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2023年3月14日 (火)

ナイロン100℃「Don't freak out」ザ・スズナリ(若干ネタバレあり)

<2023年3月11日(土)夜>

大正から昭和戦前ごろの山奥。精神病院の院長一家が住まう屋敷では、兄が地下に閉じ込められ妻が弟と再婚しているものの、その弟は母親の言いなりで、娘は婚約者と遊び歩き、息子は学校で孤立している。そんな屋敷に住込みで長年奉公する女中の姉妹から見た家族の事情と姉妹の事情。

コンパクトに見えてぎっしり詰込まれたスズナリに不気味な歌まで登場。久しぶりのナイロン100℃はよくできているけどこちらに引っかかることなく終わってしまいました。

精神病院を経営する一家が、他人に対して酷薄で自分勝手でいっそ精神病患者みたいである、という設定はきっちりしています。ただ地下に自分から閉じ込められた(といいつつ・・・)とか、母親が孫に対していじめをした3人の復讐のことだけを覚えておけばいいとか、どことなく新型コロナウィルスの医療機関の振舞を揶揄したような設定ですね。長男は医師会会長(外出制限が言われていた時期にお出かけ報道がありました)、母親が政府の対策委員会(3人は三密を連想させます)、その言いなりの次男が首相(最後とか)、あたりが基本線でしょうか。そのへんはまあ、いいです。立場と意見によって見えた景色も違ったでしょうから。

問題は、全体に役者がつるっと流れてしまったところ。休憩なしの2時間20分でこの筋立てならもっと濃密にできたであろうところ、ほとんど全員の役者がそのまま流れていきました。メインの1人である妹女中の松永玲子とか、他の舞台だったら何かしら残してくれるような役者なのに、あれだけ見せ場もあったのに、あっさり流れてしまいました。姉女中の村岡希美も、他のベテラン勢もほとんど同様。二役をやった入江雅人と、ちょい役の大石将弘あたりには役の体温を感じましたが、そのくらいでした。

半分ホラーなので体温高めで演じられるほうが困るかもしれませんが、まあまあステージ数の進んだ状態でこれってどうなんだというのが終演直後の感想です。KERA芝居だって当たりはずれもあれば、こちらの好き嫌いもありますけど、こんな感想は初めてです。これはこれでアリなのか、自分の芝居の好みが変わってきたからこの感想になったのか。しばらく考えましたけどこれを書いている時点で結論は出ませんでした。

2022年6月26日 (日)

日本総合悲劇協会「ドライブイン カリフォルニア」下北沢本多劇場(2回目)

<2022年6月25日(土)昼>

おかわり

もう一度観ておきたいなと願っていたら都合のいい日程で良席が確保でき、公演初日直後と東京千秋楽直前の1か月で何か変わるかも興味があって、珍しい二度見です。

ネタの場面に多少アレンジというかアドリブがあったみたいだけど、驚くことにほとんど変わっていなかった。この変わっていなかったというのは、初日直後で観た時点でほぼ完成したクオリティで提供されて、それが1か月後もダレていなかったことを指します。構成のしっかりした脚本だからやりやすいだろうし、プロならそれができて当たり前と言えなくもないけど、やっぱりすごいです。

麻生久美子が学生から現在まで声色を変えて幅広く演じているのにも今さら感心しましたけど、阿部サダヲがあのテンションをきちんと出し続けていたのはもっと感心しました。

他の役者も含めて、脂の乗りきった仕事ですね。いい時期にいい再々演が巡り合った公演でした。

2022年6月13日 (月)

鵺的「バロック」ザ・スズナリ

<2022年6月11日(土)昼>

娘が放火して屋敷が火事になり行方不明になった名家。ひとりだけ生き残った妹は屋敷を再建し家庭を持つも、怪しい雰囲気の消えない屋敷を敬遠した家族は結局別の家に暮らして屋敷は空き家となる。やがて病気になり余命いくばくもない妹は、屋敷の解体を了承し、子供たちと一晩を屋敷で過ごす計画を立てる。集まった夫も子供たちも不満や不安を抱えて一家団欒とは程遠く、悪天候で外出もままならない中で、屋敷の不思議な現象に巻きこまれる。

新型コロナウィルスの初期に上演された芝居の再演で、その前に上演された「悪魔を汚せ」に近いテイスト。その数十年後の続編に見えるけど、姉妹関係や屋敷の場所が違うみたいだから別設定で、これ単発で観ても楽しめる。

前回は「金田一耕助も警部も出てこない金田一耕助モノ」という酷い話だったけど、今回はホラー要素のある酷い話ベースにしつつ、救いのある描写に落着いた。そうは言っても酷い話なので勢いが重要なところ、テンションの高さで最初から最後まで押切ることに今回も成功して、楽しめた。ただ、脚本でラストがちょっと長くて間延びしたところも前回と同じで、あれはもったいなかった。

スズナリだから場面転換で美術を動かすなんてことはできなくて、屋敷のロビーだけで展開される。だけど場面数のやたら多い脚本。これを実現するのが、決して広いとは言えないスズナリに目いっぱい建込んで奥行きも出した2階建ての舞台と、それを生かしていろいろな場面を切りかえるための照明と音響。ホラーなんてうっかりするとギャグになるところ、今回成功した理由の半分くらいは劇場の限界まで挑戦したスタッフワークで、前回以上に感心しきり。

<2022年6月14日(火)追記>

全面改訂。

2022年5月31日 (火)

日本総合悲劇協会「ドライブイン カリフォルニア」下北沢本多劇場

<2022年5月28日(土)夜>

毎年の竹神様の祭が唯一の楽しみである田舎の、さびれた食堂兼ホテルの「ドライブイン カリフォルニア」。経営者の妹が離婚して中学生の息子と戻ってきた。その息子が事故で死んでしまうが、成仏する前に幽霊となって、母が店で働いていたころからの店と家族の歴史を辿る。

粗筋だけだと何とも味気ありませんが、2004年の再演版を楽しんだ観客として今回も楽しめました。松尾スズキの代表作のひとつに数えられるべき素晴らしい芝居です。出だしが若干固かったけど、途中から乗ってくる大人計画の面々と、大人計画以上に大人計画っぽい熱演のゲスト達とが一体となって繰広げる、悲劇と喜劇の混在や、小劇場感とプロ感の両立。特定の役者やスタッフパートを取りあげるのが忍びない、全方面に底が高い仕上がり。

2004年当時は純粋に笑える場面で笑って、感動する場面で感動していました。今回少し違う感想として、この脚本は誰かを悼む心情で書かれたのではないかと思えるような、追悼の情を照れ隠しの笑いで覆った弔辞のように見える場面が度々ありました。いやまあ、幽霊が振返る設定だし、日本総合悲劇協会名義だから、そう見えて不思議ではないのですけど。役者の熱演ゆえでしょうか。

休憩なしで2時間15分。いい芝居には短時間で密度濃く描くものと、長時間経ったことに気が付かないものとがありますけど、これは後者です。新型コロナウィルスの中止とか起きずに千秋楽まで走りきれることを願います。

2022年3月14日 (月)

加藤健一事務所「サンシャイン・ボーイズ」下北沢本多劇場

<2022年3月12日(土)昼>

長年コンビを組んで一世を風靡したが、解散してしまったコメディコンビのウィリーとアル。ウィリーはニューヨークの安ホテル住まいをしながら現役を続けているつもりだが、たまに来るオーディションもモノにできず甥の世話で暮らしている。そこにきたのがコメディの歴史を振返るテレビ番組の企画。破格のギャラを提示されるもアルとのコンビ再開が嫌で断るウィリー。そこを甥になだめられて企画を承諾したのだが、稽古の顔合わせから衝突を繰返す。

前提としてベテラン役者を充てることが要求される芝居で、加藤健一のウィリーと佐藤B作のアルはその条件を満たした2人。そのうえでコメディだから素直に楽しめばいいところ、いろいろ考えさせられた。

まずテンポ。海外コメディの、初演が1972年だから50年前(そこからさらに54年前がコンビ結成時期)という設定。古い時代とはいえ、ゆったりと話を運んで休憩を挟んで2時間半は長い。日本ならコント55号や横山やすし西川きよしが活躍していた時代。その時代の芝居なら、日常部分の芝居ももう少し早くしてもいけるはず。その場合、そこからさらに古い時代に演じられたという設定の劇中コメディとのテンポ合わせが問題になるけど、それも含めてテンポは演出がなんとかしてほしかった。

次に劇中劇。診察室を舞台に医者と税理士とのやり取りがメインだけど、その導入に看護婦が出てきてお色気ネタをやる。劇中の設定では戦前のネタだから悪いことはないし、そもそも本ネタ導入前の準備運動みたいなものだから大したネタではないのだけど、これが今のご時世では舞台ですらスレスレに見える。自分がテアトル・エコー版を観たのはたしか2002年で、その時は別に何とも思わなかったし、なんなら志村けんがテレビでお色気ネタをやっていた。だからって省略しろというわけではない。ここ数年、せいぜいここ10年の間に、ものすごい勢いで世の中の「清潔化」が進んでいるのだと気がつかされた。

そして主演の2人。加藤健一の演技がバタ臭いのは前と同じだけど、そこじゃない。何か役が生きていない。対照的なのが佐藤B作で、あのゆったりとしたテンポの中でもきっちり笑いを取ってくるし、芝居全体を通して加藤健一よりずっと自然に見えた。笑いはさておき、役作りで何が違うのか考えたけどわからない。無理やり言葉にすると、加藤健一は自分を脚本に寄せていて、佐藤B作は脚本を自分に寄せていた。あるいは、加藤健一は脚本から自分の役の内面を抽出して内に向かって役作りしていたけど、佐藤B作は脚本から相手役との関係性を抽出して外に向かって役作りをしていた。これであっているかはわからないけど、今回の芝居は佐藤B作に軍配を上げる。

最後に客席。最後列とその脇を除いてほぼ埋まっていたけど、ざっと眺めた限り、これが昼の下北沢かという高い年齢層だった。自分ですら若いほうから数えて一割に入っている自信があった。晩年のコメディアンが主演の演目だから、年齢が高いほうが面白味は増すかもしれないけど、若い人だって笑えるネタだし、伏線を張ってのネタもある王道のコメディのはずなのにこれ。若者人口は減っているし若者も忙しくて金もないしで難しく、既存の観客は年を取るものであり、自分もそちらの枠に片足突っ込んでいるんだなと認識させられた。

2020年2月 6日 (木)

カオルノグチ現代演技「セイムタイム・ネクストイヤー」下北沢駅前劇場

<2020年2月5日(水)夜>

それぞれ出張先と旅行先であるレストランで知合って一夜を共にした男女。互いに子供の写真まで見せ合うくらい心を許し、そのまま別れるに忍びなかった2人が出したのは、毎年一晩に限って同じ場所で会うこと。そして毎年お互いの配偶者の良いところと悪いところを伝えあうこと。

初日。前回とはうってかわって、翻訳物のストレートプレイを、まさかの挟み舞台にネタ演技も含めて直球の演出。本当に駅前劇場かと疑われるくらい品位に満ちた仕上がりに驚く。役年齢に応じて丁寧に声を変えてくる野口かおると、それに対抗しながら思わぬ特技も披露する山岸門人、どちらも初日からよい仕上がりで、しかもさらに伸びしろがありそう。スタッフもよかったけど第一に衣装を挙げたい。両面客席に配慮した美術もよかったけど両面に満遍なく見せた演技もよかった。

アメリカで上演すると近代史が重なるから、もう少しシリアスな要素が強くないと片手落ちになるところ、そこを追いすぎず2人の対話に寄せたのは演出判断か。直球の仕上がりすぎて演出の手柄がどこまでかはわからないけど、明星真由美の演出は結構よいのかも。

観終わって当日パンフを読んだら、これは飲み屋のトークから立ち上がったという、別の意味で王道な企画だと知って2度驚く。こんな芝居ができるなら毎晩でも飲んでほしい。

2019年12月27日 (金)

TAAC「だから、せめてもの、愛。」「劇」小劇場

<2019年12月26日(木)夜>

癌で余命半年と医者に伝えられた男。妻と息子2人を集めて告げるが、今しかないとその場で長男が養子であることを明かしてしまう。その後3年経ち、男は回復に向かうが、妻が寝たきりになる。夜勤の長男と、次男の恋人とが介護するが、回復した男は介護を2人に任せてギャンブルや飲酒にのめりこんでしまう。

この設定からねじれた関係の行方を描く。三上市朗を筆頭によくぞ揃えた役者陣は主力には物語を脇役にはおいしい場面を用意。美津乃あわの出番が少ないのがややもったいないくらいか。牛乳の飲み方や仏の話のような小技も効かせつつ、深刻な話にネタを適度におりまぜて、全方位に見ごたえ十分。そこまで言わないほうがいい台詞が5、6個あったけど、そもそもオープニングでそこまで設定してから後を描くところがよい。「劇」小劇場という規模には贅沢な良作。

2019年7月28日 (日)

M&Oplaysプロデュース「二度目の夏」下北沢本多劇場

<2019年7月28日(土)昼>

染織会社の2代目社長は結婚2年目。使用人のいる別荘で夫婦ともども夏休み、のはずだったが仕事が終わらず、秘書を伴って出張も含めた仕事をこなす。妻を退屈させないようにと幼馴染の後輩を遊び相手に呼寄せる。結構楽しく過ごす2人を結構なことだと言う社長をよそに、周囲の人間は口さがない。

いろいろな関係の間にいろいろ発生するいろいろな愛の形。と言ってしまえば簡単なのだけど、上手く表せなかったり秘めていたり拗らせていたりねじ曲がっていたり、一筋縄ではいかないものばかりを集めた、岩松了風の緊張感が漂う一本。

仲野太賀が良い感じ。いつもだと女性役が色気ムンムンで動くところ、それを表になるべく出さないで溜めて出すのがやや違う。水上京香や清水葉月よりも、ネタをこなしながら押し殺した感情を目で表現する片桐はいりはむしろ怖い。終わり方も含めてじっとりとしたホラーの感触。

2019年7月23日 (火)

東京成人演劇部「命ギガ長ス」ザ・スズナリ

<2019年7月20日(土)夜>

親の年金で引きこもりの息子を養う、すこし認知症の始まった母。息子は酒を飲み母はパチンコに通う。それをドキュメンタリーとして取材に来た大学生の女性。きちんと映像は撮ったが収まりが良すぎると指導教授に指摘される。そこでわかったことは・・・。

生きちゃってどうすんだ」以来のスズナリで今回は二人芝居。ボケの始まった親という点で「」を想像させるけど、こちらは松尾スズキ流の、そんな収まりのいい話ではないという切取り方。扱う話題のタイムリーさ、ネタの混ぜ方、ころがす方向の意外性、あれだけ笑わせて最後にもう1回転がして元に戻るラスト。切れのある表現の台詞も多数。単純に観て笑えるし、よく考えると笑えない、でもたくましいという仕上がり。

相手役で2役を演じた安藤玉恵がまたはまっている。「男女逆転版・痴人の愛」のはじけっぷりを、今回は上手にコントロールして母親役と大学生役をきっちり演じ分け、さらにネタもこなす万能ぶり。楽しんでやっています感に、余裕に見えて結構シビアにがんばっています感が混ざって、「もっとも演劇部のイメージに近い女優」とはこれかと納得した。少し前なら片桐はいりくらいしかできる人が思いつかないような自由感の体現。

ちなみに吹越満が効果音担当で、「不倫探偵」でも試みていた漫画っぽい雰囲気を出すための試行錯誤の結果だと思うけど、贅沢かついかにもな役どころ。パチンコ屋のアナウンスとか面白いけど、効果音がだんだん人の声だということが気にならなくなってくるのが不思議。

狭い劇場で観た分の密度の高さもあるけど、その劇場選択も実力のうちと捉えられる。KERAは「わが闇」を「晩年第一作」と称していたけど、松尾スズキならこの芝居が該当すると言いたい。後期全盛期到来という印象。当日券が厳しそうだから見送ろうと思っていたけど、当日券でも案外いけると書いていてくれていた人に感謝。東京公演が終わってこれからツアーなので上演地域の人たちにはぜひお勧めしたい。こういう芝居が海外公演になるのは喜ばしい。

2019年6月24日 (月)

FUKAIPRODUCE羽衣「ピロートーキングブルース」下北沢本多劇場

<2019年6月22日(土)夜>

ファミレスの店長は人妻と不倫し、その夫は毎回同じ風俗嬢を指名して入れあげ、その風俗嬢は街でナンパされたひもじい若者を自宅に囲う。この人物たちを中心に、中心でない人物も交えて進む、セックスと愛に関する話。

タイトルに「ブルース」と付くだけあって、そこはかとない哀しさの割合が大きい話。粗筋に書いた話と絡まない話も多く、長編1本というよりオムニバスのほうが実態に近い。単発でネタに走る場面が力不足で、それでいて本筋の微妙な話は笑い飛ばすための勢いがなくて笑っていいのか迷う場面も多数。ミュージカルなら場面や筋の紹介だったり、あとは登場人物や芝居が盛上がる場面で歌うけど、こちらは突然元気一杯長々と歌ったりする「妙ージカル」で、歌いだすタイミングがいまいちつかめない。ミュージカル「仕立て」なら先日ラッパ屋でよく出来た芝居を観たばかりなので、そちらに軍配が上がる。役者は頑張っていたので今作は脚本演出の不発という感想。

当日パンフは役者を紹介したいという主宰からの愛溢れるコメントが載っていたけど、紹介したいなら主宰との縁よりもエピソードよりもなによりも、まず役名と役者名とのマッピングを載せるべきではないかと思うが如何。初見のメンバーだらけで、今回どの役が誰だか、主宰とその相手役以外は誰が誰だかわからず。役名でネタばれして困る芝居でもなし、困るなら代表的な役名だけ載せればいい事。有料パンフを売りたくて当日パンフを配らないのはよくあるけど、当日パンフを配って役者名は載せて役名を教えないのは不親切。制作で誰か事前チェックできなかったのか。

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