2018年6月24日 (日)

青年団「日本文学盛衰史」吉祥寺シアター(若干ネタばれあり)

<2018年6月23日(土)夜>

明治27年5月の北村透谷、明治35年9月の正岡子規、明治42年の二葉亭四迷、大正5年12月の夏目漱石、それぞれの葬儀後の場で交流する文人たちを通して、新しい日本にふさわしい日本語を発明しようと苦労した先人たちを「今風に」描く。

こんなあらすじだと堅苦しく見えるけど全然そんなことはなくて、「今風に」描くのでスマホも出ればラップもあれば、本当にタイムリーな時事ネタも混ざりつつ、突然チェルフィッチュとか何でもあり。原作があるせいか今までの青年団のないはっちゃけぶり。知識がなくても楽しめるけど、明治に活躍した作家や詩人の作品と、その作者である文人たちの私生活ネタまで知っているとなお一層楽しめる。それでいて現代批判と日本語の発達の経緯まで描いて無駄なく、混乱もせずに観られる。

西洋の文化の一環として日本に入ってきた文学と、それをあるいは言語で読みあるいは翻訳しあるいは影響を受けて自作を発表した文人たち。文語文をどこまで洗練させても「新しい日本」を伝えるに足りず悩んだ北村透谷、俳句の分野で「新しい日本」を見せた正岡子規、口語文という「新しい日本語」を発明したのに中身が伴わないと自身が評価しなかった二葉亭四迷、口語文の小説と一緒に「新しい日本」の日本人の悩みまで書いた夏目漱石。これらの人たちの活躍した時代は政治の分野でも「新しい日本」を目指す動きがあり、その活動を行なう人たちの中には文士もいた。森鴎外のように政府の要人になっている人もいれば、幸徳秋水のように政府に処刑された人もいて、目指すところは違っても「新しい日本」のために文字通り命がけだった。そしてようやく整ってきた日本語は「新しい考え」を可能にし、しかし新しい考えは傲慢な意識を芽生えさせ、一方その新しい考えが自分達に向かうのを恐れる支配者層は市民への取締りを強化していく。

というのが、メインの筋。これを、いろんな作家の作品の引用や私生活のエピソードを混ぜて描く内容が、どこまで原作でどこから平田オリザ創作かわからないけどものすごい上手。そもそもこの登場人物たちが一同に会したことなんてない(笑)。それを葬式後の会食という設定で無理矢理同じ部屋に登場させてそれっぽく会話させてしまうことができるのが、小説や芝居のいいところ。与謝野晶子から「自由恋愛を批判ってお前が言うなって顔していますね」と言われてその場の男性文士が全員うな垂れて、当時の文士の駄目人間だらけであることを一瞬で表す場面、楽しいですね。

一方で、ここに現代の時事ネタを取入れたり(幸徳秋水がもう一人と一緒にスネアドラムを叩きながら首相へのデモ調に「かつーら辞めろ」「かつーら辞めろ」とか)、現代の知識をメタに混ぜたり(夏目漱石の妻は悪妻というのが定評でしたが最近はNHKのドラマで名誉回復云々、とか)、現代のテクノロジーを登場させたり(モバイルスピーカーを持ってラップしながら登場する宮沢賢治とか)、こういうネタが笑いを誘って芝居の雰囲気をほぐしつつ、これは現在の話でもあるんですよ、とメインの筋を現代批判にもつなげる手腕が、もうこれは息を吸って吐くようにごく自然にそうなっている平田オリザ節。

一方で、坪内逍遥と島村抱月という日本近代劇の創始者を登場させたり、国木田独歩に鈴木メソッドで退場させたり、樋口一葉に「大つごもり」の粗筋をチェルフィッチュの「三月の5日間」と混ぜて語らせたり、うっすら演劇の話も混ぜている。そのものずばり「演劇のことば」という本(面白いです)を書いた平田オリザにしてみれば、芝居の日本語の近代化に興味も知識もあるし、何なら自分が芝居の日本語を一気に自然にしてみせたくらいの自負はあるかもしれない。

そういういろいろな話を混ぜて、4幕目はまったく年代が重ならない作家まで登場させて、紹介するのも面倒だから全員に名札を付けさせて、その雑な感じの勢いから静かな未来の提示、一転して踊り狂うあの乱暴なラストまでの流れ。原作があったとはいえ、昔と今の時間を混ぜる作りは唐十郎とか野田秀樹あたりがやっているザ・小劇場の芝居だけど、あんな小劇場っぽい芝居も作れるんだと平田オリザの実力と感性を見せ付けられた。本来ならこういう芝居は若手の小劇場が上演して評判を上げるべきところ、自慢の役者陣を大勢投入して、柱だけでふすまや壁を取払った和室といういつもながら見通しのいい美術や、着物や日本髪なども用意して抜かりのない衣装陣など、そこらの小劇場では用意できない誂えも準備して、大ベテランの平田オリザが隅々まで行き届いたお手本のような芝居。ここまでやられたらこの路線にはぺんぺん草も残らない、ってくらいよくできていた。

あと今回観て思ったのは、やっぱり青年団の演技は今っぽいというか、少し違う。同じ話をもし新劇系の役者で演じたら、よくも悪くももっと湿っぽい、役への思い入れが前に出た演技になったと思うし、それだと現代ネタを混ぜたこの話の上演は難しかったはず。ロボットにも同じ演出をするという平田オリザのことだから、動きや声の調整をメインにして雰囲気をコントロールできるような、役者の個人技でなく全体で雰囲気を作り出せるような演技を青年団の演技の基礎として求めているのだと感じた。それが実感できたのが今回の発見。

ひとつだけ迷った点を挙げるとすれば、大勢の役者以上に大勢の役があって、同じ役は同じ役者が演じていたけど、複数役を兼ねる役者もいたことと、あと男性役が多いのはしょうがないのだけど、そのうち結構な数を女優が演じていたこと。見た目も大幅に変えていたし、芸達者なことこのうえない青年団の役者陣だけど、最初はやや混乱した。それこそ4幕目はいるだけに近い役も結構あったのだけど、青年団なら一人一役で役者を用意できただろうし、かといってあのくらい芸達者な役者を1幕で退場させるのはそれこそもったいないし、どちらがよかったのかは今でもわからない。

でも個人的にはもう大満足の1本。この時代の作家や詩人の作品に造詣が深ければもっともっと楽しめたはずで、その方面の教養のなさが悔やまれる。

<2018年7月3日(火)追記>

全面更新。

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2018年5月27日 (日)

赤坂ACTシアタープロデュース「志の輔らくご」赤坂ACTシアター

<2018年5月26日(土)昼>

なぜ歌舞伎の忠臣蔵は登場人物の名前が史実と異なるのかという疑問から始まって大序から11幕までのあらすじを浮世絵とともに説明する「仮名手本忠臣蔵のすべて」、下積から名代まで引立てられた役者に与えられた最初の役はいい役がたくさんある忠臣蔵の中で斧定九郎の一役のみという嫌がらせを引受けて一世一代の大勝負に「中村仲蔵」。

話だけでは難しいところ、各幕ごとの浮世絵を探してきてビジュアルを駆使して説明する懇切丁寧な前半。抜群に有名な代わりに長いので通しで演じられることの少ない演目を解説されて、始めて理解した。後半の落語のために全体を説明するのは「牡丹燈籠」と同じ趣向だけど、1時間ほどにまとまっているのでまずます観られる。
ただし後半の「中村仲蔵」は今回3回目だけど(1回目2回目)、よく言えば一番親切悪く言えば一番もたついた。昔は役作りに苦心して最初に披露する仲蔵の緊張と、引立てた団十郎の知ってはいるが見守るしかない立場からの感心と、名人の心情に絞ってテンポよくまとめていた。今回は仲蔵の生まれを足して、仲蔵の師匠の出番を足して、蕎麦屋の浪人とのやり取りを伸ばして、たぶん忠臣蔵のおかるを説明した一環だと思うけど女房とのやり取りも伸ばして、長い。「定九郎はあんなじゃないと思っていた」の説明もご隠居と団十郎とに繰返し説明させたのは工夫か間違いか判別しかねる。もともと5幕は弁当幕で云々と説明を足しているのに、さらに説明が増えて冗長に過ぎる。前半説明していればこそ、あるいは前半に説明を回して、後半は省略と洗練の極みで攻めることを望む。

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2018年5月13日 (日)

さいたまゴールド・シアター「ワレワレのモロモロ」さいたま芸術劇場NINAGAWA STUDIO

<2018年5月12日(土)昼>

役者に持寄ってもらった不幸なエピソードを構成する岩井秀人の「ワレワレのモロモロ」シリーズ。壊れかけた冷蔵庫の代わりを探すが、ほしい冷蔵庫について妻と夫との微妙な意見の食い違い「わが家の三代目」、中学で出会い高校で亡くなったかつての友人の記憶がよみがえる「友よ」、ゴールドシアターに入団して初めて台詞をもらえたのがうれしくて「無言」、夫が亡くなってから家にやってきた猫を飼う「パミーとのはなし」、軍人一家の末っ子が予科練に入隊する「荒鷲」、長姉と長兄は出かけて母と次姉と家に残っていた日の話「その日、3才4か月」。

岩井秀人は上手い役者を発掘してきて超絶妙なタイミングと演技が求められる芝居を作る人という印象で、さいたまゴールドシアターとの組合せも以外だったけど、素晴らしい成功例だった。今回で完全に見直した。

年配の役者ばかりだから亡くなる話が多くなるのは想定内のところ、冷蔵庫の話から始まって、でもその後の高校生で亡くなった女子高生や、誰か来てくださいという台詞の練習や、どうしようもない軍隊の実態など、いろいろな話が原爆投下直後の一家の姿に重なって、さらにその戦後の貧しかったころに米軍の大量の物資を見た記憶が海外製の大きい冷蔵庫をほしがる理由にまでつなげて最初に戻る。どうでもいい話から始めてどうでもよくない理由に戻る展開は見事の一言。

もともと動きや台詞の危ういゴールドシアターのメンバーだけど、この日は風邪で声が出ない役者がいて、マイクを使ったり急遽他の役者で台詞を分担したりとさらにアクシデントが加わったのだけど、まったく問題なしだった(ちなみに出来のよい回だったとのこと、トークショー参照)。緊急事態で役者の集中力が高まったのかもしれないけど、上手いとか下手とかお約束とか風邪をひいて声がでないとかどうでもよくなると思わせるくらいよくできた構成とががっちりかみ合った成功作。その理由はやっぱり一にも二にも脚本で、多少の出来不出来ではびくともしない構成があってこそ。岩井秀人は構成が持味というよりは、場合によって構成の強度や役者への依存度を調整した脚本を書き分けられるという印象。場所が遠いけど時間があったらぜひお勧めしたい。

以下、当日のトークショーのメモ。岩井秀人と、徳永京子と、渡辺弘。ずいぶんぺらぺら話すのだと思ったけど、作り上げるまでの苦労がつい口を滑らせたように見えた。一番面白いところはカット。誰がどの話をしたか、どの順番で話したかはずれている可能性あり。メモなので間違っていたらその責任はこちらにあるので申し訳ない。アフタートークは当日の晩くらいまではたいてい覚えているのだけど、このときは面白い話が目白押しでそこまで覚えていられなかった。

徳:蜷川幸雄の三回忌としてトークショーを開催します。
渡:午前中に御遺族と三回忌の法要に出席してきました。本当は他の方を呼ぶ予定だったのですが都合が合わず・・・。
岩:言わなければわかりませんから(笑)。
徳:蜷川さんと一緒にずっとやってきた方です。今は事業部長でしたっけ? 本当に凄い人なんですよ。
渡:今回初めてゴールドシアターを観た人は挙手をお願いします。・・・お、半分くらい。
徳:じゃあ岩井さんの芝居を今回初めて観た人は。・・・これも半分くらい。
岩:ありがとうございます。
渡:ずいぶん初めての人が多いですね。
岩:もともとゴールドシアターは演劇の幅を広げてきたというか(笑)、いろいろな常識が通用しない(笑)。

岩:今回はこれまでで一番感動的な回でした。
徳:風邪で声が出ない人はマイクを使っていました。
岩:本番45分前くらいに病院から戻ってきたら「先生、声が出ません」と蚊のような高い声で言われて(笑)。
徳:若者にだけ聞こえるというモスキート音のような(笑)。
岩:それで時間もなくてどうしようかと思いましたけど、ピンチのときは最初に思いついたことをやり遂げるしかなくて。演劇の幅を広げることにもなるしいいかなと(笑)。そうしたら周りの出演者が関係ない台詞を自主的に引取るようなサポートも本番中にしだして。ゴールドシアターは毎回仕上がりが変わるんですけど、今回は感動的な仕上がりになりました。

渡:以前から岩井さんとは一緒にやりたいと思っていたので、こういう形で実現しました。
徳:出演者に自分の不幸な出来事を書いてもらって、それを元に岩井さんが構成しています。岩井さんはこのフォーマットで公演もしているし全国でワークショップを何回も行なっています。最初にこのフォーマットを考え付いた経緯を。
岩:演劇ってまったく違う他人のことを上演するじゃないですか。それはやっぱり素人にはハードルが高いです。もともと自分の引きこもり体験を芝居にして上演していたので、素人が演劇を上演するなら、まずは自分の話を上演するのが一番いいと思っています。あと最近は、書いてもらった話の中で、できるだけ演劇らしくないものを選ぶようにしています。
徳:それはどういう理由で。
岩:演劇らしい話だと仕上がりが見えてしまってつまらないんですね。それよりは一見関係なさそうな話、それこそ今回のように壊れた冷蔵庫を買換えるような話のほうが、仕上がりが見えない分だけ可能性があると思って。それで不幸な話を書いて提出してもらったんですけど、みなさん手書きで、まずそこからか、と(笑)。それを劇場のスタッフがPCに入れてくれるのだけど「達筆で読めません」とか(笑)。それで面白かった人と話して詳しい話にする。
渡:横から見ていて、みなさんの話を引き出すのが非常に上手だったので感心しました。
岩:稽古に入っても一筋縄ではいかないことばかりで。最近のゴールドシアターの公演は、ネクストシアターの若手が入って手助けしながら公演していますけど、「せっかくだからゴールドシアターのメンバーだけでやります」と断ったんですね。そうしたら稽古初日から「ネクストシアター来てくれー」と何度も思いました(笑)。
渡:みなさん年を取って丸くなるかというとそんなことは全然なくて。
徳:初回公演(船上のピクニック)を岩松了さんに書いてもらったときに、本人に本読みをやってもらったら、岩松さんに「てにをは」の駄目出しをしていたとか(笑)。
渡:岩松さんが読んでいるときに、「そこは『が』じゃなくて『は』じゃないの」とか(笑)。あと、オーディションが終わった後に当代一流の講師を招いて1年間座学を設けたんですね。そうしたら「俺はそんなことやりたいんじゃない」と出席しない人もいて(笑)。
徳:私が聞いたエピソードは、公演の合間にだれるとかわいそうだからと、蜷川さんが伝手を頼ってピナ・バウシュ劇団にいる日本人ダンサーを呼んでムービングの講座を開催したんですね。そうしたら「俺はそんなことがやりたいんじゃない」と出席しない人がいたという(笑)。もぉっっったいない。
岩:ムービングの講座は受講者を一般公募して金を取りましょう(笑)。取れるくらい面白いでしょう。

渡:そういうメンバーばかりだから公演するごとに蜷川さんは病気をしていました。本当に、公演ごとに体調が悪くなって。
岩:聞いた話をまとめる段階でどうしても切らないといけない話が出てくるんですけど、切られた人は「あぁん?」(笑)。最後は「俺がそうまとまった話を観たいから、俺がそのほうが面白いと思うから切ります」と宣言してまとめました。
徳:すごいよく出来た話でした。

岩:蜷川さんが亡くなったあと、ゴールドシアターを解散するかという話はあったんですか。
渡:亡くなって1年くらいはどうしようかと本当に毎日悩んで。岩松さんと一緒にやることだけは決まっていたのでそれを頼りに続けて。今となってはそのタイミングがすぎたから解散できないです。ノゾエ征爾さんと「1万人のゴールドシアター」をやって、岩松さんと「薄い桃色のかたまり」をやって。いま活躍している中堅どころの人とも積極的に脚本演出をお願いしようと探して、岩井さんに依頼しました。
岩:自主的に退団した人はいるんですか。
渡:いません。亡くなった方と、病気でもう出られないから仕方なく退団された方だけです。
岩:うかがった話では、認知症で退団した方が、翌日うっかり稽古に来てしまったとか(笑)。
徳:オーディション時は55歳以上で募集していたましたけど、いま考えるとそれはずいぶん若くて。結成から12年経ったので平均年齢もだいぶ上昇しています。
渡:いまはネクストシアターがサポートしながら公演する形になって、それで「鴉よ、俺たちは弾丸を込める」と「リチャード二世」で世界まで行ってしまいました。蜷川さんが用意したものが10年経って花開いた成果です。
徳:「鴉よ、俺たちは弾丸を込める」は、裁判所で撃ち殺された老人が若くなって生まれ変わる話ですが、ネクストシアターの出演者はその場面まで待機しながらゴールドシアターのメンバーを助けていました。
岩:それ凄い話ですね、誰が書いたんだ(笑)。って、清水邦夫さんですね。
渡:ネクストシアターが作った映像がありますのでここで紹介を。劇場の25周年記念で、蜷川さんの舞台をいつも撮影していた写真家の写真に、ネクストシアターのバンド有志が歌をつけた、ゴールドシアターの紹介映像です。
(上映)
岩:これを自主的に作ったってすごいですね。
渡:客席の後ろにネクストシアターのメンバーが2人いますね。
徳:「いやいやそんなもんじゃない」って顔をしています(笑)。
岩:無理矢理作らされたとか(笑)。
渡:まあまあ(笑)。

岩:20代30代ってのし上がってやる、っていう気持ちが一番強い年代なのに、それがゴールドシアターのサポートをするって凄いですね。学校で蜷川さんに習っていたんですけど、周りはこの有名人を喰い物にしてやれって人たちばっかりでした。
渡:幅広い年代のメンバーが揃って、蜷川さんは晩年は「大家族ができた」と喜んでいました。
岩:最初にゴールドシアターを作ろうとよく考えましたね。
渡:最初は自分のお父さんとお母さんに、ハムレットとオフィーリアの格好をしてもらって写真を撮ろうとしたんです。そうしたら断られた(笑)。でもそこから、年をとった人でも何かできるんじゃないかと考えて、ゴールドシアターになりました。
岩:ネクストシアターのメンバーも、もっと有名になりたいとかあったんじゃないかな。でも蜷川さんはそういう欲望を肯定していて、もっと自分を踏台にして有名になってもらって構わないというスタンスだったんですよね。
渡:それで蜷川さんに怒られたと。
岩:いや、それは違って。品川幸雄っていう役を登場させた芝居を書いたんですけど(笑)、それを誰かが蜷川さんに伝えたんみたいなんですよ。それで後日蜷川さんに会ったら「お前、俺の悪口を書いて稼いでいるらしいじゃないか」って(笑)。話がだいぶねじ曲がっている(笑)。
徳:教え方も厳しかったんですか。
岩:いや、当時は人の襟首をつかんで「お前はっ!」って怒鳴るような講師が主流でしたから。それに比べれば蜷川さんのほうがずっとロジカルでわかりやすかったです。でもそのころは「大家族ができた」って喜ぶような人ではなかったですね。
渡:蜷川さんはこれまで劇団を作っては潰してしまってきた人だから、嬉しかったんじゃないでしょうか。

渡:蜷川さんはシャイな人。だから自分が怖い演出家とか灰皿を投げるとか、そういう評判も含めて演じていました。それで打解けるともっと深い話をしたり。
徳:埼玉県の川口市の出身で、町工場がたくさんある町で。
渡:その人たちが日常的に「バカヤロゥ!」って使うから自分も同じように使って。そういう人たちの立場で、蜷川さんは徹底的に生活者目線で作っていました。昔は歌舞伎だったところに演劇が入って、それが西洋からの借り物なのに現代は無自覚で使っているという問題意識をもっていて。それで、生活者目線の、借り物でない演劇を作ろうと苦心していました。

渡:岩松さんにゴールドシアターの初回公演をお願いしたとき、時間がない中で引受けていただいたのですが、やっぱり何十人分の役を書くのは難しくて、10人くらい難民A、難民Bという役で、どこの言葉かわからない役の人が出来てしまったんですね。次にKERAさんにお願いした「アンドゥ家の一夜」のときは、3日おきくらいに稽古を撮影した映像をKERAさんに送っていて、それを観ながらKERAさんが全員分の役に役名と台詞を書いてくれたんですよ。そうしたらみなさんとても喜んで。それを聞いた岩松さんが、次の「ルート99」では全員に役名を書いてくれました。

岩:「アンドゥ家の一夜」ではプロンプターがいましたけど、プロンプターのせめぎあいも面白かったですね。「ん、台詞が遅い、けどもう少し待ったほうがいいか、もうプロンプ出したほうがいいか」みたいな(笑)。
渡:これは確実なんですけど、人間は演劇をやると活性化します。ゴールドシアターのメンバーで、歩けないのに歩けるようになった人もいます。
徳:今日出演していた方ですね。
渡:演劇をやると元気になるということをどうにかして証明したい、というのが私のライフワークになっています。
岩:ゴールドシアターのメンバーは舞台上で無防備になれるのが凄いですよね。みなさん、「舞台の奥まで走って」ってお願いするとそこまでは動けるんですよ。でも奥について次に何をやるかわからなくなったときの無防備な背中(笑)。ネクストシアターのメンバーだってどうやったらあんなに無防備になれるんだろうって、気になりますよね(笑)。
渡:年をとったら自然にそうなりますよ(笑)。
岩:でもあれを意識的にできるようになりたいじゃないですか。

岩:今後はどうするんですか。
渡:もともと蜷川さんという重石があって収まっていたのがいなくなって。いろいろな人に頼みたいですね。
岩:ノゾエ征爾さんは裸の役者を天井からつるしておしっこさせながら台詞を言わせるような滅茶苦茶な演出家なんですけど、最近は丸くなって(笑)。ゴールドシアターは大変ですけど、岩松さんに去年お願いして引受けてもらえたのなら、それだけの魅力が何かあるってことだから、いろいろな人にお願いできるのでは。
渡:岩松さんの演出は去年が最初です。
岩:でも初回公演の脚本も引受けてもらっていますし。
渡:そこにたどり着くまでにどれだけの人に断られたことか。初演のときにそれこそ何人も断られ、もう時間がないという状態で岩松さんに引受けてもらって、あそこからよく脚本を書いていただいたという。これは声を大にして言いたいのですけど、日本の脚本家はせまい世界の知合いの役者に当て書きだけしていて外に出てこない。あれが日本の演劇界の悪いところですよ。
岩:でも40人はさすがに多くないですか(笑)。
渡:まあ多いですが。

渡:じゃあ次は再来年くらいでどうでしょうか。
岩:よろしくお願いします。

なお渡辺弘がどんな人なのか検索してみたら本当にすごいキャリアの人だった。脚本家や演出家は騙して1回は連れてこられるかもしれないけど、スタッフ部門のこういう力量実績のある人の後任者のほうが問題になるんじゃないのか。

<2018年6月27日(水)追記>

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2018年3月14日 (水)

小田尚稔の演劇「是でいいのだ」三鷹SCOOL(若干ネタばれあり)

<2018年3月10日(土)夜>

東日本大震災が起きた日の新宿駅近く。就職活動をしていた女子学生は面接が中止になった挙句に電車が止まって家まで歩いてかえる羽目になる。喫茶店で離婚届の書類を書いていた女性は埼玉に帰れずに公園で休んでいたところを、寝過ごして地震に気がつかず中野からやってきた学生に声を掛けられてカラオケボックスで休む。スマートフォンの調子が悪い会社員は仕事で六本木に来ている最中に地震に遭う。新宿の本屋で働く女性は入社2年目にして仕事に疑問を抱く。その日の話と、だいぶ経ってからの日の話。

東日本大震災に遭って大小の決断を下した登場人物たちを、カントの「道徳形而上学原論」とフランクルの「それでも人生にイエスと言う」とにひもづけて描く話とチラシに紹介されている再演もの。ここから引用した文章が芝居中に何度か読上げられる。前回と同じく、超スローな出だしに、一人語りが多いスタイル。多いどころか登場人物の2人は登場しない人物としか話さない。すごく地味な話だけど、やっぱり自分には面白かった。新宿近辺やさえない大学生やカラオケなど設定は前回と重なるところが多いけど(再演だから前回が重なっていたのだけど)、それも観ているうちに気にならなくなった。ただこんな学生演劇っぽい芝居のどこが気に入ったのか理解できていない。なので以下の文章もまとまりに欠ける。

似た芝居をしいて挙げれば自分の見聞の範囲ではチェルフィッチュが思いつくけど、「三月の5日間」の超ローカルな話を世界平和まで持っていく曲芸的なスケールの拡げ方に対して、こちらは東日本大震災を背景に持ってきながらそれは背景に留まって、個人が自分自身とひたすら対話して、もっとローカルに内側に向いて、少しだけ自分と上手く付き合えるようになる、格好良くいうと思索が深まるという話。今までの個人を応援する「物語」が、たとえば「ヒッキー・ソトニデテミターノ」ならマイナス100をゼロにしたり、「獣の柱」ではゼロを100にしたり、劇的に描いて振れ幅が大きくなっているところ、マイナス3がゼロに向かって動き始めるまでの細かいところを丁寧に描いた話。いい表現が思いつかないけど、平田オリザの芝居が「静かな芝居」なら、これは「小さな芝居」。

登場人物は自己評価が低かったり夫婦生活が破綻していたり今の自分に疑問を抱いていたりで、少なくとも最初から元気な人物は一人も出てこない。間が悪いことになる人物はいても悪い人物は出てこない。震災は発生するけどその後はイベントらしいイベントもほとんどない。たいていのことは独白で語らせてしまう台詞。登場人物間の関係も5人くらいなら全員がお互いに何か関係のありそうなところ、北斗七星みたいな一本線の関係。それも場所や時間や小道具を調整しての、同じ芝居に登場させる意味があるのかというくらい薄くて細い線のつながり。結局本屋の女性は地震に遭ったのかすら覚えていない。これだけ書いてみたらこんなもの演劇でやる意味あるのかと思えるのだけど、やっぱり演劇になっている。独白だらけの台詞だけど、「ラインの向こう」のように説明調で嫌になるという感じではない。何が違うのか上手く説明できないけど、物語を進行させるのではなく場面として書かれていて、しかも登場人物本人の思考が定まっていないあたりに鍵があるのか。登場人物が頭の中で考えて話が止まらない調子が、小説を読んでいるような気分になる。振返ると、結構言葉は選び抜かれていたように思える。

もっともらしいことを書くなら。

ツールやルートが整備されてすぐに世界につながれるようになった現代(日本の芝居も結構世界に進出してきていますね)では、活躍する人たちの実力や実績はより身近に感じられ、しかも一般の人たち、要領の悪い人たち、最初に行動し損ねた人たちとの差は指数的に開いていく。これら出遅れた人たちは、あるいは自己評価が不当に低くなって自分を貶めるような心情に至ったり、あるいは出遅れたことに焦って行動するもそれが自分の希望に添わない立場に置かれたりする。モノを買ったり趣味に詳しかったり学歴があったり正社員で忙しく仕事をしたりすることが、よくも悪くも素直に自信や誇りにつながる時代は終わって、でもそれに代わって一般人が自信や誇りを得られるような手段は今の日本では見つかっていない。そういう時代にこそ、カントの実践理性やフランクルのような人生を前向きに捉える姿勢の価値を再認識してもいいけど、それを知らない一般の人間がそこに気がつくためには、大震災くらいの衝撃や混乱があってようやく、個人が個人として生きていけるような第一歩を踏出せるようになる、その瞬間を描いた話。

という感じになるのかな。全然違う気がする。フランクルの「それでも人生にイエスと言う」が出てくるのはまさかの引用で、自分の大好きな一冊。あの感じが演じられているから好きなのかも。こんな芝居であんなラストだから、やっぱりあの地震と同じ時期に三鷹で再演したかった気持ちはよくわかるし、それを観られたのはラッキーだった。何となく想像はしたけど、狭い会場を生かして最後の暗転がはまったのはきれい。

役者は前回出ていたメンバーと新しいメンバーで弱い微妙な感じを演じられるメンバーをよく集めている。前回に続いて駄目な大学生役の伊藤拓は面白い身体の動きが観られたのでもっといろいろな芝居ができる役者なのかも。ミニマム感あふれて前回とあまり変わらない舞台美術は予算がないのだろうなという推測。この前観たのが「演劇部のキャリー」だからか、逆にこのくらいミニマムにしたほうが客に想像を強制していいかもと思わないでもない。照明は会場付属の機材に1点の工夫(ミラーボールではない)。そんな中でも音響にまともな環境を投入しているところは好感。

あともったいなかったことをいくつか。

演出。イベントがないわけではなくて、その数少ないひとつに帰宅途中で見かけたペットを亡くした女性とそれをはげます酔払いという場面がある。あれは酔払いにカントを重ねるのも、実家への不安を煽るのも、もっと掘れた。初演のダイジェストがYouTubeに上がっていて、確実に今回のほうが方向が定まっていい仕上がりだったけど、まだいける。

客席。狭い会場で客席数を稼ぐためか、コの字型の客先でさらに舞台上手奥に音響オペを配置するという大胆なレイアウト。音響オペをやったメンバーは目立たないように気配を消していたけど、この狭さだと他の客が視界に入る。あと観ていた感じでは下手の席が割りを食って、役者の後姿が多くなっていた。あれなら下手の椅子を上手に動かしてL字でやれば観やすくて演じやすかったのに、なぜ難しい囲みレイアウトにあえて挑戦したのか。梁があって照明器具が分散されていたのでやむなくか。

あと前回もあった客いじり。この地味な雰囲気の芝居には似合わないし、超少人数の客を相手にやっても盛上げるのは難しいので止めたほうがいい。

最後に上演時間。上演予定時間2時間半に対して終わったら2時間45分というのは夜の回だと三鷹からの帰宅には結構つらい時間帯。あの弱さを作るのにスローなテンポが一役買っているのは確かだけど、その分上演時間に効いている。都心部からやや遠いので平日に15時19時上演ってスケジュールはわかるけど、週末なら13時18時または14時18時のほうがありがたかった。

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2018年2月22日 (木)

オフィスコットーネプロデュース「夜、ナク、鳥」吉祥寺シアター(若干ネタばれあり

<2018年2月21日(水)昼>

看護学校の同期で同じ病院に勤める看護婦4人。彼女らが保険金目当てに共謀してその夫を殺すまでのいろいろについて。

すでに亡くなった大竹野正典の再発掘の一環による上演。2002年に福岡県久留米市で実際に起こった事件を元にした、穏やかな台詞と激しい台詞で交互に揺さぶってくる荒々しい脚本。夫を殺す場面も描いて、2003年の初演初日に拍手ゼロだったというのもうなずける。一般人が芝居に求める内容からすると極北の脚本だけどこういうのも芝居の醍醐味。ただ、よい感じだったけど脚本に呑まれて届ききれなかった印象。

松永玲子演じる看護婦が、友情といいつつ同期の夫に貸した借金を、貸した額以上にでっち上げて同期に保険金での返済を迫っていく。友達思いと患者に献身的な看護婦という職業、夫殺しへの追込みと保険金巻上げ、これらが並存して疑わないという濃い役で、世の中の不公平を自分の欲の正当化に転化する関西弁の台詞でまくし立てるど迫力。この面子なら松永玲子が一番悪い役だろうなと想像していたら、その上を行く悪い役だった。悪い役を悪いまま演じて観る側をそらさない演技はなかなかできるものではなくて、たぶんまっさきにキャスティングしたんだと思われる。

でも不公平を認められないでそんな論理に飛びついてしまうあたり、この看護婦が一番お嬢様育ちの世間知らずで弱い人間だったんじゃないか。そこがラストで松本紀保演じる同期の看護婦に抱きしめてあげたくなると言わせる要素だったんじゃないか。そこを出さずに恐ろしい面やずるい面を強調しすぎるのは片手落ちというか、せめて他のメンバーでもう少し弱い面を、ほんの一歩踏外したせいで悪い面に落ちていったというあたりを補えなかったものか。あとは出てきた男たちが、借金と浮気がひどかったにしろ、殺すのにふんぎるには愛嬌よすぎではなかったか。

松本紀保演じる看護婦が、重病の患者が歩こうとするのを見守って、転んだときに支えられるように腰を落として身構える場面の美しさ。「献身」を絵で表せと言われたらあの場面を撮影して額に入れる。看護婦4人の職業の日常はああいうものだったはずなので、あそこと夫殺しまでの間を結ぶ何かが、歪んだ「友情」というキーワード以外にもほしかった。脚本と演出、どちらに求めるべきものだったんだろう。

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2017年12月20日 (水)

チェルフィッチュ「三月の5日間 リクリエーション」神奈川芸術劇場大スタジオ

<2017年12月16日(土)夜>

2003年3月、イラク戦争の最後通牒が突きつけられている夜、ライブで出合った男女が渋谷のラブホテルに泊まり、何となくいい感じになり連泊する。置いていかれた友人はライブに来るかもしれなかった女性のことを考える。渋谷では戦争に反対する人たちが連日デモ行進をしているが、参加者にも温度差がある。何となく緩いノリの若者たちが過ごす渋谷が、普段とは少しだけ違う風景に見えた5日間の話。

2004年初演の芝居。2006年に六本木のSuperDeluxeで上演されたときに観たけど、細かいことは覚えていないので脚本の変更有無は不明。最後の場面が少し長い気もするけど特に変えていないか? リクリエーションと銘打たれたけど以前よりは醒めた感想。率直に言ってすでに古さを感じた。劇場の紹介ページには「もはや"時代劇"とも呼べる本作」と書かれていたけど、時代劇としても現代劇としてもいまいちだった。

それで終わってはあまりなので理由を言葉にする。

・脚本が古い。日本が人も国土も直接影響するかもしれない戦争が起きるかもしれない現在、全部遠い場所で完結したイラク戦争の話は現実に追いこされた。もともと反戦を控えめなトーンで描く芝居ではあるけど、今の時代に対する強度が不足している。

・言葉遣いが古い。サンプルが少ないから実態はわからないけど、今時の25歳以下の若者の大多数は非常に礼儀正しく、ああいう言葉遣いをしないという印象を持っている。世界大会に出場するようなスポーツ選手のインタビューでの受け答えがここ数年で飛躍的に立派になったけど、今の25歳から40歳の間のどこかに賢さの谷間がある。2003年の時代風俗を反映した芝居ではあるけど、その反映が強すぎて今聞くと古い。

・だらしない動きを使った演出が古い。2006年当時、台詞と独立したあの動きは珍重するものではないと自分は批判的だった。けどそのころであれば、あの意味不明な動きやだらしなさがむしろ新しかった。当時の日本人の若者の身体には近いものがあったかもしれないけど、今となっては一時のあだ花になった感がある。

・役者の演技が追いついていない。動きについて言えば、たぶん腰をあまり使っていないせいだとおもうけど、だらしない動きではなくぎこちない演技に見える。MIKIKOがPerfumeの振付について、全身を使った白人黒人のダンスとは違う日本人向けの振付を模索して手先にメッセージを乗せた振付にたどり着いたという話を聞いたことがあるけど、そういうレベルではなく身体が固くて動いていないように見える。あと台詞回しもあのだらしない言葉遣いにに慣れていないように聞こえた。だらしない演技はかなり高度な演技力を求められるものだけど、音響を極力廃して(ひょっとして全然なかったかも)美術と照明を洗練させた舞台には力不足。動きと台詞回しをこなしてさらに役作りまで気が回っていたのは7人のうち渡邊まな実だけだった。あと終盤でデモに抗議するアメリカ大使館の近所の人をやっていたのが他の誰だか失念したけどそこはよかった。

・化粧が今風。自分が当時を覚えている程度には年配だからの違和感だけど、あれは2003年の化粧ではない。

2003年を上演したいのか2017年を上演したいのかがよくわからなく、それが上の否定的な感想の理由の半分くらいを占めるので、脚本を大幅に書換えて、2017年の若者が2003年の若者を演じながら当時の出来事を語る、という枠組みで脚本演出スタッフワークをそろえたほうがいろいろ丸く収まって説得力も増えたのではないか。個人的には分かる人にだけ分かればいいと開き直られたように感じた。それとも自分がイケてないおっさんになったのか。それは否定しない。脚本の構成を読みきれている自信もない(過去と今回の2回観ただけで、脚本を読んだことはない)。多様な芝居が存在することの価値も認める。でも隣の客は寝ていたし、カーテンコールの拍手の熱量も低めだった。この芝居を観て、少なくともこの回を観て、楽しんだり心に深く刺さったりした人が満員の客席にどのくらいいたんだろう。自腹で金と時間を費やして頭から最後まで観た人間として、自分には退屈な芝居だったと書く権利は行使したい。

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2017年12月14日 (木)

城山羊の会「相談者たち」三鷹市芸術文化センター星のホール(若干ネタばれあり)

<2017年12月9日(土)昼>

娘一人がいる夫婦の自宅。夫が妻に別れ話を相談しているが、夫が不倫していることを知っている妻は離婚を拒否する。そこへ両親は離婚したほうがいいと考えている娘が会社の先輩を連れて帰ってくる。結婚を前提に付合っていると両親に紹介するが、夫は社会人一年目の娘が早々に結婚することに反対する。気まずい先輩が帰りそびれているところへ、さらに夫への来客者がやってくる。

初見の城山羊の会。離婚したい人と結婚したい人が入混じって、きっかけごとに主導権が入替わって立場が逆転しながらすすんでいく喜劇。似たような経験をした人が観たら身につまされるんだろうか。愁嘆場から修羅場までの見事な展開。小声で演じる芝居と事前にアナウンスがあったが、劇場の規模を考えても本当に小声で演じられて、でも十分聞き取れてしかもぐっと雰囲気が出る。人気劇団になるのもうなづける出来。

全体に夫を中心に描いていて、確信を持って妻を説得するところ、いろいろばれて気まずいところ、自分を棚に上げて娘の結婚に反対するところ、でもおっさんの本気のエロさがかもし出す色気のところ、のそれぞれを演じてぴたりとはまっていた吹越満のキャスティングが成功の第一。両親が席を外した隙にいちゃつこうとする娘と先輩の場面を見せておいて、でもキスだけで親父はもっとエロい、という構成を吹越満が大成功させていた。そのほか全体、役者も脚本も練られていた印象。スタッフワークではモダンな一軒家という印象を持たせつつ椅子やテーブルの配置で立ち位置のバリエーションを増やせる美術がよい感じ。

ひとつだけ気になったのは前説。小声で演じる芝居というアナウンスを含めて劇場の職員が前説をやっていたのだけど、この劇場で上演する場合にはいつも同じ人に小芝居をさせるのが城山羊の会のパターンらしい。適度に話が上手い上にどことなくいじりたくなる雰囲気を持った人なので、前説を依頼したっておかしくないのだけど、自分の勝手な妄想では何となく劇団から劇場関係者への接待のように見えてしまった。何でそんな印象を持ったのか思い返すに、開演前の客入れでこの職員が走り回っているのを見たときの雰囲気と前説での雰囲気とにギャップがあったからだった。ひょっとしたら過去に役者をしていたような頼みがいのある人かもしれないし、そもそも意味不明な妄想と言われてもしょうがないのだけど、個人的な印象としてメモ。

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2017年11月13日 (月)

庭劇団ペニノ「地獄谷温泉 無明ノ宿」神奈川芸術劇場大スタジオ

<2017年11月12日(日)昼>

北陸の奥地にある、一部の地元の人間しか来ない湯治宿。冬を間近に控えた季節に、余興を依頼されて東京から訪れた人形遣いの親子だが、その温泉宿はすでに持主が亡くなって所有者はいないという。帰りのバスもすでにないため、相部屋で一晩過ごしてから帰ることに決めた。その一晩の出来事。

これが最後の上演という岸田國士戯曲賞作の千秋楽は満員御礼状態。変態か絶望のどちらかを秘める登場人物たちが、一晩の交流のうちにそれをちらりと見せながら過ごす宿の出来事。ラストも一見平和に見えるけど、いろいろ考え合わせると平和には思えない。全体に粘度の高い芝居で、適度に不親切な脚本と併せて、過去に観た庭劇団ペニノもそんな感じたったよなと思い出す。

マメ山田ありきの脚本でマメ山田が人形遣いを演じたから成立した芝居かと思ったけど、よく考えたら他の役者でも成立するよくできた脚本。でもあの雰囲気はマメ山田ならでは。それも含めて不親切な脚本を不親切に役者は公演。あの狭いスペースに4分割で湯治宿を詰込んだ舞台美術と照明には拍手。

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2017年10月 9日 (月)

KAAT×PARCOプロデュース「オーランドー」神奈川芸術劇場ホール(若干ネタばれあり)

<2017年10月8日(日)昼>

16世紀に絶世の美少年として生まれ、詩人を目指すオーランド―。女王に見出されて宮廷に仕えることとなってから、17世紀を生き、18世紀にはなぜか美女となり、その後の時代も生き続ける彼のち彼女の話。

ヴァージニア・ウルフ原作小説の舞台化の翻訳。場面転換の多さや一人複数役をこなさないといけないところを、小劇場色の濃いキャスティングの妙と、生演奏と映像と衣装をスマートに振ったスタッワークとで、結果かなりモダンな芝居に仕上がった。自分はとても好み。

男が突然女になる点については、男だけで女も演じる劇団や、女だけで男を演じる劇団や、水やお湯をかぶると男女が入れ替わる漫画が存在する国の民としてはそんなに違和感はない。調べたら女性作家であるヴァージニア・ウルフが、そのころ付きあっていた女性詩人との関係をもとに書いたらしい。そういう背景なら男が女になる展開は理解できるけど、芝居の大きな嘘がもう一つ。16世紀からなぜかずっと生きるのは、筋を追うだけでは説明がなくて意味がわからない。そういう意味のわからないところがいかにも白井晃の企画だと思える。

そこはきっと舞台化するときに整理されていて、観た印象は「その時代でもっとも美しいとされていた存在」と「その時代で力を持ちもっとも美しいものを求めていた存在」との関係の変遷を描いて、その変遷の軌跡の上に現代ではその年齢の女性が一番美しくまた力を持っていて、そういう孤独な存在であるがゆえに他人を求めるという現代人への解釈兼賛歌に仕上がっていた。芝居中では21世紀が最後で、そこで詩人は読者を求めるという台詞と、タブレット端末を抱える詩人の現代女性という演出でとてもに今っぽく、格好良く、何というか、力強さを感じさせた。

これを成功させたのは一にも二にもキャスティング。オーランドーの多部未華子が、美少年も美女もやっぱり美しくて似合っていた。それを翻弄するロシア皇女の小芝風花が、回る装置の上で踊る場面を見ながら運動神経いいなと思ったらスケート経験者だった。見目麗しさを楽しむならなんといっても前半。それよりも脇がさすがで、宣伝では小日向文世の女王役が推されているけど、他の3人(戸次重幸  池田鉄洋  野間口徹)も含めて小劇場出身者が生きていた。芸達者というだけでなく、リアリティの処理が上手いと言えばいいのか。うっかりすると疑問を持ったり白けたりする場面だらけ、しかも詩的な台詞も多い脚本を、時に真面目に、時に笑わせながら成立させていた。女性陣の美しさに目を奪われがちなところ、男性陣の能力を見落してはいけない。ちなみに翻訳劇なのに小劇場っぽい台詞が多数。翻訳なのか現場で演出しながら直したのか、どっちなんだろう。

多部未華子の発声が喉声だったのだけが残念で、あの台詞群をしっかりした発声で言い回せていたらどれだけ説得力が増して芝居のレベルが上がったか。少年の場面はよくても大人の女性の場面がつらい。せっかくの大器なので、いまからでも発声を習ってほしい。

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2017年10月 1日 (日)

日本のラジオ「カーテン」三鷹市芸術文化センター星のホール

<2017年9月30日(土)夜>

周辺国と緊張の続く某国。近隣の島国を戦場とした戦争で一時併合し、今も島国に軍隊を駐屯させているため、島国からは本土と呼ばれる。島国の巫女の一家を担いで独立を目指す武装組織が、本土の国立劇場の上演中に、多数の観客と関係者を人質に取って劇場を占拠して、投獄中の仲間の釈放が要求した。その劇場内の、武装組織メンバーと人質の話。

劇場を使って劇場占拠事件を上演したいというアイディアから発展させたと思しき一本。音響照明なしが許される設定で公演ハードルを下げる代わりに、演じていない役者に人質を兼務させて実質出ずっぱりにさせて上演ハードルを上げる挑戦的な芝居で、個人的には好みのアイディア。MITAKA "Next" Selectionに選ばれただけあって、一定水準を満たした役者を多く集めて成立させていた。人質の日本人と武装集団の撮影係との間で苦心する通訳とか、島の雰囲気が嫌で出てきたという劇場職員とか、大学の同級生同士の会話とか、細かいやり取りからドライに終わるラストとか、90分のコンパクトな中にいろいろ見どころあり。

ただ脚本演出の工夫が行き届いていないところが散見。上に挙げた見どころは違う立場のやり取りに由来するところが多いけど、15人の役者(ダミーの人質人形でもう少し多く見せていた?)のうち10人を武装集団に割当てたせいで(立場や考え方の相違はあっても)仲間内での進行が多くなってしまったのは設定ミス。当日パンフレットに書いた以上の劇中世界を広げる機会がつぶれた。劇場占拠のリアリティを求めて見た目も声も地味な演技が多くメリハリに欠けたのは演出ミスで、それと思わせることができれば別に大声で話しても問題はなくて、実際、通訳を介して人質のわがままな日本人演出家が興奮する場面は成立していた。初めてのナレーションが中盤からだったため唐突な印象を受けたとか、もっといるはずの人質への言及がなく劇場スペースが余ったように見えてしまったとか、島の言葉と本土の言葉の使い分けがいまいち伝わらないとか、細かいところでは他にもあり。日本を皮肉に見て書いたであろう設定ももうひと押しほしい。伸びしろのある脚本なのでブラッシュアップして再上演に挑戦してほしい。

ただ最大のミスは、あのドライなラストを台無しにした脚本演出家(?)の終演アナウンス。物販だけでなく後半日程の予約状況からくるSNSへの宣伝依頼など、しかもそれがぐだぐだになって、余韻を台無しにするにもほどがある。アンケート記載依頼と役者挨拶の案内は終演後でもいいけど、少なくともこのラストなら、物販とチケット宣伝は開演前に回して手際よく済ませてほしい。あれで個人的には評価を下げた。

でも中々見られないスタイルでもあるし、次回は王子小劇場の佐藤佐吉演劇祭で評判をとったという「ツヤマジケン」でこまばアゴラ劇場登場なので、演劇フリークは今のうちに観ておいてよい1本。10月4日以降がガラガラなようなので、当日券でもふらっとどうぞ。

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