2016年12月20日 (火)

新国立劇場主催「ヘンリー四世(第一部、第二部)」新国立劇場中劇場

<2016年12月15日(木)昼・夜>

先王を廃して王位についたヘンリー四世。その際に協力しあった領主一族とも晩年には揉めて、その領主一族から謀反を企てられる。王はごろつきと付きあって放蕩している長男も呼び戻して戦い、勝利し、やがてその長男がヘンリー五世を継ぐまでの物語。

あまり評判が上がって来ないので心配しつつ、「ヘンリー六世」を観たからにはこれも観たいので通しで観劇。結果、かなりよかった。シェークスピア芝居を抑えておきたい人にはぜひお勧めしたい。

最初は長男がヘッドホンして衣装がスカジャンだったり、音楽がクイーンだったりして、うわーこれどうしようと思ったのだけど、観ているうちに違和感もなくなったし、他はごく王道のスタッフワークと演出だった。そうすると、王位を巡る両一族の対立がきれいにわかって、入り込めた。それでもややこしいのだけど、ロビーに人物関係を描いたパネルが展示されていたのが理解に一役買っていたので、始まる前に、せめて休憩時間にでもいいから眺めておくべき。

そのややこしい話を違和感なく観られたのは役者の実力の賜物。シェイクスピアは日本になじみのない舞台に昔ながらのくどい台詞がつきものでハードルが高いのだけど、あの台詞を特にひっかかることなく聞けるのは幸せな座組だと最近気がついた。

その中でも特筆モノなのがごろつきのフォールスタッフを演じた佐藤B作。強盗を働き、酒におぼれて女と金にだらしなく、ケチで見栄っ張りで、強きにへつらい弱きを挫き、うるさい声で呼吸をするように嘘をつくのだけど、必至さと愛嬌とで何とか日々を過ごしていく憎めない奴。こう言っては失礼だけど、役者佐藤B作に対してもっている、うるさそうな人とかケチそうな人とかうっとおしそうな人とか、そういう偏見全部を引受けてなおかつ憎めない役に仕上がっていた。間違いなくはまり役で、60歳を大幅に超えてこんな役に出会えるなんて幸運な人だし、それを観られた自分も幸運だった。キャスティングした人の慧眼に敬意を表する。

実は人物関係のパネルを読んでも半分くらい配役が理解できなかったのだけど、他の人もまあ実力十分だった。他に一人だけ、那須佐代子を挙げておく。第一部はほとんど出番がなかったけど、でも酒場の場面で出てきて一言二言話しただけで目が向いた。その分第二部でははっちゃけた役を披露していた。

他にスタッフワーク2つ。ひとつは舞台美術で、奥に傾斜がついた殺風景な床に木組みで3階立ての仕切り。途中で小道具の当たった垂木が1本飛ぶ始末で、よほど金がないのかとおもっていた。けど終盤、ヘンリー四世が病に伏してヘンリー五世と話す、街頭のようなオレンジの照明が当たる場面。立派なように見えても王政なんてぼろぼろの体制で、何かあったら簡単に崩れるものだって印象が強く伝わった。もうひとつはロビーに貼ってあった現在までのイギリスの王朝の系図。シェイクスピアの題材になった王に色がついて、ヘンリー四世で王朝が変わって、その後ヘンリー六世やリチャード三世につながるイメージがよく伝わって、理解の助けになった。1枚でとても勉強になるので、この系図が載っていたらパンフレットを買おうと思ったのだけど、見本を読んでも載っていないんだこれが。次にシェイクスピアの王朝ものをやるときにはぜひ載せてほしい。

正直言うと、王位を巡る争いとごろつきたちの場面とのバランスがよいは第一部に比べて、第二部は出世したフォールスタッフが目立ちすぎてバランスが悪い。たぶんシェークスピアは第一部だけのつもりで書いたら、芝居もいいしフォールスタッフもいいしで思わぬ人気が出て、フォールスタッフが多めに出るように第二部を書いたんじゃないだろうか。でもそういうことまで考えさせるほど、脚本をよく反映した仕上がりだった。「ヘンリー六世」の他に「リア王」や「十二夜」も観ているけど、鵜山仁のシェイクスピアはよい。

で、これだけ満足した芝居なのだけど、座席がすかすか。2階はよく見なかったけど、7割切っていたんじゃないのか。平日なのを差引いてもひどい。開演が12時と17時半だったのは、通しで観た自分にはありがたかった。けど、休憩込みで第一部が3時間、第二部が3時間20分なら、勤め人も少しは取り込む狙いでせめて13時18時にしたほうがよかったのではないか。公演日程を見ると今後の参考のためか、平日は試行錯誤の跡がうかがわれる。ただこれを書いている今日と明日が18時半でそれぞれ第一部と第二部、チケットはまだ余裕なので当日券でも問題なし、なんなら千秋楽もまだチケット買えるので、とりあえず第一部だけでも如何。

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2016年11月13日 (日)

新国立劇場演劇研修所「ロミオとジュリエット」新国立劇場小劇場

<2016年11月12日(土)夜>

2つの名家が反目を続けて勢力が二分されている街、ヴェローナ。一方のモンタギュー家の御曹司であるロミオは恋に破れたばかり。いたずら好きの友人にそそのかされて、もう一方のキャピュレット家が主催する仮面舞踏会に潜り込む。そこでキャピュレット家の一粒種の娘、ジュリエットと出会う。

一度はどこかで観たはずで、観終わって筋を思い出した。結構期待していたのだけど、窮屈な演技で終わってしまった。これでは合格点はおろか及第点にも届かない。研修所の上演とはいえ、やりたくったってやれないシェイクスピアの、そのまた王道の1本に主要な役で参加できる貴重な機会だったはずだけど、残念。周辺役でちょっといい感じと思ったのは後で確認したら全員卒業生だった。

がんばっているのはわかるけど完全に台詞に負けていて、まっすぐこちらに届く台詞がほとんどなかった。「ロミオとジュリエットは結構恥ずかしい台詞。日本人のメンタリティでは言えない。」って言葉が今になってようやく実感できた。これは難しい脚本。上手にやるかどうかより、ほとばしるエネルギーで芝居をねじ伏せるのが先に必要だけど、エネルギーが足りない。とりあえず大声出しとけって言ったのは野田秀樹だったか。

最後の場面、アメリカ大統領選だけでなく日本を含めた世界中が似たような状況になっているので、そういう意図も込めて脚本選んだのかな。そうすると、世界をねじ伏せるような愛を見せつけてくれないといけない。ますます難しい脚本。

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2015年3月25日 (水)

劇団東京ヴォードヴィルショー「田茂神家の一族」紀伊國屋サザンシアター

<2015年3月20日(金)夜>

人口が100人ちょっとの小さな村。前の村長が怪我で勇退し、後継者の予定だったその長男は選挙運動中に事故死。急遽行なわれた補充選挙には村長の他の親類一同が5人も立候補。投票日を2日後に控えて一同が合同討論会を開催するがそれぞれの家族が協力しての中傷合戦に。果たして有権者の心をつかめるのは誰か。

この設定からきっちり転がしていくのはさすがの三谷幸喜だけど、東京ボードビルショーの持味に合せたか、脚本の設定に合せて意図的に演出したか、全体にもっさりした印象。さらに開始早々オチを想像したらそれが結構当たってしまい、がっかり感は否めず。「君となら」を観た今となってはあのレベルまで自分でハードルを上げてしまう。2時間弱の芝居だったが、感覚では、このオチで1時間、そこからあとでもう1時間くらいの密度がほしい。

そのもっさりした感じの中でも、きっちりコントロールしているように見えたあめくみちこは目を引いた。ゲストの角野卓造は挙措発声とも存分に発揮していたけど、伊東四朗は役どころの割りに抑え気味で、客としてはもっと見せ場を設けて活躍させてほしかった。体の向きに関わらず声が均一に聞こえたけどマイクを使っていた?

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2014年12月23日 (火)

新国立劇場制作「星ノ数ホド」新国立劇場小劇場

<2014年12月20日(土)夜>

共通の知人が主催するバーベキューで知合った、養蜂家のローランドと物理学者のマリアン。人生の転機で起こり得た無数の出会いと衝突を描きながらたどる2人の人生の行方。

出会いの場面からして5パターンくらい、その後もそれぞれの場面で誘ったり喧嘩したりの場面を何パターンも描く、脚本の構成に大きく依存した芝居。エッシャーの騙し絵みたいな舞台で繰広げられるやり取りは「そのときその一言を上手くいえなかったばかりに」という場面ばかり。その無数の場面の果てがどうなるか、もやっぱり脚本の構成で用意されている。同じ場面のパターン切替は音で合図してくれるので、その仕組みさえわかればあとはそれぞれの場面やパターンを楽しめる。エンディングも含めて満足できる佳作。

2人芝居を演じたのが浦井健治と鈴木杏で、2人とも観ている側に真面目な印象を与える役者なので、悪いことではないが、笑えるシーンの数の割には芝居全体も真面目に進行した印象。これはよい芝居なので、いっそダブルキャストやトリプルキャストにして、新国立劇場で定期的に上演する演目になったらいいのにと空想。あの役者とあの役者だったらこの場面はどうなっていただろう、と想像が膨らむ。

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2014年10月28日 (火)

新国立劇場主催「ブレス・オブ・ライフ」新国立劇場小劇場

<2014年10月26日(日)昼>

ある島に住む女を、別の女が訪ねる。片やある男の元妻、もう一方はその男の元愛人。すでに男とわかれて久しい2人が交わす会話の数々。

若村麻由美と久世星佳がほとんど出ずっぱりの2人芝居。話のバランスがお互いに行き来して、とても奥が深くて難しい。ロビーに張出してあったインタビューで、「元愛人の寝巻きを着るなんて普通は嫌だけどそこはすでに抜けている」とかいろいろ説明があって、自分が読取れた情報はたぶん脚本の10分の1くらい。会話が切替わるタイミングでバランスがぱっと入替わる展開の早さにたまに置いていかれることもあり。こういう芝居を味わえる人生経験がほしい。

というのは前提だとしても、演出が脚本に負けた印象あり。元妻が久世星佳で元愛人が若村麻由美だったけど、逆のキャスティングのほうがよかったかもしれないという印象。特に根拠は示せないのだけど。

劇場に入って美術と照明を観て、手間隙かかった感のあるスタッフワークを観られるのは幸せなことだと認識。

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2014年9月15日 (月)

こまつ座「きらめく星座」紀伊国屋サザンシアター

<2014年9月14日(日)昼>

昭和戦前の日本。東京にあるレコード屋は、西洋文化締出しの風潮が強まる中、2階を下宿に貸してやりくりしている。子供は一男一女がいるが、軍隊に入隊して訓練中の兄が脱走したという。憲兵が取締に家を訪れる状況を案じた後妻は、妹を傷病兵と結婚させて美談を仕立てることで窮地を逃れようと画策する。

ちょうどよい時間に当たっていたので観劇。憲兵や軍人の横暴と、それを潜りぬけて生きる庶民とを描きながら、日本人の理不尽を訴える。私の基準で言えば説教くさい分類の井上ひさしだったので、その点は大いにマイナス。なのだけど、役者陣の熱演はさすがで、特に井上ひさしとはまったく合わないだろうと思っていた秋山菜津子が木場勝己と拮抗するくらいに活躍していたのはうれしい誤算。舞台にかかる日めくりカレンダーの日付に気がつくと、観ている集中が増す。

こういう話を観ると、単位が大きいのはよくないということを再認識する。国や軍など大きい組織に自分を同化するのではなく、未熟でも個人としてどこまでいけるかが大事。そこまで話に組込んでくれていれば脚本がより輝くところ、どうしても軍と庶民のような群の対立というか、もっと言えば国と軍への反対が描写のメインになってしまうのが、井上ひさしの説教系芝居を観ていてつらいところ。

<2014年9月15日(月)追記>

状況倫理と絶対倫理と説教芝居と芝居の強度について」という補足エントリーを作成。

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2014年6月29日 (日)

シス・カンパニー企画製作「抜け目のない未亡人」新国立劇場中劇場

<2014年6月28日(土)夜>

国際映画祭が開催中のベネツィアのあるホテル。かつて一世を風靡して、結婚後は長く現場を離れていた女優が、夫である映画監督の死亡をきっかけに現役復帰を計画する。出演作品では監督と相思相愛にならなくてはいけないという信念の女優に、国も違えば作風も違う4人の監督が次回作の主演キャスティングをオファーしてくる。夫の遺産で出演料は気にしないでも構わない女優がどのオファーを受けるか迷っているときに、エージェントがひとつの提案を出す。

初日。イタリア喜劇の原作をアレンジして、三谷幸喜の持味のひとつであるとても軽い喜劇に。全体にデフォルメ勝負の役作りの中、あれだけおおげさにやっても馴染む大竹しのぶはやっぱり大物。ホテルマン兼進行係のの八嶋智人はこういう役だと非常に生き生きする。峯村リエはもうすこし観たかった。女優の妹の話がもう少し本線の話に絡んできたらよかったけど、そこは原作の事情か。

そんなオチか、みたいなオチも含めて笑って、ああ楽しかったと屈託なく思う一本。張出して広めの舞台を役者が左右に行ったり来たりで端の人は大変かもしれないけど見切れは一切ないすっきりした舞台に、テンポの良い休憩なしの1時間55分。大竹しのぶプラス誰か興味のある役者がいたら観てみたら如何。

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2014年4月28日 (月)

ティルト主催「春風亭昇太独演会 オレスタイル」紀伊國屋サザンシアター

<2014年4月27日(日)夜>

隠居が説明する百人一首には花魁あり相撲取りあり「ちはやふる」を立川生志が。さいころ博打で懲らしめられた男がその手を悪用して一儲けを企む「看板の一」。足の遅い小学生がわざと運動会のリレーのアンカーに選ばれて雨天中止を願ったら「空に願いを」。商売下手な古道具屋が汚い太鼓を高値で仕入れたところ「火焔太鼓」。

これに枕とは別のオープニングトークも付くのでなかなかお得。自作の「空に願いを」が細部が凝っていて面白いのだけど、単純な筋書きでも引きこまれるのが「火焔太鼓」で、有名な噺はそれだけの力があるものだと感心する。

映画に出演した話でご機嫌なオープニングトークかと思いきや、端々に毒気のある言葉が漏れて、何でこんなに毒気があるかなと感じさせるところは以前と変わらず。トークで話していましたけど、こういう人はちょっと離れて観るのがいいですね。

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2011年11月30日 (水)

第三舞台「深呼吸する惑星」紀伊国屋ホール(ネタばれあり)

<2011年11月29日(火)夜>

地球から遠く離れた惑星にある、地球と友好関係にある国だが、軍事的に地球に依存しているために独立活動を行なっている者がいる。ここに地球から配置された兵士の自殺率の高いことを気にして科学者が調査にやってくる。どうやら幻覚をみることで精神的な影響を受けるらしい。

ちょうど予定がついたので観てきました初にして最後の第三舞台。感想はいまいちで、少なくとも今回、第一舞台と第二舞台との間に、第三舞台は現れなかった、これだけ役者を揃えていまいちって点に大いに不満ありという結果。以下ネタばれでこのいまいちの中身を考える。これから観に行く人は後で読むべし。

ダンスが多いとか、年齢をだしにするとか、そういうネタはあまり気にしない。解散公演だし。長野里美の着ぐるみが定番らしいというのははじめて知った(ちなみにこれが一番盛上った)。

役者からいうと、見所満載の女性陣にたいして、それでいいのか男性陣という感想。長野里美の存在感がすごいよくて、筒井真理子と山下裕子もキャラを立てて応戦する。男性陣で一番上手いと思ったのは高橋一生で、きちんと会話していた。だけど小須田康人と大高洋夫はおとなしくて見所がわからない。そして筧利夫がやばい、声の大きさとテンションだけで勝負するって、それも手段のひとつだろうけど、自分には駄目だった。筧利夫の出番が多かっただけに、これがかなりの悪印象になったのがひとつ。

で、脚本演出の話。なんでこんな感想になったかを考えたけど、脚本が悪いんだと思う。ひとつは本来脚本に書かれていないといけない、設定(というのか状況というのか場面というのか環境というのか)が設定になっていない。推測するに、初めに登場人物がこうなるという案が先にあって、その案を実現するために、人物造詣とか人物の歴史とかではなく、必要な「機能」を設定に持たせることで解決しようとしている、あるいはそれ以上設定を練っていない、だから設定が設定として生き生きしていない。たとえば科学者の身の回りの世話を命じられる、その科学者から調査の依頼手続きを受けたりする、だけど普段の立場は園芸員で、花の架空購入で横領しているって、なんか変でしょう。あるいはかつて3年前まで保護した男と一緒に暮らしていたのに、その後整形して結婚詐欺で宇宙指名手配されるくらいの大物詐欺師になったって、ないとはいえないけどかなり極端でしょう。総理大臣が毎日墓参りにくる墓の宿舎の裏手で栽培禁止の花が栽培されているとか、もっと早く気がついてほしいでしょう。前作では矛盾が気になったけど、矛盾しているかどうかではなく、ご都合主義かどうかでもなく、状況や人物描写について本来脚本にあってほしいものが欠けている。表現が正しいかどうかわからないけど。

脚本でもうひとつ、地球とこの星との関係が、なんか日米の関係を冷やかしているような意図を感じる。軍事の設定しかり、文化依存の設定しかり。だとしたら、冷戦はもう終わったんだよ、新しい地政学が始まっているんだよ、中国は日本だけでなく世界の脅威だよ、といいたい。文化依存にしても、むしろ今は世界が日本に興味津々な時期で、日本は積極的に世界にアピールするべきで、その文化の一端を担う芝居としてあなたはどうなんですか、この芝居で世界に日本や日本文化をアピールできるんですか、といいたい。元々政治的な芝居が嫌いなのもあるけど、なんだろう、惑星という設定に総理大臣まで登場させているのに、このスケールの小ささは。

たぶんその印象は、鴻上尚史の脚本は、登場人物より真理より鴻上尚史自身のメッセージを伝えるところに重きを置かれていて、鴻上尚史の演出は、そのメッセージをいかに効果的に伝えるかを強調しようとしている、というところからくるのではないだろうか。だから人物を立体的に描くとか人物間の関係のいろいろとか状況を深く掘り下げるとか、そういう方面を期待している自分と全然合わなくて、逆にメッセージに敏感に反応した人たちは、熱烈な支持をする。だとすると納得がいく。今回で言うと、「絶望する人は行動する、あきらめる人は行動しない、みんなあきらめる(大意)」とか、そういうの。あと芝居のメインの話が、48歳と21歳との「ありがとう」で、書いたものが将来も残るかどうかってあたりで、自分たちの話、もっといえば鴻上尚史の書き手としての心配事みたいな印象を受ける。そのつもりがあったかどうかは別として。そうすると、第三舞台初の自分にはどうでもいいことになる。

メッセージに反応しないのはお前がおっさんだからだよ、と言われれば、それは否定できないけど、でも8400円の芝居で誰をターゲットにしたんだ。学生か。今まで10年間上演していないって、今の学生は観たことないってことで、それに8400円払う学生がそんなにいるのか。どう考えても全盛期のファンで、今はおっさんおばさんになった人たちがターゲットだろう。

なので今回は、全盛期をリアルタイムで観たファンが、盛大なお見送りをするためのイベントだと認識するのが正しい。熱烈だったファンは、これを観て、時間は過ぎて戻らないことを認識して、心置きなく縁が切れるような儀式にすればいい。あれだけ役者を輩出しただけでもすばらしいことだし、そのくらい輩出するだけの個性があふれる劇団が長続きしたほうが奇跡なのだから、惜しむには当たらない。

<2011年12月3日(土)追記>

ひょっとして、この芝居って劇団である第三舞台の関係者間で起きたプライベートないろいろを元ネタにしているのかな。だとすると、スケールの小ささにもなっとくだし、男性陣の控えめだったり棒読みだったりする演技は今更こんなネタ蒸し返すなよという脚本演出家への抗議と読取れなくもない(たくましい女性陣はそんなものものともしない、とか)。

いや、いくらなんでも筧利夫のあれはないよな、ってのがずっと引っかかっていたんだけど、一人客演に招かれた高橋一生が、他より若いのも含めて、早くに亡くなった看板俳優の代役なのか、と考えたら、そこから全部ネタなんじゃないかと妄想してしまった。生きていれば喧嘩別れするのが世の常なんですけどね、早く死んだ人はいい思い出ばかりが残るのも世の常で。

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2011年11月14日 (月)

新国立劇場演劇研修所「ゼブラ」新国立劇場小劇場(若干ネタばれあり)

<2011年11月12日(土)夜>

両親が離婚し、母親の元で育てられた四人姉妹。長女と四女はすでに結婚して家を出ており、次女も間もなく結婚するため引越しの準備を進めている。が、母親が病気で入院して痴呆も進行してきたため、見舞いのために姉妹とその夫たちが集まっている中、病院から訃報が入る。

朗読でなく芝居で観たのは初めての演劇研修所公演(5期生)。すごい楽しみにしていた脚本で、鈴木裕美を演出に迎えての初舞台は、悪くはないんだけど、すごいこじんまりとまとまった印象。

観終わった今から考えても脚本のポテンシャルは高いと信じているんですが、それでこんな印象になった理由が今でもわからない。リズムが微妙にずれていたとは思うけど、2時間を切った上演時間で全体にそこまでずれていたとも思えない。葬式屋や次女の婚約者や四女の幼馴染は全体にやりすぎだけど、それは初演のときもそうだったからそれだけではない。鈴木裕美が初顔合せの役者に遠慮したか、そんな遠慮をする人間がここまで生き残っているわけがない。初演出の脚本家のノリをつかみ損ねたか、だとしたらこのレベルにも到達していないはず。

スタッフワークが原因か、むしろ秀逸。美術は初演とほとんど同じ構成なんですけど、天井の高い会場を生かして黒いすだれのかかった階段が用意されていて、回想場面で白い衣装を着た母親が階段を上って退場する場面が、照明と合わさって「ゼブラ」になる場面は白眉で(シマウマは死者が乗って天国に行くための聖なる動物、という台詞がこれより前にある)、母親が亡くなったことを表すのにあれ以上きれいな場面はない。あと最後の台詞「ばーか」の後の音楽は、何か聞き覚えがあるのに思い出せないんですけど、あの音楽なんですよね、あの音楽が合うようなラストにたどり着かないといけないと思わせる1曲。ほんと、スタッフは全力でお膳立てしていた。

だとすると役者の問題か。テンションが低い、エネルギーが足りない、迫力に欠ける、何と言ってもいいけど、おとなしすぎたんでしょうねきっと。おとなしいなりにレベルは揃っていて、だからこそ悪くはないという感想になったのでしょうけど、アンサンブルは長所をへこませるのではなくて、長所同士を合せてほしい。多少でこぼこでも、そこに長所があれば、それを拾ってアンサンブルに合せるのは演出家に任せてしまってもいいのだし。この人たちがどの程度芝居をやっていたのかは知りませんが、未経験であれだけできたら大したもの、だけど金を払いたいかと言われるとまだ。いい意味で気になる役者はひとりだけいましたけど、黙っておきます。

次回は12月に、演劇研修所副所長の西川信廣演出で岸田國士だそうです。この前文学座、16日から俳優座とただでさえ忙しい演出家ですから、時間が取れずにあの手ごわい脚本を相手にしたら惨敗するんじゃないかと心配ですが、研修生は小劇場よりむしろ新劇路線のほうが得意な可能性もあるので、判断は早まらないでおきます。

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