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2019年6月24日 (月)

神奈川芸術劇場プロデュース「ゴドーを待ちながら(昭和・平成ver.)」神奈川芸術劇場大スタジオ

<2019年6月23日(日)昼>

街の外れにある、1本だけ木のある人通りの少ない広場。友人同士であるウラジミールとエストラゴンは、ゴドーを待つためにやってきたが、待っている間に主人と従者の2人が通りかかり、従者をこき使った様を見せて去っていく。そこに、ゴドーの使いという少年がゴドーは今日は来ない、明日は同じ場所で待ち合わせようという伝言を告げる。翌日に来た2人だが、昨日の2人がまた通りかかる。ゴドーは相変わらず来ない。

千秋楽で昭和平成バージョンを観劇。ネタはネタとして、初見ではどこまでアドリブなのか判別しづらい絶妙のノリで退屈を演じるメインの2人。そこにマッカーサーの格好をした主人と昭和天皇に顔を似せた従者を登場させて、日米国旗の付いたマイクを使って、ラストに君が代を流して、昭和はそういう時代だっただろうという直球の演出。

にもかかわらず、これが初見だから確かなことはいえないけど、ゴドーを待ちながらの脚本自体はきっちり上演されていた印象を受けた。退屈したり不安になったりわからなくなったり互いの仲に疑問を持ったりする脚本自身が、しっかりした強度を持っていたのがひとつ。あとメインの2人の、遊びに走りたがる小宮孝泰とそれに付き合ったりほどほどで止めようとしたりする大高洋夫との関係が役にも反映されていて、実にいい雰囲気だった。他の3人も上手だったけど、メインの2人の自由自在な感じはなかなか観られない貴重な仕上がり。

それを後押ししたのがスタッフワーク。青山円形劇場を思わせる囲み舞台を作って古い新聞を散らした美術が一押しで、会場に入った瞬間に、あ、これがこのスタジオの正しい使い方だ、と思わせるものがあった。それにつりあわせた衣装も見事。

定番なのに長年観られなかった芝居だけど、今回ようやく観られてすっきりした。欲を言えば、最初は単なるキャスト違いだろと思っていたけど、たぶん演出を変えていたはずなので、令和バージョンも観てみたかった。

2019年6月17日 (月)

serial number「機械と音楽」吉祥寺シアター

<2019年6月15日(土)昼>

ロシア革命期に少年時代を過ごし、革命後に絵の勉強を志望して国立学校に入学を認められ、やがて建築に針路を定めたたイヴァン・レオニドフ。共産主義に基づいた構成主義建築で脚光を浴びるも建築にはなかなかつながらない。やがてレーニンが亡くなりスターリンの時代に入り、構成主義建築自体が国家の主張に沿わなくなっていく中で構成主義建築のデザインを描きつづけていくが・・・。

風琴工房時代から数えておそらく再々演の演目。実務に芸術の要素を多分に含む建築と政治との関係、伝統的な日常の生活と遊離する構成主義の建築、理想と現実、などなど。実在の人物と時代を使って描かれる様々な要素は、骨太という形容がふさわしい脚本。

ただ演出が行き届いていない。役者のレベルにばらつきはあったものの、自分で書いた脚本を再々演で演出してここまで揺れるものなのか。それとも新しい演出を試みて失敗したか。女性陣の対主人公の関係はもう少し機能させてほしい。賛成していた革命で仲の良かった幼馴染を亡くしたことへの想いが未処理なのはあんまりだし、「へらず口同盟」が埋もれて見えたのはもったいないし、妻との関係が妻からの一方通行気味だったのは物足りない。脚本がよかっただけに他の演出家でも観てみたい。

良かったところでは、役者では主人公の友人の田中穂先と先輩教授の浅野雅博、イヴァンのデザインを模したらしく線で配置した球と2階のギャラリーまでつないだ美術、理解を促すのに確実に一役買った映像や字幕。

あと芝居とは関係ないけど、ユニット名は単語頭が大文字なのか小文字なのか、単語の間は空けるのかつなげるのか、どれが正しいのか不明。公式サイトやTwitterを調べても表記がばらついてどれが正解かわからないので、一番表記の多そうな小文字で空ける表記をこのエントリーでは採用した。

2019年6月 9日 (日)

劇団青年座「横濱短篇ホテル」亀戸文化センターカメリアホール

<2019年6月7日(金)夜>

横浜の老舗のホテルの部屋と喫茶店で、40年以上に渡って展開する2人の女性の物語を7本の短編で描く。

気がつくのが遅れたけど2日しか上演していないので慌てて観劇。短編一本ずつでも完結して面白いし、つなげればなお楽しい、絵に描いたような笑って泣いてでさすがマキノノゾミという娯楽作。ただし笑いにまぎれて「いつもあんたの反対を選べばたいてい上手くいったもん」という毒のある台詞も出てくる。

大勢の登場人物が出てくるので色んな役者が観られる点でも劇団向けの一本。主人公の大人を演じた椿真由美と津田真澄は初見かな、はっきり対照的な役を作ってよい感じ。那須凜は「砂塵のニケ」よりも出番は少ないけど今回のほうが絶対よい。

演出はゆったり、というほどでもないけど、ホテルの雰囲気優先という印象。同じ笑いでも、KERAとか平田オリザとか、ここで笑わせるというところを絶対外さないために最初から最後までテンポも間もコントロールする演出をしているのだなと気がつかされた。

2019年4月21日 (日)

演劇ユニットnoyR「ニーナ会議」若葉町ウォーフ

<2019年4月20日(土)夜>

 

チェーホフの「かもめ」に登場するニーナ。登場場面と登場しない場面で何を感じ、何を考え、何を決心していたか。恋人のトレープレフや作家のトリゴーリンに何を想っていたのか。

 

悩む以外に打算的なニーナや揺れるニーナも登場して、合計4人のニーナが登場。オープニングの寸劇を控えた突っ込み満載の気持ちから、変わり果てた姿を見せた後までが描かれる。どんなものかわからず観に行ったけど、堪能した。

 

4人のニーナが交わす会話とダンスパフォーマンスで描かれるニーナの心の揺れは、時代は昔でも、同じ年齢で同じ立場になったら同じように迷うよな、恋人や作家がにいろいろ想うとや、ととても身近で共感できるもの。作家のトリゴーリンと話すときに台詞ごとに4人のニーナが入替って揺れる心を描く場面の演出とそこに至る脚本の構成は見事。「魂が同じにおいがしない」といういい台詞があったけど、「かもめ」別の台詞をもじったか。とにかく全体に、「かもめ」を読みこんでそのエッセンスをニーナ、トレープレフ、トリゴーリンの3人で実現した印象。お互いをニーナと呼び合ってうるさい4人(笑)は前半からシリアスな後半まで熱演。一応ひとりだけ挙げるなら富岡英里子。あとトレープレフの仲道泰貴がたまに気になった。

 

すこし残念だったのは会場。手ごろな広さとその割に高い天井で、生演奏のピアノ伴奏も響く会場だったけど、遮音が弱くて外の音がよく入ってくる。オーディオの音が大きい車が通ったりするとまる聞こえで、またそういう車が何度も通る立地という難があった。

 

再演かつ座・高円寺の劇場創造アカデミー出身者ということでまるっきり外れにはならないだろうという見込みで観に行ったけど、個人的にはすごい楽しむと同時に勉強になった。大げさに言うとひとつの役を演じるときにはひとつの芝居が成立つくらい深く掘らないといけないし掘る余地があるということを教えてもらった。ただ、スピンアウト芝居としてはたとえば「ハムレット」からの「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」などもあるけど、スピンアウト作品の常として、原作を知らないと楽しみも半分以下という致命傷がある。自分はKERA版の記憶を頼りに観たけど案外なんとかなった。ただし今は新国立劇場で「かもめ」を上演しているので(実は新国立劇場と同日観劇を目指したけど失敗)、そこに合せた上演なら戦略的だし、偶然なら運を持っている。「かもめ」を観たばかりの人、芝居のベテランウォッチャーで「かもめ」をすでに観たことのある人にはぜひ拾ってほしい1本。

2019年3月29日 (金)

KUNIO「水の駅」森下スタジオ

<2019年3月27日(水)夜>

 

人が来ては去る道の真ん中に、一本の水道がある。流しっぱなしのその蛇口から水を飲む人達の様子。

 

舞台奥から人が来ては水を飲んで去っていくのだけど、ある人は喜びある人は興奮しある人は亡くなる。元の脚本がどのくらいはっきりした解釈を持っているのかは知らないけど、たぶん何とでも取れるように意図されたのだと思う。自分が観た印象は生々流転を表したかったのかなと考えたけど、いろいろな解釈はあり得るし、解釈を許容する芝居だと思う。

 

普通の芝居だと舞台が客の気をそらさないような工夫をしているけど、これは客の集中力を試すような芝居。なのに体調へろへろな状態で観に行ったので、つらかった。沈黙劇とはどんなものかと油断していたらマニア度高い。自分にとって声と言葉の重要度を思い知らされた。これを楽しめるようになったらまた出直す

2019年3月15日 (金)

小田尚稔の演劇「是でいいのだ」三鷹SCOOL

<2019年3月9日(土)夜>

東日本大震災が起きた日の新宿駅近く。就職活動をしていた女子学生は面接が中止になった挙句に電車が止まって家まで歩いてかえる羽目になる。喫茶店で離婚届の書類を書いていた女性は埼玉に帰れずに公園で休んでいたところを、寝過ごして地震に気がつかず中野からやってきた学生に声を掛けられてカラオケボックスで休む。スマートフォンの調子が悪い会社員は仕事で六本木に来ている最中に地震に遭う。新宿の本屋で働く女性は入社2年目にして仕事に疑問を抱く。その日の話と、だいぶ経ってからの日の話。

1年前に観た前回から、脚本はおそらく同じで、一部キャスティングが代わり、その分良くも悪くも違う雰囲気に仕上がっていた。役者のレベルは今回のほうが上で、笑える場面も増えていた。ただし声も態度も強い感じの役者が増えて、小さい人間の弱いところを絶妙のバランスで描く感じはなくなっていた。観る人によるだろうけど、個人的には前回のほうが好み。こういうことがあるから演劇は難しい。

2018年11月21日 (水)

神奈川芸術劇場プロデュース「セールスマンの死」神奈川芸術劇場ホール

<2018年11月18日(日)昼>

1950年代のアメリカ。セールスマンのウィリーは、60歳を越えて成績不振から歩合制にされ、なおかつ車で数百キロ以上走る田舎の担当に回される。妻は励ましてくれるが、最近はまったく収入がなく、家や家財のローンがあと少し残っていて辞められない。自慢だった2人の息子も長男は職が定まらず全米を放浪し、次男は近所にアパートを借りて女遊びにうつつを抜かしている。数ヶ月ぶりに長男が家に帰って家族4人が揃うが、心身ともに疲労しているウィリーはふがいない息子に説教をし、それに反発する長男と衝突する。とりなした次男のアイディアで起業の準備を進めることになり、家族に平和が訪れたように思われたが・・・。

千秋楽。タイトルがすでにネタばれで、オープニングの演出もネタばれなのだけど、そこに至る過去と現在を休憩はさんで3時間20分でこれでもかと描く。観なければよかったかと一瞬思わせるくらい重たい前半から、父と長男の立場や長年の心境の変化を解いてみせる後半まで、きつくて、いたたまれなくて、どこにも正解なんてなくて、でもそれだけでは終わらない話は有名なだけのことはある。それを直球ど真ん中の演出で隅々まで明確に立上げた長塚圭史の力作。

疲れすぎて神経がまいって危ない父親の風間杜夫と、まったく笑わせない山内圭哉の2人が軸としてしっかりしているけど、周囲もとにかく素晴らしい。この日の出来のよさでいったら健気を絵に描いたような妻役の片平なぎさが一番。あと近所の友人役の大谷亮介の柔らかさと、その息子で長男の同級生役は加藤啓であっているかな、あの整った感じは記録しておきたい。少し迷ったのは芸達者なのにチャラい演技で通した次男役の菅原永二で、実際チャラい役どころだけど脚本上はもう少し幅を求める役で、あれは風間杜夫や片平なぎさが重量級の分だけ演出が全体のバランスを調整したか。

有名な話というだけでなく、脚本がよすぎて演技演出に求められるハードルも高いのにクリアしているというまたとない座組。横浜千秋楽だけど関西で公演があるから、そちら方面で興味のある人にはぜひお勧めしたい。ただし体調は整えて。

2018年6月24日 (日)

青年団「日本文学盛衰史」吉祥寺シアター(若干ネタばれあり)

<2018年6月23日(土)夜>

明治27年5月の北村透谷、明治35年9月の正岡子規、明治42年の二葉亭四迷、大正5年12月の夏目漱石、それぞれの葬儀後の場で交流する文人たちを通して、新しい日本にふさわしい日本語を発明しようと苦労した先人たちを「今風に」描く。

こんなあらすじだと堅苦しく見えるけど全然そんなことはなくて、「今風に」描くのでスマホも出ればラップもあれば、本当にタイムリーな時事ネタも混ざりつつ、突然チェルフィッチュとか何でもあり。原作があるせいか今までの青年団のないはっちゃけぶり。知識がなくても楽しめるけど、明治に活躍した作家や詩人の作品と、その作者である文人たちの私生活ネタまで知っているとなお一層楽しめる。それでいて現代批判と日本語の発達の経緯まで描いて無駄なく、混乱もせずに観られる。

西洋の文化の一環として日本に入ってきた文学と、それをあるいは言語で読みあるいは翻訳しあるいは影響を受けて自作を発表した文人たち。文語文をどこまで洗練させても「新しい日本」を伝えるに足りず悩んだ北村透谷、俳句の分野で「新しい日本」を見せた正岡子規、口語文という「新しい日本語」を発明したのに中身が伴わないと自身が評価しなかった二葉亭四迷、口語文の小説と一緒に「新しい日本」の日本人の悩みまで書いた夏目漱石。これらの人たちの活躍した時代は政治の分野でも「新しい日本」を目指す動きがあり、その活動を行なう人たちの中には文士もいた。森鴎外のように政府の要人になっている人もいれば、幸徳秋水のように政府に処刑された人もいて、目指すところは違っても「新しい日本」のために文字通り命がけだった。そしてようやく整ってきた日本語は「新しい考え」を可能にし、しかし新しい考えは傲慢な意識を芽生えさせ、一方その新しい考えが自分達に向かうのを恐れる支配者層は市民への取締りを強化していく。

というのが、メインの筋。これを、いろんな作家の作品の引用や私生活のエピソードを混ぜて描く内容が、どこまで原作でどこから平田オリザ創作かわからないけどものすごい上手。そもそもこの登場人物たちが一同に会したことなんてない(笑)。それを葬式後の会食という設定で無理矢理同じ部屋に登場させてそれっぽく会話させてしまうことができるのが、小説や芝居のいいところ。与謝野晶子から「自由恋愛を批判ってお前が言うなって顔していますね」と言われてその場の男性文士が全員うな垂れて、当時の文士の駄目人間だらけであることを一瞬で表す場面、楽しいですね。

一方で、ここに現代の時事ネタを取入れたり(幸徳秋水がもう一人と一緒にスネアドラムを叩きながら首相へのデモ調に「かつーら辞めろ」「かつーら辞めろ」とか)、現代の知識をメタに混ぜたり(夏目漱石の妻は悪妻というのが定評でしたが最近はNHKのドラマで名誉回復云々、とか)、現代のテクノロジーを登場させたり(モバイルスピーカーを持ってラップしながら登場する宮沢賢治とか)、こういうネタが笑いを誘って芝居の雰囲気をほぐしつつ、これは現在の話でもあるんですよ、とメインの筋を現代批判にもつなげる手腕が、もうこれは息を吸って吐くようにごく自然にそうなっている平田オリザ節。

一方で、坪内逍遥と島村抱月という日本近代劇の創始者を登場させたり、国木田独歩に鈴木メソッドで退場させたり、樋口一葉に「大つごもり」の粗筋をチェルフィッチュの「三月の5日間」と混ぜて語らせたり、うっすら演劇の話も混ぜている。そのものずばり「演劇のことば」という本(面白いです)を書いた平田オリザにしてみれば、芝居の日本語の近代化に興味も知識もあるし、何なら自分が芝居の日本語を一気に自然にしてみせたくらいの自負はあるかもしれない。

そういういろいろな話を混ぜて、4幕目はまったく年代が重ならない作家まで登場させて、紹介するのも面倒だから全員に名札を付けさせて、その雑な感じの勢いから静かな未来の提示、一転して踊り狂うあの乱暴なラストまでの流れ。原作があったとはいえ、昔と今の時間を混ぜる作りは唐十郎とか野田秀樹あたりがやっているザ・小劇場の芝居だけど、あんな小劇場っぽい芝居も作れるんだと平田オリザの実力と感性を見せ付けられた。本来ならこういう芝居は若手の小劇場が上演して評判を上げるべきところ、自慢の役者陣を大勢投入して、柱だけでふすまや壁を取払った和室といういつもながら見通しのいい美術や、着物や日本髪なども用意して抜かりのない衣装陣など、そこらの小劇場では用意できない誂えも準備して、大ベテランの平田オリザが隅々まで行き届いたお手本のような芝居。ここまでやられたらこの路線にはぺんぺん草も残らない、ってくらいよくできていた。

あと今回観て思ったのは、やっぱり青年団の演技は今っぽいというか、少し違う。同じ話をもし新劇系の役者で演じたら、よくも悪くももっと湿っぽい、役への思い入れが前に出た演技になったと思うし、それだと現代ネタを混ぜたこの話の上演は難しかったはず。ロボットにも同じ演出をするという平田オリザのことだから、動きや声の調整をメインにして雰囲気をコントロールできるような、役者の個人技でなく全体で雰囲気を作り出せるような演技を青年団の演技の基礎として求めているのだと感じた。それが実感できたのが今回の発見。

ひとつだけ迷った点を挙げるとすれば、大勢の役者以上に大勢の役があって、同じ役は同じ役者が演じていたけど、複数役を兼ねる役者もいたことと、あと男性役が多いのはしょうがないのだけど、そのうち結構な数を女優が演じていたこと。見た目も大幅に変えていたし、芸達者なことこのうえない青年団の役者陣だけど、最初はやや混乱した。それこそ4幕目はいるだけに近い役も結構あったのだけど、青年団なら一人一役で役者を用意できただろうし、かといってあのくらい芸達者な役者を1幕で退場させるのはそれこそもったいないし、どちらがよかったのかは今でもわからない。

でも個人的にはもう大満足の1本。この時代の作家や詩人の作品に造詣が深ければもっともっと楽しめたはずで、その方面の教養のなさが悔やまれる。

<2018年7月3日(火)追記>

全面更新。

2018年5月27日 (日)

赤坂ACTシアタープロデュース「志の輔らくご」赤坂ACTシアター

<2018年5月26日(土)昼>

なぜ歌舞伎の忠臣蔵は登場人物の名前が史実と異なるのかという疑問から始まって大序から11幕までのあらすじを浮世絵とともに説明する「仮名手本忠臣蔵のすべて」、下積から名代まで引立てられた役者に与えられた最初の役はいい役がたくさんある忠臣蔵の中で斧定九郎の一役のみという嫌がらせを引受けて一世一代の大勝負に「中村仲蔵」。

話だけでは難しいところ、各幕ごとの浮世絵を探してきてビジュアルを駆使して説明する懇切丁寧な前半。抜群に有名な代わりに長いので通しで演じられることの少ない演目を解説されて、始めて理解した。後半の落語のために全体を説明するのは「牡丹燈籠」と同じ趣向だけど、1時間ほどにまとまっているのでまずます観られる。
ただし後半の「中村仲蔵」は今回3回目だけど(1回目2回目)、よく言えば一番親切悪く言えば一番もたついた。昔は役作りに苦心して最初に披露する仲蔵の緊張と、引立てた団十郎の知ってはいるが見守るしかない立場からの感心と、名人の心情に絞ってテンポよくまとめていた。今回は仲蔵の生まれを足して、仲蔵の師匠の出番を足して、蕎麦屋の浪人とのやり取りを伸ばして、たぶん忠臣蔵のおかるを説明した一環だと思うけど女房とのやり取りも伸ばして、長い。「定九郎はあんなじゃないと思っていた」の説明もご隠居と団十郎とに繰返し説明させたのは工夫か間違いか判別しかねる。もともと5幕は弁当幕で云々と説明を足しているのに、さらに説明が増えて冗長に過ぎる。前半説明していればこそ、あるいは前半に説明を回して、後半は省略と洗練の極みで攻めることを望む。

2018年5月13日 (日)

さいたまゴールド・シアター「ワレワレのモロモロ」さいたま芸術劇場NINAGAWA STUDIO

<2018年5月12日(土)昼>

役者に持寄ってもらった不幸なエピソードを構成する岩井秀人の「ワレワレのモロモロ」シリーズ。壊れかけた冷蔵庫の代わりを探すが、ほしい冷蔵庫について妻と夫との微妙な意見の食い違い「わが家の三代目」、中学で出会い高校で亡くなったかつての友人の記憶がよみがえる「友よ」、ゴールドシアターに入団して初めて台詞をもらえたのがうれしくて「無言」、夫が亡くなってから家にやってきた猫を飼う「パミーとのはなし」、軍人一家の末っ子が予科練に入隊する「荒鷲」、長姉と長兄は出かけて母と次姉と家に残っていた日の話「その日、3才4か月」。

岩井秀人は上手い役者を発掘してきて超絶妙なタイミングと演技が求められる芝居を作る人という印象で、さいたまゴールドシアターとの組合せも以外だったけど、素晴らしい成功例だった。今回で完全に見直した。

年配の役者ばかりだから亡くなる話が多くなるのは想定内のところ、冷蔵庫の話から始まって、でもその後の高校生で亡くなった女子高生や、誰か来てくださいという台詞の練習や、どうしようもない軍隊の実態など、いろいろな話が原爆投下直後の一家の姿に重なって、さらにその戦後の貧しかったころに米軍の大量の物資を見た記憶が海外製の大きい冷蔵庫をほしがる理由にまでつなげて最初に戻る。どうでもいい話から始めてどうでもよくない理由に戻る展開は見事の一言。

もともと動きや台詞の危ういゴールドシアターのメンバーだけど、この日は風邪で声が出ない役者がいて、マイクを使ったり急遽他の役者で台詞を分担したりとさらにアクシデントが加わったのだけど、まったく問題なしだった(ちなみに出来のよい回だったとのこと、トークショー参照)。緊急事態で役者の集中力が高まったのかもしれないけど、上手いとか下手とかお約束とか風邪をひいて声がでないとかどうでもよくなると思わせるくらいよくできた構成とががっちりかみ合った成功作。その理由はやっぱり一にも二にも脚本で、多少の出来不出来ではびくともしない構成があってこそ。岩井秀人は構成が持味というよりは、場合によって構成の強度や役者への依存度を調整した脚本を書き分けられるという印象。場所が遠いけど時間があったらぜひお勧めしたい。

以下、当日のトークショーのメモ。岩井秀人と、徳永京子と、渡辺弘。ずいぶんぺらぺら話すのだと思ったけど、作り上げるまでの苦労がつい口を滑らせたように見えた。一番面白いところはカット。誰がどの話をしたか、どの順番で話したかはずれている可能性あり。メモなので間違っていたらその責任はこちらにあるので申し訳ない。アフタートークは当日の晩くらいまではたいてい覚えているのだけど、このときは面白い話が目白押しでそこまで覚えていられなかった。

徳:蜷川幸雄の三回忌としてトークショーを開催します。
渡:午前中に御遺族と三回忌の法要に出席してきました。本当は他の方を呼ぶ予定だったのですが都合が合わず・・・。
岩:言わなければわかりませんから(笑)。
徳:蜷川さんと一緒にずっとやってきた方です。今は事業部長でしたっけ? 本当に凄い人なんですよ。
渡:今回初めてゴールドシアターを観た人は挙手をお願いします。・・・お、半分くらい。
徳:じゃあ岩井さんの芝居を今回初めて観た人は。・・・これも半分くらい。
岩:ありがとうございます。
渡:ずいぶん初めての人が多いですね。
岩:もともとゴールドシアターは演劇の幅を広げてきたというか(笑)、いろいろな常識が通用しない(笑)。

岩:今回はこれまでで一番感動的な回でした。
徳:風邪で声が出ない人はマイクを使っていました。
岩:本番45分前くらいに病院から戻ってきたら「先生、声が出ません」と蚊のような高い声で言われて(笑)。
徳:若者にだけ聞こえるというモスキート音のような(笑)。
岩:それで時間もなくてどうしようかと思いましたけど、ピンチのときは最初に思いついたことをやり遂げるしかなくて。演劇の幅を広げることにもなるしいいかなと(笑)。そうしたら周りの出演者が関係ない台詞を自主的に引取るようなサポートも本番中にしだして。ゴールドシアターは毎回仕上がりが変わるんですけど、今回は感動的な仕上がりになりました。

渡:以前から岩井さんとは一緒にやりたいと思っていたので、こういう形で実現しました。
徳:出演者に自分の不幸な出来事を書いてもらって、それを元に岩井さんが構成しています。岩井さんはこのフォーマットで公演もしているし全国でワークショップを何回も行なっています。最初にこのフォーマットを考え付いた経緯を。
岩:演劇ってまったく違う他人のことを上演するじゃないですか。それはやっぱり素人にはハードルが高いです。もともと自分の引きこもり体験を芝居にして上演していたので、素人が演劇を上演するなら、まずは自分の話を上演するのが一番いいと思っています。あと最近は、書いてもらった話の中で、できるだけ演劇らしくないものを選ぶようにしています。
徳:それはどういう理由で。
岩:演劇らしい話だと仕上がりが見えてしまってつまらないんですね。それよりは一見関係なさそうな話、それこそ今回のように壊れた冷蔵庫を買換えるような話のほうが、仕上がりが見えない分だけ可能性があると思って。それで不幸な話を書いて提出してもらったんですけど、みなさん手書きで、まずそこからか、と(笑)。それを劇場のスタッフがPCに入れてくれるのだけど「達筆で読めません」とか(笑)。それで面白かった人と話して詳しい話にする。
渡:横から見ていて、みなさんの話を引き出すのが非常に上手だったので感心しました。
岩:稽古に入っても一筋縄ではいかないことばかりで。最近のゴールドシアターの公演は、ネクストシアターの若手が入って手助けしながら公演していますけど、「せっかくだからゴールドシアターのメンバーだけでやります」と断ったんですね。そうしたら稽古初日から「ネクストシアター来てくれー」と何度も思いました(笑)。
渡:みなさん年を取って丸くなるかというとそんなことは全然なくて。
徳:初回公演(船上のピクニック)を岩松了さんに書いてもらったときに、本人に本読みをやってもらったら、岩松さんに「てにをは」の駄目出しをしていたとか(笑)。
渡:岩松さんが読んでいるときに、「そこは『が』じゃなくて『は』じゃないの」とか(笑)。あと、オーディションが終わった後に当代一流の講師を招いて1年間座学を設けたんですね。そうしたら「俺はそんなことやりたいんじゃない」と出席しない人もいて(笑)。
徳:私が聞いたエピソードは、公演の合間にだれるとかわいそうだからと、蜷川さんが伝手を頼ってピナ・バウシュ劇団にいる日本人ダンサーを呼んでムービングの講座を開催したんですね。そうしたら「俺はそんなことがやりたいんじゃない」と出席しない人がいたという(笑)。もぉっっったいない。
岩:ムービングの講座は受講者を一般公募して金を取りましょう(笑)。取れるくらい面白いでしょう。

渡:そういうメンバーばかりだから公演するごとに蜷川さんは病気をしていました。本当に、公演ごとに体調が悪くなって。
岩:聞いた話をまとめる段階でどうしても切らないといけない話が出てくるんですけど、切られた人は「あぁん?」(笑)。最後は「俺がそうまとまった話を観たいから、俺がそのほうが面白いと思うから切ります」と宣言してまとめました。
徳:すごいよく出来た話でした。

岩:蜷川さんが亡くなったあと、ゴールドシアターを解散するかという話はあったんですか。
渡:亡くなって1年くらいはどうしようかと本当に毎日悩んで。岩松さんと一緒にやることだけは決まっていたのでそれを頼りに続けて。今となってはそのタイミングがすぎたから解散できないです。ノゾエ征爾さんと「1万人のゴールドシアター」をやって、岩松さんと「薄い桃色のかたまり」をやって。いま活躍している中堅どころの人とも積極的に脚本演出をお願いしようと探して、岩井さんに依頼しました。
岩:自主的に退団した人はいるんですか。
渡:いません。亡くなった方と、病気でもう出られないから仕方なく退団された方だけです。
岩:うかがった話では、認知症で退団した方が、翌日うっかり稽古に来てしまったとか(笑)。
徳:オーディション時は55歳以上で募集していたましたけど、いま考えるとそれはずいぶん若くて。結成から12年経ったので平均年齢もだいぶ上昇しています。
渡:いまはネクストシアターがサポートしながら公演する形になって、それで「鴉よ、俺たちは弾丸を込める」と「リチャード二世」で世界まで行ってしまいました。蜷川さんが用意したものが10年経って花開いた成果です。
徳:「鴉よ、俺たちは弾丸を込める」は、裁判所で撃ち殺された老人が若くなって生まれ変わる話ですが、ネクストシアターの出演者はその場面まで待機しながらゴールドシアターのメンバーを助けていました。
岩:それ凄い話ですね、誰が書いたんだ(笑)。って、清水邦夫さんですね。
渡:ネクストシアターが作った映像がありますのでここで紹介を。劇場の25周年記念で、蜷川さんの舞台をいつも撮影していた写真家の写真に、ネクストシアターのバンド有志が歌をつけた、ゴールドシアターの紹介映像です。
(上映)
岩:これを自主的に作ったってすごいですね。
渡:客席の後ろにネクストシアターのメンバーが2人いますね。
徳:「いやいやそんなもんじゃない」って顔をしています(笑)。
岩:無理矢理作らされたとか(笑)。
渡:まあまあ(笑)。

岩:20代30代ってのし上がってやる、っていう気持ちが一番強い年代なのに、それがゴールドシアターのサポートをするって凄いですね。学校で蜷川さんに習っていたんですけど、周りはこの有名人を喰い物にしてやれって人たちばっかりでした。
渡:幅広い年代のメンバーが揃って、蜷川さんは晩年は「大家族ができた」と喜んでいました。
岩:最初にゴールドシアターを作ろうとよく考えましたね。
渡:最初は自分のお父さんとお母さんに、ハムレットとオフィーリアの格好をしてもらって写真を撮ろうとしたんです。そうしたら断られた(笑)。でもそこから、年をとった人でも何かできるんじゃないかと考えて、ゴールドシアターになりました。
岩:ネクストシアターのメンバーも、もっと有名になりたいとかあったんじゃないかな。でも蜷川さんはそういう欲望を肯定していて、もっと自分を踏台にして有名になってもらって構わないというスタンスだったんですよね。
渡:それで蜷川さんに怒られたと。
岩:いや、それは違って。品川幸雄っていう役を登場させた芝居を書いたんですけど(笑)、それを誰かが蜷川さんに伝えたんみたいなんですよ。それで後日蜷川さんに会ったら「お前、俺の悪口を書いて稼いでいるらしいじゃないか」って(笑)。話がだいぶねじ曲がっている(笑)。
徳:教え方も厳しかったんですか。
岩:いや、当時は人の襟首をつかんで「お前はっ!」って怒鳴るような講師が主流でしたから。それに比べれば蜷川さんのほうがずっとロジカルでわかりやすかったです。でもそのころは「大家族ができた」って喜ぶような人ではなかったですね。
渡:蜷川さんはこれまで劇団を作っては潰してしまってきた人だから、嬉しかったんじゃないでしょうか。

渡:蜷川さんはシャイな人。だから自分が怖い演出家とか灰皿を投げるとか、そういう評判も含めて演じていました。それで打解けるともっと深い話をしたり。
徳:埼玉県の川口市の出身で、町工場がたくさんある町で。
渡:その人たちが日常的に「バカヤロゥ!」って使うから自分も同じように使って。そういう人たちの立場で、蜷川さんは徹底的に生活者目線で作っていました。昔は歌舞伎だったところに演劇が入って、それが西洋からの借り物なのに現代は無自覚で使っているという問題意識をもっていて。それで、生活者目線の、借り物でない演劇を作ろうと苦心していました。

渡:岩松さんにゴールドシアターの初回公演をお願いしたとき、時間がない中で引受けていただいたのですが、やっぱり何十人分の役を書くのは難しくて、10人くらい難民A、難民Bという役で、どこの言葉かわからない役の人が出来てしまったんですね。次にKERAさんにお願いした「アンドゥ家の一夜」のときは、3日おきくらいに稽古を撮影した映像をKERAさんに送っていて、それを観ながらKERAさんが全員分の役に役名と台詞を書いてくれたんですよ。そうしたらみなさんとても喜んで。それを聞いた岩松さんが、次の「ルート99」では全員に役名を書いてくれました。

岩:「アンドゥ家の一夜」ではプロンプターがいましたけど、プロンプターのせめぎあいも面白かったですね。「ん、台詞が遅い、けどもう少し待ったほうがいいか、もうプロンプ出したほうがいいか」みたいな(笑)。
渡:これは確実なんですけど、人間は演劇をやると活性化します。ゴールドシアターのメンバーで、歩けないのに歩けるようになった人もいます。
徳:今日出演していた方ですね。
渡:演劇をやると元気になるということをどうにかして証明したい、というのが私のライフワークになっています。
岩:ゴールドシアターのメンバーは舞台上で無防備になれるのが凄いですよね。みなさん、「舞台の奥まで走って」ってお願いするとそこまでは動けるんですよ。でも奥について次に何をやるかわからなくなったときの無防備な背中(笑)。ネクストシアターのメンバーだってどうやったらあんなに無防備になれるんだろうって、気になりますよね(笑)。
渡:年をとったら自然にそうなりますよ(笑)。
岩:でもあれを意識的にできるようになりたいじゃないですか。

岩:今後はどうするんですか。
渡:もともと蜷川さんという重石があって収まっていたのがいなくなって。いろいろな人に頼みたいですね。
岩:ノゾエ征爾さんは裸の役者を天井からつるしておしっこさせながら台詞を言わせるような滅茶苦茶な演出家なんですけど、最近は丸くなって(笑)。ゴールドシアターは大変ですけど、岩松さんに去年お願いして引受けてもらえたのなら、それだけの魅力が何かあるってことだから、いろいろな人にお願いできるのでは。
渡:岩松さんの演出は去年が最初です。
岩:でも初回公演の脚本も引受けてもらっていますし。
渡:そこにたどり着くまでにどれだけの人に断られたことか。初演のときにそれこそ何人も断られ、もう時間がないという状態で岩松さんに引受けてもらって、あそこからよく脚本を書いていただいたという。これは声を大にして言いたいのですけど、日本の脚本家はせまい世界の知合いの役者に当て書きだけしていて外に出てこない。あれが日本の演劇界の悪いところですよ。
岩:でも40人はさすがに多くないですか(笑)。
渡:まあ多いですが。

渡:じゃあ次は再来年くらいでどうでしょうか。
岩:よろしくお願いします。

なお渡辺弘がどんな人なのか検索してみたら本当にすごいキャリアの人だった。脚本家や演出家は騙して1回は連れてこられるかもしれないけど、スタッフ部門のこういう力量実績のある人の後任者のほうが問題になるんじゃないのか。

<2018年6月27日(水)追記>

全面更新。

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