2018年9月21日 (金)

小田尚稔の演劇「聖地巡礼」@RAFT(ネタばれあり)

<2018年9月16日(日)夕>

大学時代の後輩の結婚式に呼ばれた女性が、青森まで出かける。ドレスの入ったかばんを高速バスに忘れたり散々だったものの、無事に結婚式は終わって、突然思いついた恐山への1日がかりの旅行を強行する。後輩は、先輩との思い出や夫との馴れ初めを語る。

これまでは行き詰った個人が、小さい、けど大事な希望を見つけるような展開につなげていた芝居だったけど、今回はより暗い方向に。トラブルはあったものの恐山の旅を満喫する先輩女性が観察する周囲の旅行客は、様子がただならない人ばかりで、供養を頼んだり、エリック・クラプトンのそっくりさんを見つけたり。一方で後輩女性には学生時代に知り合った夫とのエピソードで社会人になったばかりのころが一番幸せだったと語らせたり。クラプトンの自伝からも引用して、これだけ並べれば分かるだろという状態にして、最後に後輩から幸せな葉書が届いて、今後を暗示して終わる。引出物の風鈴の音を登山の杖につける鈴の音と重ねる見立てが効果的。

後輩女性が青森出身のはずなのにあまり青森に詳しくなさそうな様子とか、ドレスなしで結婚式に参加したはずの先輩女性の様子を描くのを端折るとか、この芝居なら語尾をもたつかせる台詞回しは減らしたほうがいいのではないかとか、ミラーボールの照明を音響が手伝うのはアイディアではあるけど回すのは諦めて転がした照明から照らせばいいのにとか、細かいところで瑕疵はある。けど観終わった感想として、こういう芝居は嫌いではない。暗い話が好きというのではなく、とにかく情報は出すけどつなげるのは客の頭の中でやらせる話。あと「聖地巡礼」とタイトルをつけたセンスも好き。使ったクラプトンの曲が有名すぎる(これまでも有名な曲を使うことが多い)のが難だけど、あの内容ならもう直球でしょうがないかとも思う。

ギャラリーを使った会場で、奥から外を見る形で客席を組んで、役者は正面入口と脇の通用口を使って会場外から出入りするという変則舞台。あれは雨のときはどうするつもりだったのだろう。観たのが夕方の回で外が明るかったため、通行人や車が目に入るのだけど、あれは通行人を恐山の幽霊に見立てたか。夜だともう少し怪しい雰囲気になったかも。

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2018年7月27日 (金)

新国立劇場主催「消えていくなら朝」新国立劇場小劇場

<2018年7月23日(月)昼>

東京に出て以来、初めて実家に帰った劇作家はバツイチ。一緒に連れてきた結婚するつもりの彼女は売れない女優。母は劇作家が子供の頃から宗教にのめり込んで父との仲は冷えて久しい。サラリーマンでこれもバツイチの兄や、父の会社で働く独身の妹もやってきて、十数年ぶりに家族が揃う。互いの立場への思いやりの欠如、仕事への無理解、母の宗教活動への遠慮が及ぼすよそよそしさなどが積もって罵りあいになる一晩の出来事。

これで芸術監督最後となる宮田慶子の演出作品は蓬莱竜太の家族体験に基づいたという新作。やりたいことをやっていていいよなという兄からの言葉や、売れていることがいいことではないのかという父からの言葉に返答が詰まったり、自分が言った言葉を否定する形で相手を貶めたり、いい意味で歯切れの悪さが出ている。反面、主人公以外の登場人物の日常や仕事についてはあまり描かれず。劇中の主人公に他の登場人物への想像力や理解が足りないのはよいけど、芝居を観ているこちら側にはもう少し想像する種を渡してほしい。家族の話だからと脚本の配慮で省いたのではなく、本当に知らなくて描けなかったのではないかと疑われる。

どこまでが実体験なのかはわからないけど、以前観た蓬莱竜太芝居に出演していたこともあり、宗教にはまりつつ恋愛もする母の造形は定期的に世間を騒がせる斉藤由貴がモデルなのかもと想像。この母の台詞の「誰もかまってくれなかったじゃない」が山場。互いの無関心の行き着いた果てのひとつを描いた芝居とも受取れる。演出がかなりフラットというか、よけいな脚色抜きで脚本を立上げるようにした結果、終わってみるととてもちっぽけな家族の話に着地したのが不満。ただその分、身近な問題をきっちり描いた感触も残って、良し悪し半々。平日で客席の年齢層が高かったためか、客席はしっかり受取っていた印象が強い。

主人公を演じた鈴木浩介の絶妙な上から目線加減と、そこまで多くない台詞で父親の微妙な立場を表した高橋長英が好印象。

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2018年6月 4日 (月)

新国立劇場主催「ヘンリー五世」新国立劇場中劇場

<2018年6月2日(土)夜>

父の後をついで即位したヘンリー五世は、祖父の権利を行使するとしてフランス王に領土を渡すよう要求する。それを拒否したフランス王は内通者を仕立ててイギリス軍を害しようとするが、事前に察知したヘンリー五世は内通者を処分する。かくしてフランスに侵攻したイギリス軍とフランス軍との戦いが始まる。

出征する兵士の場面や、戦いの前夜にヘンリー五世が兵士を見回る場面などで多少のアクセントはあるものの、戦争予告で始まり、戦争して条約締結で終わるというびっくりするほど単純な芝居。新国立劇場のシェイクスピア王家話シリーズとして実力派メンバーが大勢続投しているけど宝の持ち腐れ。それでいいのかシェイクスピアと言いたくなるし、ここまで後回しにされた理由も納得。

ヘンリー五世を演じた浦井健治がとてもさまになっていたのと、横田栄司の役作りとアドリブで客席をわかせたのが救い。鈴木瑞穂が体調不良で降板していたのは残念。「ヘンリー四世」から再利用された美術は見通しがよくて高さも使えて万能かもしれないけど今後もシェイクスピアをやるなら新しい美術希望。

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2018年5月 4日 (金)

新国立劇場主催「1984」新国立劇場小劇場

<2018年4月30日(日)昼>

世界が3つの国に分かれた世界。主人公の属する国では「ビッグブラザー」による管理が行き届いており、国民の行動と思想を監視してから数十年が経過している。公務員の主人公は「ビッグブラザー」から合わないと判断された人間を過去の記録や写真から抹消していなかったことにするのが仕事である。それが行き過ぎていったい今がいつなのかもわからなくなった主人公は、監視カメラから隠れて禁止された日記をつけ始める。ある日、食堂で職場の女性から偶然を装って手紙を渡される。国に忠実を誓っているように見えた女性が実はそうではないと知り、2人は愛し合うようになる。それが犯罪とされていることを知りながら、監視カメラのない民間人の部屋を借りて2人は逢瀬を重ねていたが・・・。

原作の小説は読んでいて、あの長いディストピア物語のどこを芝居にまとめるのかと思ったら後半重視。若干の希望は足しているけど、観て楽しくなる芝居ではなく、現実が小説を追越したかどうかという今の社会を見つめたい人向けであり、洗練された舞台が好きな人向け。

いろいろなインタビューで「あの長い小説をよくここまでまとめた」ってコメントが多かったけど、小説を読んだ身としてはまとめきれていないという感想。2時間に収めるにはしょうがないけど、今がどんな監視社会なのかを説明する前半がものすごい駆足。職場の女性から手紙をもらうまでや、上層部のオブライエンから声を掛けられるまでや、古道具屋の主人との会話など、対人関係に警戒する様子や警戒せざるを得ない背景を小説では丁寧に語っているところ、そこはだいぶ端折っているので展開が唐突。その代り後半のきつい場面がきっちり入っている。

このきつい芝居がきつい内容に集中して観られるのは洗練された演出とスタッフワークの賜物。映像とライブカメラを組合せた展開や、スムーズに切替わる舞台美術、芝居によって差が出がちな衣装をきっちり押さえている。照明が珍しい印象だったのは客席側からの明かりをほとんどつかわないせいで、あれが舞台側の箱をきっちり形どってシャープな印象を与えるだけでなく、きつい場面で客席を巻込むための布石にもなっている。音響だけ、悲鳴の効果音が嫌だったのだけど、効果を考えると狙い通りか。このくらい丁寧にやらないと成立しないラインを軽々とクリアしているのはさすが新国立劇場の主催公演。

主人公の井上芳雄は熱演。上層部のオブライエン役を大杉漣の代役となった神農直隆が好演していて、M.O.P.で観たことあったかと調べなおす始末。個人的にはともさかりえに一番期待していたのだけど、演出の希望か洗練が行き過ぎていて、もうひと踏張り野性味がほしかった。

いちおうラストで希望が見えるような枠組みに収めていた脚本だけど、人間は非力なものだと観客に思い知らせるところは小説と同じなので、体調を整えてから観に行きましょう。

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2018年4月24日 (火)

小田尚稔の演劇「凡人の言い訳」新宿眼科画廊スペースO(若干ネタばれあり)

<2018年4月21日(土)夜>

大学から東京に出てきた女性。アルバイトをしながら仕事を探すため、オーバードクターとして大学に籍を置き、大学の寮に暮らしている。アルバイト先への通勤電車で痴漢を見つけても何も言えず、同じ寮に住む留学生の友人にはその気がないのに言い寄られる。そんなある日、全然帰っていない実家の母から、祖父が亡くなったと連絡があり、急ぎ実家に帰る。

女性主人公の一人芝居で約100分、ダブルキャストで観たのは宇都有里紗の回。東久留米の国際学生寮ということで検索したら東京学芸大学が背景か。平凡な日々に埋もれそうになる凡人が新たに前向きになるまでの話。誤解を恐れずに言えば前回前々回と同じ展開。それなら気に入ってもよさそうなものだけど今回はだいぶ様子が違う。

脚本に違和感があって、何だろうと考えていたのだけど、話の抜きだし方が合わなかった。主人公の日常からイベントがあってまた戻って最後まで約3ヶ月。それを100分でやるのだから省略は必要なのだけど、そこから最後、急転直下で前向きになってしまう主人公。大きい出来事よりは、小さい、細かい出来事を積上げてラストに向かっていた前回や前々回より、よく言えば省略がきいているけど、ちょっとこれは急すぎる。時間の感覚も納得いかなくて、広島行き最終ののぞみで着いたら葬式が終わるところ(通夜?)って日付が変わっているだろうにそんな遅くまでやっているのかとか、冬の話のはずなのにちょっと暖が足りなそうな衣装とか。

あと一人芝居にしては導線や位置関係の想定が雑。横に長く取った舞台なのであのくらい動かないと空間が埋まらないのかもしれないけど、そこでそんなに動けるかとか、それはさっき向こうにあったのではないかとか。最初からそこで説得力を出すつもりはなかったのか、ダブルキャストで稽古時間が足りなかったのか。でも細部重要。移動中の場面とか、祖父が亡くなったことを伝えて友人に抱きしめられる場面とか、いろいろよい場面もあったのだけど、それも違和感に押し流された。

公式サイトによれば2本目のオリジナル脚本ですでに四演目のようだけど、それにしては脚本演出ともブラッシュアップの余地が大きいのではないか。

<2018年4月24日(火)追記>

エントリーを書いてからさらに考えたのだけど、「話の抜きだし方が合わなかった」のではなくて「この脚本で本来描かれるべき何かを意識的にか無意識的にか隠していた」からではないかと考えを改めた。なまじ一人で100分持たせられる役者が上手に演じたことで、脚本の違和感が立上がってしまったしまったのではないか。

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2018年3月31日 (土)

劇団青年座「砂塵のニケ」青年座劇場

<2018年3月29日(木)夜>

大会社の創業家に生まれた女性。母は昔から仕事で忙しくほとんど家におらず、父については一晩の行き摺りの男で名前も知らないと教えられて育つ。そんな母への反発から美術修復家の道を進むが、不倫相手の子供を中絶した挙句に自殺未遂を計る。そんな中、一家と長年付合い美術修復家の道を世話した画廊の社長から、一枚の絵の修復を持ちかけられる。かつて画廊が目を掛けていたが早くに亡くなった画家が、最後まで持ち歩いていたパリの風景画だという。画廊の手配で画家がかつて住んでいたパリの部屋に暮らし、画家の手がかりを探しながら修復を手がける。

青年座劇場はこれで建替えるとのことなので一度くらいはと観劇。化粧品会社を買収する上場企業の創業家の母娘で美術に理解がある、とかポーラ化粧品とポーラ美術館を想像する設定。これでもかと分かりやすく展開してくれる芝居としては珍しい脚本で、面白いことは面白かったのだけど、説得力に欠けたのが残念な1本。

先によかった点を挙げておくと、現在と過去のパリの場面。画家の綱島郷太郎、管理人の山野史人、プロフェッサーの松川真也、先輩修復家の野々村のんなど、観ていて芝居世界が広がる演技で、こんなに芸達者な役者をまだ認識していなかったことが悔やまれる役者陣。そこに自由さを感じさせる雰囲気と、登場人物や重なる場面による展開で、特にアパートの舞台が重要なのだけど、回り舞台を駆使して遺跡の柱を混ぜつつもアパートの部屋に仕立ててこれを成立させた舞台美術の功績大。これが展開できるのだから自前の劇場としては贅沢。

残念なのは現在の場面の、特に母娘。増子倭文江は昔のパリの場面での出来がよかった分だけ現在の場面が追いついていない。創業家の娘にして上場企業で海外の化粧品会社まで買収するような大企業の社長らしさを感じられる場面がなかった。ずいぶん時間に融通が利きそうな印象だったけど、創業者の娘だとしてもそれはない。脚本だけど、いまどき買収の記者会見に社員でもない娘を同席させるとかありえない。あと主役の娘を演じた那須凜。劇団の育成方針か演出家の賭けか、抜擢らしいけど仕上がりは追いつかず。大企業の創業家に生まれて父の不在に悩む面、不倫相手の子供を中絶して自殺未遂を起こす面、美術の道に進みたいと言う程度には美術への興味もあこがれも審美眼も持っている点、そもそも脚本の時点で全部そろえるのはかなり無茶な設定だけど、その無茶に説得力を持たせるのが主役の仕事。周りに芸達者が揃っていた分だけつらいものがある。

あと脚本の分かりやすさも、芝居ならもう少し不親切にしてもよかったのでは。サインの話が出てきたら次の場面で鍵となるサインが見つかるとか、詩の朗読場面の次に詩の本が出てくるとか、写真が見つかるホテルは島にひとつしかないホテルとか、情報の提示はもう少し離してほしいところ。テレビドラマだとそういう提示が求められるのかもしれないけど、芝居でそれをやられると侮られた気分になる。他にもう少し主役を主役らしくさせてあげればというか、例えばサインをみたらこれは誰それとか言わせるような工夫もほしかった。

母娘の対立と、母と娘とそれぞれのロマンチックな話と、本筋の面白さはわかるので、脚本を見直して再演してほしい1本。

<2018年4月2日(月)追記>

多少単語を変更。あと松川真也演じるプロフェッサーがニケの歴史を説明する場面について下書きからのコピーミスで落ちていた。客席をルーブル観光のツアー客に見立てて解説させるのは、タイトルにもなっているニケについての知識を観客に伝えるためのよいアイディアだったし、この登場人物がルーブルのバックヤードに出入りしていてプロフェッサーというあだ名で呼ばれるだけのことはあるという説得力につながっていた。なによりニケ好きとしてはもう一度聞きたくなるくらいよい出来の場面だったことはぜひ記録しておきたい。

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2018年1月24日 (水)

パルコ/兵庫県立芸術文化センター共同製作「テロ」紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

<2018年1月20日(土)夜>

飛行機がハイジャックされて満員のサッカースタジアム目掛けて自爆テロを試みた。緊急発進した空軍の戦闘機の警告も無視し、国防長官はそれ以上の攻撃命令を下さない。とっさの判断で戦闘機のパイロットはミサイルで飛行機を撃墜、テロリスト以外に乗客乗員164名全員が死亡した。この行動で訴追されたパイロットおよび検察官、弁護士、証人たちを巡り、観客が有罪無罪を判決する裁判劇。

神野美鈴の検察官と橋爪功の弁護士とが被告の有罪無罪を巡って繰広げる実にスリリングな会話劇。裁判長の今井朋彦が出す説得力がさすがで、この芸達者揃いの中でも一番よかった。3時間の長丁場も苦にならない納得の仕上がり。すごくいい。

観客席を陪審員席に、観客を陪審員に見立てて進むドイツの裁判所が舞台の裁判劇(劇中では「参審員」と呼んでいた)。1幕で証人尋問と被告の陳述、2幕で検察官と弁護士の弁論、この後の休憩で観客が実際に有罪か無罪かに投票し、短い3幕目は投票結果で有罪無罪を決定して内容が変わる仕組。裁判長役の今井朋彦が(脚本通りとは言え)相当丁寧に進行して、投票方法も説明してくれるので観ていればわからなくなることはない。その点は心配無用。

1幕が終わった時点で裁判長から休廷が知らされて、普通なら役者が退場するのを待って客席も動き出すところ、それを待たずにいっせいに客席が動き出したところなど、現実の出来事のよう。すっかり観客を参審員として巻き込んだ手際はさすが。

つまらない結論にならないように外堀を埋めて、お互いの言い分を存分に語らせて、理屈も感情論も大いに出して、脚本は実に精緻。その上で検察官と弁護士の最終陳述させるけど、お互いの主張に少しずつ突っ込みどころを用意して観客を揺らすあたり芸が細かい。ちなみに毎回の投票結果は公式サイトで公表されていて、観た回は有罪166対無罪225で無罪だったけど、見てもらえばわかるように僅差の回が多い。自分がどちらに投票したかは内緒。

何となく、神野美鈴と橋爪功が細かい仕草や言い回しで(相手に押し付ける形で)票を誘導している気配があったけど、そんなことは気にせずに投票するべし。これは観てもらえばわかるけど、最初に有罪無罪の先入観があっても本当に悩む。大御所を揃えながら地味に徹したスタッフワークにもこっそり拍手。票数で集客がわかってしまうけど平日は余裕、休日も開演前に並べば買えるから、観てみてほしい。

これと「アンチゴーヌ」が両方パルコの絡んだプロデュースなんだから、劇場がないのにむしろ張りきっている。どちらも今の日本にぴったりな決断に絡む芝居で、新年早々こんな社会派のラインナップを並べてしかも観て堪能できる芝居に仕上げたパルコ(とこちらは兵庫県立芸術文化センターも)に拍手。

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2018年1月16日 (火)

パルコプロデュース「アンチゴーヌ」新国立劇場小劇場

<2018年1月13日(土)夜>

2人の息子と2人の娘を残したオイディプス王の亡き後、息子たちが王位を交代で務めて治めてきた古代ギリシャの都市国家テーバイ。だが2人の息子が王位を巡る争いで戦争を起こし、刺し違えて亡くなる。代わりに王位についたオイディプス王の義弟クレオンは、甥である兄弟のうち、弟を反逆罪として遺体を野ざらしにした。遺体を弔うものには死刑を命ずる法を発行したが、オイディプス王の末娘であるアンチゴーヌが埋葬の儀式として土をかけて、見張りの兵士に見つかってしまう。アンチゴーヌを救いたい王クレオンは今回の処置の意義を言葉を尽くして説明するが、兄を弔うことに咎めるところのないアンチゴーヌは真っ向から反論する。

ジャン・アヌイ作の古代ギリシャを舞台にした翻訳劇。新年早々パルコの割に地味な演目と思ったらとんでもない。個人が自分の信ずるところを行なう信念と、国の平和を願って個人の意見を飲みこんで汚い仕事を推し進める信念とがぶつかり合う言論劇。対立する両者に肩入れしたくなる大人の芝居。現代風の衣装と音楽に、荘厳さを思わせる照明と十字舞台を切って、大昔の設定なのに現代にも通じる、なかなか観られない出来。

蒼井優演じるアンチゴーヌが小さい身体からほとばしる感情を全力で訴える姿と、生瀬勝久演じるクレオンが大きい身体に秘めた繊細な心を除かせながら脅したり宥めたりして説得に努める姿との対比でキャスティング大成功。持っているカードを最初から切っていくアンチゴーヌと切札を使わないで済ませたいクレオンとの勝負とも言える。中盤はほぼ蒼井優と生瀬勝久の一騎打ちで、蒼井優も相当頑張ったけど生瀬勝久が圧倒的によい。他の役者も設定背景を膨らませるのに貢献。ここまで役者の力を引張りだした栗山民也の演出手腕はさすが。

当日券が2階席しか売っていなかったけど1列しかないので距離も近く俯瞰もできるので十分楽しめる良席。十字に切った舞台の、いつもの使い方の手前から奥に伸びる通路がメイン舞台。十字の見切れの範囲は意識してある程度外してくれるしネットでぎりぎりまで見えるよう、最初から座席下にタオルケットを用意する配慮ぶり。1階席は客席通路まで乱入してくれていたので臨場感抜群。

値段は高いけど奮発した芝居も観ておくものだと言いたくなる芝居。

<2018年1月26日(金)>
速報を清書。

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シス・カンパニ―企画製作「近松心中物語」新国立劇場中劇場(ネタばれあり)

<2018年1月13日(土)昼>

元禄時代の上方、新町の遊郭。落とされた手紙を拾って送り主に届けに来た飛脚屋。普段は遊郭に寄付きもしない固い男だが、届けた先の店で働く遊女梅川に一目惚れし互いに恋に落ち、通い詰める。一方飛脚屋の幼馴染で道具屋の従妹と結婚した婿養子は、商売下手ゆえ姑と折合いが合わず連日遊郭に泊るが、夫に惚れて心配する娘を案じる姑が自ら連れ戻しに来る始末。ある日、裕福な商家の旦那による梅川の身請話が持上がるが、飛脚屋の養子には身請けできるような金の持ち合せはない。思い余って相談された道具屋の幼馴染は、相談なしに店の金蔵をこじ開けて手付けの金を貸してしまう。

タイトル通り最後は両方のカップルが心中になる。筋立てはシンプルを通り過ぎて雑じゃないかという不思議な脚本。成立させるには役者スタッフ総動員が必要だと思うのだけど今回は失敗。

梅川役の宮沢りえが真っ向勝負で最高にいい出来に持ってきて、飛脚屋の堤真一も悪くなかったけど、道具屋の池田成志と小池栄子の2人を最後までコメディ要素強めにしたため、緊張感が台無し。確かにふざけた展開の2人ではあるけど心中の場面までコメディになってしまいやり過ぎた。飛脚屋仲間の市川猿弥や姑の銀粉蝶もよかっただけにもったいない。あと多数の場面転換をこなすために劇団☆新感線でよく観るような骨組みだけの箱を使っていろいろな店の内外を作っていたのだけど、劇場の広さに対して柱が細すぎたせいか華奢な印象になってしまったのと、上側がスカスカな印象と、悪い感じが目立った。

全体には、正面からぶつかったほうがよい脚本にずらした体で臨んだいのうえひでのりの演出判断ミス。あそこまで仕上がっていた宮沢りえがもったいない。

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2017年12月13日 (水)

新国立劇場制作「かがみのかなたはたなかのなかに」新国立劇場小劇場(ネタばれあり)

<2017年12月9日(土)朝>

海兵である「たなか」は、出発待機の間、海辺の部屋で暮らしている。この部屋で過ごしていると、やや不真面目な「かなた」が現れて、鏡合わせに暮らしだす。ある日、話し相手のほしくなった「たなか」がピザの配達員の「こいけ」を部屋に連れ込むと、鏡合わせの向こう側には「けいこ」が現れる。ごついのに自信満々であつかましい「こいけ」と、きれいなのに卑屈な「けいこ」を巡って、「たなか」と「かなた」が恋の鞘当を始める。

キャスティングはよくぞこの組合せが集まったという4人。子供向けの話で鏡合わせのダンスを見せて楽しませるこっけいな話、かと思いきや、「こいけ」を邪険にして「けいこ」の取合いから不穏な話に。「こいけ」のいなくなった「けいこ」が、紆余曲折を経た挙句身動きが取れなくなる展開は、いかに自己評価を高くするか、いかに無条件で自己肯定を強く持つか、という心理学の問題を絵本的な物語で描く。子供向けと銘打っているけど十分大人向け、むしろ大人メインでもいい芝居で、自己評価の低いところがある自分にとっては好みの分野。物語だけならごく単純な内容で上演も1時間半を切っているのに、観終わって十分だった感じるのは、こちらが気付いていない工夫や洗練を凝らしているからだと推測。

鏡合わせという設定の割りにそこまで細かくあわせようとしていない動きがやっぱり興味深い。首藤康之はやっぱり一番動きが大きくてきれい。じゃあ近藤良平が見劣りするかというと、説明が難しいけど動きに愛嬌というか色気みたいなものがあって、これはこれで別の魅力がある。でも何といってもきれいなのが松たか子で、単純に見目麗しいし、日舞で鍛えているのかそこまで激しい動きではないけどダンスも負けていないし、あと裾の長い衣装の捌き方が上手なのはさすが。ちなみに松たか子は微妙にお仕事だから頑張っています感の残った演技をするのだけど、それが困っている感じの役をやらせたときには妙なはまり方をして目を引かずにはいられない不思議な役者。長塚圭史は最初からきれいに見せない役どころだから動きは割愛するけど、でも台詞はさすが役者も長くやっているだけあって確かなもの。

再々演があったとして、このメンバーでもう一度かというとさすがに集まらなさそうなので、興味がある人は今回観ておいたほうが吉。日によっては朝公演があるので、そこから他の芝居の昼公演に流れると1日が有効活用できる。

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