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2026年2月24日 (火)

ACT.JT主催「第12回 立合狂言会」国立能楽堂

<2026年2月23日(月)昼>

妻の実家に初めて挨拶に向かうのに儀礼を教えてもらおうと人に尋ねたら「音曲聟」。せっかく育てた作物を荒らしに来る鳥や獣を追払ううちに夜になり「狐塚」。旅人を泊めることまかりならんとお触れが出た中で旅の僧が一夜の宿を借りるために工夫する「地蔵舞」。宝を守るために夜に一人で見回りをすることになった「杭か人か」勝手に休んだ太郎冠者を叱るために出掛けた主人と次郎冠者だが居留守をつかわれて「叫声」。旅の鬼が人里を求めて歩くうちに夫の留守を一人で守る妻の家にやって来て「節分」。主人が留守の間に米蔵と酒蔵を守るように言いつけられて「樋の酒」。師匠の言いつけを言葉通りに守ろうとして「重喜」。金の値段を訊いてくるように言いつけられた太郎冠者だが勘違いして「鐘の音」。長命の薬となるかたつむりを探すように言いつけられて探した藪の中には山伏が休んでいたが「蝸牛」。

全体評では演目の順序は考えてほしいところ。狂言の演目は今風に呼べばネタ1つの短編をテンポ極遅の20分かけて上演するので、明るい演目といえどもそれだけで感心するのは難しい。身体か声のフィジカルを早目に押し出してわかりやすく感心する取っ掛かりから流れを作ってほしいところ。今回でいえば「叫声」「鐘の音」あたりか。個別評は出来を評するほど見きれなかったので省略。ただ、声が大きくてはっきりしているのはいいが、声質がきんと響く演者の多いことが気になった。古典ならもっと深い声を目指してほしい。

演者演目を一度に知るには丁度良いと考えて臨んだものの、前半5本後半5本で押して4時間40分コースは不慣れな古典を観るはさすがに体力が厳しい。とは言え、始まってすぐに寝ていた客も1人や2人ではきかなかったがあれはいったい何をしに来たのかと疑問もあり。生の舞台は客席から話を掴みに行くことも求められるもの。休憩時間に帰った客はむしろ良心的で、後半始まっていきなり正面席でいびきが聞こえたのはさすがに演者に失礼。

2026年2月 5日 (木)

トライストーン・エンタテイメント/ディライト・エンタテイメント企画制作「いのこりぐみ」IMM THEATER

<2026年2月4日(水)夜>

とある小学校の放課後の教室。生徒の母親から担任を変えてほしいと言われて、まずは何があったのかを把握するために面談をすることになった教頭と、保護者と1対1では会えないため付合わされた教師が来校を待っている。過去にも学校に文句を言ってきたことがある母親に備えている2人だが、はたしてやって来た母親は担任を変えてほしいの1点張りで要領を得ない。

三谷幸喜の新作4人芝居。幕が開いて役者が出揃ったときにはきっとこうだろうなとオチは読めて、あとはそこまでどうやって話が流れるかを楽しむところ。その流れに観客席側の空間を使うのが若干反則気味なものの、適度な突っ込みもあって楽しめる。駄目押しのオチはさすがにどうだろうかと考えたものの、この日この時間ならぎりぎり成立たなくもないような設定だった。人称の使い方だったり、結論ははっきりとさせつつ観客によって肩を持ちたくなる役が微妙に違うだろうなという線を狙った脚本はさすが。1時間45分の長さもいい。

4人とも上手なところ、客に芝居を届ける演技の教師役の小栗旬と母親役の菊地凛子に対して、客の注目を自分に引付ける演技の教頭役の相島一之と担任教師役の平岩紙でタイプが分かれていた。どちらが好みかは観客次第なものの小劇場の観客が長い自分は後者の2人の演技に惹かれる。

2026年2月 2日 (月)

アイオーン主催「ゴドーを待ちながら」赤坂RED/THEATER

<2026年2月1日(日)昼>

木がある以外に何もない場所で、エストラゴンとウラジミールの2人はゴドーを待っている。どうして約束したのか、そもそも本当に約束したのか、ゴドーがどんな人間だったのかすら曖昧なまま待ち続ける。召使を連れた貴族が通って絡んだり絡まれたりはするものの、なかなか来ないゴドーを待ち続ける。

別演出で一度観たことがあるものの今回改めて観劇。今回のダブルゴドーの裏芝居の感想はこちら。エストラゴンの小倉久寛は適度にフラが入って1人場面でもしっくりくるが、ウラジミールの横堀悦夫が1人場面だと細い仕上がりで大ベテランでも会話のない芝居は苦手なのかもと驚き。ポゾーの釆澤靖起、ラッキーの佐藤銀平まで出来がよかった分だけそこが残念。

ストーリーのない不条理劇と言われているものの、醜い現代社会(ポゾー)と、その現代によって貶められた過去の社会(ラッキー)、そしてもっと素晴らしいはずだと期待しているがどのようなものかもいつやって来るのかもわからない未来の社会(ゴドー)、そんな中に放り込まれて身動きの取れない市井の現代人(主人公2人)、この見立てで書かれた芝居だというのが今回の観劇で得られた理解で個人的にはすっきり。抽象舞台の3つのオブジェのうち2つは木と岩に見立てたものだが、3つ目の宙に浮かぶ輪はそんな人間世界を見下ろす天使の輪か。

アイオーン主催「ゴドーを待ちながらを待ちながら」赤坂RED/THEATER

<2026年1月31日(土)夜>

芝居「ゴドーを待ちながら」のアンダーステディとして今日も劇場の裏で待機している2人の役者。いつか自分にもチャンスが巡ってくると願いながら昼公演の幕が開く。

初日。スケジュールの都合でこちらから観劇。ダブルゴドーの本編の感想はこちら。後で観れば「ゴドーを待ちながら」を下敷きにした場面も多数あったとわかったし、他の芝居の引用も複数あるようで、知っている方がより楽しめるが「ゴドーを待ちながら」よりも賑やかで単体でも観られる。バックステージものとしての作り込まれた脚本を真面目に演出しすぎて、目が出ない役者の悲哀が強く出過ぎて笑いきれない場面が散見。そこは役者と演出で適切な距離感を取ってほしかった。その点は舞台監督補の朝海ひかるの突き放し具合がよかったものの、脚本を読む場面で宝塚をさせないほうが個人的にはよかった。詰められるところはまだまだあるという初日の仕上がり。

2025年12月21日 (日)

ゆうめい「養生」神奈川芸術劇場大スタジオ(若干ネタバレあり)

<2025年12月20日(土)夜>

とあるデパートでイベントの設営撤去の夜間バイトに通う大学生。1人は美大生、もう1人は普通の大学生。バイトに来る予定が入っていたはずの美大生の友人はバックれたらしい。バイトをまとめる正社員はバイトへの当たりがいつもきつく2人からは嫌われている。その10年後、卒業後にそのデパートに勤めて設営撤去を行なう部署で働いている2人だが、新人社員とのやり取りに苦労している。そのクリスマスの晩、大きなツリーを撤去して次に展示されるのは、あの日バイトをバックれて、その後に成功した美大生の友人の作品展だった。

たしか評判が良かったはずと調べたら読売演劇大賞受賞作の再演、ちなみにその前作が岸田戯曲賞、とあって一度は観ておきたくて選択。期待をはるかに超える出来で、受賞も納得の1本でした。

劇場に入ると舞台美術を眺められるようにぐるっと裏を回って客席に誘導されて、その舞台美術の説明を当日パンフで読んだところから、本橋龍が演じる主人公の美大生による再説明、そこから芝居の世界に飛込んでクリスマスの晩のバイトが始まる、この一連の流れからお終いまで、何ならタイトルまで、一切の無駄なし。ここで終わりかと思ったところからもう一度展開させて締める構成は完璧でした。

登場人物の描き方も工夫があります。気が立っていてバイトや新人社員にきつく当たる責任者も、仕事に限って言えば当たりがきついだけで間違ったことは話していない。ただし夜勤の多い仕事柄、家庭の側に問題を持っていく。それに反抗する新人社員が芸術全般に吐く毒も、一面正しい。そんな中に、明らかに正しくない言葉が不意に混じって主人公を傷つけるあの匙加減と、そこで飲み込んで事を荒立てない主人公だからこそ連絡をもらったときの話が生きるし、ラストも生きる。

ちなみに芸術全般への毒の台詞の中に、人の不幸を搾取して作品を作っている(大意)という言葉があって、おそらくこの芝居は体験談はあってもモデルはいない作り話だと思いますが、仮にモデルがいたとしたらその言葉が当てはまるような作品内容です。そして芸術にはたしかにそのような要素があって、だからこそ芸術という営みが人類の歴史で続いているとも言えます。もっとも、それについてどこまで自覚的であるかは問われると思いますが。

役者3人で演じていましたけど、主人公を演じた本橋龍、仲間を演じた丙次、上司の正社員と新人社員の2役を演じた黒澤多生、本当に近頃の役者は達者ですね。再演で慣れていたのもあるでしょうが、芝居に求められる役をきっちり見せていました。切替の早さも含めて抜群でした。現代口語演劇が上手な若手の役者って切替の早さも得意な人が多い印象がありますけど、役作りのメソッドが違うのか、古典よりも脚本が役者に近くて楽にできるのか、どうなんでしょうか。

照明と音響もしっくりきていましたが、今回のスタッフワークの主役は脚本演出家が考えた美術。あのチープな舞台美術が縦横に駆使されて、終わってみればチープからシンプルへと変わって見えるのは、出来上がりが固定した作品の芸術である美術と、人間が演じて客が観て完成する表現の芸術である演劇との違いでした。初演はスズナリだったそうですが、天井が高く、むき出しだと案外無骨な神奈川芸術劇場大スタジオにもよく合っていました。

アフタートークは芝居と関係あったりなかったりする話が繰広げられましたが、面白いところは文字に残すのがはばかられるような内容なので割愛します。千秋楽以外はチケット全然余裕らしく、この回もたぶん6割くらいしか入っていませんでしたけど、近頃珍しく2時間を切る芝居でもありますし、近郊の人は初演を観ていない人なら年末の締めの1本にいかがでしょうか。

2025年12月14日 (日)

TBS/ホリプロ/ATG Entertainment主催「ハリー・ポッターと呪いの子」赤坂ACTシアター

<2025年12月13日(土)夜>

ハリー・ポッターたちが闇の者たちと戦って二十年以上経った。ハリーとジニーの息子であるアルバス・ポッターは魔法学校に入学するが、魔法省長官で忙しくまた世界的に有名な父とは折合が合わない。あまり魔法が得意ではなく、学校の寮選びで評判の悪い寮に入ってしまったアルバスは、かつて父同士が仲が悪かったマルフォイの息子、スコーピウス・マルフォイとだけを友人として過ごす。そうして4年生になったある日、休みで家に戻ったアルバスは、かつて父と共に戦い亡くなった息子セドリックを取り戻すために時間をさかのぼる道具を貸してほしいと頼みに来た老人の話を立ち聞きしてしまう。その老人を追返した父に反抗し、スコーピウスと、老人の付添いに来ていて知合ったデルフィーと企んで、セドリックを助けるために過去にさかのぼる。

気にはなっていのですが、あれだけ有名なのにハリー・ポッターの映画も小説も観ていなかったので、小説くらいは読んでから出かけようと先送りしていた芝居です。せっかく買った小説も第2話の途中で挫折していたのですが、2026年一杯で終演するとのニュースが流れたので今のうちにと観劇に。

第2話まででも読んでおいてよかったですね。ハリー・ポッターは幼いころに両親を殺されて魔法学校に入るまで親戚の家に預けられて虐げられながら育ったとか、魔法学校の寮の組分けでスリザリンが悪い寮とされているとか、マルフォイは確か悪い側の1人だったなとか、女子トイレに嘆きのマートルがいるとか、暖炉を通って移動するとか、後日譚なので原作世界を踏襲した設定がたくさんあります。本筋だけ追えば有名すぎる有名人の親子の葛藤を描いて「呪いの子」というタイトルが最後の最後まで効いてくるのですが、原作がそれなりに長く、マントを羽織った観客もいたくらいですから原作ファンサービスも欠かせないのでしょう。原作の話題を律儀に拾っていそうな(だから原作を読み終わっていない自分にはネタバレなのだろうなと思われる)場面がたくさんありそうでした。

だから公式3時間40分ですが、劇場出たタイミングで3時間50分で、それでも駆足の上演という印象を受けました。キャスティングが多いので一応後日のメモ。ハリー・ポッターが大貫勇輔、ハーマイオニー・グレンジャーが奥村佳恵、ロン・ウィーズリーが関町知弘、ドラコ・マルフォイが姜暢雄、ジニー・ポッターが吉井怜、アルバス・ポッターが福山康平、スコーピウス・マルフォイが浅見和哉、デルフィーが高山璃子、マクゴナガル校長が白木美貴子の回です。

そしてハリー・ポッターなのだから、1つは魔法を舞台でやってみせるのが見所です。空を飛んだり、飛ばされたり、物が勝手に動いたり、火が出たり、吸い込まれたり、別人に化けたり、まあ忙しい。どれだけ腕前があっても運動神経の悪い役者はお断りされる芝居です。それなりに舞台機構も作りこまれているのでしょう。さすがロングラン芝居でした。

あと内容に関係ありませんがチケット料金は注目です。7種類もの細かい席割で高い席と安い席の差を思いっきり設けているのに加えて、近頃流行りの平日昼、土日祝日昼、夜の3種類でも料金に思いっきり差を付けて、さらに子供割引もあります(あとはラッキーチケットでもっと安く買えることもある)。チケットを買ったときには気付かずにスケジュールの都合だけで買ったのですが、これが夜公演で安い日程に当たったたためか、昨今見ないくらい若い人と家族連れで大賑わいの回でした。これはまとめられるものなら後でまとめたいですが、芝居制作者側の人はよく確かめておくといいです。

<2025年12月28日(日)追記>

座席と上演時間帯によるチケット代の値段差の実例」と題して書きました。

劇団四季「恋におちたシェイクスピア」自由劇場

<2025年11月30日(日)昼>

金に困って次の作品のための前借が積重なっているシェイクスピアだが、同業の友人の筆が絶好調なのに反して次回作に行き詰っている。ある日、以前書いた芝居が女王の御前で上演され、それを見に来ていた裕福な商人の令嬢ヴァイオラが観劇し、シェイクスピアにあこがれ、その芝居に出演することを夢見るものの、女性が役者をすることが禁じられた時代である。思い余った令嬢は、まだ何もできていない次回作のオーディションが開催されると聞き、男装してオーディションに潜り込む。それに目を留めたシェイクスピアが書き始めた脚本は、興行主の注文からどんどんと外れていく。

映画原作だけど未見で、その舞台化。日本では劇団四季が今回で再演。「ロミオとジュリエット」の舞台が出来上がるまでのシェイクスピアとヴァイオラの関係を「ロミオとジュリエット」になぞらえて、あれこれと障害を設けて乗越えて、まあよくできた脚本です。「ロミオとジュリエット」を知っている方が楽しめますが、知らなくても楽しめます。

シェイクスピアが武藤洸次、ヴァイオラが川田菜々子の回でしたが、見目と声の張りと身体が良く動くことはよかったです。個人的には主人公の2人は、特に後半は、もう少ししっとりとしていた方が好みでした。そこは開幕間もない日程だったからではなく、「ロミオとジュリエット」原作で若い2人が突っ走るところを今回の主人公の2人にもあてはめた演出だったのかなと想像します。その分周りで、女王役の佐和由梨、あとマキューシオを演じた看板役者はネッド役でいいのかな、それだと長友デビッド洋輔、あとは役名も役者名も不明ですけど、チャンバラの稽古を付ける役だった人が物腰が終始きびきびしていて目を惹きました。

どきどきしてめでたしめでたしの話なので芝居初心者にはお勧めできますが、すれたベテラン観劇者にはチケット代を考えるとちょっと、という感じの仕上がりです。昨今の値上がりを考えると高いとまでは言い切れませんが、公演後半でどのくらい馴染んでくるかです。

観終わってロビーの役者スタッフ表を眺めていたら、映画原作はトム・ストッパードが共同脚本だと今さら知りました。脚本家なんだから映画の仕事をしていたって不思議はないのですが、こんなエンタメど真ん中な仕事もしていたのは発見だと頷きながら家に戻ったらちょうど訃報を目にしました。そういう巡り合わせもたまにはあります。

2025年11月23日 (日)

KAAT×城山羊の会「勝手に唾が出てくる甘さ」神奈川芸術劇場中スタジオ

<2025年11月22日(土)昼>

ご近所付合いで仲の良い中年男性3人が、近所で歌を習っている。しばらく先の発表会に備えて練習しているオリジナル曲は、伴奏する教師の弟である詩人が作曲した。何とも不思議な歌詞は知合いに作ってもらったという。どうやらその知合いは年上の人妻で、弟が入れ込んでいるのを姉の教師が心配している。3人が詳しいことを知りたいと問うても詳しいことは語らない。そこに仕事の連絡が入って1人が抜けたところで、近くを通りかかったからと女性がやって来る。どうやら作詞をした女性らしい。

役者は多かれ少なかれ(ハレではなく)ケを持っているものだと思いますが、ケが強い役者のケを前面に押出して、馬鹿話と艶話との間を綱渡りしながら笑わせる手際はさすが。役者では作詞をした女性の松本まりかのあざとい演技と、詩人の中山求一郎のころっと変わる様子はいい感じなので記録しておきます。

ネタバレすると悪いので細かいことは書きませんが、城山羊の会2回目にして、癖になる作風です。

2025年11月 3日 (月)

ほろびて「光るまで」浅草九劇

<2025年11月2日(日)夜>

ぼんやりとしか思い出せない男が語る、妻の実家に初めて顔を出した話。実家の家族とは折合が悪くもう10年以上帰っていない、結婚したことも手紙で知らせただけの仲だが、ある日妻が実家に帰らないといけないと言い出して一緒に妻の実家に出かける。挨拶した母親と兄は愛想よく歓迎してくれるが、姿が異なる別人だと妻が言う。

前に観たときが良すぎたので再挑戦のほろびてです。この4人の関係はどうなっているのか、という点を曖昧にさせ最後に明かすのは芝居の手法の1つですが、途中まではよかっですし、質は高いのですが、最後のオチが急展開過ぎて付いていけなかった。ちょっともったいなかったというのが感想です。

チラシやサイトには「過去に作った『公園』を原案として作成した、新作を上演します」とありますので、おそらく最後の場面は今回足したものではないかと思われます。ただ、それまでのぼんやりとした雰囲気、壊れそうなところを壊さないように努めるところをチラ見せしながら、唐突にかつ中途半端に具体的な話に飛びすぎでした。これがもっともっと具体的な現実の具体的な話だと野田地図なんかでも見かけるような展開になりますが、あちらはそれまで具体的な話に負けないくらいテンション高めのしゃべり通しで種を撒いて土台を作った上での急展開です。どれだけテンションの高い場面でも緩さと柔らかさが基にあって膨らませた場面をいきなり握りつぶすような展開は、うーん、どうなんでしょう。

役者は問題ありません。主人公の藤代太一と妻役の藤井千帆、母親役の佐藤真弓と兄役の佐藤滋。むしろ素晴らしい出来。舞台の奥を空けて楽屋まで見せるのは平成中村座が浅草でやっていたのを場所柄思い出しました。だから80分の芝居でしたが開演前のゼロ場を入れると2時間近くやっていたことになります。すっきりした舞台美術も、ほとんど流れないけど今時らしい綺麗な音響もよかった。ただ今回は私の好みに合いませんでした。

2025年9月15日 (月)

神奈川芸術劇場プロデュース「最後のドン・キホーテ」神奈川芸術劇場ホール

<2025年9月14日(日)夜>

「ドン・キホーテ」を上演中の劇団で、主演していたゲスト役者が遍歴の旅に出るから探さないようにと書置きを残して失踪する。主宰兼演出家が代役探しに奔走する中、失踪した本人は悪を倒す遍歴の騎士ドン・キホーテと信じてお供のサンチョを連れて何もない世界を旅する。どうやらそちらの世界では応急救護所の世話になり、医者や牧師や看護婦からはやはり頭のおかしくなった老人と見られているようだが、とある「奇病」のために牧師がサンチョとして付き合っている。失踪した役者の代役を探す主宰兼演出家と、医者の愛人だったが手を切って老人探しと看病に奔走する看護婦だが、その中心の老人は今日も放浪の旅を続ける。

初日。いつも通りのKERA芝居の手つきでありつつ、いつもよりも真摯な芝居でした。「ドン・キホーテ」を読んだことがなくて、「ラ・マンチャの男」を一度観たことがあるものの内容をすっかり忘れている自分ですが、ドン・キホーテの作品精神を相当に含んでいるのだろうという感触です。だからいつものように笑いつつ、終演後にはいつもよりもいいものを観たなという感想の残る仕上がりでした。

感想の理由を考えていたのですが、劇団が危機を迎える側の世界と、悪を倒す騎士のつもりでいるのに周りからは呆れられる世界、どちらもKERAの経験や内面、少なくとも身近で見聞きした出来事が背景にあるのではないでしょうか。KERAの経歴には詳しくないのですが、思い返せばあの場面はひょっとしたらこういう理由かな、あれはこんなことの隠喩かな、みたいなことはいくつか思いつかないでもありません。だからまったく違う2つの世界の出来事でも、どちらもある種のリアリティを持っていて、あるところから急にくっついても違和感がありません。もっとも、このあたりはKERAお得意の技術でもあります。

役者ですが、KERA芝居に悪い役者が出るわけないので誰を褒めてもいいです。KERA芝居に慣れている大倉孝二が力技を減らしつつ軽さと重さを調整してドン・キホーテと思い込む老人を演じきったのが新鮮で、キャスト表最多の6役を演じた犬山イヌ子の芸達者を芸達者と思わせないところは相変わらず。そして笑いのための笑いのない役に臨んだ主宰兼演出家の安井順平が追詰められた役を真摯に通してみせて初日から大好演で、ついにこういう役も務めるようになったかと感慨深い。複数役を演じても役の塊というか手ごたえみたいなものを残す山西惇もさすが。まあ好きに誰でも褒めてください。メモとしては、たいてい1か所はアドリブで笑わせようとする場面(そしてたびたび滑る場面)を入れてくる菅原永二も、さすがにKERA芝居でアドリブは入れられませんでした。

あとはスタッフワークですが、今回ははっきりとよかった。生演奏バンドは編成からして珍しかったですが、いいノリと迫力でした。ここは音楽家KERAの眼鏡にかなっただけのことはあります。風車から発想したであろう美術と繊細な照明が、大きな空間を埋めつつ多数の場面転換をこなします。そして映像。これはもう、毎回どうやって打合せているんだろうという出来です。雨の中から地下への場面、飛行機の場面、橋の場面は必見です。ただ、これを実現させるためにサイド席は売止めにしていたのでしょう。正面から見ないと成り立たなそうな仕掛けもありました。

段取り多数であろうに初日からここまで仕上げただけでも脅威で、しかもKERA芝居にしてはいつも以上に波長の合ったこの芝居。非常に観られるものならもう一度観に行きたいところですが、相変わらずの長尺で最長タイではないかという上演時間3時間45分、そしてアクセスの微妙に悪い神奈川芸術劇場というところで二の足を踏みます。だからこそKERA芝居なのにチケットが余っているんですが、悩みます。

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