2017年8月 7日 (月)

シス・カンパニー企画製作「子供の事情」新国立劇場中劇場

<2017年8月5日(土)夜>

三谷幸喜の小学校4年生時代。クラス替えがなく3年生から同じメンバーだったクラスに、転校生がやってくる。放課後に残っていて遊んでいたメンバーに参加するが、悪知恵の働く転校生はみんなを次々に陥れていく。

シチュエーションを思いついた瞬間にガッツポーズが出たであろう企画。いろいろ強引で無理な展開を大人が小学生を演じるという無茶な設定で成立させ、その無茶な設定を無駄に贅沢なキャスティングで納得させ、その無駄なキャスティングは無理な展開をこなさせるために必要となる。今の舞台界のトップを占めている立場を存分に活用。「こんばんは、三谷幸喜です」でいきなり笑いを取ってくるオープニングから、たっぷり笑わせてきっちり郷愁をさそって、劇中歌が転じてカーテンコールの歌になるところまで見事の一言。

華も実もある主役級の役者陣に目移りするも、舞台中央で決めポーズを取っただけで拍手が起きる天海祐希、素直でない悪ガキを演じて魅力たっぷりの小池栄子、陥れていく様がときに爆笑になる転校生の大泉洋の3人が存分に活躍し喧嘩せずに成立するのはシチュエーションのよさ。広い舞台を見切れないように割切って狭く取ったのかと思いきや、奥行きを活用した中劇場ならではのラストは以前のシアターコクーン(「死の舞踏」「令嬢ジュリー」)にも増して美術の松井るみを絶賛したい。これより面白い芝居も質の高い芝居も観たことはあるけど、誰が観ても満足度高いだろうというくらいここまで満足度の高い芝居はなかなかお目にかかれない。

なお当日券は最初早い者勝ちだったのが徹夜組が出たため途中から抽選に変更。初期の早い者勝ちの段階で劇場に行ってみて2回断念、抽選でも2回目でようやく引き当てる。最初から抽選にしておけよの文句くらいは言わせてほしい。参加した抽選2回とも倍率10倍以上、15枚に160人とか21枚に250人とか並んで抽選を引くまでも一苦労。キャンセル待ちは加えて各回5人だけだが入れたかどうかは不明。一応記録。あれなら見切れ上等でサイド席も1-2列解放すればよかったのではないか。

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2017年7月 1日 (土)

文学座「中橋公館」紀伊國屋ホール

<2017年6月30日(金)夜>

早くに中国に移住して、子供はみな中国で生まれた中橋家。医者として中国全土を回っていた父は家庭を顧みず、長男が一家を支える。北京の自宅で終戦の報を聞いた中橋家に父が帰宅するが、敗戦よりも次の医療奉仕に気が向いて相談相手になれない。敗戦によってデマが飛びかい安全におびえる中、残るか、日本に行くかで揺れる中橋家一族の葛藤。

初日観劇。戦後間もない1947年初演の芝居。敗戦に臨んだ登場人物の良し悪しをこれでもかと描く3時間。「シニカルな喜劇」と宣伝されていて、初日でやや客席が固かったのもあるけど、自分の感想は純粋にシニカルな芝居だった。外れなしの役者を揃えて質は高いけど、こんなに感想に困る芝居は久しぶりだ。

敗戦に当たってじたばたしてもしょうがないと落着いた登場人物と、慌てふためく登場人物と、両方でてくる。でもよい面でも悪い面でもどちらも「日本人なんだから」というくくりに自分たちを当てはめて出処進退を決めようとする価値観は、初演の時代には自然に受止められたんだろうか。それとも自分がひねくれているだけで、むしろ今のほうが自然に受止められるんだろうか。かといって、敗戦なんて気にしないと行動しようとする父は家族の今後をまったく考えられておらず、個人主義が行き過ぎて自分勝手になる。内輪で交わされる会話の端々に、国と家族と個人との関係の「整理されていなさ」を、ものすごく正確に描いている。

それが外に向かうとき、中国人に家が襲われたのは横暴な態度を取っていた日本人の家だけだだとか、会社接収で鉢合わせた中国の軍隊を本社に行けと追いかえした中国人のボーイを日本人の社員が突然あがめだしたとか、いかにもあったようなみっともない日本人のエピソードを会話に織り交ぜる。特定個人の中国人への感謝をはっきり台詞にしている一方、大勢が引揚げた後の市場で見た日本の着物が乱暴に扱われる場面に表明する集団の中国人への嫌悪も描く。

大陸で生まれて育ったら日本は祖国ではないし行く当てもないのに引揚げるってどういうことかとさりげなく重要な台詞が出てくるけど、その台詞をいう姉妹たちは、以前日本に旅行して日本が嫌いになったと日本語で話合う。それを日本育ちの母親が、出征している孫の無事を願うというごく素朴な感情を吐露することで家族の方針が揃う当たり、父性よりも母性というか、日本的なまとまりかたというか。

めでたいエピソードや前向きな場面もたくさんあったのだけど、シニカルと呼ぶにはきつい面ばかり覚えている。それはラストで言った「島国根性」なるものを追い求めて描いた脚本だからに思える。脚本家がどのくらい意図的にエピソードを盛りこんだのか気になるけど、それぞれのエピソード自体は当時の同じ経験をした日本人の自然な行動や感情に思える。だから、何と言うか、別に興行を邪魔したいわけではないけど、この芝居に入り込んで自然に親和してしまうような人間では駄目というか、どんなに立派でも田舎者は田舎者というか、精神の安定を他に依存するようでは一人前ではないというか、異なる文化と付き合える人間と付き合えない人間とを分かつものは何かとか。なんかひどいことを書いている気がするけど、上手い言葉が見つからない。これを言葉で表現できないと感想として成立しないのに見つからない。

全然まとまっていないうえに、実は人生初の開演時間遅刻をやってしまい冒頭を見逃したせいで肝心のポイントを理解していない気がしている。御容赦。

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2017年6月29日 (木)

新国立劇場主催「君が人生の時」新国立劇場中劇場

<2017年6月24日(土)夜>

1939年のサンフランシスコの港近くにある安酒場。あまり客も来ないが、店には似合わない金離れのいい男が毎日たむろしている。男の使いっ走りは店にたむろする売春婦にほれている。ピンボールに入れこむ若者、金がなくて仕事のほしいミュージシャンやダンサー、ほら吹きの親父、教養あってあえて港で働く人足夫、仕事が嫌になった警官、恋人に求婚する若者、物珍しさで見物に来た金持の夫婦、売春婦の取締りに血眼な警察。いろいろな人間が出入りする酒場の1日。

実際の初演も同じ年で、名前だけ聞いたことがあっても観たことのないアメリカ芝居。ほとんど出ずっぱりな人物から一場面だけ出て終わりの人物まで総勢25人(子役がダブルキャストなのを数えると26人)の役者で構成される、それぞれの「君が人生の時」のひとこま。宮田慶子演出で期待したものの、残念ながら好みに合わず。

出番の長い役でも背景が完全に説明されることはほとんどなくて、出番の短い役ならなおのこと。出番の長短に関わらず、そのひとこまを見せてみろ、それを的確に表現した上にようやく成立させてやる、という意地悪な脚本なのかと思われる。ただしほとんどの役者がそこまでたどり着いていなかったので、観ていて入り込めず。ほら吹き親父の木場克己と悪徳警官の下総源太朗が素晴らしい仕上がりだったけど、これがぱっと観はよさそうな他の役者の仕上がり不足を浮きあがらせる副作用。人数が多い割に同じようなテンポで場面が進むので統一された雰囲気や一部登場人物の連帯感を感じることもなく、それがあのラスト、登場人物が喜ぶ場面なのに、観ていて雑な展開という印象につながった。美術衣装音楽などスタッフワークがかなり上出来だった分、惜しいを通り越してもったいない。

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2017年6月 3日 (土)

iaku「粛々と運針」新宿眼科画廊地下

<2017年6月2日(金)夜>

夫が追突事故に遭った夫婦は一戸建てに2人暮らしで、家のどこからか猫の声が聞こえると妻は夫に訴える。母と2人暮らしの長男とすでに結婚して家を出た弟は、入院した母の見舞いで久しぶりに顔を合わせ、実家で今後のことを相談する。粛々と運針を進める2人の女性は、家の裏手にあった桜の木の思い出話をすすめる。

最近評判のよい大阪の劇団。なるほど評判になるだけのことはあった。古くて新しい家族の話題を真正面から放り込んでくる。身につまされる話題満載だったけど、ネタを全部拾って笑う他の観客に助けられた。年齢が高い人ほど味わいが深い話で、たぶん日によって笑いの量の増減が著しく異なると思う。

若干のネタバレ込みで言うと、夫婦は妻が妊娠したかもしれないが、もともと子供はつくらない約束で結婚していたので妊娠していたら堕ろすつもりの妻と、いまさら子供がほしくなった夫との間で話がこじれる。兄弟は入院先で母の新しい恋人らしき相手に出会い、その相手が母に安楽死を願うように刷り込んだのではと疑うが、そこからフリーターで独身の兄と結婚して仕事も忙しい弟との間で話がこじれる。至近距離で出ずっぱりに耐える演技をあてにして、深刻すれすれのネタを混ぜてくる脚本演出の絶妙なハンドリンク。

その周りで針仕事をしている女性2人ののんびりした話で、終盤に全部つながるのが演劇ならではの醍醐味で、小さい劇場を生かした椅子美術も完成させてのラスト。あれだけ深刻な話題満載でそっちに落とすかと思わないでもなかったけど、反対のラストにしたらそれはそれでしんどいので、きれいに終わるほうでよかった。

夫婦や兄弟のどちらに肩入れするかは観る人次第だけど、芝居の出来のよさでは裏切りません。観られてよかった。1時間35分と近年では短い芝居だけど密度は十分。すでに前売完売のようだけど、当日券も若干枚販売なので我こそはと思う人はぜひ新宿まで。

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2017年5月26日 (金)

新国立劇場主催「マリアの首」新国立劇場小劇場

<2017年5月20日(土)昼>

終戦から13年後の長崎。原爆投下で顔に火傷を負った女は、昼は看護婦として働き夜は客を取る。原爆では無傷だったが防空壕で強姦された女は、その時の男への復讐を考えながら、病弱な夫をささえるために夜中に薬と詩集を売る。キリスト教の信者でもある2人が気にするのは原爆で崩れた長崎天主堂を巡る保存か再建かの協議の行方。特に、その入口に残る、原爆で半分顔が崩れたマリア像の首。

粗筋だけ書くと重たい話だけど、重いというより真剣な話と書いたほうが適切。基本的には神も仏もありはしない世の中で信仰を続ける女たちと、それに関わる、戦争や原爆の影響がある男たちの話。肝心の仕上がりは、脚本に完敗。観られてよかったけど、全力で臨んで脚本の立上げが叶わない結果だった。

脚本がちょっと変わっていて、舞台が長崎だから長崎弁なところまではわかるけど、台詞が詩で書かれている部分が多くあって、一筋縄ではいかない作りになっている。この脚本が書かれたのも舞台設定と同じ時期で、その頃の日本は復興して軌道に乗り始めた頃で、でも戦争の記憶は残っていて原爆の被害者も生きている時代。その時期に戦争とか信仰とか書こうとしたときに、勝手な推測だけど、散文では追いつかないと考えて詩を台詞と同じに扱う形式を思いついたんだと思う。これが脚本を完成度を上げるのと同時に、上演の難易度を格段に上げている。

メインの2人を演じた鈴木杏と伊勢佳世は出演舞台を結構観たことがあって、自分の観た範囲では過去最高。最後の場面の掛声とか、あんな声が出せるならもっと昔から出しておけって声だった。そこに気合の入ったスタッフワークが重なって、脚本の良さが伝わってきた。けど、そのスタッフワークでようやくそこまで届いた感じ。日本記録でオリンピックに出たのに入賞に届かなかったような完敗だった。成功したら最高に立体的な舞台が立上がる脚本なことはわかったし、下手な上演だとそれすら伝わらないのだからレベルが高かったのは確かだけど、「面白い脚本を面白く演じるのは難しい」を地で行く結果になった。

ただ今回については、役者より演出家のほうが責任は大きいと思う。何か方向が揃っていなくて、特に女性陣と男性陣との差が気になった。ロビーに貼られていたインタビューでもこちらのトークセッションでも「難しい」を連発している。じゃああの脚本を誰なら上演できたかというと、それもあまり思い浮かばない。宮田慶子や栗山民也がやっても苦労しただろうし、蜷川幸雄や唐十郎でもちょっと違う。ひょっとしたら平田オリザが青年団で上演したらどうだろうとは想像する。でも原爆をピカドンと呼ぶ芝居を上演できる役者が現代にいるのかとも思う。戦後は遠くなりにけり。

ここまでひどいことを書いてきたから信じてもらえないかもしれないけど、その割には観られてよかったと思っている。完敗にもいい完敗と悪い完敗があって、今回は出し惜しみせずに全力で脚本にぶつかっているのが観られて、結果跳ね返されていたのだけど、いいほうの完敗だった。上手な芝居はたくさんあるけど、一定以上の水準で全力の芝居を観られる機会はそうそうない。さらに、この手強い脚本が他で上演されるとは思えない。興味のある人は今回観ておいたほうがいい。

で、新国立劇場で数年後にリベンジをしてほしい。今回のシリーズで登場している演出家に「東京原子核クラブ」とか「Caesiumberry Jam」とか名作が揃っているから、「日本人脚本家による原子力シリーズ」とかどうでしょう。海外原作を入れていいなら「見えない雲」とか。

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2017年4月13日 (木)

劇団青年座「わが兄の弟」紀伊國屋ホール

<2017年4月8日(土)昼>

奨学金をもらう医学生でありながら家計を助けるために小説家として働き後に認められたチェーホフの、あったのかなかったのかでいうと多分なかったことのほうが多い出来事を通して描かれる、あったかもしれない熱い魂の伝記。

副題が「贋作アントン・チェーホフ傳」だから想像の出来事がほとんどだと思うけど、ニーナという名前の女性が出てきたり、三人の姉妹の住む屋敷に避暑で訪れたり、湖の周りで小説家(チェーホフ)が話したり、たぶん他にもいろいろなチェーホフの芝居や小説から場面設定を取ってきている。ちなみにメインのタイトルは短編小説短編小説時代のペンネームから拝借したとのこと。だからこそ脚本家の想像力で存分に遊べる2時間35分。楽しかった。

青年座はたしか初見だけど、今回は声でキャスティングを決めたのかというくらい声の出る役者ばかりが揃っていた。色々な声なのだけど全員同じゴールを目指して鍛えて獲得した声です感があって、老舗劇団の底力十分だった。正直に書くと、チェーホフの時代で、マキノノゾミのオリジナル脚本なのによくぞ翻訳っぽい調子まで再現したって台詞も多いから、ベテランに比べて中堅若手は言葉が身についていない場面もあった。けどそれも含めて、劇団っぽい一体感にあふれるていた。演出も青年座出身の宮田慶子で、新国立劇場芸術監督の手腕はさすが。もう少し多めに笑いを取りにいける脚本だけど品位を重視してここまで仕上げた。

老舗劇団のよさが出たのは他にもあって、3つ上げておくと、ひとつは年齢に添った役者の配置。劇団M.O.P.ならここは同年代の役者が1人2役、になるところ、年齢の幅が広い役者が専任で出演していて、しかも上手。あと衣装。今回は当時の雰囲気の再現でここは外してはいけない、ここができれば他は最悪ごまかせる要のスタッフだけど、学生劇団だと頑張って用意してもひとり1着になりがちなところ、場面ごとに複数の衣装も用意して、昔のロシアっぽさが出ていた。少なくともそう信じて芝居に没入できた。あと最後に小道具。銀のサモワール(*)はマキノノゾミが遊び心で狙って出しているはずけど、ちゃんと(銀ではなくとも)サモワールの実物を持ってきた。今時なら手に入れるのは難しくないかもしれないけど、ああいう努力が芝居の質に確実に貢献している。別に他のスタッフもごまかしていなかったですよ念のため。

*昔チェーホフの芝居を上演するにあたって「銀のサモワールでお茶を飲む」という場面が出てきて、当時はロシアの情報なんてないから誰も観たことがなくて、八方手を尽くして実物が置いてある店を探して、使い方を勉強させてもらってから上演に臨んだ、というのが、近代演劇史初期の劇団の苦労話兼笑い話兼努力系美談の例として、いろんな本で目にする。

あとマキノノゾミの脚本が不思議で、長い芝居とはいえ全部で4場しかない脚本なのに、全然過不足を感じなかった。チェーホフの一生を描くのが目的ではないとはいえ、それで観るべきものは観た気になれた。場面転換時にはつなぎを兼ねて登場人物による長めのナレーションが入るのだけど、あんな芝居こんな芝居と比べると、すんなり馴染んでいたというか、十分かつ必要なナレーションだった。たぶん情報の量とか順番を上手にコントロールしているからだと思うのだけど、具体的に何が違ってここまで印象が変わるのかわからない。そんなに何本も観られていないけど、当たりの多い名脚本家だと思う。ついでに書くと、これはキムラ緑子がやったらよさそうだなって役があった。劇団M.O.P.を想像しながら書いているのかな。

久しぶりに一体感のある中身も面白い芝居で、いまどきの高額なプロデュース公演に慣れているとこれが4800円はお得。当日券は余裕だったので時間のある人はぜひ。

と芝居は手放しで褒めるのだけど残念なことがひとつ。後半3場に謎の会話が聞こえて、それが3場(後半の前半分)が終わるまでずっと響いて、いい場面だったのに集中力がそがれた。最初は客席かと思ったけど、客席以外から聞こえているような声の響きで(あれだけ長く話していたらさすがに近くの人が止めると思う)、3幕途中でロビーに出る人がいたから扉が開いたけどロビーの声でもなく、スタッフのオペ室か楽屋かな。客席だったら勘違いで申し訳ないけど、本当あの邪魔な会話だけが残念。

<2017年4月26日(水)訂正と追記>

ネタばれを含む引用もとを説明してくれて助かるしのぶの演劇レビューのエントリーが上がっていたので紹介。かっこいいチラシを褒めるのを忘れていたけど、あの絵は兄が弟を描いたものだとは知らなかった。で、タイトルは短編小説時代のペンネームだったとのことなので本文を訂正。

せっかくなので調べてみたら演出のe+の宮田慶子のインタビューを見つけた。この脚本の成立ちが興味深いのだけど、こういうインタビューはある日突然消えてしまうのでちょっと長いけど引用しておく。

──チェーホフは宮田さんからの提案だったんですね。

 もちろん、マキノさんも、チェーホフの『かもめ』を2002年に新国立劇場で演出していらっしゃいますし、わたし自身も『かもめ』を演出してる。実を言うと、ここ数年、アントン・チェーホフがひそかにマイブームだったんですよ。

 脚本(ほん)をお願いしたのが、もう2年前になります。チェーホフの作品は、もちろんよく知っていたけれど、ふたつのエピソードがすごく心に残っていて、ひとつは、あれだけ浮名を流していたチェーホフだけど、なぜか妻を娶(めと)ることが晩年までなかった。

──結婚したのは、亡くなる3年前。ほぼ最晩年でした。

 最晩年にやっとモスクワ芸術座の女優オリガと結婚して。それも別居を前提で結婚するんですよ。「あなたは女優だから、モスクワで仕事をしてくれ。わたしは別の土地で診察をしているから」というように、いっしょに住まない。だから、独得な女性観の持ち主だなと、すごく気にはなっていた。

 もうひとつは、チェーホフにはお兄さんがふたりいて、歳が近いニコライという画家とものすごい気が合って、芸術家としても尊敬をしていた。この兄は放蕩のあげく、早くして結核で亡くなるんだけど、医者としてのアントンは、どんどん病いに蝕まれていく兄の体を診つづけた。

 兄の方も、病気だからといって放蕩三昧を改めない。酒と女に溺れるむちゃな生活、むちゃな絵の創作を続けて、芸術家の業(ごう)を見せつける。最後には、三幕で出てくる別荘に、みんなでニコライを呼び寄せて、たぶん、あと命がもって数日というときに、たまたま長男がやってきたのにかこつけて「頼むよ」と言い残し、チェーホフは危篤状態の最愛の兄をそのままにして、旅に出るんです。

 それで結局、嵐みたいな悪天候のなか、ずぶ濡れで旅を続けていた先で、兄が死んだという電報を受け取る。医者でありながら末期の患者を見捨てるようなことをし、最愛の兄でありながら、最後の死にざまを見ないという……。

──おそらくチェーホフは、意図的に看取らなかったわけですね。

 そう。何がアントンをそこまで追い込んだんだろう。実際にそういう史実があるので、このふたつのエピソードをマキノさんにしゃべったの。

 そしたら、マキノさんは「チェーホフというとロシアの大作家で、すごく端正な作品を書いて……としか思ってないけど、そんな実生活があったんだね」と言いながら、「でも、他にも書きたいものもあるので、時間をください」ということだった。そして、さんざん悩んだあげく、「ほとんどゼロから考え直すけど、アントン・チェーホフでやってみましょうか」ということになった。

──そのようにしてスタートしたチェーホフの評伝劇ですが……。 

 そこからマキノさん、本当に苦しんで書いてくださって。まあ、珍しかったですね。マキノ氏は演劇界広しといえども、珍しく締め切りを守る劇作家。青年座には、いままで一回も遅れたことがない。

──おおっ。

 そのぶん、ご自分の劇団M.O.P.にはすごい遅れたりしてるわけ。だけど、外から発注を受けたものは、絶対遅れないことで有名だったのに、初めて遅れたんだよね。いやもう、それはどれだけ大変なことになってるか、なんとなく想像ついてたんだけど……。

──参考文献だけ見ても、ものすごい冊数ですよね。

 マキノさんはずっと資料を読み込みながら、人間チェーホフをつかみたくて、ずっともがいていたと思うんです。年越さないで台本をいただけるかなと思ってたのが、年越しして、翌年2月にやっといただいて。読んでみたら「ああっ、やっぱり、これはかかるわ」という。ここまで虚実ないまぜに、調べてくださった史実と、チェーホフの作品と、それからご自分の創作の全部を、擦り合わせて、バズルのように組み立てていくには、これだけ時間がかかるのはしょうがなかっただろうと。 

──戯曲のいたるところに、チェーホフ作品がこれでもかとちりばめられてますからね。

 それで、なんとなくチェーホフの実生活までがフィクションのように見えてくる。たとえば、第3幕は現実にあったことなのに、まるでチェーホフの芝居をそのままパクッたと言うと変だけど……。

──そうなんです。チェーホフの短篇や戯曲のエピソードだけを再構成したように見えてしまう。第3幕は特にそうですね。

 あの場面の設定や台詞は『桜の園』にあったな。それから『かもめ』にも、湖のほとりで、みんなでしゃべっていて、最後にニーナがトリゴーリンに憧れる場面があったななどと思ってしまう。まったくそこに流れている空気は、チェーホフ作品ですからね。見事なんですよ。だから、本当に今のチェーホフを作っちゃったよって。

──本当にそう思います。

 だから、不思議な感覚で、われわれも稽古していても、マキノ氏の作品をやってるんだか、チェーホフの芝居をやってるんだか、わかんなくなるような錯覚に陥るところがある。

──文体も神西清さんの訳文を髣髴(ほうふつ)させるところがあって……。

 もう完全に、完全になぞってます。わざと遊んでる。

──同じ文体を、まるでトレースするように描いてるところがありますね。

 そうなんです。だから、かなり上級な遊びになっちゃうけど、作劇する過程で、わざとチェーホフ世界を構築した大枠を、どうやって見せていこうかなと。これは最終的には、わたしの演出の仕事にもなってきちゃうんだろうけど。

──これほどまでに長篇戯曲、一幕劇、小説、短篇の数々が、史実に巧みに組み込まれているのかと驚きました。職人芸の域に達している。

 マニアはたまんないね、きっとね。チェーホフ・マニアは「うわっ、ここに出てきたか」って、思うだろうし……。

あの面白い脚本には相応の苦労があったんだとか、やっぱりあの台詞は翻訳調の再現だったんだ、ということが確認できた嬉しさとは別に、「マキノ氏は演劇界広しといえども、珍しく締め切りを守る劇作家」のフレーズに笑ってしまった。おなじチェーホフの話で井上ひさしの「ロマンス」という芝居があるけど、これは栗山民也が「演出家の仕事」という本に脱稿が本番直前(記憶だと確か5日前)って書いていた。

改めて満足感をかみしめているので、ぜひ再演してほしい。ロシアに持っていけたら面白そうなんだけど、新国立劇場の芸術監督の立場を濫用してできないかな。

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2016年12月20日 (火)

新国立劇場主催「ヘンリー四世(第一部、第二部)」新国立劇場中劇場

<2016年12月15日(木)昼・夜>

先王を廃して王位についたヘンリー四世。その際に協力しあった領主一族とも晩年には揉めて、その領主一族から謀反を企てられる。王はごろつきと付きあって放蕩している長男も呼び戻して戦い、勝利し、やがてその長男がヘンリー五世を継ぐまでの物語。

あまり評判が上がって来ないので心配しつつ、「ヘンリー六世」を観たからにはこれも観たいので通しで観劇。結果、かなりよかった。シェークスピア芝居を抑えておきたい人にはぜひお勧めしたい。

最初は長男がヘッドホンして衣装がスカジャンだったり、音楽がクイーンだったりして、うわーこれどうしようと思ったのだけど、観ているうちに違和感もなくなったし、他はごく王道のスタッフワークと演出だった。そうすると、王位を巡る両一族の対立がきれいにわかって、入り込めた。それでもややこしいのだけど、ロビーに人物関係を描いたパネルが展示されていたのが理解に一役買っていたので、始まる前に、せめて休憩時間にでもいいから眺めておくべき。

そのややこしい話を違和感なく観られたのは役者の実力の賜物。シェイクスピアは日本になじみのない舞台に昔ながらのくどい台詞がつきものでハードルが高いのだけど、あの台詞を特にひっかかることなく聞けるのは幸せな座組だと最近気がついた。

その中でも特筆モノなのがごろつきのフォールスタッフを演じた佐藤B作。強盗を働き、酒におぼれて女と金にだらしなく、ケチで見栄っ張りで、強きにへつらい弱きを挫き、うるさい声で呼吸をするように嘘をつくのだけど、必至さと愛嬌とで何とか日々を過ごしていく憎めない奴。こう言っては失礼だけど、役者佐藤B作に対してもっている、うるさそうな人とかケチそうな人とかうっとおしそうな人とか、そういう偏見全部を引受けてなおかつ憎めない役に仕上がっていた。間違いなくはまり役で、60歳を大幅に超えてこんな役に出会えるなんて幸運な人だし、それを観られた自分も幸運だった。キャスティングした人の慧眼に敬意を表する。

実は人物関係のパネルを読んでも半分くらい配役が理解できなかったのだけど、他の人もまあ実力十分だった。他に一人だけ、那須佐代子を挙げておく。第一部はほとんど出番がなかったけど、でも酒場の場面で出てきて一言二言話しただけで目が向いた。その分第二部でははっちゃけた役を披露していた。

他にスタッフワーク2つ。ひとつは舞台美術で、奥に傾斜がついた殺風景な床に木組みで3階立ての仕切り。途中で小道具の当たった垂木が1本飛ぶ始末で、よほど金がないのかとおもっていた。けど終盤、ヘンリー四世が病に伏してヘンリー五世と話す、街頭のようなオレンジの照明が当たる場面。立派なように見えても王政なんてぼろぼろの体制で、何かあったら簡単に崩れるものだって印象が強く伝わった。もうひとつはロビーに貼ってあった現在までのイギリスの王朝の系図。シェイクスピアの題材になった王に色がついて、ヘンリー四世で王朝が変わって、その後ヘンリー六世やリチャード三世につながるイメージがよく伝わって、理解の助けになった。1枚でとても勉強になるので、この系図が載っていたらパンフレットを買おうと思ったのだけど、見本を読んでも載っていないんだこれが。次にシェイクスピアの王朝ものをやるときにはぜひ載せてほしい。

正直言うと、王位を巡る争いとごろつきたちの場面とのバランスがよいは第一部に比べて、第二部は出世したフォールスタッフが目立ちすぎてバランスが悪い。たぶんシェークスピアは第一部だけのつもりで書いたら、芝居もいいしフォールスタッフもいいしで思わぬ人気が出て、フォールスタッフが多めに出るように第二部を書いたんじゃないだろうか。でもそういうことまで考えさせるほど、脚本をよく反映した仕上がりだった。「ヘンリー六世」の他に「リア王」や「十二夜」も観ているけど、鵜山仁のシェイクスピアはよい。

で、これだけ満足した芝居なのだけど、座席がすかすか。2階はよく見なかったけど、7割切っていたんじゃないのか。平日なのを差引いてもひどい。開演が12時と17時半だったのは、通しで観た自分にはありがたかった。けど、休憩込みで第一部が3時間、第二部が3時間20分なら、勤め人も少しは取り込む狙いでせめて13時18時にしたほうがよかったのではないか。公演日程を見ると今後の参考のためか、平日は試行錯誤の跡がうかがわれる。ただこれを書いている今日と明日が18時半でそれぞれ第一部と第二部、チケットはまだ余裕なので当日券でも問題なし、なんなら千秋楽もまだチケット買えるので、とりあえず第一部だけでも如何。

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2016年11月13日 (日)

新国立劇場演劇研修所「ロミオとジュリエット」新国立劇場小劇場

<2016年11月12日(土)夜>

2つの名家が反目を続けて勢力が二分されている街、ヴェローナ。一方のモンタギュー家の御曹司であるロミオは恋に破れたばかり。いたずら好きの友人にそそのかされて、もう一方のキャピュレット家が主催する仮面舞踏会に潜り込む。そこでキャピュレット家の一粒種の娘、ジュリエットと出会う。

一度はどこかで観たはずで、観終わって筋を思い出した。結構期待していたのだけど、窮屈な演技で終わってしまった。これでは合格点はおろか及第点にも届かない。研修所の上演とはいえ、やりたくったってやれないシェイクスピアの、そのまた王道の1本に主要な役で参加できる貴重な機会だったはずだけど、残念。周辺役でちょっといい感じと思ったのは後で確認したら全員卒業生だった。

がんばっているのはわかるけど完全に台詞に負けていて、まっすぐこちらに届く台詞がほとんどなかった。「ロミオとジュリエットは結構恥ずかしい台詞。日本人のメンタリティでは言えない。」って言葉が今になってようやく実感できた。これは難しい脚本。上手にやるかどうかより、ほとばしるエネルギーで芝居をねじ伏せるのが先に必要だけど、エネルギーが足りない。とりあえず大声出しとけって言ったのは野田秀樹だったか。

最後の場面、アメリカ大統領選だけでなく日本を含めた世界中が似たような状況になっているので、そういう意図も込めて脚本選んだのかな。そうすると、世界をねじ伏せるような愛を見せつけてくれないといけない。ますます難しい脚本。

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2015年3月25日 (水)

劇団東京ヴォードヴィルショー「田茂神家の一族」紀伊國屋サザンシアター

<2015年3月20日(金)夜>

人口が100人ちょっとの小さな村。前の村長が怪我で勇退し、後継者の予定だったその長男は選挙運動中に事故死。急遽行なわれた補充選挙には村長の他の親類一同が5人も立候補。投票日を2日後に控えて一同が合同討論会を開催するがそれぞれの家族が協力しての中傷合戦に。果たして有権者の心をつかめるのは誰か。

この設定からきっちり転がしていくのはさすがの三谷幸喜だけど、東京ボードビルショーの持味に合せたか、脚本の設定に合せて意図的に演出したか、全体にもっさりした印象。さらに開始早々オチを想像したらそれが結構当たってしまい、がっかり感は否めず。「君となら」を観た今となってはあのレベルまで自分でハードルを上げてしまう。2時間弱の芝居だったが、感覚では、このオチで1時間、そこからあとでもう1時間くらいの密度がほしい。

そのもっさりした感じの中でも、きっちりコントロールしているように見えたあめくみちこは目を引いた。ゲストの角野卓造は挙措発声とも存分に発揮していたけど、伊東四朗は役どころの割りに抑え気味で、客としてはもっと見せ場を設けて活躍させてほしかった。体の向きに関わらず声が均一に聞こえたけどマイクを使っていた?

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2014年12月23日 (火)

新国立劇場制作「星ノ数ホド」新国立劇場小劇場

<2014年12月20日(土)夜>

共通の知人が主催するバーベキューで知合った、養蜂家のローランドと物理学者のマリアン。人生の転機で起こり得た無数の出会いと衝突を描きながらたどる2人の人生の行方。

出会いの場面からして5パターンくらい、その後もそれぞれの場面で誘ったり喧嘩したりの場面を何パターンも描く、脚本の構成に大きく依存した芝居。エッシャーの騙し絵みたいな舞台で繰広げられるやり取りは「そのときその一言を上手くいえなかったばかりに」という場面ばかり。その無数の場面の果てがどうなるか、もやっぱり脚本の構成で用意されている。同じ場面のパターン切替は音で合図してくれるので、その仕組みさえわかればあとはそれぞれの場面やパターンを楽しめる。エンディングも含めて満足できる佳作。

2人芝居を演じたのが浦井健治と鈴木杏で、2人とも観ている側に真面目な印象を与える役者なので、悪いことではないが、笑えるシーンの数の割には芝居全体も真面目に進行した印象。これはよい芝居なので、いっそダブルキャストやトリプルキャストにして、新国立劇場で定期的に上演する演目になったらいいのにと空想。あの役者とあの役者だったらこの場面はどうなっていただろう、と想像が膨らむ。

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