2026年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

2026年4月19日 (日)

野田地図「華氏マイナス320°」東京芸術劇場プレイハウス

<2026年4月18日(土)夜>

掘れば掘るだけ化石が見つかる発掘現場のはずがまったく見つからないため主任教授が交代になる。新教授が着任早々多数の骨が見つかるが、「骨伝導理論」を掲げる新教授が探しているのは太古の記憶を持つ天使の骨なので見向きもしない。それが現場助手の右腕の骨であるとわかり、新教授は現場助手の記憶を遡ろうとする。だがそれが不完全なうちに発掘スポンサーのお家騒動に巻き込まれ、師の研究を盗んだ泥棒扱いされて現場助手を攫われてしまう。

発掘から古代に遡ると言われると「パンドラの鐘」っぽいところ、今回はもっと個人に寄せてしんどいテーマを扱って休憩なしの2時間20分。終盤から最後は近頃の野田地図らしい形になるものの、海外公演知らんと言わんばかりの言葉遊びは割と野田地図を観ている自分でも置いていかれそうな勢いで、現代中世古代の3時代を扱うものの中世はただの役説明。途中の筋書きが整理不足、あるいは昔ながらのとりあえず流れに乗っておけで観るには本筋がみっちりし過ぎておふざけ要素を差込むのに時間が足りていない印象。

役者寸評。この日は1日2公演の夜だったせいか出だしがいまいちで後半に乗ってきた回なので前半は若干文句あり。それでも途中からとりあえず声張って身軽に駆け回った広瀬すずが野田地図ヒロインの流れを作って二重丸。阿部サダヲと深津絵里がまずまず。川上友里が真面目に観れば二重丸に近い出来もそのポジションには本筋を保ちつつ笑いも取るウワサスキー夫人の要素を求めたいのでもっと遊びもほしい、絶対できると信じたい。大倉孝二も同じ。野田秀樹は出番少な目だからいいとして、高田聖子、橋本さとしのベテラン勢が省エネモードに見えて残念、橋爪功はフラなのか台詞を思い出しながらやっているのか見極めがつかないのが困る。

野田地図は年々扱うテーマがしんどくなってベテラン領域の演技が必要になるのに、小劇場らしいノリがないとそもそも付いていけず、しかも身軽に走れる若い身体がないと立上げにも苦労する。若い役者の一層の発掘を野田秀樹には求めたい。探せば名手はいるはずなので。

2026年3月 7日 (土)

Dialogue!「101分のペリクリーズ」シアター風姿花伝

<2026年3月7日(土)夜>

とある地方の領主ペリクリーズ。王の姫君に求婚するもその裏の話に気が付いて逃げ出す。船が難破して命からがらたどり着いた国で王の姫君と求め求め合い結婚するも、元の国に戻る船がやはり嵐に遭い妻は亡くなり娘だけが残される。元の国に戻って王となるため娘を世話になった国の領主夫妻に預けて育成を頼むが・・・。

だいたいこの粗筋で3分の2くらい。現代の服装に所々挟まるノリと勢いのよい演出でテンポよく進んで本当に100分で終わった。初見でも筋は分かりやすく迷うところなく、出演者の熱意は等しく高く、これが最高の上演とは言わないまでもシェイクスピアの精神としてはこれが正しいのではないかというくらいすんなり観られて楽しめた1本。アフタートークでもあったが槍勝負の場面を応援側で表現したのはよい演出。

この回はアフタートークあり。演出家と、自信もシェイクスピアを上演する瀬沼達也との対談。長いシェイクスピアを心配して周りに聞いたら休憩なしの100分が適当となったのでこの時間。タイトルは100分だと語呂がいまいちなのと時間きっちり終わらないと怒られるかもしれないと考えたから。まともに上演したら3時間コースのところを100分ありきと決めてテキストをカットしたが、そこはそれなりに展開も考えての上で実施。一部の台詞を他のシェイクスピア作品から持って来たり、女神の夢の場面を乳母の夢枕に変えて日本人に親しみやすいようにしたりと工夫もあり。観やすかったのは演出家の考えた構成も預かって大と得心。

2026年2月22日 (日)

劇団アンパサンド「歩かなくても棒に当たる」東京芸術劇場シアターイースト

<2026年2月22日(日)夜>

マンションのゴミ捨て日。回収が早いためゴミ捨ての時間も8時までと決まっているが、間に合わなかったゴミをそのまま捨てたい各位。そこで思い出されるのが1年前に亡くなった住人の話。ルールを破るのが許せずにゴミ捨て日にはいつもゴミ捨て場の隣に座って見張っていたという。引越してきたばかりで初めて話を聞いて感心していた女性だが、どうも肩が重くて痛む。

劇団初見にして岸田戯曲賞受賞作。丁寧に積んだ前半を使って怒涛の後半を処理する展開はホラーコントとでも呼ぶべきもので、普通に考えれば強引なところ芸達者な女優6人の力を十二分に生かしたパワープレイに最後まで笑いっぱなしで押切られてシャッポを脱ぐ一本。これのどこが岸田戯曲賞なのか演出賞ではないのかと考えるも、後半の罰せられる順番の決め方はやはりセンス。チケット完売なので口コミプッシュは出さないけれども、観られてよかった。

2026年1月26日 (月)

インプレッション製作「チェーホフの奏でる物語」2026/01/23-02/02@東京芸術劇場シアターウエスト

作家チェーホフが自作短編や執筆を語りながら、たまに自分も中の1人になる趣向で進むニール・サイモン作の短編集。

としか言い様がない粗筋。公式サイトによれば9つの短編からなると書かれており各々元になる短編があるはずですがそこまではわからず。古典的にくすりと笑うような話を、古典的にふふふと笑えるように演出して、それだけでは物足りないと考えたか、たまにイッセー尾形がアドリブで突っかけて笑いと取りに来る。イッセー尾形の台詞回しの落着きっぷりはさすがだし、安藤玉恵が芸達者でアドリブにも動じないのは今更だけど、松尾貴史の幅広い演技には感心しきり。イッセー尾形が安心して何度も突っかけるのも納得。福田悠太と小向なるが素直すぎるものの他3人を考えるとこのくらいの方がよいか

2025年10月13日 (月)

東京舞台芸術祭実行委員会主催「Mary Said What She Said」東京芸術劇場プレイハウス

<2025年10月11日(土)昼>

フランス王妃にしてスコットランド女王だったメアリー・スチュアート。その血筋と結婚により国と国との対立、そして本人の王位継承権を巡る争いに否応なしに巻込まれ、そして処刑された人生。

これは役者依存の1人芝居で見逃したら2度と観る機会がないのではと直感が訴えて観劇。それは正しくて、圧巻の1人芝居だった。

後半少しだけ音響で録音台詞が入るけど、ほぼ出ずっぱりで芝居らしい芝居はなくひたすら語り倒す、それも同じフレーズを多用して、タイプは異なるけれどもままごとの「わが星」と「あゆみ」を混ぜたような構成。ただし時間軸がかならずしも順番ではなくて、いったり来たりする。素舞台でほとんど小道具もないところでやってのけるのはレベルが高いのはたしか。芝居の内容がシリアスだけど、そこをきっちりかっちり仕上げたところは、イザベル・ユペールのすばらしい実力。ただ、フランス語はさっぱりなので字幕で内容を追いかけたのだけど、あれは本人の回顧だけではなくて侍女の回顧も混ざっていたのか? そこが混乱して、 途中からもっと声の調子に注意を向けたほうがいいと考えたのだけど手遅れだった。芝居を耳で観る人間ではあるけれど、活字にはもっと強く引付けられるのだなと自分を思い知った。

それと芝居については、元の史実を把握していないため見落とし多数でもったいなかった。Wikipediaが比較的コンパクトにまとまっていたから、これを読んでおけばもっと劇場でリアルタイムで楽しめたのにとは後悔。血筋としては下れば今のイギリス王室は全員この人の子孫。そして3代遡ればヘンリー7世、大伯父がヘンリー8世、おまけで書けば処刑された年にシェイクスピアが3歳、というヨーロッパの血生臭さ全開の時代を主役として生きた1人です。波乱万丈という言葉が相応しい。

近頃は歳をとったのか揉め事が多すぎて目が覚めたのか、ヨーロッパの暗い面も目に付くようになったけど、こういう芝居を観ると個人の自立と自覚を欧米が求めているのがわかるというか、欧米は孤独な世界なので自立と自覚がないと生きていけないというか、神も仏もありゃしない世界だからこそキリスト教が嵌まったというか、そういう世界で生まれた宗教だからこそキリスト教は団結しても融和しないというか。

今なら同じような1人芝居をできる日本人の役者も探せばいると思えるけど、こういう芝居を日本人がやるともう少し柔らかく仕上がるはず。芝居の内容も役者の強度もかっちかちに硬かった。

最後にスタッフワークについて書くと、1人芝居を支えるためか弦楽の音楽がかけっぱなしだったけど、音響の抜けの良さが普段観る芝居と全然違う。機材の違いなのか録音品質の違いなのか会場チューニングの違いなのか。たまに音が新しい芝居に出会うたびに考えるけど、個人的にはこのクリアさ(と録音品質?)が標準になってほしい。

2025年9月28日 (日)

パルコ企画製作「ヴォイツェック」東京芸術劇場プレイハウス

<2025年9月27日(土)昼>

冷戦時代の西ベルリン。共産主義からの防衛のためにイギリスから兵士が派遣されている。そこに赴任したヴォイツェックは、アイルランドの赴任時に知合った事実婚のマリーと赤ん坊と一緒にやって来たが、結婚していないため兵舎に入れず肉屋の上の部屋を借りて暮らすも、兵士の給料では暮らしが厳しい。幼少時のトラウマに悩まされるヴォイツェックはアイルランドで騒動中に持場を離れた前科があるため少数の兵士を除いて他の兵士から評判が悪く、母の反対を振切ってやって来たマリーはドイツ語が出来ない中で上官の妻のボランティアの手伝いを押付けられる。厳しい環境に追詰められてトラウマに悩まされるヴォイツェックを、慣れない環境で子供の世話をしながら苦しむマリーは少しでも繋ぎとめようとするが・・・。

小川絵梨子演出で観てみれば、いかにも小川絵梨子好みで初めから終わりまできつい話です。そしてこのきつい話にも関わらずきっちり仕上げてきました。19世紀に書かれた未完の原作を冷戦時代に置きかえたという元脚本ですが、冷戦で兵士云々はそんなことがあったと薄い背景として知っていれば差支えなく、ヴォイツェックとマリーを追えばいいです。それをさらに整理した演出と、役者の努力ががっちりかみ合った仕上がりですが、かみ合うほどに話のきつさが伝わって、観る側に体力が求められます。

追詰められるほどに自分のことしか話せなくなる、相手のことを話しているようで結局自分のことを話してしまうヴォイツェックですが、そこまで余裕がないことにも十分以上の理由がある。そんなヴォイツェックを何とか励ますマリーも、少しずつ余裕が削られていくだけの理由がある。この2人の会話がかみ合わなくなっていく様子を演じる役者が、がっちりかみ合っています。

弱く追詰められていくヴォイツェックを森田剛が演じるのは意外ですが、これがびっくりする好演で、卑屈な様子も長台詞も格好つけることなくやってのけました。ただこれは長いキャリアを考えれば褒められこそすれ驚かなくてもいい。マリーを演じた伊原六花がびっくりで、けなげで明るくヴォイツェックに寄添うところから段々と余裕がなくなっていく様子をきっちり演じて、しかもヒロインとしての華を保っている。調べたらこれで26歳、ただしそれでキャリアは14年なのかな、事務所所属から数えても8年、今時の若い人は本当にすごい。これを追詰める側は現元イキウメの浜田信也と伊勢佳世に、突き放すのが大ベテランの冨家ノリマサと栗原英雄 。全員よく似合っていた。伊勢佳世は2役をこなしつつ、マリーへの意地悪な奥様の様子が実にいいですね。もっとこういう役をやるべき。スタッフワークでは高い空間を埋めつつ頻繁な場面転換を上手に具現化した美術が見事。

仕上がりはほんとうにいいですが、話はきついですし、見た目は地味です。芝居を耳で観る人にはすばらしい出来ですが、芝居を目で観て楽しむ人にはしんどいかもしれません。だから座席に余裕があったのでしょう。2階席のある劇場よりはパルコ劇場の規模向きでした。この後ツアーでまた東京に戻ってくる変則日程なのでどうですか、と勧めるにはいささかチケット代が高い。歯ごたえを望む観客には勧めたい。

<2025年11月12日(水)更新>

役者名訂正。

2025年1月13日 (月)

ポウジュ「リタの教育」シアター風姿花伝

<2025年1月12日(日)夜>

酒手ほしさに初めての社会人講座を引受けた教授。そこにやってきた美容師の女性は、何とか今の生活から抜出したいと願う。無遠慮な様子に断ろうとしたものの女性の熱意に負けて始めた講座も初めは滅茶苦茶だったが、きっかけを掴んだ女性は少しずつ勉強に目覚めていく。

旗揚公演にして2人の役者で2演目同時上演という無茶な企画の、2演目目の初日。昔観たことがあった翻訳物なのでこちらを観劇。出だしは浮ついていたもののマクベスのあたりから少しずつ乗って来て、終わってみれば役者は素直に演じていたなという感じ。

ただ、役者の出来とは別に仕上がりにどうもしっくりこない点があって、なんだろうと考えていた。

ひとつは演出で、なんだか時制が上手く出ていなかった。序盤から中盤に飛ぶところが急だったり、ラストのラストを考えると序盤でもう少し教授側に歩み寄らせるというか引張り回されるところを出してもよかったのでは。変わるリタに教授も揺さぶられて変わるかどうかが見所のひとつなので。スタッフに関するところで言えば、イギリスだから夏でも寒いのはわかるけど、教授のフランクが終始コートを持っていないのは季節感に目が届いていなかった。

もうひとつは翻訳で、教授が元詩人という設定なので、元は駄洒落というか韻を踏むような台詞が多かったように記憶している。だから翻訳で苦労していて不自然な台詞も残っていたのが以前観た時の感想。今回は不自然さを感じなかったかわりに駄洒落感はごっそり間引かれていた(「る韻(?)」だけはわからなかった、検索してもわからない)。とは言え、それで自然になったかというとまだ不自然が残っていて、具体的には序盤のリタの労働者階級らしいがさつさも抜け落ちていた。

この話はアフタートークでも出ていて、日本の訛りは地方の方言を意味することが多いけどイギリスは労働者階級とアッパークラスとで上下の言葉が違う、窮して今回は標準語(共通語)の中で「わたし」を「あたし」にするなど差をつけたと話していた。ただ悪気はなくともがさつで乱暴な言葉遣いというのもあるはずで、それは日本だと武家言葉と町人言葉とか、山の手言葉と下町言葉に該当すると思うので、小説なら銭形平次とか芝居なら歌舞伎とかからエッセンスを抽出して工夫してほしい。

上下の言葉遣いの差は現代口語演劇の発展で取残された分野ではないかとひそかに考えているので、翻訳に力を入れるユニットらしいから期待したい。

2024年9月16日 (月)

木ノ下歌舞伎「三人吉三廓初買」東京芸術劇場プレイハウス

<2024年9月15日(日)昼>

将軍家から拝領の脇差を盗まれたためにお家断絶して吉原に沈んだ妹の厄介になりながら悪事を働くお坊吉三、旅回りの役者上がりで娘のふりをして盗みを働くお嬢吉三、これが盗んだ百両を巡って寄越せ寄越さないと揉めたところを仲裁した和尚吉三。義兄弟の契りを結んだ三人だが、この百両を巡って三人に縁のある人間の運命が動き出す。

初日。歌舞伎の台詞も節回しを止めて話してみれば実に明瞭。よくぞこれだけ色々な役者を揃えたもので、初日にして仕上がり十分。目を惹いたのはお坊吉三の須賀健太と吉野の高山のえみ。特に須賀健太はこの役のためによくぞ見つけてきたなの一言。出来のよさなら伝吉の川平慈英が文句なしの一番で、和尚吉三の田中俊介が後半尻上がりに調子を上げていく。そのままやったら役に負けるところ役を手中に入れた文里の眞島秀和とおしづの緒川たまき。おいしい役を楽しそうにやった武兵衛の田中佑弥と金貸太郎右衛門の武居卓。役に徹して控えめにやって見せた武谷公雄と山口航太と緑川史絵。スタッフは和洋ごちゃ混ぜの衣装がことによし、音楽は一幕が薄い割に後ろが濃いのはバランス調整の余地あり、が初日寸評。

一度観るにはいい座組みですけど、当日券は余裕あるも、上演時間が休憩2回挟んで5時間20分なのは覚悟してください。今思えばコクーン歌舞伎の3時間40分は素晴らしかった。地獄の場が初演以来カットされてきたのももっともで、あそこを切って休憩1回減らせば30分以上縮まりますよね。せめて4時間半に収まってくれれば他の芝居の夜の部に当日券狙いで駆けつけられたものを。それでもやるなら、長引くからと自虐するよりもっと笑わせに来いや、と言いたくなる。あの場面だけが瑕疵。

詳細後日、は書かなくてもいいかな。

2024年8月25日 (日)

イキウメ「奇ッ怪」東京芸術劇場シアターイースト

<2024年8月14日(水)昼>

人里離れた山奥にある、昔は寺だったという旅館。有名な小説家が長逗留して小説を書いているところに、2人の男が泊りにやって来る。小説家はこの地方の怪談を集めて書いており、2人の男も似たような目的でやって来たところだという。話の流れでお互いに知っている怪談を披露することになる。

小泉八雲が集めた日本の怪談5本を基に構成した芝居。当日パンフによれば「常識」「破られた約束」「茶碗の中」「お貞の話」「宿世の恋」の5本です。非常によい仕上がりで、お盆の季節に相応しい怪談を楽しみました。

初演は世田谷パブリックシアターの企画で上演されていたので、仲村トオル、池田成志、小松和重といった一癖も二癖もある役者が出ていて、全体にいい意味での雑味も含めて楽しんだ記憶があります。それが今回は磨きに磨いた趣きで、上善如水とでも言わんばかりの仕上がりです。笑えるネタもありますし、怪談話の再現が終わった後で「女将、髪が乱れています」なんて言って引っ込めさせるようなメタな手口も使っています。そこに現在捜査中の事件を絡めるという、小劇場らしい展開と言えば展開です。それやこれやをやっても、芝居の透明度が落ちません。緊張感とはまた違った、静謐な雰囲気が最後まで続きます。怪談に相応しい出来でした。

それと、初演が15年前ですが、いまどきのテクノロジーが出てこないのに成立たせているところが素晴らしかったです。宿の評判を確かめるとか、スマホのひとつも出てきてよさそうなものですが、そういうものを出さずにしかも気にさせないのは、脚本と演出の両方の力でしょう。

それを体現したのが劇団員なのは間違いなくて、方向性もレベルもものすごく揃っていました。女性陣3人はゲストですが、女将役の松岡依都美がいい感じです。スタッフもいい感じでしたが、今回は美術を挙げておきます。出だしで役者が腰を落として回る、ということで能舞台を模したものでしょうか。奥に廊下、手前に柱の立ったシンプルな舞台、そこに白い庭を挟んで梅と祠と、天井からの砂落とし。そして最後の変化。静謐な雰囲気の構築に預かって力ある、怪談に相応しい美術でした。

それにしてもここのところイキウメの出来が素晴らしいです。2022年の「関数ドミノ」が再演にも関わらず微妙で、その後の「天の敵」はスキップしたのですが、2023年の「人魂を届けに」、世田谷パブリックシアターの企画製作ですが実質イキウメの「無駄な抵抗」、そして今回と、新作再演織り交ぜて3本続けて高水準です。何かを掴んだのでしょうか。

2024年7月14日 (日)

Serialnumber「神話、夜の果ての」東京芸術劇場シアターウエスト

<2024年7月13日(土)夜>

拘置所の患者個室でベッドの上に座りっぱなしの一人の男。とある殺人を犯して裁判を控えているが、精神疾患ではないかと疑われているためここに隔離されている。男の弁護士が裁判を控えて精神科医に面接を申込むが今は面会謝絶で会えない。男が殺人を犯した経緯はいったいどのようなものなのか。

久しぶりのSerialnumberは宗教二世の話。社会性のある重たい話題に真正面から突っ込むのはいかにも詩森ろばらしいですけど、ちょっと今回はいまいちな仕上がりでした。

今の拘置所と、人里離れた宗教の施設時代との二重構造で話が進んでいきます。そこで多少解説が入ったり別の人の話を絡めたりするのが工夫と言えば工夫です。が、基本は重たい話題を重たい通りになぞって追体験する形で進めます。それは親切ですが、真っ正直すぎていささか芸が足りない脚本でした。

そこに演出で明るさを足すのは自分で許せなかったのか、ベッド以外ほぼ素舞台で、主人公の男はひたすらしゃべります。が、坂本慶介はテンションが足りず力及びませんでした。それと最後に物語を締める役割を持たされた弁護士の田中亨も力及びませんでした。廣川三憲や杉木隆幸がいい出来を見せて、川島鈴遥がまずまずでも、5人芝居で2人が力不足だとつらい。あと弁護士以外の4人が裸足なのも意味不明でした。

脚本の面で言えば、二世本人の心情を掘下げていましたが、これと対になる、入信した母親の話は終盤にさらっと触れただけで流されてしまいました。でもあの流し方では相手の言い分にも五分の魂となってしまう。それを認めるなら主人公は不運に巻込まれただけというオチになってしまう。主人公は救いのない人生だったと言われればその通りですが、そう言いたいためにこの話題を取上げたわけでもないでしょう。

重い話題に一方的な結論を出すにせよ、簡単に結論は出せないと観客に考えさせるにせよ、脚本の切口も演出の切口もこの話題に対しては間違っていたなというのが感想です。

より以前の記事一覧