恒例の年末決算です。
(1)新国立劇場主催「骨と十字架」新国立劇場小劇場
(2)青年団国際演劇交流プロジェクト「その森の奥」こまばアゴラ劇場
(3)世田谷パブリックシアター企画制作「チック」シアタートラム
(4)東京成人演劇部「命ギガ長ス」ザ・スズナリ
(5)M&Oplaysプロデュース「二度目の夏」下北沢本多劇場
(6)五反田団「偉大なる生活の冒険」アトリエヘリコプター
(7)東京芸術劇場主催「お気に召すまま」東京芸術劇場プレイハウス
(8)DULL-COLORED POP「1986年:メビウスの輪」東京芸術劇場シアターイースト
(9)DULL-COLORED POP「第三部:2011年 語られたがる言葉たち」東京芸術劇場シアターイースト
(10)ワタナベエンターテインメント企画製作「絢爛とか爛漫とか」DDD青山クロスシアター
(11)松竹製作「秀山祭九月大歌舞伎 夜の部」歌舞伎座
(12)犬飼勝哉「ノーマル」三鷹市芸術文化センター星のホール
(13)ホリプロ/フジテレビジョン主催「愛と哀しみのシャーロック・ホームズ」世田谷パブリックシアター
(14)シス・カンパニー企画製作「死と乙女」シアタートラム
(15)鵺的「悪魔を汚せ」サンモールスタジオ
(16)こまつ座「日の浦姫物語」紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA
(17)風姿花伝プロデュース「終夜」シアター風姿花伝
(18)野田地図「Q」@東京芸術劇場プレイハウス
(19)世田谷パブリックシアター/エッチビイ企画制作「終わりのない」世田谷パブリックシアター
(20)KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「ドクター・ホフマンのサナトリウム」神奈川芸術劇場ホール
(21)松竹製作「連獅子/市松小僧の女」歌舞伎座
(22)□字ック「掬う」シアタートラム
(23)鳥公園「終わりにする、一人と一人が丘」東京芸術劇場シアターイースト
(24)KAAT神奈川芸術劇場/KUNIO共同製作「グリークス」神奈川芸術劇場大スタジオ
(25)Bunkamura/大人計画企画製作「キレイ」Bunkamuraシアターコクーン
(26)テレビ朝日/産経新聞社/パソナグループ製作「月の獣」紀伊国屋ホール
(27)新国立劇場主催「タージマハルの衛兵」新国立劇場小劇場
(28)KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「常陸坊海尊」神奈川芸術劇場ホール
(29)TAAC「だから、せめてもの、愛。」「劇」小劇場
(30)世田谷シルク「青い鳥」シアタートラム
以上30本、隠し観劇はなし、チケットはすべて公式ルートで購入した結果
- チケット総額は211580円
- 1本当たりの単価は7053円
となりました。上半期の33本とあわせると
- チケット総額は368400円
- 1本当たりの単価は5582円
です。3年連続50本越えどころか60本越え、しかも上半期下半期両方で30本達成という本数です。下半期の30本は本当は別の芝居で達成予定だったところ、当日券で蹴られてむきになって観に行ったのが(29)(30)です。せっかく上半期で抑えたチケット代が跳ね上がった理由は、仁左衛門弁慶を近くで観たいと思った(11)が筆頭、他に小劇場で宮沢りえが出演した(14)、ついにこの値段になった人気脚本演出家の(18)(20)(25)、1日上演で値段も高かった(24)、と大作続きだったのが理由です。
そして当たり芝居を分類するのが非常に難しいのですが、独断と偏見で分類してみます。日本社会の問題を時に深刻に時に笑いを交えて描いた(4)(6)(8)(12)(29)、国際的な問題が落とす、落としうる影を直接間接に背景に持たせた(2)(14)(24)(26)(27)、個人の生き方に問いかける(3)(17)(23)(30)、巨匠たちの大作すぎて無理やりにしても分類が難しいけど人間賛歌と名づけてみる(5)(18)(20)(25)、エンタメに徹した芝居が少ない中でも気を吐いていた(13)(15)、あたりでしょうか。観られてよかったという点では(10)(11)(28)も含まれますが、仕上がりと価格のバランスを考えるとここに挙げるのはつらいということで外しました。そうすると、30本中20本で打率6割後半。上半期よりも打率は上がりますが、チケット単価の差を考えたらこのくらいの打率で喜んでいられないところです。
そこから絞ると翻訳モノで(3)(17)(24)(27)日本モノで(4)(6)(12)、さらに絞ると(4)(24)(27)、もうここから先はサイコロを振って選ぶレベルですが、日本でこれからより深刻になる問題を笑いにくるめてたった2人+声で演じた(4)を下半期の1本とします。通年でもこれを推します。
そのほか、勝手に一部部門賞です。
まずは役者部門。主演男優は(18)で若き日のロミオを演じた志尊淳と、(27)の2人芝居から迷って亀田佳明の2人を挙げます。前者には華をなくさず今後も活躍してほしいという期待を、後者にはこれからどこに出ても水準以上の演技が見込めるという期待を、それぞれかけて選出します。主演女優は「あい子の東京日記」がすばらしかった中山マリ、(4)(24)で大活躍だった安藤玉恵と(17)でひりひりした演技を見せてくれた栗田桃子を選出します。中山マリは母を通じた半自伝を抑えた調子で演じて素晴らしく、安藤玉恵は「痴人の愛」がよかったときから気になっていましたが今年の2本は文句なし、栗田桃子はこまつ座の常連くらいのイメージだったのが一気に変わりました。3人も選ぶのかよと言われるところですが、ベテランの集大成、脂の乗っている絶好調期、確実に次のレベルに上った1本、と3人ともここで選ばないでいつ選ぶという出来でした。他にいい人もいたかもしれませんが、だとしてもこの3人の出来に疑う余地はありません。
助演男優は(15)で総務部長役が渋かった池田ヒトシを挙げます。似た人間が集まりがちな小劇場で世界を広げた点が助演という呼名にふさわしいと考えます。助演女優は「2.8次元」で自分は華を出しつつ他の役者も輝かせた豊原江理佳、「LIFE LIFE LIFE」の妻役と「キネマと恋人」の妹役とどちらもKERA演出で活躍したともさかりえ、(3)の複数役と(17)の弟の妻役とでなぜか目が行く那須佐代子の3人を挙げます。少人数の芝居が多いのでその場合に主演か助演か選びにくいのですが、感覚で分けさせてください。年頭の青年団の旧作短編集もそれぞれよかったのですが、あれは少人数が多すぎて選出に迷ってかえって外れてしまいました。
脚本演出部門では、どこまで演出をひとりで行なったのかは不明ですが、(12)がすばらしかった犬飼勝哉。世界の広がりを感じさせるあのクオリティが、さらにさらにさらに伸びていくことを期待します。
スタッフ部門では、(24)で現代的洋装だったり和洋折衷だったずばり和装だったりでギリシャ悲劇に拮抗したプランがみごとだった衣装の藤谷香子。(30)で暗い場面から目が覚めるような場面まで幅を持った照明で幻想の国を美しく作った阿部将之。この2人を挙げます。
あと美術もかかわりますが、囲み舞台部門です。劇場で囲み舞台を使いこなしつつ全方位の客席向けにも頑張ってしかも観て満足した企画として、東京芸術劇場シアターイーストの「K.テンペスト2019」、神奈川芸術劇場大スタジオの「ゴドーを待ちながら(昭和・平成ver.)」、シアタートラムの(30)の3本を挙げます。囲み舞台で稽古場の演出家席が見えると途端にけなしだす自分ですが、囲み舞台の形式は好きです。ちょうど違う劇場が揃っているのもタイミングがよく、こんな使い方もできると知られると嬉しい、このように使いこなしてくれる芝居が増えてほしい、と願って取上げます。それぞれ美術は串田和美、乘峯雅寛、杉山至です。
部門賞まで終わって、通年の感想です。
まずは今年芸術監督就任が発表された長塚圭史と松尾スズキ。ここまできれいに就任先が決まるのかと天邪鬼な感想も持ちましたが、就任したからにはよい芝居を並べてくれるだろうと期待しています。慣れてきたころ、3年後のラインナップを楽しみにしています。
次に、少人数の芝居が多いこと。少人数が何人かは意見が分かれるところですが、考えがあって4人まで、とします。声だけの出演は数えず、複数本同時上演はばらばらに数えると、1人芝居が2本、2人芝居が5本、3人芝居が3本、4人芝居が5本です。数え間違っているかもしれませんが、15本は多い。芝居は大勢が登場するものだという先入観を持っていましたが、2割以上となるとそうとも言えません。あまり予算をかけられないという制作上の都合と、人数が少ないほうが深く濃く描けることもあるという創作上の都合と、両方あるのでしょう。人数が少なくてもいい芝居が創れることは(4)(27)が証明してくれましし、大勢ならではの芝居も上半期の1本「2.8次元」や(24)などがあります。役者の多寡で描ける内容に違いはあっても、質とは別物であることが証明された1年でした。
あと上半期に引続いて当日券で蹴られることが多かったこと。事前の売行きを見て避けた芝居もあったのですが、人気者の登場は見逃さない役者のファンとは別に、面白そうと思ったものを観に行く人がひところよりも増えている気配があります。次に景気が悪くなったらどうなるかわかりませんが、少なくとも都内では、モノよりコトに消費する人の選択肢として芝居が挙がっているのかなと推測します。
業界向けな話題では、2回の台風騒動をまとめたエントリー2本(9月、10月)は、去年の台風騒動のまとめと合せて、台風に限らず雪その他の「事前に想定できる公演中止時の対応」の確立に役立ていただければ幸いです。また、カルチベートチケットの話から発展する成河の演劇論のエントリー「演劇は一生懸命見られると実はうまくいかないことの方が多い」は、ほとんど引用ですが読んでほしい、できれば元記事も読んでほしいエントリーです。
そして全体の感想。去年の感想でこんなことを書きました。
いい上演企画には大まかに2種類あります。仮に「現代の風潮を問う芝居」と「徹底的にエンターテイメントの芝居」と名づけます。昔だともう少し文学っぽい芝居も成りたったと思いますが、今は2種類の少なくともどちらかの要素を混ぜないと魅かれません。何故かといえば日本の生活も社会もここ10年で大変になったからです。観客側から見れば余裕はどんどんなくなっています。単によくできただけの芝居に大枚はたくような余裕はなく、ましてや外れ芝居を見守るような余裕もないので、観るからにはその芝居を観てよかったと実感できるような芝居が求められています。大変になった人たちの悩みをすくい取って励ますか、大変になった人たちを楽しませて明日への活力を与えられるか。大げさに言えば、2種類のどちらの要素も含まれない芝居は自己満足と言われても仕方がない世相になっています。
観に行く芝居を選ぶ基準は昔からそんなに変わっているつもりはなく、脚本演出出演に人が揃って興味をそそられるか、有名な脚本なので観ておきたいか、チラシなり他人の口コミなりに引かれて試してみるか、だいたい3つのどれかです。そのはずなのに、選んだ芝居にどうしても「現代の風潮を問う」要素が混じってくるし、観終わったらそこを評価してしまう。中身に社会的な要素が含まれる芝居が最近は非常に多いです。そこをもって「日本社会の問題」「国際的な問題が落とす、落としうる影を直接間接に背景に持たせる」「個人の生き方に問いかける」「人間賛歌」「エンタメに徹した芝居」と先に分類しました。
たとえば、今年最初の1本が痴呆の父の介護である「父」から始まり、通年の1本である(4)は8050問題に介護も絡み、寝たきりの母の介護が重要な要素となる(29)から、入院した老人の介護にアレンジした(30)が続いて終わるというすごい偶然は、高齢化社会が身近にあることのあかしで、しかも日本社会だけでなく(今までの)先進国に共通の問題でもあります。だからこそフランスで「父」が執筆されたわけです。
あるいは、ギリシャ悲劇なのに国際的な問題に分類した(24)は、国同士の抗争、神を信じられない世界の有様は、2000年以上を越えて、分断の時代と言われる現代に通じるものを感じたのでそのように分類しました。
他に、表向きは少年の成長というロードムービーな展開である(3)も、人種(国籍)差別やLGBTといった要素を含んでいて、個人の生き方に問いかける面があり、一筋縄ではいきません。これから公演する芝居ですが、「ヘアスプレー」は脚本家のメッセージが直球です。日本でこの手の問題が今以上に議論されるか、隠れるかは微妙なところですが、そもそもこの手の問題が日本でここまで盛上がるほうが今まででは考えられませんでした。
分類には出しませんでしたが、「個人の生き方に問いかける」をもう少し身近に、介護や差別の問題にこだわらず家族の話を直接間接に取上げた芝居まで拡げるともっと多くなります。独断で数えると上半期は「父」「過ぎたるは、なお」「世界は一人」「隣にいても一人」「ベッドに縛られて / ミスターマン」「埒もなく汚れなく」「キネマと恋人」、下半期は(3)(4)(5)(15)(17)(19)(22)(26)(29)と16本です。家族とは何か、家族は無条件で肯定できるものなのかという古くて新しい問題含んだ芝居がこれだけ上演されているのは、家族というだけで当たり前と思っていたいろいろなことは当たり前ではないと考える人が増えている証拠でしょう。
そういう「当たり前と思っていたいろいろなことは当たり前ではないと考える人が増えている」理由として、SNSを通じたやりとり、似た考えを持った人たちの「横のつながり」が、国を越えて発展していることが大きいです。ただし、そうでない人たちの「横のつながり」も発展していること、同じ考えの人たちが集まることでどちらの人たちも考えが凝り固まって排他的になっていくこと、が進むことで、分断が促進されてしまうのではないか、に私は興味があります。それが端的に現れたのが下半期最大のトピックスと考えるあいちトリエンナーレの上演中止騒動です(「あいちトリエンナーレ『表現の不自由展、その後』のメモと芸術監督の仕事について」、「芸術の鑑賞ルールなんて教わったことがない」)。本件について、私はここまで炎上させた芸術監督に批判的ですが、それとは別に、(本人にその気があるかどうかは別として)炎上に加担した人たちの背景も想像したりします。
おそらくそこも2種類あって、ひとつは不満の捌け口とした人たち、もうひとつは攻撃されたと感じて攻撃しかえした人たちがいると思います。一番の問題として経済問題が大きく絡むはずですが、さらにその背景には、日常がたいへんでストレスにさらされている人たち、たとえば介護問題などで日常が精一杯の人たちだったり、仕事でそれこそそういう攻撃を受けてくたびれるような人たちだったり。そういう心境に置かれた人たちも、直接自分と関係ある出来事であれば是々非々の判断が働くでしょう。けど、自分と直接関係ない出来事でしかも国としての対応は終わっているのにいつまでも嫌味を言ってやがると相手国に反感ムードが仕上がっていたところ、その当の相手の国民から逆なでするような展示が出てきたら、反射神経で反感を持つのはある意味自然な反応です。
家族関係のような身近なものだって当たり前と思っていることが当たり前とは限りませんけど、常に全方位でそうやって是々非々を判断しながら生きるには経済的にも文化的にも余裕が必要です。世界でいまそれを兼ね備えている国はありません。そういう時代です。個人でもそう多くないでしょう。
ここで話はループして、生活が大変になった日本(に限らない今の先進国の)社会、芝居で描かれている社会問題、当たり前のことが当たり前でないかもしれないという不安、それぞれの価値観が相手「陣営」にとってストレスとなることがSNSで促進されてしまうこと、それらの衝突の結果が大炎上、と同時代の問題がいろいろな場所にそれぞれの形で出てきています。おそらく2020年はもっと出てくるはずで、芝居にも今以上に社会問題が取上げられると予想します。
そんな時勢で芝居に何を期待するか。これは2013年の決算で私が書いた文章です。
1年前の決算で「世の中の変化はもっと激しいはずで、あるいはその変化を早めて、あるいはその変化の影響を緩和して、あるいはその変化に立向かうための希望をみせるような、そんな動きを芸術が担えるのかどうかはやっぱり興味がある。」と書いた。これを改めて、人によって複数あるだろう芸術の定義の定義のひとつを「それを体験した人に、人生に立向かうための勇気を与える表現」としてみたい。
芝居にはやはり、個人から見た視点、個人を描く視点、個人を慈しむ視点がほしい。「Das Orchester」の中に、「演劇は言葉を扱う芸術だからか、簡単に扱えましたよ」というゲッペルスの台詞がありました。そちらに流されることなく、個人の側に立ってほしい。
私は、経済問題を含む厳しい社会情勢の中で、さらに当たり前と考えていたことが当たり前でないかもしれないと不安にさらされた時代を生きていくためには、横のつながりだけでなく個人の成長と確立が必要で、また個人の成長が全体の社会情勢の厳しさを緩和することにもつながると考えています。そのために、以前の引用を更新して、「厳しい社会問題や日常を可視化するところに留まらず、そこで個人がいかに人生に立ち向かうかまでを描いた」芝居、「物事の見方を変えて、排他的になっていた心をほぐし、人生はそんなに悪くないと思わせてくれる」芝居、あるいは「純粋に大笑いできて厳しい日常でつかの間のリフレッシュをさせて、明日もがんばるかと活力を与えてくれる」芝居、そういう芝居を希望します。
最後に余談です。これだけ偉そうなことを書いている私ですが、今年最後の仕事で「お前の考え方は当たり前ではない」とダメ出しされて年越しやり直しとなりました。これだけ芝居を観ても、自分のコンテキストを自覚する力や他人のコンテキストを想像する力に乏しいのはいかんともし難く、苦笑いするしかありません。ただ、当たり前と思っていることが当たり前とは限らないこと、当たり前と思っていることが当たり前とは限らないと考えている人はそう多くないことを、それぞれ意識することで、少しでも肩の力を抜いて暮らしていけることを目指します。
2020年は元号が変わって最初の正月、そして干支が回って子年。観劇本数が増えるか減るかわかりませんが、引続き細く長くのお付合いをよろしくお願いします。