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2021年5月30日 (日)

野田地図「フェイクスピア」東京芸術劇場プレイハウス

<2021年5月30日(日)昼>

恐山でイタコ見習いを続けて50年、明日の試験で見習いから卒業することを目指すイタコ見習のもとに、珍しく指名が入ったと思ったらダブルブッキング。しかも憑依してほしい死者が客に勝手に憑依する始末。よく見たら片方は高校の同級生。恐山に来た理由を尋ねるうちにもう一人の客が逃げてしまう。

国や自治体の要請と、出演者の体調不良と、両方による公演中止の可能性を考えていたのでスケジュール初期で観劇。休憩なしで2時間5分。言葉遊びで展開を飛ばしていく、いかにも野田秀樹な新作だった。何も考えないで芝居単体に集中すると最後にきれいに締まった芝居で、4回目のカーテンコールでスタンディングオベーション。ただ個人的には、開幕1週間でまだ仕上がっていないというか、熱量不足というか。加えてメタな話を想像すると、うーん、という感想。

先にスタッフワークに触れておくと、ど安定。コロスも含めて衣装が好き。ただ、舞台上を横切る幕を使って早替えするのだけど、間に合っていなくて舞台中央で幕がスローダウンする。あれは幕の長さを倍にしてでも同じ速度で横切ってほしい。幕がワイヤーを伝う音と姿は一定速度を保ってほしい。それと効果音が重なって川平慈英の台詞が聞こえないところはタイミングを打合せてほしい。

で、ネタバレしない範囲で分析。分析というのもおこがましいですね。妄想です。こじらせた客の感想なのであまり気にしないでください。

野田秀樹にしては珍しく、はっきりとしたメッセージを台詞で伝えていました。観れば誰でもわかるし、物語単体としては単純だけど最高の台詞です。ではそのメッセージは、劇中では橋爪功演じる役に向けられていたけど、芝居のメッセージとしては誰に向けられていたか。客ではない、世間でもない、同業者に向けたメッセージだと私は受取りました。不要不急と言われて委縮した同業者に対する、野田秀樹からのメッセージです。そのメッセージのために「あの話」を持ってきて、芝居としてつなげてしまうのが野田秀樹の才能です。

ただ、この1年間、散々「業界」批判をしてきた身としては、先に芝居ではなく素の言葉によるメッセージを野田秀樹に期待したかったです。それを飛ばして芝居によるメッセージを選んだんだ、というのがひとつ。

そしてキャスティング。メッセージを受ける役に橋爪功を置いたのですが、おそらく今回の出演者の中で一番ふてぶてしい、メッセージなんかなくてもどうってことはないという人だと想像します。白石加代子も、ふてぶてしいとはいいませんが、世間の風には追い風も向かい風もあらあなと知っている人だと想像します。

翻ってメッセージを伝える側の高橋一生。丁寧すぎて線が細くなってしまいました。とりあえずもっと声を張ってほしい。そしてメッセージを補強する立場に前田敦子を置いたのは、アイドルとして活躍した経験に加えて「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」と言ってのけた舞台度胸を買ってのことだと想像します。が、これがいまいち効いていませんでした。不慣れな野田芝居のさらに新作でポジションをまだ見つけられていないのか、私生活のごたごたが続いているのか、理由は不明です。

ただこの2名が頑張ったとして、それだけで良くなる感じがしません。全体に絵が共有されていない印象があって、その場合は仕上がり不足。あるいは、出演者たちがそもそもメッセージを信じられていないから弱く見えるのであれば、その場合は熱量不足。いつもだともう少し野田秀樹の出番が多くて、それで台詞のスピードや声量がノってくるのですけど、今回は最初の登場場面までが結構長くて、出番も限られています。それで全体の展開が遅くなったのも一因かと考えます。

こんなこと書きましたけど、よくできた芝居ですよ。繰返しますが、こじらせた客のこじらせた感想なので、あまり信用しないでください。白石加代子と村岡希美はとてもよかったです。

新型コロナウィルス対策メモ。驚くほど簡素。入場口は4列用意。手首検温だけ済ませたら、チケットを見せて自分でもぎり。アルコール消毒は入った後に置いてあるので自分で任意で行なう形。普段は閉めている、入って右側の屋外テラス部分を飲食場所として開放。来場者登録は入って右側にあるも任意。スタッフはマスクとフェイスガード。アナウンスに加えて会話しないでくださいのメッセージボードを持って注意喚起(ただそれでも客席はざわついていた)。最後はエリアを区切っての整列退場。

あと最後に、今回センターブロックは2階席最後方までS席という話を見かけたのですけど、A席がどこだかわかる人がいたら教えてください。観やすいし見切れもないだろうからS席と言われればそんなもんかとも思いますが、それにしたってねえ、ということで。

<2021年5月31日(月)追記>

2日前の公演で白石加代子の台詞がすっぽ抜けていたらしい(ネタバレありブログより)。そういえばカーテンコールではける時に川平慈英がエスコートしていました。今回もっと公演後半で観たほうがいいのかな。

2021年4月 4日 (日)

劇団☆新感線「月影花之丞大逆転」東京建物BrilliaHALL

<2021年4月3日(土)夜>

強烈な個性を持つ月影花之丞が運営する劇団。契約を餌に無理やり出演させられている保険の営業員、共演者キラーすぎて共演NGになったところを拾われた女優など出自は様々。そしてベテラン役者が、実は月影花之丞の暗殺を依頼された証拠を残さないことで有名な殺し屋だった。暗殺を阻止するためと殺し屋を逮捕するため、インターポールの捜査官が入団志望としてオーディションにやってくる。

あらすじを書くのも野暮なネタ尽くし路線に歌も交えての一本。下ネタなしでお色気は西野七瀬の笑顔のみという健全さはおポンチ路線とは言い難い。かつ、どことなく物語としての芯を感じさせる。劇団というシチュエーションのためか、ネタの合間に演劇熱をひそませている気配は、脚本がいのうえひでのりでなく中島かずきだからか。

それはそれとして「稽古中の劇中劇」と合間の「劇団員の悩み」という料理のしやすいシチュエーションを元に、ネタと歌とチャンバラで盛りだくさん。有名どころが多いとはいえマンガアニメも坂道系音楽も取りこんで、観る側の「教養」が試される。全部拾えた自信はないけど知らなくても楽しめる。セルフパロディの受けから察するに観慣れたファンの多い回だった模様。東京千秋楽前ということもあり仕上がり上々。

役者は阿部サダヲが引張って、新感線メンバーが支えて、若いゲストが華とネタを添えて、木野花が持っていったイメージ。劇場の広さに負けないテンションが通して全員にあった。今回気が付いたのは、少人数だったためか古田新太以外の新感線メンバーが全場面を通じて上手かったこと。長くやっているのは伊達ではない。3人組で妙に身体の切れが良かったのは保坂エマであっているか。

そして木野花。まじめにやってもとても上手な人だけど、この広い劇場であんな衣装ででたらめな台詞を言って、ネタらしさともっともらしさを両立させて聞こえるのが本当に不思議。キャリアのなせる技というより、荒唐無稽な芝居を大量に体験してきた人の芸か。荒唐無稽が身の回りに満ちていたある一定以上の世代で絶える芸という予感がする。

映像を含めて手間のかかっていそうなスタッフワークも含めて、これぞ新感線という1本だった。そして感心したのはコロナのコの字もなかったこと。このご時世に新作でまったく触らずにネタで2時間通したのは見事。途中から素直に楽しめた。楽しんだ客席からは堂々のスタンディングオベーション。こういうの楽しみにしていた客の多さが伝わる。

この後大阪公演が4月14日から5月10日まで予定されているけど、今の大阪の新型コロナウィルス感染状況でいけるのか、それは心配。

そのほか新型コロナウィルス対策メモ。入場前にチケットの半券の裏に名前と電話番号を記入して一番最初に記入有無確認(記入場所あり)。検温、手指消毒の後で自力もぎり。チラシや配役表は配布なしで、配役表はWeb参照。スタッフはマスクにフェイスガード、客席最前列がどうなっていたかは見逃し。開演前の注意はアナウンスに加えてスタッフがボードを持って案内するも、会話控えめにとの注意はあまり効果なし。マスクをしている人ばかりではあるけど、開演前はそれなりにざわついている。今回1階で観たけど1階は満席、2階3階は半分のはずだけど遅く行ったため未確認。終演後は列ごとの整列退場。ロビーの飲食を禁止する代わりに、咳防止に自席で飲物を飲めるようにしている。ロビーの椅子は使えない。

前2公演と比べて思ったのは、大きい劇場なら対策も万全に取れると言いたいところだけど、大きすぎる劇場だと客も多くて取れる対策に限度がある。この劇場だとフルなら1300人、2階3階が半分だとしても1000人、ぎりぎりに来る人も一定数以上になる。足裏消毒とか最前列フェイスガードとか、対策を思いついてもどこまで実現可能か、微妙。でも足裏消毒はあってもよかったと思う。自分の足元に荷物を置いている人を結構見かけたので(奥の席に後から客が入るときに手前で座っていた人が荷物を引上げることが多い)。

さらに話は変わってこの劇場、近年建設の都内民間劇場の常として、客席数に対してロビーが狭い。時間がなくて確認できていないけど劇場内階段もそこまで広くなかった模様。受付階の外と地上階の間は広い階段があるけど、その分だけ人が滞留できる平たいスペースが足りないから階段で足を滑らせたら危ない。新しいから耐震性は高いのかもしれないけど、次に行ったときは早めに着いて避難経路を確認しておきたい。

<2021年4月30日(金)追記>

緊急事態宣言のため4月26日の公演を持って終了となりました。

2020年8月17日 (月)

東京芸術劇場企画制作「赤鬼」東京芸術劇場シアターイースト

<2020年8月14日(金)夜>

嵐の後に浜辺に打上げられたのは、村から舟で逃げたはずの「あの女」たち。だがせっかく助かったのに「あの女」は身投げしてしまう。一緒に助けられた少し頭の足りない兄が説明する、「あの女」の身投げの理由と赤鬼をめぐる一連の騒動。

チケット購入に手が動かなかったところ、当日券で観た人による購入手続き説明付きの感想をうっかり読んでしまう。読んだ瞬間に、この日に行けば引けるという当日券の神様のお告げが聴こえて、ここまでクラスターになっていないし東京久しぶりだしと理由をつけて出かけて、引いた。

Dチーム。若手もいればそれなりに長くやっているベテランもいた回だったけど、ずいぶん若い芝居に仕上がっていた。よく言えば早口の台詞で勢いがある。反対に言えば緩急に欠ける。ところが、仕上がりはどこからどう見ても「赤鬼」だった。理由を考えると、第一には脚本の良さ。エネルギーを切らさず最後まで走り抜けられればある一定の仕上がりに達することができる、すでに古典の風格がありながら古びない脚本。

演出は昔のタイバージョンとそんなに変わっていない。村人が赤鬼への対処を相談する一場面だけ、村人がマスクをして、マスクをしていない兄に「何でマスクしてないんだよ」とツッコミをいれる演出が入っていた。今の新型コロナウィルス騒動に重ねて、一般人が未知のものを過剰に怖がる様子と自粛警察がはびこる様子とを短時間で表現していた。あの一場面だけでそういう見立てを伝えたのは見事。だけど新型コロナウィルスに直面した演劇業界のことをいろいろ書いた自分は、村人が演劇業界人で、赤鬼が一般人とか行政とか専門家会議の専門家とかでも成立つんじゃね、と思った(公演を自粛してほしいと希望する側に、何でだよ補償しろよドイツだよと演劇業界人が反発するイメージ)。2020年8月現在、すでに市中感染のレベルになって誰でも感染しうる状況で、小規模な公演でも大規模な公演でも実際にクラスターが発生した後で観ると、1か月前に固めたであろう演出がすでに古い。

そういう余計な考えを除けば、やっぱりどこを見ても「赤鬼」なので、久しぶりに観られて満足した。もったいなかったのは、会場の空間が芝居の広がりに対してやや狭い。もう少し広い会場で観たかった。あと、トータル95分だったけど、前に観たときはもう少し長かった記憶がある。新型コロナウィルス対応で、できるだけ短い時間に収める制限を設けたのか、減った客席をダレさせないための判断か。その中で緩急をつけるのもプロの技かもしれないけど、せめてあと5分追加できたらという惜しさは残った。ミズカネ演じる吉田朋弘が通してよかったけど、フクを演じた北浦愛の、最後「フカヒレって、言ったよね」からの気迫も「あの女」感が出ていてよかった。

そしてカーテンコール。四方向挨拶の動きに懐かしさを感じたけど、観客数の少なさを実感したのもここ。1席飛ばしの客席では満席でも拍手がまばらになって、拍手の塊感が出ない。熱演に拍手が届かなかった。

以下メモ。

・囲み舞台で1席飛ばしの自由席。客席とアクティングエリアの間はビニールシート。照明が入れば視界への影響は最小限だったし、(舞台中央だったけど)強い言葉で唾が飛ぶのが見えたので、やっぱりあってよかったと思う。ただ最前列はビニールシートが目の前(前の座席の背もたれまでくらいの距離)なので避けた。あれは好みで選べばいいと思う。

・ロビースタッフや客席誘導スタッフは全員マスクに加えてフェイスガードも装着。当日券購入時には連絡先記載。入場はチケットの番号順に1人ずつ呼んで入場。入場時は順に検温、チケットの目視確認(その後に自分でもぎり)、当日パンフは自分で任意にピックアップ、最後にアルコール消毒。手がふさがるのでアルコール消毒を前に持ってきてほしいけど、チケットを手に持っていたら変わらないか。退場はエリア別に順に退場。

・スマホには接触確認アプリをインストールしているけど、上演中は電源を切った(念のためスタッフに聞いたけど切ってくださいとの返答)。接触時間が長ければ判定になるので、電源入れっぱなしのほうがいいと思うけど、それは無理か。通信機能抑止装置を入れたらBluetoothもダメになるっぽいし。せめてと思って、開演ギリギリまでひっぱってから電源を切ったけど、あれはどうするのが正解なんだ。

<2020年11月21日(土)追記>

接所確認アプリの話は「電源オン、機内モードオン、Bluetoothオン、音は鳴らないように」がよいという結論になりました。

2020年2月11日 (火)

てがみ座「燦々」東京芸術劇場シアターウエスト

<2020年2月10日(月)夜>

幕末。子どものころから絵筆を取らせて絵を描かせていた、葛飾北斎の娘、お栄。母の勧めで結婚するが、初夜から夫を置いて火事観察に出かけてしまうほど絵が好きで、絵師を目指すも夫からは反対され、実家に戻る。だがその絵も、北斎にも兄弟子にも版元にも、近所のおかみさんにも未熟を指摘される。絵師になりたいのに書きたいものが何か迷うお栄は、機会があるごとに絵を描き続けるが・・・。

再演だけど初演未見。女が絵師になるための苦労、というよりは、周辺人物も含めて、描きたくてどうしようもないけど描けない芸術家の苦悩と挫折と成長、を描いたように見えた。その点「絢爛とか爛漫とか」を思い出すけど、今回のほうがより主人公を応援したくなる展開。一人複数役が普通だったため、蕎麦屋の夫婦が長屋の人、の展開が観ていてわからなかったのがもったいない(アフタートークでわかった)。

良い役者が多かったけど、版元の福本伸一と、複数役をこなした中で石村みかを挙げておく。スタッフワークはむき出しの木と不織布がそっけないようでいていろいろ変化をつけていた美術に、真面目に見たら江戸っぽくないのに気にさせなかった衣装とヘアメイクがよい仕事。まだ詰められる箇所はたくさんあるけど、総じて十分楽しめる仕上がり。

制作に注文として、調べても上演時間が見つからなかったので昼公演での見物予定を立てられずにこの日になってしまった。アフタートーク抜きで休憩なしの2時間10分だったけど、再演なら約2時間くらいは読めるだろうからホームページでもTwitterでもどこかに描いておいてほしい。

アフタートークは長田育恵と渡辺えり。あの台詞がいいこの場面が素晴らしい元気をもらった、と渡辺えりがパワフルに褒め倒して8割方しゃべり続けたので、内容をあらかた忘れてしまった。が、女が仕事をする苦労、という渡辺りの振りに長田育恵が乗っていたので、素直にそちらが主題だったのか、でも江戸で女絵師もいたはずだし、とか余計なことを考えたのも忘れた理由のひとつ。あと主人公が「俺」というのは永井愛か、父親も画家だし、と訊かれて偶然と返していた。それで永井愛が一人称に「俺」を使う人で、父親が永井潔という画家だと初めて知った。あれで笑っていた観客は玄人。

2019年11月23日 (土)

鳥公園「終わりにする、一人と一人が丘」東京芸術劇場シアターイースト

<2019年11月22日(金)夜>

友達とも不倫中の男性とも話のかみ合わない女性がその後付き合った男性と旅行する話と、死体清掃業のバイト先の先輩が掛持ちで働いている介護先の話のかみ合わない老女の話。

話がかみ合わない人たちがいろいろ出てきて、話がかみ合わないことに関するいろいろな場面を並べてみた芝居。と書くと荒すぎて申し訳ないけど、「話がかみ合わない」話が上手に構成されて、最後につながるのは脚本の腕前。それをすっとんきょうな衣装や動作で上演する演出は、アフタートークでは「内臓をさらけ出すような」と表現されていたけど、夢や空想で見たものをそのまま舞台に乗せていた、と言うのが個人的には近い。あれだけでたらめにやっているようで統一感を感じられたのが不思議で、何が統一感を出していたのか理由がわからない。

最後まで観て個人的には楽しんだけど、表向きはテンション抑え目なこともあって、「ヨブ呼んでるよ」よりは客を選ぶスタイルだった。

ひとつ偶然があって、たまたま劇場に来るときに荒川洋治の「詩とことば」を読んでいたら、読んだばかりの箇所から引用があったので驚いた。厳密に台詞が一致していたかはわからないけど、「詩は、その言葉で表現した人が、たしかに存在する。たったひとりでも、その人は存在する」とか。確かに、詩の言葉は分かりにくい、と書かれた同書は、話のかみ合わない人たちを言葉の面から取上げているから引用するのにぴったりとも言える(なお帰りにこの本を読みきったら、詩に対する苦手意識が確実に下がった良本)。

アフタートークは脚本演出の西尾佳織がワワフラミンゴの鳥山フキを相手に。観終わってそうとう戸惑っていた模様。以下短めのメモだけどだいぶ忘れている。間違っていたら謝ります。


西尾:芸劇eyesの「God save the Queen」で鳥公園とワワフラミンゴが一緒だったので知合った。今回の上演も芸劇plusの枠で声を掛けてもらっている。

鳥山:アトリエイーストで行なわれたリーディング公演を聞いていたが、上演を観たら全然違っていた。
西尾:城崎のワークショップの一環で最初は書いて、そのときはカップルの話だけだった。他の話は頭の中にはあって、後から追加した。

鳥山:特に前半が分からない。
西尾:前半はわからないまま頭の片隅に置いておいてもらえば、公演が上手くいったときは最後にわかるように作っているつもり。別に今日の公演が上手くいかなかったということではなくて。

鳥山:演出が強い。脚本が線画だとすると、演出の色塗りが線をはみ出している。内臓をさらけ出しているよう。
西尾:演出はその瞬間に面白そう、と思ったことを優先してしまう。


前半がわからなくて後半でつながるのなんて、ちょうど上の階で上演している芸術監督の野田秀樹が最たるものなんだから、そこで遠慮する必要はないのに。

2019年10月15日 (火)

野田地図「Q」@東京芸術劇場プレイハウス(若干ネタばれあり)

<2019年10月14日(月)昼>

あの悲劇で生き残って30年後、僻地のロミオから都のジュリエットに宛てた手紙。だがそこには何も書かれていなかった。何が書かれたのかを想像して出合った頃を思い返した2人は、あの悲劇で自分たちが死んでしまわないよう過去の自分たちの暴走を改めて止めようとするが・・・。

粗筋読んでもわかりませんね。Queenの音楽でどうなるかと思いましたけど、いつも通りの野田地図です。ただし歌詞が一部内容に反映されていて、近年よくある大きな話につながっていて、現代の風刺になっている。差支えない範囲だと、ロミオが平家、ジュリエットが源氏の対立関係に置換えられていて、いわゆる「ロミオとジュリエット」をやりつつ、他のシェイクスピアもネタにしつつ、若い2人の暴走を止められるかどうか、からその後までいろいろ。最終盤、バックに控えた橋本さとしや羽野晶紀、小松和重のあしらわれ方や伊勢佳世の最後などに、複数のメッセージを凝縮して存分にこめる場面はやっぱり野田秀樹ならでは。ただ、筋の複雑さ以上に個人的にはややすっきりしないところがあり、4人主役というのは野田秀樹をもってしても若干重いのではないかと推測。

役者ではフレッシュ主役の広瀬すずと志尊淳がまったく見劣りしない活躍、特に志尊淳は声よし姿よし身のこなしよしで、これは今後の野田地図3公演以内の再登場を確信させる出来。他に経験組の羽野晶紀はノリがよく、松たか子は実に望ましいタイミングで望ましい演技をしてくれる(そして何もしていないときでも実によい表情)。逆にベテランでも初参加組が控えめで、上川隆也や伊勢佳世が真面目なのは想定内として、橋本さとしや竹中直人がもっと怪しく遊んで拡げられる役のところ、脚本内に収まっていたのはやや不満。小松和重も経験組の割にはあまり遊んでいなかった。休憩はさんで3時間の上演時間が長すぎて野田秀樹が抑えたか。あと今回はコロスの人数がいつもより少なかったけど、いつもより多めの台詞を割振って、見せ場を作りつつ役者陣をシェイプアップするのに一役かっていた。まったく違和感なかったのでもう少し台詞をそちらに振ってもよさそう。

と文句はあるけど、観終われば満足するのはいつものこと。こんなの世界中探しても観られない芝居なので、野田秀樹が元気なうちにできるだけ観ておきましょう。それにしても野田秀樹が毎回放り込んでくる「近年よくある大きな話」がまったくネタに困る様子がなくて、検証されずにふたをされた行為たちの何と多いことかと今さらながらに思う。

ちなみに台風の影響は少なくともここにはなくて、昼の回はいつも通りの当日券100人越えでした。それでも全員立見も含めて入れていたけど、列の進みが遅くて何事かと思ったら座席確認と会計を一人で兼ねていた。窓口の種類が多すぎて場所と人手が足りていなかったのかもしれないけど、100人以上捌くのにそんなダサいことは止めてもらって、座席確認と会計を分離してほしい。そこまで並びたくない人は夜の回のほうが人数少なかったです。

<2019年10月15日(火)追記>

「A Night At The Kabuki」と副題にあって意味不明でしたけど、あれ、冒頭の場面は「俊寛」でしたね。何か観たことがあるとは思ったけど忘れていました。ということは、他の場面でもシェイクスピア以外にも、歌舞伎からの引用で構成された場面があるかもしれません。私の知識では追えないので誰か詳しい人が後で引用元をまとめてくれることを期待します。

2019年10月 7日 (月)

風姿花伝プロデュース「終夜」シアター風姿花伝

<2019年10月5日(土)夜>

夫の母の葬式から骨壷と共に戻ってきた夫婦。夫婦は娘が一人いるが、夫は離婚した前妻との間にも娘がおり、その娘からの電話をきっかけにいつもの喧嘩が始まる。やがて夜が遅いからと弟夫婦が泊まりに来るが、仲の良くない兄弟で喧嘩が始まり、また弟夫婦の間でも言い争いが始まる。お互いが溜めていた言葉がほとばしり出て止まない一晩の話。

公式では4時間半だったのが劇場案内では3時間50分となり実測は休憩2回を挟んで3時間40分。攻守ところを変えてひたすら言い争いが続く、一言でまとめると「それを言っちゃあおしまいよ」を言ってしまう芝居。少し笑える場面もあるけど、シリアスというか伝わらないとか諦めとか絶望とかそういう言葉が似合う場面がほとんど。これでよく芝居が続くなと思うところを続けられるのは役者スタッフが一丸になった賜物。

4人それぞれの役が抱える問題は、どことなく日本でも同じ問題を抱える人がいそうなもの。そこで、岡本健一にくたびれた中年役を、栗田桃子がエキセントリックな役を、それぞれ振るのが意外で、これがまた上手い。栗田桃子は当面の代表作になるかという出来。那須佐代子はだんだんはじけていく、やっていて美味しい役ではないかと想像していたらその通りだった。そもそも少人数芝居だから脇役を用意する余裕はないのだけど、プロデュース公演ではちゃんといい役が用意されている芝居を選びますねこの人は(笑)、というのを差引いても上手で、過去に観たいろいろな芝居とも違う役を造形。ちょっともったいなかったのが斉藤直樹で、後半に道化的な演技が目立って、多少息抜きがほしかったのだと推測するけど、この脚本と芝居なら4人全員シリアスで押し切ってもよかったんじゃないか。とは思うけど、表に出たり秘めたりしている熱量が4人とも激しくて、それでこそ成立する芝居を見せてもらった。

スタッフワークがまた素晴らしくて、黒一色の素通し舞台に葬式の写真を思わせる黒縁をもうけて、葬式帰りという設定で黒い衣装メイン。そこに影を多く作る照明と、ほぼ効果音だけの音響。すごいしっくり来た。やっかいな言い争いを上手に整理して、スタッフワークと統合させた上村聡史の手腕が凄い。

華やかな演技や演出は一切なし、その代わり質は保証、夫婦生活を長く続けて酸いも甘いもかみ分けた大人向け。そういう芝居。前売売切の回でも当日券は用意されていて、角度はさておき見切れは全然ない至近距離の舞台なので、我こそはという人は是非。

2019年8月17日 (土)

DULL-COLORED POP「第三部:2011年 語られたがる言葉たち」東京芸術劇場シアターイースト

<2019年8月16日(金)夜>

大津波と原発事故が起きた2011年の年末。地元テレビ局の報道スタッフは仮設住宅に避難している住人に取材を試みるが上手くいかない。報道局長は双葉町の町長の弟だが、町長は神経を病んで入院しており、取材できる状態ではない。取材が進まない中、年末の特番を控えて、復興を後押しする報道をしたいスタッフと、視聴率がほしいスタッフとで意見が割れる。

福島三部作の第三部は第一部とも第二部とも打って変わって、原発よりも住人に焦点を当てたドキュメンタリー調。原発を取上げるよりも復興をテーマに据えた未来志向とも言える。仮設住宅の住人のエピソードも、テレビ局のいろいろも、何か取材元があるんだろうなということが観ながら想像できて、重かった。

トークディスカッションの回にまた当たって、そこで話された内容によれば、やっぱりこの第三部はいろいろ取材で聞きこんだ情報を盛込んだとのこと。力作ではあるけど、事実が重すぎて観る側の想像力の入る余地が少ない。ここが前2作と大きく違うところ。

トークディスカッションのメモを覚えている限りで。客席の質問に答えるQ&Aのスタイル。はてなまでが質問、そのあとが回答。間違っていたら文責はこのブログにあり。

・津波の被害と原発の被害は分けて描くべきだったのでは? 自分が東北3県を取材した限りでは津波に対する意見もそれなりに多かったので、自分の中で消化した結果、津波に関する話もそれなりに多くなった。

・劇中で福島放送を実名でネガティブな要素も含めて描いており、しかもロゴに本物を使っていたが、タイアップしているのか(私は気がつかなかったが、カメラに貼ったステッカーや封筒などに記載されていた模様)? 劇中でのロゴの使用を申請したが断られた、脚本を提示したわけではない(ので検閲ではなく単に許可がもらえなかった)、制作と相談して実物を使うことにした、福島放送のエピソードは多少脚色しているが取材した内容に基づいており表現の自由の範囲と信じている、先方の法務部門から訴えられたら対応する。

・この話題を演劇で描くことについてと、この話題に対する距離の取り方についてどう気をつけたか? ギリシャ悲劇の昔から演劇は違う意見の対立を描くものだというのが自分が演劇の脚本を勉強した理解、なので今回の内容はむしろ演劇向き、距離の取り方は難しく特に第三部はエピソードを聞いた人の顔が思い浮かんで自分で演出しながら泣きそうになった、演出家の仕事は冷静に距離を取ることなので将来改めて振り返りたい。

・ネットでの評判だと第二部だけ毛色が違うと言われているが、三部作を執筆した順序や時期に違いがあるか? 書いたのは順番通り、前の作品を書き終わってから次の作品を書いた、第二部は町長に興味があって描きたかったが、三部中でもっとも資料の入手しづらい箇所でもあったので、数少ないインタビューと書籍を参考に脚本家の想像で補った部分が最も多い作品となった、そのためそういう評判になったのではないか。

自分が三部を全部観た感想だと、第二部が一番考えさせられたのだけど、事実より想像が多い作品の方が観ていて想像力をかきたてられたというのは、貴重な経験だった。

あとロゴの話は微妙。むしろ悪行を告発するような芝居で実物を使うのならまだわかるけど、今回はそうとは限っていない。取材に基づいたエピソードを実名で描くのは表現の自由だけど、ロゴの使用は商標権の話(気が付かなかったけどこれこれか)。表現の自由で商標権に挑戦しない方がいいというのが個人的な意見。この芝居の価値はそこではない。せっかくの力作にそういう細かいところでケチをつけられないように、自作のロゴに改めるのが吉。

<2019年8月17日(土)追記>

書くのを忘れていた。報道局長の「資本主義と真面目な報道は相性が悪い、民主主義と真面目な報道は相性が悪い」というインパクトの強い台詞があったけど、これは間違っている。テレビ業界は時間の制約が絶対なので、その分お金をかけるか報道内容を絞るかしないと品質を保てない、さらに大規模な報道内容に挑むならお金をかけないといけないけど、そこまでできない、というのが正しい。もっと身近な例なら、取材に3年かけたというこの三部作自体が報道に近い内容を含むけど、それを1か月でやれと言われてできたか、と考えればよい。

プロジェクトで品質を維持するための時間と費用と範囲のトレードオフ」は報道を含むあらゆる分野に通用する内容で、資本主義でなくても民主主義でなくても事情は同じ。そういう自覚を業界で、少なくともその局で持っていないから無茶な要求がまかり通って報道が荒れていく、というなら話は分かる。あるいは最終的な品質の評価を視聴率でしか行なわないから時間と費用と範囲のトレードオフが正しく判断されないというのでも話は分かる(視聴率に関する台詞は少しあった)。台詞の強さ、発するまでの展開とシチュエーション、役者の演技力、すべて揃って説得させられそうになるけど、そこは違う視点でも考えられるべき。

2019年8月11日 (日)

DULL-COLORED POP「1986年:メビウスの輪」東京芸術劇場シアターイースト(ネタばれあり)

<2019年8月9日(金)夜>

双葉町に原発が建ってから15年。税収が街を潤し、原発反対を声高に訴える人が少なくなった中、原発反対を訴えて県議会に立候補しては落選を繰返していた男がいた。飼犬が亡くなった晩、家族からの反対もあってもう政治には関わらないと決めていたが、町長の不正によって対立政党から出馬依頼を受ける。建ってしまった原発が安全に運営されるために監視する人が必要という説得に負けて立候補、無事に当選が決まるが、その翌年にチェルノブイリの原発事故が発生する。

第一部に続いて福島三部作の第二部はほぼ会話劇。立候補することを決めるまでの前半と、町長になってチェルノブイリ事故が発生してどう対応するかを問われる後半。粗筋だけならほぼ上記で言尽くしているけど、この芝居の価値はそのプロセスを描く会話劇、説得劇の箇所にある。あのときのあの立場で関係者がどう振舞うのかが正解かなんて、現在進行形で答えられる人なんていなかったことがよくわかる。そこに寡黙な妻を用意しておいたのは数少ない脚本の救い。亡くなった犬を、狂言回しではなく、生者を見つめる死者に位置づけることで、変わらざるを得なかった運命の皮肉が強調される。

一番上手いのは、対立政党の政治家の秘書に典型的な悪人要素も描きつつ、その実が日本人の振舞や反応を代表させる構造。極論を求めるその態度だけ取上げたら、原発自体が日本人には向いていなかった技術、過ぎた技術と見える。この秘書がどう見えるかが、その観客の芝居への反応を体現することになる。どの程度意識して描いたのか気になる。

知らずに観に行ったら脚本演出家と観客のトークアンドディスカッション(だったか?)を実施している回だった。父が電力会社の技術者、母が原発の近所出身、昔は原発を素直にすごいと思っていたけど今は反対、などの情報はあった。

ただ、原発反対している人たちは、反対なのはわかるけど、止めた後の話を言っている人がいない。ただ止めるのか、節電を進めて原発不要なところまで目指すのか、代替エネルギーを探すのか、そこの意見がわからない。原発の建設を決定した人たちは、想定されうる事故の対策検討に目をつぶって原発を推進した人たちとして扱われていたけど(うろ覚え、トークアンドディスカッションだったかも)、止めた後のことは知らないけど止めろという人たちといったい何が違うのだろう。シンプルに考えるといっても、せめてもう一言、その後についての意見があってしかるべきではないのか。

みたいなことを、その場で質問できたら良かったのだろうけど、帰りの電車から数日かけて感想をまとめるタイプの人間にはそういうやり取りは難しいし、何より直接芝居と関係ない。第三部を観てからまた考える。

2019年8月10日 (土)

東京芸術劇場主催「お気に召すまま」東京芸術劇場プレイハウス

<2019年8月9日(金)昼>

兄である元領主が弟である現領主に追放された領地。娘の願いで姪だけは除名して館に住まわせていたが、開催したレスリング大会で兄の忠臣の息子が優勝し、その戦いを見物していた姪と互いに一目惚れする。現領主は男の出自を知り殺そうとするが召使いの機転で脱出し、追放を命じた姪は男装して娘と道化と一緒に領地を去る。2組が目指すのは元領主が命を永らえているというアーデンの森。

粗筋を書くと格好よさそうだけど、森の出来事は男同士の乱交騒ぎといった趣で、シェークスピアの中でも強引な展開による喜劇。演出もそれを強調して格調とは縁がない。ただ、シェイクスピアは役者のキャラで客席狙いするようなところが多々あって、四大悲劇のほうが例外的というか、十六世紀の芝居はそっちが標準ではないかと最近考えている。だから客席も多用した今回の演出は何となくオリジナルに近づけることを目指したのではという印象を受けた。

という前提で、それにしては正統派の役者を集めたなあ、そして正統派の役者も結構はっちゃけるんだなあ、と余計なことを考えながら観ていた。とりあえずシェイクスピアなら中嶋朋子出しとけ、という理由で呼んだのではないことは「おそるべき親たち」以来の縁だろうからわかるけど硬軟使い分けていたし、山路和弘や小林勝也や久保酎吉のベテラン勢も結構ノってみせていた。むしろ道化役の温水洋一がちゃんとした喜劇を目指そうとして遊びが足りなかったし、広岡由里子は出番が少なくてもったいなかった。

ヒロインの姪役の満島ひかりが、一言で言えば華があった。言い方が難しいけど、演技で言えば観られるけどそこまで上手ではない。ただ、一番伸びやかに演技していた。ニンに合った演出だったのか、観客を信用していたか、自分がしゃべれば客は納得するだろうという売れっ子の自信かはわからないけど、あれは主役にふさわしい態度だった。これまでよさそうな芝居に出ているみたいだから、そろそろ劇団☆新感線とか登場しそう。相手役の坂口健太郎はちょっと真面目すぎ、満島真之介は出番が少ないのがもったいない王道演技だった。

もうちょっとだけキャスティングを入替えて、演出方針を徹底できていたら、もっと面白くなっていたはずだけど、惜しい。

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