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2022年9月18日 (日)

野田地図「Q」東京芸術劇場プレイハウス(ネタバレあり)

<2022年9月11日(日)昼>

源平両家が勢いを競う都で恋に落ちた、平の螂壬生と源の愁里愛。駆落ちが行き違いで心中になりかけたところ、未来の螂壬生と愁里愛が助けて一命を取りとめる。だが心中が美談となった都で2人は表立った活動を許されない。

初演も観て、なんか後半違うような気もするのですが思い出せません。相変わらず粗筋を書くのが難しい芝居という印象は共通です。ただ今回、初演のすっきりしなさの理由がなんとなくわかりました。ひたすらその言語化に務めます。

俊寛のオマージュとかクイーンの音楽とか、全部おまけと言って悪ければちょうどいいから選ばれた飾りです。名前が大事な時代だからこそ成立っていた「名前を捨ててやってきて」と願う有名なジュリエットのバルコニーの台詞、それが匿名が当たり前の時代になるとどうなるか。それを源平を舞台にしてロミオとジュリエットで前半、後日談で後半を描くのは、さすが野田秀樹の目の付け所です。

後日談のパートでは、匿名による相手への中傷と名を広めて相手を圧倒しようとする対立が源平の合戦に発展。偽名で戦に出陣したロミオが負けて捕虜になる。ここで一瞬だけジュリエットとすれ違うも、ロミオはスベリア(シベリア)送りになる。

過酷な環境で捕虜労働にこき使われ、無価値になった金による看守の買収も失敗する。耐えかねた仲間の一人がロミオの正体をばらして看守の買収を試みるも、すでにロミオの名前に価値がなかったため失敗。これで一命を取留めたものの、捕虜釈放のタイミングで偽名のロミオは名前がなかったため釈放にならず、最後には捕虜のまま亡くなる。

愛する人をロミオに殺されて復讐のために追っていたトモエゴゼ(巴御前)は、ロミオが亡くなったことを確認すると自分も力尽きる。

名を捨てたばかりに自分としての活動もできなくなり亡くなるロミオや、相手(の名前)への復讐が過ぎてその先につながらない巴御前。言葉遊びから引用から社会問題まで、いろいろな要素を取込んで匿名の行く末まで批判的につなげる一連の流れはまさしく野田秀樹調で、こういうのを観たいから野田地図を観るんだという会心の出来です。

ならば内容にも納得がいくかというと、そこが悩ましいところです。以下はこの芝居が現実社会への批判を込めているという前提に立って、批判対象の現実社会の理解が私の理解とずれている、という話です。

ひとつは名を捨てたに掛けた匿名の扱い。ロミオの最後は捕虜のまま野垂れ死にです。名前を捨てて活動した個人の哀れな末路、と見えます。そして源平の対立で匿名の中傷を流していたのは戦の情報戦、組織によるものです。

でも世の中の匿名の大半は、普段は日常生活を送りつつ、SNSなどではID、ハンドルネーム、芸名、何と呼んでもいいですが、日常生活を隠したペルソナで発信する人達です。ロミオの個人と戦の組織の中間に位置します。このボリュームゾーンへの言及が欠けていて、匿名の扱いが極端すぎるように、乱暴な表現をすれば雑と感じます。

そこに暴力性を見出すなら、匿名個人の誹謗中傷のほうが適切です。匿名個人が、茶の間のテレビに文句を言う感覚でSNSに書込む。そうやって発信された誹謗中傷を真に受けて、酷いときには対象者が自殺に至ったとして、でも誹謗中傷をSNSに書込むような人たちほどそんなことを気にしないし反省もしないでまた誰かについて同じような誹謗中傷を書くし、前に書いた内容と正反対の意見でも気にしない。考えが変わったのではなく、文句を書くことが目的になっているような状態ですね。それが大勢とは言いませんけど、それなりの数はいます。

その前提に立つと、死んだロミオを見つけて目標がなくなって倒れるトモエゴゼだけでは、役として一途すぎます。源平の対立時にはその時の支配者である平家に文句を書くけど、そのあとで都が源氏の支配になったら源氏の文句を書くような無責任なコロスがいると、もっと厚みが出たのになと思います。

もうひとつは戦争の扱い。初演では徴兵からシベリア送りまで、日本の太平洋戦争をあつかっていると思えたのですよね。今回も後半ぎりぎりまではそう考えながら観ていました。当時の日本の指導者層の無謀無策な開戦のツケを無名な兵士が払わされたと考えるなら、齟齬のない展開でした。

ただ、ラストの松たか子の長台詞、無名戦士として扱わないでください云々を聴いた瞬間に、現在進行形のロシアとウクライナに意識が向いてしまったんですよね。意見はいろいろあるでしょうが、ロシアが先に仕掛けて、ウクライナが急いで防戦した初期の展開には異論がないでしょう。そうすると、先に仕掛けたロシアはともかく、ウクライナ側は名を捨てるの拾うのと言っている場合ではない。正真正銘、生活と命を賭けて戦うことになる。そういう戦いが今まさに行なわれています。

そしてその一環で情報戦も必要になるし、それは公式(顕名)の発信だけでなく、匿名による発信も必要になる。それは自国を鼓舞し相手国を攪乱するだけでなく、周辺国を味方につけることの必要性も現代では大きいからです。

さしたる理由もなく軍隊が攻めてくることが現実にあるし、それは海を挟んだ隣国であるという現実は、戦争と言えば太平洋戦争だった多くの日本人の戦争観を変えたでしょう。少なくとも私は変えました。初演の2019年なら問題にならなかったのに、現実が3年前の想像を追越して、脚本の戦争観が古く見えてしまいました。

ここから先は独断と偏見です。野田秀樹は個人を、それも理由はどうあれ自分から動く個人を描くのが上手な人です。逆に社会問題を描くのは苦手な人です。社会問題を借景に持ちつつも最後は個人の物語に落ちるといいのですけど、最後に社会問題が全面に出てくると違和感が残ります。人種差別を扱いつつあの女の話でまとめた「赤鬼」や、原爆投下の責任問題を扱いながらミズヲとヒメ女で引張った「パンドラの鐘」は、上手くいったほうの例ですね。

ならば今回はどうか。会えない螂壬生と愁里愛がバラバラに動くので、主人公たちに向けるべき目が借景で収まってほしい戦争に向いてしまった。それは最後に抱き合うラストを引立てても、後半長く扱った戦争と捕虜の話を払拭するには至りませんでした。そこに匿名や戦争の扱い方の違和感が重なって、納得いかなかったのが今回の結論です。

繰返しますが、ロミオとジュリエットを源平の対立で置換えたことや、名を捨てたことの末路までつながる一連の流れは実によくできています。ただし、よくできていても自分の好みに合うかどうかは別の話というだけのことです。

最後に一般感想です。今回は女性陣が活躍して、広瀬すず、羽野晶紀、伊勢佳代が目を引く出来でした。松たか子も男性陣も文句はありませんが、ちょっと身体に鞭打って演技していたような印象を受けました。これだけ公演して、さらにこれから海外を含むツアーなので、一息入れて頑張ってほしいです。個別場面ではシベリアでロミオを売ろうとする小松和重の後ろ暗い感じが一等賞です。

初演では上手最前列で観たのを今回は1階センター後方で観られましたが、全体が見えたほうが美しいですね野田地図は。もともと私は全体を眺めるのが好きですけど、それを差し引いても。今回はフォーメーションに依存する演出ではありませんでしたが、白い舞台にひびのこずえの衣装が映えて、美しかったです。

なお今回はうっかり東京千秋楽が取れてしまったのですが、2回目のカーテンコールからスタンディングオベーション。5回目あたりで野田秀樹が一人で戻って収めようとしたのですが収まらず、7回目だったかな、そのくらいで野田秀樹がもう一度一人で出てきて、ようやくお開きになりました。贔屓の役者を間近で応援できるのはライブの醍醐味ですが、私は苦手ですね。もっと素直にスタンディングオベーションすればいいのに我ながら損な性分です。

2022年5月23日 (月)

イキウメ「関数ドミノ」東京芸術劇場シアターイースト

<2022年5月22日(日)昼>

自動車事故の再調査で保険調査員に集められた関係者たち。自動車が歩行者をはねたはずなのに、歩行者は無傷で自動車が大破、助手席の同乗者が瀕死の重傷となる。関係者の証言を再確認しても原因は不明のまま。話が行き詰って大半の関係者が帰ったところで、目撃者の一人が仮説として提案したのが「ドミノ理論」。世の中には願いが何でもかなう人間が存在し、その願いが通常は月や年単位でかなうところ、今回は思った瞬間に願いが叶う「ドミノ1枚」現象だったのではないかという。提案した目撃者はこの仮説を確かめるためにある手段で検証を開始する。

2014年の再々演2017年の別企画公演に続いて3度目。今回はちょっと仕上がりが粗かった。もともと多少のことは気にならないよくできた脚本だから、過去の脚本で古くなったところやつじつまが不明だったところを手直ししたものの、ほぼそのままです。一番の違いが新しくオープニングとラストを追加したことで、これがいろいろ悪手。普通の人は観て楽しめますが、私には残念でした。以下、ネタバレにならないように配慮した拗らせたメタな感想ばっかりです。観てない人にはまったく参考になりません。

新しく追加されたオープニングとラストは、芝居の解釈の余地を残さない直球のメッセージ。もともとこの芝居は寓話らしさが魅力のひとつで、ラストの異なる2014年版でも2017年版でも余韻が残りました。今回この台詞を受持った安井順平はメッセージを担う十分な出来でしたし、芝居全体の造りもより誤解なくソリッドになっていましたけど、余韻は全部飛びました。ああ、これが「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」ことへの対応の実例なんだと合点がいきました。

演劇は観ている側の想像力も試される余地の大きい表現形式でもあり、だけど生身の人間が目の前で演じることで多少の不明点も何となく通じるところが他の表現形式にはない武器のひとつです。演者と観客との間に第三の舞台が立ちあがるというアレですね。なのにここまで言う。今回は観客の想像力を信じるのを止めたんだと思いました。観客の反応を探る実験なのか時代への対応なのかはわかりません。

メッセージを追加した賛否について1日考えましたが、アリかナシかで言われればアリですけど、好きか嫌いかで言えば嫌いです。ただ、以前の脚本をそのまま上演したら、おそらく好きだけど古いという感想になったはずです。わがままな観客ですね。上演自体を古臭く感じさせないためのアップデートとしては必要だったのかなと思います。難を言えば、メッセージを出す側のポジションが曖昧でした。オープニングの親や教師や上司にっていう台詞、上演側の人たちもすでにそちら側の立場に入っていておかしくない年齢であり、自分たちをどういうポジションに置いてこの台詞を書いたのかは気になりました。

そして、直球メッセージの副作用として、お前らどうなんだというのが出てしまった。初演のころには特に気にせずに書いたであろう設定に、年月が追いついてきた。結果、この追加したメッセージに胸を張ってイエスと言える出演者がどれだけいるかという話です。新型コロナウィルスで公演中止も経験した後ならなおのことです。

それかあらぬか、本来なら劇団員も脚本の設定に近い年齢になって演じやすくなっているはずですが、今回はなんかチグハグ感の残る舞台でした。幕が開いて1週間経っていないといえばそうですが、それにしても仕上がりが悪い。さすがに演出家がもっと磨いておいてほしかったです。ここで話は飛んで、メタな感想もいいところですけど、これが精一杯なら劇団が解散するかもと想像しました。

役者では安井順平と温水洋一、たまに太田緑ロランスがいい感じでした。役でいうと小野ゆり子は、アップデートされたつじつま合わせの中で終盤の説得力の要なので、もう少しがんばってほしかった。後半の浜田信也と盛隆二のかけあいが今回好きな場面で胸を打つものがあって、決して上手くないものの成立させるために上手さだけではなく思いも要求されるところ、あんなやり取りが場面として成立するところが演劇だよなと観終わってから思いました。

2021年12月13日 (月)

風姿花伝プロデュース「ダウト」シアター風姿花伝

<2021年12月12日(日)夜>

ケネディ暗殺の翌年、という時代のアメリカ。教会は司祭と神父によって、教会に併設されるロースクールは校長を筆頭に修道女たちによって、運営されている。校長を務めるシスター・アロイシスは厳格で恐れられている。人はいいが生徒に甘いとみる教師シスター・ジェームスを叱咤し、子供たちに人気のフリン神父を警戒する校長。やがて、シスター・ジェームスが、担任する少年の様子がおかしかったことを校長に報告してくる。その報告にフリン神父への疑惑を確信に変えた校長は神父を問い詰めるが、神父は疑惑を否定する。

このほかに少年の母親役を含めて、4人だけの登場人物が時に励ましあい、時に激しく口論を交わす。これこれ、こういうのが観たかった、というごりごりのストレートプレイ。いいお値段だけど芝居好きなら観ておけよ損はさせないから、の一本。たまらん。シアタートラムや新国立劇場小劇場くらいならこのまま持っていける芝居をこの規模の劇場でやる濃密さ。

こなれた翻訳で交わされる激論が、よくよく聴いていると言質を取らせないとても上手な言い回し。教会関係者だから基本は神に誓って嘘は言わないはずとか、いやいや教会の大規模な不祥事とその隠蔽は海外で大きなニュースになっていたよねとか、たまたま私は知っているけど知らなくても楽しめる。そういう現実や材料を背景に、何があったのかを追求するのが縦糸。その追求の焦点となる少年にとって、この問題に対して周囲がどのように振舞うのが本人の幸せになるか、この少年の幸せを願ったとしてそれがより広い共同体にとって益になるのか害になるのか、が横糸。

この話をタイトル通り、神父だけでなく校長の過去も明かさず、疑いのまま進めるのがポイント。そうすることで観ている側に、お前ならどうする、と問いかける。「テロ」では投票で二択を観客に迫ったけど、この芝居は問いかける選択肢がもっと広い。

4人しかいない中でも中心人物の校長を演じる那須佐代子が実力全開の切れ味。人が良さそうでも校長と全力で議論する亀田佳明。その間で悩むシスターの伊勢佳代。校長との会話でまったく違う視点から真っ向ぶつかってくる津田真澄。4人のバラバラな方向が、どこか一方に傾かないように調整したというより、拮抗するように引出した演出はさすがの一言。

スタッフワークは、狭い劇場を狭いと感じさせない美術と照明を挙げておく。美術は広さに加えて、見切れを減らして座席を増やしたことも今回の功績に挙げたい。どちらも客として本当にありがたい。あと誰にも通じそうにないマニアな話として、適切な暗転の使い方を久しぶりに観た気がする。たぶん脚本で指定されている通りだと思うけど、今どきの芝居は、暗転なしで場面転換できて当たり前、みたいなところがあるので新鮮だった。

新型コロナウイルスが一時期よりは落着いてきたとはいえ、次はオミクロン株か第六波かと言われている中、この規模の劇場に来るのは迷った。迷ったけど、来てよかったし観てよかった。大満足。

2021年5月30日 (日)

野田地図「フェイクスピア」東京芸術劇場プレイハウス

<2021年5月30日(日)昼>

恐山でイタコ見習いを続けて50年、明日の試験で見習いから卒業することを目指すイタコ見習のもとに、珍しく指名が入ったと思ったらダブルブッキング。しかも憑依してほしい死者が客に勝手に憑依する始末。よく見たら片方は高校の同級生。恐山に来た理由を尋ねるうちにもう一人の客が逃げてしまう。

国や自治体の要請と、出演者の体調不良と、両方による公演中止の可能性を考えていたのでスケジュール初期で観劇。休憩なしで2時間5分。言葉遊びで展開を飛ばしていく、いかにも野田秀樹な新作だった。何も考えないで芝居単体に集中すると最後にきれいに締まった芝居で、4回目のカーテンコールでスタンディングオベーション。ただ個人的には、開幕1週間でまだ仕上がっていないというか、熱量不足というか。加えてメタな話を想像すると、うーん、という感想。

先にスタッフワークに触れておくと、ど安定。コロスも含めて衣装が好き。ただ、舞台上を横切る幕を使って早替えするのだけど、間に合っていなくて舞台中央で幕がスローダウンする。あれは幕の長さを倍にしてでも同じ速度で横切ってほしい。幕がワイヤーを伝う音と姿は一定速度を保ってほしい。それと効果音が重なって川平慈英の台詞が聞こえないところはタイミングを打合せてほしい。

で、ネタバレしない範囲で分析。分析というのもおこがましいですね。妄想です。こじらせた客の感想なのであまり気にしないでください。

野田秀樹にしては珍しく、はっきりとしたメッセージを台詞で伝えていました。観れば誰でもわかるし、物語単体としては単純だけど最高の台詞です。ではそのメッセージは、劇中では橋爪功演じる役に向けられていたけど、芝居のメッセージとしては誰に向けられていたか。客ではない、世間でもない、同業者に向けたメッセージだと私は受取りました。不要不急と言われて委縮した同業者に対する、野田秀樹からのメッセージです。そのメッセージのために「あの話」を持ってきて、芝居としてつなげてしまうのが野田秀樹の才能です。

ただ、この1年間、散々「業界」批判をしてきた身としては、先に芝居ではなく素の言葉によるメッセージを野田秀樹に期待したかったです。それを飛ばして芝居によるメッセージを選んだんだ、というのがひとつ。

そしてキャスティング。メッセージを受ける役に橋爪功を置いたのですが、おそらく今回の出演者の中で一番ふてぶてしい、メッセージなんかなくてもどうってことはないという人だと想像します。白石加代子も、ふてぶてしいとはいいませんが、世間の風には追い風も向かい風もあらあなと知っている人だと想像します。

翻ってメッセージを伝える側の高橋一生。丁寧すぎて線が細くなってしまいました。とりあえずもっと声を張ってほしい。そしてメッセージを補強する立場に前田敦子を置いたのは、アイドルとして活躍した経験に加えて「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」と言ってのけた舞台度胸を買ってのことだと想像します。が、これがいまいち効いていませんでした。不慣れな野田芝居のさらに新作でポジションをまだ見つけられていないのか、私生活のごたごたが続いているのか、理由は不明です。

ただこの2名が頑張ったとして、それだけで良くなる感じがしません。全体に絵が共有されていない印象があって、その場合は仕上がり不足。あるいは、出演者たちがそもそもメッセージを信じられていないから弱く見えるのであれば、その場合は熱量不足。いつもだともう少し野田秀樹の出番が多くて、それで台詞のスピードや声量がノってくるのですけど、今回は最初の登場場面までが結構長くて、出番も限られています。それで全体の展開が遅くなったのも一因かと考えます。

こんなこと書きましたけど、よくできた芝居ですよ。繰返しますが、こじらせた客のこじらせた感想なので、あまり信用しないでください。白石加代子と村岡希美はとてもよかったです。

新型コロナウィルス対策メモ。驚くほど簡素。入場口は4列用意。手首検温だけ済ませたら、チケットを見せて自分でもぎり。アルコール消毒は入った後に置いてあるので自分で任意で行なう形。普段は閉めている、入って右側の屋外テラス部分を飲食場所として開放。来場者登録は入って右側にあるも任意。スタッフはマスクとフェイスガード。アナウンスに加えて会話しないでくださいのメッセージボードを持って注意喚起(ただそれでも客席はざわついていた)。最後はエリアを区切っての整列退場。

あと最後に、今回センターブロックは2階席最後方までS席という話を見かけたのですけど、A席がどこだかわかる人がいたら教えてください。観やすいし見切れもないだろうからS席と言われればそんなもんかとも思いますが、それにしたってねえ、ということで。

<2021年5月31日(月)追記>

2日前の公演で白石加代子の台詞がすっぽ抜けていたらしい(ネタバレありブログより)。そういえばカーテンコールではける時に川平慈英がエスコートしていました。今回もっと公演後半で観たほうがいいのかな。

2021年4月 4日 (日)

劇団☆新感線「月影花之丞大逆転」東京建物BrilliaHALL

<2021年4月3日(土)夜>

強烈な個性を持つ月影花之丞が運営する劇団。契約を餌に無理やり出演させられている保険の営業員、共演者キラーすぎて共演NGになったところを拾われた女優など出自は様々。そしてベテラン役者が、実は月影花之丞の暗殺を依頼された証拠を残さないことで有名な殺し屋だった。暗殺を阻止するためと殺し屋を逮捕するため、インターポールの捜査官が入団志望としてオーディションにやってくる。

あらすじを書くのも野暮なネタ尽くし路線に歌も交えての一本。下ネタなしでお色気は西野七瀬の笑顔のみという健全さはおポンチ路線とは言い難い。かつ、どことなく物語としての芯を感じさせる。劇団というシチュエーションのためか、ネタの合間に演劇熱をひそませている気配は、脚本がいのうえひでのりでなく中島かずきだからか。

それはそれとして「稽古中の劇中劇」と合間の「劇団員の悩み」という料理のしやすいシチュエーションを元に、ネタと歌とチャンバラで盛りだくさん。有名どころが多いとはいえマンガアニメも坂道系音楽も取りこんで、観る側の「教養」が試される。全部拾えた自信はないけど知らなくても楽しめる。セルフパロディの受けから察するに観慣れたファンの多い回だった模様。東京千秋楽前ということもあり仕上がり上々。

役者は阿部サダヲが引張って、新感線メンバーが支えて、若いゲストが華とネタを添えて、木野花が持っていったイメージ。劇場の広さに負けないテンションが通して全員にあった。今回気が付いたのは、少人数だったためか古田新太以外の新感線メンバーが全場面を通じて上手かったこと。長くやっているのは伊達ではない。3人組で妙に身体の切れが良かったのは保坂エマであっているか。

そして木野花。まじめにやってもとても上手な人だけど、この広い劇場であんな衣装ででたらめな台詞を言って、ネタらしさともっともらしさを両立させて聞こえるのが本当に不思議。キャリアのなせる技というより、荒唐無稽な芝居を大量に体験してきた人の芸か。荒唐無稽が身の回りに満ちていたある一定以上の世代で絶える芸という予感がする。

映像を含めて手間のかかっていそうなスタッフワークも含めて、これぞ新感線という1本だった。そして感心したのはコロナのコの字もなかったこと。このご時世に新作でまったく触らずにネタで2時間通したのは見事。途中から素直に楽しめた。楽しんだ客席からは堂々のスタンディングオベーション。こういうの楽しみにしていた客の多さが伝わる。

この後大阪公演が4月14日から5月10日まで予定されているけど、今の大阪の新型コロナウィルス感染状況でいけるのか、それは心配。

そのほか新型コロナウィルス対策メモ。入場前にチケットの半券の裏に名前と電話番号を記入して一番最初に記入有無確認(記入場所あり)。検温、手指消毒の後で自力もぎり。チラシや配役表は配布なしで、配役表はWeb参照。スタッフはマスクにフェイスガード、客席最前列がどうなっていたかは見逃し。開演前の注意はアナウンスに加えてスタッフがボードを持って案内するも、会話控えめにとの注意はあまり効果なし。マスクをしている人ばかりではあるけど、開演前はそれなりにざわついている。今回1階で観たけど1階は満席、2階3階は半分のはずだけど遅く行ったため未確認。終演後は列ごとの整列退場。ロビーの飲食を禁止する代わりに、咳防止に自席で飲物を飲めるようにしている。ロビーの椅子は使えない。

前2公演と比べて思ったのは、大きい劇場なら対策も万全に取れると言いたいところだけど、大きすぎる劇場だと客も多くて取れる対策に限度がある。この劇場だとフルなら1300人、2階3階が半分だとしても1000人、ぎりぎりに来る人も一定数以上になる。足裏消毒とか最前列フェイスガードとか、対策を思いついてもどこまで実現可能か、微妙。でも足裏消毒はあってもよかったと思う。自分の足元に荷物を置いている人を結構見かけたので(奥の席に後から客が入るときに手前で座っていた人が荷物を引上げることが多い)。

さらに話は変わってこの劇場、近年建設の都内民間劇場の常として、客席数に対してロビーが狭い。時間がなくて確認できていないけど劇場内階段もそこまで広くなかった模様。受付階の外と地上階の間は広い階段があるけど、その分だけ人が滞留できる平たいスペースが足りないから階段で足を滑らせたら危ない。新しいから耐震性は高いのかもしれないけど、次に行ったときは早めに着いて避難経路を確認しておきたい。

<2021年4月30日(金)追記>

緊急事態宣言のため4月26日の公演を持って終了となりました。

2020年8月17日 (月)

東京芸術劇場企画制作「赤鬼」東京芸術劇場シアターイースト

<2020年8月14日(金)夜>

嵐の後に浜辺に打上げられたのは、村から舟で逃げたはずの「あの女」たち。だがせっかく助かったのに「あの女」は身投げしてしまう。一緒に助けられた少し頭の足りない兄が説明する、「あの女」の身投げの理由と赤鬼をめぐる一連の騒動。

チケット購入に手が動かなかったところ、当日券で観た人による購入手続き説明付きの感想をうっかり読んでしまう。読んだ瞬間に、この日に行けば引けるという当日券の神様のお告げが聴こえて、ここまでクラスターになっていないし東京久しぶりだしと理由をつけて出かけて、引いた。

Dチーム。若手もいればそれなりに長くやっているベテランもいた回だったけど、ずいぶん若い芝居に仕上がっていた。よく言えば早口の台詞で勢いがある。反対に言えば緩急に欠ける。ところが、仕上がりはどこからどう見ても「赤鬼」だった。理由を考えると、第一には脚本の良さ。エネルギーを切らさず最後まで走り抜けられればある一定の仕上がりに達することができる、すでに古典の風格がありながら古びない脚本。

演出は昔のタイバージョンとそんなに変わっていない。村人が赤鬼への対処を相談する一場面だけ、村人がマスクをして、マスクをしていない兄に「何でマスクしてないんだよ」とツッコミをいれる演出が入っていた。今の新型コロナウィルス騒動に重ねて、一般人が未知のものを過剰に怖がる様子と自粛警察がはびこる様子とを短時間で表現していた。あの一場面だけでそういう見立てを伝えたのは見事。だけど新型コロナウィルスに直面した演劇業界のことをいろいろ書いた自分は、村人が演劇業界人で、赤鬼が一般人とか行政とか専門家会議の専門家とかでも成立つんじゃね、と思った(公演を自粛してほしいと希望する側に、何でだよ補償しろよドイツだよと演劇業界人が反発するイメージ)。2020年8月現在、すでに市中感染のレベルになって誰でも感染しうる状況で、小規模な公演でも大規模な公演でも実際にクラスターが発生した後で観ると、1か月前に固めたであろう演出がすでに古い。

そういう余計な考えを除けば、やっぱりどこを見ても「赤鬼」なので、久しぶりに観られて満足した。もったいなかったのは、会場の空間が芝居の広がりに対してやや狭い。もう少し広い会場で観たかった。あと、トータル95分だったけど、前に観たときはもう少し長かった記憶がある。新型コロナウィルス対応で、できるだけ短い時間に収める制限を設けたのか、減った客席をダレさせないための判断か。その中で緩急をつけるのもプロの技かもしれないけど、せめてあと5分追加できたらという惜しさは残った。ミズカネ演じる吉田朋弘が通してよかったけど、フクを演じた北浦愛の、最後「フカヒレって、言ったよね」からの気迫も「あの女」感が出ていてよかった。

そしてカーテンコール。四方向挨拶の動きに懐かしさを感じたけど、観客数の少なさを実感したのもここ。1席飛ばしの客席では満席でも拍手がまばらになって、拍手の塊感が出ない。熱演に拍手が届かなかった。

以下メモ。

・囲み舞台で1席飛ばしの自由席。客席とアクティングエリアの間はビニールシート。照明が入れば視界への影響は最小限だったし、(舞台中央だったけど)強い言葉で唾が飛ぶのが見えたので、やっぱりあってよかったと思う。ただ最前列はビニールシートが目の前(前の座席の背もたれまでくらいの距離)なので避けた。あれは好みで選べばいいと思う。

・ロビースタッフや客席誘導スタッフは全員マスクに加えてフェイスガードも装着。当日券購入時には連絡先記載。入場はチケットの番号順に1人ずつ呼んで入場。入場時は順に検温、チケットの目視確認(その後に自分でもぎり)、当日パンフは自分で任意にピックアップ、最後にアルコール消毒。手がふさがるのでアルコール消毒を前に持ってきてほしいけど、チケットを手に持っていたら変わらないか。退場はエリア別に順に退場。

・スマホには接触確認アプリをインストールしているけど、上演中は電源を切った(念のためスタッフに聞いたけど切ってくださいとの返答)。接触時間が長ければ判定になるので、電源入れっぱなしのほうがいいと思うけど、それは無理か。通信機能抑止装置を入れたらBluetoothもダメになるっぽいし。せめてと思って、開演ギリギリまでひっぱってから電源を切ったけど、あれはどうするのが正解なんだ。

<2020年11月21日(土)追記>

接所確認アプリの話は「電源オン、機内モードオン、Bluetoothオン、音は鳴らないように」がよいという結論になりました。

2020年2月11日 (火)

てがみ座「燦々」東京芸術劇場シアターウエスト

<2020年2月10日(月)夜>

幕末。子どものころから絵筆を取らせて絵を描かせていた、葛飾北斎の娘、お栄。母の勧めで結婚するが、初夜から夫を置いて火事観察に出かけてしまうほど絵が好きで、絵師を目指すも夫からは反対され、実家に戻る。だがその絵も、北斎にも兄弟子にも版元にも、近所のおかみさんにも未熟を指摘される。絵師になりたいのに書きたいものが何か迷うお栄は、機会があるごとに絵を描き続けるが・・・。

再演だけど初演未見。女が絵師になるための苦労、というよりは、周辺人物も含めて、描きたくてどうしようもないけど描けない芸術家の苦悩と挫折と成長、を描いたように見えた。その点「絢爛とか爛漫とか」を思い出すけど、今回のほうがより主人公を応援したくなる展開。一人複数役が普通だったため、蕎麦屋の夫婦が長屋の人、の展開が観ていてわからなかったのがもったいない(アフタートークでわかった)。

良い役者が多かったけど、版元の福本伸一と、複数役をこなした中で石村みかを挙げておく。スタッフワークはむき出しの木と不織布がそっけないようでいていろいろ変化をつけていた美術に、真面目に見たら江戸っぽくないのに気にさせなかった衣装とヘアメイクがよい仕事。まだ詰められる箇所はたくさんあるけど、総じて十分楽しめる仕上がり。

制作に注文として、調べても上演時間が見つからなかったので昼公演での見物予定を立てられずにこの日になってしまった。アフタートーク抜きで休憩なしの2時間10分だったけど、再演なら約2時間くらいは読めるだろうからホームページでもTwitterでもどこかに描いておいてほしい。

アフタートークは長田育恵と渡辺えり。あの台詞がいいこの場面が素晴らしい元気をもらった、と渡辺えりがパワフルに褒め倒して8割方しゃべり続けたので、内容をあらかた忘れてしまった。が、女が仕事をする苦労、という渡辺りの振りに長田育恵が乗っていたので、素直にそちらが主題だったのか、でも江戸で女絵師もいたはずだし、とか余計なことを考えたのも忘れた理由のひとつ。あと主人公が「俺」というのは永井愛か、父親も画家だし、と訊かれて偶然と返していた。それで永井愛が一人称に「俺」を使う人で、父親が永井潔という画家だと初めて知った。あれで笑っていた観客は玄人。

2019年11月23日 (土)

鳥公園「終わりにする、一人と一人が丘」東京芸術劇場シアターイースト

<2019年11月22日(金)夜>

友達とも不倫中の男性とも話のかみ合わない女性がその後付き合った男性と旅行する話と、死体清掃業のバイト先の先輩が掛持ちで働いている介護先の話のかみ合わない老女の話。

話がかみ合わない人たちがいろいろ出てきて、話がかみ合わないことに関するいろいろな場面を並べてみた芝居。と書くと荒すぎて申し訳ないけど、「話がかみ合わない」話が上手に構成されて、最後につながるのは脚本の腕前。それをすっとんきょうな衣装や動作で上演する演出は、アフタートークでは「内臓をさらけ出すような」と表現されていたけど、夢や空想で見たものをそのまま舞台に乗せていた、と言うのが個人的には近い。あれだけでたらめにやっているようで統一感を感じられたのが不思議で、何が統一感を出していたのか理由がわからない。

最後まで観て個人的には楽しんだけど、表向きはテンション抑え目なこともあって、「ヨブ呼んでるよ」よりは客を選ぶスタイルだった。

ひとつ偶然があって、たまたま劇場に来るときに荒川洋治の「詩とことば」を読んでいたら、読んだばかりの箇所から引用があったので驚いた。厳密に台詞が一致していたかはわからないけど、「詩は、その言葉で表現した人が、たしかに存在する。たったひとりでも、その人は存在する」とか。確かに、詩の言葉は分かりにくい、と書かれた同書は、話のかみ合わない人たちを言葉の面から取上げているから引用するのにぴったりとも言える(なお帰りにこの本を読みきったら、詩に対する苦手意識が確実に下がった良本)。

アフタートークは脚本演出の西尾佳織がワワフラミンゴの鳥山フキを相手に。観終わってそうとう戸惑っていた模様。以下短めのメモだけどだいぶ忘れている。間違っていたら謝ります。


西尾:芸劇eyesの「God save the Queen」で鳥公園とワワフラミンゴが一緒だったので知合った。今回の上演も芸劇plusの枠で声を掛けてもらっている。

鳥山:アトリエイーストで行なわれたリーディング公演を聞いていたが、上演を観たら全然違っていた。
西尾:城崎のワークショップの一環で最初は書いて、そのときはカップルの話だけだった。他の話は頭の中にはあって、後から追加した。

鳥山:特に前半が分からない。
西尾:前半はわからないまま頭の片隅に置いておいてもらえば、公演が上手くいったときは最後にわかるように作っているつもり。別に今日の公演が上手くいかなかったということではなくて。

鳥山:演出が強い。脚本が線画だとすると、演出の色塗りが線をはみ出している。内臓をさらけ出しているよう。
西尾:演出はその瞬間に面白そう、と思ったことを優先してしまう。


前半がわからなくて後半でつながるのなんて、ちょうど上の階で上演している芸術監督の野田秀樹が最たるものなんだから、そこで遠慮する必要はないのに。

2019年10月15日 (火)

野田地図「Q」@東京芸術劇場プレイハウス(若干ネタばれあり)

<2019年10月14日(月)昼>

あの悲劇で生き残って30年後、僻地のロミオから都のジュリエットに宛てた手紙。だがそこには何も書かれていなかった。何が書かれたのかを想像して出合った頃を思い返した2人は、あの悲劇で自分たちが死んでしまわないよう過去の自分たちの暴走を改めて止めようとするが・・・。

粗筋読んでもわかりませんね。Queenの音楽でどうなるかと思いましたけど、いつも通りの野田地図です。ただし歌詞が一部内容に反映されていて、近年よくある大きな話につながっていて、現代の風刺になっている。差支えない範囲だと、ロミオが平家、ジュリエットが源氏の対立関係に置換えられていて、いわゆる「ロミオとジュリエット」をやりつつ、他のシェイクスピアもネタにしつつ、若い2人の暴走を止められるかどうか、からその後までいろいろ。最終盤、バックに控えた橋本さとしや羽野晶紀、小松和重のあしらわれ方や伊勢佳世の最後などに、複数のメッセージを凝縮して存分にこめる場面はやっぱり野田秀樹ならでは。ただ、筋の複雑さ以上に個人的にはややすっきりしないところがあり、4人主役というのは野田秀樹をもってしても若干重いのではないかと推測。

役者ではフレッシュ主役の広瀬すずと志尊淳がまったく見劣りしない活躍、特に志尊淳は声よし姿よし身のこなしよしで、これは今後の野田地図3公演以内の再登場を確信させる出来。他に経験組の羽野晶紀はノリがよく、松たか子は実に望ましいタイミングで望ましい演技をしてくれる(そして何もしていないときでも実によい表情)。逆にベテランでも初参加組が控えめで、上川隆也や伊勢佳世が真面目なのは想定内として、橋本さとしや竹中直人がもっと怪しく遊んで拡げられる役のところ、脚本内に収まっていたのはやや不満。小松和重も経験組の割にはあまり遊んでいなかった。休憩はさんで3時間の上演時間が長すぎて野田秀樹が抑えたか。あと今回はコロスの人数がいつもより少なかったけど、いつもより多めの台詞を割振って、見せ場を作りつつ役者陣をシェイプアップするのに一役かっていた。まったく違和感なかったのでもう少し台詞をそちらに振ってもよさそう。

と文句はあるけど、観終われば満足するのはいつものこと。こんなの世界中探しても観られない芝居なので、野田秀樹が元気なうちにできるだけ観ておきましょう。それにしても野田秀樹が毎回放り込んでくる「近年よくある大きな話」がまったくネタに困る様子がなくて、検証されずにふたをされた行為たちの何と多いことかと今さらながらに思う。

ちなみに台風の影響は少なくともここにはなくて、昼の回はいつも通りの当日券100人越えでした。それでも全員立見も含めて入れていたけど、列の進みが遅くて何事かと思ったら座席確認と会計を一人で兼ねていた。窓口の種類が多すぎて場所と人手が足りていなかったのかもしれないけど、100人以上捌くのにそんなダサいことは止めてもらって、座席確認と会計を分離してほしい。そこまで並びたくない人は夜の回のほうが人数少なかったです。

<2019年10月15日(火)追記>

「A Night At The Kabuki」と副題にあって意味不明でしたけど、あれ、冒頭の場面は「俊寛」でしたね。何か観たことがあるとは思ったけど忘れていました。ということは、他の場面でもシェイクスピア以外にも、歌舞伎からの引用で構成された場面があるかもしれません。私の知識では追えないので誰か詳しい人が後で引用元をまとめてくれることを期待します。

2019年10月 7日 (月)

風姿花伝プロデュース「終夜」シアター風姿花伝

<2019年10月5日(土)夜>

夫の母の葬式から骨壷と共に戻ってきた夫婦。夫婦は娘が一人いるが、夫は離婚した前妻との間にも娘がおり、その娘からの電話をきっかけにいつもの喧嘩が始まる。やがて夜が遅いからと弟夫婦が泊まりに来るが、仲の良くない兄弟で喧嘩が始まり、また弟夫婦の間でも言い争いが始まる。お互いが溜めていた言葉がほとばしり出て止まない一晩の話。

公式では4時間半だったのが劇場案内では3時間50分となり実測は休憩2回を挟んで3時間40分。攻守ところを変えてひたすら言い争いが続く、一言でまとめると「それを言っちゃあおしまいよ」を言ってしまう芝居。少し笑える場面もあるけど、シリアスというか伝わらないとか諦めとか絶望とかそういう言葉が似合う場面がほとんど。これでよく芝居が続くなと思うところを続けられるのは役者スタッフが一丸になった賜物。

4人それぞれの役が抱える問題は、どことなく日本でも同じ問題を抱える人がいそうなもの。そこで、岡本健一にくたびれた中年役を、栗田桃子がエキセントリックな役を、それぞれ振るのが意外で、これがまた上手い。栗田桃子は当面の代表作になるかという出来。那須佐代子はだんだんはじけていく、やっていて美味しい役ではないかと想像していたらその通りだった。そもそも少人数芝居だから脇役を用意する余裕はないのだけど、プロデュース公演ではちゃんといい役が用意されている芝居を選びますねこの人は(笑)、というのを差引いても上手で、過去に観たいろいろな芝居とも違う役を造形。ちょっともったいなかったのが斉藤直樹で、後半に道化的な演技が目立って、多少息抜きがほしかったのだと推測するけど、この脚本と芝居なら4人全員シリアスで押し切ってもよかったんじゃないか。とは思うけど、表に出たり秘めたりしている熱量が4人とも激しくて、それでこそ成立する芝居を見せてもらった。

スタッフワークがまた素晴らしくて、黒一色の素通し舞台に葬式の写真を思わせる黒縁をもうけて、葬式帰りという設定で黒い衣装メイン。そこに影を多く作る照明と、ほぼ効果音だけの音響。すごいしっくり来た。やっかいな言い争いを上手に整理して、スタッフワークと統合させた上村聡史の手腕が凄い。

華やかな演技や演出は一切なし、その代わり質は保証、夫婦生活を長く続けて酸いも甘いもかみ分けた大人向け。そういう芝居。前売売切の回でも当日券は用意されていて、角度はさておき見切れは全然ない至近距離の舞台なので、我こそはという人は是非。

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