2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

2020年1月14日 (火)

Triglav「ハツカネズミと人間」神奈川県立青少年センタースタジオHIKARI

<2020年1月12日(日)夕>

大恐慌時代のアメリカ。農場で働くジョージとレニーだが、力は強くとも頭が弱いレニーが起こす問題で前に働いていた農場から逃げて、新しい農場にやってきた。幸い農場の社長には受入れられ、荷運び頭からも目を掛けられたが、社長の息子には絡まれ、その新妻は相手構わず色目を使っていつ問題を起こすか周囲を危ぶませる。自分たちの農場を持って独立するのが夢でも資金のないジョージとレニーだったが、事故で手を切落としたため仕事がままならない老人のキャンディが貯金をはたいて一口乗るという。少しだけ働けばもらった給金で夢がかなうと張り切る3人だったが・・・。

まったくノーマークだったけどマニアたちが興奮していたので予定を変更して千秋楽を見物。農場を渡り歩く生活の厳しさ、白人と黒人との間にある差別、農業生活と都会生活との差。老いて耄碌した犬を臭い、役に立たないからと平気で殺す場面(これは後に効いてくる場面でもある)や、勝手に話をするレニーを相手に話を続ける登場人物たちの行動は、希望やコミュニケーションが足りない現代の世相に通じるところがある。大恐慌時代ということは1930年代が舞台だけど、100年前の殺伐さに、100年経っても変わらないどころか悪化しているのではないかと疑われる人間の悩みが織り交ぜられた、超硬派な脚本。ついでに書くと松尾スズキの「母を逃がす」の元ネタかもと想像してしまう。

その脚本がよく伝わってくるところまで仕上がっていたけど、役者によってややムラがあった。そんな中で、頭が弱いけどその中で何らかの判断基準を持っていることを実に絶妙な線で演じて伝えたレニー役は素晴らしかった。こちらによれば内藤栄一であっているかな。全体に、演じられている場面はおおむねいいのだけど、過去にいろいろあった設定の登場人物が多いので、そこがもう少し反映されているとなおよかった。粗探しではなくて、一定以上の水準で上演されていたため、逆に脚本の手ごわさが伝わってしまったという痛し痒しな結果。稽古すればするだけ良くなりそうな雰囲気を感じた座組だったので惜しい。

小動物は布を丸めてあらわし、ほぼ平台と箱馬の置き換えだけで進める場面転換は見事だったし、場面転換以外は効果音だけ使ってBGMを流さなかったのも好感。客席は3方向を囲んだコの字形の自由席で、自分はとても観やすい席だったけど、観やすすぎたので、他の席がどうだったかは気になる。たぶん外れ席があった。

そのコの字形客席について、劇団アンケートとは別紙でアンケートが用意されるという珍しいケースだったので、せっかくだから書いておく。

(1)劇場に入った第一印象はいかがでしたか?
どこに座ろうか迷った。

(2)「その席」を選んだ理由を教えてください。
観やすい席を推測して選んだけど、選んだ理由は企業秘密。

(3)「その席」から演者のほかに、観客も視界に入ることについてお聞きします。該当する番号に○をつけてください。また、理由なども記して頂け得ましたらと思います。
特に気にならなかった。演者に集中できれば観客は気にならない。なお囲み舞台は好き。

(4)「劇場空間の客席設定」全体について、改善すべき点、気がついた点などありましたら自由に記述してください。
一列が長い割に足元が狭いので、客入れ最後に真ん中の席に座ってもらうために客席案内担当が椅子を抜いて客に後ろから入ってもらっていた。上手下手の客席は中央に通路を取ったほうがよかったのではないか。あと階段の段差がもっとわかるように太い明るい色のテープを貼っておいてもらえると助かる。

(5)ご自身が坐られた席以外で気になる席ありましたら、気になる理由と共にお知らせください。
最前列にベンチシートがあったけど、椅子でそろえてほしい。どんなにいいクッションが用意されていたとしても、ベンチシート、かつ今回は座面が低いので、それだけで腰の痛さを想像して坐りたくない。

最後に制作陣に注文。ひとつ目、当日パンフには役者名だけでなく役名も併記してほしい。役名と役者名の関連がわからない当日パンフは価値半減。役名を載せることでネタばれになるのを避けるならわかるけど、今回の芝居ならネタばれの心配はなかったはず。ふたつ目、当日券の販売情報をWebのどこかに載せてほしい。本家サイトとTwitterを調べたけれど、価格は載っていても販売時間がいつかは見つからなかった。何分前に販売という情報と、枚数の余裕の両方を載せてもらえると助かる。今時は、ホームページにはTwitterに掲載の旨を書いておいて、Twitterで毎朝更新する方法が多い。みっつ目。上演時間の目安を載せてほしい。初日前に見込みで1回、初日終了時点で見込み時間に変更があったら更新、が望ましい。昨今は3時間越えの芝居も多々あり、終わった後の予定を事前に立てるのに必要。

2019年12月24日 (火)

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「常陸坊海尊」神奈川芸術劇場ホール

<2019年12月21日(土)昼>

戦争末期の昭和20年。家族と離れて東京から岩手に疎開してきた子供たちとそれを引率する教師。そのうちの子供2人が母親恋しさで逃げ出して迷った山奥で出会った縁で、おばばと雪乃の住む山小屋に通うようになる。おばばは源義経一行から逃げ出した常陸坊海尊の妻で750年生き、雪乃はその孫だという。小屋には常陸坊海尊のミイラが隠されており、これを拝む子供たちはなんだか不思議な気分になる。一方、噂でも酷い様子だった東京は、ようやく終戦しても疎開先に迎えに来る家族がいない子供たちも作り出した。

難しい、というのが第一印象。源義経一行から逃げ出した常陸坊海尊のミイラを守り続ける妻および末裔という話と、疎開先から引率の教師が逃げ出して置いてきぼりにされた子供という話を重ねながら、守り続けすぎて魔性の領域に入ってしまったおばばや雪乃と、それに魅入られてミイラ作りまで手伝わされて逮捕されたりどうにもならなくなったところから必死に逃げようとする男達との入れ子の関係を追加することで、逃げることを選ばざるを得なかった人たちの本気の後悔と苦悩に対する許しと悟りを描いた、くらいの要素が入っている。たぶん、戦後になって高度経済成長で戦争のことなんか忘れて観光客となっている(1964年初演当時の)現代人に当てつけつつ、非国民扱いされた子供たち、戦争中から外れ者扱いされていたおばばや雪乃、突然追われることになった山伏や遊女たちを通じて、ある日突然追立てる側の横暴と、追立てられる側の悲哀とを描くことで、逃げた側にも相応の逃げる理由があるのではないかと問いかける要素もある。

書いていて合っているのかどうかまったく自信がない。それくらい難しかった。ただ、初演当時は戦争の記憶は確実に意識していたはずで、観客にある程度の共通感覚を期待していたものと推測。それがほぼなくなった現在、この脚本を立上げるのは至難の業で、長塚圭史をもってしてもつかみきれていなかった印象。演じる側も、戦中と終戦後の一幕二幕を身体で納得して演じていたのは白石加代子と、あと疎開先の宿屋の主人の高木稟くらいだったのではないか。現代の三幕までくると元少年たちを演じた平埜生成と尾上寛之は良い感じ。

それにしても、芝居は演出家だけで創るものではないことは重々承知の上で、長塚圭史のような現代日本演出家の代表のひとりみたいな人でもつかみきれない脚本というのもすごい話。少し前だと現代西洋風理論的演劇の演出でトップクラスの小川絵梨子でも完敗した「マリアの首」とか。戦争の記憶が絡むような、戦後の気分が濃厚な脚本は、もはや演出できる人がいないのでは。

2019年11月24日 (日)

KAAT神奈川芸術劇場/KUNIO共同製作「グリークス」神奈川芸術劇場大スタジオ(ネタばれあり)

<2019年11月23日(土)終日>

美貌で有名なギリシャの将軍の弟の妻がさらわれたことで始まるトロイアとの戦争の行方「第一部 戦争」。戦争に勝利して祖国に戻るも先祖以来の悲劇が繰返される「第二部 殺人」。あまりにも悲惨な運命に翻弄されて神々への信仰が薄れた世界で生き続ける人たちが見たのは「第三部 神々」。

蜷川幸雄版をテレビで観てから一度は生で観たいと思っていた大作をようやく観られた。音響衣装美術一部役にやや癖があるも本筋は直球の演出。この大作にこの出来は素直に成功とほめたい。観られてよかった。

蜷川幸雄はグリークス上演時の長谷部浩のインタビューに「『女たちが歴史を持続させたんだよな』と思わせられるところがたくさんあります」「ある時代には女性のところへ中心が行くんです。それは間違いのない事実だと思う」と答えていた(ある時代とは「国そのものが滅ぶとき」と長谷部浩は補足している)。今回実際に観てその感想を強くした。それはもう、演出がどうこうできるものではなく、脚本がそう叫んでいる。

そこに加えて今回の演出方針に、人間をもてあそぶ神々は死ね、があった。オープニングから天井に「GODS」の4文字が吊下げられた下で、ギリシャ軍は生贄をささげて得た勝利を神々に感謝し、敗れたトロイアの王族たちは神殿を建て供え物を欠かさなかったのにと神々を呪う。挙句、第三部でトロイアにさらわれたと思っていた美貌のヘレナは実は神が創った似姿(偽者)で、本物はエジプトに飛ばされていたときて、何のための10年戦争だったかとなる。天井の文字は傾き、コロスたちが神を突き放しだす。あれを観たら客席側でもそう思う。

さらにその演出を表していたのが衣装で、今回登場する神々は3人だけど、まともな格好をした神がいない。海のニンフのテティスは比較的まともだったけど演出としては笑いものすれすれ。アポロンは何だお前という格好。アテネは二宮金次郎像よろしく書物を背負って出てくるけど、最後に持っていた林檎は、アダムとイブが食べた知恵の象徴にしてその後の災いの始まりで、今回の物語の悲劇が金の林檎を巡る女神たちの争いから始まったことも考えると、いい意味とばかりには取れない。ついでに神の仲間入りしたヘレネもアポロンと揃いの格好。能舞台を模して松を描いた背景美術は、美術としての効果はいまいち活用しきれていなかった気がするけど、和洋折衷の衣装の成立には役立っていた。

この衣装と対になるのが音楽で、現代風の音楽が入るところは人間側の嘆きまたは賛美にあたっている。この音楽は使い方は賛否あるはずだけど、オープニングとエンディングの正解感を見たら、釣合いを取るためにもありという結論に自分はなった。

多少ひねった演出だったのは予感通りで、でも満足感の高い芝居だった。贅沢を言わせてもらえば、ひねらない王道のギリシャ悲劇演出で、もう少し大きな劇場で、20年後にもう一度演出してほしい。今ならどこの劇場だろう、シアターコクーンよりも東京芸術劇場のプレイハウスかな。

以下雑感。

・地中海の国が舞台ということでサザンの流れる茅ヶ崎の海岸から海つながりで幕を開けるオープニングの力技は茅ヶ崎出身の演出家ならでは。

・第一部一幕。ギリシャ軍がトロイアに出陣するために集結しているが風が吹かない。月の女神アルテミスは将軍のイピゲネイア娘を生贄に要求していると神官は言う。

将軍アガメムノンの天宮良が最初からいい感じ。その妻クリュタイムネストラの安藤玉恵が出だしからネタを背負わされて登場するもそこが過ぎたら貫禄。

・最初は気がつかなかったけど、アガメムノンたち軍隊の衣装が陣羽織風だったり現代風だったりしたのに違和感がなかったのは全員にマントを着せていたからと気がつく。マントを羽織れば統一感が出せると見切った衣装アイディアがすごい。ついでにオデュッセウスの池浦さだ夢も眼鏡をかけているけど気にならないのもすごい。

・第一部二幕。トロイアと戦争中にアガメムノンとの女を巡る争いでサボタージュをきめこんだアキレウス。しかしそれを知った敵軍に味方が押される一方となり、見かねたアキレウスの友人パトロクロスがアキレウスの鎧を身につけて前線に赴く。

ここはアキレウスの渡邊りょうがいい感じ。最後、短時間ながらプリアモスを演じた外山誠二の存在感がアキレウスと拮抗してぐっと場面が締まる。なお文学座の初演で同じ幕にも出た外山誠二はパトロクロスだった模様。

・第一部三幕。「トロイの木馬」を送り込んでようやく勝利したギリシャ軍。王族の女達は戦利品として分配され、王の孫は後の復讐を恐れて城壁の上から突き落とされ、トロイアはギリシャ軍によって破壊しつくされる。

王の妻ヘカベを、新劇もかくやという演技で松永玲子が熱演。その息子の妻アンドロマケを演じた石村みかのたたずまいも素晴らしい。この王族たちに同情をしめす森田真和の伝令タルテュビオスが悲劇を強調する一方、銀のドレスで登場して元夫に取入る武田暁のヘレネのちゃっかりさが、こんな女のために戦争が起きたのか感を強調する(笑)。そして国が滅ぶラストはスケールの大きさを感じさせて第一部の締めにふさわしい。

・ここで休憩30分で観客は一度客席から追い出される。いつもは大ホールでしか開けていない休憩スペースを開放していたのに最初は気がつかなかった。

・第二部一幕。ギリシャに帰る途中で風がなくなり寄港した島でヘカベは、娘を生贄にされて殺される。さらにトロキア王に預けていたはずの息子が殺されて、復讐を計画する。

松永玲子が引続きヘカベを熱演するも、復讐後にガッツポーズが出て、やっぱりこの人は小劇場の出身だと安心する(笑)。そして最後に狂うのをみて衣装に納得する。

・第二部二幕。ギリシャに戻ったアガメムノンを妻クリュタイムネストラが迎えるが、様子がおかしい。カッサンドラは将軍と自分の死を予言する。そして従兄アイギストスと手を組んだ妻が夫に手をかける。

のってきた天宮良と安藤玉恵との間で家に入るまでの押し問答がいい。ここで第一部一幕の生贄の話とつなげて娘の復讐をうたいつつ、実はこの一族が殺し殺されてきた歴史も語られてややこしいところ、手書きの図を配って解説する親切仕様。

・第二部三幕。クリュタイムネストラとアイギストスが我物顔で仕切るなか、父への愛と2人への恨みで冷遇されるエレクトラ。小さいころに他国に預けられた弟オレステスが復讐を手伝ってくれないかと祈るだけの毎日だったが、そこに弟が亡くなったとの連絡が届く。

父の復讐といえども母を殺していいのか、そして母の必死の命乞いにためらう弟とけしかける姉。戦争に勝った甲斐もなくあちこちで復讐が続く、やりきれない第二部の締め。

・ここで1時間の休憩。軽食を予約した人はここで受取って食べる。それにしてもすぐ近所が中華街なのに1時間だと行って食べて戻れない。結局軽食かコンビニになる。

・第三部一幕。トロイアにさらわれていたと思ったヘレナだが、実はそれは神が作った似姿で、本物のヘレナはエジプトに飛ばされて王に結婚を迫られていた。そこにトロイアからの帰国途中に遭難したヘレナの夫メネラオスがたどり着く。2人は一計を案じて脱出を試みる。

テレビで観た内容は全部忘れていたので、この超強引な展開に内心衝撃を受けて、戦争の空しさに心が突然飛ぶ。本物のヘレナも武田暁が演じて、やっぱりチャラい(笑)。ここで脱走を手引きしたエジプト側の女、はっとする声の出せる人で役名がわからなかったけど河村若菜でいいのかな。(追記:コメントで情報もらいました、河村若菜であっていました)

・第三部二幕。母を殺した罪でエレクトラとオレステスはギリシャの裁判にかけられる。エジプトから戻ったメネラオスとヘレナは冷たい。死刑を宣告された2人はメネラオスの娘ヘルミオネを人質にとって脱走を企てる。

揉めていたら突然出てくるアポロンののんきな台詞回しと、上でも書いたけど適当さを表す衣装。救済の気まぐれ感が出ていて、あんな神ではありがたくない。この一幕と二幕の間だけ休憩がなくて、全編を通じて神々への不信感が一番つのる箇所。

・第三部三幕。アキレウスの息子の奴隷となっているアンドロマケ。アキレウスの息子と結婚したヘルミオネだが、子供のいないヘルミオネは子供のいるアンドロマケに嫉妬し殺そうとする。

第一部三幕に出てきたアンドロマケの石村みかがここでは主役にふさわしい出来。コートを羽織らせてマントっぽいから違和感がないだろという衣装マジックがすごい。アンドロマケを助けるアキレウスの父ペレウスを小田豊が好演。こういう役者を見かけないのは減っているのか自分の趣味が偏って出会えていないのか。

・第三部四幕。生贄になったはずのイピゲネイアは実はアルテミスにさらわれて、タウリケの神殿で巫女を務めていた。そこにギリシャ人が流れ着いたという。生贄にするところを助ける代わりに自分の消息を弟に伝えてほしいと託した相手が弟とその友人だった。3人は脱走を試みる。

無事逃げ失せた後に残された人々が神々を疑うところから、知恵の神アテナ登場、と思ったら安藤玉恵が本を背負って眼鏡をかけて、は冒頭に書いたとおり。そこから一転、現代音楽でのエンディング。最後のユニゾンだけ音響に負けて聞き取れなかったのだけもったいなかった。

・各部10分休憩2回、各部間は30分と1時間の「休憩」だけど開場はすべて15分前。これで11時30分開演21時40分終演を実現。客席数が少なかったから出来た面もあって(150人強)、たしか蜷川幸雄は10時を過ぎてBunkamura駐車場が閉まって車が出せなくなったとかならなかったとか。食事外出がままならなかった代わりに、この時間に終わってくれるのは観る側にはありがたかった。

<2019年11月26日(火)>

全面清書。

<2019年12月30日(月)>

役者名の情報をもらったので追記。

2019年11月11日 (月)

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「ドクター・ホフマンのサナトリウム」神奈川芸術劇場ホール

<2019年11月10日(土)夜>

軍に入隊した婚約者と列車で旅行中の女性はうたた寝で見た夢の内容を話しているが、途中駅で止まって食事を買いに降りた婚約者を残して列車が出発してしまい、周囲の乗客が自分の見た夢の続きを話し出す・・・という出だしで始まるカフカの未発表遺稿を見つけた男。祖母はなくなった人形のことを慰めるためにカフカから手紙をもらっていたという。借金で首が回らない男は出版社と交渉しているが、道に迷って遅刻する。なぜか道に迷いやすくなってしまったらしい。

カフカは試しに手にとっても受付けないので全然読んだことがない。なので「カフカズ・ディック」とか「世田谷カフカ」とか、KERAの芝居で観た印象しかない。という前提で、訳のわからないことが起きてはそのまま話が進む、カフカっぽい芝居。大雑把には、渡辺いっけいと大倉孝二がメインの未発表遺稿発見からの話と、多部未華子がメインの遺稿内の話とに分かれて、どちらも不条理な展開が満載。比べると遺稿内の話のほうがより不気味で、それはラスト場面でより鮮明となる。

役者は誰を見ても外れなし。多部未華子もよかったけど、誇張してやっているはずなのに普通に見える渡辺いっけいの演技の謎。そして他の誰よりも格が違うと思わせた麻美れいは、「」のときよりさらに思いっきり上下に広い年齢の役をこなして、しかも奥様役の貫禄の圧巻。スタッフワークはもう素晴らしいの一言で、役者がまずいと逆に損するくらいだけど、役者もきっちりそろえてスタッフワークと相乗効果を出せる役者ばかり。

観てそれなりに面白かった。ただ長い。いろいろ不気味さが加速していく後半と比べて前半は間延びした感あり。前半といっても2時間弱とほぼ1本の芝居の長さで、それでまだ前振り段階の感触だったらそれは間延びも感じる。あとラスト。最近のKERAのインタビューや作風からはわからないでもないけど、あのPAはメッセージが強すぎて、この展開には入れてほしくなかった。

あと製作陣の問題ではないけど、この劇場はなんかスカスカして密度が高まりにくい。改装前の東京芸術劇場中劇場(現プレイハウス)を思い出させる。舞台と客席の距離はそんなに遠くないはずだけど、天井が高すぎるのか、客席の椅子が広すぎるのか、舞台のプロセニアムアーチがなくて上が広すぎるのか。

2019年9月15日 (日)

犬飼勝哉「ノーマル」三鷹市芸術文化センター星のホール

<2019年9月14日(土)昼>

美大に入ったばかりの佐藤ナオ。同姓同名のアイドルは世間をにぎわしている。一緒に展覧会を計画している同級生は親戚に芸術家がいて本人も取材を受けている。自分は普通で面白くないと年の近い叔母にこぼすのが口癖。やがて叔母の紹介で喫茶店でアルバイトを始めるが、やってきた客と展覧会の話をしたら挙動がおかしい。普通ではない。

主人公も自分で言うほど「普通」じゃなさそう、というさわりから始めて、芸能人や茶化されている評論家(モデルいるそうです)のような有名人の話から、近所の景色や他人のスマホを覗くような身近なところまで、人によって意見のわかれそうな「普通」を大小集めた世界。そこにどう見ても普通でない設定を混ぜられるのは小劇場の醍醐味。そうやって、何が普通で何が普通でないか、その境はなにか、じりじり積重ねていった先に急な転結がやってきて、普通であること普通でないことと価値や幸せとの関係はどうなのかを問う見事な展開。

後で振返って何がすごいって、5人の役者で6役、しかもそのうちの1役は前述のネタ要素の多い評論家なので実質5人5役だけのものすごい狭い世界で、2時間を切っている芝居なのに、日常の場所や時間の広さを想像させるように描けていること。実際にあった出来事を含めて、選んでいるネタや設定が、量や提供する順番も含めてものすごく厳選されている証拠。狭い世界を濃く深く描いた芝居はよくあるけど、広く描ける芝居は珍しい。それを具体化した5人の役者もはまっている。改めて公式サイトを見たら青年団に縁のある人が多いけど、演出家の役者を見る目の確かさ。ただ演出部に脚本家を含めて4人クレジットされているけど、いわゆる演出助手か、共同演出か、場面ごとに演出を分担したのか、ドラマターグで入ったのか、演技指導か、ネタ出しか、役割がわからない。

スタッフでは、まあまあ広い劇場を、吊ったテーブルやベンチや小道具を入替えることでアクティングエリアを狭く取って場面転換していく美術が、妙に劇場の雰囲気に似合っていたのもメモしておく。他でもありそうでなかなか見かけない仕上がりが光る、小劇場らしからぬスケールを秘めた、現代会話劇の潮流につながった、モダンな、「ノーマル」の題名にふさわしい1本だった。

ただ見終わって思ったのは、これを発掘してきたMITAKA "Next" Selectionのセンス。これまでそんなに数は観ていないけど、その中ではかなり異色の1本。もちろんここに見事な新作を提供した脚本演出家は第一に褒められるべきだけど、仮に自分が関係者だとして、今回の芝居1本だけを観てオファーできるかというとできない。大胆な展開もあるけど、どちらかといえば「神は細部に宿り給う」類の芝居で、これと同じクオリティが次回も担保されるとは信じきれない。ずっと以前からこの脚本演出家の芝居を何本も観ていたならその守備範囲の広い発掘活動に感服するし、1年前の前作1本だけを観てオファーしたならその度胸に感服する。気になったからこちらを参考に検索したらぴあに連載している企画運営担当者のコメントが見つかった。いつ消えるかわからないので引用しておく。

この企画を始める時から、その段階での集客数や、劇団としての継続年数などは一切気にせず、脚本や演出力に優れ、独自のオリジナリティを持っていて今後が楽しみだなと思える劇団を招致することだけを考えて実施してきました。あと「今年のテーマは」というようなことも全く考えてないので(同一年度の)招聘劇団に共通項を持たそうと思ったことも無いですし、会話劇主体の劇団からコンテンポラリーダンスまで、ジャンルにも全く拘っていません。そして、招聘する以上、どの劇団にも同じ敬意を持ってと思っているので、「今年の3劇団の中から、一等賞には100万円」というようなコンテスト形式にはしたくなかったですし、レセプションやパーティなども実施せず、とにかく作品で勝負してもらって、良い舞台を作り上げてもらえたらと思ってきました。先にも書きましたが、その時点での集客数を全く気にしていないので、招聘する際に「今、何人くらいの集客数ですか?」という質問に「150人くらいです」とお答えいただいた劇団もありました。けれども近年は、全ての劇団に「2週間公演しましょう」と言って交渉を進めます。三鷹市芸術文化センター星のホールは、割と簡単に客席が真っ平らになりますので、空間の使い方の自由度が高いという利点を生かして、「1ステージ30人でも寂しくないし、もしお客さんが増えて100人来てくださっても対応できる」ような舞台と客席作りになればと、相談したりしています。そして、舞台が評判となって、後半にお客様が増えるということを強く願っての「2週間公演しましょう」となります。木曜日や金曜日が初日で、日曜日が千穐楽だったりすると「面白いらしいね」と評判になっている頃には舞台が終わっているということが多くて、もったいないなと。だから、2週間公演すれば、評判になって、後半お客様がたくさん来てくださるという可能性があるかなと、それを願いつつ、とにかく良い舞台を作ってもらえたらとご相談しています。今から10年前の2009年、丁度“Next”Selection 10回目の年に公演していただいた、劇団ままごと『わが星』がまさにそんな感じで、初日二日目までは空席があったのに、千穐楽は当日券が長蛇の列となりまして、後に岸田國士戯曲賞を受賞したほか、再演・再々演においても、お客様に大きなご支持をいただける作品となりました。その「ままごと」のほかにも、その後大きく羽ばたかれた劇団が数多くあり、本当に微力ながら、演劇界の裾野の広がりに少しでも貢献できたなら嬉しくと思いますし、これからも、一歩一歩、丁寧に、実施できたらなと思っています。

公立劇場として民間劇場よりは予算や制作に自由度があるとしても、それを確保して活用するには相応の能力は必要とされるもの。それを維持して20年は並みの業績ではない。思い返せば客入れにも立っていた人で、以前「接待」とか書いてしまった人だった。申し訳ないと今さら謝っておく。

<2019年9月17日(火)追記>

全面修正。

2019年7月28日 (日)

五反田団「偉大なる生活の冒険」アトリエヘリコプター

<2019年7月28日(土)夜>

40歳の男は写真の仕事をしていたこともあったが今は無職で、元彼女の家にやっかいになっている。元彼女はスーパーのバイトをしながら、職場の男性と付合っているらしい。元彼女がバイトの間にゲームをやったり隣人とおしゃべりをしたりして過ごしているが、最近は昔なくなった妹の夢を見るようになった。

11年前の芝居を今のほうが切実と再演、というだけの前知識で観たら本当に切実な1本。それを、これしかないという必殺の間合いで笑いに変える役者陣の技量はさすが。その粛然とするしかない場面を笑いに変えた中に「俺もそれを見たことがある、そっち行っちゃ駄目だ」って値千金の台詞が混ぜているのは見事の一言。ゲームの扱いが巧み。10年くらい前の人を食ったような顔より今のほうが表情は若く見える前田司郎と、この芸達者な5人の中でも一段上に見える内田慈のコンビはさすが。

観終わったあとで客同士が「笑えない場面でみんな間違って笑っていましたよね」って話しているのを耳にしたけど、この話に笑いがないと悲惨の一言で終わってしまうので、笑うのは正しい。笑えないけど思わず笑ってしまうのも正しい。この範囲の中でできる限りの結末がそれか、という話なので観る前には体調をよく整えて笑えるようにのぞんでほしい。

すごい久しぶりにアトリエヘリコプターで観たけど、工場街だったはずなのに周りの建物が軒並み高層ビルやマンションになっていて、アトリエヘリコプターだけがぽつんと残っているのに時代の流れを感じた。あれだけマンションがあって休日なのに人がほとんど歩いていない、都心なのに新興住宅地で不思議な雰囲気だった。

2019年6月24日 (月)

神奈川芸術劇場プロデュース「ゴドーを待ちながら(昭和・平成ver.)」神奈川芸術劇場大スタジオ

<2019年6月23日(日)昼>

街の外れにある、1本だけ木のある人通りの少ない広場。友人同士であるウラジミールとエストラゴンは、ゴドーを待つためにやってきたが、待っている間に主人と従者の2人が通りかかり、従者をこき使った様を見せて去っていく。そこに、ゴドーの使いという少年がゴドーは今日は来ない、明日は同じ場所で待ち合わせようという伝言を告げる。翌日に来た2人だが、昨日の2人がまた通りかかる。ゴドーは相変わらず来ない。

千秋楽で昭和平成バージョンを観劇。ネタはネタとして、初見ではどこまでアドリブなのか判別しづらい絶妙のノリで退屈を演じるメインの2人。そこにマッカーサーの格好をした主人と昭和天皇に顔を似せた従者を登場させて、日米国旗の付いたマイクを使って、ラストに君が代を流して、昭和はそういう時代だっただろうという直球の演出。

にもかかわらず、これが初見だから確かなことはいえないけど、ゴドーを待ちながらの脚本自体はきっちり上演されていた印象を受けた。退屈したり不安になったりわからなくなったり互いの仲に疑問を持ったりする脚本自身が、しっかりした強度を持っていたのがひとつ。あとメインの2人の、遊びに走りたがる小宮孝泰とそれに付き合ったりほどほどで止めようとしたりする大高洋夫との関係が役にも反映されていて、実にいい雰囲気だった。他の3人も上手だったけど、メインの2人の自由自在な感じはなかなか観られない貴重な仕上がり。

それを後押ししたのがスタッフワーク。青山円形劇場を思わせる囲み舞台を作って古い新聞を散らした美術が一押しで、会場に入った瞬間に、あ、これがこのスタジオの正しい使い方だ、と思わせるものがあった。それにつりあわせた衣装も見事。

定番なのに長年観られなかった芝居だけど、今回ようやく観られてすっきりした。欲を言えば、最初は単なるキャスト違いだろと思っていたけど、たぶん演出を変えていたはずなので、令和バージョンも観てみたかった。

2019年6月17日 (月)

serial number「機械と音楽」吉祥寺シアター

<2019年6月15日(土)昼>

ロシア革命期に少年時代を過ごし、革命後に絵の勉強を志望して国立学校に入学を認められ、やがて建築に針路を定めたたイヴァン・レオニドフ。共産主義に基づいた構成主義建築で脚光を浴びるも建築にはなかなかつながらない。やがてレーニンが亡くなりスターリンの時代に入り、構成主義建築自体が国家の主張に沿わなくなっていく中で構成主義建築のデザインを描きつづけていくが・・・。

風琴工房時代から数えておそらく再々演の演目。実務に芸術の要素を多分に含む建築と政治との関係、伝統的な日常の生活と遊離する構成主義の建築、理想と現実、などなど。実在の人物と時代を使って描かれる様々な要素は、骨太という形容がふさわしい脚本。

ただ演出が行き届いていない。役者のレベルにばらつきはあったものの、自分で書いた脚本を再々演で演出してここまで揺れるものなのか。それとも新しい演出を試みて失敗したか。女性陣の対主人公の関係はもう少し機能させてほしい。賛成していた革命で仲の良かった幼馴染を亡くしたことへの想いが未処理なのはあんまりだし、「へらず口同盟」が埋もれて見えたのはもったいないし、妻との関係が妻からの一方通行気味だったのは物足りない。脚本がよかっただけに他の演出家でも観てみたい。

良かったところでは、役者では主人公の友人の田中穂先と先輩教授の浅野雅博、イヴァンのデザインを模したらしく線で配置した球と2階のギャラリーまでつないだ美術、理解を促すのに確実に一役買った映像や字幕。

あと芝居とは関係ないけど、ユニット名は単語頭が大文字なのか小文字なのか、単語の間は空けるのかつなげるのか、どれが正しいのか不明。公式サイトやTwitterを調べても表記がばらついてどれが正解かわからないので、一番表記の多そうな小文字で空ける表記をこのエントリーでは採用した。

2019年6月 9日 (日)

劇団青年座「横濱短篇ホテル」亀戸文化センターカメリアホール

<2019年6月7日(金)夜>

横浜の老舗のホテルの部屋と喫茶店で、40年以上に渡って展開する2人の女性の物語を7本の短編で描く。

気がつくのが遅れたけど2日しか上演していないので慌てて観劇。短編一本ずつでも完結して面白いし、つなげればなお楽しい、絵に描いたような笑って泣いてでさすがマキノノゾミという娯楽作。ただし笑いにまぎれて「いつもあんたの反対を選べばたいてい上手くいったもん」という毒のある台詞も出てくる。

大勢の登場人物が出てくるので色んな役者が観られる点でも劇団向けの一本。主人公の大人を演じた椿真由美と津田真澄は初見かな、はっきり対照的な役を作ってよい感じ。那須凜は「砂塵のニケ」よりも出番は少ないけど今回のほうが絶対よい。

演出はゆったり、というほどでもないけど、ホテルの雰囲気優先という印象。同じ笑いでも、KERAとか平田オリザとか、ここで笑わせるというところを絶対外さないために最初から最後までテンポも間もコントロールする演出をしているのだなと気がつかされた。

2019年4月21日 (日)

演劇ユニットnoyR「ニーナ会議」若葉町ウォーフ

<2019年4月20日(土)夜>

 

チェーホフの「かもめ」に登場するニーナ。登場場面と登場しない場面で何を感じ、何を考え、何を決心していたか。恋人のトレープレフや作家のトリゴーリンに何を想っていたのか。

 

悩む以外に打算的なニーナや揺れるニーナも登場して、合計4人のニーナが登場。オープニングの寸劇を控えた突っ込み満載の気持ちから、変わり果てた姿を見せた後までが描かれる。どんなものかわからず観に行ったけど、堪能した。

 

4人のニーナが交わす会話とダンスパフォーマンスで描かれるニーナの心の揺れは、時代は昔でも、同じ年齢で同じ立場になったら同じように迷うよな、恋人や作家がにいろいろ想うとや、ととても身近で共感できるもの。作家のトリゴーリンと話すときに台詞ごとに4人のニーナが入替って揺れる心を描く場面の演出とそこに至る脚本の構成は見事。「魂が同じにおいがしない」といういい台詞があったけど、「かもめ」別の台詞をもじったか。とにかく全体に、「かもめ」を読みこんでそのエッセンスをニーナ、トレープレフ、トリゴーリンの3人で実現した印象。お互いをニーナと呼び合ってうるさい4人(笑)は前半からシリアスな後半まで熱演。一応ひとりだけ挙げるなら富岡英里子。あとトレープレフの仲道泰貴がたまに気になった。

 

すこし残念だったのは会場。手ごろな広さとその割に高い天井で、生演奏のピアノ伴奏も響く会場だったけど、遮音が弱くて外の音がよく入ってくる。オーディオの音が大きい車が通ったりするとまる聞こえで、またそういう車が何度も通る立地という難があった。

 

再演かつ座・高円寺の劇場創造アカデミー出身者ということでまるっきり外れにはならないだろうという見込みで観に行ったけど、個人的にはすごい楽しむと同時に勉強になった。大げさに言うとひとつの役を演じるときにはひとつの芝居が成立つくらい深く掘らないといけないし掘る余地があるということを教えてもらった。ただ、スピンアウト芝居としてはたとえば「ハムレット」からの「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」などもあるけど、スピンアウト作品の常として、原作を知らないと楽しみも半分以下という致命傷がある。自分はKERA版の記憶を頼りに観たけど案外なんとかなった。ただし今は新国立劇場で「かもめ」を上演しているので(実は新国立劇場と同日観劇を目指したけど失敗)、そこに合せた上演なら戦略的だし、偶然なら運を持っている。「かもめ」を観たばかりの人、芝居のベテランウォッチャーで「かもめ」をすでに観たことのある人にはぜひ拾ってほしい1本。

より以前の記事一覧