2018年10月20日 (土)

新国立劇場主催「誤解」新国立劇場小劇場

<2018年10月20日(土)昼>

ヨーロッパの片田舎で使用人をおいて小さな宿を経営する母娘。父は亡くなり息子は20年前に出奔したきり。いつか海と太陽の町に引越すことを夢見て、裕福な独り客を殺害しては金品を強奪している。そこへ仕事で成功し結婚もした息子が帰ってくるが、母娘は気がつかない。それを見た息子は、名乗り出る言葉が浮かぶまで独り客として泊まりたいと妻を説得し、妻を近隣のホテルに返して自分は偽名で宿に泊まる。疲れたので今回は殺害を見送りたいという母に対して、これを見逃す手はないと説得する娘。

公演も終わったしそこはネタばれしてもいいから書くけど、結局殺害してしまい、その後で息子の身元がわかる。この殺害をはさんで、息子の身元が分かってから、母の絶望と、絶望する母に絶望する娘の圧倒的な台詞が繰広げられる。母を助けるために若い時期を田舎町で過ごして、それが海と太陽の町への憧れを経て、歪んだ動機を生んでしまう娘。娘しか頼る家族がいないばかりに娘を田舎町に縛りつけてしまっているが、その負い目から娘の殺人を手伝うようになってしまった母。どちらが先かわからない入れ子の依存関係から、息子の身元に気がついた瞬間に母は目が覚めるが、そこで突然置いてきぼりにされたことに気がついて母を詰る娘。

展開だけ観たら救いようのない話だけど、母娘の言い分に理解できるところ多数。殺人ほど大げさではないにしても、こういう親子関係を他人事とは思えない家族は現代日本には多いのではないか。あと、民衆と国家と山、という台詞があったけど、初演が1944年で第二次世界大戦中だった痕跡か。その時代の閉塞感も、残念ながら今の日本に近い気がする。

原文なのか翻訳なのか、独特な言い回しの多い脚本だったのも特徴的。これが「台詞に生理が同調するような台詞術の役者だとまだるっこしくていえないような台詞だが、作られたリズムを楽しめる役者だと大丈夫」な台詞の例なんだろう。少なくとも原田美枝子と小島聖は完璧に消化していた。母の原田美枝子の柔らかさと疲れとの混ざり具合も絶妙だったけど、娘の小島聖の、他人への頑なな態度で始まる前半から、母を詰る場面から絶望を語る場面が圧巻。長台詞をものともしないテンションで絶望を台詞で紡いで、代表作といってもいい仕上がり。あれだけ言われたらおもわず納得させられてしまう迫力。あと使用人役は最後に二言しか台詞がないけど、それを演じる小林勝也の存在感が素晴らしい。やっぱり神様とか運命という裏設定だったのか、普段なら無駄遣いと書くところだけど、あの立って見つめているだけで格好になる雰囲気は若い役者には出せないし、おもわぬ軽い動作もいい。息子の水橋研二は、人心を軽く見ること甚だしくて、あれは殺されてもしょうがない(笑)という意味で好演。その妻の深谷美歩だけ、今回台詞が身につかずに苦戦。

スタッフワークは安心の新国立劇場レベルだけど、シンプルな舞台に適度な透過度の大布を駆使して場面を転換した美術と、国籍がヨーロッパにも日本にも見える衣装を取上げておく。一言で言えば成功の部類で、この重たい話を真正面から取上げた演出家の稲葉賀恵の勝利。

<2018年10月22日(月)追記>

速報を清書。

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パラドックス定数「蛇と天秤」シアター風姿花伝

<2018年10月13日(土)昼>

大学病院の医師にして準教授が、若手の医師と一緒に翌日の公開講座の練習を行なっている。そこに製薬会社の営業担当と、制止を振りきって製薬会社の研究員が乗り込んでくる。半年前に8人の若い患者が亡くなり、その製薬会社の看板薬が理由だと決め付けた論文を準教授が発表したが、他の病院ではそのようなことにはなっていないため、何度目かの「話し合い」に来たのだった。ちょうど時間の空いていた医師は応対しようといい、立場が弱いはずの営業員もいつになく食い下がる。

それぞれ手持ちの隠していた情報を少しずつ出すごとに、製薬会社3人医師3人の立場と意見が目まぐるしく入替わるスリリングな展開は、脚本のお手本にしたくなる。名作になりそうなところ、そこでその台詞はないだろうがひとつ、その台詞を流すなよがひとつで、観ているこちらのトーンが下がって佳作に留まる。

前者は「お金は理想と現実の交差点」という、出典があるなら教えてほしい名台詞なのだけど、それを発言した人物はクレバーなので、そのとき開示されていた情報からどれだけ衝撃を受けていたとしても、その後の振舞を見ても、このタイミングでそんな発言しないだろうという違和感。後者は「案外簡単にできるんだよ」という台詞だけど、そんな簡単に出来るわけないだろうという突込みがほしかった。脚本でいえば傷はこの2箇所だけで、前者の台詞が出てくるまではものすごく食いついて観ていたのだけど、こういう緻密な脚本だと傷2つだけでも影響が大きい。

手元の当日パンフがすぐに出てこないけど、役者では医者側の講師役だったアフリカン寺越と、営業担当は阿岐之将一だったか。この2人の、言いたいことは山ほどあるけど話合いを穏便に収めるために何とかしようとする感じが緊張感を切らせないでよかった。逆に研究員の1人の宮崎吐夢と準教授医師の横道毅は、まだまだやれることあっただろうという印象。

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2018年9月26日 (水)

シス・カンパニー企画製作「出口なし」新国立劇場小劇場

<2018年9月23日(日)昼>

扉がひとつだけで窓もなく、椅子と明かりとささやかな調度品だけが置かれた部屋に、3人の男女が連れられて来る。一度閉まると扉は内側から開かない。どうやら死んだ魂が案内されてきたようだが、なぜ集められたのかがわからない3人は、互いに自己紹介しながらその理由を探っていく。

こういう芝居だと大竹しのぶが俄然映える。ねちっこい台詞回しもそうだけど、多部未華子に迫るときのあの興奮の仕方の危なさがすごい。その向こうを張る段田安則は「ヘッダ・ガブラー」もそうだったけど、あの声は悪い場面に実に似合う。多部未華子は見とれるような完璧な横顔で綺麗なだけではない綺麗どころの役を熱演。「オーランドー」より出ていた声がよい感じだけど、発声お化けの2人に対抗するにはあと一歩。

観終わって、これだけ密度が高い芝居なのに80分しか経っていなかったのがまず驚き。世の中の芝居は長すぎる。結構激しい言葉が飛交っていたけどそれでいて全然台詞が立っていなかったのがまた驚き。あの台詞を全部消化して自分のものにしていたってこと。その後ろには翻訳含めてここまで整理した演出の腕があるだろうとは推測がつく。理屈が必要とされる西洋芝居の演出が小川絵梨子は本当に上手い。

ちなみに三度目の正直でようやく当日券を入手。人気者が出るにはせまい劇場なので当日券の枚数が少ないことはしかたないにしても、並んだ順の当日券販売でキャンセル発券ゼロ枚は長い当日券歴でも史上初の経験。キャンセル待ち番号すらもらえずに説明で事前に帰される人が10人以上。同じシス・カンパニーの「子供の事情」とは規模が違うけど、それでも毎回抽選にしたほうがよかったのではないか。

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2018年9月21日 (金)

小田尚稔の演劇「聖地巡礼」@RAFT(ネタばれあり)

<2018年9月16日(日)夕>

大学時代の後輩の結婚式に呼ばれた女性が、青森まで出かける。ドレスの入ったかばんを高速バスに忘れたり散々だったものの、無事に結婚式は終わって、突然思いついた恐山への1日がかりの旅行を強行する。後輩は、先輩との思い出や夫との馴れ初めを語る。

これまでは行き詰った個人が、小さい、けど大事な希望を見つけるような展開につなげていた芝居だったけど、今回はより暗い方向に。トラブルはあったものの恐山の旅を満喫する先輩女性が観察する周囲の旅行客は、様子がただならない人ばかりで、供養を頼んだり、エリック・クラプトンのそっくりさんを見つけたり。一方で後輩女性には学生時代に知り合った夫とのエピソードで社会人になったばかりのころが一番幸せだったと語らせたり。クラプトンの自伝からも引用して、これだけ並べれば分かるだろという状態にして、最後に後輩から幸せな葉書が届いて、今後を暗示して終わる。引出物の風鈴の音を登山の杖につける鈴の音と重ねる見立てが効果的。

後輩女性が青森出身のはずなのにあまり青森に詳しくなさそうな様子とか、ドレスなしで結婚式に参加したはずの先輩女性の様子を描くのを端折るとか、この芝居なら語尾をもたつかせる台詞回しは減らしたほうがいいのではないかとか、ミラーボールの照明を音響が手伝うのはアイディアではあるけど回すのは諦めて転がした照明から照らせばいいのにとか、細かいところで瑕疵はある。けど観終わった感想として、こういう芝居は嫌いではない。暗い話が好きというのではなく、とにかく情報は出すけどつなげるのは客の頭の中でやらせる話。あと「聖地巡礼」とタイトルをつけたセンスも好き。使ったクラプトンの曲が有名すぎる(これまでも有名な曲を使うことが多い)のが難だけど、あの内容ならもう直球でしょうがないかとも思う。

ギャラリーを使った会場で、奥から外を見る形で客席を組んで、役者は正面入口と脇の通用口を使って会場外から出入りするという変則舞台。あれは雨のときはどうするつもりだったのだろう。観たのが夕方の回で外が明るかったため、通行人や車が目に入るのだけど、あれは通行人を恐山の幽霊に見立てたか。夜だともう少し怪しい雰囲気になったかも。

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2018年7月27日 (金)

新国立劇場主催「消えていくなら朝」新国立劇場小劇場

<2018年7月23日(月)昼>

東京に出て以来、初めて実家に帰った劇作家はバツイチ。一緒に連れてきた結婚するつもりの彼女は売れない女優。母は劇作家が子供の頃から宗教にのめり込んで父との仲は冷えて久しい。サラリーマンでこれもバツイチの兄や、父の会社で働く独身の妹もやってきて、十数年ぶりに家族が揃う。互いの立場への思いやりの欠如、仕事への無理解、母の宗教活動への遠慮が及ぼすよそよそしさなどが積もって罵りあいになる一晩の出来事。

これで芸術監督最後となる宮田慶子の演出作品は蓬莱竜太の家族体験に基づいたという新作。やりたいことをやっていていいよなという兄からの言葉や、売れていることがいいことではないのかという父からの言葉に返答が詰まったり、自分が言った言葉を否定する形で相手を貶めたり、いい意味で歯切れの悪さが出ている。反面、主人公以外の登場人物の日常や仕事についてはあまり描かれず。劇中の主人公に他の登場人物への想像力や理解が足りないのはよいけど、芝居を観ているこちら側にはもう少し想像する種を渡してほしい。家族の話だからと脚本の配慮で省いたのではなく、本当に知らなくて描けなかったのではないかと疑われる。

どこまでが実体験なのかはわからないけど、以前観た蓬莱竜太芝居に出演していたこともあり、宗教にはまりつつ恋愛もする母の造形は定期的に世間を騒がせる斉藤由貴がモデルなのかもと想像。この母の台詞の「誰もかまってくれなかったじゃない」が山場。互いの無関心の行き着いた果てのひとつを描いた芝居とも受取れる。演出がかなりフラットというか、よけいな脚色抜きで脚本を立上げるようにした結果、終わってみるととてもちっぽけな家族の話に着地したのが不満。ただその分、身近な問題をきっちり描いた感触も残って、良し悪し半々。平日で客席の年齢層が高かったためか、客席はしっかり受取っていた印象が強い。

主人公を演じた鈴木浩介の絶妙な上から目線加減と、そこまで多くない台詞で父親の微妙な立場を表した高橋長英が好印象。

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2018年6月 4日 (月)

新国立劇場主催「ヘンリー五世」新国立劇場中劇場

<2018年6月2日(土)夜>

父の後をついで即位したヘンリー五世は、祖父の権利を行使するとしてフランス王に領土を渡すよう要求する。それを拒否したフランス王は内通者を仕立ててイギリス軍を害しようとするが、事前に察知したヘンリー五世は内通者を処分する。かくしてフランスに侵攻したイギリス軍とフランス軍との戦いが始まる。

出征する兵士の場面や、戦いの前夜にヘンリー五世が兵士を見回る場面などで多少のアクセントはあるものの、戦争予告で始まり、戦争して条約締結で終わるというびっくりするほど単純な芝居。新国立劇場のシェイクスピア王家話シリーズとして実力派メンバーが大勢続投しているけど宝の持ち腐れ。それでいいのかシェイクスピアと言いたくなるし、ここまで後回しにされた理由も納得。

ヘンリー五世を演じた浦井健治がとてもさまになっていたのと、横田栄司の役作りとアドリブで客席をわかせたのが救い。鈴木瑞穂が体調不良で降板していたのは残念。「ヘンリー四世」から再利用された美術は見通しがよくて高さも使えて万能かもしれないけど今後もシェイクスピアをやるなら新しい美術希望。

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2018年5月 4日 (金)

新国立劇場主催「1984」新国立劇場小劇場

<2018年4月30日(日)昼>

世界が3つの国に分かれた世界。主人公の属する国では「ビッグブラザー」による管理が行き届いており、国民の行動と思想を監視してから数十年が経過している。公務員の主人公は「ビッグブラザー」から合わないと判断された人間を過去の記録や写真から抹消していなかったことにするのが仕事である。それが行き過ぎていったい今がいつなのかもわからなくなった主人公は、監視カメラから隠れて禁止された日記をつけ始める。ある日、食堂で職場の女性から偶然を装って手紙を渡される。国に忠実を誓っているように見えた女性が実はそうではないと知り、2人は愛し合うようになる。それが犯罪とされていることを知りながら、監視カメラのない民間人の部屋を借りて2人は逢瀬を重ねていたが・・・。

原作の小説は読んでいて、あの長いディストピア物語のどこを芝居にまとめるのかと思ったら後半重視。若干の希望は足しているけど、観て楽しくなる芝居ではなく、現実が小説を追越したかどうかという今の社会を見つめたい人向けであり、洗練された舞台が好きな人向け。

いろいろなインタビューで「あの長い小説をよくここまでまとめた」ってコメントが多かったけど、小説を読んだ身としてはまとめきれていないという感想。2時間に収めるにはしょうがないけど、今がどんな監視社会なのかを説明する前半がものすごい駆足。職場の女性から手紙をもらうまでや、上層部のオブライエンから声を掛けられるまでや、古道具屋の主人との会話など、対人関係に警戒する様子や警戒せざるを得ない背景を小説では丁寧に語っているところ、そこはだいぶ端折っているので展開が唐突。その代り後半のきつい場面がきっちり入っている。

このきつい芝居がきつい内容に集中して観られるのは洗練された演出とスタッフワークの賜物。映像とライブカメラを組合せた展開や、スムーズに切替わる舞台美術、芝居によって差が出がちな衣装をきっちり押さえている。照明が珍しい印象だったのは客席側からの明かりをほとんどつかわないせいで、あれが舞台側の箱をきっちり形どってシャープな印象を与えるだけでなく、きつい場面で客席を巻込むための布石にもなっている。音響だけ、悲鳴の効果音が嫌だったのだけど、効果を考えると狙い通りか。このくらい丁寧にやらないと成立しないラインを軽々とクリアしているのはさすが新国立劇場の主催公演。

主人公の井上芳雄は熱演。上層部のオブライエン役を大杉漣の代役となった神農直隆が好演していて、M.O.P.で観たことあったかと調べなおす始末。個人的にはともさかりえに一番期待していたのだけど、演出の希望か洗練が行き過ぎていて、もうひと踏張り野性味がほしかった。

いちおうラストで希望が見えるような枠組みに収めていた脚本だけど、人間は非力なものだと観客に思い知らせるところは小説と同じなので、体調を整えてから観に行きましょう。

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2018年4月24日 (火)

小田尚稔の演劇「凡人の言い訳」新宿眼科画廊スペースO(若干ネタばれあり)

<2018年4月21日(土)夜>

大学から東京に出てきた女性。アルバイトをしながら仕事を探すため、オーバードクターとして大学に籍を置き、大学の寮に暮らしている。アルバイト先への通勤電車で痴漢を見つけても何も言えず、同じ寮に住む留学生の友人にはその気がないのに言い寄られる。そんなある日、全然帰っていない実家の母から、祖父が亡くなったと連絡があり、急ぎ実家に帰る。

女性主人公の一人芝居で約100分、ダブルキャストで観たのは宇都有里紗の回。東久留米の国際学生寮ということで検索したら東京学芸大学が背景か。平凡な日々に埋もれそうになる凡人が新たに前向きになるまでの話。誤解を恐れずに言えば前回前々回と同じ展開。それなら気に入ってもよさそうなものだけど今回はだいぶ様子が違う。

脚本に違和感があって、何だろうと考えていたのだけど、話の抜きだし方が合わなかった。主人公の日常からイベントがあってまた戻って最後まで約3ヶ月。それを100分でやるのだから省略は必要なのだけど、そこから最後、急転直下で前向きになってしまう主人公。大きい出来事よりは、小さい、細かい出来事を積上げてラストに向かっていた前回や前々回より、よく言えば省略がきいているけど、ちょっとこれは急すぎる。時間の感覚も納得いかなくて、広島行き最終ののぞみで着いたら葬式が終わるところ(通夜?)って日付が変わっているだろうにそんな遅くまでやっているのかとか、冬の話のはずなのにちょっと暖が足りなそうな衣装とか。

あと一人芝居にしては導線や位置関係の想定が雑。横に長く取った舞台なのであのくらい動かないと空間が埋まらないのかもしれないけど、そこでそんなに動けるかとか、それはさっき向こうにあったのではないかとか。最初からそこで説得力を出すつもりはなかったのか、ダブルキャストで稽古時間が足りなかったのか。でも細部重要。移動中の場面とか、祖父が亡くなったことを伝えて友人に抱きしめられる場面とか、いろいろよい場面もあったのだけど、それも違和感に押し流された。

公式サイトによれば2本目のオリジナル脚本ですでに四演目のようだけど、それにしては脚本演出ともブラッシュアップの余地が大きいのではないか。

<2018年4月24日(火)追記>

エントリーを書いてからさらに考えたのだけど、「話の抜きだし方が合わなかった」のではなくて「この脚本で本来描かれるべき何かを意識的にか無意識的にか隠していた」からではないかと考えを改めた。なまじ一人で100分持たせられる役者が上手に演じたことで、脚本の違和感が立上がってしまったしまったのではないか。

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2018年3月31日 (土)

劇団青年座「砂塵のニケ」青年座劇場

<2018年3月29日(木)夜>

大会社の創業家に生まれた女性。母は昔から仕事で忙しくほとんど家におらず、父については一晩の行き摺りの男で名前も知らないと教えられて育つ。そんな母への反発から美術修復家の道を進むが、不倫相手の子供を中絶した挙句に自殺未遂を計る。そんな中、一家と長年付合い美術修復家の道を世話した画廊の社長から、一枚の絵の修復を持ちかけられる。かつて画廊が目を掛けていたが早くに亡くなった画家が、最後まで持ち歩いていたパリの風景画だという。画廊の手配で画家がかつて住んでいたパリの部屋に暮らし、画家の手がかりを探しながら修復を手がける。

青年座劇場はこれで建替えるとのことなので一度くらいはと観劇。化粧品会社を買収する上場企業の創業家の母娘で美術に理解がある、とかポーラ化粧品とポーラ美術館を想像する設定。これでもかと分かりやすく展開してくれる芝居としては珍しい脚本で、面白いことは面白かったのだけど、説得力に欠けたのが残念な1本。

先によかった点を挙げておくと、現在と過去のパリの場面。画家の綱島郷太郎、管理人の山野史人、プロフェッサーの松川真也、先輩修復家の野々村のんなど、観ていて芝居世界が広がる演技で、こんなに芸達者な役者をまだ認識していなかったことが悔やまれる役者陣。そこに自由さを感じさせる雰囲気と、登場人物や重なる場面による展開で、特にアパートの舞台が重要なのだけど、回り舞台を駆使して遺跡の柱を混ぜつつもアパートの部屋に仕立ててこれを成立させた舞台美術の功績大。これが展開できるのだから自前の劇場としては贅沢。

残念なのは現在の場面の、特に母娘。増子倭文江は昔のパリの場面での出来がよかった分だけ現在の場面が追いついていない。創業家の娘にして上場企業で海外の化粧品会社まで買収するような大企業の社長らしさを感じられる場面がなかった。ずいぶん時間に融通が利きそうな印象だったけど、創業者の娘だとしてもそれはない。脚本だけど、いまどき買収の記者会見に社員でもない娘を同席させるとかありえない。あと主役の娘を演じた那須凜。劇団の育成方針か演出家の賭けか、抜擢らしいけど仕上がりは追いつかず。大企業の創業家に生まれて父の不在に悩む面、不倫相手の子供を中絶して自殺未遂を起こす面、美術の道に進みたいと言う程度には美術への興味もあこがれも審美眼も持っている点、そもそも脚本の時点で全部そろえるのはかなり無茶な設定だけど、その無茶に説得力を持たせるのが主役の仕事。周りに芸達者が揃っていた分だけつらいものがある。

あと脚本の分かりやすさも、芝居ならもう少し不親切にしてもよかったのでは。サインの話が出てきたら次の場面で鍵となるサインが見つかるとか、詩の朗読場面の次に詩の本が出てくるとか、写真が見つかるホテルは島にひとつしかないホテルとか、情報の提示はもう少し離してほしいところ。テレビドラマだとそういう提示が求められるのかもしれないけど、芝居でそれをやられると侮られた気分になる。他にもう少し主役を主役らしくさせてあげればというか、例えばサインをみたらこれは誰それとか言わせるような工夫もほしかった。

母娘の対立と、母と娘とそれぞれのロマンチックな話と、本筋の面白さはわかるので、脚本を見直して再演してほしい1本。

<2018年4月2日(月)追記>

多少単語を変更。あと松川真也演じるプロフェッサーがニケの歴史を説明する場面について下書きからのコピーミスで落ちていた。客席をルーブル観光のツアー客に見立てて解説させるのは、タイトルにもなっているニケについての知識を観客に伝えるためのよいアイディアだったし、この登場人物がルーブルのバックヤードに出入りしていてプロフェッサーというあだ名で呼ばれるだけのことはあるという説得力につながっていた。なによりニケ好きとしてはもう一度聞きたくなるくらいよい出来の場面だったことはぜひ記録しておきたい。

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2018年1月24日 (水)

パルコ/兵庫県立芸術文化センター共同製作「テロ」紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

<2018年1月20日(土)夜>

飛行機がハイジャックされて満員のサッカースタジアム目掛けて自爆テロを試みた。緊急発進した空軍の戦闘機の警告も無視し、国防長官はそれ以上の攻撃命令を下さない。とっさの判断で戦闘機のパイロットはミサイルで飛行機を撃墜、テロリスト以外に乗客乗員164名全員が死亡した。この行動で訴追されたパイロットおよび検察官、弁護士、証人たちを巡り、観客が有罪無罪を判決する裁判劇。

神野美鈴の検察官と橋爪功の弁護士とが被告の有罪無罪を巡って繰広げる実にスリリングな会話劇。裁判長の今井朋彦が出す説得力がさすがで、この芸達者揃いの中でも一番よかった。3時間の長丁場も苦にならない納得の仕上がり。すごくいい。

観客席を陪審員席に、観客を陪審員に見立てて進むドイツの裁判所が舞台の裁判劇(劇中では「参審員」と呼んでいた)。1幕で証人尋問と被告の陳述、2幕で検察官と弁護士の弁論、この後の休憩で観客が実際に有罪か無罪かに投票し、短い3幕目は投票結果で有罪無罪を決定して内容が変わる仕組。裁判長役の今井朋彦が(脚本通りとは言え)相当丁寧に進行して、投票方法も説明してくれるので観ていればわからなくなることはない。その点は心配無用。

1幕が終わった時点で裁判長から休廷が知らされて、普通なら役者が退場するのを待って客席も動き出すところ、それを待たずにいっせいに客席が動き出したところなど、現実の出来事のよう。すっかり観客を参審員として巻き込んだ手際はさすが。

つまらない結論にならないように外堀を埋めて、お互いの言い分を存分に語らせて、理屈も感情論も大いに出して、脚本は実に精緻。その上で検察官と弁護士の最終陳述させるけど、お互いの主張に少しずつ突っ込みどころを用意して観客を揺らすあたり芸が細かい。ちなみに毎回の投票結果は公式サイトで公表されていて、観た回は有罪166対無罪225で無罪だったけど、見てもらえばわかるように僅差の回が多い。自分がどちらに投票したかは内緒。

何となく、神野美鈴と橋爪功が細かい仕草や言い回しで(相手に押し付ける形で)票を誘導している気配があったけど、そんなことは気にせずに投票するべし。これは観てもらえばわかるけど、最初に有罪無罪の先入観があっても本当に悩む。大御所を揃えながら地味に徹したスタッフワークにもこっそり拍手。票数で集客がわかってしまうけど平日は余裕、休日も開演前に並べば買えるから、観てみてほしい。

これと「アンチゴーヌ」が両方パルコの絡んだプロデュースなんだから、劇場がないのにむしろ張りきっている。どちらも今の日本にぴったりな決断に絡む芝居で、新年早々こんな社会派のラインナップを並べてしかも観て堪能できる芝居に仕上げたパルコ(とこちらは兵庫県立芸術文化センターも)に拍手。

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