2018年4月29日 (日)

パラドックス定数「731」シアター風姿花伝

<2018年4月28日(土)夜>

戦後2年を経過した東京。銀行の行員と一般客に毒を飲ませて金を奪った帝銀事件が発生した。使われた毒の内容から731部隊の関係者が怪しいと、部隊に所属していた研究者たちの中には警察から聞き込みされた者もいる。同じ時期に、過去を隠して戦後を生きていた元731部隊の所属軍人たちへ中身のない封書が届く。差出人の名前はないが送信元は東京の研究拠点であった牛込のビルになっていた。焼け残ったビルに元731部隊の幹部達が集まって、帝銀事件の話、昔の部隊の話を相談する。果たして事件は731部隊の関係者が引起したものなのか。

実際の事件に想像を足して一本の芝居に仕立てる野木萌葱が得意とする分野。この分野で観たことがあるのは「東京裁判」と「怪人21面相」だけど、今回も狭い会場に充満する怪しい雰囲気で迫力十分。戦後の混乱期を背景に、過去に行なった行状との折合いをつけながら、あるいはつけられないで生きる男7人が、生きて行きたいという必死さと、学問への情熱と、保身を目指す身勝手さと、それぞれが一体となって出てくるヒリヒリした会話劇。

帝銀事件の当時の捜査では分からず仕舞いだった毒物を使った事件が元ではあるけど、元731部隊所属の面々がメイン。きれいごとを言っていた人間が黒い面を見せて、ひどいことを平気で口にしていた人間が結果としてよい行動を取ったり、登場人物誰もが悪いことに携わっていて、保身を計るのだけれども、にも関わらず人間は善悪で割切れないという面を描いて圧巻だった。「何でお前ら、自分を人間の外に置けるんだよ」という台詞があったけど、条件が揃えば置けるでしょう。生きのびたいんだという欲求、研究者として知りたいという欲求、これらの前に善悪が判断基準とならなかった登場人物たちだけど、これは人間誰しもそうなる可能性がある。ミルグラム実験とかグアンタナモ刑務所とかそれこそナチスとか日本人に限らないけど、日本人は特に条件が揃ったときに歯止めになる文化が少なくて個人にゆだねられている。同じ条件がそろって同じ立場になったら自分もやりかねないと自覚しながら観るのがまた迫力を倍増させる。

登場人物の名前と731舞台での役職関係を理解するまで時間がかかったけど、分かりやすすぎる芝居よりはこのくらい不親切なほうがむしろ理解する楽しみが味わえる。不親切かもしれないけどフェアでもあった。ついでにいうと野田地図の「エッグ」も731部隊を扱っていたけどこっちのほうが断然いい。

欠点は、登場人物が格好良すぎたこと。野田萌葱が演出するからには男は全員格好よくなるに決まっているけどこれは半分本気。扱っているテーマを考えると、もっと格好悪くてみっともなくしたほうがよかったのではないかと思う。あくまでも芝居だからどう演出したっていいのに、何に遠慮しているのか自分でもよくわかっていないけど。

<2018年5月3日(木)追記>

感想を清書。

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ホリプロ企画制作「酒と涙とジキルとハイド東京芸術劇場プレイハウス

<2018年4月28日(土)昼>

助手とともに研究に勤しむジキル博士。名門一族である学問の師の娘と婚約もすませている。かねてから研究している、人格の分離を実現する薬の発表を翌日に控えて、スピーチまで完成させている。が、肝心の研究は失敗して薬はできていない。何としてもこの発表をものにして名声と研究資金を集めたい博士は、脇役の役者をつれてきて、人格分離後の替玉を演じさせようとする。ようやく役者を納得させて練習していると、婚約者が忘れ物を取りに来る。ちょうどよい機会と婚約者に黙って替玉を試してみることにする。

初演は見逃したけど、同じキャスティングでの再演。冒頭の「好きな人の前ほど上手く心を開けない」という台詞が、別人格になれないというメインの話に絡んで進行する脚本。扱っているテーマは取りようによっていくらでも深刻になるけど、そこは三谷幸喜、ちょっとしんみりするくらいであとは全部笑いに振る。初演時にの評判が少なかったのでこのくらいの笑いかと想像した通りの線だった。

最初にもっともらしい悩みから、だんだん強引な笑いに進めていくのは王道だけど、三谷幸喜にしては珍しく役者のフリに笑いを頼る場面が多い。ジキル博士役の片岡愛之助がいい人を演じないといけないので毒気を出せず、ハイド役の藤井隆がよく言えば健康的な悪く言えば毒が足りない笑いになって、キャスティング逆じゃないのかという印象。助手役の迫田孝也が腹黒な位置づけだったけど、進行としてあまり本人が絡まないのがもったいない。

一人気を吐いていたのが婚約者役の優香で、通常場面もそうでない場面も、脚本の要求から1ミリもずれない役を披露していた。ただあれは、役者が役を創って演技しているという感じではない。普段の仕事で要求されているのか自分に課しているのか、あらゆる欲求や不満を抑え込んでその場で求められる振舞を正確に続けているうちに、その結果として姿勢や顔の表情や声の調子まで寸分の狂いもなくコントロールできるようになった人が、その方法の延長で役者をやっているような演技だった。それは鉄の根性で身に着けたであろうすばらしい技術であり、求められる振舞を察して理解できる頭の良さも必要で、それが足りない勤め人である自分には非常にうらやましい能力。ではあるけど、表現としては一番大事なところが抜けていて、脚本の要求から自分の要求で1ミリでもずらすそのずらしかたに魅力は宿るのではないかと思う。1ミリずらすと言って悪ければ、1ミリでも高く盛ること。

ついでに書くと、それで実際に役をこなしていたから、三谷幸喜も別の芝居でああいう役(ネタバレなので書かないけど)に起用したのだな、というかこの芝居の優香の演技を観てあの芝居を思いついたんだろうな、と今になって合点がいった。勝手な想像だけど、たぶん間違っていない。

生演奏はいい感じで、2人でやっていたというのはカーテンコールで気が付いたのだけど、演奏場所から演技場所が見えないためか音の入りが演技と微妙にずれる場面多数。あれは美術企画の段階か、もっと音に沿ったきっかけを作るか、どちらにしても演出で調整してほしかった。

<2018年5月3日(木)追記>

感想追加。

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2018年2月23日 (金)

ハイバイ「ヒッキー・ソトニデテミターノ」東京芸術劇場シアターイースト(若干ネタばれあり)

<2018年2月21日(水)夜>

引きこもりを外に出す支援センターで働く女と男。男はかつて自分も引きこもりだった経験があり、女の担当で外に出るようになってからセンターで働いている。現在担当しているのは、10年間引きこもって親が顔を見せると暴れる男性と、28年間引きこもって社会に出るためにきっちり振舞うことを勉強している男性。支援センターの持つ寮に入ることを親に提案し、本人にそこに入ってもらうまでがまず一苦労。

岩井秀人自身をモデルにした役が出てくるヒッキーシリーズの、3本目かな、自分はシリーズ初見。初演は吹越満が演じた役を岩井秀人本人が演じての再演。男の昔話を入れた3人というか3家族の話を描く。描かれる内容は面白くて笑わせるけど嗤わない。家族との関係が甘えにも支えにもなって、突き放したはずが上手くいって、安心したと思ったら悲劇が待つところの難しさ。

支援センターの女を演じたチャン・リーメイのプロとして諦めないけど適度に距離を取る感じと、元引きこもりとして他人との応対もいまいちな男を演じる岩井秀人の距離の近さとの差が生むでこぼこコンビがやっぱり核。終盤、引きこもりから外に出た初日にひどい目にあった男がその後に外に出られるようになったことを指して、なぜあの体験の後で外に出られるようになったのかわからない、引きこもりの人間が外に出たほうがいいと言えるのかと突っかかる女にわかりますよと男が返す場面、あの場面の良さを伝えたい。双方のそこまでの立居振舞を思い返させてくれる仕上がりだった。ただそれとは別に、古舘寛治演じる引きこもりの役。きっちりしていないといけないと信じて道を訊かれたときの練習をする場面、あれには心を打たれた。

ポップだけどとっちらかった小道具(でも全部活用される)をあしらいつつ、外に出られない役を囲いの中に、それを見守る家族を囲い美術の周囲に配して、枠の中に入っているかどうかを表す単純だけどよく出来た美術が見事。まったく切れ目無しで3人3家族の場面を切替ながら続けていく演出。あれはやっぱり高度な技術の粋なのではないかと思うけど、何が高度かわからないのは相変わらず。役者の切替かな。難癖をつければ、ラスト感が薄く終わってしまった最後の場面(音楽を使いたくなければ照明で変化をつけてもよかったのでは)と、相対的に出番が減って能島瑞穂を使い倒せなかったこと、両方のもったいなさ。

当日パンフに書かれていた文章が素晴らしかったので一部引用。本当、こういう芝居だった。時間があればもう1回観たかった。そして他のヒッキーシリーズをぜひ観たい。

「世界の正しさ(ありかた)に勝てない人達」
たぶん僕は彼らを、心の中でそう名付けていました。感覚として。でもそれはたぶん、間違っています。僕は外に出たから、そのことを盾に「勝てない人達」と言っています。
部屋の中にいた頃の僕は、外に出て楽しそうにしている友人達を間違いなく「世界に抗うのをやめた人達」と思っていました。
その両方を描く必要が、僕にはあると思っています。

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2018年1月24日 (水)

東京芸術劇場主催「秘密の花園」東京芸術劇場シアターイースト

<2018年1月20日(土)昼>

東京、日暮里のアパートに暮らすポン引きとホステスの夫婦の部屋に、ホステスの店の客だった男が通い続けている。ただし男はホステスに手を出さずに毎月自分の給料を渡しており、ポン引きの夫もそれを承知している。ホステスは町の実力者の甥から求婚されているがまだ受けていない。そんなある日、男は大阪に転勤になることを告げる。そこで騒動が巻き起こったあと、男を迎えに来た姉は、ホステスと瓜二つだった。

おっかなびっくりで観たけど、いまいちな仕上がり。アングラな芝居の持つエネルギーに丁寧すぎる演出がブレーキを掛けて乗りこなせなかった印象。柄本佑と寺島しのぶの主人公2人はストレートプレイで、実力者の叔父の池田鉄洋は小劇場、実力者の甥の玉置玲央はアングラ、田口トモロヲは不思議な演技。登場人物ごとに雰囲気が違って揃っていないのと、なによりほとんどの役者の声が出ていない。大量の本水をつかった美術と、選曲に時代を感じさせつつ現代の設備に耐えうる音質の音響など、スタッフの気合が入っていただけに残念。

ただ、いろいろ考えたらそもそも乗りこなせなった印象が正しいかというと、そうとも思えなくなった。ここから先はあまり芝居と関係ない雑感。

大量の言葉と息をつかせぬスピード感で、理解させるより先にわけのわからない設定を進めて、気がついたら何かよくわからない到達感を覚えさせるのが唐十郎の手法。それはやっぱり言葉を意味と音の両方から操れる詩人の仕事で、唐十郎は何よりも詩人だということ。観ていて思ったのは、野田秀樹は確実にこの詩人・唐十郎の系譜に連なるということ。

一方、身体的に個性のある役者(障害者という意味ではないです)を配してある種の重さ、泥臭さを出すのも、特権的肉体論(全然わかっていないけど「訓練された普遍的な肉体としてではなく、各役者の個性的な肉体が舞台上で特権的に『語りだす』ことを目指した演劇論」)と言い出した唐十郎の特徴で、たぶん唐十郎と一緒に仕事をした蜷川幸雄もこれを体質にしたのだと思う。「薄い桃色のかたまり」に出ていた役者陣の演技(もっといえば劇団員選抜の時点)に、その片鱗を感じさせた。蜷川幸雄は脚本の読み解きはもっとテクニカルというか今時風、西洋風だった。この身体性と脚本読み解き技術とが混ざって芝居が出来上がると、洗練されすぎて鼻につくこともなく、かといって泥臭すぎて目を背けたくなることもなく、地に足の着いた仕上がりになって、それが魅力だったのだろうと今になって思う。

出典は失念したけど、串田和美は野田地図「カノン」の出演からだいぶ後のインタビューで、野田秀樹の芝居に出るとみんな声を張って走り回る、ああいうのではない演出もあり得ると思うのだけど気がついたら自分が頑張る余地はなかった、という感想を述べていた。今回の上演は(野田秀樹が芸術監督を務める)東京芸術劇場の「現代演劇のルーツといえるアングラ世代の戯曲を若手・気鋭の演出家が大胆に現代の視点で読み直す」企画であるRooTSの一環で行なわれたものだから、まさに串田和美の指摘どおりの企画。詩人の仕事にも特権的肉体論にも囚われる必要なく、純粋に組立てなおせる可能性もあったはず。

今回の公演に際して松尾スズキがどこかで福原充則を「アングラをよく知っている人」とコメントしていて(他の役者が聞きだしたコメントだったかも、これも出典失念)、それが引っかかっていたけど、なんとなく理解した。たぶんアングラな芝居を原案と違う演出で上演するのに、アングラに詳しすぎるとそれが足を引張って自由度が下がる、それで上演して吉と出るか凶と出るかわからないけど頑張れ、みたいな含みをもたせたのだと推測。

そこまで考えると、田口トモロヲの軽快かつ実感あふれるヒモっぷりが目指すラインではなかったか。暑くるしいアングラ芝居にいかず、かといって嘘臭くもなく、軽演劇風でもなく、今回のキャスティングの中でひとりだけ形容しがたい演技だった。でもあのラインの演技を他の役者がすんなりできるとも思えず、形を変えた特権的肉体論のような気がする。寺島しのぶのおとなしめの演技もそういうラインを目指したのだと考えれば腑に落ちるのだけど、貧乏ホステス感を出すにはちょっと上品すぎたのと、柄本佑が応えられていなくて失敗した。姉役はアングラ感を強めに出していたけど、あの場面の連続ではアングラ感を出さないほうが難しい。ただ田口トモロヲは隅にいるときは細かい演技で、真ん中に出てきたときも声を張りすぎずにやり通した。結局は声か。あの演技の秘密がさっぱりわからない。

観客としては面白ければよくて正解はないのだけど、つまらない不正解はあって、今回の仕上がりは不正解だった。

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2018年1月16日 (火)

あうるすぽっと主催「あうるすぽっとでお正月」あうるすぽっと

<2018年01月06日(土)昼>

講談の神田松之丞、落語の桂吉坊、浪曲の玉川奈々福3人揃ってのトークから開始。関所を越えられずに箱根の山中で籠屋と一夜を過ごす宮本武蔵が出合ったのは「狼退治」講談。商家の前に捨てられていた犬が亡くなった飼犬に似ていたからと引取られた先は「鴻池の犬」落語。名人・左甚五郎に小田原にいると噂を聞いて弟子入りしたい江戸の大工が行ってみると「狸と鵺と偽甚五郎」浪曲。最後にまた3人揃ってのトーク。

結構広くて天井も高いロビーでは親子連れが独楽を回したり羽子板で遊んだり甘酒が振舞われたりとにぎやか。さらに開演前にはチンドン菊乃家によるチンドン屋がいろいろ披露してくれてお得感が高い。公演が始まってもロビーで遊び続けられるし、ロビーまでは無料。むしろこの遊びの一環で企画されたという順序が正しいか。干支にちなんで犬の話を選んでほしいところ、たぶん揃わなくて動物に関する話というお題で選ばれた3本。これらの芸能に馴染みの薄い観客にも楽しんでもらえるよう、講談落語浪曲の違いや上演時の特徴をを説明しながらの話芸。

講談はよく出来ていたのだけど、惜しむらくはちょうどこの話だけNHKのラジオで聞いたことがあって重複。あと終盤のこの籠屋が実は何某(名前失念)で、これが誰かはみなさん後で検索してくださいというやり方をしていたけど、志の輔の落語なんかではこういう解説も実に上手に展開するので、もう一歩親切心がほしい。落語も上手だったけどややしんみりする点もある話でもったいない。浪曲はトリを務めただけあって明るさ勢いは一段上だけど人間に恩返しをする狸の話も何となく持駒の中では不得手に分類される演目のように思われる。干支に絡めるのが無理だった時点でめでたい話で揃えるように舵を切ったほうが演目の幅が広がったと思う。もし定番化するなら来年以降の検討課題で。

むしろ最初と最後のトークがみな詳しくて興味深い話が多い。落語はともかく講談や浪曲は演者が100人切っている業界で、そこにわざわざ飛込むのだからマニアな人であるのは当然か。相手の業界についてもいろいろ知っている気配で、トークの時間をもう少し取ってもよかったかも。

あと3本とも話が中心の芸なので目の不自由な人たちが何人か聴きに来ていたけど、普段は芝居ばかり観ているからそういう需要に気がつかなかった。で、その客が入場するときは階段が危ないからロビーのスタッフが横の扉まで誘導して入場させていたのだけど、休憩時間にたぶんトイレで退場するときに自力で同じ扉までたどり着いたらそこが閉まっていてまごついていた。これは最寄の他の観客が階段のある後方の出口に誘導して事なきを得た。一度入ってきただけで道を覚えていた客はさすがだけど、あれは休憩時間だけでも場内場外にスタッフを待機させて誘導できるように見てもらったほうがよい。

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2017年12月30日 (土)

シアター風姿花伝プロデュース「THE BEAUTY QUEEN OF LEENANE」シアター風姿花伝

<2017年12月23日(土)夜>

アイルランドの田舎町リナーン。昔ロンドンに働きに出たものの、いろいろあって実家に戻っている娘。姉2人は結婚してすでに家を出て、病気がちの母と二人暮らし。生活に望みもなく出会いもなく、娘をこき使い嫌味をいう母とはけんかが絶えない。ある日、近所でアメリカに旅立つ人間の見送りパーティーが主催される。招待された娘は、家族の見送りで地元に戻ってきた昔の同級生と再開し、互いに恋に落ちる。

長塚圭史版に続いて2回目は小川絵梨子演出。演出家が違っても悲惨な脚本であることには変わりないけど、初期長塚圭史の暴力っ気全開に比べてこちらはやや抑え気味で笑いもそれなりに。悲惨な話の悲惨なポイントを母娘両方とも強調したのが長塚圭史版で、悲惨な中にもある面白さをできるだけ拾って娘をより重点的に描いたのが小川絵梨子版。でも筋書きを知っていたためか舞台を今の日本に置換えても十分あり得る話だからなのか、抑え気味で笑いを入れようとすればするほど怖い感が強調されて見えた。スイカにかける塩のような、笑えない部分を強調する笑い。

一番の違いは「私はどうすればいいのよ」という最後の母の台詞で、これが全体の重しになって母と娘の言い分が拮抗したのが長塚圭史版で、そこを流して重くなりすぎないようにしたのが小川絵梨子版。観比べたら好みの範囲だけど、昔より体力の弱った今観るなら小川絵梨子版のほうがよかった。

役者については、演技がモダンというか西洋演技のスタンダード風。兄役の吉原光夫と弟役内藤栄一が実に自然で、役の本人がそこにいるような、ストレートプレイのお手本のような演技。那須佐代子の娘はそれよりももう少し役者の色を出して、鷲尾真知子の母はまあうるさい役だったけど(笑)、出演者全員がこのくらいの出来が一般になったら舞台を観に来る客が増えるよねという高水準。あとある程度具体的な美術ではあったけど、家の中も外も、登場人物の見ている景色が共通しているような印象があった。あるようでなかなか見られない仕上がり。

で、それと同じくらい今回の芝居を観ていていろいろ感心したのがスタッフワークの予算組み。

美術は、狭い会場を、通路も使うことによってアクティングエリアを拡げるアイディアはこの劇場では珍しくないかもしれない。けど、サイド席を設けることで客席を増やすと同時に壁を不要にした美術は、舞台を狭くしたのに実際以上に広く見せている。しかも床を張って、ドアを2箇所に建てて、後は家具を置くだけなのでデザインだけでなくタタキや仕込みバラシに要する美術予算の節約にもつながっている。家具や流しをどこから手配したかまではわからないけど、これは金を掛けずに効果を上げるためのベテラン(島次郎)の工夫全開。

それと連動して、同じ室内の場面だけというのもあるけど、照明も少ない器材で賄っていたように見える。奥の暖炉の明かりと台所の電灯をアクセントにして、夜の場面は下手寄りに照明を追加して、あとはクライマックスで必要になる下手奥の数体くらい。ドアより向こうは壁の向こう扱いだから照らす必要なし。サイド席からも見えるようにする必要はあるけど壁を照らさないで済む分だけ器材が減らせたのかな。

音楽も、暖炉やラジオやテレビにスピーカーを仕込む必要はあったけど、古い民謡と効果音がメインだったのでひょっとしてJASRAC税は払わないで済んでいるかもしれない。

あと4人中3人は衣装替えが何度があって、それが舞台や照明のバリエーションの少なさをカバーして、日時の経過を感じさせた。あれに手持ちの洋服が混ざっていれば節約になるし、弟役は衣装替え不要と判断したのであればそれも同じ効果あり。その分はヘアメイクに回せる(この規模でヘアメイクがいるのはなかなか贅沢)。

あとは翻訳。上演料をまけてもらうのは難しいと思うけど、演出の小川絵梨子に翻訳もやってもらうことで勉強してもらった可能性がある。長塚圭史版ですでに目黒条翻訳があるけど、細かいところをより好みにできるのであれば、翻訳の再利用より少し安い費用でも乗るか、となったかどうかは不明。それなりに縁はあっても、新国立劇場の次期芸術監督にそこまでお願いするのも何だけど、背に腹は替えられない。実際どうだったんだろう。

主演が劇場支配人で各方面に縁があるとはいえ、規模の割にずいぶん贅沢な体制の上演だったのが気になってきょろきょろしていたのだけど、昔こんなエントリーを書いた素人の推測はこのくらい。誰か詳しい人がいたら金額もつけて解説してください。

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2017年11月 5日 (日)

野田地図「表に出ろいっ!」東京芸術劇場シアターイースト

<2017年11月4日(土)夜>

能の家元の家で、飼犬が出産を控えたある日の晩。仕事仲間と協会の行事に出かけようとする家元と、3か月前から計画していた予定に出かけようとする妻と、友人との約束に出かけようとする娘。今晩限りは何としても出かけたい3人は、互いに相手に押付けあいながらなかなか表に出られない。

今は亡き勘三郎との共演で制作された芝居を、今度はイギリスの役者と英語上演。舞台美術や衣装をポップにし、役と役者の男女を入替えることで、エスカレートしていく展開がリアルにならないようにする配慮。

ふざけた展開をもっとふざけるうちに深刻な話になるところがミソだと思うけど、これだけのふざけた設定をもってしても、イギリスの役者は真面目さが伝わってくる。日本での英語上演なのでアドリブに限度があることもあるけど、ふざけられないお国柄なんだろうか。そこに限界があるのが残念。

あと、野田秀樹だけでなく大竹しのぶや阿部サダヲがイヤホンガイドを務めていたということだけど、よさがわからなかった。録音のせいか、単純に英語と日本語の台詞があっていなかったし、情報量もかなり落ちていた感触。もうちょっと何とかならなかったか。

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2017年8月16日 (水)

日本総合悲劇協会「業音」東京芸術劇場シアターイースト

<2017年8月15日(火)夜>

母親の介護を理由に芸能界を引退していた歌手が、借金返済のため介護の美談を使って演歌歌手としての再デビューを目指す。が、自分が運転する車でマネージャーと移動の途中、歩道の女性をはねてしまう。その際に、実は亡くなった母親の死体を車に積んで再デビューまでは隠そうとしたことまでばれてしまう。マネージャーが身代わりで出頭するが、口止めと引換に歌手は女性の家庭に引き留められる。

荻野目慶子主演で2002年初演の芝居を大人計画メンバーで再演。松尾スズキが過激な時代の脚本で、新主演の平岩紙にいろいろ負担がかかるも物語の展開上は疑問が多く、初演時に荻野目慶子を追込みたかったという経緯を知らなければ強引に見える。いろいろ社会の暗いところを当時の基準で切取っていたけど、明るみに出たりそれ以上の問題が起きたりして時代遅れになった話題多く、「ふくすけ」同様脚本の古さは否めず。それよりこのサイズの劇場で役者の声にエネルギーを感じられなかったほうが問題。そもそも無茶な展開がある脚本なのだから丁寧に作る以前に熱量が必要。千秋楽までの改善を期待。観た回では皆川猿時が健闘、美術とプロジェクションマッピングよい。

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2017年8月 7日 (月)

東京芸術劇場企画制作「気づかいルーシー」東京芸術劇場シアターイースト

<2017年7月28日(金)夜>

おじいさんと馬と暮らす少女ルーシー。ある日おじいさんは馬に乗って出かけたが、馬から落ちて気絶してしまう。それを死んだと勘違いした馬は、ルーシーが悲しまないように、おじいさんの皮を剥いでかぶり、おじいさんに成りすます。バレバレだが、馬の気遣いがわかるルーシーは、気付かないフリをして馬に気遣いながら暮らしを続ける。

松尾スズキらしい無茶な展開と思って観ているうちに何となくこれはとてもいいものじゃないかという気分にさせられる不思議な芝居。岸井ゆきののルーシーと栗原類の馬鹿王子があまりにはまっていて、帰りに物販で原作の絵本を買ったらそのまんまだったので二度びっくり。他の役者もそれぞれよかったけど、この芝居の成功の半分は岸井ルーシーにある。ジェンガを模したシンプルな舞台がいろいろ展開していくところや丸見えの生演奏が、生々しさを中和してちょうどよい。再演した理由がわかる芝居だし、メンバーが集まるうちに再々演もやっておくべき。

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2017年6月 3日 (土)

イキウメ「天の敵」東京芸術劇場シアターイースト

<2017年5月20日(土)夜>

料理教室を主宰し、マクロビオティクスの料理研究家として最近売れている男。料理番組の収録にも出るくらいだが、過去の経歴は不明で、助手に任せて一切調理を行なわない。料理教室に通う生徒は、夫の健康を気遣って教室に参加していたが、医療健康分野の取材を重ねていた夫は経歴不明の主宰者に興味を持って取材を申込む。過去に食餌分野で名を成した医者の子孫ではないかと追及したところ、子孫ではなく本人だと伝えられる。生きていれば120歳を超えているはずの主宰者が話す、食餌医療追及の果てにたどり着いた長寿の秘訣とは。

元は短編を長編に仕立て直したとのこと。役者は好演。スタッフワークも相変わらずよくて、特に整然と作られた料理教室の美術はロングランの賜物か、このくらい作られていると小劇場感が抜けていい芝居を観に来た気になれる。

2役を演じる役者が多くて、助手と主宰者の妻の2役を演じた小野ゆかりがこの前よりもいい感じ。生徒役の太田緑ロランスもよさそうな印象だったけど、戦前からの回想の話が続くため、回想場面で当てられる役が少なくて役不足。話より先にキャスティングを押さえてしまったんだろうと推測。

長寿の秘訣を長年試して絶望する男と、試したばかりで絶賛する関係者とのやり取りは、どこまで意図したかわからないけど、「太陽」を暗示するかのような場面で、イキウメらしさがよく出た作風。最後、取材後の主宰者と取材する夫との隔たりもいい。ただ、主宰者が話すメインの出来事1本だけで2時間超を引張るにはちょっとつらくて、薄味な仕上がり。長編化するなら、並行して別の問題を進めるか、「生きてる時間」みたいに別の立場からの描写を増やすか、もう一工夫ほしかった。

次回の本編は映画化に合せてなにか奇跡が起きてる気がする名作「散歩する侵略者」、他に新作を長塚圭史演出で「プレイヤー」、脚本のみ提供の秀作「関数ドミノ」、と前川友大の活躍は追いかけたいところです。

で、最後に文句。今回は当日券で観たのですが、割当てられたのが追加椅子席の一番端。なのだけど、ひとつ内側の追加椅子席が最後まで空席だった。これと同じことが以前「獣の柱」のときもあった。なぜ内側の席を売ってくれないのか。受付の手元には10枚くらいチケットが残っていたのに選べないし、もちろん一番端だから観やすいなんてこともない。追加椅子席だから事前の指定席販売に含まれていたとは思えない。

今回はチケットサイトで席未定の当日引換券を販売していたから、チケット販売開始時点で観やすい席を当日引換券に優先的に割当てるならわかる。でも自分が開演15分前でチケットを買った時にはすでに誰も並んでいなかった。それなら残っているいい場所から当日券に引当ててもいいだろうに、何でこんな目に合わないといけないんだ。「獣の柱」のときは一応指定席だったから買った観客が来場できなかった可能性もあるけど、2回目に同じ目にあったので偶然とは思えない。急遽芸能関係者や評論家が来場したときに備えて少しでもましな席を用意しておくとかの理由でも、開演15分前に通用する理屈とは思えない。金を扱う場所なので受付担当は手伝いではなく制作メンバーの一人だと思うけど、そんなに当日券客の扱いが低いならチケットは当日引換含めて全部Web販売、当日券販売しない、くらいまで徹底してくれ。

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