2018年9月21日 (金)

グループる・ばる「蜜柑とユウウツ」東京芸術劇場シアターイースト

<2018年9月15日(土)夜>

独り暮らしの自宅で頭を打って亡くなった茨木のり子。その自宅に、のり子の甥と編集者がやってくる。亡くなる前に出版を頼みたいと伝えられたが原稿をもらっていない編集者が、相続して私物の整理をしている甥に頼んで調べさせてほしいという。甥も協力的ではあるが自分では見つけられなかったという。ところでのり子は、心残りがあって幽霊として自宅に残っているが、何が心残りだったかを思い出せない。自宅の管理人と称する幽霊が、通りがかりの幽霊を呼込んで、心残りを思い出す手伝いをしている。

初演を見逃したら評判がよかったので観劇。戦争や結婚や同人誌の活動など、茨木のり子の人生のイベントをある程度はなぞっているけど自伝というわけでもなく、と言って詩をたくさん引用して構成するわけでもなく、きちんと生活しつつ詩人としても活動したその心構えを得たり揺らいだりした転機やバックボーンを調べて追いかけて想像してみました、という一本。すごく地味だし、最近の流行りのように反戦の話が挟まったりして、お勧めする場面がほとんど思いつかないのだけど、その割にはあれ、結構よい芝居だったかも? という不思議な舞台。

よい芝居に思えた理由のひとつは、何と言っても主催を差置いての木野花。親友役で出てくるのだけど、これが抜群に格好いい。格好よくない場面がひとつもない。茨木のり子との初対面の場面で芸術家の生き方をやり取りする場面は「お勧めする場面がほとんど思いつかない」この芝居の中で数少ない見せ場のひとつ。あともうひとつの理由は、おそらくマキノノゾミの演出。どこがどうとは言えないけど、舞台全体にある種の統一された雰囲気が満ちていて、これでおそらく2段階くらい質が上がっていた。たまにはこんな芝居もいい。

他の芝居との兼合いでこの回を選んだらアフタートーク付き。制作を司会進行に、マキノノゾミと松金よね子と岡本麗と田岡美也子が登場。思い返してのメモだけど間違っていたらご容赦。

<アフタートークここから>

司会:3人は着替えてから登場なので先にマキノノゾミさん登場です。一度ご一緒したくて、私や3人も含めてライブに押しかけて演出を依頼しました。る・ばるでは依頼したい人に大勢で押しかけてお願いする、ということをよくやっています。
マキノ:親父バンドをやっているのだけど、その宣伝のために「俺の弱みを握りたいやつはライブに来い」と言いふらしているので、そこに押しかけられたら断れない(笑)。
司会:茨木のり子さんのことはどの程度ご存知でしたか。
マキノ:全然知らなかった。演出を依頼されたときはまだ脚本がなかったので、詩集を読んだり、評伝を読んだり、自宅の写真を眺めたり。まだ自宅が残っていて、今回の舞台は実際の自宅を元に作っています。小さいのだけど小奇麗で住みやすそうで、本人がしのばれるような家です。

司会:3人登場です。る・ばるを実際に演出してみた感想はいかがですか。
マキノ:何と言うか、部活みたいな感じで(笑)。基本的なところからいろいろと。
田岡:お菓子を食べていたら「台詞を覚えてから菓子を食え」とか(笑)。
松金:「休憩時間が終わってからトイレに行くな」とか(笑)。
司会:いろいろご迷惑をおかけしました(笑)。る・ばるに初参加していただく方にはどのくらい寄り添っていただけるかがいつも心配なのですが。
マキノ:それはもう寄り添って奉仕しました(笑)。
松金:介護体験のような(笑)。

司会:茨木のり子を取上げた経緯を。
松金:「倚りかからず」という詩集を読んで、そこから他の詩集も読んで、これは芝居にできないかと軽い気持ちで提案しました。ただ主催の3人を全員茨木のり子にするのは難しく。
マキノ:脚本の長田さんがどういう話にすればいいかすごく悩んでいたら、永井さんが「お化けはどう」と提案してくれて、そこから脚本が始まりました。
司会:永井愛さんには度々お世話になっています。
松金:そのときも一緒にお茶を飲んでいたのですが、「お化けにしちゃえばいいじゃん」と言ってくれました。
マキノ:「前世がヤモリ」って(岡本の)台詞は本人が信じている「実話」だから迫真の演技でしたね(笑)。
岡本:私、前世がヤモリなんです(笑)。
マキノ:それを聞いた長田さんは目が点になっていましたけど(笑)、あそこから一気に脚本が進みました。
司会:この脚本を演出してみていかがだったでしょうか。
マキノ:演出するときは「自分が一番この芝居が好きだ」という気構えで演出しますから。いや結構大事なことですよ。

司会:初演と比べて今回の出来はいかがでしょうか。
マキノ:初演より今回のほうが出来はいいです。
司会:初演を観た人はどれくらいいますか(会場半分くらい挙手)。
マキノ:結構いますね。
司会:やはり「今回再演を観て、初演では気がつかなかったよさに気がついた」と言ってくれたお客様がいたのですが、脚本は何も変えていないんですよね。
マキノ:同じです。
司会:出演していた立場からは。
田岡:初演のときは(台詞を)入れて出しただけで終わりました。今回脚本を読んで初めて気がついたことが多いです。
松金:今回は再演の心構えも教わりながら進めました。
マキノ:再演だから前回できたところまではすぐに到達する、そこからどれだけ伸ばせるかが再演の勝負です。若い劇団だと初演のほうが勢いがあって面白かった、となることが多いけど、今回は再演のほうがよかった。
司会:あまりそう言われると初演を観た方に申し訳がないので・・・。
マキノ:初演もよかったけど今回はもっとよかった(笑)。
司会:あまりSNSで拡散しないでくださいね。

司会:最終公演とした経緯を。
松金:フランス映画で「母の身終い」というのを観たら、内容はまったく関係ないのですけど「身終い」という言葉が気に掛かるようになって。今のうちに身終いしたほうがいいと考えて最終公演としました。
岡本:私はこれから終活で(笑)。もうこの芝居が終わったら私生活も身終いで(笑)。
田岡:私は実はまだ続けたかったし、続けられると考えていました。ただそのまま続けて、飽きられて忘れ去られて「まだやっていたの」と言われるくらいなら、この作品で終わりにするのはありだと考え直しました。
司会:期せずしてマキノさんに解散公演の演出を依頼することになってしまいましたが、これで責任感など感じられてしまうと・・・。
マキノ:ない、微塵もない(笑)。みなさん止めることを深刻に考えすぎですね。私は止めることに結構縁があって、自分の劇団も解散していますけど、別に明日から死ぬわけでなし(笑)。る・ばるが解散しても皆さんは役者として続けていかれるのですし。劇団なんてやっていると何年先の公演予定が入って、そこまで病気もできないとか、いろいろ不自由なこともあるでしょう。そもそもきれいに止められる集団なんてほとんどないのだから、こんなに上手に止められるなんてむしろめでたいことですよ(笑)。

司会:この後、年内はツアーを行ないますが、来年になったら何をしますか。
松金:木野花さんを加えて4人でユニットを立上げる?(笑と拍手)
司会:そのときはぜひ私も。
マキノ:木野花さんもねえ。ご自分が演出なさるときは知的でチャーミングな方なんだけど、役者のときはどうして・・・(笑)。
松金:る・ばる化していましたね(笑)。
マキノ:最初にこの仕事を引受けたときは木野花さんがいると聞いて頼みにしていたんだけどねえ(笑)。
司会:る・ばるに参加する方はる・ばる化する傾向にありますね。
マキノ:そういう自分も森に迷って稽古に遅刻しましたけどね(笑)。森で迷うって旅行か(笑)。

<アフタートークここまで>

あんまり書かないでとは言っていたものの、別にそこまで悪い話でなし、こんな弱小ブログでは気にしない。木野花の話で拍手まで起きたのは、やっぱりあの仕上がりのよさを認めた観客が多かったのだと確認。その裏ではいったい何があった。

マキノノゾミは想像していたよりも大きい図体がくねくね動いて、何か近藤良平のように、身体に不思議な色気のあるおっさんだった。ちょっと正確な言葉を失念しましたが「自分が一番この芝居が好きだという気構えで演出する」の下りはいいですね。このアフタートーク一番の収穫です。

<2018年9月24日(月)追記>

東京千秋楽で千秋楽で岡本麗が舞台から転落したとのこと。本家サイトより。

本日、東京芸術劇場シアターイーストにて14時開演の千穐楽におきまして、芝居中盤で出演者の岡本麗が舞台から転落致しました。しばらく様子を見ましたが、早々の再開続行は不可能と判断し、残念ながら公演中止とさせていただきました。
ご来場くださったお客様には、事情をご説明してお詫び申し上げ、その場で可能な限りご返金の対応をさせていただいております。尚、一部プレイガイドにてご購入くださったお客様のみ、後日の手続きということでご連絡先を伺っております。
大方のお客様には対応が完了したかと存じますが、もしもまだお手続きがお済みでない方がいらっしゃいましたら、プリエール 03-5942-9025(土日祝日を除く11時~18時)までお問い合わせください。
※尚ご返金の対象は、本日のご来場が確認できているお客様に限らせていただきます。

岡本は検査の結果鎖骨骨折とのことで、幸いそれ以外に異常はなく、若干の不自由はあるものの今後の地方公演は予定通り上演させていただきます。
さよなら身終い公演の東京公演千穐楽という日に、このような事態になってしまい誠に申し訳ございません。またご来場くださったお客様に振替公演のご提案もできず申し訳ありません。
今回の事態を踏まえ、スタッフ・キャスト一同、改めて作品と向き合って参りたいと存じます。
何卒ご理解賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

舞台手前はもちろん段差があるけど、激しいアクションのある芝居でもなし。舞台中央の階段はあるけど場転で出はけに使わないといけない舞台構造でもなし。そもそも岡本麗は階段を使う場面もほとんどなかったと記憶しているけど、どの場面でどこに落ちたんだろう。

1年前にはシアターウエストで病死からの転落があったし、不謹慎ながらまさかひょっとして茨木のり子の亡くなり方をなぞって身終いかと想像したので、こういっては何だけど骨折止まりで何より。

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遊園地再生事業団「14歳の国」早稲田小劇場どらま館

<2018年9月15日(土)昼>

とある中学校の3年生の教室。体育の授業中で生徒はいないが、教師が集まっている。中学生が最近起こした事件に触発されて、生徒を理解し危険を防ぐための持物検査を行なうためだ。ただし生徒には伝えられておらず、反対の意思を示した一部の教師にも内緒で行なわれている。授業時間内に終わらせないといけないのだが、教師の間で息が合わず、なかなか検査ははかどらない。

ネタばれしすぎたらつまらないので大雑把に書くと、いわゆる酒鬼薔薇事件を背景に、すでに大人になって長い教師から見た中学生のわけのわからなさと、そんな事言ったって大人のほうがわけがわかっていないではないか、という話。ある教師から話題が出たら、他の教師が必要以上に混ぜっ返していくあたりの展開は不条理劇っぽいラインぎりぎりを責めつつ、最後に不条理劇で一気にもっていく展開は見事。

ただその見事さ以上に、これが20年前の芝居とはとても思えないところが意外。酒鬼薔薇事件なんてすでに今の中学生が生まれる以前の事件で、実際に芝居の中では直接言及はされていない。それにも関わらず、登場する教師たちの、自分達は生徒の持物をこっそり検査してもよいという発想と、それでいて後ろめたいことをしている自覚と、なのに誰も止められないという展開。あれは舞台が中学校以外でも、今の日本として十分成立する。それを象徴するのがあのラスト場面とも言える。不条理劇なんだけど不条理に見えないというか、現実のほうが不条理というか。

教師役の5人がまた全員上手くて、特に疑わない筆頭の教師役の谷川清美の、近くに居そうな人物という雰囲気が、普通は上手いというと褒め言葉なんだけど、この芝居に限ってはそこに気持ち悪さが混じる。5人中唯一生徒寄りの美術教師役の踊り子ありは、こういう先生が居てくれたらもう少し救われる思わせつつ、あっさり生徒を裏切ったり、ラストの役回りも酷く、別の意味でわけがわからない大人の役が非常によかった。感想を無理矢理まとめると、丁寧で上等な後味の悪さを堪能させられた芝居。

ほぼ正方形の劇場に、一回り小さい教室を斜めに設置して座席を三方に配した美術は、どこから観ても見やすいというより、どこから観ても等しく損する場面がある模様。ただ思いっきりかさ上げされた舞台で、後列でも十分至近距離なので、前列よりは後列のほうがまだ見通しがよさそう。あと学校のチャイムから作った音楽がとてもよかったけど、それ以上に音響設備と音源がよかったのか、狭い劇場の音響がよかったのか、劇場ではこれまでで有数のハイファイな音響。いい音はいいものだと再認識。

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2018年9月 7日 (金)

野田地図「贋作 桜の森の満開の下」@東京芸術劇場プレイハウス

<2018年9月6日(木)夜>

古代ヒダの国の王が3人の彫刻職人を呼寄せる。夜しか起きない姉の夜長姫と昼しか起きない妹の早寝姫との2人の姫の成人に祝いに、3年の期限で仏像を彫ってほしいという。が、そのうち一人目は誤って自分で亡くなった師匠の弟子が、二人目は職人を道中に襲って殺めた山賊の頭が、それぞれ成りすましている。極端な性格の夜長姫は一人目の男の耳を奴隷に切取らせたのを手始めに、何かと困らせる一方、美しい顔に引かれた早寝姫に近寄られた三人目の職人は、ヒダの国の丑寅に封印されている鬼のことを調べている。その動きを知った二人目の男は、それを種に手下の山賊たちとともに接近を図る。

当日券をもぎ取って、2001年の新国立劇場版、2017年の歌舞伎座版に続いて3度目の観劇。夢の遊眠社時代にも2回上演されているから、野田秀樹の中でも上演頻度の高い脚本のはず。ただ何と言うか、うーん、低調だった。

先に褒めるところを書いておくと、今回観て、脚本のよさに今さら気がついた。いかにもあったかもしれないように描かれる古代の謎と、今の時代ならもっと減らしたであろう、過剰と言える言葉遊びで挑むところ。演技力より何より上演にはまず気合が大前提の壮大な話は、野田秀樹でしか観られない。

それを上演する隙のないスタッフ陣。美術も照明も音楽もいいけど、微妙にポップなひびのこづえの衣装がよく似合う。歌舞伎座版で鬼の面に批判的な感想を持ったけど、今回そこまで気にならなかったのは衣装で中和されていたからだと思う。あとコロスの面々の切れのある動きとぴたっと止まる身体がスピード感を出していた。少しだけど台詞もあって悪くなかったし、ひとり表情の変化がすごい女性コロスがいたけど誰だろう。

ただ主力メンバーが軒並み低調。まず天海祐希の演じた三人目の職人オオアマ。美しさ格好良さはさすがだけどこの役に必要な悪い面が全然見えない。歌舞伎版を幸四郎のオオアマは観たときには感心しなかったのだけど、実は結構いい出来だったのだと思い直した。古田新太の二人目の職人マナコ。長丁場で省エネ運転なのは劇団☆新感線の出演も含めて最近の傾向だけど、切れがないから省エネが手抜きに見える。唯一新顔で早寝姫の門脇麦。溶け込んでいたのはさすがだけど、あと一歩ほしい。夜長姫の深津絵里は結構頑張っていたけど、七之助の夜長姫を見た後ではまだいけるのではと期待してしまう。一人目の職人で耳男の妻夫木聡と、ヒダの王を演じた野田秀樹が頑張っていたほう。他のベテラン勢は控えめに徹してあまり遊びも仕掛けず。

2日前に大阪で台風、当日早朝に北海道で大地震と大規模停電、ひょっとしたら身内に被害があってあまりはしゃぐ気分ではなかったのかもしれないけど、大枚はたいた客としてはもう少し何とかならなかったかと望みたい。

あと穿った見方をすると、今回はフランス公演を控えて、現地で誰か倒れても公演に穴を開けないで済むよう、バックアップを見据えたキャスティングだった可能性がある。天海祐希(野田秀樹主演の三谷幸喜芝居で宮沢りえにバトンタッチされたのは記憶に新しいところ)か古田新太なら池田成志か大倉孝二が、深津絵里か門脇麦なら村岡希美が、妻夫木聡なら野田秀樹がスクランブル、銀粉蝶と秋山菜津子も場合によっては調整、まさかの野田秀樹なら藤井隆が、それぞれ後詰めして、開いた役はコロスから抜擢。普段はこの贅沢なキャスティングが遊びを仕掛けて盛上げるのだけど、今回は字幕公演対応のためか実直な場面が多く、贅沢が無駄遣いに見える。そのくらいの理由を考えないと納得できない。

そしてバックアップで対応できるくらいの能力を持ったキャスティングにした結果、エネルギーに欠けるというか、こういっては何だけど年寄り臭い舞台だったともいえる。周りのコロスはみんなダンス経験者なのか、動きに切れがあったのでなおさらそう見えたのがひとつと、もうひとつ意外だったのが、滑舌が悪くて聞取りづらい台詞多数。3倍速で台詞を言っても聞き取れるのが野田秀樹の舞台じゃないのか。

フランス公演が終わって、自然災害が落着いて、もう遠慮しなくていい状態になった凱旋公演で出来ればもう一度確かめたい。

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2018年8月28日 (火)

パラドックス定数「Nf3Nf6」@シアター風姿花伝

<2018年8月25日(土)昼>

第二次世界大戦中、ドイツ内にあるユダヤ人収容所。ナチスの将校が銃殺される寸前のユダヤ人を救って自分の執務室に連込む。2人はかつて大学の数学教師で、共同で論文を執筆したこともある仲だった。数学者として相手の能力に敬意を払って助けたいと考える将校と、相手の能力に敬意を払いつつもすでに家族も殺されてナチスに身を投じた相手を責める囚人。将校の私物のチェス盤を載せた机をはさんで交わされる会話につれて明かされる、互いの過去と立場。

タイトルは「ナイトエフスリー ナイトエフシックス」でチェスの駒の動かし方。相手を探りあいながらも、数学の話題には共通してのめり込む関係。タイトルと設定とラストが格好いい、いかにもパラドックス定数という男2人芝居。

反面、役者の出来がいまいち。2人が共同で過ごした時間を感じさせてくれないし、今いる収容所の様子も薄いし、数学の話も(観ているこちらで内容が理解できないのはともかく)数学者として話しているように聞こえないし、死体を見慣れているようにも思えない。共通の景色が見えないというか、脚本にない部分だからこそ、役者に補ってほしい。将校役には準備不足を感じるし、囚人役も精神状態はともかく健康状態は良好すぎないか。

脚本も、2人のパワーバランスが揺れてほしいところ、最初から最後までほぼ一直線で逆転していくのは物足りない。あと会話の転換点がびっくりするほど追えなかった。数学とか暗号とか、2人に共通の前提がたくさんある設定だけど、脚本が急なのか、演技の詰めが甘かったのか不明。

タイトルとチラシの格好良さで結構期待していて、始まってしばらく、設定がわかるあたりまでの格好良さは期待通りだったけど、その分だけ仕上がりにはがっかりした一本。

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2018年8月19日 (日)

パラドックス定数「5seconds」シアター風姿花伝

<2018年8月18日(土)夜>

機長による着陸直前5秒前の操縦が原因で墜落した日航機三五〇便。精神病と鑑定されて警察病院に入院中の機長に最初についた弁護士は話が合わず、同じ事務所の若手弁護士に担当替えとなる。心神喪失による無罪を確信しながらも、なかなか話の合わない機長との面会に繰返し訪れて聞取りを試みる。いったい墜落直前の5秒間に何が起きたのか。

初日観劇。これで4演目という、病院の面会室が舞台の2人芝居。逆噴射という単語にうっすら聞き覚えはあってもそれ以上は知らない航空機事故を元に、「その瞬間」を突止められるかどうかの対話が続くサスペンス芝居。実際に起きた事故なだけあって、固有名詞や時刻などの細部に説得力が強い。繰返し上演してきただけのことはある脚本。机と椅子しかない舞台の後方には、場面転換中に準備する小道具などが置かれた場所を用意して、1時間45分出ずっぱりで演じた役者の集中力もさすが。観て損はない仕上がり。

でもこれが正解の方向だったかというと疑問。楽しんだけど、脚本の掘る向きを演出も役者も間違えた印象。若手弁護士の成長物語を強調するような演技は注意深く減らしてほしかったのがひとつ。そこは脚本ですでに完成しているので、控えめにしてもらったほうがより引立ったはず。成長物語を全面に出したドラマに食傷気味だったのもある。

あともうひとつ、声と表情を豊かに演じすぎて緊張感が犠牲になっていた。トレードオフで選んだ結果と言えるかもしれないけど、自分は緊張感とリアリティを優先してなおかつ最後のやり取り開始まで違和感なくつなげてほしかった。わがままな客の注文という自覚はあるけど、でも実際に24人が亡くなった事故の話にしては、ややくだけた雰囲気ではなかったか。精神分裂病の人間がどのくらいリラックスできるのかは知らないけど、そんな事件の担当者になった弁護士があんなに興奮するものなのか。機長が弁護士に向かって「みんな顔がない(あなたにだけはある)」という挿話があるけど、それは抑えた演技と両立するもののはず。

全席自由だけど、ほとんど椅子に座りっぱなしの場面ばかりなので、センター寄りがおすすめ。机より手前にはほとんど来ないので、最前列でもちょうどよかったかも。舞台サイドも席があるけど、あそこに座る場合は、手前の役者はほとんど背中しか見られないことを覚悟。

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2018年6月 4日 (月)

イキウメ「図書館的人生Vol.4 襲ってくるもの」東京芸術劇場シアターイースト

<2018年6月2日(土)昼>

脳科学者だった父がアルツハイマーとの連絡を受けて帰国した息子が見たのは、父自身が精神と記憶を移植したコンピューターだった「箱詰め男」、どこから来たのかわからない衝動を無視するのはよくないという考えにとり付かれた運送会社の運転手は死亡事故を起こして交通刑務所から出てきた後もますますその考えを深めていく「ミッション」、就職活動を始めた女性は母の病気再発を聞かされて介護のために大学を辞めようかと相談するも家族からは反対されて恋人とも距離を置き始める「あやつり人間」。

日本人なのか人類全体なのかわからないけど、自他の区別が曖昧で自分の感情に鈍感な人間についての考察をちりばめた中篇3本。自分の興味ど真ん中で感心することしきりだったけど、この面白さをどうやって説明すればいい。

いつも主役に近い安井順平や浜田信也が引いて、ゲストの小野ゆり子、清水葉月、田村健太郎、千葉雅子に多めに活躍させたのは劇団としてよい兆候ととらえたい。1本目と3本目で確固とした存在感を示しつつ、2本目のおばちゃん所長役のほうがハマって見える千葉雅子はやはり小劇場の人。美術と照明を駆使した場面転換の場面は素敵。

後日更新するかも。

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2018年4月29日 (日)

パラドックス定数「731」シアター風姿花伝

<2018年4月28日(土)夜>

戦後2年を経過した東京。銀行の行員と一般客に毒を飲ませて金を奪った帝銀事件が発生した。使われた毒の内容から731部隊の関係者が怪しいと、部隊に所属していた研究者たちの中には警察から聞き込みされた者もいる。同じ時期に、過去を隠して戦後を生きていた元731部隊の所属軍人たちへ中身のない封書が届く。差出人の名前はないが送信元は東京の研究拠点であった牛込のビルになっていた。焼け残ったビルに元731部隊の幹部達が集まって、帝銀事件の話、昔の部隊の話を相談する。果たして事件は731部隊の関係者が引起したものなのか。

実際の事件に想像を足して一本の芝居に仕立てる野木萌葱が得意とする分野。この分野で観たことがあるのは「東京裁判」と「怪人21面相」だけど、今回も狭い会場に充満する怪しい雰囲気で迫力十分。戦後の混乱期を背景に、過去に行なった行状との折合いをつけながら、あるいはつけられないで生きる男7人が、生きて行きたいという必死さと、学問への情熱と、保身を目指す身勝手さと、それぞれが一体となって出てくるヒリヒリした会話劇。

帝銀事件の当時の捜査では分からず仕舞いだった毒物を使った事件が元ではあるけど、元731部隊所属の面々がメイン。きれいごとを言っていた人間が黒い面を見せて、ひどいことを平気で口にしていた人間が結果としてよい行動を取ったり、登場人物誰もが悪いことに携わっていて、保身を計るのだけれども、にも関わらず人間は善悪で割切れないという面を描いて圧巻だった。「何でお前ら、自分を人間の外に置けるんだよ」という台詞があったけど、条件が揃えば置けるでしょう。生きのびたいんだという欲求、研究者として知りたいという欲求、これらの前に善悪が判断基準とならなかった登場人物たちだけど、これは人間誰しもそうなる可能性がある。ミルグラム実験とかグアンタナモ刑務所とかそれこそナチスとか日本人に限らないけど、日本人は特に条件が揃ったときに歯止めになる文化が少なくて個人にゆだねられている。同じ条件がそろって同じ立場になったら自分もやりかねないと自覚しながら観るのがまた迫力を倍増させる。

登場人物の名前と731舞台での役職関係を理解するまで時間がかかったけど、分かりやすすぎる芝居よりはこのくらい不親切なほうがむしろ理解する楽しみが味わえる。不親切かもしれないけどフェアでもあった。ついでにいうと野田地図の「エッグ」も731部隊を扱っていたけどこっちのほうが断然いい。

欠点は、登場人物が格好良すぎたこと。野田萌葱が演出するからには男は全員格好よくなるに決まっているけどこれは半分本気。扱っているテーマを考えると、もっと格好悪くてみっともなくしたほうがよかったのではないかと思う。あくまでも芝居だからどう演出したっていいのに、何に遠慮しているのか自分でもよくわかっていないけど。

<2018年5月3日(木)追記>

感想を清書。

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ホリプロ企画制作「酒と涙とジキルとハイド東京芸術劇場プレイハウス

<2018年4月28日(土)昼>

助手とともに研究に勤しむジキル博士。名門一族である学問の師の娘と婚約もすませている。かねてから研究している、人格の分離を実現する薬の発表を翌日に控えて、スピーチまで完成させている。が、肝心の研究は失敗して薬はできていない。何としてもこの発表をものにして名声と研究資金を集めたい博士は、脇役の役者をつれてきて、人格分離後の替玉を演じさせようとする。ようやく役者を納得させて練習していると、婚約者が忘れ物を取りに来る。ちょうどよい機会と婚約者に黙って替玉を試してみることにする。

初演は見逃したけど、同じキャスティングでの再演。冒頭の「好きな人の前ほど上手く心を開けない」という台詞が、別人格になれないというメインの話に絡んで進行する脚本。扱っているテーマは取りようによっていくらでも深刻になるけど、そこは三谷幸喜、ちょっとしんみりするくらいであとは全部笑いに振る。初演時にの評判が少なかったのでこのくらいの笑いかと想像した通りの線だった。

最初にもっともらしい悩みから、だんだん強引な笑いに進めていくのは王道だけど、三谷幸喜にしては珍しく役者のフリに笑いを頼る場面が多い。ジキル博士役の片岡愛之助がいい人を演じないといけないので毒気を出せず、ハイド役の藤井隆がよく言えば健康的な悪く言えば毒が足りない笑いになって、キャスティング逆じゃないのかという印象。助手役の迫田孝也が腹黒な位置づけだったけど、進行としてあまり本人が絡まないのがもったいない。

一人気を吐いていたのが婚約者役の優香で、通常場面もそうでない場面も、脚本の要求から1ミリもずれない役を披露していた。ただあれは、役者が役を創って演技しているという感じではない。普段の仕事で要求されているのか自分に課しているのか、あらゆる欲求や不満を抑え込んでその場で求められる振舞を正確に続けているうちに、その結果として姿勢や顔の表情や声の調子まで寸分の狂いもなくコントロールできるようになった人が、その方法の延長で役者をやっているような演技だった。それは鉄の根性で身に着けたであろうすばらしい技術であり、求められる振舞を察して理解できる頭の良さも必要で、それが足りない勤め人である自分には非常にうらやましい能力。ではあるけど、表現としては一番大事なところが抜けていて、脚本の要求から自分の要求で1ミリでもずらすそのずらしかたに魅力は宿るのではないかと思う。1ミリずらすと言って悪ければ、1ミリでも高く盛ること。

ついでに書くと、それで実際に役をこなしていたから、三谷幸喜も別の芝居でああいう役(ネタバレなので書かないけど)に起用したのだな、というかこの芝居の優香の演技を観てあの芝居を思いついたんだろうな、と今になって合点がいった。勝手な想像だけど、たぶん間違っていない。

生演奏はいい感じで、2人でやっていたというのはカーテンコールで気が付いたのだけど、演奏場所から演技場所が見えないためか音の入りが演技と微妙にずれる場面多数。あれは美術企画の段階か、もっと音に沿ったきっかけを作るか、どちらにしても演出で調整してほしかった。

<2018年5月3日(木)追記>

感想追加。

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2018年2月23日 (金)

ハイバイ「ヒッキー・ソトニデテミターノ」東京芸術劇場シアターイースト(若干ネタばれあり)

<2018年2月21日(水)夜>

引きこもりを外に出す支援センターで働く女と男。男はかつて自分も引きこもりだった経験があり、女の担当で外に出るようになってからセンターで働いている。現在担当しているのは、10年間引きこもって親が顔を見せると暴れる男性と、28年間引きこもって社会に出るためにきっちり振舞うことを勉強している男性。支援センターの持つ寮に入ることを親に提案し、本人にそこに入ってもらうまでがまず一苦労。

岩井秀人自身をモデルにした役が出てくるヒッキーシリーズの、3本目かな、自分はシリーズ初見。初演は吹越満が演じた役を岩井秀人本人が演じての再演。男の昔話を入れた3人というか3家族の話を描く。描かれる内容は面白くて笑わせるけど嗤わない。家族との関係が甘えにも支えにもなって、突き放したはずが上手くいって、安心したと思ったら悲劇が待つところの難しさ。

支援センターの女を演じたチャン・リーメイのプロとして諦めないけど適度に距離を取る感じと、元引きこもりとして他人との応対もいまいちな男を演じる岩井秀人の距離の近さとの差が生むでこぼこコンビがやっぱり核。終盤、引きこもりから外に出た初日にひどい目にあった男がその後に外に出られるようになったことを指して、なぜあの体験の後で外に出られるようになったのかわからない、引きこもりの人間が外に出たほうがいいと言えるのかと突っかかる女にわかりますよと男が返す場面、あの場面の良さを伝えたい。双方のそこまでの立居振舞を思い返させてくれる仕上がりだった。ただそれとは別に、古舘寛治演じる引きこもりの役。きっちりしていないといけないと信じて道を訊かれたときの練習をする場面、あれには心を打たれた。

ポップだけどとっちらかった小道具(でも全部活用される)をあしらいつつ、外に出られない役を囲いの中に、それを見守る家族を囲い美術の周囲に配して、枠の中に入っているかどうかを表す単純だけどよく出来た美術が見事。まったく切れ目無しで3人3家族の場面を切替ながら続けていく演出。あれはやっぱり高度な技術の粋なのではないかと思うけど、何が高度かわからないのは相変わらず。役者の切替かな。難癖をつければ、ラスト感が薄く終わってしまった最後の場面(音楽を使いたくなければ照明で変化をつけてもよかったのでは)と、相対的に出番が減って能島瑞穂を使い倒せなかったこと、両方のもったいなさ。

当日パンフに書かれていた文章が素晴らしかったので一部引用。本当、こういう芝居だった。時間があればもう1回観たかった。そして他のヒッキーシリーズをぜひ観たい。

「世界の正しさ(ありかた)に勝てない人達」
たぶん僕は彼らを、心の中でそう名付けていました。感覚として。でもそれはたぶん、間違っています。僕は外に出たから、そのことを盾に「勝てない人達」と言っています。
部屋の中にいた頃の僕は、外に出て楽しそうにしている友人達を間違いなく「世界に抗うのをやめた人達」と思っていました。
その両方を描く必要が、僕にはあると思っています。

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2018年1月24日 (水)

東京芸術劇場主催「秘密の花園」東京芸術劇場シアターイースト

<2018年1月20日(土)昼>

東京、日暮里のアパートに暮らすポン引きとホステスの夫婦の部屋に、ホステスの店の客だった男が通い続けている。ただし男はホステスに手を出さずに毎月自分の給料を渡しており、ポン引きの夫もそれを承知している。ホステスは町の実力者の甥から求婚されているがまだ受けていない。そんなある日、男は大阪に転勤になることを告げる。そこで騒動が巻き起こったあと、男を迎えに来た姉は、ホステスと瓜二つだった。

おっかなびっくりで観たけど、いまいちな仕上がり。アングラな芝居の持つエネルギーに丁寧すぎる演出がブレーキを掛けて乗りこなせなかった印象。柄本佑と寺島しのぶの主人公2人はストレートプレイで、実力者の叔父の池田鉄洋は小劇場、実力者の甥の玉置玲央はアングラ、田口トモロヲは不思議な演技。登場人物ごとに雰囲気が違って揃っていないのと、なによりほとんどの役者の声が出ていない。大量の本水をつかった美術と、選曲に時代を感じさせつつ現代の設備に耐えうる音質の音響など、スタッフの気合が入っていただけに残念。

ただ、いろいろ考えたらそもそも乗りこなせなった印象が正しいかというと、そうとも思えなくなった。ここから先はあまり芝居と関係ない雑感。

大量の言葉と息をつかせぬスピード感で、理解させるより先にわけのわからない設定を進めて、気がついたら何かよくわからない到達感を覚えさせるのが唐十郎の手法。それはやっぱり言葉を意味と音の両方から操れる詩人の仕事で、唐十郎は何よりも詩人だということ。観ていて思ったのは、野田秀樹は確実にこの詩人・唐十郎の系譜に連なるということ。

一方、身体的に個性のある役者(障害者という意味ではないです)を配してある種の重さ、泥臭さを出すのも、特権的肉体論(全然わかっていないけど「訓練された普遍的な肉体としてではなく、各役者の個性的な肉体が舞台上で特権的に『語りだす』ことを目指した演劇論」)と言い出した唐十郎の特徴で、たぶん唐十郎と一緒に仕事をした蜷川幸雄もこれを体質にしたのだと思う。「薄い桃色のかたまり」に出ていた役者陣の演技(もっといえば劇団員選抜の時点)に、その片鱗を感じさせた。蜷川幸雄は脚本の読み解きはもっとテクニカルというか今時風、西洋風だった。この身体性と脚本読み解き技術とが混ざって芝居が出来上がると、洗練されすぎて鼻につくこともなく、かといって泥臭すぎて目を背けたくなることもなく、地に足の着いた仕上がりになって、それが魅力だったのだろうと今になって思う。

出典は失念したけど、串田和美は野田地図「カノン」の出演からだいぶ後のインタビューで、野田秀樹の芝居に出るとみんな声を張って走り回る、ああいうのではない演出もあり得ると思うのだけど気がついたら自分が頑張る余地はなかった、という感想を述べていた。今回の上演は(野田秀樹が芸術監督を務める)東京芸術劇場の「現代演劇のルーツといえるアングラ世代の戯曲を若手・気鋭の演出家が大胆に現代の視点で読み直す」企画であるRooTSの一環で行なわれたものだから、まさに串田和美の指摘どおりの企画。詩人の仕事にも特権的肉体論にも囚われる必要なく、純粋に組立てなおせる可能性もあったはず。

今回の公演に際して松尾スズキがどこかで福原充則を「アングラをよく知っている人」とコメントしていて(他の役者が聞きだしたコメントだったかも、これも出典失念)、それが引っかかっていたけど、なんとなく理解した。たぶんアングラな芝居を原案と違う演出で上演するのに、アングラに詳しすぎるとそれが足を引張って自由度が下がる、それで上演して吉と出るか凶と出るかわからないけど頑張れ、みたいな含みをもたせたのだと推測。

そこまで考えると、田口トモロヲの軽快かつ実感あふれるヒモっぷりが目指すラインではなかったか。暑くるしいアングラ芝居にいかず、かといって嘘臭くもなく、軽演劇風でもなく、今回のキャスティングの中でひとりだけ形容しがたい演技だった。でもあのラインの演技を他の役者がすんなりできるとも思えず、形を変えた特権的肉体論のような気がする。寺島しのぶのおとなしめの演技もそういうラインを目指したのだと考えれば腑に落ちるのだけど、貧乏ホステス感を出すにはちょっと上品すぎたのと、柄本佑が応えられていなくて失敗した。姉役はアングラ感を強めに出していたけど、あの場面の連続ではアングラ感を出さないほうが難しい。ただ田口トモロヲは隅にいるときは細かい演技で、真ん中に出てきたときも声を張りすぎずにやり通した。結局は声か。あの演技の秘密がさっぱりわからない。

観客としては面白ければよくて正解はないのだけど、つまらない不正解はあって、今回の仕上がりは不正解だった。

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