婦に寺の宿を世話する近所の娘のおくらを演じた坂東やゑ亮が本当によかった。怪しげな術に操られて飛んで跳ねての大忙しだった後半も見どころたっぷりでよかったけど、それより前の普通の役のところであまり女形女形せずに快活に演じていて、だけどこういう女性は今でも周りに見かけるし昔もいただろうというモダンな女形、生きた娘役だった。ずるかったり親切だったり怖がったりと忙しい変化も納得できた。大立ち回りに影を使ったり障子が血でべっとりしたりと外連味たっぷり。初歌舞伎でも満足できること間違いなしでしょう。

で、本命の今昔饗宴千本桜。初めに挨拶で獅童が出てきて説明からお約束からペンライトの使い方から屋号の声掛け練習までしてくれる親切仕様。初音ミクまで出して準備万端といったところで開始。おとなしく観るつもりだったけど休憩時間にロビーを歩いていたら安いペンライトも売っていて、人生で一度くらいスチャッ! とやってみてもいいかなと思い直して買っておいたのがよかった。この日はうっかり良席で観られたのだけど、屋号は呼ばなくてもペンライトくらい持っていないと格好がつかない。隣の真面目そうなお姉様が気が付いたらペンライトを持って待機していたし、立派な着物をお召の奥様が終盤の場面でまっ先に立上がってペンライトを振っていたし、人は見た目だけではわからないものです。

それで派手な映像あり宙乗りあり桜吹雪砲もあり小川夏幹陽喜ありと会場が一体になって盛上がって終わったあとの感想ですけど、残念ながら出来がよくなくて気に入りませんでした。

ひとつは初音ミクの間の悪さ。録っておいた声をオペで流したのか、裏方がいてボイスチェンジャーでリアルタイムで台詞を言っていたのかはわかりませんけど、もたつきます。音が出るまでに時間差があるならそれも含めてここはこの間だろうと突き詰めてほしい。

ひとつはスクリーン頼みの映像。そりゃあ二次元の映像をどこかに映さないといけないのですけど、ちかごろのプロジェクションマッピングの進歩は目覚ましいのにスクリーンだけしか使わないのは古い。たまたま今年はミュージカルを多く観ていて「アナスタシア」とか「アナと雪の女王」とか観ていますけど、後ろのスクリーン+サイドの美術+たまにセンターの美術で話に合せた映像の使い方はあちらさんのほうが上手です。なんなら野田秀樹ですら「兎、波を走る」で高橋一生を飛ばしていた。

初音ミクが二次元文化から出てきたものだからパソコンやスマホを考えてスクリーンに引っ張られるのかもしれませんけど、スクリーン以外も使えればもっと自由度を広げて初音ミクを左右だけでなく前後にも動かせます。スクリーンを使うなというのではなく、スクリーン以外も活用したものを観たいなという希望です。

そして最後は脚本の薄さ。説明やら会場を巻込んだ一体感やらのために1時間25分の短さからさらに20分は削られていると思いますけど、スーパー歌舞伎は言うに及ばず、昔話にもなっていなかった。桃太郎が桃から生まれたら次にはもう鬼が島で鬼退治くらい、起承転結ではなく起結くらいの薄さだった。その分だけ派手な映像や立回りが多かったのですけど、それが芝居かと言われると自分の考える芝居ではない。

凱旋は結構、ここで息子のお目見えが出来たのも結構。ただし超歌舞伎としてはもっと作りこまないと派手だねの一言で終わってしまう。自分が感じた3つの不満を解決するためには、初音ミクありきでない脚本を作ってから初音ミクを組込むようにアレンジして、舞台美術と照明と映像を創りこんで、会場も歌舞伎座以外の劇場で昼夜2公演1か月以上の体制を組んだ方がいい。歌舞伎座で他に混ざっての一本だと技術の仕込みに限界がある。

初音ミク目当てでやってきた客を飽きさせないためにもう一本として旅噂岡崎猫が選ばれたと思いますけど、あれは肉体を駆使してのアクロバットだからアナログな美術でもしっくりきます。客の感想としては旅噂岡崎猫のほうがよくできていました。

ところで第三部と合せて四本の演目を観たのですけど、全部の演目で人ならぬ身のものが出てきました。どの演目も最後はなんとなくごまかされて終わってしまったところも含めて、今月は化け物尽くしだぜと中の人が狙ったような気がします。

松竹主催「十二月大歌舞伎 第三部」歌舞伎座

<2023年12月16日(土)夜>

酒売りに勧められて酒を飲んだ猩々二匹が踊りだす「猩々」。人間たちが近づくことのない白鷺城の天守閣の最上階に住む、人ならぬ身の存在である美しく気高い富姫と異形の者たちだが、遊びに来た亀姫への土産として殿様の鷹を捕まえてしまったため、鷹を探しに姫川図書之助が遣わされる「天守物語」。

猩々は何かと思ったら霊獣なんですね。酔って足を前後させる動きの面白い舞踏です。

天守物語は七之助の富姫が美しいのですが、玉三郎の亀姫はそれよりずっと年下の娘に見えるのがすごくて、もはや玉三郎が人ならぬ身ではないかと思わせてくれます。ただ、中村虎之介の演じた姫川図書之助が凛々しいの一言で、あれは男が見ても格好いいですね。そして追手の片岡亀蔵もくっきりはっきりしていい印象です。話良し、演出良し、役者良し。抜けのいい空の照明も含めて、いま観られてよかった、いま観なくていつ観るんだという1本です。

ちなみに勘九郎が猩々の片方だけでなく、亀姫についてきた舌長姥と獅子の彫刻を彫った近江之丞桃六の二役を務めているんですけど、どちらも初めは勘九郎だとわかりませんでした。いつももっと、出てきただけで勘九郎とわかるような役作りしか観たことがなかったのでいまさら気がつきましたけど、真面目に役に徹しても上手いんですね。

2023年12月11日 (月)

劇団四季「アナと雪の女王」四季劇場[春]

<2023年12月2日(土)夜>

北国アレンデール王国の王女である姉のエルサと妹のアナ。姉のエルサは雪や氷を操る魔法の力を持つが、幼いころにアナを凍らせてしまう。この時は国の隠れびとを呼んで助けてもらったが、アナからは姉が魔法を使える記憶を取除かれる。エルサを助けようと出かけた国王と王妃は嵐で亡くなり、自分の魔法を恐れたエルサは魔法を使うことがないように城に隠れて過ごす。やがてエルサが成人に達して国の女王に就く戴冠式の日、はしゃぐアナと言い争いになったエルサは来客のいる広間で魔法を使ってしまう。怪物呼ばわりされたエルサは山の奥に逃げてしまい、アナは後を追う。

れりごーで有名なディズニーアニメですけど、れりごー以外に何も知らずに観ました。雪の女王の名前がエルサでアナと姉妹なのね、くらい何も知りませんでした。最後は無事に収まってめでたしめでたしなのですが、ディズニーとしてはアップダウンが多い印象です。やっぱり昔の話よりは新しい話のほうがアップダウンを激しく作るものなのでしょう。ミュージカルとしては全体に急で、前半も後半も、アニメを観ているからお前ら付いてこられるだろうと当てにしている印象がなきにしもあらずでした。

で、こういう話なんだと思いながら観ていたら、無造作にれりごーが始まりました。一番の売りの有名曲をもったいない使い方するなと思ったら、そこで映像効果満点の見せ場を披露して、ドレス替えの特殊効果も見せつけて、一幕終了。最高の引きを見せつけられてさすがメリケンさんとシャッポを脱ぎました。終わって客席がどよめくくらいのインパクトです。話だけならエルサは悲しく開き直る展開ですけど、あれを観たらそら女の子は女王の格好を着たくなりますわ、でなければ母親が娘に着せたくなりますわ、って出来でした。子供をミュージカルに引付ける撒餌の入口としてはよい一本だと思います。

翻訳が脚本も訳詞も高橋知伽江のクレジットになっていて調べたら、もともとれりごーの訳詞がこの人で、しかも劇団四季出身なんですね。劇団四季からすれば天の配剤で、脚本も含めてこの人に頼むしかないだろうという話です。それで翻訳のことを調べていたら、悲しく開きなおる展開に翻訳の苦労があったようです。それでさらに調べていたら、アニメの翻訳はいずみつかさでこの人はテアトル・エコー出身でした。舞台とディズニーは縁があるな考えていたら、アニメの雪の女王ことエルサの声は松たか子なのは歌で知っていましたけど、アナの声が神田沙也加と目にして、永遠というものの悲しみと生きることのはかなさを知りました。れりごーはそうじゃない。

劇団四季「ウィキッド」四季劇場[秋]

<2023年12月2日(土)昼>

大学に通うため寮にやってきた少女。ひとりは美しく人気者だが勉強はさっぱりのグリンダ。ひとりは父に疎まれるも妹の付添いとして入学が許された緑色の肌のエルファバ。手違いで同室となった二人は仲が悪かったが、隣国のフィエロが転校してきたときに起きたある事件をきっかけに仲良くなる。エルファバは魔法の力を持っていたため、魔法使いでもある学長に認められてオズの国を治めるオズの魔法使いに会えることになった。付添いとしてグリンダも一緒にエメラルドシティに行くが、そこで出会ったオズ大王は魔法を使えなかった。

オズの魔法使いの前日譚だと思ったら違いましたね。元がどんな話だったか思い出せないので観終わったあとに文庫本を買って読みましたけど。オズの魔法使いの設定と登場人物を使った二次創作でした。

で、後でウィキッドど呼ばれるエルファバは初めは学校で肌の色による差別を受けるとか、言葉を話せる動物がどんどん減っているのは実は誰それさんが黒幕でとか、人種差別と外国人差別の見立てですよね。オズの魔法使いからこういう話を仕立てるあたり、良くも悪くもアメリカ的です。元ネタは子供向けでも、仕上がりは大人向けの話です。

そういうミュージカルでしたが、歌だけならタイトルロールのエルファバを演じた小林美沙希が圧巻でした。ただ、この日のディラモンド教授を演じた平良交一とか、学長のマダム・モリブルを演じた秋本みな子とか、脇にもいい役者が揃っているあたり、劇団四季は人材が厚いですよね。

好きになる人が多い演目なのも頷ける仕上がりでした。

2023年11月 5日 (日)

松竹主催「吉例顔見世大歌舞伎 夜の部」歌舞伎座

<2023年11月4日(土)夜>

赤穂浪人大高源吾の不忠が気に入らぬと出入禁止にした殿様松浦鎮信を宥める俳人其角が会ったばかりの大高源吾の俳句を伝えると「松浦の太鼓」。源頼家に仕える三浦之助は、北條時政の娘である時姫を許嫁に持つが、源頼家と北條時政が戦になり、頼家劣勢のなかを抜出して病床の母へ見舞と別れにやってきたところ時姫が母の看病に来てくれていたが時姫の忠義が時政にあるのではないかと信じ切れない「鎌倉三代記」。春調娘七種、三社祭、教草吉原雀の踊り3本を並べる「顔見世季花姿繪」。

一幕見席を取損ねて夜の部を通して観劇。「松浦の太鼓」は前に観たことがあって、そのときは殿様が歌六で女中のお縫が米吉、今回は殿様が仁左衛門、其角に歌六が回って、お縫は米吉が引続き、大高源吾が松緑。この辺りは全員いい感じでした。仁左衛門の殿様が台詞から思わされる武張った感じよりは忠義の道に憧れる殿様のように見えてややくだけすぎと思わないでもないけど、これはこれでありでしょう。仁左衛門らしい華やかさも出していたので許す。

「鎌倉三代記」は太夫が語るこういう上演形式は何て言うんでしょう。駄目でした。語りの言葉が分からない。粗筋は公式サイトを見ながら書きました。文楽みたいに字幕がほしい。その前提で、よさげに見えたのは時姫の梅枝。藤三郎実は、の芝翫は勢いはよくても台詞がわからない。字幕がほしい。

踊りを3本並べた「顔見世季花姿繪」。これも唄がわかると踊りの意味が見えてくるのは文楽で経験済みなので、字幕がほしい。その前提で、目を引いたのは2本目の「三社祭」の善玉を踊った尾上右近。丸い動きの踊りに色気があるし、飛ぶときも少し長くて動きに余裕がある。

2023年9月 6日 (水)

国立劇場主催「菅原伝授手習鑑 三段目/四段目/五段目」国立劇場小劇場

<2023年9月3日(日)朝、昼>

菅原道真が大宰府に追放されて、仕えていた梅王丸と桜丸は浪人の身。参詣する藤原時平に主の仕返しをと待ち構えて、藤原時平に仕えていた松王丸と争いになる。兄弟三人で争っていたが、騒ぎで車から出てきた藤原時平に睨まれて梅王丸と桜丸は動けなくなる。見逃された梅王丸と桜丸は、松王丸となお争おうとするが、まもなくの父の七十の祝いまでは喧嘩を控える。その七十の祝いのための父の家では、三人の妻が先にやってくるが、息子三人はなかなかやってこない。やっと来たかと思いきや(三段目)。大宰府の菅原道真が夢に促されて参詣に来たところ、菅原道真の様子を見に来た梅王丸が、藤原時平に命じられた刺客を捕まえるところに出くわす。藤原時平が天皇の座を狙っていると聞かされた菅原道真は怒って天神と化す。そのころ、菅原道真の妻を狙った刺客によって梅王丸と桜丸の妻は桜丸の妻八重の犠牲を出すものの何とか助け出される。また菅原道真の息子は手習鑑を伝授した武部源蔵に匿われていたが、藤原時平の追手が迫るところ、その日寺入りした子供を身替りにして松王丸の検分を何とか難を逃れたものの実は(四段目)。雷の鳴り響く御所に斎世親王、苅屋姫、菅秀才がやって来て、菅原道真の後を継げるように天皇に願い出る。それを止めようとする藤原時平とその仲間だが(五段目)。

初段/二段目」もたっぷりでしたけど、こちらも負けず劣らずたっぷりとした演目でした。実際にはチケット二枚で、四段目の頭、筑紫配所の段で道真が天神になるところで切られた二部構成です。いい切りかたでした。道真が怒り荒ぶって天神になるところは、火花に毛振りまであって一番派手に盛上がる演出ですが、人形遣いと太夫と三味線の息があって荒ぶる様子が実によかったです。

四段目はいわゆる寺子屋の場面で、やっぱり今の目で観るとひどい話だと思うわけですが、ここまで通して観ることで、武部源蔵には武部源蔵としての道真への恩義があり、松王丸は松王丸で道真への忠義を見せたい想いがあるという、物語の構図はしっくりきました。「梅は飛び桜は枯るる世の中になにとて松のつれなかるらん」と道真が詠んだことが伝わって、世間で「松はつれないつれない」と言われて苛まれるというのも、よくできた脚本です。五段目で復讐が果たされてめでたしとなります。

前半のダイジェストとか、寺子屋だけとか、それもいいかもしれませんが、やっぱり通しで観ることで、理解が深まります。道真と時平とその手下の線、道真と母と苅屋姫の線、道真と武部源蔵の線、道真と三人兄弟とその家族の線、これらの線をそれぞれ取出しても話は成立ちますけど、線が絡み合って一本の流れを作るところに長く演じられる古典演目としての力があるので、それを通して観るのは意義があるなと観客ながらに思うわけです。

ちなみに後半の頭に寿式三番叟の上演が挟まりましたけど、これもよかったですね。めでたい感じが出ていましたし、人形に踊らせてそこまで上手に見えるものだとは思いませんでした。あと、これは字幕がよく働きました。歌舞伎座で踊りを観ても唄がどうなっているのか聞いてわからなかったのですが、それを字幕で見ると、ちゃんと踊りの説明になっている唄でした。

2023年5月29日 (月)

国立劇場主催「菅原伝授手習鑑 初段/二段目」国立劇場小劇場

<2023年5月19日(金)朝、昼>

 右大臣の菅原道真が左大臣の藤原時平から失脚を狙われる時勢の最中、菅原道真の姪にして養女の苅屋姫が宮様と密会中に見つかりそうになって逃げ落ちて行方不明になる。名筆の筆法を弟子に伝授するように帝から命じられた菅原道真は、屋敷に籠って手習鑑の製作に没頭していたためこの事件を把握していなかった。菅原道真は、手習鑑をかつて屋敷から追放した家来にして弟子だった武部源蔵に伝授するが、藤原時平によって失脚を謀られてしまう(初段)。失脚して大宰府に護送される途中、船の風待ちの間に姉の覚寿の屋敷に滞在することを許された菅原道真と、逃げ落ちている最中にそれを知った苅屋姫。実母の覚寿と姉の立田前の情けで苅屋姫も屋敷に滞在することは許されたが、自分が原因で追放される菅原道真とは顔を合わせられない。この滞在中、立田前の婿とその父は、自分の出世のために藤原時平の味方について、菅原道真の殺害を目論む(二段目)。

 「三谷文楽 其礼成心中」以来の文楽。頭からフルで上演してくれるため、菅原道真と藤原時平の対立がはっきりしてわかりやすいです。「なにそれの段」と場面ごとに名前がついていますが、この段ごとに太夫と三味線が入替っていく上演形式を観られたのはよかったです。

 で、この前にミュージカルを観たばかりだったこともありますけど、やっぱり文楽は日本流ミュージカルなのかなと思いました。そして、人間が演じる物語だと時間の運びに肉体の制限があるところを、太夫の語りと三味線の音楽、それに人形を使うことで、登場人物の内心の体感時間で運ぶことができるのは文楽ならではと思いました。二段目の最後に目いっぱい引張るあたりは特にそれを感じました。

 人形の動き方も実に滑らかで、人形遣いが顔を出して動かしていもまったく気になりませんでした。役者ならひとりでできるものを3人がかりで人形を動かして、でもそれで芝居に集中できるまで動かすんだから、すごいですよね。ただあれをやるには、人形が着物でないといけません。もろ肌を脱いで人形が身体を拭く場面もあったのですが、あれをずっとやるのはつらい。洋装の現代劇には向いていません。

 あとやはり、8割うなられると厳しいかったです。字幕も出ていたのでわからないことはないのですが、どうしてもそちらに目がいってしまいます。おかげで元の脚本の、特に地の部分に、口で伝えるにはややこしい言葉が多用されているのがわかりました。歌舞伎だって能狂言だって節回しがあるから、古典はそういうものだと言われればその通りですが、ただでさえ耳で聞き取るのは難しい言葉をうなられるともっとわかりません。

 かといって無声映画の弁士みたいにくっきりはっきりできるかというと、それをやると文楽の最大の特徴である、登場人物の内心の体感時間で運ぶところがおそらく死にます。なんというか、言葉を言葉として諦めて音として扱うことで成立つものがあったので、筋立ては頭に入れたうえで臨むのが一番楽しめると思います。

 ただ、どれだけよくできた脚本でも初見で楽しめない上演形式が現代で受けないのは、これはもうしょうがないですね。文楽が古典になってしまったのは理由があってのことだと思います。客席には外国人もいましたが、いっそ物語はイヤホンで追って、太夫の語りは音として聞いたほうが楽しめたかもしれません。

2023年4月18日 (火)

松竹主催「四月大歌舞伎 夜の部」歌舞伎座

<2023年4月14日(金)夜>

弟に遠慮して実家に近づかない大店の若旦那与三郎は、見物に来た木更津の浜辺で地元の顔役の妾となっているお富と互いに一目ぼれをして密会するも、顔役に知られることとなり与三郎は全身を切られて海に投げ込まれてお富は身投げをする、それから3年後「与話情浮名横櫛」。獅子は子を千尋の谷に突き落とすというアレ「連獅子」。

仁左衛門玉三郎の与話情浮名横櫛。話自体はどうってことはない。とにかく与三郎演じる仁左衛門が色っぽい。優男の前半は、お富と出会って互いに意識する場面から、遠ざかるお富を見送ってふらふらする場面までが最高です。その後でお富と密会するもお富のほうが積極的で覚悟を決めるまではやや腰が引けているあたりも実に優男。それが後半、破落戸風情で変わるところも見事。

颯爽と現れる冒頭に、一階席をぐるりと一周するサービス演出まで含めて、仁左衛門ったら仁左衛門の芝居。これは仁左衛門が休演したら代役を建てずに夜の部丸ごと休演するのもわかる。なまなかな役者では金返せになる。

ただ二月も思ったけど仁左衛門は声が少し落ちている。もう少し張った声が出せると後半の破落戸は良かった。お富役の玉三郎が海を背景にした仁左衛門に「ほんに、いい景色」という場面とか、密会している2人を襲う顔役役の片岡亀蔵がすごむ場面とか、助かったお富をかくまっていた和泉屋多左衛門役の河原崎権十郎がきっちり応対する場面とか、声でも魅せてくれる役者が多かったからなおさら気になった。あと後半のお富についていた女中も気になったんだけど、誰だったんだろう。

なおこの芝居で和泉屋多左衛門役を務める予定だった市川左團次は出られずに亡くなった。合掌。

連獅子。今回は尾上松緑と左近の親子による連獅子。お囃子がきっちりリズムを刻んでいたのもあるけど、左近の踊りがそのリズムに乗ってきっちり決まっていた。しっかり止まるキレのある動きと合せて、歌舞伎の舞踊としていいか悪いかはわからないけど、観ていて気持ちがいい若獅子。最後の毛振りこそ円にすこし足りなかったけど、客席の拍手は本物。時間の都合か観ずに帰ってしまった客もちらほらいたけど、もったいない。左近はちょっと気にしておきたい。

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